第2回「対話と実行座談会」(移住の促進について)

公開日 2014年03月04日

更新日 2014年03月22日

平成25年度 第2回「対話と実行座談会」

日時:平成25年11月18日(月曜日)18時00分から20時30分まで
場所:高知県庁本庁舎「正庁ホール」
出席者:高知に移住をされている方 5名
      移住促進に取り組む団体のメンバー 2名     

座談会要旨

1.知事あいさつ
2.自己紹介
3.参加者との意見交換
4.会場からの意見
5.知事まとめ

配布資料:第2期高知県産業振興計画Ver.2 PR版 [PDFファイル/29.68MB]


開会

(司会)
ただ今から第2回テーマ別「対話と実行座談会」を開催いたします。

1.知事あいさつ

(知事)
 今日はおいでいただきまして、ありがとうございます。
 対話と実行座談会は、今回で71回目になります。地域にお伺いしたり、さらに、テーマ別の会をもうけ、お話をさせていただいたうえで、お知恵をいただき、それを政策展開に活かしていくという取組をこれまでも続けさせていただきました。
 今回は、移住促進について、県としてどういうことをやろうとしているのか、お話をさせていただきたいと思います。
 ちなみに、今日この座談会をもたせていただいた背景的な説明についても少しお話をさせていただきたいと思います。
 といいますのは、県において毎年11月末から1月にかけて予算編成を行います。この予算編成というのは、新しい26年度からの政策を検討する時ということになります。
  25年度から移住促進策を本格的に加速するということで取組を始めたわけですが、産業振興計画そのものも正にそうですが、新たに本格化した初年度は、「残念ながら机上の空論だったな」とか、「思いの外うまくいったな」ということがたくさんあります。
 そういう段階で実際の状況や、多くの皆さんにお知恵もいただきながら、データを基にして、いろいろ改訂をしていく。そういうことを試みようとしているのが、まさに今の時期であり、我々としても数値のデータや、地域にいるスタッフから意見も聞き、改善しております。今日はその移住について知見をお持ちの皆さんに、いろいろご意見をお伺いすることで、さらに充実した改訂につなげていければと思っています。
 (今が)ちょうど、正にその検討を始めようとする時期でありますので、今日(の座談会を)お願いしたということです。
 まず、その移住促進策としてどういうことをやろうとしているか、パンフレット(※第2期産業振興計画PR版 参照)の、1ページをご覧いただきたいと思います。
 まず、移住促進策をやろうとしていることの大きな背景の説明になります。このページの下に有効求人倍率とか業況判断D.I.という数値が書かれています。これは、いつも我々が説明している象徴的なグラフなんですが、有効求人倍率は、平成12年から21年までの間、全国の有効求人倍率は、1を超える程まで回復をしてきています。しかし高知県だけ、ずっと0.4とか0.5ぐらいで低迷し続けた時期があるということが、これで見て分かると思います。ちなみに、(高知県の)直近の有効求人倍率は、0.74。その前月が0.76で、現在は史上最高値タイです。このように、今は上がってきていますが、以前は、こうやって上がることができませんでした。
 右側のグラフを見ていただきますと、業況判断D.I.(というグラフ)です。日本銀行が企業に、景気状況はどうですかと聞く。良いと答えた人が多ければ上がっていくグラフなのですが、これを見ていただきましても有効求人倍率と同じ推移になっています。全国は良くなっても高知県だけ全く上がることができなかった。こんなに高知県は、厳しい状況にあったんだということが見ていただけようかと思います。
 いろんな状況があろうかと思います。いろいろ言い方もあろうかと思います。全国が良くなっても全国の経済とつながっていなかったということもあるのかも知れません。高知から外に物を売りに行ったり、県外から観光客を呼んで来たりということをあまりしていなければ、全国の景気が良くなっても、高知県は、あまり関係ないということになりかねないということなのかもしれません。
 あわせてこの間、平成2年から始まった人口減少の影響もあって、県内のマーケット規模が急激に縮小しています。ピークが平成9年。物が2兆円売れていました。でも、平成19年には物が1兆6千億円しか売れていません。約2割、県内市場は縮んだということです。
 何で高知県は厳しいのか。一言で言うと、県内市場が縮んでいたからだろうと思います。足元の経済市場がどんどん縮んでいくのであれば、やらなければならないことは何か。打って出て行って、外から外貨を稼いで来る。高知県にとっての外貨とは、ドルとかいうことではなく、東京にある円をどうやって稼いでくるか、そういうことを考えないといけないのではないかということで、右上にあるような地産外商の取組を進めようとしてきました。
 ただ、この地産外商、地に産するものを活かして外で商って外貨を稼ごうという取組ですが、言うは易く行うは難しでありまして、実際この2ページにありますように地産外商を進めるためにいろいろ課題がありました。その課題に対して、それを何とか打開していくために、基本方向を定め、具体的な政策を展開していこうというのが、今、産業振興計画でやろうとしていることです。
 この2ページの図が、いわば産業振興計画全体の設計図みたいなページです。これを、見ていただくと、例えば、外商を進めていこうといっても、田舎の高齢者の皆さん一人一人が飛行機に乗って、東京で飛び込み営業するのかと。それができないから外に打って行くことができないんじゃないかということであります。
 これが課題だとすれば、基本方向で書いてありますように、官のほうで、例えば地産外商公社という共通のプラットホームを設けますので、それを利用していただいて、皆さん、外商活動をしてくださいという取組を進めてきました。平成21年度、これまでの成約件数178件、現在2,603件、平成24年度、平成25年度はそれを上回るペースで増えてきています。そういう意味では、進んできているかもしれません。
 (付加価値の)高い物、東京でも売れるような物が作れるのか。作れないから外商できないのではないか。真ん中にありますように、課題の2と基本方向の2、ものづくりを強化し、付加価値を高めると書いてありますが、付加価値を高めるための一連の施策、後押しをするための技術支援、マーケット、テストマーケティングの後押しとか、東京のスーパーなどとも協定を結ばせていただくというような取組を進めてきました。
 課題の3、そもそも地産外商と言っても「地産」の部分が非常に衰えているからだめなのだと。そのため、特に一次産業関係は、非常に力を入れております。現在、県下でいろいろ行なわれている240ぐらいの地域アクションプラン、これは地産を強化していこうという取組の一環だと思っています。
 この基本方向1、2、3に基づいて一連の政策群、250を超える政策をこの第1期の産業振興計画として21年度、22年度、23年度と続けてきたところです。24年度からこの産業振興計画も第2期計画としてバージョンアップをしまして、基本方向の4と基本方向の5を追加しました。
 もう一段ものづくりを強化したいということで、ものづくり関係について、技術支援から最終的な売り込み支援まで、今、一連の新しいモジュールを加えています。さらには、学びの場をつくり出すことが非常に重要であろうということで、土佐まるごとビジネスアカデミーといいますが、産学官連携で県庁も主催させていただいて、いわば社会人のための学びの場として、講座を設けています。パンフレットですと、57、58ページに講座数などが書いてありますが、いわば、社会人のための学校のようなものです。経営戦略や、マーケティングを学んでいただいたり、実際のものづくりを学んでいただいたり、そういう場を設けてきたということです。
 そして、今年度、平成25年度から新しく、施策をモジュールとして大きく付け加えていったのが、この(2ページの基本方向6の)移住促進のための取組ということになります。正直、今までも全くやっていなかったわけではありません。移住・交流コンシェルジュも設けていて、取組は加速しようとしてきました。ただ、この計画の中で基本方向のひとつになるぐらい本格的に施策を大幅に拡充したというのは、平成25年度からの約8ヶ月程前からです。1、2、3、4、5、6というふうに書いていますけど、この5と6、この緑のものは人の絵なんです。下支えと書いてあります。人材(人財)こそ、本当の意味での財産。この「人財」育成の取組が全体を下支えするというのはおわかりいただけようかと思います。
 この移住促進も全体を下支えする施策ではなかろうかと考えています。ひとつは、人口減少の痛みを少しでもやわらげたいという側面。もうひとつは、要するに、人材(人財)確保を行なっていくために、この移住促進という施策を大いに活かしていくことができないだろうかと考えています。
 一言で言うと、高知県は、アメリカのような国になりたいと思っています。何故アメリカは世界の中でも強いのか。それはいろんなところから、世界中から人がどんどん集まって来る国だからです。是非、いろんな人材(人財)が集まって来る、そんな県になりたいと思っています。
 いろんな政策を人が集まって来るように組みたい。例えば、新歴史館を今度つくることになっていますが、新しく、いろんな大学と提携を結んで、いろんな単位を取得できるように、仕組もうとしています。日本史を研究する者は山内家の資料を勉強すべしとすれば、日本史研究の若い人達は、高知にどんどん来るようになる。日本史を学ぼうとする文化ができる。そこに人も育っていくことになるのではないか。そういうことから始めたい。こちらの移住促進という観点からいえば、例えば、四万十川の清流を活かしてカヌーを活かしたまちづくりをする。その経験者が欲しい。そういうことをやってみようと思う人はいませんか?というかたちで募集をして、そういう人に来てもらう。
 私は、対話と実行行脚でいろんな集落に行かせていただいています。そこでは、「もう、うちは限界集落になる、もう終わりだ」と言われる人がいらっしゃいます。私は「率直に言って、今のままだったらなくなるでしょう」と正直に申し上げます。「外から人を呼んでくるしかありませんよ」という話をしています。
 じゃあ、(外から人を)呼んでくるに足るような仕事をしていないかというと、十分やっておられるわけです。例えば、「学校の施設の跡地を活かして林間学校みたいなことをやって、多くの子ども達を迎え入れてきたけど、いよいよ齢をとってもう終わりなんだ」とおっしゃる。
 「是非、こういう仕事を継ぐ人はいませんか?」と言って、人材(人財)を引っぱって来ることで、その事業を続けられるようにしていけないだろうか。いろんなパターンで、人を積極的に呼び込んでくるということで活力をもたらすことができるのではないかと、そういう思いがあります。そういうことからも、この移住促進は全体を下支えする仕事ということになります。
 具体的な作戦として、またいろいろご指導いただきたいわけですが、17ページをご覧をいただきたいと思います。
 17ページの上段を見ていただくと、ここに四角で囲みをしていて薄い青で書いています。これは、経済効果の試算をしたものです。実は、今も言われる時がありますが、移住者をたくさん受け入れる、高齢者の方がたくさん来る、医療費が大変になって、地域はむしろ大変になるだけじゃないのかと。そういうふうに言われることも確かにありました。我々もその懸念は確かにありました。なので、何歳以上の方がどう来てくれると、どういう経済波及効果があるだろうかということを計算してみました。
 夫婦50組、大都市圏から高知市に移住。60歳時に健康な状態で移住されて平均寿命まで生活されたとして計算した場合、明らかにプラスです。65億円の経済波及効果があるという計算。何度もいろいろ繰り返しました。交付税が入ることもありますが、こうした方自体が一定は働いていただけるだろうと考えています。高知県の中山間地域で65歳は若手ですから。働いていただけるであろう。さらには、若い人の職も一緒に生まれるであろう。そういう期待感もあります。そういうことで、プラス。これは地域によって受け止め方の違うところもあるのかもしれませんが、トータルとしてはそういうことです。「是非進めましょう」ということでスタートし、より本格化したという側面もあるわけです。
 真ん中にありますが、現在、平成23年度で、大体120組ぐらい移住者がいらっしゃいます。これを年間500組以上にしようという目標にしているところです。25年度は、多分250組は超えるぐらいのペースになってきています。ただ、もう一段増やしていきたいと考えています。
 施策の方向性としては、ステップ1、2、3、4、5とありますが、まず、高知を好きになってもらう。移住に関心をもってもらう。そして、移住に向けた主体的な行動に移り、真剣に考えてもらって、決めてもらう。そして住み続けてもらうという取組をしています。
 (県外の方に高知を)知ってもらい、好きになってもらいたいので、18ページ右上にあるように、高知家プロモーションを始めました。「高知家の家族になりませんか」と打ち込んでいくことで歓迎のイメージを進めています。
 ここで一定関心を持ってもらった方に、(2)移住といえば「高知県」というイメージを持ってもらえるような独自性の高い情報を発信していきます。と書いてありますが、移住をより具体的に考えていただくように誘導していきたいと考えます。ホームページを使って、住まいや職のこと、また、趣味のことが一緒に検索できるような仕組みをつくろうとしています。
 そのうえで、最終的に関心を持っていただいた方を移住に向けた具体的な行動に誘導していく。まずはインターネットを使って、広くいろんな方に関心を持っていただくようにするわけですが、そのインターネットをずっとたどって行くと、移住・交流コンシェルジュに連絡してもらうように誘導していきたいと思っています。こちらにお電話していただいたら、あとは、コンシェルジュ達と、皆で話し合って寄り添ってひとつずつ、その方のニーズに合ったかたちで移住に誘導していく作戦を練っていこうとしています。
 実はもう一つ。彼女達は県全体の窓口ですが、あわせて、例えば黒潮町に関心がある、須崎市に関心がある、大豊町に関心があるという話になってきた時、その町村の担当者に、バトンタッチしていく。さらに、町村の担当者から地域の皆さんへというかたちで町村レベルにバトンタッチさせていただくことで、よりリアルになります。ただ、町村のお見合いが成り立たなければ、もう1回別の市町村をご紹介することになろうかと思います。
 模式図にしたものを19ページに書いてあります。19ページの、ステップ1、ステップ2と書いてありますが、高知家のサイト、ホームページにアクセスしてもらって、「暮らせるのかな」と思ってもらう。幸せ移住パッケージシステムなどにもアクセスしてもらって、「住まいもある」、「仕事はこんなのがあるのか」など、イメージしてもらう。次に、「相談してみるか」となって、真ん中にあります移住・交流コンシェルジュにアクセスしてもらう。あとはステップ3、4ですけど、ここにあるようなYES・NO形式で、実際に寄り添っていくことで移住に向けて支援していく、伴走していくといいますか、そういうプロセスに入っていくやり方をしているところです。
 これは、今年度からやって、昨年に比べれば倍くらいになりました。もう一段、今後考えられる方法として、「特にこういうプロジェクトにこういう人を募集しているんですよ」というのを全国に発信していくことができないものかと思っています。「ドラゴンカヌーをやる仲間、こういう運営をする仲間を全国に募集中です」というかたちで募集して1億2千万人に働きかける。応じて来てくれる人がいるかもしれない。12月位からそういう人をプロジェクト毎に募集をしていくような方式ができないものかなと考えています。ちょっと実験的にやってみて、この26年度から本格化しよう。そんなことを今、考えたりしています。
 あと、空き家の問題で、空き家だけれども空き家じゃないという話も結構あります。帰って来るかもというので空き家になっていない。そういう場合なんか、どうしたら信用していただいて貸していただけるようなかたちになるのかというのも考えようと思っています。
 いろいろ悩みが多いところではありますが、今日、皆さんおいでいただいていますので、是非、お話を聞かせていただいて、そのいただいたご意見を血肉とさせていただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

