新しい支援システム構築を踏まえた職員の成長~苦悩から生まれた「ステージ制」支援を通して~

公開日 2020年11月06日

新しい支援システム構築を踏まえた職員の成長

~苦悩から生まれた「ステージ制」支援を通して~

高知県立希望が丘学園 自立支援第一担当チーフ 鎌 倉  敏 広

                   主 幹 永 野  薫

                   主 幹 恒 吉  秀 晃

Ⅰ はじめに

 

一 希望が丘学園における人材育成の考え方

職員の人材育成を考えるうえで、それぞれの施設の支援形態や状況によって、求められる人材の根本は同じでも、その育成の考え方や方法はそれぞれではないかと思います。

また、施設内の状態と人材育成は密接な関係が有り、人材育成の視点を持って日々の支援に当たることが出来る状態と言うのは、施設内にある程度の安定が有ってのことと思います。

私たちの希望が丘学園も、数年前の人材育成など考える余裕が無い困難な状況から、人材育成を考える事が出来る状態にようやくなった現状です。今回の内容が、私たちが直面したのと同様の課題を抱えた方への参考となればと思い、支援と人材育成についての実践を伝えさせていただきたいと思います。

今回執筆させていただいている三名の勤務年数は、鎌倉(十年目)、恒吉(九年目)、永野(七年目)です。

私(鎌倉)が赴任したころの希望が丘学園は、交替制で比較的短期間に職員異動があり、職員の経験が浅いものが多く、児童数は少ないなかでも、支援が上手く進まず無断外出や暴力行為が多発し、言ってしまえば「職員が何をしなければいけないのか分からない」状況でした。

以前には、小舎併立制(県職員であり寮長寮母が疑似夫婦)で園内に住み込むかたちの支援を行っておりましたが、平成一七年度からは、通勤交代制となりました。

また、異動してくる職員は福祉現場の職員は少なく、他は教員と行政職であり、在籍三年程度での人事異動が繰り返されたため、平成二〇年四月スタートの職員の平均勤務年数は一.五年でした。

大先輩からの、児童が寮舎からあふれるほどいた、今の職員数よりはるかに少ない職員で運営していた、当時はこんな支援が出来ていたなど過去の学園の様子を聞くにつけ、同じ施設のことなのだろうかと思えるほどでした。そして、私が目の当たりにした様な状況が続くとすれば、今後の学園はどのようになるのだろうかと思ったものです。

当時を振り返ってみれば、寮会を年間何回やったかなというような中で、交替制で重要となる「チームワークによる支援」「支援の一貫性」を検討できる状況ではなく、とにかくその日その日を乗り越えることで精一杯であったのが、今回執筆の三名の状況でした。

高知県では平成二〇年から福祉職全体の採用・異動の見直しが行われており、学園でも平成二〇年から毎年、児童自立支援専門員の採用が行われています。他にも、児童相談所のケースワーカー職を主とした「社会福祉」、心理職として「心理」の採用も毎年継続しています。

今思えば、経験は少ないにしても、一定の専門知識と意欲を持った職員と行政職の職員が入れ替わるようになった事が、新たな変化の土壌となったと思います。

ちなみに、鎌倉は前職場が土木部の都市計画課の総務担当、恒吉と永野は児童自立支援専門員としての新規採用です。

「ステージ制」導入前の平成二三年度をピークとして、それまでの学園では大きなトラブルが続く中で、もうこれ以上大人の支援の不十分さにより、児童を犠牲にするわけにはいかないとの強い思いが、学園の課題を解決する力となって、まとまりを見せるようになりました。

その結果として、現状の問題解決だけでなく、児童の支援を進めるための支援方法を考案して平成二五年度から「ステージ制」として学園全体で実施することとしました。

「ステージ制」については、次項で説明しますが、職員も児童も「何をどの様にすれば良いのか分から

ない」に対しての答えとして取り組み始めた「ステージ制」は、職員の「子どもに対しての関心」を必然的に引き出し、支援者としてのスタートをスムーズかつ効率的に導いてくれています。

ですので、入園当初の児童の多くは「最短の六カ月で卒園するぞ!」と意欲的に学園生活を出発しますし、新任職員も「ステージ制」のチェックポイントの観点で自分の寮の児童だけでなく、全児童に意識を配りながら児童への関わりを持つことが出来ます。

支援の目標が明確で、支援方法が適切であれば、支援の成果を上げやすく、自ずと職員も成長を促されると言うあまりにも当たり前の結論ではありますが、そこに辿り着くことが出来ました。

 

二 職員に求められるもの

職員に求められる専門性に関しては二〇一五年の非行問題で巻頭論文や特集で取り上げられており、参考にさせていただいています。

そこで論じられている専門的知識、専門的技術、専門的態度を踏まえた上で、交替制職場でのより良い支援方法、新任者でも支援効果を上げる方法として「ステージ制」の効果の大きさを実感しております。それは、「子どもに対しての関心」「チームワークによる支援」「支援の一貫制」が「ステージ制」の基本的な考えであり、それなくしては成り立たないものだからです。

