公開日 2007年12月06日
更新日 2014年03月16日
知事のリレーエッセイ 「今、役所が変わる予感」「1.5車線の思いと知恵」「組織選挙の構造改革」
平成13年8月6日(産経新聞朝刊 西日本広域県版 「知事のリレーエッセイ」欄)
「今、役所が変わる予感」(H13.4.16掲載)
「最近は、やりにくくなった」。そんな役人のぼやきが聞こえてきそうだ。
それもそのはず、ひと昔前、役人の世界で情報といえば、「情報管理」や「守秘義務」が常識だった。それが、今は、情報公開が常識だ。
だから、審議会や委員会を、公開するかどうかが議論されたことも、すぐに昔話になるし、始めの五分間だけ撮影を許可する、「頭撮り」といった専門用語も、死語になるだろう。
さらに、これからは、決定に至るプロセスも開かれなくてはならないから、相手が、公的な立場の人や団体の場合には、何月何日に、こんな要望があったということが、県のホームページに、リアルタイムで公表されるようになると思う。
これだけでも、隠しごとに慣れた役人には、わずらわしく感じられることだろうが、これに加えて、公益性の判定も、行政の専売特許ではなくなってきた。というのも、高知県では今、県が行った融資をめぐって、元幹部職員が、背任の疑いで告発される事態になっているのだが、これも、従来の役所の考え方からすれば、行政に任された政策判断や、裁量権の範囲と言えなくはない。それが、背任に問われる時代背景を考えるとき、公益性の判定を、県民にゆだねる仕組みの必要性を感じる。
例えば、千葉県我孫子市では、補助金の交付にあたって、五人の市民からなる委員会で、公益性を判定するといった、新しい手法を採り入れている。同時に、県民の目の届かないところで、行政が一方的に公益性を判断する時代に変わって、各県に、県民参加の「公益性判定委員会」が立ち上がる、そんな時が近づいているように思う。
それだけでなく、役人の仕事も、書類と法令を相手にしていれば事足りるという時代ではなくなった。高知県では最近、県東部の室戸市の海底から汲み上げている、海洋深層水の活用に関して、あるビール会社と、トラブルになったことがある。受けとめ方のずれが原因だったが、わが方に、日々厳しい競争にさらされている一線のビジネスマンと、対等に渡りあう経験が、不足していたことも一因だ。
あわせて、今回のトラブルでは、県民の感情もかなりこじれたので、県の姿勢も、強腰にならざるを得ない面があった。ただ、その一方で、今回のケースから、「高知県はつきあいにくい」という悪いイメージが、企業の間に広がらないかと心配だ。それだけに、企業まわりをする時に、そこまで気をまわして、「実はあの件は…」と、耳もとでささやける職員が出てくればなと思う。
こんな環境の変化を、やりにくいと受けとめる職員が多いか、それとも、面白いと受けとめる職員が多いかで、それぞれの地方の将来も、大きく変わっていくことだろう。
「1.5車線の思いと知恵」(H13.6.4掲載)
1.5車線という言葉を、ご存知だろうか。従来、道路の道幅を改良するときには、二車線化が原則だったが、これでは、時間もかかるしお金もかかる。そこで、せめて車がすれ違えるようにと工夫されたのが、1.5車線への道幅の改良だ。ただ、これは、あくまでも原則の枠外だから、道路特定財源ではなく、地方の独自の財源で取り組んでいる。
「たぬきしか通らない道」といった、地方への冷やかしの声が強まる中で、こんな話を切り出しても、都会の方にどう映るのか自信はない。が、例えば、年とともに高齢化が進み、医療機関との時間距離が切実な課題になっている、日本全国の地域の思いにも、もう少し耳を傾けてもらいたい。
もちろん、地方の側も、“地方族”といえるような依存体質から、脱却しなくてはいけない。だから、さまざまな分野での構造改革には大賛成だ。だが、その際には、大都市と地方の対立といった視点ではなく、二十一世紀の国土を考えた、バランスと話の道筋が必要だと思う。
道路特定財源も然りで、長い歴史からみても、見直しの議論は当然だ。だが、その財源を幅広い事業に使うというのなら、そもそもの納税者との約束とは違うから、まず課税そのものを白紙に戻して、税の在り方として議論をすべきだろう。一方、大都市の渋滞解消や、地方での市町村合併の推進といった、今後の課題を進めていくときに、道を抜きに、またそのための財源を抜きに、国の政策が形づくれるのだろうかとも思う。
大づかみなことしか書けないので、わかりにくいかもしれないが、地方交付税の見直しの議論も同様だ。つまり、その背景にある、国の規制や誘導、さらには税源の配分など、全般にわたっての見直しがないと、「都会が稼いだお金が地方で使われている」といった、対立の構図にわい小化されてしまう。
NHKの記者時代に、伊豆大島の三原山の噴火災害を、連日、全国ニュースで流した経験がある。その時、鹿児島の方から、「桜島でも、そんな扱いをしてくれますか」という、ご指摘を頂いたことがあった。知事になってからは、逆の立場で、大都市の視点からの情報の偏りが、目につくようになった。
1.5車線ではないが、すき間を埋めていく知恵が、特に、大都市と地方との間の、思いのずれを埋めていく知恵が、今求められているのではないだろうか。
「組織選挙の構造改革」(H13.8.6掲載)
親から授かった性分か、それともいのしし年のせいかわからないが、走り始めたら止まらないくせがある。今回の参議院選挙でも、地元の高知選挙区で、無所属の三十二歳の青年を力一杯応援した。首長が特定の候補に、そこまで肩入れするとはとご批判も受けたが、これが自分の生き方だと割り切って、とことんやり通した。
結果的には、目標を達成することはできなかったが、これからの時代の選挙の在り方を考える上で、一石は投じられたと思う。
というのも、十年前、僕が初めて知事選挙に挑戦した時、強い組織を相手に、いわゆる草の根型の選挙で、大きな風を巻き起こすことができた。このところの、長野・栃木・千葉の知事選挙を例にあげるまでもなく、それから十年の間に、地方の首長選では、少しずつ変わり始めている。
一方、自由民主党の総裁選挙という、事実上、国のリーダーを選ぶ選挙で、小泉さんは自ら派閥を離脱した。こうした、いわば政党内での草の根型と言える戦いが、ブームに火をつけたきっかけだった。このように、地方も国も、リーダー選びの構造には、確実に改革の兆しが現れている。
そこで、次は、地方と国を結ぶ国会議員の選挙にも、構造改革を呼び起こしたい、そんな思いで取り組んだのが、今回の選挙応援だった。そうしなければ、いかに国と地方のリーダーの意識が変わっても、双方がお互いに理解しあえる改革は、進められないと思ったからだ。
そもそも、今回の参院選では、聖域なき構造改革が最大の争点だった。しかし、小泉さんも、従来型の組織選挙の構造改革には、ひと言もふれられなかったし、この点はあいかわらず、聖域の中に押しこめられていた感が否めない。
しかし、全国の選挙区で、小泉さんが聖域なき改革を訴えられる一方、この人気に支えられて、こうした古い組織選挙の構造が保たれていく現状は、決して望ましい姿とは思えない。
まして、今回の選挙では、小泉改革の中に、地方の思いがどこまで届けられるかも、大きなテーマの一つだった。もちろん、組織のしがらみを持つ方々も、それなりに地方の思いを主張されるだろう。が、そんな古い主張で、改革の荒波に地方は立ち向かえるのだろうか。改革の大合唱を前に、思い悩む日々である。