2.自己紹介

(A)
 大豊町のAです。2年前に神奈川県横浜市のほうから大豊町のほうに家族5人で移住をしてきました。
 私は、マーケティングとIT関係の仕事をしています。最近では、大豊町だけではなくて、嶺北というくくりの中で仕事をしています。本山町のお客さんが多く、そこで事業をしかけていこうという方のサポートをITの面から支えるようなことをしています。
 大豊町で最近多いのは、ITを使ってどこまで皆さんの暮らしがよくなるかな、みたいなことを考えていて、パソコン教室みたいなことを地域に入ってやらせていただいている状況です。

(B) 
 四万十町の旧窪川地域で司法書士をしておりますBと申します。私は平成21年に家族3人で東京からIターンで高知に移住をしました。
 そのきっかけというのが、日本司法書士会連合会のほうで、司法過疎地域に法律専門家達(司法書士)を派遣して、そこで地域のニーズに応えて法的トラブルを解決しようというような大きな流れがあって、高知からの引き合いが非常に強い部分もあり、また、うちの妻が昔、修学旅行で高知県を訪れたことがありまして、四万十川を3日かけてカヌー下りをしたそうなんですが、非常に土地柄も良くて、いずれ旅行で一度は行きたいということを言っていましたので、じゃあ移住しようかということでやってきました。
 その時、同じ四万十川の修学旅行に来た同級生は、今、西土佐のカヌー館でカヌーの指導をしていらっしゃるそうで、同じ修学旅行で2人は高知のほうに移住して来ています。

(C)
 黒潮町から来ましたCといいます。
 私は、平成19年に大阪から移住してきました。きっかけは、「田舎暮らし」といった情報番組が、大阪にもたくさんありましたので、いろんなところの番組等を見たり、お友達にいろんな話を聞かせてもらったりして、高知は旅行でも1回も来たことがありませんでしたが、太平洋が素晴らしいというのがわかっておりましたので、主人が定年になるのを待って、家族でこちらのほうにIターンしてきました。

(D)
 四万十町のDと申します。農家をやっています。
 高知に移住するきっかけというのは、2000年に、新いなかビジネススクールを1年間受講したんです。(そのスクールは)「高知に来て農家になりませんか」という仕組みのものなのだということは気付いていたんですが、全然そういうつもりはありませんでした。それから10年くらい経って、ひょんなことからSNSで高知にUターンした農家の人と知り合いになって、農業で生活できているってことが信じられなかったので、その人のところに遊びに行こうと思って来たのが、初めて高知に来た時でした。
 その時に、新いなかビジネススクールで教えてもらった人からの話を聞きたいと思って県庁に問い合わせたところ、農業戦略会議のほうにつなげていただいて、そこで話を聞かせていただきました。
 そのあと、東京で行なった農業人フェアで、相談したところ、「「都会で学ぶこうちアグリスクール」に出たらどうですか」とすすめられました。それに出ている最中に高知に移住して農業を始めようという決心をして、2011年の2月に窪川アグリ体験塾の研修に入りました。
 8ヶ月研修して、四万十町に住むことに決めて、四万十町で1年間、新規就農者研修支援事業で1年間、農業研修を受けて、昨年の10月から農業を始めて今年が一作目なんですけども、天候があまり良くなかったので結構ボロボロな結果になっています。そういう近況です。よろしくお願いします。