ですので、「ステージ制」の支援自体が専門性を高める事を常に要求しております。

また、問題行動時の支援としての個別支援は、「ステージ制」の全体の支援の中で浮かび上がる個々の課題に対して、

深く切り込んでいく場であり、同時に職員が児童と向き合う力を訓練してくれる格好の機会ともなります。

当学園では「ステージ制」を補完するだけでなく、相互に関連して支援効果を高めるものとして個別支援を「ステージ制」に組み入れた支援の一つとして取り組んでいます。

「ステージ制」導入以前の職員も当然日々の支援に一生懸命取り組んでいました。しかし、それが職員の専門性を高め、チームによる支援の総合力を高めてくれるものであったかというと、そうではありませんでした。それが、「ステージ制」導入により、児童の支援を行う中で強く求められ、その結果が個人の力、チームの力、学園の力を強化する事となり、更に次の段階を目指すことが出来ています。

今回は、「ステージ制」と個別支援を通しての人材育成を主として説明させていただき、その中でチームワークについても論じたいと思います。

 

Ⅱ 「ステージ制」とは

「ステージ制」の説明に関しては、当学園で支援方法を検討した際、花園大学社会福祉学部 橋本和明教授に監修していただき、「二〇一五年度 希望が丘学園実践報告書」としてまとめた物を一~三で引用させていただきます。

 

一.ステージ制導入の経過

希望が丘学園では、平成二五年度から「ステージ制」による支援システムを導入し、児童の自立に向けた支援を実施しています。それまでの支援の流れは、おおむね一年間の支援期間があらかじめ設定されており、十か月という時期が来なければ、次への段階へは進めない仕組みでした。児童にとっては、自分の置かれている状況について具体的に確認できず、途中でどんなに頑張っていても、段階を進む時期にタイミングよく生活が安定していなければ評価されなかったり、逆に誰が見ても安定していない児童を期間満了というだけで、担当職員や寮の判断で次への段階に進ませたりと、児童にとっては非常に分かりにくく、不公平感を感じるものでした。それは児童だけではなく、職員間(寮間)でも同じで、他寮への不満や文句があちらこちらで聞かれ、本来の施設が果たすべき役割を見失っていました。職員はやり甲斐を見い出せず、異動希望者が増え、自分の勤務時間だけは何とかこなす状態で、児童に寄り添い支援する環境ではまるでなかったです。そのしわ寄せは児童へ行き、少年院や国立施設への措置変更になる者、長期に渡って学園での生活を余儀なくされる者が増えていきました。

そのような状況の中、平成二年度に寮が崩壊し多くの児童が措置変更となった女子寮職員が「これ以上、子どもらを失うわけにはいかない!」と奮起して考案したのが、今の『振り返りチェック表』でした。

その後何度も改良と試行を重ね、現在の「ステージ制」のシステムを作り上げました。平成二四年度に女子寮で試行し大きな効果をもたらしたことから、翌年には男子寮でも導入し、学園全体での実施が始まりました。

ちなみに「ステージ制」の導入にあたっては児童の次のような声がきっかけとなったことをここに記しておきたい。

 

・自分の支援の進み具合がわからない!

・自分は、あと何をすればいいのかがわからない!

・担当の職員によって支援の進度が違う!

・なぜあの人が帰れて(帰省)、私がだめなのか?

・頑張っているのに誰にも認めてもらえない!

・寮によって支援の方法が違う!

・いつになったら、帰省や試験登校ができるのか、先(未来)が見えない!

 

この声は、施設にいるすべての児童の不満であり、怒りであり、希望です。また、実際にこれらの声を発しなくても声なき声として抱いている子どもも多かったです。

 ところで近年は発達に課題をもって入所してくる児童がどの施設にも多くなっているといわれています。希望が丘学園においては、平成二五年度は四月の時点で、入園児童の約六割が発達障害を有することがわかりました。それゆえ、今までと同じ支援をしていても必ず行き詰まり、その支援では限界が来ることを前年度の男子寮崩壊で嫌というほど思い知らされ、職員の中にも大きな危機感と同時に、現在の入所児童に適した方法の導入が必要だという意識が高まったことも大きな後押しとなりました。

 

二.ステージ制の特徴

 

Timely  

『振り返りチェック表』を用いて毎日の言動を確認することで、児童の課題を発見しやすく、その課題克服に向けた支援や話し合いの場を“タイムリー”(Timely)に持つことが出来ます。

 

Small Step

『振り返りチェック表』を使うことで今の自分は何が出来ていて、何が出来ていないのか、そして次は何を頑張ったら良いのかが児童自身でも理解でき、支援者側も“スモールステップ`”(Small  step)での目標設定が可能となります。

 

Speedy

各児童の支援の全てを担当職員が一人で担う「担当制」から、寮内の児童支援は寮職員全員で担う「チーム制」へ移行したことで、点の支援から線の支援へと変わった。それにより、児童の課題発見や対応が“スピーディー”(Speedy)になり、支援にかかる時間のロスが軽減されました。

