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経済産業大臣指定伝統的工芸品
「伝統的工芸品」は、伝統的工芸品産業の振興に関する法律に基づき、国が指定するものです。現在、全国で240品目*あり、高知県では「土佐和紙」と「土佐打刃物」の2品目が伝統的工芸品の指定を受けています*。100年以上の歴史を誇り、永い間、地域の産業として根付いてきた高知を代表するものです。この伝統マークは、経済産業大臣指定伝統的工芸品のシンボルマークです。
*2022年11月現在
高知県伝統的特産品
高知県では、地域で受け継がれてきた全国に誇りうる伝統的特産品を、「高知県伝統的特産品」として認定する制度を設け、現在、以下の11品目を認定しています。50年以上の歴史があり、高知独自の技法が光るものばかりです。
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土佐和紙の世界観をこちらのムービーでお楽しみください。
※撮影協力「和紙スタジオ かみこや」
土佐の自然が育む和紙古くて新しい世界
千年以上の歴史を誇る、日本三大和紙の一つ「土佐和紙」。その種類の豊富さと、薄くて丈夫な品質の良さは、国内外から高く評価されている。土佐和紙の発展を支えてきたのは、高知の自然と先人の知恵。清く澄んだ仁淀川や四万十川の水、豊かな山林で育つ土佐楮(こうぞ)といった原料、先人によって生み出された技術や紙漉き用具...、どれも長い歴史の中で、土佐和紙の発展を築いてきた。かつては障子紙をはじめ、身の回りの生活用品に用いられ、人々の暮らしを支えた土佐和紙。現在は、文化財の修復紙や、新たなアート作品、日用雑貨など、さまざまな形でその魅力を紡いでいる。
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土佐和紙 井上手漉き工房
▼事業所紹介動画
みどりさんヒストリー
先代である義父の生前は、実は和紙にあまり興味を持っていなかった。義父が亡くなった後、義母が一人で和紙工房を切り盛りしていたのを手伝っていく中で、徐々に和紙に興味が湧いてきた。ある日、義父の遺した1枚の和紙を何気なく手に取った。その時「こんなに美しいものがあるのか...」と衝撃を受けたことをきっかけに、長年勤めた会社員生活にピリオドを打ち、4代目を継ぐことを決意。家族は「会社を辞めてまでしなくても」と、心よく賛成はしてくれなかったが、「残りの人生を和紙のために使いたい」という熱意で、この道に歩んだ。
忘れられないエピソード
職人の技術習得、工房の経営と思うようにならない現実に「この道に入るタイミングが遅かったかもしれない」と、不安や焦りで、夢の中でも紙を漉いているような時期もあった。その時、キャリア約70年を数える御年90歳の職人が「自分もまだまだ未熟」と言っていたことに、とても驚いた。それと同時に、「技術の追求に限りがないものなら(職人歴を)比べるのではなく、自分は自分で生涯追求しよう」と腹が据わった瞬間だった。
もう1つの挑戦
現在は、自身の技も磨きながら、和紙産業への貢献という点で、後継者育成への取り組みにも挑戦している。観光客を受入れる和紙づくり体験はその取り組みの一環。まずは裾野を拡げるという意味で積極的に行っている。体験から興味を持った方には、短期研修、その先には長期研修の受け入れと、段階的に後継者育成に取り組むような仕組みもしっかりと検討中だ。
日本人のこころに通ずる手漉き和紙、人から人へ千年先も繋げたい!
土佐和紙 井上手漉き工房
四代目井上 みどりさん/室戸市出身。
あの日手にした1枚の和紙。その美しさに魅せられ、会社員生活にピリオドを打ち、職人の道へ。
事業所について
仁淀川の恵みを受けたこの場所で、長く続いてきた工房では、「和」の心に触れる和紙づくり体験を楽しめる。従来の提灯用や障子用和紙に加えて、近年は作家やクリエイターとコラボし、和紙の素材を生かした雑貨作りも積極的に手がけている。
みどりさんの挑戦は?
「日本人の心に通じる和紙の魅力を伝えたい」という思いがあります。和紙づくり体験はその入り口。和紙に興味を持ってもらい、人から人へ、和紙の素晴らしさが繋がっていってほしいです。また、先代の義父が残した「和紙は心で漉く」という言葉を胸に、自分の技も磨き続けます。
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土佐和紙 井上手漉き工房
▼事業所紹介動画
みどりさんヒストリー
先代である義父の生前は、実は和紙にあまり興味を持っていなかった。義父が亡くなった後、義母が一人で和紙工房を切り盛りしていたのを手伝っていく中で、徐々に和紙に興味が湧いてきた。ある日、義父の遺した1枚の和紙を何気なく手に取った。その時「こんなに美しいものがあるのか...」と衝撃を受け、その時「こんなに美しいものがあるのか...」と衝撃を受けたことをきっかけに、長年勤めた会社員生活にピリオドを打ち、4代目を継ぐことを決意。家族は「会社を辞めてまでしなくても」と、心よく賛成はしてくれなかったが、「残りの人生を和紙のために使いたい」という熱意で、この道に歩んだ。
忘れられないエピソード
職人の技術習得、工房の経営と思うようにならない現実に「この道に入るタイミングが遅かったかもしれない」と、不安や焦りで、夢の中でも紙を漉いているような時期もあった。その時、キャリア約70年を数える御年90歳の職人が「自分もまだまだ未熟」と言っていたことに、とても驚いた。それと同時に、「技術の追求に限りがないものなら(職人歴を)比べるのではなく、自分は自分で生涯追求しよう」と腹が据わった瞬間だった。
もう1つの挑戦
現在は、自身の技も磨きながら、和紙産業への貢献という点で、後継者育成への取り組みにも挑戦している。観光客を受入れる和紙づくり体験はその取り組みの一環。まずは裾野を拡げるという意味で積極的に行っている。体験から興味を持った方には、短期研修、その先には長期研修の受け入れと、段階的に後継者育成に取り組むような仕組みもしっかりと検討中だ。
製品や体験を通じて、和紙の魅力に触れる入り口に
井上手漉き工房 こだわりと技
どのように使われるのか、手にする方の要望をしっかりと聞いて和紙作りに臨むのがみどりさんの流儀。「技術の追求に限りは無く、生涯磨いていこうと腹を据えた」と語るくらい、寝ても覚めても和紙ばかり、技術の向上に余念がない。廃棄される野菜を原料に使った和紙の開発など、新たな試みにも積極的。誠実な人柄で、日々真摯に和紙と向き合っている。
井上手漉き工房の代表的な和紙でもある「柿渋紙」。耐水性や防虫効果も高い。
「先人の知恵を体感してほしい」と、和紙作り体験や工房見学もできる。和紙づくりの合間にも、「和」の心に触れる体験が♪
素材や色合いを活かした、和紙の小物や雑貨も制作している。手作りならではの優しい風合いを感じる。
仁淀川をイメージした「藍染め」の手漉き和紙。仁淀川の水とともに、和紙を紡いできた物語を感じる。
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土佐和紙 井上手漉き工房
▼事業所紹介動画
みどりさんヒストリー
先代である義父の生前は、実は和紙にあまり興味を持っていなかった。義父が亡くなった後、義母が一人で和紙工房を切り盛りしていたのを手伝っていく中で、徐々に和紙に興味が湧いてきた。ある日、義父の遺した1枚の和紙を何気なく手に取った。その時「こんなに美しいものがあるのか...」と衝撃を受け、その時「こんなに美しいものがあるのか...」と衝撃を受けたことをきっかけに、長年勤めた会社員生活にピリオドを打ち、4代目を継ぐことを決意。家族は「会社を辞めてまでしなくても」と、心よく賛成はしてくれなかったが、「残りの人生を和紙のために使いたい」という熱意で、この道に歩んだ。
忘れられないエピソード
職人の技術習得、工房の経営と思うようにならない現実に「この道に入るタイミングが遅かったかもしれない」と、不安や焦りで、夢の中でも紙を漉いているような時期もあった。その時、キャリア約70年を数える御年90歳の職人が「自分もまだまだ未熟」と言っていたことに、とても驚いた。それと同時に、「技術の追求に限りがないものなら(職人歴を)比べるのではなく、自分は自分で生涯追求しよう」と腹が据わった瞬間だった。
もう1つの挑戦
現在は、自身の技も磨きながら、和紙産業への貢献という点で、後継者育成への取り組みにも挑戦している。観光客を受入れる和紙づくり体験はその取り組みの一環。まずは裾野を拡げるという意味で積極的に行っている。体験から興味を持った方には、短期研修、その先には長期研修の受け入れと、段階的に後継者育成に取り組むような仕組みもしっかりと検討中だ。
愛用者の声
和紙購入者からの声
◆40代女性 京都府在住
◆提灯製作所
徳島県
伝統的な手漉き和紙、信頼と感動をお届け!
◆40代女性 京都府在住
自宅が古民家なので、障子の張り替えの用でご注文しました。手漉き和紙が清らかに輝いて、家も建具も喜び、神々しく感じられます。
◆提灯製作所 徳島県
阿波踊り、四国遍路の札所用の提灯制作に井上手漉き工房さんの和紙を使っています。混ざり物がなく、昔ながらの技法で漉かれている和紙なので、いい提灯が出来ます。
和紙づくり体験者からの声
◆中学生・家族で体験参加
◆高校生・課外授業で体験参加
土佐和紙の魅力に触れる、そんなきっかけに...
◆中学生
工房での和紙作り体験に、親子で参加しました。和紙作りを通じて、和紙の素晴らしさ、今後に残していきたいという想いを自分の中に芽生えました!
◆高校生
課外学習の一環で、和紙体験にグループで参加しました。自然の大切さを土佐和紙で感じ、伝えることが出来ると知り、環境と工芸活動の繋がりにとても考えさせられました!
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田村和紙工房(和紙展示・販売場所)
▼事業所紹介動画
晴彦さんヒストリー
100年以上続く製紙業の一家に生まれた晴彦さん。幼い頃から自然と家の手伝いをし、高校卒業後は実家の製紙業へ。漉く技術は外部で指導を受けたり、自分で工夫をしたりと、研究し続けてきた。生活様式の変化などで従来の和紙の需要が減少する中、30歳頃からは徐々に「染め」(和紙の染色)の仕事を中心に。さらに、還暦を過ぎてからは奥様の後押しもあり、自身のアート作品の創作にも精力的に取り組む。「自分が楽しみながら続けてきた」と語る晴彦さんの仕事は、これまでの奥様の支えがあってのもの。晴彦さんが染めのお仕事に集中できるよう、長らく奥様が事務全般(受発注、経理や包装など)を担当、二人三脚で歴史ある工房を支え合いながら守っている。
大切にしている教え
先代である父から「産業の変化を捉えなさい」と教わり、代々手がけてきた手漉きの紙が、機械漉きに置き換わっていくことを肌身で感じていた晴彦さん。それもあって、「染め」の仕事を本格的に始めるようになってからは、自然と「色々なモノを作りたい」という気持ちが湧いてきた、という。使ってくれる方のことを考えながら、和紙を前にすると、「この色が合うかな」「この組み合わせがいいかな」…と、配色のインスピレーションはどんどん湧き起こるのだそう。晴彦さんの長年培ってきた経験と技術、相手に寄り添ったモノづくりは、紙産業の機械化が進んでも置き換わることなく、彩り豊かに息づいている。
いつまでも自分の世界で
田村和紙工房
田村 晴彦さん/いの町出身。
小学生の頃から家業である製紙業を手伝い、職人歴は50年以上!
事業所について
明治創業、作業場には100年以上前の面影が残る「田村和紙工房」。長く産業用紙を漉いてきたが、時代の変化を受けて現在は「染め」の仕事を中心に。美術用紙やアート作品などが並ぶ工房は、色彩豊かな空間だ。
晴彦さんの挑戦は?
「これからも楽しみながら、想像を描き続けること」です。和紙を前にすると、配色、筆の動かし方、色の調合など想像がどんどん膨らみます。手に取ってくれる方を考えながら、没頭するその時間がとても楽しいです。作家さんが使う和紙の「染め」に加え、近年は自分のアート作品も手がけています。
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田村和紙工房(和紙展示・販売場所)
▼事業所紹介動画
晴彦さんヒストリー
100年以上続く製紙業の一家に生まれた晴彦さん。幼い頃から自然と家の手伝いをし、高校卒業後は実家の製紙業へ。漉く技術は外部で指導を受けたり、自分で工夫をしたりと、研究し続けてきた。生活様式の変化などで従来の和紙の需要が減少する中、30歳頃からは徐々に「染め」(和紙の染色)の仕事を中心に。さらに、還暦を過ぎてからは奥様の後押しもあり、自身のアート作品の創作にも精力的に取り組む。「自分が楽しみながら続けてきた」と語る晴彦さんの仕事は、これまでの奥様の支えがあってのもの。晴彦さんが染めのお仕事に集中できるよう、長らく奥様が事務全般(受発注、経理や包装など)を担当、二人三脚で歴史ある工房を支え合いながら守っている。
大切にしている教え
先代である父から「産業の変化を捉えなさい」と教わり、代々手がけてきた手漉きの紙が、機械漉きに置き換わっていくことを肌身で感じていた晴彦さん。それもあって、「染め」の仕事を本格的に始めるようになってからは、自然と「色々なモノを作りたい」という気持ちが湧いてきた、という。使ってくれる方のことを考えながら、和紙を前にすると、「この色が合うかな」「この組み合わせがいいかな」…と、配色のインスピレーションはどんどん湧き起こるのだそう。晴彦さんの長年培ってきた経験と技術、相手に寄り添ったモノづくりは、紙産業の機械化が進んでも置き換わることなく、彩り豊かに息づいている。
多く人を魅了する、美しい染めとアートの数々
田村和紙工房 こだわりと技
歴史ある製紙業を継ぎ、和紙を漉いていた晴彦さん。紙産業をとりまく変化もあり、30歳頃からは「染め」の仕事を徐々に中心としていき、作家へ納めてきた。還暦を過ぎてからは、本格的に自身の創作活動も始動。「夢幻染め」と呼ばれる独自の染め方は、2枚と同じ染め方ができない。淡く繊細な色合いを「夢、幻のような」と奥様が表現し、いつしか呼び名として定着したのだとか。晴彦さんの経験と想像から生まれる独特の色合いには、多くの愛好家がいる。
漉く際に、原料の楮を砕かずに利用することで、立体感を生み出しているアート作品。
こちらは、刷毛を走らせて染めた「刷毛夢幻染め」。繊細な色合いの上に、ダイナミックな躍動も感じる。
晴彦さんの代表的な染色技術である「夢幻染め」。淡く繊細な色合いが特徴だ。ちぎり絵や、ラッピング、書道など多くのシーンで使われている。
幾何学模様のような「変わり引き染め」。カットした和紙の紙片と刷毛を使って、この模様を生み出している。
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田村和紙工房(和紙展示・販売場所)
▼事業所紹介動画
晴彦さんヒストリー
100年以上続く製紙業の一家に生まれた晴彦さん。幼い頃から自然と家の手伝いをし、高校卒業後は実家の製紙業へ。漉く技術は外部で指導を受けたり、自分で工夫をしたりと、研究し続けてきた。生活様式の変化などで従来の和紙の需要が減少する中、30歳頃からは徐々に「染め」(和紙の染色)の仕事を中心に。さらに、還暦を過ぎてからは奥様の後押しもあり、自身のアート作品の創作にも精力的に取り組む。「自分が楽しみながら続けてきた」と語る晴彦さんの仕事は、これまでの奥様の支えがあってのもの。晴彦さんが染めのお仕事に集中できるよう、長らく奥様が事務全般(受発注、経理や包装など)を担当、二人三脚で歴史ある工房を支え合いながら守っている。
大切にしている教え
先代である父から「産業の変化を捉えなさい」と教わり、代々手がけてきた手漉きの紙が、機械漉きに置き換わっていくことを肌身で感じていた晴彦さん。それもあって、「染め」の仕事を本格的に始めるようになってからは、自然と「色々なモノを作りたい」という気持ちが湧いてきた、という。使ってくれる方のことを考えながら、和紙を前にすると、「この色が合うかな」「この組み合わせがいいかな」…と、配色のインスピレーションはどんどん湧き起こるのだそう。晴彦さんの長年培ってきた経験と技術、相手に寄り添ったモノづくりは、紙産業の機械化が進んでも置き換わることなく、彩り豊かに息づいている。
愛用者の声
60代・作家 「夢幻染め染色紙
愛用」
高知県在住
見る角度で変わる表情、作家の心も魅了する
手に取った時の触り心地や美しさに惹かれ、自分の作品に使ってみたいと思ったのがきっかけで、10年以上使用しています。バックに貼ったり、使わなくなったカゴや桶のリメイクに使用しています。見る角度で表情が変わる良さがありますし、これからも使い続けていきたいです。
70代・作家 「夢幻染め染色紙
愛用」
高知県在住
唯一無二の染色、風合いと柔らかさに惹かれる
染色紙を竹細工のカゴに貼るなど、作品作りに使用しています。1つとして同じ模様がないのも魅力です。田村さんの和紙には、独特な風合いや柔らかさがあり、いろんな物語が見えてくるような感覚で、作品を作ることがとても楽しいです!
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和紙スタジオ かみこや
▼事業所紹介動画
ロギールさんヒストリー
和紙に出会ったのは、母国・オランダのアムステルダムで製本の仕事をしていた時。手にした和紙を光に透かして見た際、その素朴で自然な美しさに、驚きと感動を覚えた。その後、1980年に来日して、全国の手漉き和紙の産地を訪ね歩く。その中でも、和紙づくりに欠かせない「原料」「道具」「技術」が揃っており、何より美しい川や自然と共にある高知の暮らしに「和紙の原点を見た気がした」と感じ、高知県に移住。その後、県内の和紙産地であるいの町で和紙作りの技術を磨きながら、さらに自然に囲まれた環境を求める中で、梼原町に現在の工房(のちの「和紙スタジオ
かみこや」)を構えた。「かみこや」の由来は、和紙の学校をイメージして「寺子屋」(江戸時代の学校)からヒントを得たもの。人と自然の距離を縮めたいという想いも込めて名付けた。
忘れられないエピソード
高知での暮らし、梼原に住んでから「たくさんの出会いがあり、そのどれもが印象深く感謝している」と目を細めるロギールさん。その中でも特に忘れられないのは、新国立競技場を手がけたことでも知られる、世界的建築家・隈研吾氏との出会いだ。隈氏が檮原町で初めて設計した「雲の上のホテル」にはじまり、「雲の上の図書館」「まちの駅ゆすはら」など、隈氏が手がける木造建築群の内装にロギールさんの作品は使われており、その他、隈氏とコラボレーションした東京での展覧会なども成功させてきた。二人の出会いはお互いにとって忘れられないものになっているに違いない。
土佐和紙で表現の可能性を広げたい
和紙スタジオ かみこや
アウテンボーガルト・ロギールさん/オランダ・ハーグ市出身。
故郷・オランダで出会った一枚の和紙に魅せられ、高知県へ移住。
工房について
日本三大カルストの一つ、四国カルストの中腹にある事業所。原料栽培から行い、伝統的な手法を貫いた和紙は、国内外から高い評価を受ける。美術用紙をはじめ、アート作品、インテリア・内装用紙の製造販売など手がける。
ロギールさんの挑戦は?
