第二回高校生自然環境サミット基調講演「川から学ぶこと」

公開日 2007年12月06日

更新日 2014年03月16日

第二回高校生自然環境サミット基調講演「川から学ぶこと」

平成13年8月1日

 知事の橋本です。本日は、第2回の高校生自然環境サミットに、講師としてお招きをいただきまして、誠にありがとうございました。
 と言いましても、毎日、とても忙しくしていますので、今日の話の内容をゆっくりと考える、あまり時間的な余裕がありませんでした。ですから、学校から、今日の話のテーマを何か決めて欲しいというお話があった時にも、まあ、前の晩に話の内容は考えるので、テーマをあらかじめ決めるのはなかなか難しいと、こうお答えをしていたんですけれども、せっかく、全国から多くの方々に来ていただく会です。ですから、テーマも決めないまま話をするのも失礼かな、と思いまして、「川から学ぶこと」というようなテーマ、タイトルを付けることにしました。
 まあ、そんないきさつですから、それほど深い意味があるわけでもありませんし、また、このテーマに相応しいお話ができるかどうか自信はありません。けれども、せっかくの機会ですから、心を込めてお話をさせてもらいたいと思います。

 で、今ちょうど夏休みの時期ですから、各地でこうした高校生の皆さん方の集いが開かれています。たまたま、一昨日から昨日にかけましても、高知の市内で学校の家庭クラブの全国大会、つまり、家庭科を学ぶ高校生の皆さん方のクラブの研究発表大会が開かれました。その会にも来賓としてお招きをいただいて、祝辞を述べたんですけれども、僕は今54才ですから、僕が高校生の頃には、男子には家庭科という授業がありませんでした。ですから、その祝辞の時にもどんなお話をしようかなと思ったんですが、とりあえず、自分自身の家庭ということから思いつく昔話というか、思い出話をしました。
 というのも、僕はこう見えても、わりと家庭の中でお料理を作ったり、またお掃除をしたりするということが嫌いではないというか、わりと好きな方です。ですから、今は知事になってとても忙しいので無理ですけれども、その前に、NHKの記者をしていた時には、よく週末に材料を買い込んで、1日かけてシチューを作ったり、またタマゴ3個と生クリーム200ccでアイスクリームを作ったりして、2人いる子ども達に喜んでらったものでした。
 ところが、後片付けはしない、またボールやお皿を出したまま洗わない、さらには、材料費もお金をかけすぎる。こんな高い材料費を使うのであれば、誰でもおいしい食べ物が作れる。と、うちの奥さんからはいつも批判をされておりました。
 と、まあ、こんな思い出話をその大会の時のご挨拶でしたんですけれども、今日の、この川から学ぶこととというお話も、そのような自分自身の昔の思い出話、子供の頃の川の思い出や、川に関わることからお話を初めてみたいと思います。

 で、今、司会の方のご紹介にもありましたように、僕は、実は高知県の生まれではなくて、東京生まれの東京育ちです。その東京生まれの僕が、なぜ高知県の知事になったのかということは、少し時間がかかりますので今日は省きますけれども、その東京で生まれ育った子ども時代、僕が思い出の川としてすぐ思い出すのは、春のうららの隅田川と、こう歌われました隅田川でした。で、当時、この隅田川を上流から下流まで結ぶ水上バスという定期線がありました。当時といいましても、昭和30年代のことで、まだ東京に高速道路もできていない頃でしたので、この水上バスという定期線は、都民の通勤・通学の足にも使われていました。また、その隅田川の河口の方には、新橋とか浜松町という町のある辺りですけれども、浜離宮という公園、また、今フジテレビの本社があって、デートスポットにもなっているお台場などという所があって、ここにも停留所というか、その水上バスの船着場がありました。
 ですから、浅草など、この隅田川界隈の町で食事をして、その帰りにこの水上バスに乗って河口まで行って、そこで下りて家まで帰るなどということもよくしていました。