(E)
 今、高知市土佐山で、土佐山アカデミーというNPOの事務局長をさせてもらっていますEと申します。
 私は福岡からIターンで来ました。もともと広告代理店で仕事をしていたんですが、龍馬が好きで、高知県に取材などに来ているうちに、高知新聞の方が、「そんなに高知が好きだったら、はよう高知にきいや」と言ってくれた関係で、大好きになって来ちゃいました。
 私は、本当に移住者でもあり、現場でNPOもして、観光特使もして、地域移住サポーターでもあるという複雑なところではあるんですけども、私等がやっている学校(土佐山アカデミー)で、移住の前段階なのかもしれないですけど、都会からたくさん人が来て3ヶ月間泊まり込んで勉強して帰って行く(プランがあります)。人が自然の一部として生きる文化というのを勉強して帰って行くんですけど、今回ハワイからも学生が来ています。
 インターネットで情報を見て、高知にある土佐山アカデミーに興味をもってくれた方が来てくれている。いきなり移住という段階というのは結構ハードルがあると思うんですけど、そういう学びの場という段階を通じて高知に興味をもってくれたりします。今実際に、今期で、4期生なんですけど、その中で2人、移住を検討している方がいまして、今、家を探しているところです。
 そういったことも含め、自分の経験も活かして、もっと高知に人が来てくれるように頑張りたいと思っています。お願いします。

(F)
 須崎市で移住の支援をしております移住定住支援センター「暮らすさき」の事務局長をしておりますFと申します。
 平成23年の4月から任意団体の移住相談窓口として設立をして、移住・定住の支援を行なっているんですが、移住・交流コンシェルジュと同じようなかたちでの相談窓口です。須崎での生活なんかの相談を受けたりだとか、移住された方々と地元の方々の交流の場づくりとしてのイベントを行なったりだとか、自然体験のプログラムを子ども達に行なったりだとか、事業以外でも移住者さんとすごく知り合うことが多かったので、今年はよさこいのチームを須崎で復活するお手伝いをさせていただきました。あと、移住者さんを引っぱり込んでドラゴンカヌーに出たりする活動をさせていただいております。よろしくお願いします。

(G)
 高知市の土佐山地区で農業をやっておりますGと申します。
 現在、ユズの収穫の真っ最中で毎日ユズと格闘しております。
 今年の6月に委嘱を受けて、地域移住サポーターをやらせていただいています。現在、地元の高知市土佐山の中に弘瀬地区というところがありますが、弘瀬地区の区長も現在やっておりますので、その関係もあって、先日、地域移住サポーターとして高知市のほうから1件相談を受けました。土佐山に移住したいということで、この弘瀬地区というところで住むにあたっての役割などを説明したりしながら、地域とその方をつなげていくお手伝いをしています。それ以前にも、海外の方がこの地区に移住されて来たんですが、その方もお手伝いしながら、声がけしながら何とか地域で馴染んでいただけるようにというような役割をやってきております。

3.参加者との意見交換

(司会)
 それでは、続きまして意見交換に移らせていただきたいと思います。
 まず、移住者の皆様に、実際に高知に移住された感想なんかをお伺いできればと思っています。移住前のイメージどおりであったかとか、イメージと違ったなど、いろいろあろうか思いますが、そういったことで(のお話を伺いたいと思います)。

(知事)
 移住をもっとこういうふうにしていけばいいんじゃないか、ご自身の今の体験・感想も含めて、ご意見を賜れればと思います。
 これはある意味、政策を展開していくためのものでありますので、是非率直にお話をしていただければと思います。よろしくお願いします。

(A)
 私、大豊町に住んでいるんですけど、私の中では嶺北4町村に移住してきたという思いがありまして、それは、「れいほく田舎暮らしネットワーク」という4町村の移住促進のグループ。これの効果が非常に大きくて、町を越えて連携をとっている団体というのが僕の中ではすごく魅力がありました。
 今も、私自身、田舎暮らしネットワークの一員として移住の活動の促進に力を添えさせていただいているんですが、こういう動きがもっと活発になればということで、ボランティアの動きもあるんですが、町の移住促進を担当するべきところからの強い言葉が聞こえて来ないというところが、少し寂しいです。
 あとは、やはり地域の方々、町民の方々も、あまり移住促進というものに関心がないのか、多少迷惑と思っているところもあるのかなということを思ったりもします。
 2年少し経ちまして、そういう良い面、悪い面、両方いろんなものが見えてきたなというところではあります。

(知事)
 ありがとうございます。
 まず、田舎暮らしネットワークにたどり着いたのはどういうことでたどり着いたんですか。

(A)
 全国の移住促進の団体をインターネットで検索している中で、田舎暮らしネットワークのホームページを見つけたというのがきっかけです。その中で、ホームページの印象も非常によくて、ここをまず見てみようということで、一番初めの移住の下見の先に選びました。

(知事)
 なるほど。さっき、町村から力強い言葉が聞こえてこないとか、地域の人の関心が(ない)という話なんですけど、これ、確かに私も感じます。
 地域によって、大分違いがある。 ただ、嶺北全体ではたくさん人は来ていますよね。

(A)
 そうですね。非常に成果は上がっています。

(知事)
 非常に成功例だと思うんです。むしろ、田舎暮らしネットワークのほうが(移住促進について)先に行っていて、「行政には、もっとこんなのがあるんじゃないか」といった感じなんでしょうか。

(A)
 そうですね。やはり、田舎暮らしネットワーク4町村というところがあって、嶺北全体としては、成功しているモデルなんだろうなと思いますが、大豊町だけを見た場合、嶺北全体の良さとはちょっと違うマイナス部分が結構多いというイメージがあります。
 大豊町内は、危機感をもうちょっと持ったほうがいいんじゃないかなって思う部分はあるんですが、そこまで至ってないなというところでちょっと歯がゆさを感じています。

(知事)
 なるほど。町役場の皆さんで、ポジティブなことを言われる方はたくさんいるんですけど、ネガティブなことを言われる方の中で、今住んでおられる住民の皆さんへのケアも十分に行き届かない状況である。まして、移住までは手が回らないとおっしゃる場合もあったりするように思うんです。それは何でだと思いますか。

(A)
 地元の方は、今住んでいる方へのサービスというのは、しきりにおっしゃいます。ただ、移住の促進をしていくのも、今住んでいる方へ非常に大きなサービスになっていくと思うんですが、そこまでの考えには至っていないという印象が僕の中にはあります。やはり、(役場の職員の方も)昔から関わりのある方々への思い(があって)、身近な生活の困ったものを解消するということに最大の力を割いているからなんだろうなと思います。
 なので、移住促進は移住促進の部署なり、別で動いていく必要があるんじゃないかと思っていました。

(知事)
 なるほど。今住んでいる方のためになる移住、いいお見合いができれば、(Aさんのおっしゃる)そういうことになるんだろうということなんでしょう。

(B)
 最初に高知に来ると決めた時に、私自身が高知についての予備知識というものが全くなくて、坂本龍馬さんのこともほとんど知らないぐらいの状態。ともかく妻が言うので行ってみようかと。おそらく、あったかい南国のイメージだったので、それで来たわけですが。
 高知に来るということを決めた時、周りからは、田舎特有の閉鎖性があるのではないか。突然若いやつがいったところで、警戒をされてなかなか地域にとけ込めないんじゃないかという意見はありました。
 特に、高知がここまでお酒好きな文化ということも、ほとんど知りませんでした。
 僕が入った時に、地元の商工会の青年部に入ったおかげで、同年代の友人ができました。同年代の人達は、やはり一度大阪に行ったり、一旦出て家業のために戻って来たという人間が多かったので、わりと受け入れてもらえたんです。逆に、高齢者の方達、地元でずっとおられた方だと、むしろハードルが高いんじゃなかろうかと思います。
 実は、今、親類の者がクラインガルテンに住んでいて、話を聞いていると、その地域の、わりに高齢の方々と交わっている中で、よそ者に対するハードルの高さを感じる部分があります。
 ただ、クラインガルテンがある東又という地域は、移住者を受け入れてやっていこうという(こともあって)、四万十町の中に地域差があると思うんですが、東又は受け入れてもらいやすい場所なんです。
 ただ、クラインガルテンという一時のお試しの施設であって、ゆくゆくは、町内各場所に住所をかまえて町民になってもらうというのが理想だと思うんですけど、そこから出て行く、クラインガルテンではない地元の本当に地域の入って行く時に、ハードルがある。言葉は悪いですけど、クラインガルテンの方はちやほやされているわけです。手厚く受け入れてもらっている。いろんなプログラムがあっていろんなものに参加して、楽しんでおられる。でも、そこから出て本当に地域の中に入っていく時に、あのクラインガルテンの温かさではない、本当に地域のいろんな行事に参加しなきゃいけないとか、しきたりのことだとか、そういうことでわりに苦労しているという話や、それがあるからなかなか決められないという話なんかも聞くので、さらにその先、本当に住民になってもらうためのサポートが必要だと思うんです。
 実際、あそこに住んでいる方は、なかなか出て行かない状態です。多分、あそこは更新できるのが5年までなので、その5年目になった時に、今居る方々は、本当にどうするのかなというちょっとした不安はあります。

(知事)
 そうか。クラインガルテンのある東又と、そこを出て同じ四万十町でも違うわけか。

(B)
 違います。

(知事)
 クラインガルテンは、この産振計画の地域アクションプランのひとつでもあります。
 ヨーロッパに行って、何度も研究をして今に至るという話なので、皆の思いのこもった事業なんです。だから、ある意味、集落として(移住される方に対して)ウェルカムという雰囲気はあるんでしょう。けど、(実際は)そうじゃないと。