「土佐和紙で表現の可能性を広げること」です。高知の自然に囲まれた暮らし、受け継がれてきた道具や原料など、全てに和紙づくりの原点が詰まっていました。和紙の魅力に触れる宿泊・体験や、和紙とヨーロッパ伝統のペーパーを組み合わせるなど、和紙を使った様々な表現にトライしています。
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和紙スタジオ かみこや
▼事業所紹介動画
ロギールさんヒストリー
和紙に出会ったのは、母国・オランダのアムステルダムで製本の仕事をしていた時。手にした和紙を光に透かして見た際、その素朴で自然な美しさに、驚きと感動を覚えた。その後、1980年に来日して、全国の手漉き和紙の産地を訪ね歩く。その中でも、和紙づくりに欠かせない「原料」「道具」「技術」が揃っており、何より美しい川や自然と共にある高知の暮らしに「和紙の原点を見た気がした」と感じ、高知県に移住。その後、県内の和紙産地であるいの町で和紙作りの技術を磨きながら、さらに自然に囲まれた環境を求める中で、梼原町に現在の工房(のちの「和紙スタジオ
かみこや」)を構えた。「かみこや」の由来は、和紙の学校をイメージして「寺子屋」(江戸時代の学校)からヒントを得たもの。人と自然の距離を縮めたいという想いも込めて名付けた。
忘れられないエピソード
高知での暮らし、梼原に住んでから「たくさんの出会いがあり、そのどれもが印象深く感謝している」と目を細めるロギールさん。その中でも特に忘れられないのは、新国立競技場を手がけたことでも知られる、世界的建築家・隈研吾氏との出会いだ。隈氏が檮原町で初めて設計した「雲の上のホテル」にはじまり、「雲の上の図書館」「まちの駅ゆすはら」など、隈氏が手がける木造建築群の内装にロギールさんの作品は使われており、その他、隈氏とコラボレーションした東京での展覧会なども成功させてきた。二人の出会いはお互いにとって忘れられないものになっているに違いない。
和紙の中に自然の美しさを、見るような表現を
和紙スタジオ
かみこや こだわりと技
無農薬・無肥料で原料を育て、四万十川源流域の水を使い、和紙を漉く。「和紙に触れ、自然の美しさに目を向けてほしい」というメッセージを込める。自身のライフスタイルを含め、和紙づくりも自然とともにあることにこだわる。美術用紙、アート作品、宿泊・体験と和紙を通して、自身の伝えたい自然の美しさを表現してきた。建築家や伝統産業の職人とのコラボレーションなど、活動の幅がさらに広がっている。
和紙で作られたカトラリーレストとナプキンリング。素朴な色合いが食卓に温かみを足してくれる。
「パルプペインティング※」という技法を使ったアート作品。独特な模様と質感が、さながら油絵のよう。※紙を漉く途中の水を含んだパルプの段階で染色し、それを平面に置きながら描く手法。
淡い光が優しい、まるで”和紙の美しさ”を詰め込んだようなランプシェード。その種類も様々だ。
自家栽培の原料を使い、機械と化学薬品を使わない伝統的な手漉き和紙。色、質感、模様の異なるさまざまな和紙を提案。
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和紙スタジオ かみこや
▼事業所紹介動画
ロギールさんヒストリー
和紙に出会ったのは、母国・オランダのアムステルダムで製本の仕事をしていた時。手にした和紙を光に透かして見た際、その素朴で自然な美しさに、驚きと感動を覚えた。その後、1980年に来日して、全国の手漉き和紙の産地を訪ね歩く。その中でも、和紙づくりに欠かせない「原料」「道具」「技術」が揃っており、何より美しい川や自然と共にある高知の暮らしに「和紙の原点を見た気がした」と感じ、高知県に移住。その後、県内の和紙産地であるいの町で和紙作りの技術を磨きながら、さらに自然に囲まれた環境を求める中で、梼原町に現在の工房(のちの「和紙スタジオ
かみこや」)を構えた。「かみこや」の由来は、和紙の学校をイメージして「寺子屋」(江戸時代の学校)からヒントを得たもの。人と自然の距離を縮めたいという想いも込めて名付けた。
忘れられないエピソード
高知での暮らし、梼原に住んでから「たくさんの出会いがあり、そのどれもが印象深く感謝している」と目を細めるロギールさん。その中でも特に忘れられないのは、新国立競技場を手がけたことでも知られる、世界的建築家・隈研吾氏との出会いだ。隈氏が檮原町で初めて設計した「雲の上のホテル」にはじまり、「雲の上の図書館」「まちの駅ゆすはら」など、隈氏が手がける木造建築群の内装にロギールさんの作品は使われており、その他、隈氏とコラボレーションした東京での展覧会なども成功させてきた。二人の出会いはお互いにとって忘れられないものになっているに違いない。
愛用者の声
60代・拓本職人 「美術紙
愛用」
東京都在住
歴史を紡ぐ役割、、そして芸術作品にも活用
石碑に刻まれた文字や形などを保存するために写しとる「拓本」や「作品作り」で使用しています。旅の途中で宿泊した際、何種類か試したことがきっかけでした。墨のにじみをきちんと受けとめ、宣紙(せんし)
※1や和画仙(わがせん)※2とは違う魅力的な淡墨表現が可能で気に入っています。
※1宣紙:書画用の上質紙※2和画仙:中国の画仙紙(書画に用いる大型の紙)に倣って、日本で作られた画仙紙のこと
40代・宿泊業 「壁紙
愛用」
高知県在住
宿でも楽しめる、伝統和紙の美しさ
ロギールさんの繊細な作品をホテルにも取り入れて、お客様に楽しんでもらいたいので使用しています。丈夫で見た目もよく、お客様からも好評ですね。さらに、和紙やインテリアも販売しています。
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土佐和紙工房パピエ
▼事業所紹介動画
真紀さんヒストリー
物心ついた時から自然と和紙が好きで、進路を考える年齢になった時も自然と「和紙職人」になりたいと考えていた。振り返れば、高校時代に行ったカナダで和紙の掛け軸を作ったり、京都での大学時代には製本の勉強もしたり…と、和紙作りに通ずる経験を学生時代から重ねていたという。「和紙職人」になりたいという真紀さんに対し、父は生計を立てられるかという心配もあってか決して職人の道を勧めてこなかったが、真紀さん自身に迷いはなかった。(そんな父も本心では嬉しかったのかもしれない、と真紀さん談)高知市内のショップ「パピエ」は、大学4年生の頃から両親と開業準備を始めた。卒業後、店主兼職人としての道をスタート。
忘れられないエピソード
小さい頃、"学校から帰ると和紙を漉く祖母の姿をずっと眺めていた"と言う真紀さん。「ジャブジャブ」という和紙を漉く音とリズムが心地よく、それが無性に好きでずっと聞いていられたのだそう。「和紙づくり」や「和紙に携わる空間」が好きだということをはっきりと自覚した、真紀さんの原点とも言える記憶だ。
和紙を日常の景色に、もっと身近に。
土佐和紙工房 パピエ
森澤 真紀さん/土佐市出身。
小さい頃から紙漉きが好きで、祖母の和紙を漉く姿をずっと眺めていた。
事業所について
実家は、土佐市内の仁淀川のほとりで4代続く手漉き工房。「和紙を気軽に手に取ってもらいたい」と、高知市に「土佐和紙工房パピエ」を構える。おしゃれな和紙雑貨など、真紀さんが手がけるオリジナリティ溢れる和紙が揃う。
真紀さんの挑戦は?
「和紙をもっと身近に感じてもらうこと」です。和紙って高価なイメージがあると思うんですが、雑貨やラッピング用紙など、暮らしに取り入れたくなるような商品を制作しています。今では若い世代のお客様も増えてきました。パピエを通じて、和紙に親しんでもらいたいです。
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土佐和紙工房パピエ
▼事業所紹介動画
真紀さんヒストリー
物心ついた時から自然と和紙が好きで、進路を考える年齢になった時も自然と「和紙職人」になりたいと考えていた。振り返れば、高校時代に行ったカナダで和紙の掛け軸を作ったり、京都での大学時代には製本の勉強もしたり…と、和紙作りに通ずる経験を学生時代から重ねていたという。「和紙職人」になりたいという真紀さんに対し、父は生計を立てられるかという心配もあってか決して職人の道を勧めてこなかったが、真紀さん自身に迷いはなかった。(そんな父も本心では嬉しかったのかもしれない、と真紀さん談)高知市内のショップ「パピエ」は、大学4年生の頃から両親と開業準備を始めた。卒業後、店主兼職人としての道をスタート。
忘れられないエピソード
小さい頃、"学校から帰ると和紙を漉く祖母の姿をずっと眺めていた"と言う真紀さん。「ジャブジャブ」という和紙を漉く音とリズムが心地よく、それが無性に好きでずっと聞いていられたのだそう。「和紙づくり」や「和紙に携わる空間」が好きだということをはっきりと自覚した、真紀さんの原点とも言える記憶だ。
思わず手に取りたくなる、ステキな和紙雑貨がズラリ
土佐和紙工房
パピエ こだわりと技
手漉き職人兼パピエ店主として、20代から切り盛り。販売しているオリジナル商品は、手漉き和紙職人でもあるご自身が、全て手作業で紙を製作。中でも特徴的な、ぼこぼことした手触りで極厚の「和紙ボード」は、壁やドア、インテリアに重宝されている。手がける商品は、暮らしに取り入れやすいようリーズナブルな商品もあり、「身近に和紙を感じてもらいたい」という想いが溢れている。
手漉き和紙職人である真紀さんの手がける和紙が並ぶ。別注も受けており、パピエの和紙からアイデアが広がるユーザーも多い。
雑貨、手紙、のし袋など、和紙の素材を活かした商品が数多く並ぶ。日常の品にちょっとしたアクセントが加わる。
和紙の落ち着いた風合いのボトルラッピングキット。質感や色味のバリエーションが豊富。
和紙を使った「MY箸ケース(箸入り)」。彩り鮮やかな、スタイリッシュな品。おでかけなどさまざまなシーンで活躍。
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土佐和紙工房パピエ
▼事業所紹介動画
真紀さんヒストリー
物心ついた時から自然と和紙が好きで、進路を考える年齢になった時も自然と「和紙職人」になりたいと考えていた。振り返れば、高校時代に行ったカナダで和紙の掛け軸を作ったり、京都での大学時代には製本の勉強もしたり…と、和紙作りに通ずる経験を学生時代から重ねていたという。「和紙職人」になりたいという真紀さんに対し、父は生計を立てられるかという心配もあってか決して職人の道を勧めてこなかったが、真紀さん自身に迷いはなかった。(そんな父も本心では嬉しかったのかもしれない、と真紀さん談)高知市内のショップ「パピエ」は、大学4年生の頃から両親と開業準備を始めた。卒業後、店主兼職人としての道をスタート。
忘れられないエピソード
小さい頃、"学校から帰ると和紙を漉く祖母の姿をずっと眺めていた"と言う真紀さん。「ジャブジャブ」という和紙を漉く音とリズムが心地よく、それが無性に好きでずっと聞いていられたのだそう。「和紙づくり」や「和紙に携わる空間」が好きだということをはっきりと自覚した、真紀さんの原点とも言える記憶だ。
愛用者の声
40代・飲食店事業者「カレンダー愛用」
高知県在住
空間に溶け込む和紙ならではのカレンダー
店内に飾るカレンダーとして、20年ほど使用し続けています。土佐和紙ならではの優しい風合いも素敵ですし、和紙にあった字体も良いです。お店の雰囲気に溶け込んでいて満足しています。お世話になった方々へのプレゼントとしても使っていますね。
70代・飲食店事業者「名刺愛用」
高知県在住
ビジネスシーンでも活躍お渡しした方が笑顔に
パピエさんの作る名刺を使い始めて、約20年ほど経ちます。和紙の柔らかい色合いや雰囲気で、渡した相手からも喜ばれます。パピエさんの店舗にはいろんなバリエーションの和紙があるので、ぜひ訪れてみてほしいです。
70代・一般女性「壁紙
愛用」
高知県在住
和紙を感じられる。そんな素敵な日常に
テレビで紹介されていたのをきっかけに、日常生活で和紙を使いたいと思い購入しました。丈夫なので魅力ですし、主に茶色や水色を使っていて、季節に合わせて壁紙を変えてみたりするなど、お気に入りの空間づくりにとても良いです。
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田村亮二(和紙展示・販売場所)
▼事業所紹介動画
亮二さんヒストリー
高校卒業後、モノ作りが好きで、愛知県で自動車部品関係の会社へ就職。金属製品を使ったモノ作りに日々関わる中で、次第にもっと「自然由来のものに触れるモノ作り」がしたいと考え、伝統的な手仕事に興味を持ち始める。その後、高知県に戻り、手漉き和紙の修行開始。今でも師と仰ぐ指導者との出会いがあり、この時、亮二さんが大切にする"薬品などを使わない、伝統的な製法"を教わる。その後もさまざまな場所で修行を重ね、平成7年からは、いの町の施設で紙漉き体験の指導も始めるように。平成20年に現在の自宅で工房を開設。
忘れられないエピソード
修行を初めて間もない頃、天日干ししていた和紙を手に取って、日の光にかざしたとき、「こんなにも素朴で美しいモノがあるんだ」と感動したという。この時に感じた感動が、亮二さんの和紙づくりの原点ともいえる瞬間だった。経験を重ねた今、「昔ながらの製法だけで仕事になるほど現実は甘くないが…」と話すも、それでも自身の原点ともいえる"素朴さ・美しさ"を追いかけるように「できる限り伝統的なやり方にこだわっていきたい」と語る。
後世に残る和紙を作り続けたい
和紙職人
田村 亮二さん/四万十町出身。
「自然由来のものに触れるモノ作り」がしたいと考え、職人の道へ。
事業所について
2008年、いの町で工房を構える。伝統的な手法を守り、素朴な風合いの手漉き和紙を手がける。敷地内の庭では、和紙の貼られた大きな板がいくつも並び、天日干しされているのも日常風景。修復紙や障子紙をはじめ、インテリアの和紙のシェードも生み出す。
亮二さんの挑戦は?
「後世に残る和紙を作りつづけること」ですね。職人を志して間もない頃、和紙を日の光にかざした時に感じた「素朴な美しさ」は私の原点。伝統的な手法で仕上げられたものは、美しくてとても丈夫なんです。これからも和紙が使われ、後世にも残るように。そんな思いで作り続けます。
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田村亮二(和紙展示・販売場所)
▼事業所紹介動画
亮二さんヒストリー
高校卒業後、モノ作りが好きで、愛知県で自動車部品関係の会社へ就職。金属製品を使ったモノ作りに日々関わる中で、次第にもっと「自然由来のものに触れるモノ作り」がしたいと考え、伝統的な手仕事に興味を持ち始める。その後、高知県に戻り、手漉き和紙の修行開始。今でも師と仰ぐ指導者との出会いがあり、この時、亮二さんが大切にする"薬品などを使わない、伝統的な製法"を教わる。その後もさまざまな場所で修行を重ね、平成7年からは、いの町の施設で紙漉き体験の指導も始めるように。平成20年に現在の自宅で工房を開設。
忘れられないエピソード
修行を初めて間もない頃、天日干ししていた和紙を手に取って、日の光にかざしたとき、「こんなにも素朴で美しいモノがあるんだ」と感動したという。この時に感じた感動が、亮二さんの和紙づくりの原点ともいえる瞬間だった。経験を重ねた今、「昔ながらの製法だけで仕事になるほど現実は甘くないが…」と話すも、それでも自身の原点ともいえる"素朴さ・美しさ"を追いかけるように「できる限り伝統的なやり方にこだわっていきたい」と語る。
自然由来の製法で作られる、素朴で美しい和紙
田村亮二 こだわりと技
「案外難しいのですが、”丁寧に仕上げること”を心がけています」と話す亮二さん。薬品を使わない原料処理や、天候に左右される天日干しなど、手間のかかる作業にこだわり、近年では原料の栽培にも自ら取り組む。自身が原点と語る「和紙の素朴さ、美しさ」を感じだ瞬間。和紙に向き合う姿勢は、その瞬間を体現し続けるかのようだ。
水を和紙の表面に落とし、模様を描き出す「落水紙」。繊細な技から生まれる逸品だ。
材料の特徴を生かし、丁寧に作られた自然由来の和紙は、作家の作品に寄り添う。
依頼主と相談しながらの和紙づくり。亮二さんのこだわりを知る人からは、薬品を使わない伝統的な作り方でオーダーが入る。
インテリアの和紙シェード。風に揺らめきながら、和紙の素朴な美しさが感じられる。
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田村亮二(和紙展示・販売場所)
▼事業所紹介動画
亮二さんヒストリー
高校卒業後、モノ作りが好きで、愛知県で自動車部品関係の会社へ就職。金属製品を使ったモノ作りに日々関わる中で、次第にもっと「自然由来のものに触れるモノ作り」がしたいと考え、伝統的な手仕事に興味を持ち始める。その後、高知県に戻り、手漉き和紙の修行開始。今でも師と仰ぐ指導者との出会いがあり、この時、亮二さんが大切にする"薬品などを使わない、伝統的な製法"を教わる。その後もさまざまな場所で修行を重ね、平成7年からは、いの町の施設で紙漉き体験の指導も始めるように。平成20年に現在の自宅で工房を開設。
忘れられないエピソード
修行を初めて間もない頃、天日干ししていた和紙を手に取って、日の光にかざしたとき、「こんなにも素朴で美しいモノがあるんだ」と感動したという。この時に感じた感動が、亮二さんの和紙づくりの原点ともいえる瞬間だった。経験を重ねた今、「昔ながらの製法だけで仕事になるほど現実は甘くないが…」と話すも、それでも自身の原点ともいえる"素朴さ・美しさ"を追いかけるように「できる限り伝統的なやり方にこだわっていきたい」と語る。
愛用者の声
50代・作家・女性
雁皮紙愛用」
カナダ在住
和紙に表れる職人の人柄や和紙への愛情
田村さんの紙は、質としても優れており、田村さんの正直さ、紙に対する愛情が出ています。近年は大きいサイズの作品に使わせていただいています。海外での展示やレジデンス、ワークショップの時は、田村さんの紙をいつも持っていきます。
50代・文化財修復技術者・女性 「オーダーメードの文化財補修用紙
愛用」
高知県在住
歴史を紡ぐ貴重な資料の修復現場でも活躍!
