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精神保健福祉の歴史

更新日 2009年02月04日

西欧

18世紀後半−19世紀はじめ

フランスのピネルという人が、18世紀終わり・フランス革命の頃、精神病者を鉄鎖から解放したことが精神障害者を人間として尊重することの始まりといわれています。 迫害され、ときには処罰される対象であった精神障害者が医療の対象として認知されるようになっていきました。 クレペリンをはじめとする精神医学者の活躍などによって、非科学的に扱われていた精神障害が科学的に研究されるようになり、精神医学・精神科医療が発展することとなりました。

19世紀後半−20世紀はじめ 

ビアーズという、アメリカ人が1908年に自らの入院体験をもとに著書「わが魂に会うまで」を出版し、精神衛生運動を始めました。これが今日の精神保健福祉の拡がりを作っていったと言われています。

20世紀半ば−20世紀後半 

第2次世界大戦の勃発によって、精神障害者が再び迫害される歴史が繰り返されてしまいました。 特にドイツのナチス政権下では、多くの精神障害者や知的障害者らが、生きるに値しない生命として隔離され抹殺されるという人類史上忘れてはならない悲劇が起こりました。
 世界大戦後の1948年、世界精神保健連盟が設立されました。
 アメリカでは、1963年、ケネディ教書(精神病及び精神薄弱に関する大統領教書)が発表され、精神障害者らのための積極的な福祉施策がとられるようになりました。 脱施設化、地域精神保健活動が展開されることとなりましたが、地域の受け皿づくりが不十分だったこともあり、多くの精神障害者がホームレスとなってしまう結果も生み出されました。
 イギリスでは、1960年代から脱施設化の政策が掲げられ、精神病床数削減の数値目標をあげて、病院中心から地域ケアを中心とした地域精神保健サービスへと転換が図られました。 
 イタリアでは、1978年バザーリア法を公布し、公立精神病院を廃止するなどの急進的な精神医療改革に乗り出しました。 これによって、脱施設化と地域精神医療サービスの充実を図ることとなりました。

 


日本

精神病者監護法(1900(明治33)年)

日本における精神障害者に関しての初めての法律です。
精神病者を地方長官(今でいう都道府県知事)の許可を得て、監護の責任者(主に精神障害者の家族がなっていました)が精神障害者を私宅などに監置できるという法律でした。 精神医療が十分受けられず、家族の負担も大きいという状況が生み出されていました。東京帝国大学教授の呉秀三は、全国各地の私宅監置の状況を見て回り、諸外国に比べて精神障害者の置かれた悲惨な実態を『精神病者私宅監置の実況及び其統計的観察』として報告し、日本の精神障害者の処遇の改善と精神医療の充実を訴えました。 その中に書かれている有名な言葉、「我邦十何万ノ精神病者ハ、実ニ此病ヲ受ケタルノ、不幸ノ外ニ、此邦ニ生マレタルノ不幸ヲ重ヌルモノトイフベシ。」は、日本の精神医療保健福祉のあり方に今も警鐘を鳴らし続けています。

精神病院法(1919(大正8)年) 

呉秀三の批判的な報告もあり、生まれた法律です。 道府県が精神病院を設置できるという法律でしたが、国の予算が十分でなかったこと、また、私宅監置はそのまま継続されたこともあって、実際には道府県での病院の設置はほとんど進みませんでした。

精神衛生法(1950(昭和25)年) 

第2次世界大戦後、欧米の精神衛生の考えも導入されて、新しく精神衛生法が制定されました。この法律の成立によって、「精神病者監護法」「精神病院法」は廃止されました。ここで初めて、精神障害者の私宅監置が禁止されることとなりました。
 都道府県に公立の精神病院の設置義務も課せられました。 また、自傷他害のおそれのある精神障害者の措置入院と保護義務者の同意による同意入院の制度ができました。精神障害者の拘束の要否を決定するための精神衛生鑑定医制度がつくられました。
 また、精神障害の発生予防と国民の精神的健康の保持向上が図られることとなり、各都道府県に精神衛生相談所が置かれるようになりました。

昭和30−45年 

精神病院の施設整備費・運営費に対して国庫補助が行なわれるなどしたこともあって、民間精神病院が多数建設されるようになりました(昭和30年4.4万床が15年間で25万床に)。 また、昭和30年代から薬物療法が導入されるようになり、精神疾患の寛解率が大きく向上するようになりました。  しかし、その結果、病状の改善した精神障害者の長期入院・社会的入院という新たな課題が生み出されていきました。