(B)
 そうですね。僕の同年代で東又ではない地域にいる友人が(言うには)、新たに(地域に)入って来た人がいるが、見ていて苦労しているようで、なかなかとけ込めないでいるみたいだという話を聞きます。

(知事)
 なるほど。Bさんは、もう馴染んでいるんでしょうか。

(B)
 僕は馴染みました。

(知事)
 何が大きかったですか。その商工会青年部の活動が大きかったですか。

(B)
 そうですね。青年部の飲み会に出て、上の世代、親の、2代目、3代目が多いので、上のお父さん方の世代とも交流ができて、一気につながりができたというところはあります。

(知事)
 そういう機会にたどり着けたのはどうしてですか。誰かサポートがあったんですか。

(B)
 一番最初に、事務所をどこに開こうかと飛び込んだ駅前の不動産屋さんが、商工会青年部のOBだったので、「他所から来るなら絶対入れ」という話をしてもらいました。

(知事)
 なるほど。町の不動産屋。その不動産屋さんが紹介してくれたことは大きいでしょうね。

(B)
 大きいです。全く何もわからない状態で来たので。しかも移住に関することを私は見てこなかったので、たまたまその窓口の人が、そこから先につなげてくれたということです。

(知事)
 商工会青年部(インパルス)の人は、Bさんが来られた時、ウェルカムでしたか。

(B)
 ウェルカムでした。
 「どうしてこんな田舎に来るんだ」っていうことは散々皆言うんですが、皆悪く言うわりには郷土愛にあふれているので。そこにわざわざ来たんだから歓迎してやろうというような空気は感じました。

(知事)
 (先ほど話にあった)苦労しておられるという方は、同年代ぐらいの方ですか。

(B)
 いえ、苦労しておられる方は高齢の方です。定年を迎えて、その後、ガルテンで手厚い状態で何年かを過ごして、移った先で、あれ、今までのガルテンのような周りの反応とちょっと違うというギャップがあるみたいです。

(知事)
 なるほど。わかりました。ありがとうございます。

(C)
 私もインターネットで探して、黒潮町に、平成19年に来ました。(当時は)今ほど移住者に対するいろんなサポートは何もありませんでした。インターネットを見て、黒潮町に空き家があるのを見つけて、インターネットで申し込みをしたら、いろんな物件(情報)が送られてきて、というかたちだったんです。
 それから間もなくして、2回ほど高知のほうへ足を運んで、下見をして、黒潮町の蜷川というところがすごく気に入りました。いろんな方を受け入れている地域でしたので、抵抗なく移住させていただきました。
 蜷川というところは、なかなか昔の古いしきたり、伝統がすごく色濃いところで、どういうふうにして自分の居場所をつくろうかと思った時に、とりあえず、区長さんとか班長さんにお願いに行って、一軒一軒ご挨拶をさせてもらったりしました。それが、すごく良い印象だったみたいで、引っ越した時に歓迎会を班のほうでしていただきまして、「ここへ来たら長く住んでね」というかたちでした。
 私は主婦で来ましたので、定年後はゆっくりと第二の人生を大自然の中でのんびり暮らしたいという思いで来たんです。1年ぐらいはゆっくりしていたんですけど、周りのほうから、「仕事には行かないの?」とか言われまして、あとで聞くと、高知の女性は皆さん、仕事に行くのが当たり前だそうです。田舎の中で1人じっとおりましても、なかなか(交流が)広がらないので、仕事に行くようにしました。
 私のところも限界集落です。だから、60代の私達は意外と若い部類になりますので、そういうところで気持ちは若くなりました。
 でも、やはり、移住者というと、何かあって来たのかなという疑問もあるみたいです。だから、黒潮町は移住者には面接というのがあるらしいです。それで、いろいろお話を聞かれるみたいです。

(知事)
 移住する前にですか。

(C)
 はい。私の時にはなかったですけど。やはり、Uターンされても、何かよそ者みたいな風潮があります。ましてIターンとなってくると、どこの誰かもわからないという不安があるのは確かだと思うんです。(私も移住して)もう6年になりますので、夫婦で1日も早くその村の一員になりたくて、ありとあらゆることは積極的に協力していきました。
 一番嬉しかったことは、会社の上司の人が、「全国広いところに行くところはいっぱいあったのに、高知を選んでくれてありがとう」って、言われたんです。そういうふうに言っていただくと、すごく私達にとっては嬉しい言葉です。
 また、私が(地元の風景や生活で)、「素晴らしいね」「きれいね」「美しいね」っていう話をすると、地元の方は、当たり前の風景、当たり前の生活なんですけど、そこで、「いや、そう?」って地元の方の考えが変わりまして、私達はすごいところに居るんだねっていうことで喜んでいただきました。
 私自身一番変わったのは、こちらに来て、感動する心を持ちました。毎日毎日が新鮮であり、子どもの時に帰ったような、心がすごく豊かになりました。それが一番、私は嬉しかったです。

(知事)
 そう言ってもらったら我々も嬉しいです。ありがとうございます。
 でも、やはり、Uターンでもよそ者、Iターンだと不安という雰囲気は、やはりありますか。

(C)
 ありますね。黒潮町はそういう部分が根強いですね。
 移住の際も、空き家を借りる時は、役所の黒潮町が入ってくれるというのがあって、お家を借りるにしても安心だなというのがあって来ましたが、よくよく聞くと、町は家主さんを紹介するだけで、あとは、当事者で解決してくださいというお話でした。
 家を借りるのに、黒潮町は不動産会社がありません。だから、地元の空き家を持っている方とお話しなんですけれど、ほとんど口約束です。こちらは、契約書を書いていただきたいと思うんですけど、「そんなん、かまん」とか言われて。こちら側(入居する側)は書類がないと不安で、役場にお願いして、契約書も作っていただきました。
 私達も、空き家で、築70年の家賃は1万円ということで来たんですけれども、住むまでにいろんな苦労はありました。なかなか家主さんとの話し合いがうまくいかずに、やっとの思いで住めるようにしていただいたんですけど、家の中は荷物がいっぱいとか、あとは電気屋さんとかに工事をお願いしていましたけど、引っ越したその当日に工事をしているとか、ちょっと考えられない状況はあったんです。そういうところの書類関係がないという不安。家主さんは契約中にも関わらず、「家を買ってほしい」とか(言われたり)、不動産屋を連れて来るとか、いろんなことがありました。
 その時は、本当に村の方(班の方)に心配していただきまして、「万が一のことがあった時は、心配しなくても家は探してあげる。大丈夫」というふうに励ましていただきまして、本当にありがたかったです。
 トラブルはいっぱいありましたが、最終的にそこの家主さんの兄弟の方に、家を買っていただきまして、改めて契約をしまして、今はもう安心して暮らしております。

(知事)
 貴重なお話、体験談、ありがとうございます。
 やはり、困った時、助けてくれる周りの人がいるかどうかは大きいですね。不動産でもめるっていうのは一番大きいことですもんね。家の契約関係あたりを最初の頃に、きちっとしておくことというのは、ものすごく大事なことかもしれません。

(C)
 そうですね。もう当事者でと言われましたので。当事者と言いましても、大阪と高知で電話がほとんどで、度々来られません。そういうかたちになって、諦めてやめる方もおられたそうです。
 でも、私はものすごく気に入りまして、ご近所さんも村の冠婚葬祭など、1から10まで教えていただきました。ものすごく感謝しております。

(知事)
 なるほど。
 やはり一般的に住民の皆さんの歓迎の意識って大事ですね。
 移住を受け入れる空気というか、そういうものをつくっていくのも大事なんでしょう。 ありがとうございました。

