平成13年仕事始め式知事挨拶

公開日 2007年12月06日

更新日 2014年03月16日

仕事始め式知事挨拶(平成13年1月4日)

 皆さん新年あけましておめでとうございます。

 いよいよ新しい世紀、二十一世紀が幕を開けました。僕にとりまして二十一世紀のスタートの場所になりましたのは高知城の二の丸で、高知城の築城四百年祭の式典のスタートにあたって、数千人の方々と一緒にカウントダウンをしながら、新しい世紀、二十一世紀を迎えることができました。また、この年末年始は初めて、二人いる孫が揃って高知に来てくれましたので、孫と一緒に温泉に入ったり、アンパンマンミュージアムに行ったりしてのんびりと過ごすことができました。おかげさまで、年末にかぜをひいて出なくなった声も、ようやく元に戻ってまいりました。その孫と一緒に風呂に入りましたときに、最近ちょっと出てまいりました下っ腹を孫がしげしげと見つめまして、そこを指でちょんちょんとつついて”これって重くない?”と言われたのが大変ショックでございました。

 孫の話からいきなり堅い話で恐縮でございますが、ショックといえば年末年始にお目にかかった方から、九年間あなたが知事として費やしてきた労力、努力に比べて、そこから得られた成果がまだまだ小さいのではないか、砂漠に水を撒くような、そんな印象はないだろうか、ということを言われまして、これもちょっとしたショックでございました。というのは自分自身が九年間、高知県庁に溶け込んで、必死にもがくなか、自分のことばで皆さん方に訴え、皆さんにお訊ねをしながら、この高知県庁もずいぶん変わってきたということを実感をしてきたのでございます。が、そういう方の声を聞きまして、これはもしかすると自分はそう思っているけれども、九年間のうちに自分自身、この組織の中に溶け込んでしまって、言い方を変えますと、少しどっぷりとつかってしまって見えなくなっているものもでてきているのではないか、そんなことも思いました。

 実は、この二十一世紀の仕事始めにあたります今日は、本当はあまり小難しい話はせずに、軽い話題をテーマにして、おっ、知事もちょっと変わったな、柔らかくなったな、と思っていただくイメージチェンジのきっかけにしようと思っていましたが、変に丸くなったなと受け止められてしまって、ただ単につきあいやすい知事、また、物わかりの良い組織人になったのでは、これまた九年間の努力が水の泡になりかねないな、と思いまして、大変恐縮ではございますが、また、少し、肩肘の張った話をさせていただきたいと思います。

 まず最初に、まもなく迫ってまいりました国の省庁再編でございますが、国の行政改革の中ではよく官主導、官僚主導から政治主導へというキャッチフレーズが使われました。では、政治主導ということはどういうことだろうということを考えてみますと、僕は自分なりに解釈をすればそれは、国民主導、県で言えば県民主導ということではないかと思うのです。ですから、政治家主導の政策であっても、それが国民主導につながっていないのであれば、それは決して政治主導にはならない。逆に官僚主導の政策であっても、それが国民主導につながる政策であるならば、それは立派に政治主導になるということを思いました。そうした意味で、県庁の中ではただ一人の政治家である私と、官僚である皆さん方が良い形での緊張関係、パートナーシップを持って民主主義の根本である民主導、政治主導の政策というものを実現していけるように、そういう高知県庁に、ぜひ二十一世紀はしていきたいなということを思っています。

 ただ、二十一世紀の百年間というものを考えてみますと、私自身が知事をやっていられる期間というものは、決してそう長いものではありません。ですから二十一世紀がスタートしたというのでゆったりと構えるのではなくて、引き続き変革ということに心していきたいと思います。