こちらの要望に合うよう繊維の洗浄具合や漉き方、乾燥方法など、工夫して仕上げてくれます。和紙はもちろん、洋紙や革や木など、どんな素材にもすーっと馴染む素晴らしい使い心地で、国内外の保存修復の現場で大活躍しています。
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手仕事の風景:1
取材の中で垣間見えた、何気ない1コマを切り取った。高知で育まれる伝統の魅力を表情や温度感から少しでも感じ取れたら。
①自身の思い描く色合いに、原料を調整する田村和紙工房 晴彦さん。
②かみこやのギャラリーの壁にかけられた多彩な和紙の数々。
③アート作品を手がけているかみこや ロギールさん。定期的に展示会も行う。
④それぞれの原料の特徴を生かした和紙作りを手がける井上手漉き工房 みどりさん。
⑤創業して間もない頃から、共にパピエを支えてきたスタッフもいる。
⑥和紙職人 田村亮二さんは自宅の庭で天日干し。
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土佐打刃物の世界観をこちらのムービーでお楽しみください。
※撮影協力「黒鳥鍛造工場」
土佐の風土が生み出した「自由鍛造」の魅力
一般の家庭から、プロの現場まで重宝されている「土佐打刃物」。森林率日本一の高知県で、農業・林業とともに発展してきた歴史をもつ。そのため、鋭い「切れ味」はもちろん「耐久性」や「使いやすさ」を併せ持つのも特徴だ。目的や使い方に合わせて、鍛冶職人が一から手作業で自由自在に形作る「自由鍛造」と呼ばれる技で生み出され、使う人に寄り添う刃物として今日まで受け継がれてきた。近年は、デザイン性に優れた包丁も誕生。これからも、農林用はもちろん、包丁、アウトドアナイフや植木鋏など、あらゆるニーズに寄り添い、人々の生活を支え続けていく。
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黒鳥鍛造工場
▼事業所紹介動画
弘資さんヒストリー
小学生の頃は工房が遊び場で、作業している祖父や父のそばで、売り物にしない刃物を借りて木を削って、剣や船を作ったりして遊んでいた弘資さん。鍛冶屋の仕事は身近に感じていたが、そのまま職人の道を進むのではなく、別の仕事をしていた。しかし、先代である父が高齢にさしかかり、鍛冶屋を辞めると言い出した時、「地域に根付いたモノ作りをしてきたのに、それが無くなるのはもったいない」と感じたと同時に、「続けてほしい」という地域の声もあり、家業を継ぎ鍛冶職人の道を進むことを決意。
大切に取り組んでいること
「オープンな姿勢」を意識し、大切にしている。例えば、露店出店などは父の代からもあったが、弘資さんが継がれてからは、直接お客様と接する機会だからと、より精力的にを意識して行うようになった。また、職人の世界では昔から「技術は見て盗め」と言われるが、「それだけだと交流も生まれず発展がない」と感じ、同業種との交流、商工会など、いろんなつながりをもって勉強をしていくようにしている。そこには、敢えて技術を外に見せることも意識しており、研ぎ直しレクチャーもその取組の1つ。研ぐ原理をお客様が知ることで、「より満足度が高まる」と手応えを感じている。
愛着を感じ、使い続けられる刃物を。
黒鳥鍛造工場
六代目梶原 弘資さん/四万十町出身。
大工や板金工といった職人仕事を経験した後、家業を受け継ぐ。
事業所について
創業から150年以上続く、老舗鍛冶屋。農具をはじめ、林業刃物や包丁など、使う人に寄り添う刃物を長く手がけている。工房併設のショップでは、相談しながら包丁選びや研ぎ方を学べる。
弘資さんの挑戦は?
「愛着を感じ、使い続けられる刃物を作る」ことです。時代が変わるにつれ、新しい技術や使ったことのない素材が出てきます。常にクオリティを高めていくため、情報収集も怠らず、新しい技術も加えながら、黒鳥の伝統を受け継いでいきます。SNSでの情報発信や、イベントでの出店も行いながら、業界全体を盛り上げていきたいです。
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黒鳥鍛造工場
▼事業所紹介動画
弘資さんヒストリー
小学生の頃は工房が遊び場で、作業している祖父や父のそばで、売り物にしない刃物を借りて木を削って、剣や船を作ったりして遊んでいた弘資さん。鍛冶屋の仕事は身近に感じていたが、そのまま職人の道を進むのではなく、別の仕事をしていた。しかし、先代である父が高齢にさしかかり、鍛冶屋を辞めると言い出した時、「地域に根付いたモノ作りをしてきたのに、それが無くなるのはもったいない」と感じたと同時に、「続けてほしい」という地域の声もあり、家業を継ぎ鍛冶職人の道を進むことを決意。
大切に取り組んでいること
「オープンな姿勢」を意識し、大切にしている。例えば、露店出店などは父の代からもあったが、弘資さんが継がれてからは、直接お客様と接する機会だからと、より精力的にを意識して行うようになった。また、職人の世界では昔から「技術は見て盗め」と言われるが、「それだけだと交流も生まれず発展がない」と感じ、同業種との交流、商工会など、いろんなつながりをもって勉強をしていくようにしている。そこには、敢えて技術を外に見せることも意識しており、研ぎ直しレクチャーもその取組の1つ。研ぐ原理をお客様が知ることで、「より満足度が高まる」と手応えを感じている。
使う人に寄り添う、黒鳥鍛造工場の伝統
黒鳥鍛造工場 こだわりと技
地域に根ざした「野鍛治(のかじ)」として、柄鎌(えがま)など高度な技術が必要な刃物作りを得意としてきた。鍛えた技と、「(お客様からの相談に)出来ないと簡単に言いたくない」という思いで多様なニーズに応える。お客様向けの研ぎのレクチャーや、若手職人の育成など、外に開かれた姿勢で土佐打刃物業界全体を見据えた挑戦を続けている。
市松模様や桜といった和柄デザインの包丁。錆びにくいステンレス製で、手入れもしやすい。
黒鳥鍛造工場の刃物で人気No.1のペティナイフ。にぎりやすく、小回りが効くので調理しやすい。
アウトドア好きの友人から相談を受け制作した「ブッチャーナイフ」。この1本でアウトドアが充実する優れもの。
「家庭でも簡単に研いでもらいたい」という思いを込めて開発した砥石セット。
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黒鳥鍛造工場
▼事業所紹介動画
弘資さんヒストリー
小学生の頃は工房が遊び場で、作業している祖父や父のそばで、売り物にしない刃物を借りて木を削って、剣や船を作ったりして遊んでいた弘資さん。鍛冶屋の仕事は身近に感じていたが、そのまま職人の道を進むのではなく、別の仕事をしていた。しかし、先代である父が高齢にさしかかり、鍛冶屋を辞めると言い出した時、「地域に根付いたモノ作りをしてきたのに、それが無くなるのはもったいない」と感じたと同時に、「続けてほしい」という地域の声もあり、家業を継ぎ鍛冶職人の道を進むことを決意。
大切に取り組んでいること
「オープンな姿勢」を意識し、大切にしている。例えば、露店出店などは父の代からもあったが、弘資さんが継がれてからは、直接お客様と接する機会だからと、より精力的にを意識して行うようになった。また、職人の世界では昔から「技術は見て盗め」と言われるが、「それだけだと交流も生まれず発展がない」と感じ、同業種との交流、商工会など、いろんなつながりをもって勉強をしていくようにしている。そこには、敢えて技術を外に見せることも意識しており、研ぎ直しレクチャーもその取組の1つ。研ぐ原理をお客様が知ることで、「より満足度が高まる」と手応えを感じている。
愛用者の声
30代・男性・食肉業 「オーダーメイドナイフ
愛用」
高知県在住
用途に合わせた包丁作りと手厚いメンテナンス
切れ味は抜群なのはもちろんのこと、お肉を捌くのに大中小と、用途に合わせて作っていただきました。10年以上愛用しており、毎年包丁を持っていき、丁寧に研いでもらっています。
30代・一般男性 「ペティナイフ
愛用」
高知県在住
刃物を長く愛用してほしいそんな店主の想いに惹かれて
SNSで知ってお店に訪問しました。梶原さんの「刃物を長く愛用してほしい」という想いに惹かれて購入。手入れ方法も丁寧に教えていただき、愛着を持って使い続けています。柳刃や出刃の包丁も合わせて愛用しています!
40代・鮮魚店店主 「柳包丁
愛用」
高知県在住
代々続く関係仕事で欠かせない一丁
先代からの付き合いで、ずっと使用しています。相談を重ねて、自分の手に合うように仕上げてもらいました。仕事でたくさんの魚を捌くので、軽くて切れ味の良い黒鳥さんの包丁はとても重宝しています。他には、出刃包丁や蛸引き包丁も愛用していますね。
50代・一般男性 「アウトドアナイフ
愛用」
高知県在住
あらゆるシーンに寄り添う町の鍛冶屋
日常では料理包丁、アウトドアではブッチャーナイフ、仕事が林業なので鉈と、いろんな種類の刃物を愛用しています。定期的に研ぎ直しも行なってもらい、ピカピカになって返ってきたときは、いつも妻が驚いています!
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梶原務刃物製作所
▼事業所紹介動画
久央さんヒストリー
地元福岡県で、金物を取り扱う企業に勤めていた久央さん。結婚を機に、奥様の実家であった鍛冶屋の後継者として、28歳だった2004年に高知へ。当時を振り返って、「包丁を使うことには興味があったが、まさか自分が作り手になるとは想像もしていなかった」と話す。先代である義父の工程を「見て、マネして覚える」の繰り返し。コツコツと刃物を作る日々の中で徐々に感覚を掴み、技術を習得していった。2021年からは1人で工房を任されるようになり、「1人でやっていく責任感はありますし、今が自分の職人人生にとってターニングポイントです」と力強く話す。
先代から学んだこと
「信頼の大切さ」を強く学んだという久央さん。高級品を作ろうと気負うのではなく、「1丁1丁を丁寧に、使う方のことを想いながら、安定した品質を作り続けられること」が信頼につながると話す。日々の仕事に真摯に向き合い、長年信頼を築き上げてきたという自負が、山内さんのブレない芯となっている。
使う方にとって大切な1本。コツコツと、いつまでも
梶原務刃物製作所
四代目山内 久央さん/福岡県出身。
結婚を機に奥様の実家の鍛冶屋を継ぐ。義父から屋号も引き継ぎ、「二代目土佐かじ屋」の名称で包丁を制作。
事業所について
香美市の田園風景が広がる中に佇む工房。代々、家庭用だけでなく業務用の包丁も多く手がけ、問屋に卸してきた。現在は4代目の久央さんが、鍛造から刃付けまで一貫して制作している。
久央さんの挑戦は?
「安定した品質で造り続けること」です。その姿勢が、問屋への信頼を代々築いてきたんだと思います。私が年間数千本の包丁を造っていても、使う方にとっては大切な1本。多くの選択肢の中から選んで頂いた方を想い、気持ちを込めて包丁を丁寧に鍛える。責任感を持って手がける職人であり続けたいですね。
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梶原務刃物製作所
▼事業所紹介動画
久央さんヒストリー
地元福岡県で、金物を取り扱う企業に勤めていた久央さん。結婚を機に、奥様の実家であった鍛冶屋の後継者として、28歳だった2004年に高知へ。当時を振り返って、「包丁を使うことには興味があったが、まさか自分が作り手になるとは想像もしていなかった」と話す。先代である義父の工程を「見て、マネして覚える」の繰り返し。コツコツと刃物を作る日々の中で徐々に感覚を掴み、技術を習得していった。2021年からは1人で工房を任されるようになり、「1人でやっていく責任感はありますし、今が自分の職人人生にとってターニングポイントです」と力強く話す。
先代から学んだこと
「信頼の大切さ」を強く学んだという久央さん。高級品を作ろうと気負うのではなく、「1丁1丁を丁寧に、使う方のことを想いながら、安定した品質を作り続けられること」が信頼につながると話す。日々の仕事に真摯に向き合い、長年信頼を築き上げてきたという自負が、山内さんのブレない芯となっている。
大切な一本を、実直に作り続ける。
梶原務刃物製作所 こだわりと技
「3代目の義父から、信頼が第一という職人の在り方を教わりました。安定した品質の刃物を作り続ける。それを当たり前にしていきたいです。」と話す。この実直な姿勢が、長年育んできた問屋への信頼に繋がっていることはもちろん、注文者のあらゆる希望に合わせ、理想の刃物を生み出す。久央さんが4代目として手がける包丁には、さらに円熟味が増していく。
思わず見惚れてしまうダマスカス模様の包丁。刃に広がる模様は1本1本異なり、美しさと丈夫さを兼ね備える。
うなぎ包丁(左)と鰹専門包丁(右)。注文者の手の大きさや切るものに応じて、さまざまな刃物を手がけている。
こちらは蛸引き包丁。高知県伝統の皿鉢料理に盛り付ける時にも使われる。長くて細い包丁で、刃先がとても繊細な1本。
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梶原務刃物製作所
▼事業所紹介動画
久央さんヒストリー
地元福岡県で、金物を取り扱う企業に勤めていた久央さん。結婚を機に、奥様の実家であった鍛冶屋の後継者として、28歳だった2004年に高知へ。当時を振り返って、「包丁を使うことには興味があったが、まさか自分が作り手になるとは想像もしていなかった」と話す。先代である義父の工程を「見て、マネして覚える」の繰り返し。コツコツと刃物を作る日々の中で徐々に感覚を掴み、技術を習得していった。2021年からは1人で工房を任されるようになり、「1人でやっていく責任感はありますし、今が自分の職人人生にとってターニングポイントです」と力強く話す。
先代から学んだこと
「信頼の大切さ」を強く学んだという久央さん。高級品を作ろうと気負うのではなく、「1丁1丁を丁寧に、使う方のことを想いながら、安定した品質を作り続けられること」が信頼につながると話す。日々の仕事に真摯に向き合い、長年信頼を築き上げてきたという自負が、山内さんのブレない芯となっている。
愛用者の声
「三徳包丁多層鋼
愛用」・家庭でご利用
群馬県在住・男性
贈答用にも喜ばれる大切な一丁に...
妻の出産祝いに購入して、プレゼントしました。切れ味も良く、今まで苦労していた鶏肉の皮も簡単に切ることができて、とても満足してくれています。名入れでは、親身に対応していただいて、他にはない自分たちだけの一丁になりました!
「三徳包丁多層鋼
愛用」・家庭でご利用
長野県在住・男性
切れ味の良さから下ごしらえもスイスイと楽しくなる♪
切れ味は抜群で、力を入れずに簡単に素材を調理できます。プロのような切り方が自分にもできるようになり、とてもびっくりしました!面倒だった料理の下ごしらえがスイスイ簡単で楽しくなりました。
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有限会社トヨクニ
▼事業所紹介動画
代表 濱口誠(はまぐちせい)さんヒストリー
この道40年の誠さん。3歳の頃から鉄に触れ、物心ついた時には工房が日常の景色だったそう。「小さい頃から工房が遊び場でしたね」と振り返る。高校卒業後、実家で刃物職人の道を本格的に歩み始める。「汗水流して頑張っている両親や祖父母を助けたい」という思いで、鍛造技術の習得に励んだ。その後、オリジナルブランドの立ち上げ、海外での出展に成功。さらに、CADデータから3Dプリンタで試作品の生成を行うなど、データ活用にも取り組んできた。精力的に事業領域を拡げながら、今日のトヨクニの土台は作り上げられていった。
忘れられないエピソード
「土佐打刃物を携えて、世界へ飛び込んでいったことですね」と話す誠さん。28歳の時に初めて挑戦したアメリカ(北アメリカ大陸)をはじめとして、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、オーストラリア、南アメリカ大陸の世界5大陸での展示会に出展。その当時、データ活用がすでに主流だった海外のモノづくりに、とても衝撃を受けたという。その後、日中は鍛冶師の仕事、夜はプログラミングをはじめ、デザインや経営を学ぶ日々を奔走。その結果、海外の展示会で数々の賞を受賞。誠さんの培った経験とデータを駆使したモノづくりが、世界で認められた瞬間だった。
一人前と呼ばれるには遠い道のりですが日々精進します!
有限会社トヨクニ
藤田 秀人さん(右)/高知市出身。
川島 拓さん(左)/安芸市出身。
自分の技術の成長を楽しみつつ、素材の能力を100%引き出せるよう取り組んでいる。
事業所について
1946年に創業以来、海外での受賞歴や海外の展示会への参加経験が多数。包丁をはじめ、アウトドアや狩猟用のナイフなど伝統的なモノづくりに加え、医療用メスの開発に携わるなど、新しい取り組みにも積極的。
トヨクニの挑戦は?
「伝統をデータで紐解き、時の流れを読むものづくり」です。トヨクニでは、海外で主流のデータ活用にいち早く取り組んできました。コンピューターを最大限に駆使して、型をとったら3Dプリンターで試作品を作ることも可能です。伝統を大切にしつつ、時代に合わせたものづくりを、今後もチームトヨクニで取り組んでいきます。
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有限会社トヨクニ
▼事業所紹介動画
代表 濱口誠(はまぐちせい)さんヒストリー
この道40年の誠さん。3歳の頃から鉄に触れ、物心ついた時には工房が日常の景色だったそう。「小さい頃から工房が遊び場でしたね」と振り返る。高校卒業後、実家で刃物職人の道を本格的に歩み始める。「汗水流して頑張っている両親や祖父母を助けたい」という思いで、鍛造技術の習得に励んだ。その後、オリジナルブランドの立ち上げ、海外での出展に成功。さらに、CADデータから3Dプリンタで試作品の生成を行うなど、データ活用にも取り組んできた。精力的に事業領域を拡げながら、今日のトヨクニの土台は作り上げられていった。
忘れられないエピソード
「土佐打刃物を携えて、世界へ飛び込んでいったことですね」と話す誠さん。28歳の時に初めて挑戦したアメリカ(北アメリカ大陸)をはじめとして、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、オーストラリア、南アメリカ大陸の世界5大陸での展示会に出展。その当時、データ活用がすでに主流だった海外のモノづくりに、とても衝撃を受けたという。その後、日中は鍛冶師の仕事、夜はプログラミングをはじめ、デザインや経営を学ぶ日々を奔走。その結果、海外の展示会で数々の賞を受賞。誠さんの培った経験とデータを駆使したモノづくりが、世界で認められた瞬間だった。
培ってきた伝統と、新技術を掛け合わせる
有限会社トヨクニ こだわりと技
トヨクニのモノづくりの秘訣は、長年培ってきた伝統の技とテクノロジー(設計データや3Dデバイス)の活用にある。そこから生まれる斬新なアイディアから、多彩な商品開発を進め、海外から注文も後を絶たない。代表の濱口誠さんは、1本1本に思いを込めながら「鉄を料理している感覚ですね」と笑顔で話す。
薪割り用の斧。無駄な力を使わずキレイに割れることができ、キャンプで大活躍!写真のとおり、刃に筋を入れるのは、安全祈願を込めて。
伝統と独自のデータ解析を掛け合わせた小型のナイフや、遊び心溢れるオリジナルのグッズも展開している。
上質な木材を使った柄に、世界を魅了する切れ味の狩猟用ナイフ。オーダーメイドのケースも注文可能で、自分好みにカスタムできる。
柄に模様を入れたチェッカー加工。デザイン性と、作業時に滑りにくい機能性を備えたオリジナル加工。
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有限会社トヨクニ
▼事業所紹介動画
代表 濱口誠(はまぐちせい)さんヒストリー
この道40年の誠さん。3歳の頃から鉄に触れ、物心ついた時には工房が日常の景色だったそう。「小さい頃から工房が遊び場でしたね」と振り返る。高校卒業後、実家で刃物職人の道を本格的に歩み始める。「汗水流して頑張っている両親や祖父母を助けたい」という思いで、鍛造技術の習得に励んだ。その後、オリジナルブランドの立ち上げ、海外での出展に成功。さらに、CADデータから3Dプリンタで試作品の生成を行うなど、データ活用にも取り組んできた。精力的に事業領域を拡げながら、今日のトヨクニの土台は作り上げられていった。
忘れられないエピソード
「土佐打刃物を携えて、世界へ飛び込んでいったことですね」と話す誠さん。28歳の時に初めて挑戦したアメリカ(北アメリカ大陸)をはじめとして、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、オーストラリア、南アメリカ大陸の世界5大陸での展示会に出展。その当時、データ活用がすでに主流だった海外のモノづくりに、とても衝撃を受けたという。その後、日中は鍛冶師の仕事、夜はプログラミングをはじめ、デザインや経営を学ぶ日々を奔走。その結果、海外の展示会で数々の賞を受賞。誠さんの培った経験とデータを駆使したモノづくりが、世界で認められた瞬間だった。
愛用者の声
40代 「渓流ナイフ
愛用」
東京都在住
切れ味の良さからわかるいままでと違うナイフ
メール、電話にて、相談しながらオーダーしました。柄のデザインをはじめ、使用用途などを伝え、滑り止めの加工もしていただきました。切れ味がとても良く、いままでの道具とは違うなと感じました!
