公開日 2007年12月06日
更新日 2014年03月16日
知事のリレーエッセイ「大きなお世話と小さなお世話」
平成13年10月22日(産経新聞朝刊 西日本広域県版 「知事のリレーエッセイ」欄)
「大きなお世話と小さなお世話」(H13.10.22掲載)
もともとは、東京生まれの東京育ちなので、都会の暮らしも十分に経験しているが、今五十四歳の私が、小中学生の頃までは、隣近所のおつきあいもあったし、回覧板もまわっていた。
親たちも、それをわずらわしく思っていた節はなかったから、きっとご近所どうしの小さなお世話が、有り難かった時代だったのだろう。ただ、こうしたおつきあいも、やがて大都会では、大きなお世話と受けとめられるようになってきた。
そんな大都会と、様々な意味で対照的なのが、地方の過疎地域だが、そこには、都会では失われつつある地域の支えあいが、まだ強く残っていると実感する出来事があった。
それは、先月の初めに高知県の西南部を襲った集中豪雨の時のことだが、全半壊や、床上床下への浸水など、住宅の被害だけでも、千五百棟をこえるという大きな災害だった。しかも、高齢者の多い谷筋の地区を、土石流が走ったのだから、物の面だけでなく心の面にも大きな傷を残した。
ただ、それだけの災害にもかかわらず、亡くなった方や行方不明になった方が、一人もいなかった。地域の高齢化の進み具合とあわせて考えてみれば、奇跡的といってもいいことだったが、豪雨の二日後に現地に出かけてみると、行く先々で、「間一髪のところで、消防団の人達に裏の窓から助け出された」とか、「近所の人達が、一人暮らしのお年寄りを家から助け出して間もなく、家が土石流にのまれた」といった話しを耳にした。
こうした地域の連帯感や支えあいの気持ち、つまりは、小さなお世話の積み重ねが、何人ものお年寄りの命を救ったのではないかと思う。
また、この災害では、ボランティアの活躍が目立ったが、災害のボランティアといえば、家具の後かたづけやごみ出しなど、力仕事を思い浮かべがちだ。このため、「何かお手伝いをしたいが体力に自信がない」といった人も多いはずだ。
ところが、災害の際のお世話は、何も力仕事に限ったものではない。例えば、今回の現場では、マッサージの特技を持つ人が、避難所にいるお年寄りの肩や足を揉んでまわったという話もあった。
先頃、東海地震や南海地震の発生確率の評価が公表されたばかりだが、やがて来る地震への備えとしても、小さなお世話の再評価が必要ではないだろうか。