 

Simple

ポイントやステージ別といった、目に見える形として“シンプル”(Simple)な支援の進捗を表わすことで、近年増加する発達に課題のある児童にも大変分かりやすく受け入れが円滑である。また、保護者や関係機関にも具体的な数値を持って説明ができるため説得力もあり、理解もされやすいです。

 

三.支援方法

(1)支援の進捗を表わすステージ①~⑤を設定。

ステージ①…生活習慣の立て直しをはかると共に、学園や分校のルールを確認しながら生活をする。

ステージ②…自分の課題を見つけ安定した生活を目指す。

ステージ③…安定した生活の確立と維持をはかると共に、帰宅訓練①を通して家族との関係を再構築していく。

ステージ④…試験登校や卒園に向けての準備をする。帰宅訓練②を通して地域の場での力試しを行う。

ステージ⑤…自信を持って試験登校へチャレンジする。

※中卒生はステージ⑤に昇格した時点で卒園とする。

日々の活動を基準項目に分類し、それを、児童と職員が夕礼時に『振り返りチェック表』を使ってチェックをしながらポイントを貯める。

 

四.「ステージ制」導入の実際

 希望が丘学園は、かつて子ども達から「絶望が丘学園」と言われ、私(永野)自身も「非行児童養成施設」だと感じた時期がありました。学園生活に希望が持てず「どうせ変わらない。求めても無駄。気持ちは伝わらない、分ってもらえない…」と子どもも、そして職員も互いに感じていました。

 ステージ制導入前、在園期間は概ね一~二年、中には三年以上も在園している子どももいました。支援の大まかな流れはあるものの、目指す子どもの姿の共通認識はなく、それぞれの寮、また担当職員の思いや価値観で支援をしていました。そのため、日課の取り組み姿勢、人との関わり、言葉づかいや態度について担当職員でなければ注意しにくく、他寮の職員は出来ない状況でした。また、子どもへの支援を浸透させるのに、職員が力で抑えつける訳にはいかないため、子どもの機嫌をとるような関わりをするようになり、子どもと職員の立場が逆転しました。子ども同士の中でも上下関係がはっきりし、力の弱い子どもにとっては生活しにくい状態でしたが、その環境を改善することも出来ませんでした。問題行動に対しても、振り返りはするものの表面的なもので、子どもにとっては「何をしても数日間我慢すれば終わる」との考えが定着し、職員からも「二~三日、落ち着いて生活すれば振り返りは終わるから、我慢して取り組むように」と、振り返りをしている形だけとらせて、何とか数日間で終わらせるようにしていました。形式的で表面的な支援を続けるうちに、子どもたちは「頑張っても頑張らなくても、一年以上も学園生活を強いられるのであれば、学園生活を好き勝手にして楽しむ方が良い。残り数カ月頑張ればどうせ出られる。一年以上も無駄に頑張ることは馬鹿らしい」と考えるようになり、「変わりたい」「成長したい」と思い入園してきた子どもも、またその為に頑張っていた子どもも、楽な方へと流され、学園が児童自立支援施設として機能しなくなりました。日課はあってないようなものになり、分校へは登校せず、好きな時間に起き、日中は職員批判をしながら暇をつぶし、夜から朝方にかけて園内徘徊をする。子どもたちは園内で入園前の生活を再現し、このままでは少年院に行くことになるかもしれない…と不安を感じながらも、自分の行動を抑制することが出来ず、ますます行動がエスカレートしていきました。そして毎日続くその対応に職員は疲弊していきました。在園中に子どもが大きな問題を起こす事がないよう、子どもを極力刺激する事がないように注意を払い、その一方で大きな事が起これば、少年院や国立へ措置変更となる可能性についても、それならそれでも良い…との考えもありました。また、学園は地域、学校、家庭が一定期間子どもと離れて過ごすレスパイト的な役割を担えればよく、時期が来れば上手く地域へと移行させ、退園までこぎつければ良い…と、子どもの状態が悪くなるにつれて、そのように考えるようになりました。

支援をしても変わらない状況について、「変わろうとしない子ども自身に大きな問題がある」と責任転嫁し、いつまでこの状態が続くのか、打開策はどこにあるのか分からず、異動を願う職員が多数を占めていました。その状況に他機関からも学園の力不足に不安や不信感の声が上がっていました。その時期に配属されていた職員に思いがない、力がない、責任感がない訳ではなく、モデルとなる支援者の存在がなく、具体的な支援策が分からず、自分の行っている支援が正しいのかどうか、何が間違っているのかも分からないまま、やり甲斐や達成感が持てない状況下では、そのような気持ちに陥ってしまう恐ろしさがありました。

 私は経験年数二年で学園崩壊を経験しました。今でもその時の無力感、苦しさが忘れられません。職員同士も繋がれず、子どもとも繋がれず、打開策を考えるも、希望が見いだせず、正に絶望が丘学園でした。何とかこの状況から離れたい、逃げられないけれど、逃げることばかり考えるような日々でした。