50代 「柳刃包丁
愛用」
中国在住
理想の包丁へ要望に細やかに応えてくれる
SNSから購入しました。刃の材料、長さ、仕上方法 柄の素材、デザイン等の要望を打ち合わせで注文したところ、3ヶ月後の到着。自分の理想の包丁が仕上り、とても満足してます。
60代 「アウトドアナイフ
愛用」
イタリア在住
魅了される美しさ一生涯の友として
用途はアウトドア時の料理、朝食のチーズのカットなど。そして主人の体格に合わせオーダーしました。主人の誕生日に合わせての到着。開封後、日本の刃物の綺麗さに魅了されました。一生涯の友として愛用していきます。
50代 「クラフト作業用ナイフ
愛用」
フランス在住
手に馴染む一振り切れ味と耐久性も大満足
フランスの展示会にて打ち合わせを行ない、切れ味と耐久性の良い刃物を注文。木工細工やアウトドアでも、切れ味が長く持続するので大満足です。革ケースも手に馴染む、ちょうど良い固さで気に入っています。
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明神利器製作所
▼事業所紹介動画
直人さんヒストリー
10代の頃から、夏休みに家の手伝いをすることもあった。そのため、仕事の内容も分かっていたことから、他の世界への好奇心などもあいまって、将来そのまま実家の工房に入るのは抵抗感を持っていた。それでも高校卒業後は、「やはり自分にはこの道かな」と思い直し、刃物の職人の世界へ。実家の工房に入って数年の20代前半、自身も仕事の幅を広げたい思いから、父のつてで福井県の工房へ修行に出た。そこでの親方や自分と歳が変わらないくらいの若手の職人達との出会いが転機に。「親方の技術に圧倒されて、何とか食らいついていく毎日でした」と振り返る。3年間の福井県での修行で、新しい技術を身につけた直人さん。その後実家の工房に戻り、培った経験を生かしながら、現在に至る。
忘れられないエピソード
「今はこの仕事に就けてよかったです」と笑顔で話す直人さん。仕事が好きになったきっかけは、友人の包丁の研ぎ直し。「今まで誰かに評価をしてもらった経験が少なかったので、研ぎ直した包丁を友人がすごい喜んでくれて、研ぎ師として一気にやりがいを感じました」と話す。この経験が、刃物づくりにおいて"使う人"を意識するようになった瞬間であり、これまで以上に自ら考えて試行錯誤をするように「仕事への姿勢」が変わったきっかけとなった。
研ぎのプロフェッショナルとして高みを目指したい!
明神利器製作所
二代目明神 直人さん/須崎市出身。
刃物の産地・福井県で修行後、家業を継ぐ。自社ブランドも手がけ、活動の幅を広げる。
事業所について
堺で修行し、須崎市で開業した祖父の鍛造工房。そこから、直人さんの父が研ぎの工房として独立したのが「明神利器製作所」のはじまり。その高い品質から、近年は海外からの発注も多い。直人さんの代から自社ブランド「鉄人刃物ラボ」も立ち上げる。
直人さんの挑戦は?
「研ぎのプロフェッショナル」としてもっと成長したいですね
。刃先が薄いとよく切れますが、薄さに気を取られると刃先が脆くなるので、薄さのバランスを意識して研いでいます。お客様や取引先の方々の要望に出来る限り応え「買って良かった」と感じてもらえる、値段以上の品質で応えたいです。
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明神利器製作所
▼事業所紹介動画
直人さんヒストリー
10代の頃から、夏休みに家の手伝いをすることもあった。そのため、仕事の内容も分かっていたことから、他の世界への好奇心などもあいまって、将来そのまま実家の工房に入るのは抵抗感を持っていた。それでも高校卒業後は、「やはり自分にはこの道かな」と思い直し、刃物の職人の世界へ。実家の工房に入って数年の20代前半、自身も仕事の幅を広げたい思いから、父のつてで福井県の工房へ修行に出た。そこでの親方や自分と歳が変わらないくらいの若手の職人達との出会いが転機に。「親方の技術に圧倒されて、何とか食らいついていく毎日でした」と振り返る。3年間の福井県での修行で、新しい技術を身につけた直人さん。その後実家の工房に戻り、培った経験を生かしながら、現在に至る。
忘れられないエピソード
「今はこの仕事に就けてよかったです」と笑顔で話す直人さん。仕事が好きになったきっかけは、友人の包丁の研ぎ直し。「今まで誰かに評価をしてもらった経験が少なかったので、研ぎ直した包丁を友人がすごい喜んでくれて、研ぎ師として一気にやりがいを感じました」と話す。この経験が、刃物づくりにおいて"使う人"を意識するようになった瞬間であり、これまで以上に自ら考えて試行錯誤をするように「仕事への姿勢」が変わったきっかけとなった。
美しさと使いやすさを追求した、こだわりの一振りを。
明神利器製作所 こだわりと技
堺にルーツを持つ明神利器製作所は、両刃仕上げが多い高知では珍しく、堺で主流の片刃仕上げを得意としてきた。そんな中、直人さんは「越前打刃物」で有名な福井県で修行し、「蛤刃(はまぐりば)」の研ぎ方を習得。刃先に向かって丸みを持たせ、絶妙な厚みで仕上げる両刃の研ぎで「うちで出来るのは自分だけ」と語る直人さん得意の仕上げ方だ。「時々、こだわりすぎかな」と自身が苦笑するほどの熱意は、直人さんの手がける包丁に表れている。
近年、海外の富裕層が多く買い求める高級な一振りも。切れ味はもちろん、芸術的な造形美を兼ね備える。
研ぎ職人としての技術は、国内外から高い評価を受ける。近年は製品に「直人作」という銘を入れて取り扱ってくれる問屋も!
自社ブランド「鉄人刃物ラボ」を立ち上げる。工房を拡張し、鍛造から仕上げまで社内で一貫して行っている。
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明神利器製作所
▼事業所紹介動画
直人さんヒストリー
10代の頃から、夏休みに家の手伝いをすることもあった。そのため、仕事の内容も分かっていたことから、他の世界への好奇心などもあいまって、将来そのまま実家の工房に入るのは抵抗感を持っていた。それでも高校卒業後は、「やはり自分にはこの道かな」と思い直し、刃物の職人の世界へ。実家の工房に入って数年の20代前半、自身も仕事の幅を広げたい思いから、父のつてで福井県の工房へ修行に出た。そこでの親方や自分と歳が変わらないくらいの若手の職人達との出会いが転機に。「親方の技術に圧倒されて、何とか食らいついていく毎日でした」と振り返る。3年間の福井県での修行で、新しい技術を身につけた直人さん。その後実家の工房に戻り、培った経験を生かしながら、現在に至る。
忘れられないエピソード
「今はこの仕事に就けてよかったです」と笑顔で話す直人さん。仕事が好きになったきっかけは、友人の包丁の研ぎ直し。「今まで誰かに評価をしてもらった経験が少なかったので、研ぎ直した包丁を友人がすごい喜んでくれて、研ぎ師として一気にやりがいを感じました」と話す。この経験が、刃物づくりにおいて"使う人"を意識するようになった瞬間であり、これまで以上に自ら考えて試行錯誤をするように「仕事への姿勢」が変わったきっかけとなった。
愛用者の声
刃物卸販売専門業・代表
東京都
ほんの小さな研ぎの差も妥協しないその姿勢も魅力の一つ
当社は世界中の包丁店に包丁を卸す仕事をしています。その中でも明神さんの包丁は、質の良い料理包丁として世界中の使い手に喜ばれています。商品を届けてくれる度に、何か改善点はないかと連絡をくれます。包丁は、その機能の大部分が判断の難しい小さな研ぎの差に隠されています。そんな包丁作りへの姿勢は「今後もずっと明神さんの包丁を販売していきたいな」という気持ちにさせてくれます。
刃物専門問屋・代表
大阪府
細部にまでこだわる飽くなき探究心による最先端のものづくり
明神さんは非常に卓越した研ぎ技術・研磨技術を持つ若手職人の一人だと思います。包丁の磨きにも強いこだわりを感じ、磨きの美しさが他とは違い、「宝飾品」を手にしたときのような満足感があります。今よりもっと良い品質の包丁を作るために、研究熱心な姿勢は常に前のめりで、様々な手法・技法を取り入れながら最先端のモノづくりを提供してくれます。
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笹岡鋏製作所
▼事業所紹介動画
笹岡悟さんヒストリー
この道25年以上の悟さん。大学を出て、一度は企業に就職。結婚、第一子が生まれた25歳の時に自分を見つめ直し、父に弟子入りをお願いして職人の道へ。意志を持って職人の道へ進むものの、はじめの10年は、ひたすら目の前の仕事をこなしていく感覚だった。35歳のとき、所属していた商工会青年部のイベントに出店した際に変化が訪れる。それまで利用者との接点がなくあまり意識できていなかったが、身近な先輩や仲間が自分の作った製品を購入してくれた時に、初めて使う人の気持ちになって考えることができ、「もっと品質にこだわりたいと強く感じた」という。この時に芽生えた感情は、現在のものづくりの姿勢にも垣間見える。
忘れられないエピソード
県外のイベントに出店した際、1人の女性が「柄の水玉模様がいいですね」とオリジナルデザイン包丁を見て立ち止まってくれ、会話が生まれた。その方が後からHPで丁寧なご連絡と包丁の注文をしてくれた上に、追加で鋏の研ぎ直しの依頼までいただき、うれしさで震えたとのこと。出店やチラシ作り、ブログやネット販売といった悟さんの取り組みの1つ1つが実を結ぶような、「それまで点と点だったものが線で繋がる感覚だった」と話す。お客様と繋がることの大切さを感じた出来事だ。
次世代へ繋ぐ!職人を稼げる生業に
笹岡鋏製作所
二代目笹岡 悟さん/いの町出身。
頭に巻いたタオルがトレードマーク。幼い頃、作業中の父の背中で寝ていたことも。
事業所について
土佐打刃物でも唯一の鋏鍛治として創業50年を数える。培ってきた伝統技術の高さから、手がける生花鋏をはじめ、植木鋏や刈込鋏は、全国の職人から注文が入る。
悟さんの挑戦は?
「次世代の職人のために、稼げる仕事(鍛冶屋)にすること」です。そのために、お客様1人1人と直接繋がることを大切にし、SNSやブログでの発信、イベントへの出店を続けています。イベント出店した際にお話した方から、のちにネットでご注文をいただいた時は、改めて繋がりが大切だと実感しましたね。
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笹岡鋏製作所
▼事業所紹介動画
笹岡悟さんヒストリー
この道25年以上の悟さん。大学を出て、一度は企業に就職。結婚、第一子が生まれた25歳の時に自分を見つめ直し、父に弟子入りをお願いして職人の道へ。意志を持って職人の道へ進むものの、はじめの10年は、ひたすら目の前の仕事をこなしていく感覚だった。35歳のとき、所属していた商工会青年部のイベントに出店した際に変化が訪れる。それまで利用者との接点がなくあまり意識できていなかったが、身近な先輩や仲間が自分の作った製品を購入してくれた時に、初めて使う人の気持ちになって考えることができ、「もっと品質にこだわりたいと強く感じた」という。この時に芽生えた感情は、現在のものづくりの姿勢にも垣間見える。
忘れられないエピソード
県外のイベントに出店した際、1人の女性が「柄の水玉模様がいいですね」とオリジナルデザイン包丁を見て立ち止まってくれ、会話が生まれた。その方が後からHPで丁寧なご連絡と包丁の注文をしてくれた上に、追加で鋏の研ぎ直しの依頼までいただき、うれしさで震えたとのこと。出店やチラシ作り、ブログやネット販売といった悟さんの取り組みの1つ1つが実を結ぶような、「それまで点と点だったものが線で繋がる感覚だった」と話す。お客様と繋がることの大切さを感じた出来事だ。
プロも御用達、手作業による造形美が光る
笹岡鋏製作所 こだわりと技
手がける製品の特徴は、刃の裏側をへこませる「裏すき」や、細やかな研ぎ方にこだわる「刃付け」。ひとつひとつの丁寧な工程が、道具の使い勝手を高める。近年では、見た目もおしゃれで、木の温かみを感じるオリジナル包丁も開発。伝統を身につけているからこそ、独自性が生まれてくるといった悟さんならではの工夫が随所に光り、若い世代からも注目される。
造園家や植木職人に口コミで広がり、全国に愛用者が増加中の植木鋏。細かい要望にも柔軟に応える。
デザイナーや家具職人とコラボレーションして製作されたオリジナルの「hasamiya」ブランドの包丁。
開きは軽く、安定した握り込みに、鮮やかな切れ味の「生花鋏」。こちらもサイズや形などオーダーメイドが可能だ。
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笹岡鋏製作所
▼事業所紹介動画
笹岡悟さんヒストリー
この道25年以上の悟さん。大学を出て、一度は企業に就職。結婚、第一子が生まれた25歳の時に自分を見つめ直し、父に弟子入りをお願いして職人の道へ。意志を持って職人の道へ進むものの、はじめの10年は、ひたすら目の前の仕事をこなしていく感覚だった。35歳のとき、所属していた商工会青年部のイベントに出店した際に変化が訪れる。それまで利用者との接点がなくあまり意識できていなかったが、身近な先輩や仲間が自分の作った製品を購入してくれた時に、初めて使う人の気持ちになって考えることができ、「もっと品質にこだわりたいと強く感じた」という。この時に芽生えた感情は、現在のものづくりの姿勢にも垣間見える。
忘れられないエピソード
県外のイベントに出店した際、1人の女性が「柄の水玉模様がいいですね」とオリジナルデザイン包丁を見て立ち止まってくれ、会話が生まれた。その方が後からHPで丁寧なご連絡と包丁の注文をしてくれた上に、追加で鋏の研ぎ直しの依頼までいただき、うれしさで震えたとのこと。出店やチラシ作り、ブログやネット販売といった悟さんの取り組みの1つ1つが実を結ぶような、「それまで点と点だったものが線で繋がる感覚だった」と話す。お客様と繋がることの大切さを感じた出来事だ。
愛用者の声
40代・男性・植木職人 「植木鋏愛用」
高知県在住
オーダーメイドだからこそ実現自分だけの理想の鋏
高知県、そして四国で唯一の鋏鍛治屋さんです。オーダーメイドができるので、「自分に合った鋏を作りたい!」と思い、注文しました。研ぎなどのアフターケアも良くしてくれて、何より自分の理想の形を実現してくださり、とても満足してます。
50代・女性・華道家 「生花鋏愛用」
兵庫県在住
時が流れるにつれて感じる鋏を育てていく楽しさ
(使う中で)自分の鋏として育てていく楽しみがありますね。手打ちの花鋏を長年探していたので購入しました。鋏の切れ味の良さはもちろんですが、自分の手の延長のように感じる貴重な存在です。鋏だけでなく、ペティナイフも購入しました。
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手仕事の風景:2
取材の中で垣間見えた、何気ない1コマを切り取った。高知で育まれる伝統の魅力を表情や温度感から少しでも感じ取れたら。
①奥様と納品前の最終チェック中を行う明神利器製作所 直人さん。
②訪れた方々に研ぎ直しのレクチャーを行う黒鳥鍛造工場 弘資さん。
③先を見据えたものづくりに挑戦し続ける、有限会社トヨクニ 誠さんの真剣な瞳。
④熟練した技で鉄を鍛える梶原務刃物製作所 久央さん。一瞬一瞬の作業が勝負となる。
⑤1本の鋏が出来上がっていく過程が分かるよう並べてくれた笹岡鋏製作所 悟さん。
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熟練の技で生まれる上質な炭多彩な用途へ
土佐備長炭は、原料であるウバメガシをはじめとしたカシ類が豊富な高知県で、紀州備長炭の製法技術をベースに改良を加えながら、土佐ならではの高品質な炭として受け継がれてきた。燃焼が長時間続くという特徴から、食材をじっくり焼き上げることができるため、飲食店をはじめ、アウトドアシーンなどで重宝されている。完成した炭を打ち合わせると「キンッキンッ」と金属のような音が響く。完成までの作業は過酷を極め、煙の色や匂いなど五感で見極める熟練の技術を要する。近年は、不純物を吸着する炭の性質を活かし、浄水や食品などの分野にも商品展開が進んでいる。
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土佐備長炭 窯元 炭玄
▼事業所紹介動画
辰徳さんヒストリー
高校卒業後は、高知市内に就職。一度地元を離れたことで、改めて地区のお祭りなどを通じて、地域と深いつながりを持っていたことなどが思い出され、自分にとっての室戸市の大切さを感じたという。その後、室戸市の会社に転職。自身が室戸市で暮らす中で、帰省してくる友人・知人との会話では「仕事があったら戻ってくるけど」と言う人達も多くいると感じ始めた。徐々に自分で「人が残れることをやりたい」という思いが募り、模索する中で行き着いたのが室戸市の伝統産業である備長炭。中国が炭の輸出を禁止した記事を見つけ、当時日本国内シェアの大部分を占めていた中国産の炭が減るなら、需要が伸びるのでは、と確信めいた直感で備長炭をの世界に飛び込んだ。
忘れられないエピソード
事業の立ち上げを模索していた頃、備長炭に興味を持って初めて炭焼きの作業見学に行った時のこと。暗闇の中で、炭が赤く染まり、「キン、キン」と金属音のような備長炭独特の音がする現場の光景に目を奪われたという。強烈な印象とともに、備長炭の事業化を進める一歩になった体験と振り返る。
炭玄の取り組み
炭を中心とした事業の多角化をしている炭玄。炭を通じて培ったノウハウは多様で、例えば炭の原料となる木の伐採に精通していることので薪も扱える、あるいは炭玄鮮魚部があることで新鮮な食材の仕入れができること等を生かし、グランピング施設の運営、飲食業などさまざまなアプローチを行っている。最近では、廃業したゲストハウスを活用した宿泊業も展開。床下に炭を敷いたり、壁の塗料に炭を入れたり、炭を使った畳など炭の魅力詰まった「黒い家」を手がけている。
室戸に暮らしたい人が、暮らせるように
土佐備長炭 窯元 炭玄
黒岩 辰徳さん/室戸市出身。
「地元に人が残れることをやりたい」と創業し、炭を中心に事業を多角化。
事業所について
自身で事業を手がけたいと模索する中、室戸市に根付く土佐備長炭の伝統と、炭産業を取り巻く状況に着目し「炭玄」を創業。独自の等級基準を設けた高品質な備長炭の提供をはじめ、生活雑貨としての炭製品など幅広く手がけている。
辰徳さんの挑戦は?
「室戸に暮らしたい人が暮らせるようにすること」です。室戸市にあるもの(資源)を、仕事に変えて取り組んできたのが今の炭事業です。炭の特性や炭事業で培ったノウハウを生かして、飲食や宿泊などさまざまな分野へのアプローチにも挑戦していきながら、地域を真っ黒に盛り上げていきたいです!