ライシャワー事件(1964(昭和39)年) 

精神障害者の少年により、アメリカ駐日大使のライシャワー氏が傷害を受け、日本の精神医療のあり方が国内外で問題となりました。翌年の精神衛生法一部改正につながりました。

精神衛生法一部改正(昭和40年改正) (1965(昭和40)年) 

措置入院制度が強化されました。
 在宅精神障害者の治療の促進が図られることとなり、精神障害者の通院医療費公費負担制度(現:自立支援医療費支給認定)が創設されました。
保健所が精神衛生行政の第一線として位置づけられるようになり、保健所等を支援指導するための技術的中核機関として各都道府県に精神衛生センター(現:精神保健福祉センター)の設置が始まりました。 

宇都宮病院事件(1984(昭和59)年) 

昭和59年、宇都宮病院で入院中の患者が看護職員によって暴行を受け死亡する事件が起こりました。無資格診療などの問題も明るみになり、精神障害者の人権が守られていないことに対して国内外から批判を浴びることになりました。日本の精神医療のあり方や社会復帰施策が不十分なことも国際的に批判されました。 精神衛生法を大きく見直すきっかけになりました。

精神保健法(1987(昭和62)年) 

昭和59年の宇都宮病院事件をきっかけに、精神衛生法の改正を求める声が国内外からあがり、成立した法律です。昭和62年に公布され、翌年7月から施行されました。
 この法律では、精神障害者の人権擁護、精神障害者の社会復帰の促進がうたわれました。     
 本人の同意に基づく入院が明確化され、任意入院の制度が創設されました。また、入院時には書面による権利等の告知制度が設けられました。精神科病院に入院する精神障害者の人権擁護のため、入院の必要性や処遇の妥当性について審査するための精神医療審査会が創設されました。 精神衛生鑑定医制度に代わり、精神保健指定医が制定され、その職務が規定されました。 
 社会復帰施設の規定が初めて設けられ、社会復帰が促進されることとなっていきました。        
 また、法律を5年ごとに見直していくことも決められました。

精神保健法改正(1993(平成5)年) 

精神障害者地域生活援助事業(グループホーム)が法定化されました。
精神障害者社会復帰促進センターが創設されました。

障害者基本法が成立(1993(平成5)年) 

「心身障害者対策基本法」が「障害者基本法」に改正され、精神障害者も「障害者」として初めて法的に位置づけられることになりました。このことによって、精神障害者に対する福祉が法的に明示されることとなっていきました。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)(平成7年改正) 

障害者基本法の成立を受けて、精神保健法が大幅に改正されてできた法律です。精神障害者が法的にも明確に「障害者」として認知されることになり、法律の中に精神障害者福祉がうたわれることとなりました。精神障害者福祉施策を法体上に位置づけ、目的に「自立と社会経済活動への参加」が加えられました。
 精神障害者保健福祉手帳制度が創設されました。
 社会復帰施設の4類型(精神障害者生活訓練施設、精神障害者授産施設、精神障害者福祉ホーム、精神障害者福祉工場)が定められました。
 社会適応訓練事業の法定化がされました。
 地域精神保健福祉施策の充実、市町村の役割が明記されました。
 公費負担制度の保険優先化が決まりました。
 その後も、大和川病院など、いくつかの精神科医療機関での不祥事が明らかになっています。
 精神保健福祉法の充実のために、さらなる改善が必要となっていきました。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部改正(平成11年改正)(平成12年4月施行分) 

平成5年改正時に規定された施行5年後の見直し規定を踏まえ、精神障害者の人権に配慮しつつその適正な医療及び保護を確保し、精神障害者の社会復帰の一層の推進を図るため、精神保健指定医の職務を適正化し、精神医療審査会の機能を強化することになりました。家族等を保護者として、精神障害者本人に治療を受けさせる義務が規定されていますが、保護者に過重な負担を課すことになっている自傷他害防止監督義務規定が削除されました。 
 医療保護入院等のために精神障害者を都道府県知事の責任によって適切な病院に移送することができる制度が新たに創設されました。
 また、精神障害者地域生活支援センターが社会復帰施設に追加されました。  
 在宅の精神障害者に対する福祉事業を市町村を中心として推進する体制を整備する等の措置が講じられました。その一部を除き、平成12年4月1日から施行されました。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部改正(平成11年改正)(平成14年4月施行分) 