(D)
 さっき冒頭で話したように、私は県の制度にどんどんのって移住することになったんですが、その後、家を探さなきゃいけなかった時に、窪川アグリ体験塾に勤めていらっしゃる方が町に口をきいてくださって、総務企画課の方が空き家を探してくださったんです。
 最初(今住んでいる所ではなく)、その空き家というのは仁井田地区の中にあったんですけど、そこに最初に入った時に、そこの方達がすごくよく(してくれ)て、新しい方が来たから、慣れるために毎朝ラジオ体操しようといって、地域の皆さんが集まってラジオ体操をするようになりました。それがだんだん体操だけじゃなくて、その後に、お茶を持ち寄ったりお菓子を持ち寄ったりして、モーニングみたいなことをして、毎朝話をして、一気に皆と仲良くなっていきました。
 そこにずっと居たかったんですけど、そこは、農家仕様の家ではなく、農地もなかったので、町の企画課のほうから紹介があって、農地付きの家を借りて、場所を移ったんです。
 そちらのほう(移った地区)は、毎朝のラジオ体操はなかったんですけど、お祭の時に皆で集まって、飲み食いをして、それですごく親しくなって、それからは皆、気にして挨拶してくれるし、畑も見に来てくれるし、いろいろアドバイスもしてくださるし、1年間ほど畑仕事をずっとやっているのを見ていて、来年、集落営農に入ってくれないかと言われて、だんだん地域の一員になりつつあるという感じです。
 先ほど、高知に来る前と来た後でどう違いますかという話を聞かれたんですけど、一番、僕が思ったのと違ったのは、すごく人が温かくて、もうちょっと、閉鎖的なところがあるのかなと思ったんですけど、全然なくて、皆オープンで、すごく人のことを心配してくれて、助かっています。
 町でも交流会があって、あと、コンシェルジュの方の集まりとかがあって、困ったことは何ですかって、いつも聞かれるんですけど、今まで困ったことがなくて、とんとん拍子に移住して、農家が始められたという感じなんです。
 ただ、これから困ることが出てくると思っていて、それは、やっぱり農業という仕事が、すごくリスクが多くて儲けが少ないハイリスクローリターンの仕事なので、かつ、僕等の年代だと、先があまり見えないので、借金して始めるということがなかなかできない。そうすると、持って来た自己資金を使いながら生活して、農業を起業していくというかたちになるので、初期費用がかなりかかるんです。
 研修中は、新規就農者研修支援事業があって、毎月お金をいただいていたので、すごく助かったんですけど、農業を始めてからは、年齢制限があって、開始型の補助事業を受けられないので、今、自分の資金でやっているんです。うちはショウガ農家なんですが、今年は天候の関係でショウガがすごくよくなくて、利益がひとつも出なくて赤字だったので、もう1年間は貯金で暮らさなきゃいけない。その期間が、もう1年ぐらいは何とかなるかもしれないですけど、それが続くようだと、やめなきゃいけない話になるので、そこが一番これから困ったなというところです。
 今言った話というのは、移住したい人達は、皆思っていることだと思っていて、50代、60代というのは、まだまだ農業で働ける世代で、都会のほうからも、「移住したいと思っているんだけど、どのくらいお金が必要なのか」とよく聞かれるんです。農業を始めるとすると、どうしても自己資金が必要で、最低でも500から600万円ぐらいは持っていないと始められない。本当はもうちょっと持っていないと何かがあった時に耐えられないという話をすると、皆引いてしまう。
 その先も、そのあとずっと稼いで、それで取り返せるのかというと、どう計算しても取り返せる計算にならないんです。だから、そこで皆引いちゃうので、その辺がクリアになれば、皆、踏ん切るのかなと思うんです。その50代、60代という人達は、子どもの教育がひと段落した世代で、それより前というのは子どもを育てながら農業しようというのは、ちょっと敷居が高すぎて躊躇しちゃう人が多いと思うんです。
 ただ、Iターンで農業をやりたいという人達は結構いっぱいいて、少なくとも僕の友達に2人ぐらいいて、まだまだ掘り起こすとたくさんいると思うんです。

(知事)
 ラジオ体操の件、お茶とお菓子でモーニングという話は、なかなか素晴らしいなと思ったんですけど、そういう移住者の方とうまく仲良くなれましたという事例みたいなことを集めておいてご紹介するといいかもしれません。
 どうやったら仲良くできるのかみたいな、こうやってうまくいきましたみたいな事例。確かに、そんなラジオ体操なんて思いつきもしなかったけど、なるほどですね。

(D)
 当時の区長さんのアイディアだったんですけど、素晴らしいと思います。次の地域でも、相手側もやはりいきなりは話しかけて来ないんです。こっちが何を考えているかわからないし、向こうは、これを言ったら、僕等がどう受け取るだろうかということを、すごく心配しているみたいですけど、1回仲良くなっちゃうと、ものすごく(話しかけてくれます)。

(知事)
 それと、この移住のみならず、就農支援をもう一段強化したいと思っているんです。実は、今年の4月から6月くらいまでにかけて、JAの各生産部会の皆さんに、「集落の農業はこれからどうなるでしょうか」「先々10年後を予想してみてください」というのを、(お答えしていただくよう)お願いしたわけです。
 すると、今、過去最高ぐらい就農しているんです。この産振計画を始める前は、年間大体110人から130人ぐらいだった。昨年は260人だった(目標値230人)。さっき言った青年就労資金の問題とか技術支援とかいろいろやってきたことの成果もあるんじゃないかと思うんですが、増えてはいるんです。それでも、10年後には担い手が16%減るだろうという感じなんです。
 だから、この260人を500人にとは言いませんが、もう一段、260人とか280人ぐらいを平均にすることができないかと思っています。まだ計画段階なんですけど、そういったことを考えているんです。
 就労支援するより技術を、もうちょっと基礎的な技術を教えていく、さらに一定就農したあとの人でも、もう1回ステップアップすることをバックアップさせていただくような仕組みを設けるとか、そういうことができないかを考えています。
 イニシャルコストの問題、それを何とかしたいので、結構、研修中のバックアップをさせていただいたり、レンタルハウス制度なんかも毎年改善を重ねてきたりしているんです。
 だけど、やはり500万円から600万円、プラスアルファのイニシャルコストが要って、しかも子育てしながらというのが、年代別にあるわけなんですね。退職されている世代だったら、結構すぐにいくかもしれない。

(D)
 いや、そういった世代でも、子育てでお金を使い切っている。
 だから、退職金を使うといったかたちになると思いますが、1回退職金を使い切ってだめになっちゃうというのが、皆、心配なんです。

(知事)
 そうでしょうね。
 今、JAにハウスを作って運営してもらっている。そこで実績を積んでもらって、お金を借りられるようにして、それで就農してもらおうという制度を始めたところなんです。いろいろ紆余曲折を経て、やっとそこに至り着いたみたいな感じになっているんです。
 ちょっと年代別に暮らし方がどうなるかみたいなことをもう少し考えてみます。

(D)
 あと、施設栽培は高知は得意だから施設栽培はいいんでしょうけども、四万十町では、施設栽培がニラくらいしかありません。露地のほうも(コストがかかります)。

(知事)
 施設よりはかからないか。

(D)
 施設よりはかからない。施設って大体、家一軒建つくらいお金がかかるので、それに対する補助があるから、まあ500から600万円。
 露地は、そういう補助があまりなくて、だけど、トラクターをかまえなきゃいけないとか、大型機械をどうしても入れないといけないという話(がある)。(耕作)面積が広くなるので、肥料代とか、そういうコスト(営農資金)は高くなる。

(知事)
 なるほど。面積が広くなるから。

(D)
 はい。普及センターのほうで指導を受けた時は、ショウガの場合で2町を目標にしなさいという話。1町をやるという話だと、やはり(移住してきた新規就農者が)集落営農の機械を借りてというわけにはいかないので、自分で全部かまえて、肥料を入れて薬も入れて(とすると)、大体利益率40%くらいしかないので、かなり(コストが)かかります。

(知事)
 移住しようかなという人に、はなから集落営農の中に入れて、集落営農で最初の頃、バックアップしてあげるというのはないんでしょうか。

(D)
 やはり一番最初から入るというのはないです。

(知事)
 わかりました。ありがとうございました。

(E)
 僕は、(移住を決めるにあたって)高知と沖縄から来いと言われていて、どっちも興味があると思っていた中で、高知は知り合いがすごく多かったということ、受け入れてくれる文化がすごくあったというのが後押ししてくれました。(その中でも)一番大きいのが、たまたまネットで見つけた仕事が高知だったというところです。
 来る前と来た後で何が変わったかというと、来る前は、高知に憧れているのが、来たら、もっと強く来たいと(思うようになりました)。それが僕の中の変化です。
 土佐山という地域は、地域によって差はありますけど、ウェルカムなエリアなので、そんな苦労という苦労はしてないのかもしれないですけど、その中でも、僕的に気をつけたのは、いつも同じ色の服を着る。とにかくいつも同じ色の服を着て覚えてもらうということと、いろいろまわって歩いていくこと。
 もうひとつは、放課後の児童クラブに指導監視員として参加して、子どもに覚えてもらうこと。それから、そこに来るお母さん達に覚えてもらうというようなことをする。そのあと、青壮年部に入る。商工会の青年部みたいなところなんですけど、そういったところに徐々に入っていきました。
 やはり、僕もその仕事で、土佐山に最初に移り住んだ時に、骨をうずめる覚悟があるかと聞かれた時に一瞬ドキッとしてしまったというのがあって、もちろん、そのつもりですと答えたんですけど、移住というものになった瞬間に、僕もそうですけど、相手もかまえちゃうというか、この人は移住して来る人なんだって、地域移住サポーターをやっていますけど、移住するかもしれない人ですと言った瞬間にお互いちょっとかまえちゃうというか。

(知事)
 移住されるほうもですか。

(E)
 移住する方も、受け入れる方も(両方です)。
 僕ら、土佐山アカデミーというNPOをやっている中で、アカデミー生という肩書きがあるだけで、何歳の人でもアカデミー生になれるんです。いろんな地域に、どこでも問答無用に出入り(ができる)、エクスポートになるというのがあって、最近では北山でお祭りがあったんですけど、そこの弘瀬という地域にアカデミー生を、10人くらい連れて行って、お祭を手伝わせてもらって、お酒を飲んでその中に入る。
 そういったことで、僕自身も、僕のやっている学校みたいなものが移住の前段階として、ちょっとライトに地域に入っていけるような仕組みになっているのかなと思っています。
 あと、移住の制度について言えば、空き家バンクという制度が各地域にあると思うんですけど、(土佐山)アカデミーだったら貸してもいいと言ってもらえる状態に、ようやくなってきていて、僕等が1回家を借りて、それをまた貸していくという仕組みがようやく出来つつあるかなというふうに思います。
 県の補助金で市町村がそれぞれ窓口をやっているのが、空き家の改修について50万円まで補助してもらえるような仕組みがあるんですけど、それに関しては、少し規制緩和できないかなと思っています。ちょっと現実的に使い難いかなと思っています。