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土佐備長炭 窯元 炭玄
▼事業所紹介動画
辰徳さんヒストリー
高校卒業後は、高知市内に就職。一度地元を離れたことで、改めて地区のお祭りなどを通じて、地域と深いつながりを持っていたことなどが思い出され、自分にとっての室戸市の大切さを感じたという。その後、室戸市の会社に転職。自身が室戸市で暮らす中で、帰省してくる友人・知人との会話では「仕事があったら戻ってくるけど」と言う人達も多くいると感じ始めた。徐々に自分で「人が残れることをやりたい」という思いが募り、模索する中で行き着いたのが室戸市の伝統産業である備長炭。中国が炭の輸出を禁止した記事を見つけ、当時日本国内シェアの大部分を占めていた中国産の炭が減るなら、需要が伸びるのでは、と確信めいた直感で備長炭をの世界に飛び込んだ。
忘れられないエピソード
事業の立ち上げを模索していた頃、備長炭に興味を持って初めて炭焼きの作業見学に行った時のこと。暗闇の中で、炭が赤く染まり、「キン、キン」と金属音のような備長炭独特の音がする現場の光景に目を奪われたという。強烈な印象とともに、備長炭の事業化を進める一歩になった体験と振り返る。
炭玄の取り組み
炭を中心とした事業の多角化をしている炭玄。炭を通じて培ったノウハウは多様で、例えば炭の原料となる木の伐採に精通していることので薪も扱える、あるいは炭玄鮮魚部があることで新鮮な食材の仕入れができること等を生かし、グランピング施設の運営、飲食業などさまざまなアプローチを行っている。最近では、廃業したゲストハウスを活用した宿泊業も展開。床下に炭を敷いたり、壁の塗料に炭を入れたり、炭を使った畳など炭の魅力詰まった「黒い家」を手がけている。
高品質な炭を生かした、多彩な商品展開を実現
土佐備長炭 窯元
炭玄 こだわりと技
作業や道具のことを知れば知るほど、伝統的な技術、長年培ってきた経験など、「マニュアル化できない仕事」ということに気づいた辰徳さん。そして、この道何十年の先輩の職人達に追い付くのは並大抵のことではないと思うように。そこで、「釜から出た瞬間(の品質)は一番じゃなくとも、お客様に届く時には一番にしたい」と品質の等級基準をより厳しくし、他社との差別化を図ることで、より上質な炭商品の提供にこだわる。
長時間の燃焼が特徴の土佐備長炭。品質にこだわった備長炭は、じっくりと旨みを凝縮して焼き上げられるため、県内外の飲食店などから注文が絶えない。
飲料水に入れる浄水炭。炭の吸着作用によって水質を浄化し、お手軽に美味しい水を家庭で飲めるように!
炭パウダーの練り込んだ「黒うどん」を開発。デトックス効果が期待できる炭を食べ物として取り入れてもらおうと、食品も積極的に手がける。
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土佐備長炭 窯元 炭玄
▼事業所紹介動画
辰徳さんヒストリー
高校卒業後は、高知市内に就職。一度地元を離れたことで、改めて地区のお祭りなどを通じて、地域と深いつながりを持っていたことなどが思い出され、自分にとっての室戸市の大切さを感じたという。その後、室戸市の会社に転職。自身が室戸市で暮らす中で、帰省してくる友人・知人との会話では「仕事があったら戻ってくるけど」と言う人達も多くいると感じ始めた。徐々に自分で「人が残れることをやりたい」という思いが募り、模索する中で行き着いたのが室戸市の伝統産業である備長炭。中国が炭の輸出を禁止した記事を見つけ、当時日本国内シェアの大部分を占めていた中国産の炭が減るなら、需要が伸びるのでは、と確信めいた直感で備長炭をの世界に飛び込んだ。
忘れられないエピソード
事業の立ち上げを模索していた頃、備長炭に興味を持って初めて炭焼きの作業見学に行った時のこと。暗闇の中で、炭が赤く染まり、「キン、キン」と金属音のような備長炭独特の音がする現場の光景に目を奪われたという。強烈な印象とともに、備長炭の事業化を進める一歩になった体験と振り返る。
炭玄の取り組み
炭を中心とした事業の多角化をしている炭玄。炭を通じて培ったノウハウは多様で、例えば炭の原料となる木の伐採に精通していることので薪も扱える、あるいは炭玄鮮魚部があることで新鮮な食材の仕入れができること等を生かし、グランピング施設の運営、飲食業などさまざまなアプローチを行っている。最近では、廃業したゲストハウスを活用した宿泊業も展開。床下に炭を敷いたり、壁の塗料に炭を入れたり、炭を使った畳など炭の魅力詰まった「黒い家」を手がけている。
愛用者の声
40代・男性・植木職人 「植木鋏
愛用」
高知県在住
オーダーメイドだからこそ実現自分だけの理想の鋏
高知県、そして四国で唯一の鋏鍛治屋さんです。オーダーメイドができるので、「自分に合った鋏を作りたい!」と思い、注文しました。研ぎなどのアフターケアも良くしてくれて、何より自分の理想の形を実現してくださり、とても満足してます。
50代・女性・華道家 「生花鋏
愛用」
兵庫県在住
時が流れるにつれて感じる鋏を育てていく楽しさ
(使う中で)自分の鋏として育てていく楽しみがありますね。手打ちの花鋏を長年探していたので購入しました。鋏の切れ味の良さはもちろんですが、自分の手の延長のように感じる貴重な存在です。鋏だけでなく、ペティナイフも購入しました。
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生活に寄り添って変化安芸市の誇る民陶の現在
約200年の歴史を誇り、安芸市で発展した陶芸は、木灰やワラ灰を原料とした釉薬(ゆうやく)を使った温かみのある風合いで、手がける職人によって色味や表情を変える。昭和の初期までは水がめなど大型の焼き物を作っていたが、生活様式の変化とともに需要が減少。そんな中、昭和40年代に京都から来た3人の若手陶芸家によって、数々の陶芸作品が生み出され、新たな時代を築いてきた。現在は、手びねりや絵付けなど焼き物づくりの体験をはじめ、他業種とのコラボレーションなど、この地で生まれた伝統を守るともに、新しい「内原野焼(うちはらのやき)」の可能性を切り拓いている。
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株式会社 陽和工房(内原野陶芸館)
▼事業所紹介動画
出さんヒストリー
幼い頃から、先代の父の姿を見てきた出さん。大学卒業後、職人の道へ進むにあたっては、(癖がつかないよう)他の窯元へは行かず、内原野焼きで修行開始。陶芸の世界では「土練り3年、ろくろ10年」という言葉があるが、必要な技術を身につけるには長い年月を要すると言われた。実際、出さんもはじめは「自分の焼き物は仕事になっていない」というもどかしさを抱えていたという。「形を作るだけなら、時間はそんなにかからない。ただ本質を理解するにはそれくらい必要だったかもしれない」と振り返る出さん。自身も、若い頃は先輩達を真似て「薄くて軽い」焼き物を作ろうとしたが、形は整ってもどこか貧弱な仕上がりになっていたのだとか。熟練の職人には、薄さや軽さに強さが共存しており、自分に足りないものは何かと試行錯誤した日々だったという。時間はかかったが、30歳過ぎから始めた空手の影響もあってか、手だけでなく、体全体で作る感覚を身につけ、近年は力強さが出てきたと感じるのだそう。経験を重ね、高知県展特選をはじめ、県内外の工芸展での数々の実績、「土佐の匠」への認定など、その技術は高く評価されている。熟達の職人となった今なお、「まだ上達している感覚がある」と語る。
忘れられないエピソード
先代の父・滋さんからは口うるさく指導されることはなかったが、30代の頃出展作品の製作中に「真剣にやらないと通用しないぞ」と言われたことが忘れられない、と語る。自分としては一生懸命やっていたつもりだったが、作品作りに何か妥協があったのか…、これを機に気持ちや向き合い方が変わった感覚があったのだそう。そういった経験もあってか、これまで賞をもらって技術が認められた時は率直に嬉しかったと目を細める。
大切にされている思い
父・滋さんからは「伝統は、過去じゃなく、未来を守ることを考えてやれ」と言われてきた。よく、「〇〇離れ」という言葉があるが、もしかしたら伝統工芸は一回もくっついていないかもしれない、と感じるのだとか。離れたものを戻すのと、0から知ってもらうのは違う。出さんはそう考え、新しいエッセンスを取り入れた焼き物づくりや、他分野の職人とのコラボレーションにも取り組んでいるのだという。これまで続けてきた陶芸体験や陶芸教室を軸に、福祉や教育といった分野とも交流していきたいと語るのも、「未来を守る」ための挑戦だ。
陶芸の奥行を追及するそして陶芸体験の新たな可能性を
陽和工房
二代目西邨 出さん/安芸市出身。
30歳から10年ほど続けた空手をきっかけに、作品に力強さが加わった。
事業所について
約200年の歴史を持つ安芸市の内原野焼き。昭和に入り、内原野焼きの復興・発展のために京都からやってきた父の滋さんが「陽和工房」の初代を務めた。現在は二代目の出さんが、陽和工房が運営する内原野陶芸館で、陶芸教室や焼き物体験の指導も行う。
出さんの挑戦は?
「陶芸の奥行を追及し、陶芸体験の新たな可能性を探ること」です。陶芸を、教室や観光の体験と結びつけて取り組んできました。さらにレジャーとしての体験だけでなく、教育や福祉など陶芸を通じて様々な役割に挑戦していきたいです。
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株式会社 陽和工房(内原野陶芸館)
▼事業所紹介動画
出さんヒストリー
幼い頃から、先代の父の姿を見てきた出さん。大学卒業後、職人の道へ進むにあたっては、(癖がつかないよう)他の窯元へは行かず、内原野焼きで修行開始。陶芸の世界では「土練り3年、ろくろ10年」という言葉があるが、必要な技術を身につけるには長い年月を要すると言われた。実際、出さんもはじめは「自分の焼き物は仕事になっていない」というもどかしさを抱えていたという。「形を作るだけなら、時間はそんなにかからない。ただ本質を理解するにはそれくらい必要だったかもしれない」と振り返る出さん。自身も、若い頃は先輩達を真似て「薄くて軽い」焼き物を作ろうとしたが、形は整ってもどこか貧弱な仕上がりになっていたのだとか。熟練の職人には、薄さや軽さに強さが共存しており、自分に足りないものは何かと試行錯誤した日々だったという。時間はかかったが、30歳過ぎから始めた空手の影響もあってか、手だけでなく、体全体で作る感覚を身につけ、近年は力強さが出てきたと感じるのだそう。経験を重ね、高知県展特選をはじめ、県内外の工芸展での数々の実績、「土佐の匠」への認定など、その技術は高く評価されている。熟達の職人となった今なお、「まだ上達している感覚がある」と語る。
忘れられないエピソード
先代の父・滋さんからは口うるさく指導されることはなかったが、30代の頃出展作品の製作中に「真剣にやらないと通用しないぞ」と言われたことが忘れられない、と語る。自分としては一生懸命やっていたつもりだったが、作品作りに何か妥協があったのか…、これを機に気持ちや向き合い方が変わった感覚があったのだそう。そういった経験もあってか、これまで賞をもらって技術が認められた時は率直に嬉しかったと目を細める。
大切にされている思い
父・滋さんからは「伝統は、過去じゃなく、未来を守ることを考えてやれ」と言われてきた。よく、「〇〇離れ」という言葉があるが、もしかしたら伝統工芸は一回もくっついていないかもしれない、と感じるのだとか。離れたものを戻すのと、0から知ってもらうのは違う。出さんはそう考え、新しいエッセンスを取り入れた焼き物づくりや、他分野の職人とのコラボレーションにも取り組んでいるのだという。これまで続けてきた陶芸体験や陶芸教室を軸に、福祉や教育といった分野とも交流していきたいと語るのも、「未来を守る」ための挑戦だ。
暮らしの中で心地よく使える、内原野焼きの今
陽和工房 こだわりと技
定番商品はなく、「オーダーメイドで一つ一つの器をきっちり仕上げる」という意識で器づくりに向き合う出さん。陶芸の世界では「45歳までは新人」と呼ばれるほど、道は長く、出さん自身、経験を重ねた今なお上達している感覚があるのだとか。形を整える、やり方を覚えるだけでなく、本質を理解するまでには長い年月をかけて培ったのだという。「陶芸品には、その職人の経験や培ってきた感性が現れるのかもしれない」と語る。
美しい佇まいに目を奪われるが、「高価なものとして飾るというより、日常的に心地よく使ってほしい」という思いが込められている。
お洒落なリム皿は、昔ながらの「とびかんな」という技法で制作。昔の技術を今の感覚で取り入れた一品だ。
奥行きを感じる色合い。陶芸品に色を付ける釉薬は、オリジナルの調合だ。
主張しすぎない内原野焼きの器には、素朴な風合いながら親しみがある。口当たりの心地よさも抜群。
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株式会社 陽和工房(内原野陶芸館)
▼事業所紹介動画
出さんヒストリー
幼い頃から、先代の父の姿を見てきた出さん。大学卒業後、職人の道へ進むにあたっては、(癖がつかないよう)他の窯元へは行かず、内原野焼きで修行開始。陶芸の世界では「土練り3年、ろくろ10年」という言葉があるが、必要な技術を身につけるには長い年月を要すると言われた。実際、出さんもはじめは「自分の焼き物は仕事になっていない」というもどかしさを抱えていたという。「形を作るだけなら、時間はそんなにかからない。ただ本質を理解するにはそれくらい必要だったかもしれない」と振り返る出さん。自身も、若い頃は先輩達を真似て「薄くて軽い」焼き物を作ろうとしたが、形は整ってもどこか貧弱な仕上がりになっていたのだとか。熟練の職人には、薄さや軽さに強さが共存しており、自分に足りないものは何かと試行錯誤した日々だったという。時間はかかったが、30歳過ぎから始めた空手の影響もあってか、手だけでなく、体全体で作る感覚を身につけ、近年は力強さが出てきたと感じるのだそう。経験を重ね、高知県展特選をはじめ、県内外の工芸展での数々の実績、「土佐の匠」への認定など、その技術は高く評価されている。熟達の職人となった今なお、「まだ上達している感覚がある」と語る。
忘れられないエピソード
先代の父・滋さんからは口うるさく指導されることはなかったが、30代の頃出展作品の製作中に「真剣にやらないと通用しないぞ」と言われたことが忘れられない、と語る。自分としては一生懸命やっていたつもりだったが、作品作りに何か妥協があったのか…、これを機に気持ちや向き合い方が変わった感覚があったのだそう。そういった経験もあってか、これまで賞をもらって技術が認められた時は率直に嬉しかったと目を細める。
大切にされている思い
父・滋さんからは「伝統は、過去じゃなく、未来を守ることを考えてやれ」と言われてきた。よく、「〇〇離れ」という言葉があるが、もしかしたら伝統工芸は一回もくっついていないかもしれない、と感じるのだとか。離れたものを戻すのと、0から知ってもらうのは違う。出さんはそう考え、新しいエッセンスを取り入れた焼き物づくりや、他分野の職人とのコラボレーションにも取り組んでいるのだという。これまで続けてきた陶芸体験や陶芸教室を軸に、福祉や教育といった分野とも交流していきたいと語るのも、「未来を守る」ための挑戦だ。
愛用者の声
50代・一般女性 「 コーヒーカップ&ソーサー
愛用」
高知県在住
洗練されたデザインと使いやすさ
土佐酒器の「可杯※」がモチーフとのことですが、質感や刷毛目模様もモダンで、北欧食器とも良く合います。この器で珈琲に限らずデザートなど頂くと、美味しさ倍増です。主婦としては、重ねて収納出来る点も有り難く、お気に入りです!
40代・飲食店事業者 「オーダーメイド製品
愛用」
高知県在住
料理を引き立てる唯一無二の風合い
独特な風合いを醸し出す唯一無二の感じが良いですね。落ち着いた色合いで、料理にすごい合いますし、オーダーメイドで、さまざまな形や大きさの食器を使っています。
40代・一般男性 「炭化焼成 湯呑み
愛用」
高知県在住
手に持つとより分かる技術の高さと手触りの良さ
見た目はとても男らしくかっこいいですね。ろくろでかなり薄くひかれているので陶器と思えないほど軽く、技術の高さが分かります。手触りも炭化焼成の為か、ザラつくのに手に吸い付くように感じます。
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思いをのせて日常ではためくフラフ
フラフとは、子の健やかな成長を願い、名前を書き込んだ一品ものとして、こいのぼりと一緒に立てられる旗のこと。鮮やかな色使いが青空に映え、5月晴れにはためく高知の原風景として馴染みが深い。香美市では物部川の豊かな水を生かした染物が盛んで、最盛期には十数軒の工房が軒を並べてフラフがはためいていた。同じものが2つとない職人による手作り品は、大漁旗やよさこいのチーム旗をはじめ、「フラフが日常的にも取り入れられるように」と、室内でも楽しめるタペストリーなども作られている。土佐の伝統的な原風景は、時代の移り変わりとともに日々の中で脈々と生きている。
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三谷染物有限会社
▼事業所紹介動画
泰清さんヒストリー
幼い頃からフラフ作りを手伝っていた泰清さん。最初は見よう見まねで父の仕事を一部手伝い、27歳くらいから自身で筆を持ち始めた。湿度や染料の固さの状態に合わせた繊細な手作業は、慣れるのにとても苦労したという。その後、「香美市で120年続く伝統を終わらせるわけにはいかない」と決意し、工房を父から受け継ぐ。ライフスタイルの変化により、屋内でも飾ることのできるミニフラフやトートバッグなど時代に合わせた商品作りといった柔軟な発想も取り入れている。
忘れられないエピソード
「すべてのお客様とのやりとり、ひとつひとつが忘れられないエピソードですね」と話す泰清さん。以前、泰清さんのフルネームを入れてほしいと依頼されたこともあり、「職人にとって自身の名前を入れることはとても誇らしいことですし、より責任感も増しましたね」と当時を振り返る。さまざまなエピソードが泰清さんの現在のフラフ作りに生きている。
新しい家族に寄り添う希望をのせたフラフを!
三谷染物有限会社
四代目三谷 泰清さん/香美市出身。
祖父や父がしてくれたように、2人の息子にオリジナルのフラフを制作。
事業所について
工房の近くを流れる物部川の豊富な水源を生かし、フラフやのぼりをはじめとする、節句の商品を手がけてきた三谷染物。近年は、室内で飾れるミニフラフやタペストリーといった新たな商品開発を行う。
泰清さんの挑戦は?