そのような中、ある職員から「児童自立支援施設の職員として、子どもを学園で変えよう。その為に、職員が子どもから逃げずに向き合い、良いことは良い、悪いことは悪いとしっかり伝えていこう。子どもの顔色を伺い、言いたいことを言わず、やるべき事をせず、子どもを措置変更させるような支援ではなく、目の前の子どもが自分の子どもであればどうするかを一番に考えて支援していこう。その結果、上手くいかなくても、自分達の出来ることは全力で伝えてきたと納得いくような支援をしよう!」と発信がありました。その想いに感化されたチームメンバーにより、ステージ制が誕生しました。

ステージ制では、先ずバラバラだった職員の価値観、支援のベクトルをひとつにまとめ、学園として支援の統一を図りました。また支援は担当職員だけが担うのではなく、チームとして学園全体で支援に携わるよう、担当制からチーム制へと変わりました。子ども達の特性、主訴はそれぞれ違っても、社会へ出てから必要とする力は同じです。最終的に目指す子どもの姿は共通しているため、どの子どもに対しても同様の声かけをしていくことが必要であるとし、他寮の子どもに対しても、また職員の経験年数に関係なく、適切な評価をすることが出来るようになりました。

問題行動に対して振り返りを行う個別支援も大きく変わりました。期間ありきでなく、振り返りの深まり、気付きをどれだけ得ているかを大切にするようにしました。子どもが「これくらいの期間で終わるだろう」「こう言っておけば納得するはず」と思うような表面的な支援で留まらず、子どもの成長を本気で目指し、目の前の課題から逃さない、とことん向き合うことを大切にしました。子ども自身、また職員自身もこれまでの支援について振り返り、子どもとの対話を通して理解を深め、作業支援を通してお互いに確認するようにしました。作業支援は、その取り組みから互いの想いを確認することが出来る個別支援において必要不可欠な支援であると初めて気付くことが出来ました。

子ども一人ひとりの頑張りが職員に評価されることによって支援は進み、担当職員によって支援の進度に影響を与えることがなくなりました。適切な行動と評価がマッチし、具体的な目標がクリアされて行くようになると、以前のように支援が進まないことに対して職員のせいであると他罰的になることがなくなりました。「頑張っても無駄」ではなく、「頑張ればそれが評価され、自分の支援の進度に繋がる。頑張らないと支援は進まない」と理解し、つまらない、面倒くさい生活でも「とりあえず、やるしかない」と取り組み始めました。嫌々でも取り組めば評価を受け、認められる喜び、達成感や充実感を味わい、その積み重ねにより、「やらされる」姿から「自ら積極的に取り組む」姿に変化していきました。

 ステージ制の導入と共に、学園は大きく変わりました。一見ステージ制は、チェック項目に○×をつけて、そのポイントをためて支援に繋げるという単純なポイント制のように見られがちですが、職員側が単なるチェックマンで○×をつけるだけでは支援には繋がりません。ステージ制は子どもと職員の価値観の共有、目指す姿を明確にし、それに向けて、対話を重視して行う支援です。子どもの可能性を信じ、職員同士が子どもの成長、目指す姿に向けて何が出来るか真剣に考え、話し合うことが出来る『ツール』です。そして、子どもの課題について、単に反省を促すのでなく、問題が起きた時に、子ども自身が自らの課題と向き合い、考え、乗り越えていく力をつける場が『個別支援』です。ステージ制はその両輪があって成り立つものです。子どもと向き合うことを諦めない、子どもの可能性を信じ、職員同士が夢を語り合い、目指す子どもの姿、目指す学園の話が出来る、その土台となるのがステージ制です。

ステージ制導入後、大きく変わったものの一つに太鼓活動の時間があります。ステージ制が始まる前の太鼓活動の時間は支援の場とは言い難い時間でした。太鼓を粗末に扱い、文句ばかり言い、演奏しても声は出さない、顔も上げない、腕は伸ばさないといった状態で、職員間でも「この子ども達に声や目線、腕の伸ばしなど求めても、無理に決まっている」と考え、求めることはしませんでした。しかし、ステージ制の導入後、少しずつ変化してきた子ども達に対して、「一生懸命取り組むこと」を目指し、諦めずに指導し続けた結果、今では子ども達が自信と誇りをもって堂々と太鼓を叩き、その姿に関係機関の方だけではなく、子ども達のことを全く知らない方にも感動を享受してもらえるような演奏が出来るまでになりました。「どうせ、この子らにはこれくらいしか出来ないだろう」と決めつけ、子ども達の可能性を引き出すどころか、成長を止めていたのは私たち職員であると痛感しました。子ども達は、こちらが諦めずに可能性を信じて支援し続ければ、それを遥かに上回る成長を見せ、感動を与えてくれます。だからこそ、学園生活での活動場面では、ねらいと目的を持って取り組ませる事が必要であると、子ども達が教えてくれました。