(知事)
 具体的にどういう(ところが使いづらいですか)。

(E)
 例えば、50万円という単位。もちろん全体の予算はあると思うんですけど、50万円というと、現実的に残っている空き家に住めるようにするという時、いろいろレベルはあるんですけど、結構50万円では全然足りなかったというのもあるし、「5年間住む」と宣言しないと借りられない(という補助の条件は使い難い)。

(知事)
 5年はちょっと市町村によるみたいです。

(E)
 あとは、もっとその50万円という数字を自由に使えるとか、あとで領収を出せばちゃんと(補助が出るなど)。もちろん無駄なものを買ってはいけないと思うんですけど、使っていい対象を広げてもらえるということができたらと思います。
 あとは、お試し移住の件もしてみたいと思っているんですけど、簡易宿泊の免許が必要だというふうになっているんです。そうなると、地域にせっかくある空き家が2階建ての時に、2階にもトイレをつけないといけない、ということになってしまう。

(知事)
 それは知らなかった。

(E)
 それをつけるためにお金をかけて(しまうと)、僕等はお金を取るための目的じゃないので。(例えば)100万円出してトイレを付けたけど、それの回収ができない。僕等は費用負担しなきゃいけないというような仕組み(になっている)。

(知事)
 それは法律で決まっているんですか。

(E)
 決まっています。

(知事)
 それは地域の人で(負担してください)と言っても、回収はできませんね。確かに。
 ちなみに、(土佐山)アカデミーは良い組織になっているんですね。信用もついて(空き家を)貸してくれるし。

(E)
 そうですね。ようやく定着していって、(土佐山)アカデミーさんだったらいいよと言ってくれるような。皆が、とりあえず知っているという状態になってきたかなとは思います。

(知事)
 ちなみに、高知か沖縄か(で、移住先)を迷ったんですか。

(E)
 迷いました。

(知事)
 後学のために聞かせてもらったら、沖縄はなぜ(行かなかったんですか)。

(E)
 自分で移住するという時に、基本的に自分で仕事を生み出せる状態じゃないと難しいんじゃないかと僕は思っているんです。その時に、沖縄というところよりも高知のほうが面白いと思ったんです。
 だから、高知っていうところに、「自然があるから高知、良いですよ」という話ではなくて、「高知のほうが面白いですよ」と僕は言い続けているようにしています。

(知事)
 なるほど。「面白いことができるよ」ということですね。

(E)
 そういう風土があって、今、盛り上がろうとしているような気がしていて、自分達で作ったことがきちんと世に出て、それがイベントになったりとかができるというのは面白いんじゃないかと(思います)。

(知事)
 ありがとうございました。
 今度は、受け入れる側で、Fさんお願いします。

(F)
 須崎市で移住の受け入れをしているんですが、直接相談に来られる方は、ほとんど空き家の情報をくださいという感じで来られます。私達は、須崎市内全域を対象に空き家調査をして、貸し出す(空き家の)情報提供をしているんですが、その情報を見て来られる方の相談がほとんどです。
 あとは就職です。お仕事に関する情報をくださいということで来られる方もいらっしゃいます。何がされたいのか、何をしたいかというのを聞いてから、既に移住されている方ですとか、その業種に携わっている方なんかをご紹介するようにさせてもらっています。
 また、都市部のほうにも、相談会に参加させてもらったりして、いろんな方のお話を聞くんですけど、その方々には、「必ず一度は現地を訪れてください」というふうにお話をさせてもらっています。やはり、来ていただくと、その土地のことをすごくわかってくれますし、「こういうところなんだね」ということで気に入ってくださって、そのために「須崎暮らしツアー」というツアーを組んでみたりだとか、短期(お試し)滞在の施設を整備して、受け入れをやっています。
 相談を受けている状況で感じることとしては、本当に現地を見ていただかないと、その土地のことをわかってもらえないということ。あとは、空き家です。うちのほうも3年やってきて、やっと空き家を貸してくれる大家さんが増えてきたという感じですので、自分達が地元で動くことによって、移住希望者の方々も情報を受けられているのかなということを感じています。
 短期滞在施設の整備が、今は、ニーズがあって、利用されたいという問い合わせが多いんですけど、長期的にやることができていなくて、大家さんの意向で何ヶ月間だけとか、事業の関係で3月末までとか、単年度ごとにやってしまっているので春先に借りられないとかいったことがネックだと思っています。

(知事)
 最初に高知に関心を持ってもらうあたりの話で、ステップ1。ステップ2の話で、その相談会の話。その相談会で関心を持ってくれる。これがつかみだなというのは、何かありましたか。相談会も須崎だけでやっているわけじゃないでしょう。

(F)
 趣味ですね。釣りをされる方だとか、あとは西のほうに住みたいという(かたちで)アバウトに来られる方なんかは、「どうしてですか」と聞くと、「サーフィンをしたい」とか、海のレジャーを考えられている方が(います)。

(知事)
 そのつかみが一番大きいですか。

(F)
 そうですね。

(知事)
 空き家を貸してくれる人が段々増えてきたとおっしゃいましたが、どうして空き家を貸してくれる人が増えてきたんですか。

(F)
 うちは、3人のスタッフでやっているんですけど、そのうち2人は空き家調査員です。町中に出て行って、集落の中に入って行って、そこの方々とお話をして、「家を貸してください」ってまわっているんです。それの効果かなというのが一番です。
 あとは、自分の団体自体が、須崎市から委託を受けてやっていますということを、集落の方にお話させてもらっていますので、行政がバックにいるということが一番大きな力になっているのかなと思います。
 そこから定住にいかにつなげるかというのが、今はすごく考えているところです。
 3ヶ月に1回くらい移住者さんを訪問させてもらって、状況確認をしているんですけど、男性1人での移住者の方で、家にもいらっしゃらなくて、電話もつながらなくてということがあって、心配をしていましたら、電話がかかってきて、「入院していました」って。その時はすごくドキドキしました。なので、どういうふうに連携をとっていくのかというのがこれからの課題と思っています。

(G)
 先ほど、移住された皆さん、おっしゃられていましたけど、田舎というのは、役であったり、いろんなことがいっぱいあります。やっていただかないといけないことがたくさんありますので、そういうことをひとつひとつ僕等は説明しながら、移住者の方とお話をさせていただいているんです。
 受け入れる側もそうなんですけど、来ていただく方にも、さっきCさんが、おっしゃいましたけど、一軒一軒まわってというような感じで、いろんな場所に移住された方も出て来ていただいて、一緒に話をしていただいて、お酒を飲んでいただいてというのをやっていくのが、一番移住につながるのかなという感じはしています。
 実際、EさんなんかにもJAの青壮年部のほうに入っていただいて、今度一緒に餅つきをしたり、いろんな活動にも参加していただきますし、土佐山アカデミーの方にも青壮年部に入っていただいた方とか、消防団に入っていただいたりとか、そういうようなこともたくさん、いろんな場に出て来ていただいています。
 やはり、うちの地域なんかでも、移住して来ていただいた方で、定着している方というのは、地域の行事に出て来られている方だと思います。
 他の地区の方で移住者の方ですが、とにかく地域の行事には全部出て行ったと。出て行かないといけない行事も出て行かなくていい行事も全部出て行ったというぐらいのことをされて、今、区長さんをやられている方もおります。やはり、そのぐらい出て来ていただいて、地域とお互いが馴染み合う。そして、移住して来ていただいた方もなかなか出て来られない方もおりますので、その方には、「何とか出て来られる時には出て来てや」という話をさせていただく。とにかく出て来ていただくことから始めないといけないんじゃないかというふうに思っております。

(知事)
 こうやったら出て来られるようになるというようなものはないですか。

(G)
 一番よく出て来ていただいているのは公民館事業なんかで、うちは12月に門松を作るんですが、門松を作る時に出て来ていただいたりとか、夏の七夕飾りなんかも昔ながらの七夕飾りを作ったりするんです。そういう時に出て来ていただいたりとかしています。
 地区の行事というのは、なかなか出て来難いところがあると思うんですけど、公民館行事とかは、気軽に参加しやすい行事のひとつであると思うので、まずは、公民館行事とか、そういうような関係から出て行くのが一番馴染みやすいのではないのかなという感じはします。

(知事)
 ありがとうございます。わかりました。

(E)
 僕等、いろんな県外から移住して来て、他の地域も見てみたいというのがすごく多いんです。土佐山はもちろん、土佐山も好きだけど、高知にせっかく来たら、四万十も見たいし、いろんな例をみたいという方が本当にいるので、「他の地域のあそこに行きたいんだったら、誰々さんに聞いたらいいよ」というところが、まだできていないところがあります。
 あと、都会から来た人には、インターネットが無いというのは結構(移住しようとする方を)呼び難いところがあって、田舎暮らししたいけど、最後の精神的なつながりとしてインターネットであったりとかは必要というのがあるので、そういった時に、ネットが入っている地域はいいと思いますけど、土佐山とかに関しては、そういったところも支援のひとつに入らないか。どうにかインターネットだけは確保できたらいいなと思ったりします。

(知事)
 ネットといっても、ラインでつながっていなくても大丈夫ですか。

(E)
 電波で全然大丈夫です。
 集落活動センターには全部、光ファイバーを通そうとしているみたいなので、そこから先は電波をとばすとか。
 法律的にどこまでできるか分からないですけど、集落活動センターや土佐山庁舎、市役所庁舎などネットが繋がっているので。