「新しい家族へ希望を込めた、そして期待を超えるフラフを作ること」です。1枚1枚手作業による描き染めで、鮮やかな色合いに仕上げていくフラフは、五月晴れの空に豪快かつ爽快にはためきます。子が健康でたくましく育ってほしいとの思いを込められるフラフは、まさに希望の象徴なんです。
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三谷染物有限会社
▼事業所紹介動画
泰清さんヒストリー
幼い頃からフラフ作りを手伝っていた泰清さん。最初は見よう見まねで父の仕事を一部手伝い、27歳くらいから自身で筆を持ち始めた。湿度や染料の固さの状態に合わせた繊細な手作業は、慣れるのにとても苦労したという。その後、「香美市で120年続く伝統を終わらせるわけにはいかない」と決意し、工房を父から受け継ぐ。ライフスタイルの変化により、屋内でも飾ることのできるミニフラフやトートバッグなど時代に合わせた商品作りといった柔軟な発想も取り入れている。
忘れられないエピソード
「すべてのお客様とのやりとり、ひとつひとつが忘れられないエピソードですね」と話す泰清さん。以前、泰清さんのフルネームを入れてほしいと依頼されたこともあり、「職人にとって自身の名前を入れることはとても誇らしいことですし、より責任感も増しましたね」と当時を振り返る。さまざまなエピソードが泰清さんの現在のフラフ作りに生きている。
大空にはためく鮮やかな色、身近なシーンでも映える。
三谷染物有限会社 こだわりと技
「5月の紺碧(こんぺき)の空にはためく、フラフの爽快感や豪快感はたまりませんね」とフラフの魅力を語る泰清さん。刷毛の細さを調整しながら、手書き染めゆえに、1枚として同じものは存在しない。「フラフに描かれる顔は命です」と話し、筆致に凛々しさ・勇敢さを表現。そして、空に映える鮮やかな色合いは、創業当時から変わらず今も引き継がれている。
庭に柱を立ててあげるフラフ。月日とともに、馴染むように褪せた色合いもまた魅力。オーダーで希望のサイズや、描く絵について相談ができる。
フラフに描く絵をプリントしたトートバック。伝統の技をより身近に取り込める商品。鮮やかな色合いが、気分をワントーン上げてくれる。
室内やベランダで飾れる「ミニフラフ」。気軽に飾れて"映える"ため、近年は人気が高まっている。
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三谷染物有限会社
▼事業所紹介動画
泰清さんヒストリー
幼い頃からフラフ作りを手伝っていた泰清さん。最初は見よう見まねで父の仕事を一部手伝い、27歳くらいから自身で筆を持ち始めた。湿度や染料の固さの状態に合わせた繊細な手作業は、慣れるのにとても苦労したという。その後、「香美市で120年続く伝統を終わらせるわけにはいかない」と決意し、工房を父から受け継ぐ。ライフスタイルの変化により、屋内でも飾ることのできるミニフラフやトートバッグなど時代に合わせた商品作りといった柔軟な発想も取り入れている。
忘れられないエピソード
「すべてのお客様とのやりとり、ひとつひとつが忘れられないエピソードですね」と話す泰清さん。以前、泰清さんのフルネームを入れてほしいと依頼されたこともあり、「職人にとって自身の名前を入れることはとても誇らしいことですし、より責任感も増しましたね」と当時を振り返る。さまざまなエピソードが泰清さんの現在のフラフ作りに生きている。
愛用者の声
70代・一般男性「ミニフラフ 桃太郎宝車
愛用」
高知県在住
期待を越えたい!という職人の思いが込もる
孫に名前入りでプレゼントしたいと思って注文しました。最初の電話対応から素晴らしく、細かい要望を全て叶えてくれて、(孫に)お披露目したらとても喜んでくれました。感謝でいっぱいですね。
60代・一般男性「二布フラフ 金太郎鯉だき
愛用」
秋田県在住
大人から赤ちゃんまで幸せな気持ちになるフラフ
HPを拝見した際に、フラフの絵柄に惹かれたのがきっかけで、購入しました。大きさも丁度良く、色鮮やかで素晴らしいです。両家も喜んでくれましたし、主役の赤ちゃんが金太郎の童話をDVDで観ていたので、声を出して喜んでくれました。
50
暮らしに取り入れたくなる住空間に馴染む土佐凧
力強い墨の線と鮮やかな染色が特徴で、青空に映えるように舞う「土佐凧(とさだこ)」。厚手の丈夫な手漉きの土佐和紙と竹ひごで作るシンプルな構造だ。県内で唯一、吉川毅さんが技術を継承し、描くのも組み立てるのもすべて手作業。金太郎、鶴、干支などさまざまなデザインがあり、サイズも豊富。子どもの誕生や節句を祝って揚げられることも今では減り、室内のインテリアとして人気が高まっている。壁にたてかけるミニ凧をはじめ、竹ひごをつけずに額に入れて飾ることができるなど、日常に溶け込むような、優しい色使いの「土佐凧(とさだこ)」が生まれている。
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吉川染物店
▼事業所紹介動画
毅さんヒストリー
染物屋の家系だったこともあり、小学生の頃から手伝っていた。先代である父からは「家業を継ぐように」とも言われず、大学卒業後は香川県で10年近くサラリーマンをしていた毅さん。帰省して家の手伝いをした際に、「お客様の喜ぶ顔が見える仕事っていいなぁ」と感じていたそう。その後、職人になることを決心。現在は奥様と2人でお店を支えながら、伝統を守っている。
忘れられないエピソード
筆で男の子の絵を描いている最中、想定外のところへ染料が散ってしまうという大失敗をしてしまった時のこと。全てやり直しになり落ち込んでいたところ「父が散った部分から笹を描いてくれたことで、より良い作品になったんです」と当時を振り返る。「染物屋は失敗をフォローできてこそだ」と、その時の父の言葉が毅さんにとって分岐点となり、それから自分の想定通りに描けなかったときでも、「一手間一工夫」の意識でより良い作品作りを心がけ、今の仕事に生かしている。
明るい気持ちになれる。そんな作品をずっとこれからも
吉川染物店
五代目吉川 毅さん/香南市出身。
幼い頃から家業を手伝い、現在は奥様とともに伝統を守っている。
事業所について
創業130年以上を誇る染物屋。土佐凧作りにおける唯一の継承者であると同時に、フラフ職人でもある毅さん。インテリアとして額縁に入れて楽しむ凧など、今の時代に合わせた作品を生み出している。
毅さんの挑戦は?
「見た人が明るい気持ちになれる作品を作ること」です。現状に満足しないよう、染物の展示会を毎年行なっています。お客様との真剣勝負です。自身の成長のきっかけになりますし、土佐凧作りとフラフ作りのどちらの技術も生かして作品を手がけ、見た人に元気になってもらいたいですね!
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吉川染物店
▼事業所紹介動画
毅さんヒストリー
染物屋の家系だったこともあり、小学生の頃から手伝っていた。先代である父からは「家業を継ぐように」とも言われず、大学卒業後は香川県で10年近くサラリーマンをしていた毅さん。帰省して家の手伝いをした際に、「お客様の喜ぶ顔が見える仕事っていいなぁ」と感じていたそう。その後、職人になることを決心。現在は奥様と2人でお店を支えながら、伝統を守っている。
忘れられないエピソード
筆で男の子の絵を描いている最中、想定外のところへ染料が散ってしまうという大失敗をしてしまった時のこと。全てやり直しになり落ち込んでいたところ「父が散った部分から笹を描いてくれたことで、より良い作品になったんです」と当時を振り返る。「染物屋は失敗をフォローできてこそだ」と、その時の父の言葉が毅さんにとって分岐点となり、それから自分の想定通りに描けなかったときでも、「一手間一工夫」の意識でより良い作品作りを心がけ、今の仕事に生かしている。
手作業による美しさ、生活に寄り添う土佐凧の今
吉川染物店 こだわりと技
土佐凧作りは、湿度や温度で乾く速度、仕上がる色が変わってしまう繊細な手作業。「昔は野外であげるものでしたので大胆な色使いでしたが、今は部屋に飾ることが主流で、部屋に溶け込むような色使いを意識しています」と話す。一般の方をはじめ、企業からの依頼や海外の注文もあるという。お客様との対話を重ね、名前や季節にちなんだ絵付けといった工夫をするのが「吉川染物店」のこだわりだ。
竹ひごを外し、額縁に入れることで、インテリアとして楽しむことができるミニ凧。和を感じられる色合いと佇まいだ。
こちらは富山県を訪れた際、日本海の波の色からアイデアが生まれたデザイン。何気ない日常から、ヒントを得ることもあるという。
こちらもインテリアとして飾れるミニ凧。干支や金太郎、だるまなどさまざまな種類がある。
毅さんの娘さんに作ったことをきっかけに、「女の子のいるご家族にも作ってあげたい」という思いで手がけたタペストリー。
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吉川染物店
▼事業所紹介動画
毅さんヒストリー
染物屋の家系だったこともあり、小学生の頃から手伝っていた。先代である父からは「家業を継ぐように」とも言われず、大学卒業後は香川県で10年近くサラリーマンをしていた毅さん。帰省して家の手伝いをした際に、「お客様の喜ぶ顔が見える仕事っていいなぁ」と感じていたそう。その後、職人になることを決心。現在は奥様と2人でお店を支えながら、伝統を守っている。
忘れられないエピソード
筆で男の子の絵を描いている最中、想定外のところへ染料が散ってしまうという大失敗をしてしまった時のこと。全てやり直しになり落ち込んでいたところ「父が散った部分から笹を描いてくれたことで、より良い作品になったんです」と当時を振り返る。「染物屋は失敗をフォローできてこそだ」と、その時の父の言葉が毅さんにとって分岐点となり、それから自分の想定通りに描けなかったときでも、「一手間一工夫」の意識でより良い作品作りを心がけ、今の仕事に生かしている。
愛用者の声
60代・一般男性 「タペストリー・土佐凧
愛用」
高知県在住
世界に一つしかない独特の絵に惹かれて
地元の神社で使われていたのぼり旗がきっかけで知りました。妻とお店を訪れた際の、独特で魅力的な絵にとても惹かれました。空をはためく、世界に一つしかないという点も素敵ですね。これからは、毎年干支が描かれた土佐凧絵を集めていきたいです!
40代・一般女性
「タペストリー・ミニフラフ愛用」
高知県在住
伝統を部屋に飾って子どもも笑顔いっぱいに!
知人の紹介がきっかけでした。描いてくれた顔の絵がとても素敵で、購入した品は部屋にかざっています。時折、1歳になった息子が「コレコレ!」と笑顔で自慢しています。娘も欲しいということでタペストリーも購入しました!
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土佐の海に育まれた「宝石珊瑚(さんご)」の輝き
真珠と並ぶ海の宝石として名高い「宝石珊瑚(さんご)」。その希少価値は高く、資源保護のため、厳しい規制や研究調査も進んできた。日本の珊瑚漁の発祥の地である高知県では、自然に優しい漁法で、希少なアカサンゴをはじめ、モモイロサンゴやシロサンゴが採取される。宝石珊瑚の加工技術に関しても世界トップレベルであり、高知の街中にはサンゴ店が多く並ぶ。珊瑚は研磨(けんま)することで美しい艶(つや)を発し、古くから宝飾品として珍重され、現代では、美術・工芸品からカジュアルなアクセサリーまで、幅広く加工されている。
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株式会社 マサキ珊瑚
▼事業所紹介動画
達也さんヒストリー
もともと絵を描くことが好きで、高校時代は美術部に所属。何か創作活動に携わる仕事ができればと考えていた時、マサキ珊瑚の実に15年ぶりのクリエイター求人募集を見て、ピンときたとのこと。その入社面接では、自身の絵画作品を持参し、圧倒的なクオリティで面接官を驚かせたのだとか(現在その絵画は同社応接室に飾られている)。入社1年目に制作した「金魚」をモチーフにした作品が、「土佐さんごまつり名作コンテスト」でお客様が選ぶ「ユーザー賞」をいきなり獲得。翌年から同コンテスト最高賞である高知県知事賞を連続で受賞。まだまだ若手の宝石珊瑚作家だが、会社からの期待も大きく、自身も「早い段階でチャンスをもらえた」と、謙虚な中にも手応えを感じている。
忘れられないエピソード
さんごまつり名作コンテストで受賞したことも嬉しかったが、それ以上に、その作品が百貨店に並んで"購入してもらえた"ことが忘れられないと語る達也さん。これまで、高校時代にも自分の作品が受賞する経験はあったが、初めてお金を出して買ってもらえたこと(お金を払ってでも欲しいと思ってくれる人がいたこと)に、感動が込み上げたという。それは"会社に貢献できた"という感覚や、"自分はモノ作りの仕事で食べている"と実感できた瞬間だったのかもしれない、と達也さんは目を細める。
今までにないサンゴの持つ可能性を表現したい
株式会社 マサキ珊瑚
山本 達也さん/高校の芸術コースを卒業後、マサキ珊瑚に入社。「土佐さんごまつり名作コンテスト」にて「高知県知事賞」を2年連続で獲得。
事業所について
創業は1971年。創業者である正木長生氏は、当時は他の珊瑚に人気を押されていた「赤珊瑚」の魅力に着目したパイオニアとして知られる。さらに2007年には、独自の「MASAKIブランド」を立ち上げ、海外に通用する商品展開と宝石珊瑚の現代的な価値を発信している。
達也さんの挑戦は?
今までにない、サンゴの持つ可能性を表現することです。自由な創作をさせてもらえる環境にいるからこそ「サンゴにはこういう魅力もあるんだ」と発信していきたいと思っています。今後は、「立体彫刻」の制作や、自身の感性で「リアルとかわいいの融合」を表現していきたいです。
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株式会社 マサキ珊瑚
▼事業所紹介動画
達也さんヒストリー
もともと絵を描くことが好きで、高校時代は美術部に所属。何か創作活動に携わる仕事ができればと考えていた時、マサキ珊瑚の実に15年ぶりのクリエイター求人募集を見て、ピンときたとのこと。その入社面接では、自身の絵画作品を持参し、圧倒的なクオリティで面接官を驚かせたのだとか(現在その絵画は同社応接室に飾られている)。入社1年目に制作した「金魚」をモチーフにした作品が、「土佐さんごまつり名作コンテスト」でお客様が選ぶ「ユーザー賞」をいきなり獲得。翌年から同コンテスト最高賞である高知県知事賞を連続で受賞。まだまだ若手の宝石珊瑚作家だが、会社からの期待も大きく、自身も「早い段階でチャンスをもらえた」と、謙虚な中にも手応えを感じている。
忘れられないエピソード
さんごまつり名作コンテストで受賞したことも嬉しかったが、それ以上に、その作品が百貨店に並んで"購入してもらえた"ことが忘れられないと語る達也さん。これまで、高校時代にも自分の作品が受賞する経験はあったが、初めてお金を出して買ってもらえたこと(お金を払ってでも欲しいと思ってくれる人がいたこと)に、感動が込み上げたという。それは"会社に貢献できた"という感覚や、"自分はモノ作りの仕事で食べている"と実感できた瞬間だったのかもしれない、と達也さんは目を細める。
宝石珊瑚の魅力を、世界に発信するブランド
株式会社
マサキ珊瑚 こだわりと技
「マサキ珊瑚」には年代の異なる5名の職人が在籍、自由な発想を大事にする環境でそれぞれが持ち味を生かして制作に励んでいる。達也さん曰く、宝石珊瑚の加工は、全て後戻りができない「引き算」の工程。高価な素材を扱っている緊張感があるなか、見たこともないような大きな珊瑚の原木を手にすることもあり、精巧な下書きをもとに、制作を進めていくのだとか。「マサキの赤はいいね」と言われるような製品を手がけたい、というのは職人共通の思いのようだ。
特に赤色が深い「血赤珊瑚」をマサキ珊瑚は宝飾品として手がける。思わず目を引く魅力があり、高度な技術で加工されている。
サンゴの原木を手にして、どんな形にできるかインスピレーションを働かせる達也さん。彫刻を得意としており、精巧な技が光る。
土佐さんごまつり名作コンテスト 高知市長賞"受賞作品。達也さんのリアルとかわいいの融合"を表現する作品として、数年自分の中で構想を温めたていたのだとか。
それまでの「和」のテイストから一歩踏みだし、「MASAKIブランド」は海外にも通用する現代的な宝飾品に仕上がっている。
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株式会社 マサキ珊瑚
▼事業所紹介動画
達也さんヒストリー
もともと絵を描くことが好きで、高校時代は美術部に所属。何か創作活動に携わる仕事ができればと考えていた時、マサキ珊瑚の実に15年ぶりのクリエイター求人募集を見て、ピンときたとのこと。その入社面接では、自身の絵画作品を持参し、圧倒的なクオリティで面接官を驚かせたのだとか(現在その絵画は同社応接室に飾られている)。入社1年目に制作した「金魚」をモチーフにした作品が、「土佐さんごまつり名作コンテスト」でお客様が選ぶ「ユーザー賞」をいきなり獲得。翌年から同コンテスト最高賞である高知県知事賞を連続で受賞。まだまだ若手の宝石珊瑚作家だが、会社からの期待も大きく、自身も「早い段階でチャンスをもらえた」と、謙虚な中にも手応えを感じている。
忘れられないエピソード
さんごまつり名作コンテストで受賞したことも嬉しかったが、それ以上に、その作品が百貨店に並んで"購入してもらえた"ことが忘れられないと語る達也さん。これまで、高校時代にも自分の作品が受賞する経験はあったが、初めてお金を出して買ってもらえたこと(お金を払ってでも欲しいと思ってくれる人がいたこと)に、感動が込み上げたという。それは"会社に貢献できた"という感覚や、"自分はモノ作りの仕事で食べている"と実感できた瞬間だったのかもしれない、と達也さんは目を細める。
愛用者の声
50代・一般女性 「立体彫刻
愛用」
千葉県在住
先生の繊細な技術に感動すると同時に、作品に一目惚れをして購入しました。今後も先生の作品を集めていきたいと思います。
百貨店
外商担当
千葉県在住
お客様にお勧めするに価値のある先生(※)です。今後の作品づくりをおおいに楽しみにしております!
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有限会社 米沢サンゴ店
▼事業所紹介動画
米沢サンゴ店の取り組み
大切にしていることは「親切・信用」。「たとえ、道を尋ねるだけであっても、お店に来られる人は誰でもお客様」と、「日々の行いが信用を生む」がモットー。それぞれのクリエイターの持ち味を生かし、バリエーションが増えているサンゴ商品。お土産はもちろん、大切な方へのプレゼント用に購入したり、還暦祝いに(赤いちゃんちゃんこではなく)赤いサンゴのアクセサリーを購入する人がいたりと、さまざまなシーンで選ばれている。そんなサンゴの魅力を発信すべく、近年はSNSやHPを立ち上げ、多くの方の目に触れる機会も作っている。
忘れられないエピソード
以前、道を尋ねてきた男性がいた。数年後、その男性が転勤が決まったと訪れ「初めて高知に赴任して来たとき、道を尋ねたら丁寧に教えてくれた。それが印象的だったので必ずこの米沢サンゴ店で買おうと思っていました」と笑顔で購入されていったという。このエピソードから、会社として大切にしている思いが実を結んだと実感し、改めてこの場所でお店を続けていきたいと感じたという。
作品の細部までこだわりを宿す
米沢サンゴ店
谷脇 佳代さん(右)/須崎市出身。
これまで手がけた商品は一万品以上。高度な技術が必要な念珠を作れる数少ないクリエイター。
福留
晶子さん(左)/いの町出身。
小説など物語の世界が好きで、自身の想像を制作で表現する。購入された方には手書きの手紙を添えている。
事業所について
1917年創業の「米沢サンゴ店」。現在は高知市の帯屋町アーケード入り口に店舗を構える。スタッフ全員がクリエイターで、要望に合わせた提案やリメイクが強み。サンゴコンテストではさまざまな受賞歴をもち、アクセサリーなどオリジナルな逸品が並ぶ。
米沢サンゴ店の挑戦は?