今の元気になった学園を衰退させる訳にはいきません。子ども達にとっても、職員にとってもあの苦しい時代に戻ることは、誰もが不幸になることです。

「愛して、信じて、許して」この言葉は、学園が崩壊した時、誰一人として打開策が見いだせず、もがき苦しんでいた時に、私たちに児童自立支援専門員として、また子どもと向き合う大人の一人として、「子どもと本気で向き合う」ことを教えてくれた職員がくれた言葉です。疲弊しきっていた職員に希望を持たせ、支援者としてのモデルとなって、「愛して、信じて、許して」の姿を体現してくれました。児童自立支援専門員として育ててもらったことに感謝しながら、これを伝え、学園の伝統とすること、それが苦しい時代を乗り越えてきた職員としての使命だと思います。

この仕事で味わう、苦しさも含め、楽しさややり甲斐を皆で共有出来る学園であるように、そのために、ステージ制は私たち職員にとっても欠かすことのできない大きな羅針盤です。私が育ててもらったように、生き生きと働く姿が、そして支援の分りやすさが、また職員の一体感が子どもも職員集団も育てていくのだと思います。

これからも、希望が丘学園のステージ制を益々進化させ、より一層子どもたちに寄り添い、一生懸命粘り強く支援していきます。そして、子ども達と共に私たち職員も成長し、いつまでも「希望」を見出せる笑顔のあふれる学園であり続けたいと思います

 

Ⅲ 個別支援を通しての職員のスキルアップ

 

この章では、個別支援と人材育成について述べていきます。

 児童の個別支援を行うことで、それが職員のスキルアップにつながり、また、職員を育成させる絶好の機会になりうる場として、この章では述べていきます。

  そもそもなぜ、最近「人材育成」という言葉が良くつかわれるのでしょうか。ここでもう一度、おさらいをしてみましょう。

はやり言葉のように、あちらこちらで人材育成が叫ばれています。

書店を見ても、人材育成コーナーがあるくらい、CDショップに行けば、人材育成のテーマ曲がかかり、花屋に行けば、人材育成と花の育て方は似ている、育てようコスモスと書かれたPOPを目にします。

再びたまごっちの到来を思わせる、この流れ。

人材育成がこれほどまでに叫ばれているのは、新しく採用した人材が育っていない、また、新しく採用になった職員が適応しない、異動してきた職員が適応しない、だからこそ、これほどまでに人材育成を叫んでいるのだと思います。

職員が育っていない、適応しない、というのはどういうことでしょうか。皆様の職場を想像してみて下さい。

一般的に考えてみると、

 ○挨拶が出来ない。

 ○声が小さい。

 ○時間を守らない。

 ○提出書類の期限を守らない。

 ○仕事中にネット・ラインに没頭している。

 ○何か問題があれば、児童のせいにし、自分を省みない。

 ○児童がしている活動を一緒にしない。

などなど、数えあげればきりがなく、前半の四つの点など、人材育成入門編に関係しているのかもしれません。

 

古代エジプト、ピラミッドの壁画に「最近の若い者は…」と彫ってあったり、古代ギリシャの哲学者プラトンが「最近の若者は…」と嘆いたり、清少納言が「~なに事を言ひても、そのことさせんとす、いはんとす、なにせんとす、いふと文字を失ひて、ただ、いはむずる、里へいでんずる、など言へば、やがていとわろし」と嘆いていみたり…(諸説あり)

しかし、そもそも、その若者を育てたのは、教育したのは、今の大人たちであり、挨拶が出来なかったり、返事が出来なかったり…そのように教育してきたのは、現代社会、今の教育だというのを忘れてはいけません。

人材育成など、さぞ、ありげにうたってはいますが、今の社会が生み出した、大人たちが生み出したもの。それをそのように言ってしまうと角が立つので、尻ぬぐい=人材育成、と、個人的には考えています。

挨拶、返事、遅刻などはそれにあたるのではないでしょうか。ゆとり教育のなれの果てとでもいいましょうか。

また、言われなければやらない、言われたことしかやらない、言ってもやらない、などもそれと同じと考え、ここでは、そういった事は扱いません。

 ここで考える人材育成とは、それではなく、

○ステージ制のありかた。

○児童への接し方。

○個別支援のやり方。

 そういった事を通じて、児童に対する考え方、児童に対する接し方を学び、自分の力として身につけていくことを教えていく、専門的な力を身につけるための人材育成を考えていきます。

そもそも人材育成を語るには、教える側に、このような人間になってほしい、というビジョンが明確にあり、初めて成立するものであります。こちらが漠然と、あいつは仕事が出来ない、あいつには子どもに対する思いがないのか、と思っていても人は育ちません、批判だけでは育てられません。その施設の目指す職員像が明確にあり、それに近い職員が存在し、その職員が新しくきた職員に伝えることで初めて成立するものであると私は考えます。

だから、まずは、育成をしようと考えている立場の者から、その行動を見直さなければならないと思います。

例えるならば、遅刻をしている人が、遅刻をするな、と言っているようなものであります。 

 そして、人材育成を必要としている人たちが「俺の背中をみて育て」「技術は盗むもので、教えられるものではない」と教えられてきた人たちがほとんどであり、育てる人が育っていないのが大きな現状であることを忘れてはなりません。