平成14年4月1日から、精神障害者の在宅福祉の充実に向け、精神障害者保健福祉手帳・通院医療費公費負担制度等の申請窓口が保健所から市町村に変わりました。精神障害者の福祉サービスの利用に関する相談、助言等が市町村を中心に行われることになりました。
 また新たに精神障害者居宅生活支援事業(ホームヘルプ、ショートステイ、グループホーム)が法定化され、市町村を実施主体として行われることになりました。そして精神医療審査会の事務 、精神障害者保健福祉手帳と通院医療費公費負担の申請に対する決定に関する事務のうち専門的な知識及び技術を必要とするものの事務が精神保健福祉センターで行われることになりました。

精神保健医療福祉の改革ビジョン (2004(平成16)年9月) 

精神保健福祉対策本部中間報告に基づき設置された3検討会(精神障害者の地域生活支援の在り方に関する検討会、精神病床等に関する検討会、心の健康問題の正しい理解のための普及啓発検討会)の報告を受けて、平成16年9月、精神保健医療福祉の改革ビジョンが提示されました。
 「入院医療中心から地域生活中心へ」というその基本的な方策が進められることになり、今後10年間に進める方向性が打ち出されました。特に、受入条件が整えば退院可能な者(約7万人)について、10年後の解消を図ることが示されました。

改革のグランドデザイン案 (2004(平成16)年10月) 

平成16年10月、「改革のグランドデイン案」が立てられました。改革の基本的視点として、「障害保健福祉の総合化」「自立支援型システムへの転換」「制度の持続可能性の確保」があげられました。

障害者自立支援法 (2005(平成17)年10月31日) 

平成17年10月31日に障害者自立支援法が成立。翌平成18年4月1日(一部は10月1日)から施行されました。
 この法律では、「障害者および障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活または社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに関わる給付その他の支援を行い、もって障害者及び障害児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与すること」が目的とされています。
 市町村を中心として、精神障害も含めた3障害一元化したサービスが提供されることになりました。障害者の自立した生活への支援を、市町村を中心として行い、それに対して都道府県、国が重層的に援助していくこととなりました。また、サービス必要量を見込んだ障害福祉計画を市町村、都道府県が策定していくことも定められました。効果的・効率的なサービス利用と、公平性・透明性を確保するために、サービスを利用する障害者本人にもサービスの利用量に応じて自己負担が求められることになりました。またサービス利用決定のプロセスを透明化するために障害程度区分の設定や市町村審査会の設置など障害福祉サービスを決定するための事務が細かく定められています。
 これまでの施設を中心とした福祉体系が大きく見直されることとなり、障害者の地域生活への移行や就労支援といった事業が創設されることとなりました。これまで障害種別に分かれていた施設・事業体系が3障害一元化して再編されました。介護給付サービス、訓練等給付サービス、地域生活支援事業等に分類されることになりました。施設・事業体系の見直しによって、これまでの精神障害者社会復帰施設は平成18年10月から平成23年度末までの経過措置期間内に新たな障害福祉サービスに移行することになりました。
 障害者の相談支援体制も整理され、相談支援事業が地方自治体の地域生活支援事業の必須事業に位置づけられ、精神障害者を含む障害者に対する一般的な相談支援事業は市町村に一元化されました。また、市町村など地方自治体に自立支援協議会を設置運営することなども定められ、市町村、地域が連携協働して障害者を支援していく体制づくりが進められることになりました。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部改正(平成17年改正)

 「精神分裂病」から「統合失調症」に呼称が変更されました(平成17年11月7日)。
 平成17年の障害者自立支援法の成立を受けて、精神保健福祉法から障害者福祉に関する事項や通院医療に関する事項が削除され、平成18年4月から障害者自立支援法の中に規定されることになりました。また、市町村における相談支援体制が強化されることになりました。
 その他、精神科病院等に関する指導監督体制の見直しが図られ、精神医療審査会の委員構成の見直しがされました。また、緊急時における入院等に係る診察の特例措置が導入され、一定の要件を満たす医療機関において精神保健指定以外の一定の要件を満たす医師(特定医師)の診察によって入院の適否が判断されるなどの精神科救急医療体制の確立に向けた新たな枠組みが整理されることになりました。