「信頼を大切に、これからもこの場所で続けていくこと」です。近年は使いやすいデザインを重視、カジュアルな商品も手がけています。一方、周りの環境が変わっても、変わらないこの場所で、これまでお客様と接してました。新しいことに取り組みながらも、お客様との信頼関係を大切にしていきたいです。
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有限会社 米沢サンゴ店
▼事業所紹介動画
米沢サンゴ店の取り組み
大切にしていることは「親切・信用」。「たとえ、道を尋ねるだけであっても、お店に来られる人は誰でもお客様」と、「日々の行いが信用を生む」がモットー。それぞれのクリエイターの持ち味を生かし、バリエーションが増えているサンゴ商品。お土産はもちろん、大切な方へのプレゼント用に購入したり、還暦祝いに(赤いちゃんちゃんこではなく)赤いサンゴのアクセサリーを購入する人がいたりと、さまざまなシーンで選ばれている。そんなサンゴの魅力を発信すべく、近年はSNSやHPを立ち上げ、多くの方の目に触れる機会も作っている。
忘れられないエピソード
以前、道を尋ねてきた男性がいた。数年後、その男性が転勤が決まったと訪れ「初めて高知に赴任して来たとき、道を尋ねたら丁寧に教えてくれた。それが印象的だったので必ずこの米沢サンゴ店で買おうと思っていました」と笑顔で購入されていったという。このエピソードから、会社として大切にしている思いが実を結んだと実感し、改めてこの場所でお店を続けていきたいと感じたという。
サンゴの美しさを生かした、日常使いできるアクセサリー
米沢サンゴ店 土田 佳子さん
高知市出身。クリエイターとして製品作りを行いながら、広報も兼務。土田さんの入社当時、サンゴといえば和装小物や高額な装飾類が多かったが、土田さんの発案で米沢サンゴ店では若い世代でも使いたくなる商品を徐々に商品化。洋服と合わせやすいデザイン性や、重い金具を使わないなど機能性を重視した。その結果、今ではカジュアルに身につけられるピアスやネックレス、ブレスレットが商品の中心になっている。「サンゴが高知県の代表的な特産品であることをもっと知ってほしい」とサンゴの魅力を発信し続ける。
谷脇さんのコンテスト受賞作品。色の移ろいを生かすため、他は全て赤珊瑚一色とし、谷脇さんが大切にする「細部へのこだわりと全体の調和」が見事に表現されている。
サンゴを使った、上品な雰囲気の「マスクチェーン」。男女問わず、日常使いでサンゴを身につけることができる。
ピアスやイヤリングといったカジュアルなアクセサリーアクセサリーを多く手がける。サンゴの色合いや形が美しく、お洒落なデザインが並ぶ。
福留さんのコンテスト入賞作品。制作はとにかく楽しく、お客様とその気持ちを共有したい、と話す福留さん。写真は角度によって様々な表情へ変わる、"らしさ"の出た作品だ。
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有限会社 米沢サンゴ店
▼事業所紹介動画
米沢サンゴ店の取り組み
大切にしていることは「親切・信用」。「たとえ、道を尋ねるだけであっても、お店に来られる人は誰でもお客様」と、「日々の行いが信用を生む」がモットー。それぞれのクリエイターの持ち味を生かし、バリエーションが増えているサンゴ商品。お土産はもちろん、大切な方へのプレゼント用に購入したり、還暦祝いに(赤いちゃんちゃんこではなく)赤いサンゴのアクセサリーを購入する人がいたりと、さまざまなシーンで選ばれている。そんなサンゴの魅力を発信すべく、近年はSNSやHPを立ち上げ、多くの方の目に触れる機会も作っている。
忘れられないエピソード
以前、道を尋ねてきた男性がいた。数年後、その男性が転勤が決まったと訪れ「初めて高知に赴任して来たとき、道を尋ねたら丁寧に教えてくれた。それが印象的だったので必ずこの米沢サンゴ店で買おうと思っていました」と笑顔で購入されていったという。このエピソードから、会社として大切にしている思いが実を結んだと実感し、改めてこの場所でお店を続けていきたいと感じたという。
愛用者の声
40代・フリーアナウンサー 「ピアス、帯留め
愛用」
高知県在住
ふと広がる会話と赤サンゴの素敵なご利益
仕事柄たくさんの方に会うので、地元高知のものを身につけたいと思い、愛用しています。気づいてくださった方とふと会話が広がったりするのは嬉しいですね。子授けのお守りである「赤サンゴ」ということもあり、身につけていて本当にご利益があったので驚きました!
60代・雑貨店店主 「ネックレス、その他アクセサリー
愛用」
高知県在住
使うことで実感日常を彩るサンゴ
長年のファンの1人です。米沢サンゴ店さんのアクセサリーは、光り方が一味違いますし、写真では伝わらない美しさを、ぜひ一度手に取って実感してほしいです。身につけていると、「素敵ですね」「どこのアクセサリーですか」と自然に会話が生まれます。
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手仕事の風景:3
取材の中で垣間見えた、何気ない1コマを切り取った。高知で育まれる伝統の魅力を表情や温度感から少しでも感じ取れたら。
①米沢サンゴ店頭では、リーズナブルな値段でアクセサリーを並べている。
②内原野陶芸館では、陶芸教室や焼き物体験を行うことができる。
③奥様と共に吉川染物店の歴史を守っている毅さん。
④休憩中に皆で語らう炭玄の方々。大変な作業の合間に必要なひととき。
⑤120年の伝統を誇る三谷染物有限会社のマーク。
⑥夏の暑い工房内でも、集中を切らさず、一刷毛一刷毛手がける三谷染物有限会社の泰清さん。
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歴史ある高知の御庭焼き暮らしを彩る味わい深さ
「尾戸焼(おどやき)」とは淡い色の地肌に藍色の顔料で絵付けされた土佐を代表する陶芸。1653年、当時の土佐藩主の命により高知城近くの尾戸(現在の小津町)に開窯、御庭焼き(藩主や城主が窯を築いて焼かせた陶器)として作られたのが始まり。将軍家や諸大名への贈答品として茶器などが作られた。江戸時代の終わりごろには陶土の産地であった能茶山(のうさやま)周辺に窯が移され、明治以降は水瓶などの大物から、花器、皿などの日用品が多く作られるようになった。現在も続く窯元では、時代に併せた特色ある器を作りつつ、その伝統を継承している。
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谷製陶所
▼事業所紹介動画
信一郎さんヒストリー
幼い頃から粘土いじりが大好きで、「怪獣などを作って遊んでいたね」と笑う信一郎さん。谷製陶所の工房は遊び場であり、子供の頃から自然と親しんできた場所だ。中学生になる頃には、先代である父の仕事を手伝い始め、卒業後に本格的に弟子入り。「焼き物の基本はもちろん、商売そのものも学びましたね」と振り返る。そんな父から学んだ最も印象的なことは、「人とのつながりの大切さ」。器を通じて人とつながり、それが信用となってまた次の仕事につながっていく。体験教室などで様々な年代の人と交流して得た気づきから、伝統の形や柄に固執することなく、柔軟にカラフルな食器や調理グッズなども手がけていく…、そんな風に人とつながる作品づくりを大事にしている。
忘れられないエピソード
同学年の友人たちが高校に進学する一方で、早くに職人の世界を選んだ信一郎さん。それは決してあまい世界ではなく、しばらくは「作っては壊し」を繰り返す苦悩の日々だったと言う。初めて自分の作品が売れたのは、職人の道に進んで3年後。ちょうど、友人たちが高校を卒業するのと同じタイミングだったこともあり、職人の世界を選んだことへの不安も0でなかった中で、嬉しさや安堵感のような気持ちを感じたのだとか。ある日突然上手くなるようなものではなく、時間を重ねて上達するものと振り返る信一郎さん。若い頃の自身の姿も重ねてか、「(職人は)はじめから器用に出来る方が、却って器用貧乏で頭打ちになるかもしれない。不器用でも工夫して鍛錬する方が、伸びしろがあったりするもの」と優しく語る。
柔軟な姿勢でいつまでも。
谷製陶所
五代目谷 信一郎さん/高知市出身。
作品づくりに生かすため、水墨画を習っている。
事業所について
創業は明治初頭と伝わる「谷製陶所」。原料となる粘土が豊富に採れた高知市能茶山で開窯。工房での体験教室や、近隣の学校や幼稚園での出張体験教室など、地域との交流も続けてきた。工房に併設するギャラリーにて販売も手がけており、県外観光客の方も訪ねてくる。
信一郎さんの挑戦は?
「いつまでも柔軟な姿勢で、焼き物と向き合っていくこと」です。尾戸焼きはライフスタイルの変化に合わせて、その形や色合いを変えてきました。「水は方円の器に従う」ということわざもありますが、水が器に合わせて形を変えるように、柔軟に使われる方のニーズに寄り添っていきたいです。
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谷製陶所
▼事業所紹介動画
信一郎さんヒストリー
幼い頃から粘土いじりが大好きで、「怪獣などを作って遊んでいたね」と笑う信一郎さん。谷製陶所の工房は遊び場であり、子供の頃から自然と親しんできた場所だ。中学生になる頃には、先代である父の仕事を手伝い始め、卒業後に本格的に弟子入り。「焼き物の基本はもちろん、商売そのものも学びましたね」と振り返る。そんな父から学んだ最も印象的なことは、「人とのつながりの大切さ」。器を通じて人とつながり、それが信用となってまた次の仕事につながっていく。体験教室などで様々な年代の人と交流して得た気づきから、伝統の形や柄に固執することなく、柔軟にカラフルな食器や調理グッズなども手がけていく…、そんな風に人とつながる作品づくりを大事にしている。
忘れられないエピソード
同学年の友人たちが高校に進学する一方で、早くに職人の世界を選んだ信一郎さん。それは決してあまい世界ではなく、しばらくは「作っては壊し」を繰り返す苦悩の日々だったと言う。初めて自分の作品が売れたのは、職人の道に進んで3年後。ちょうど、友人たちが高校を卒業するのと同じタイミングだったこともあり、職人の世界を選んだことへの不安も0でなかった中で、嬉しさや安堵感のような気持ちを感じたのだとか。ある日突然上手くなるようなものではなく、時間を重ねて上達するものと振り返る信一郎さん。若い頃の自身の姿も重ねてか、「(職人は)はじめから器用に出来る方が、却って器用貧乏で頭打ちになるかもしれない。不器用でも工夫して鍛錬する方が、伸びしろがあったりするもの」と優しく語る。
柔らかな線と優しい色合い、温かみあふれる器の数々
谷製陶所 こだわりと技
暮らしの器を多く扱ってきた谷製陶所では、例えば、食器をカラフルにする、小ぶりに作るなど、食生活や嗜好の変化を受けてその作風を柔軟に変えてきた。その中で、尾戸焼きとしてのノウハウを蓄積することで、他の工房が断ったような難しいオーダーに対応するなど、仕事の幅を広げている。自身が手がけた焼き物を「何か一つでもいい。例えばコーヒーカップに関しては谷製陶所、という風に気に入ってもらい、使い続けてもらえる存在になれば嬉しい」と話す。
尾戸焼きは、淡い地肌に藍の絵柄が代表的。伝統的な器も根強く人気で、信一郎さんと先代の父とともに絵付けまで仕上げる。
口当たりの良いコーヒーカップ。信一郎さんの作る陶器は、「どこか柔らかい雰囲気」。信一郎さん自身の柔和で誠実な人柄が、焼き物から感じられる。
家庭用の食器を多く手がける。写真は、ゴマ炒りやすりおろしに使う調理グッズ。柔らかい雰囲気で、使った時の重さや手触り感も良いと人気だ。
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谷製陶所
▼事業所紹介動画
信一郎さんヒストリー
幼い頃から粘土いじりが大好きで、「怪獣などを作って遊んでいたね」と笑う信一郎さん。谷製陶所の工房は遊び場であり、子供の頃から自然と親しんできた場所だ。中学生になる頃には、先代である父の仕事を手伝い始め、卒業後に本格的に弟子入り。「焼き物の基本はもちろん、商売そのものも学びましたね」と振り返る。そんな父から学んだ最も印象的なことは、「人とのつながりの大切さ」。器を通じて人とつながり、それが信用となってまた次の仕事につながっていく。体験教室などで様々な年代の人と交流して得た気づきから、伝統の形や柄に固執することなく、柔軟にカラフルな食器や調理グッズなども手がけていく…、そんな風に人とつながる作品づくりを大事にしている。
忘れられないエピソード
同学年の友人たちが高校に進学する一方で、早くに職人の世界を選んだ信一郎さん。それは決してあまい世界ではなく、しばらくは「作っては壊し」を繰り返す苦悩の日々だったと言う。初めて自分の作品が売れたのは、職人の道に進んで3年後。ちょうど、友人たちが高校を卒業するのと同じタイミングだったこともあり、職人の世界を選んだことへの不安も0でなかった中で、嬉しさや安堵感のような気持ちを感じたのだとか。ある日突然上手くなるようなものではなく、時間を重ねて上達するものと振り返る信一郎さん。若い頃の自身の姿も重ねてか、「(職人は)はじめから器用に出来る方が、却って器用貧乏で頭打ちになるかもしれない。不器用でも工夫して鍛錬する方が、伸びしろがあったりするもの」と優しく語る。
愛用者の声
80代「コーヒーカップ、お皿など愛用」
高知県在住
使うことが楽しくなる手作りの魅力
テレビで紹介されていた窯元を観たことがきっかけで購入しました。コーヒーカップをはじめ、壺やお皿、傘立てなどたくさんの尾戸焼の品を愛用しています。手作りならではの趣きがあり、毎回使うのがすごく楽しいです!
30代 「酒器、コーヒーカップ
愛用」
神奈川県在住
日々感じる尾戸焼きならではの温かみ
窯元さんのご親戚の方と知り合いで、ご紹介いただいたのがきっかけで購入しました。一つひとつ手作業で作られているからこその風情や素朴さ。そして温かみが感じられるので、とても気に入ってます。
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気品漂う頑健な漆器、使うごとに増す風格
明治初期より伝わる高知独自の漆器「土佐古代塗(とさこだいぬり)」。その容貌は重厚で気品に溢れる。ザラ地と呼ばれる特徴的な地肌は、他の漆器に比べて傷や汚れに強く、手に馴染むため、普段使いのしやすさからも愛好されている。一方で、古代塗の仕上げには入念な作業を必要とする。塗り始めから完成までは全32工程(約30日以上)を要し、多くの工程は塗りと乾燥の繰り返しである。漆が固まるまでは酸素・温度・湿度のデリケートな管理も必須で、季節や気候と向き合いながらの根気のいる作業だ。手間暇をかけて誕生した器には、深い色合いが宿り、長く使われることで自然とその風合いを増していく。
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土佐古代塗 美禄堂
▼事業所紹介動画
泰一さんヒストリー
大学時代の夏休みに、一つの盆を自分で塗った経験もあって、古代塗りに興味をもっていた泰一さん。当時、数少ない古代塗りの工房のいずれも後継者がいない状態ということもあり、「歴史ある古代塗りを自分が継いでいきたい」と考え、美禄堂の2代目としての道を歩み始めたという。初代である父から「賃塗りはするな(塗るだけの仕事を受けるな)」と言われ、「塗りさえすれば成り立つ仕事をするのではなく、自分で責任を持って仕上げることの大切さを教わった」と振り返る。製品として仕上げることに責任感をもってあたっている。
忘れられないエピソード
お客様からいただくお礼の連絡は、どれも忘れられないのだとか。中でも、県内出身の著名作家が権威ある文学賞を受賞した時のこと。泰一さんの手がけた古代塗りがその賞の贈答の品として作家に贈られ、作家が大変に喜ばれた、というお礼の言葉を丁寧にいただき、とても嬉しかったという。お客様からいただくお礼の連絡には、「こちらがお礼をしなきゃいけないのに」といつも感謝の思いでいっぱいになるのだそう。
伝統を守るのではなく、信頼を守り続けます
美禄堂
季久 池田 泰一さん/高知市出身。
数々の賞を受賞している、唯一の土佐古代塗の継承者。
事業所について
創業からおよそ50年。高品質な古代塗の伝統を受け継ぐ美禄堂には、県内外はもちろん、時には海外からも来客があるという。訪れた方には二代目の泰一さんが直接対応し、販売をしている。
泰一さんの挑戦は?