 しかし、そのような事を言っても始まりません。誰かが、何かを始めなければなりません。高知県立希望が丘学園は、苦悩の末にステージ制を生み出しました。このシステムは、児童のためでもあるのですが、実は大人を育成するためのシステムでもあったのです。(前章参照)

 このシステムのおかげで、児童の何に着目をすればいいのか、児童の何を支援すれば良いかが明確になり、児童支援の在り方を、後代に残すことにある一定成功したのであります。

 そのステージ制と密接に関わっているのが個別支援であり、それを今から説明したいと思います。

 

「個別支援」

児童自立支援施設は全国で五十八施設存在し、その中で、個別支援というのは、どの施設職員も一応の想像は出来ますが、その実態は、施設によってばらばらであると思います。

大雑把に言うと、児童が何か問題を起こし、また、課題に直面した時に、児童が自己と向き合うために、全体と切り離して、個別に向き合う時間をとることで、その内容は、反省文であったり、自己を見つめなおす面接であったり、作業であったり、内観的なものであったりと、施設によって内容は様々であると思います。

簡単にいうと、個別に時間をとって、自分の課題と向き合う場、であると思われます。その児童に対して、一つでも何か残すために、何かにつなげるために、個別支援を各施設行っているのではないでしょうか。

希望が丘学園の「個別支援」

ここでは、希望が丘学園の個別支援の仕方について説明をします。

希望が丘学園では、個別支援として「内省」「自粛」「振り返り」が存在します。

その違いは、その問題行動の重さによってわかれてきます。

「内省」…暴力・暴言・器物破損・いじめ・盗みなど

「自粛」…作業・部活などの活動拒否・イライラして物・人にあたるなど

「振り返り」…何度も忘れ物をする・同じ×(ステージチェックによる)が何度もつくなど

違反行為や逸脱行為について、大きく三つの個別支援があり、何か問題行動があった時に、寮職員が話し合い、内容決定後、幹部職員に連絡をし、承認を得て支援をしていきます。

「自粛」「振り返り」は、その場にいる職員と面接・振り返りノートに記入・作業を経て、個別支援を終えます。

「内省」は、寮職員と最低2回の面接を行い、振り返りノート・作業態度などを見て、自己の深まりを確かめます。その結果、児童が、自己と向き合うことが出来ていれば、寮職員全員の判断のもと、次に、幹部面接へと移行します。

幹部面接は、その児童と各寮チーフ、主幹教諭、教頭、副園長、園長と面接を行います。その面接を経て、それらの人が集まり(規律対策委員会)、その児童と面接をしてみての印象、課題、その児童についての課題認識や今後の支援方法を確認し「内省」を解いていきます。

寮の内省が解除になると、次は、試験分校を行います。内省時は分校に登校することがなく、寮の職員とのかかわりが密になり、分校の教諭は、児童の状態を正確には把握していません。そこで、本当に、この児童が、意識を持って今後の生活をおくれるかどうか、分校の教諭にも確認をしてもらうために、試験分校が存在しています。

分校での態度が悪ければ、試験分校失敗、まだ課題と向き合えていないととられ、寮に戻り、ももう一度振り返りを行います。

試験分校は2日間行われ、そこで、問題なく過ごすことが出来れば、内省解除となり、分校の教頭の前で、児童が決意を述べる(分校復帰セレモニー)ことを経て、内省が終結します。 

 このような流れで、内省を行っています。

 この支援と人材育成について、今から述べていきます。

 

一人の児童が「内省」になることで、

寮職員五~六人、幹部面接の職員7人、分校教諭一〇~一二人が関わります。その人たちがその児童に対して、お互いに意見を出し合います。必ず、何か意見を言わなければならないので、その児童に対して適当な目でみる事は出来ません。また、その児童に対して多くの意見を聞くことが出来、自分一人では、その児童に対して、一方向しか見られなかったものが、多方向から見る事が出来ることになります。

また、自分の意見に対して、他の職員から意見が出れば「あっ、なるほど」「でも、自分はこう思う」など、さらに自己の考えを深めたり、気づきを持てたりします。

この個別支援システムは、知らずしらずのうちに職員自身の考えを深めていくものであり、育成につながっています。

また、職員との面接をした児童は、必ず、振り返りノートに「その職員と話をして」というタイトルでノートに一ページ以上、その職員と話をした事を書かなければなりません。そのノートは、先に記した職員全員、目を通すことになります。

新しい職員がどのような話をその児童としたのか、というのがノートを通して理解できます。だから、職員が万が一、児童の内省に対して、的外れな事を話していれば、すぐにわかるわけです。

そのノートを見て、他の職員が、職員に対してアドバイスが出来るのであります。

 

(具体例)