 変革ということで言えば、皆様方もご承知だと思いますが、僕を含めました8人の全国の知事で「地域から変わる日本」という活動をしています。その年末の会合の際に、ある知事さんが虚礼廃止の話を始めたのをきっかけに、かつて、「こじゃんとーく」で募集したことのある「こんなモノいらない」、こういう古いしきたりをやめたら、という事例を集めてみたらという話になりました。話をしていきますと、中には四月に行う新年度の辞令交付を全部やめた県ですとか、知事のあいさつ文の起案はもう全部やめた県とかさまざまありましたし、また、建制順で総務部が筆頭だという慣例をやめてしまって総務部を建制順の最後にした、といった県もありました。さらに、どこの課とはいいませんけれども、今のような仕事であれば現在の名称のままで仕事を続ける必要はないのではないか、というような話もでて、大いに話に花が咲きました。それはともかくといたしまして、これまでもずっと言い続けてきたことですけれども、二十一世紀のスタートということをきっかけに、また、新しい世紀になったということを口実にされてもけっこうですから、これまで営々とし続けてきた仕事の仕方、また、その内容というものを一つずつ見直して、今申し上げたような、こんなものいらないというものを、思い切って整理していけるような、そういう高知県庁でもありたいと思っています。併せて、これもこれまで何度も言って来たことですけれども、今、ある法律や制度を解釈し、それを運用していくというだけの公務員ではなくて、あるべき制度やあるべき枠組みというものを自ら考え提案し、実行していけるようなそういう公務員、職員であっていただきたいということを思います。また、それと同時にそうした職員を評価していけるような高知県庁に改革をしていきたいということを、改めて申し上げておきたいと思います。

 どうしても、いつもの癖で少し説教くさい話しになって恐縮ですが、説教くさくなったついでに、もう少し申し上げますと、二十世紀の最後の数年高知県庁はいろいろと暗い話題があって、仕事も停滞したのではないかということが言われます。が、もちろん災いは転じて福となす、という心構えが必要ですし、また、仕事そのものはそんなに停滞したとは思っていません。確かに二十世紀から積み残している課題、整理をしていかなければいけない課題などいっぱいあると思いますし、また、国際競争・規制緩和が続く中で、本県を取り巻く環境はますます

きびしくなる面も数多くあろうと思います。が、その一方で、国が今、力を入れて取り組もうとしている、例えば情報化ですとか、教育改革などを考えてみますと、我が高知県が国よりも一歩も二歩も先を行っている、そういう分野も多くあるのではないか。そのことにぜひ職員の皆さんには自信と誇りを持っていただきたいということを思います。

 特に子育てということを含めた人づくり、教育ということはこれから二十一世紀の日本にとって最も大きな課題の一つであろうと思います。振り返ってみますと二十世紀の日本では、教育というのは国の目標を実現していくための手段として使われた面がありました。例えば明治から昭和にかけては政治や軍事のために、また戦後は経済発展のために、そうした国の目標を実現していく、それを担う人づくりというのが教育が担った役割ではなかったかと思います。これに対して、子どもが主人公ということを全面にうち出して開かれた学校づくり、子どもたちによる授業評価、などを取り入れたのが、土佐の教育改革ですし、こうした教育改革の土台として子どもが小さなうちからいろんなことを体験して感性や感受性や創造性を養っていけるような、そういう仕組みを作っていく、そんな仕事を手がけてきました。これは仕事の一環ですけれども、このように国よりも、全国よりも先がけて取り組んできた仕事も数多くある、そのことにぜひ皆さん方は胸を張っていただきたい、自信を持っていただきたいと思います。

 教育、人づくりということでいえば、最初に孫の話もいたしましたが、私の孫は五才と二才の男の子でございます。自分の孫の自慢のようで恐縮でございますが、二人が無邪気に楽しくじゃれあっている姿を見ますと現代社会を覆っていると言われている不感症だとか無関心という病根のかけらも感じませんでした。と同時に自分の孫だからということではなくて、そういう子どもたちの将来のために環境とか教育といったようなテーマを中心にして二十世紀には無かったような新しい仕組みを作る、そういう取り組みを展開していくことが、これからの私たちに課せられた課題、責任ではないかということも改めて思いました。

 今年も一年、県民の皆様のために力を尽くして行きたいと思います。ぜひ県の職員の皆さん方も二十一世紀、新しい世紀のスタートにあたって、新たな気持ちでそれぞれの仕事に取り組んでいただきたいと思います。年頭から少し堅苦しい話しで恐縮でございましたが、ありがとうございました。よろしくお願いします。

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