「伝統を守るのではなく、信頼を守り続ける」ことです。古代塗りの重厚さや頑健さは、他の漆器とは一線を画す存在です。お渡しした時点ではまだ完成とは言えず、お客様に信頼され、長く使われる中で風格や深みが増して、お客様それぞれの古代塗が出来上がります。そんな古代塗を、常に感謝と責任感を持って作っていきたいと思っています。
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土佐古代塗 美禄堂
▼事業所紹介動画
泰一さんヒストリー
大学時代の夏休みに、一つの盆を自分で塗った経験もあって、古代塗りに興味をもっていた泰一さん。当時、数少ない古代塗りの工房のいずれも後継者がいない状態ということもあり、「歴史ある古代塗りを自分が継いでいきたい」と考え、美禄堂の2代目としての道を歩み始めたという。初代である父から「賃塗りはするな(塗るだけの仕事を受けるな)」と言われ、「塗りさえすれば成り立つ仕事をするのではなく、自分で責任を持って仕上げることの大切さを教わった」と振り返る。製品として仕上げることに責任感をもってあたっている。
忘れられないエピソード
お客様からいただくお礼の連絡は、どれも忘れられないのだとか。中でも、県内出身の著名作家が権威ある文学賞を受賞した時のこと。泰一さんの手がけた古代塗りがその賞の贈答の品として作家に贈られ、作家が大変に喜ばれた、というお礼の言葉を丁寧にいただき、とても嬉しかったという。お客様からいただくお礼の連絡には、「こちらがお礼をしなきゃいけないのに」といつも感謝の思いでいっぱいになるのだそう。
塗り重ねられた風合いは、暮らしに深みを与える
美禄堂 こだわりと技
重ね塗りを施す古代塗りの工程は、なんと30以上にものぼる。「見えないけど、しっかりやらないと後で粗が出る」と話す池田さんの言葉には、職人としての真摯な姿勢が垣間見える。何層も薄く塗り重ねて深みが増した「本物の古代塗り」こそ、暮らしの中で使われて、たとえ傷がついても、それがまた馴染み、風格を増す。長く使われるたびに、美禄堂が大事にする「信頼」も重ねられていくことだろう。
近年は抗菌効果も注目を集める漆。漆製品の中でも、古代塗りは傷がつきにくい、指紋がつかない、扱いやすいという特徴がある。
古代塗りを暮らしに取り入れるきっかけになるように、手に取りやすいお箸も手がけている。落ち着いた佇まいを感じられる。
古代塗りの技がこもった名刺入れ。長く使い込むことで深みを増していく、古代塗りらしい風格がある。
古代塗りのお盆にも、しっかりとした重厚感や頑健さが。美しい朱色の文字にも風格がある。贈答品としても人気。
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土佐古代塗 美禄堂
▼事業所紹介動画
泰一さんヒストリー
大学時代の夏休みに、一つの盆を自分で塗った経験もあって、古代塗りに興味をもっていた泰一さん。当時、数少ない古代塗りの工房のいずれも後継者がいない状態ということもあり、「歴史ある古代塗りを自分が継いでいきたい」と考え、美禄堂の2代目としての道を歩み始めたという。初代である父から「賃塗りはするな(塗るだけの仕事を受けるな)」と言われ、「塗りさえすれば成り立つ仕事をするのではなく、自分で責任を持って仕上げることの大切さを教わった」と振り返る。製品として仕上げることに責任感をもってあたっている。
忘れられないエピソード
お客様からいただくお礼の連絡は、どれも忘れられないのだとか。中でも、県内出身の著名作家が権威ある文学賞を受賞した時のこと。泰一さんの手がけた古代塗りがその賞の贈答の品として作家に贈られ、作家が大変に喜ばれた、というお礼の言葉を丁寧にいただき、とても嬉しかったという。お客様からいただくお礼の連絡には、「こちらがお礼をしなきゃいけないのに」といつも感謝の思いでいっぱいになるのだそう。
愛用者の声
50代 「箸
愛用」
高知県在住
何層にも込められた作り手の想いが使いやすさへ
20年以上のリピーターです。転勤される方への送別の品として、高知にゆかりのある品を探していた時に出会いました。何層も漆が塗られた素敵な風合いで、食事の際の掴みやすさがとても良いです。お箸からはじまり、今ではお椀、お皿、お盆も揃えています。
60代 「硯箱
愛用」
高知県在住
耐久性はもちろん一目惚れしてしまう美しさ
百貨店で見つけて、何て素敵な風格なんだろう!と衝撃を受け、購入。無骨さと扱いやすさ、そして池田さんの職人としてのお人柄に惹かれ、ファンになりました。使うからこそ分かる魅力が詰まっていますね。
60代 「箸
愛用」
高知県在住
普段使いのしやすさ暮らしに寄り添う古代塗
古代塗独特のザラっとした表面で、うどんなどの滑りやすいものでも、とても掴みやすいです。特別な手入れもいらないので、扱いやすいですし、古代塗りしたお箸ケースと一緒に持ち歩いています。贈答品にもおすすめですね。
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竹職人の思いが宿る希少な虎斑竹の竹細工
表面に虎のようなまだら模様が入った「虎斑竹(とらふだけ)」は、国内でも須崎市安和(あわ)でしか成育しないとされる希少な竹。積極的な情報発信と多彩な製品で、今や海外にもその存在を知られるようになったが、その背景には、明治の時代から世代を超えてこの竹林を守り続けてきた竹職人達の想いが紡がれている。例年、竹の旬である11〜1月に伐りだしが行われ、竹の太さ、模様のつき方などから用途別に選別が行われ、職人の手によってカット、油抜き、曲がりの矯正が施され、様々な製品へと生まれ変わる。虎模様がアクセントの様々な竹細工には、上品さとモダンな佇まいを感じるだろう。
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虎斑竹専門店 竹虎
▼事業所紹介動画
龍二さんヒストリー
竹虎(株)山岸竹材店の次男(現4代目社長の弟)にあたる龍二さん。大学卒業後、実家の山岸竹材店で働き始めて3年が経ったころ、「これからはより高度な竹細工の技術が必要である」と感じ、竹細工が伝統工芸として根付いている大分県の技術専門学校に入校。学校で伝統工芸士である師匠から「高知には1番良い材料である虎斑竹がある」と言われ、改めて龍二さんは「虎斑竹」と向き合い、職人として歩んでいこうと決意を固めたという。学校に通う他の竹産地の職人と交流、休みの日には大分県内の職人のもとへ出向いて技術を習得するなど、当時の探究心は現在にも通じている。現在は、竹の生育から加工、若手の育成など幅広く従事している。
忘れられないエピソード
職人の世界では、「見て盗め」と言われることも多いが、大分の専門学校で師事した師匠は、オープンに技術を教えてくれる方だったという。師匠曰く「見て盗めでは師匠のレベルに達するのに、師匠と同じ年齢になる位まで時間がかかる。師匠を追い越してもらうために」と惜しみなく教えてくれたという。その指導をうけ、卒業後竹虎に戻ってから、自身の技術を生かして仕事の幅も拡がったのだそう。師匠とは卒業後30年ほど経った今でも、交流があるのだとか。
日本唯一の虎斑竹を守りたい。
虎斑竹専門店 竹虎
工場長山岸 龍二さん/須崎市出身。
長年培った経験で、希少な虎斑竹の生育工程から携わり、竹製品を手がけている。
事業所について
創業1894年。須崎市安和でしか成育しない、美しい虎模様を持つ虎斑竹を使って、バリエーション豊かな竹製品の他、竹炭を使った商品なども手がける。「虎竹のある暮らし」を提案、発信し続けている。
龍二さんの挑戦は?
「日本唯一の虎斑竹を守ること」です。そのために、竹文化をもっと広めたい、竹の価値をもっと高めたいと思っています。おかげさまで竹虎のお客様は国内外に渡り、事業も広がりましたが、竹のことをまだまだ知りたいですし、竹細工をこれからも手がけたいと思っています。虎斑竹にかけては自分が一番、という誇りを持っています。
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虎斑竹専門店 竹虎
▼事業所紹介動画
龍二さんヒストリー
竹虎(株)山岸竹材店の次男(現4代目社長の弟)にあたる龍二さん。大学卒業後、実家の山岸竹材店で働き始めて3年が経ったころ、「これからはより高度な竹細工の技術が必要である」と感じ、竹細工が伝統工芸として根付いている大分県の技術専門学校に入校。学校で伝統工芸士である師匠から「高知には1番良い材料である虎斑竹がある」と言われ、改めて龍二さんは「虎斑竹」と向き合い、職人として歩んでいこうと決意を固めたという。学校に通う他の竹産地の職人と交流、休みの日には大分県内の職人のもとへ出向いて技術を習得するなど、当時の探究心は現在にも通じている。現在は、竹の生育から加工、若手の育成など幅広く従事している。
忘れられないエピソード
職人の世界では、「見て盗め」と言われることも多いが、大分の専門学校で師事した師匠は、オープンに技術を教えてくれる方だったという。師匠曰く「見て盗めでは師匠のレベルに達するのに、師匠と同じ年齢になる位まで時間がかかる。師匠を追い越してもらうために」と惜しみなく教えてくれたという。その指導をうけ、卒業後竹虎に戻ってから、自身の技術を生かして仕事の幅も拡がったのだそう。師匠とは卒業後30年ほど経った今でも、交流があるのだとか。
暮らしが華やぐ、虎竹のある暮らしを提案
虎斑竹専門店
竹虎 こだわりと技
生育過程から一切薬剤や化学肥料を使っていない竹材は、たくさんのアイデアと細やかな手作業で多彩な商品に仕上げる。さらに、youtube配信やネット販売、虎斑竹を使った家電や自動車を制作するなど、竹の魅力を伝える斬新な取り組みがたくさん。これからも「虎竹のある暮らし」を提案するプロ集団に、目が離せない。
虎斑竹の虎のような模様を生かした、メガネケースと名刺入れ。繊細な職人技が光る製品だ。
通気性も良く、人気の高いランチボックスなど、多くのカゴのサイズを取り揃える。眺めているだけでワクワクするラインナップ♪
こちらは「虎竹御守り福音鈴」。丁寧に編み込んだ小さくて可愛らしい竹細工で、鈴がリンリンと心地よい音を奏でる。
竹炭石けんや、"食"として取り入れる竹炭パウダーなど、美容や健康に効果が期待できる竹炭商品がたくさん!
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虎斑竹専門店 竹虎
▼事業所紹介動画
龍二さんヒストリー
竹虎(株)山岸竹材店の次男(現4代目社長の弟)にあたる龍二さん。大学卒業後、実家の山岸竹材店で働き始めて3年が経ったころ、「これからはより高度な竹細工の技術が必要である」と感じ、竹細工が伝統工芸として根付いている大分県の技術専門学校に入校。学校で伝統工芸士である師匠から「高知には1番良い材料である虎斑竹がある」と言われ、改めて龍二さんは「虎斑竹」と向き合い、職人として歩んでいこうと決意を固めたという。学校に通う他の竹産地の職人と交流、休みの日には大分県内の職人のもとへ出向いて技術を習得するなど、当時の探究心は現在にも通じている。現在は、竹の生育から加工、若手の育成など幅広く従事している。
忘れられないエピソード
職人の世界では、「見て盗め」と言われることも多いが、大分の専門学校で師事した師匠は、オープンに技術を教えてくれる方だったという。師匠曰く「見て盗めでは師匠のレベルに達するのに、師匠と同じ年齢になる位まで時間がかかる。師匠を追い越してもらうために」と惜しみなく教えてくれたという。その指導をうけ、卒業後竹虎に戻ってから、自身の技術を生かして仕事の幅も拡がったのだそう。師匠とは卒業後30年ほど経った今でも、交流があるのだとか。
愛用者の声
40代・一般男性 「虎竹漆箸
愛用」
北海道在住
毎日使うからこそこだわりを一生もののお箸
虎斑竹の天然模様と竹の節がある「虎竹漆箸」に一目惚れしました。届いた時は細すぎるのでは?と感じたのですが、使ってみるとこの細さが素晴らしい。小さなものも軽くつかめますし、使うほどに手に馴染みます。このお箸とは一生のお付き合いです。
40代・一般女性 「虎竹買い物かご
愛用」
岐阜県在住
プレゼントにもぴったり普段使いに上質な竹を
母の日のプレゼントにと、購入しました。竹の色合い・組みのすばらしさ・上品なつくり・使い勝手の良さなど、どれも想像以上に素晴らしくて驚きました。母もとても喜んで、早速普段づかいしております。素敵な品物を、ありがとうございました。
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数千万年前の堆積岩から生まれた「土佐硯(とさすずり)」の魅力
「土佐硯(とさすずり)」の原材料となる「黒色粘板岩(三原石)」は、高知県西部の三原村にある山深い渓谷にその鉱脈がある。数千万年前の地層から産出される特殊な銅粉を含んだ青黒い石は、硯の原料に適し、麗しい墨色と、良好な墨の下り具合で、書道家からも高い評価を得ている。また、職人によって、一つ一つ丁寧に彫って作られる硯は、原料となる石の形や大きさによって、完成したときのイメージも様々。重厚・軽妙・ユニーク・モダンと表情豊かな作品群も魅力だ。数千万年という時を経た石に、職人の技と発想を織り交ぜて生まれる土佐硯。近年は国内だけでなく、海外へとその可能性は広がりつつある。
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三原硯石加工生産組合
▼事業所紹介動画
一也さんヒストリー
大学卒業後、東京の出版社で10年間勤務。「惰性的に過ぎる毎日に気づき、この漫然とした日常から一度離れてみよう」という思いから、東南アジアやヨーロッパを暮らすように旅をしていた。その旅の途中、出会った方と意気投合し、自分の身の上話をするうちに「四国のお遍路」を勧められたのだとか。海外で様々な場所を見てきた後で日本に戻り、四国遍路で訪れた何も知らない土地だった高知がとても新鮮に感じたという。その後、高知県の移住コンシェルジュに相談に行ったときに、伝統工芸品の仕事を紹介され、土佐硯に出会った。
忘れられないエピソード
硯に対して特別な関心はなかったが、訪れた工房で黙々と作業をしている職人の姿を目の当たりにして心が動いた。ものづくりに専心する様子に感銘を受け、研修に参加することに。「シンプルな造形物の内側に無限の問いや対話がある」と感じ、この道を歩んでみようと職人を志した。
感覚を研ぎ澄まして、硯を作ること
三原硯石加工生産組合
壹岐 一也さん/三重県出身。
東京にある出版社で10年間勤めた後、2015年に三原村に移住。
事業所について
土佐硯を村の地場産業に育てようと、1982年に「三原硯石加工生産組合」は発足。現在は6名で運営。三原村小中学校の生徒や一般向けの体験教室、オーダーメイドの硯や石材加工品を手がけている。
一也さんの挑戦は?
「感覚を研ぎ澄まして、硯を作ること」です。元となる原石は眺める角度によって多彩に表情を変えるため、硯作りというのは悩みがいのあるとても面白いものです。また、三原村の地域性は魅力的で、温かく見守ってくれているように感じます。そんな環境で育まれた産業を大切にし、誇りに思ってもらえる硯作りを目指しています。
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三原硯石加工生産組合
▼事業所紹介動画
一也さんヒストリー
大学卒業後、東京の出版社で10年間勤務。「惰性的に過ぎる毎日に気づき、この漫然とした日常から一度離れてみよう」という思いから、東南アジアやヨーロッパを暮らすように旅をしていた。その旅の途中、出会った方と意気投合し、自分の身の上話をするうちに「四国のお遍路」を勧められたのだとか。海外で様々な場所を見てきた後で日本に戻り、四国遍路で訪れた何も知らない土地だった高知がとても新鮮に感じたという。その後、高知県の移住コンシェルジュに相談に行ったときに、伝統工芸品の仕事を紹介され、土佐硯に出会った。
忘れられないエピソード
硯に対して特別な関心はなかったが、訪れた工房で黙々と作業をしている職人の姿を目の当たりにして心が動いた。ものづくりに専心する様子に感銘を受け、研修に参加することに。「シンプルな造形物の内側に無限の問いや対話がある」と感じ、この道を歩んでみようと職人を志した。
1つとして同じものはない、空間に自然に馴染む硯
三原硯石加工生産組合 こだわりと技
友人へのプレゼントやお子さんのお祝いに購入される方もいる硯。オーダーメイドも多く、使う人のことを考え、石の肌の出方や厚さなど、素材の特性を活かしたモノづくりに取り組む。ひとつとして同じもののない原石の特徴をしっかりと観察して見極め、原石に導かれるように空間に馴染む、自然に佇むような製品へと仕上げていく。「数多く作るという経験値も必要ですが、原石と対話するように精魂込めてひとつひとつ作っていきたいですね」と話す。
墨の下りが良く、愛用者からは「じわっと溶けていく感覚」と高い評価を受けている。
こちらは原石を削って作った筆おき。シンプルで飽きのこないデザインは、心を落ち着ける書の空間を、より豊かなものにしてくれる。
オーダーメイドでの注文も多く、名入れも可能。近年は持ち運びやすい、小さなサイズが人気だそう。
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三原硯石加工生産組合
▼事業所紹介動画
一也さんヒストリー
大学卒業後、東京の出版社で10年間勤務。「惰性的に過ぎる毎日に気づき、この漫然とした日常から一度離れてみよう」という思いから、東南アジアやヨーロッパを暮らすように旅をしていた。その旅の途中、出会った方と意気投合し、自分の身の上話をするうちに「四国のお遍路」を勧められたのだとか。海外で様々な場所を見てきた後で日本に戻り、四国遍路で訪れた何も知らない土地だった高知がとても新鮮に感じたという。その後、高知県の移住コンシェルジュに相談に行ったときに、伝統工芸品の仕事を紹介され、土佐硯に出会った。
忘れられないエピソード
硯に対して特別な関心はなかったが、訪れた工房で黙々と作業をしている職人の姿を目の当たりにして心が動いた。ものづくりに専心する様子に感銘を受け、研修に参加することに。「シンプルな造形物の内側に無限の問いや対話がある」と感じ、この道を歩んでみようと職人を志した。
愛用者の声
30代・一般女性 「天然硯
愛用」
千葉県在住
漆黒に輝く美しさに目を奪われ、友人の出産祝いに購入
天然石の無骨さと重厚感を生かした雰囲気が、丁寧に磨かれた硯面をより一層引き立てていました。友人曰く「書道は硯によって墨色の変化や表現が変わる奥深いもの。私と子供とで一生使っていきたい」と大変喜んでくれました。
40代・一般男性 「名入れのオーダー硯
愛用」
東京都在住
本物の道具の良さを感じてほしい。そんな想いを込めて
幼い息子へのプレゼントとして購入。硯の裏には名前も彫り込んでもらい、非常に満足しています。書道の授業が始まれば、息子は喜んで自慢しそうです。本物の道具の良さをしっかり感じ取って使い続けて欲しいです。
8歳・小学生 「手の平サイズの丸い硯
愛用」
高知県在住
お子さんにも喜ばれる思い入れのある硯へ
ワークショップで知りました。きれいにツルツルにするために、何枚もの紙やすりでみがいていておどろきました。墨をすって、絵をかいてみました。自分で完成させた硯で絵をかけたのがとてもうれしかったです。
60代・一般女性 「仮名用の楕円硯
愛用」
高知県在住
丁寧に使いたい!丁寧な手仕事品だからこそ
硯箱にちょうど納まるように、サイズ指定で作っていただきました。墨を磨る面が広いため、とても使いやすく、重宝しています。丁寧に作られた手仕事の品ですので、自身も丁寧に墨を磨るよう心掛けています。
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手仕事の風景:4
取材の中で垣間見えた、何気ない1コマを切り取った。高知で育まれる伝統の魅力を表情や温度感から少しでも感じ取れたら。
①原石の特徴を見極めて硯作りを手がける三原硯石加工生産組合の一也さん。
②竹虎の店舗には、竹の特性を生かしたユニークな商品まで豊富に並ぶ。
③何層にも漆を塗り重ねる土佐古代塗り。温度や湿度も制作に影響する。
④古代塗りの工程の1つである「粉まき」の様子。
⑤粘土を手で揉む前に、足で踏むことで固さを均一にする谷製陶所の信一郎さん。
⑤谷製陶所の工房では陶芸体験や1日体験も開催している。
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(安芸國鬼瓦)
丈夫で町並みに溶け込む高知の鬼瓦
鬼瓦とは鬼の顔に限らず、屋根の棟の端につける雨じまいと装飾の2つの機能を持つ瓦のこと。かつて安芸は粘土瓦の産地として栄え、多い時には十数軒もの瓦屋があった。寺院をはじめ、和風建築に用いられるなど、千数百年の歴史をもつ。鬼瓦を作る職人を「鬼師」と呼び、家紋、水模様など1つ1つ手作業で生み出す。そして、高知の風土に合う強固で雨風に強い、町並みに溶け込む鬼瓦を手がけている。
(竹の子笠)
手作業で生み出される芸西村の美しい民芸品
その見た目から「まんじゅう笠」とも呼ばれる竹の子笠。先人の知恵が詰まった芸西村の民芸品は、手に取るととても軽く、頭にかぶると日除けができてとても涼しい。晴雨兼用で農業や漁業での作業時に使われ、生活の必需品であった。らせん状の細やかな糸目の美しさには目を奪われ、裏地の柄もさまざま。1つの傘が出来上がるには最短1ヶ月を要し、作り手の繊細な手作業が随所に感じられる。
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下記リンクより、各事業者のウェブサイトが確認できます。
●土佐和紙 井上手漉き工房
●田村和紙工房
●和紙スタジオ かみこや
●土佐和紙工房パピエ
●和紙職人 田村亮二
●黒鳥鍛造工場
●梶原務刃物製作所
●有限会社トヨクニ
●明神利器製作所
●笹岡鋏製作所
●土佐備長炭窯元 炭玄
●内原野焼き 陽和工房
●三谷染物有限会社
●吉川染物店
●マサキ珊瑚
●米沢サンゴ店
●尾戸焼き 谷製陶所
●土佐古代塗 美禄堂
●虎斑竹専門店 竹虎
●三原硯生産加工組合
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受け継がれてきた技術の数々
伝統に裏打ちされている
土佐の手仕事を一同に・・・
本パンフレットでは、県内の工芸品の紹介という視点ではなく、 その作り手である職人の姿にスポットライトを当てて、 制作を試みました。取材を通して見えてきたのは、職人の皆様の誇りや強い意思。 それを一人一人に
「挑戦」として語っていただきました。
取材前は、伝統は 「守る」もの、と勝手なイメージを抱いていました。 しかし、 取材を通してお話を伺うほどに、 何か 「新しいことをやってみよう」 という 「攻める」 姿勢を職人の皆様から感じ、
それを伝えたい一心で原稿の制作は進みました。
「作り手の物語」 を知る前と知った後では、工芸品が全く違って見えてきます。 読者の皆様へそんな体験を届けるべく、 本パンフレットが高知県の工芸品を知る一助になれば幸いです。
(高知県工業振興課 担当)
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