私が女子寮にいた時のことです。

ある児童が内省になりました。その児童と私が面接をし、振り返りノートを書きました。

そのノートを別の職員に見て、このような話をしました、と報告をしました。

すると、その報告を聞いた職員が「この子は、どうしてそのように思ったのか?」と私に尋ねてきました。私は「わからないです」と答えると「そこのところを聞くと、この子の考えが深まるかもしれないね」とアドバイスをしてくれ、すぐに、その事に対して、もう一度、面接を行いました。

このように、ノートをもとに、職員と話が出来るので、忘れることもなく、具体的でわかりやすいアドバイスをもらう事が出来ます。

「内省」だけに限らず「自粛」「振り返り」で関わる職員の人数は変わってきますが、同様な事が行われます。

個別支援を行うたびに、児童だけでなく、職員もレベルアップしていくシステムなのです。

しかし、このシステムに課題はあります。

それは、職員が多ければ多いほど、その職員の日程を合わせるのが大変になってくるのところにあります。ある職員が連休に入ってしまったり、1週間の研修が入ってしまったりすると、児童との面接が出来ず、内省解除の日程が長くなってしまいます。児童の都合ではなく、大人の都合で児童の処遇が決まるのは、決していいことではありません。当然、その場合は、不在の職員を抜いて、先に進んだり、会が行われたりすることになるのですが、内省の時に、児童と関わることが出来ない職員、当然、その児童との関わりが薄くなり、周りとの温度差も出来てしまいます。大人にも事情があり、仕方のないことではありますが、それは一つ課題としてあげられます。

もう一つの課題は、児童支援に正解がないところにあります。多くの大人が多方向から、その児童の事を考えるのですが、正解はなく、どれだけ作業をさせれば自己が深まっているのか、正解っぽい事を書ける、言える子どもが個別支援を開けるのが早いのか、など、それを測る職員が必要であるということであります。そこがぶれてしまえば、チームはたちまち崩壊し、みんなが好き勝手なことを言い始め、子どもも混乱してしまうと思います。

最終的に職員の自己満足に終わり、児童のため、という線路から脱線してしまいます。

最近、よく言われるのが、個別支援は何日ぐらいが良いのか?ということです。

みなさんはどのように考えますか?

三日、一週間、それとも一カ月…

先にも述べたように、児童支援に正解はありません、だから児童の深まりを正確にはかることは出来ません。

だからこそ、個別支援を行っている職員が、この児童は自己を見つめ、内容が深まったと判断することが必要であります。

それをもって個別支援を終了します。チームで個別支援を行うので、一人の職員でも何かひっかかりがある状態で個別支援をあけてはなりません。納得がいかずに、その児童の個別支援をあけてしまうと、その事がチームの崩壊の原因になる可能性があります。

それは、寮の自己満足なのではないのか、その児童はもう自己を深めているのではないか、と周りが異議を申し立てたくなる時もあるでしょう。しかし、実際に支援をしている寮は、その寮であり、生活をみている、面接をしている、作業を一緒にしているのは、当該寮なのであります。

だからこそ、その寮が個別支援に対してのプランをしっかりともち、その児童に何が足りないのか、何をさせたいのか、を明確にしなければなりません。それがなく、ただ、だらだらと長くしているだけでは、それでは、子どもも大人も疲弊するだけになります。 

また、真夏の日に長時間作業をさせるのはどうなのか?そもそも、長時間の作業に意味があるのか?と疑問に持たれる方も多数いる事と思います。

まず、長時間作業をその児童と一緒にしていただきたいです。WITHの精神を持って。

なぜ、その児童が個別支援になったのか?

自分たちの何が足りなかったのか?

これから、自分の寮をどのように回していこうか?

ぶっちゃけ、夏休みの行事を回すのを大変っす。夏休みが一番大変っす。僕も休みたいっす。夏休みの最後、十連勤以上になってるっす…

作業中、私は、さまざまな事を考えます。児童の作業の様子を見ながら、自問自答を繰り返します。

ただ、作業をしているだけでは、それは罰としてとらえられてしまいます。しかし、私たちは、児童に、作業をする時にテーマを持たせて作業をさせます。

なぜ、そのような事をしてしまったのか?

なぜ、ルールがあるのか?

自分の生い立ちについて…などなど。

作業をしながら考えることで、自分の中の考えがどんどん深まっていくのがわかると思います。部屋でじっとして考えていると、八方塞がりに陥りやすく、マイナスの考えが浮かびやすいです。しかし、体を動かしながら考えることで前向きな考えが生み出されやすくなると思います。

これは、私が知っている児童福祉の世界で有名な、ロシアのサギョウ・ダイ・スキーの言葉でもあります。

また、児童にとってしんどいと感じる状況を克服する体験をすることで「達成感」というものを感じる事が出来るのではないかと思っています。

 

個別支援 Aの証言

 

「いやー。まじ、あの暑さの中で、グラウンドの作業をする事になって、死ぬかと思いました。この先生、俺を殺す気なのかなって。でも、休憩の時のあの茶の味、一生忘れられんっすよね。しかも、あの作業が終わった瞬間、俺、すごいのかも、って思いました。生まれて初めて、やりきった、って思いました。ぶっちゃけ、これ、やったやつにしかわからん感情なんで。一緒に作業してない先生にとやかく言われると、はあー、って思うけど、一緒に作業した先生とは、なんか、戦友みたいな感じになるんすよね」