(知事)
 全戸で加入しても赤字になるんです。だけど、最近は無線がものすごく発達している。大川村は道路のところに光ファイバーを通して、あと、無線で飛ばしているんです。それで、高齢者の皆さんの見守りをやったりしていて、ものすごくサクサク入ります。
 ネット(の課題について)は僕等も自覚があるんです。確かに情報断食したいわけじゃないと。なるほどですね。
 ネットワークは、おっしゃるとおりです。移住された方も含めて、ネットワーク作りというのは、全然やってないわけじゃないんですけど、さらに強化できればなと(思っています)。特に移住してくださる人が増えれば増えるほど、そういうのが必要かなと思います。

(A)
 今、ネットの話が出たので。大豊町は携帯の電波が入らない地域が未だにあるということで、何とか携帯の電波だけは欲しいと、町の方から、携帯会社の方に陳情しているらしいんですが、それでもやはり無理だというのがあるので、何とかしてあげたいなと思うところです。
 あと、情報とは違うんですが、住宅の問題です。空き家はもちろんそうですが、若い世代は、どうしても集合住宅みたいなものを好むところがあると思うんです。
 都会から来る方が、いきなり山の奥の集落にポコッと入る。当然、農業をやりたがる人は、そういうところを選ばれる傾向があると思うんですが、お子さんがいて、どうしても学校に近いほうがいいという方の場合、集合住宅を欲しているんじゃないかと思うところがあって、なかなか町単位で設けるのも難しいので、県の支援もあったらいいのではないかなと思います。

(知事)
 実は今日、聞いてみたいと思ったんですけど、移住する事をやめることができるような環境が整っていることは、移住を決断するにあたって、非常にハードルを下げる(ことになる)と思いませんか。

(A)
 移住すること自体、地元の方からは、「こいつはいつまで居るんだろうか」というので、そこのプレッシャーがあるのは(移住者にとって)厳しいところではあります。なので、出て行くこともあり得るということは、皆さんにわかってもらいたいと思うところは、正直あります。

(知事)
 できれば高知から出て行ってもらいたくはないけど、いろいろ変えられるんだよというふうにしておいたほうが楽なのかなと思ったりもするんです。
 今、考えているのは、できるだけ、来てもらってもガチッと住んでもらおうとしているところがあって、これってもしかして、移住を考えてる、考えようかなとしている人には、ものすごく重くないかなと思っていまして、そこのあたり、どう思いますか。

(B)
 僕は東京から来るにあたって、来る時点で骨を埋めるのが当然だろうと思って来たもので、いまだに「骨を埋める」と言うと驚かれるんです。いずれ帰ると思われている部分もあるみたいで、来たからにはもう死ぬまで居るつもりで来たので。人によっては、やめることができるという選択肢があるほうが最初の一歩は出しやすいと思いますが、僕個人としては、それは思わない。

(知事)
 今のシステムって、だんだん人と付き合っていって、寄り添って最後に移住を決めてもらうというシステムになっているので、ある意味、途中から(移住を)やめたいって言い出し難い雰囲気になっていないかなと心配していまして。ちょっと発想を変えたほうがよくないかなと思ったんです。そんなに心配しなくていいでしょうか。

(C)
 そんなことはないと思います。やはり、人それぞれの考え方がありますので。
 私のところも、「いつ帰るのかな」っていうのは確かにあるみたいです。でも、6年経ちますと、皆安心されています。その中で、集落の班長の役が来たり、婦人部の副会長を仰せつかったりしました。私のところは独特なんですけど、忘年会を毎年、班でするんです。それも、お家は持ち回りなんです。
 それで、皿鉢料理を作って、その班の女性の中で一番年配の人の指揮のもと、婦人は全部集まりまして、そこのお家をお借りしてするんです。
 都会の私はもうびっくりしました。我が家はどうしようかな。班長を仰せつかったところは必ず会を開かなくてはいけない条件なんです。
 今回(私の班で)しまして、一番何が変わったかと言いましたら、近所の方の対応が、まず変わりました。まず、ご近所さんは、移住者ってどんな生活をしているのか。家の中でどんなふうにしているのかということが、すごく興味があったみたいで、もう全員参加で部屋いっぱい来ていただきまして、そこの中で一緒に食事をしてから変わりました。

(知事)
 おきゃくの効用。高知の文化ですね。

(C)
 そうですね。それは素晴らしいと思います。

(C)
 あと田舎暮らしツアーというのは、高知県はないでしょうか。

(知事)
 やってはいます。

(C)
 大阪では、その情報が全然(来ていない)。
 大阪の方ってツアーがあると、行ってみようかなって(思うんです)。私のお友達も、現実、そのツアーに参加をして、行き先は岡山だったんですけど、そこには不動産屋さんも一緒に来て、売りたい物件とか、そういうところをずっと連れて行ってくれます。お友達はそれで決めて田舎暮らしをしています。そういった情報が、もう少し都会のほうに発信していただくといいかなと思います。

(知事)
 了解です。わかりました。
 あともう一個(聞きたいことですけど)、他の地域と比べて、高知が、特にこれがキャラがたっていたので、これで高知にしましたみたいなところを一言で言うと何でしたか。
 Eさんは面白そうって、仕事があったからって仰いましたよね。Bさんは奥さんが大きかったですか。四万十川の修学旅行。

(B)
 そうです。

(知事)
 Aさんは、いろんな先を考えられたんですよね。

(A)
 そうですね。下見をしている時に巡り会った人です。

(知事)
 やはり、嶺北のいなか暮らしネットワークですか。

(A)
 そうですね。

(知事)
 Dさんはアグリビジネススクールとかですか。

(D)
 はい。一番感じたのが、新農業人フェアに行った時に、他のブースと高知県のブースで、熱が違った(ことです)。

(知事)
 ありがたいことです。
 Cさんは黒潮町には、旅行で来たことなかったとおっしゃいましたよね。

(C)
 そうです。来たことはなかったです。私は大阪でのテレビの情報です。

(知事)
 あの地域っていいなって思ったりするところは、ありますか。

(F)
 ふるさと回帰フェアっていう、ふるさと回帰支援センターが主催している相談会に行った時なんかは、県の中でも市町村とかが一緒に相談会に来ていて、市町村も一緒にガッチリみたいな、そんなのを感じたので、高知県ももうちょっと市町村が元気にやったらいいんじゃないかなというのは思いました。

(知事)
 なるほど。
 ふるさと回帰支援センターの皆さんには、もっと「高知、出て来いよ」って言われているんです。25年度から加速したので、ちょっと今年度の作戦を踏まえて26年度あたり、もう一段(加速を)と思っているんです。

(G)
 高知の魅力というのは、おきゃくだと思いますので、やはりお酒を飲んで、献盃、返盃して、盃を酌み交わすというのが高知の文化。その中で馴染んでいくじゃないかなという感じはします。

4.会場からの意見

(知事) 
 今日は会場にも皆さん、おいでていただいていますので、ご意見やご質問などはありますか。

(H)
 皆さんの話を聞いて、地域に溶け込むには、自分を一番先に出さなければいけないということです。自分の得意なことを出してやったら相手は受けてくれます。私の場合は、鮎を焼いて、子ども達がバーベキューをやっているところに持って行って、鮎を食べてもらう。そういったことから、年賀状だの暑中見舞いが、今でもいろんなところからまわってきます。

(知事)
 ありがとうございます。

(I)
 旧物部村のほうに13年前に奈良のほうから移住しましたIといいます。今回、9月頃に移住サポーターとしても登録してもらっています。
 私が住む大西集落では、口コミを通じて移住者が増えています。多分、限界集落を抜けたと思います。
 是非、お願いしたいのは、光回線です。皆、本当に毎日おもしろいことをやっているんです。地域の人といろんな行事に参加して、ものづくりをしたり、畑作業だったり、お餅をついたりいろいろやっているんですけど、それを動画などで発信したいのにできないんです。だから、是非、整備をお願いします。

(知事)
 わかりました。ありがとうございます。
 もう限界集落は突破したであろうと、そういう感じですか。

(I)
 物部村で唯一脱出したと思います。

(知事)
 素晴らしい。何人ぐらい移住しておられるんですか。

(I)
 ここ2年のうちに13人増えています。ほとんど30代です。

(知事)
 1回、どういうふうにしたのか勉強させてもらいたいです。

(I)
 是非いらしてください。

(知事)
 集落活動センターを作ろうという予定はないですか。

(I)
 実はあるんですけど、(集落活動センターは)私達が住んでいる集落より車で20分ほど奥なんです。
 私達の周りは子どものいる家庭もあるので、10年後は結構安泰なんです。できれば、私達の集落にそれ(集落活動センター)が欲しいと思っています。