 

希望が丘の支援の三本柱。

「部活(太鼓・野球・テニス・陸上)」

「日課」

「作業」

児童自立でもよく、この三本柱があげられます。

作業が入っている意味。

それは、作業は誰にでも出来ます。

部活・勉強などは、どうしても優劣がついてしまいます。しかし、作業には、それが出にくいと思われます。要領などはありますが、それでも、反復すれば、その優劣はすぐに埋まってきます。そこに作業の奥深さを感じます。

 

個別支援に対する考えは様々でありますが、希望が丘はこのスタイルでこれからもやっていくつもりであり、この個別支援があるからこそ、ステージ制が生きてくると思います。

ただし、この個別支援を扱う人間が、個別支援に対するビジョンをしっかりと持っていいなければ意味をもたないので、そこは慎重に扱いたいところでもあります。

交代制における最大の課題は、何十年にもわたり言われてきたことですが、その人が不在になった時に、回らなくなるのは、本当の組織ではない。未来永劫、長きにわたり、受け継がれ、発展していくことが出来なければならない。ということです。

その可能性を示したのが、この、ステージ制であると私たちは信じています。

私が好きな言葉に「その人がいなくなった時に、その仕事が滞るようでは、その人は本当の意味で仕事をしているとはいえない」と言うのがあります。

交代制には必ず異動があります。だからこそ、去られた職員の方々の思いを踏みにじらないように、その思いをつなげるために、私は今を生きています。

それが人材育成の基本なのかもしれません…

余談として…。

個別支援とは関係ありませんが、人材育成に関する事を一つ。

子どもたちが一生懸命している姿をみた時に「自分も一生懸命しなければならない」「自分に出来る事はまだまだあるはずだ」と、かえり見る事がしばしばあります。

子ども達から教えてもらうこと、子どもたちに気づかされること、それも一つの人材育成ではないかと考えます。

ステージ制・個別支援などを通じて、職員を育てる、育っていく事について述べてきました。

しかし、いつまでもこのステージ制に頼り切って、ステージ制の上にあぐらをかいてしまっては、いつかはまた、学園が崩壊をすると思っています。

支援の質の向上、このステージ制を進化させること、人材育成、アフターケアの充実、中卒児対応など、多くの課題があるので、その事について今後も考えていき、自立支援を活性化させていきたいと考えています。

     

Ⅳ おわりに

 「ステージ制」「個別支援を通して、職員を育てる、育っていく事について述べてきました。

 それは、繰り返しとなりますが、「ステージ制」の特徴は、児童の側からみると「わかりやすさ」「具体的な目標設定」「メリハリのある生活」などが体現できるのではないかと思います。

職員の側からみると、「指導の統一制(一貫性)」「支援の見える化」「情報共有の必然化」などです。

当学園の現在の段階は、目の前にある大きな課題を解決するための方法を立ち上げ、従来の課題の解決は出来つつあろうと思います。

現在は、如何に継続発展させるかの段階となってきているのではないかと考えており、今後は、新たな事象に対して、原則や本質を踏まえた上での判断する力やそれを支援に繋げて考える力が「ステージ制」をより熟成させるためには必要不可欠となります。

また、「ステージ制」はインケアでは大きな効果を発揮していると考えていますが、リービングケア、アフターケアに対しての取り組みはこれからであり、インケアへのフィードバックを如何にするかも次の段階の課題となっています。

その様に、解決すべき課題が明確になる中で、職員に求められる専門性も明確になることにより、人材育成への効果的な取り組みが出来ると思います。

「ステージ制」の要素には、チェックリストで○×をつけて点数で評価する事が基本ですので、支援方法として賛否はあると思いますが、現場の苦悩から考えたものであり、特に同種の困難を経験されている交代制職場では有用ではないかと考えています。

「ステージ制」は一つのツールであるという事は、自分たちの共通の認識で、いかに活用するかを研究しています。また、導入によって生まれた安定状況に、支援のレベルアップを追究する事の出来る場が確保できるようになりました。今後は、アフターケアや中卒児対応など次の課題を検討する中で、「ステージ制」の改善にとどまらず、新たな支援が生まれる事を目指して、一歩一歩を踏みしめながら前進している最中であります。

「ステージ制」による変化を通して感じたことは、児童と向き合う現場が、今に満足することなく、更なる発展を目指すことが出来る状態にある事が、職員の専門性を高める事に寄与し、人材育成にとって必要な事ではないかと思います。

また、そこに至るまでの多くの職員の苦悩を新たな職員も共有し、同じ思いで受け継ぎ、新たに切り開く職員を目指すことも人材育成の本質ではないかと思っています。

 

 

この記事に関するお問い合わせ

高知県 子ども・福祉政策部 希望が丘学園

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