(知事)
 すごいですね。人が人を呼んだんですか。

(I)
 そうです。

(J)
 高知に対する思いはいろいろあるんですが、今回のテーマが移住促進についてということから申しますと、まずやっていただきたいことは、2つありまして、ひとつはメディアへの露出をこれからも減らさずにどんどんやっていただきたい。
 私の場合は、急に話が降ってわいて、その後トントンと進んでいって移住も決まったんですけど、前の年に、「遅咲きのヒマワリ」ですとか、「もてもてナインティナインの四万十の花嫁」ですとか。これのインパクトというのは、とにかく非常に大きくて、私のルーツは両親が高知県出身で、私自身は県外で生まれ育って、高知に戻って来たというかたちで、Iターンという立場です。
 それで、私の家族、妻は東北という全く高知をよく知らない者なんですけど、そのテレビの画像を通すと、すごくわかりやすい。四万十とか高知県というのはこんなところで、地域おこし協力隊が進めているような話があったりとか、その地域の農業に携わっていくだとか、限界集落まではいかないけれど、お年寄りに対する接し方とか、そういった映像に対する露出は続けて欲しい。
 あと、県外で、高知についての情報を拾うということになると、基本的にインターネットが一番多いです。
 そうした時に、例えば、高知県とか高知市といったホームページを見た時に、移住コンシェルジュの広報欄があったり、それから実際に高知に来ると、高知県ののぼり旗とかそういうのがあるというのは非常に心強くて、友達とかに案内する時に、今、こんなに受け入れ態勢で盛り上がっているんだよということを言えるということは非常に大きいんです。
 例えば、県がかなりサポートしてくれたとは思うんですが、名古屋経由でフジドリームが通っていることもあって、乗り換えもスムーズに、遠い割にはすごくアクセスがいいとか、あと、「もてもてナインティナイン」の番組で言うと、受け入れる市町村の町長とか、そういう人が、どれだけ来て欲しいかというのを必ず訴えるコーナーがあるんです。市町村がすごく熱心に受け入れ態勢をアピールするというのは、必ず伝わってきます。大阪とか東京圏でブースをかまえて高知県以外の自治体と一緒に、うちの県に来るとこんなに楽しいですよというのがあったら、そういうのをアピールする時の熱の入れ具合が高いところというのは、すごく心にとまります。なので、受け入れの姿勢を真剣にアピールするということと、あとメディア。この2点は強力にお願いしたいと思います。
 あと、私は、若い頃からずっとライダーだったんですけれど、夏休みは、北海道に行く人が当時は多かったです。北海道に行く人というのは、毎年行くような人がすごく多くて、実際に気に入って移住する人もすごく多いです。今回、高知県に戻って来ると、例えばゴールデンウィークですと、四万十川とか、コアな人は仁淀川だったり、いいところを自分で探してバイクで走ってきます。
 夏に北海道をツーリングするぐらいの数のオートバイが、ゴールデンウィークには、幡多のほうを中心に今年はすごく見ました。そういう時に、やはり、(高知家の)のぼり旗があったりするのを見ると、また来たいと思いますし、もしかしたら、移住を受け入れてくれやすいのかなというのをすごく感じるので、そういうものは、計画的にやっていったらと思います。

(知事)
 なるほど。ありがとうございます。
 高知家というのは歓迎のイメージをできるだけ出したい。「皆、高知家の家族にならん?」というあたりから、そういうことを訴える、そういうイメージを浸透させていきたいなという作戦なんです。
 ネットで見て、高知に来た時に、リアルにこういうのぼり旗があるというのは、効果があるものでしょうか。

(J)
 あります。あと、高知家の縦のバッジみたいなもの。これは、意外と友達ウケがよくて欲しいという人がいます。
 メディア関係に関連して言うと、そういったテレビの画像で見るインパクトは、すごくわかりやすくて大きいので、ネットで、もうちょっと詳しく調べてみるかという流れになった時に、広末さんが出ているYouTubeで見られるようなものが、もっと目に付きやすいところにあると、なおさら人に紹介しやすい。県がバックアップしてそういうのを出しているんだなと思うと、安心して来やすくなるきっかけになると思います。

(知事)
 地産外商公社と観光振興部観光政策課、この2つで、今、一生懸命メディア戦略やっているんです。それで、応じてくれたところに取材協力して、流すというのをやって、大体、今、年間の広告効果が、今年で35億円ぐらい。そういう意味では、うまくいっていると思うんですけど、こういうのは競争ですから、引き続きメディアの露出のほうを頑張ります。
 あと、ネットとの組み合わせとか、そういうのを引き続き工夫します。

(K)
 昨年移住してきましたKと申します。
 12年くらい前に海外に住んでいた時に、留学のエージェントをしていたことがあります。その時の経験からの提案なんですけど、先程、皆さん移住するのが、すごくハードルが高いんじゃないかというような意見が出ていました。確かに、田舎暮らしをいきなりするというのは、20代、30代の人にとって、よほど農業の経験があるとか、ご実家が農業された方じゃないと難しいとは思うんです。
 ただ、高知市内に、一旦移住して来て、その後、田舎に行くということであれば、高知県をまず体験をして、高知県の市内の中で東京でもあるような仕事をしてみたりして、二段階移住していくようなシステムのようなものがあったら、もうちょっとスムーズにハードルを下げて移住ができるんじゃないかなと考えました。
 実際、カナダに居た時に、僕はエージェントで働いていて、バンクーバーに居たんですけど、皆さん、まずそういうところに来て、いろんな情報を集めて、学校に行ったり、準備を2、3ヶ月かけてしてから、田舎の都市に行って半年住んだり、または気に入ってビザを延ばして住んだりする人達が20代の人達でたくさんいました。
 ですから、これは高知県に関しても同じように、体験で移住してくるという意味合いも含めて、そういったことも視野に入れていただくといいんじゃないかと思いました。

(知事)
 ありがとうございます。二段階ですね。わかりました。
 
(L)
 5月に大阪から移住して来ましたLといいます。
 僕はずっと大阪時代、メディア、雑誌を作っていて、その取材の関係もあって高知によく来ていて、高知の人と触れ合ううちに、高知の人柄、高知県の温かさというのに触れて、移住して来たわけですが、やはり先ほどから皆さん、移住者の方がおっしゃっているように、何が一番移住するきっかけになったかというと、触れ合う、体験、現地の人だったり、自然、その自然を実際に体験してみる。
 高知を知ってもらうきっかけって、これだけ情報が個人で発信できる時代なので、いろんなきっかけを作っていけると思うんです。それを県がバックアップするという意味では、インフラというところ。
 僕も東京から、毎月のように5人から10人ぐらい友人が遊びに来ていて、高知の良い人、良いところだったりというのをつなげていくように案内したりしているんです。やはり彼等が東京なり自分の住んでいるところへ、高知、良かったよと言ってもらえるためには、その場で発信していけるような、例えば今で言うと、フェイスブックだったりツイッターだったり、やはりインフラ環境。帯屋町を普通に歩いていて、何か面白い人がいてるというのを写真を撮って、そのままツイッターであげようとしても、そこにWiFiが飛んでなかったら、あげづらいというのもあったりするので、「高知県は(ネット環境に)力を入れています」というだけで、観光のひとつのPRになると思います。
 だから、情報ツールというのがすごく重要で、僕の周りの東京の人は、メディアというのを使っていない人が多いんです。僕たちは、「BE A GOOD NEIGHBOR」という思想を持っていて、「よき隣人たれ」と、直訳すると、そういう言葉になるんですけど、要は、メディアの情報より友達の情報が一番信頼できる。そういうのをすごく大事にしています。

(知事)
 頑張って整備しようとしていますという印象だけでは(いけない)。そうか。帯屋町でのWiFi。

(L)
 メディア戦略というのはよくわかるんですけど、もっと個人に発信してもらう。高知に体験してもらった人の言葉がやっぱり一番強いと思うんです。そこをもうちょっとサポートしていけるような施策があればいいと思います。

(知事)
 ありがとうございます。

5.知事まとめ

(知事)
 皆さん、今日はどうもありがとうございました。
 移住促進の取組は、25年度から本格化しました。この産業振興計画も、第1期計画のバージョン1からバージョン2というのが一番変わった。
 ある意味、1年目やってみて、いろいろやったことの経験をふまえて、改訂をしていきたいと思うんです。今日は、そのためにいろんな意見を聞きたいと思っていましたので、お話を聞かせていただいて本当によかったです。
 全体として人の気持ちの土壌づくりというものも非常に大事だろうというお話もあると思いますし、それぞれの制度の改善のお話もいろいろいただいて良かったと思います。
 この移住促進、いろんな意味で総合力の試される施策なんだろうと思うんです。多分、いろんな県がこれからどんどん移住促進の取組をやっていくだろうと思います。でも、一番最初にやりだした者の勝ちではないのかなと、私は思っています。
 ちょっと地理的には遠いというハンディはあるけど、人の面での強みはすごくあると思います。是非、今後この施策を進めていって、いろんな人の集まって来る、そんな高知県になれればいいな思います。そう目指して頑張ろうと思いますので、皆さん、また今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

(司会)
 以上をもちまして、第2回「対話と実行座談会」を終了させていただきます。本日はどうもありがとうございました。

閉会

第2回対話と実行座談会写真


                  

テーマに関して事前に寄せられたご意見と対応方針

第2回「対話と実行座談会」を開催するに当たり、事前にテーマに関する質問を募集しました。
いただいた質問に対するご意見・県の対応方針について以下のとおり取りまとめました。

ご意見・県の対応方針 [EXCELファイル/21KB] PDF [PDFファイル/143KB]


この記事に関するお問い合わせ

高知県 総合企画部 広報広聴課

所在地: 〒780-8570 高知県高知市丸ノ内1丁目2番20号(本庁舎2階)
電話: 広聴担当 088-823-9898
広報担当 088-823-9046
ファックス: 088-872-5494
メール: 080401@ken.pref.kochi.lg.jp

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