 もう1つ、思い出の川は何かと言いますと、神田川という川です。僕が大学生の頃だったと思いますが、南こうせつとかぐや姫というグループが神田川というヒット曲を出して、全国的にも有名になった川です。けれども、その頃は、もう東京の都心を流れる都市河川の宿命で、もう家庭排水の受け皿、まあ、つまり都心を流れる、もう下水の排水路のような、非常に汚れた川でした。
 が、その数年前、つまり、僕がまだまだ小さな子供だった頃ですけれども、僕は、この神田川の近くに住んでいたことがあります。けれども、まだ学校にも行く前でしたから、川の姿がどうだったかということまでは良く覚えていません。けれども、その中で1つだけ、こうクッキリと光景として覚えているものがあります。それは何かと言いますと、近くの染物屋さんが友禅流しと言って、まあ、染め物をその川でさらしていたんです。で、友禅流しといっても一体何だろうと思われるかもしれませんけれども、友禅染など、染め物をした後、きれいな水でその反物をさらす。そういう過程を友禅流しと言います。つまり、そういうことができたぐらい、神田川もきれいな川だったということになります。

 では、今お話したような、隅田川の上流と下流を結んでいく、そういう水路としての使い方でございますとか、また、この神田川の水のきれいさ、そういうものが失われていったのは、いつ頃だっただろうなということを考えてみますと、これは、高度経済成長といって、日本がドンドンドンドン経済的に伸びていった、まあ、右肩上がりに経済が成長していった、その時代ではないかと思います。
 で、この高度経済成長の時代の象徴的な物差しとして、GNP、国民総生産という物差し、尺度が使われました。このGNP、国民総生産という物差しは、自分達の国がドンドン経済成長してる、国全体が豊かになってるなということを実感をするためには、とても良い物差しでした。が、色んな問題点を持っていました。その問題点は何かと言いますと、企業の生産活動など、プラスになることをプラスに勘定する。これは当たり前なんですけれども、それだけではなくて、環境だとか、私達の健康だとか、そういうことにマイナスになるようなことも、プラスに勘定してしまう。そんな問題点を持っていました。

 例えば、この高度経済成長の時代には、大阪の西淀川ですとか、また三重県の四日市という所で大気の汚染、空気の汚れが公害として大きな問題になりましたし、また、熊本の水俣病や富山県神通川のイタイイタイ病など、水の汚染による公害というのも大きな問題になりました。
 で、このように、企業が煙突からドンドンドンドン、こう煙を出して空気を汚していく。これも、本当は環境という面では大変大きなマイナスなんですけれども、企業の生産活動ということで、GNP、国民総生産ではプラスに勘定をされます。それだけならまだしもなんですけれども、それに加えて、その汚れた空気を吸って喘息になった患者さんが、病院に行ってお金、治療費を支払ったとします。これはもう、明らかに健康にとってマイナスのことです。けれども、病院にとっては治療費は収入になりますので、これもGNPではプラスに勘定され、ドンドンドンドン経済が拡張してるんだ。そんな数字として使われました。このように、高度経済成長の時代というのは、環境だとか健康に悪い影響を与える、そういうマイナスのことも全部プラスに勘定してしまうという時代でした。

 また、それと同時に、この高度経済成長の時代から20世紀の後半まで、そして、今もなお続いていますけれども、その時代を象徴することとして、大量に生産をした物、大量に作った物を、大量に消費をしていく、使っていく、そのことによって経済を拡大をするという仕組みがありました。つまり、沢山物を作って、必要かどうかは別にしてそれを買っていって、次々と使い捨てていく。皆さん方も、ちょっとそのことで、気づくことがあるかもしれませんけれども、こういう使い捨ての文化というのが、20世紀後半の特徴でした。そのことによって、ゴミの問題も出てきましたし、また、それだけでなく、地球環境の問題など、様々な問題が今出てきています。と言っても、こういう様々なその問題に、何も手を打たなかったというわけではありません。けれども、高度成長の時代っていうのは、さっきも言いましたように、環境だとか健康に悪いこと、マイナスになることでもプラスに勘定してしまうという、そんな基本的に考え方の時代でした。
 ですから、よほどのことが起きなければ、さっき例に挙げたような公害問題が起き、公害病の患者さんが出るというようなことがなければ、対応策を考えませんでした。つまり、病気に例えれば、病気になってから治療をしていくという治療型の環境対策の時代でした。しかし、そういうことが積もり積もって、もう今は、地球環境のこと、また自然のサイクルが壊れて、人間の営みそのものが危うくなる。そんな時代になりましたから、後から、病気になってから治療するというのでは、とても間に合わない。病気になる前に予防をしていく、そういう予防型の環境対策が求められる時代になってきました。このように、治療型の考え方から予防型の考え方への切り替えというのが、今、環境対策を取り巻く大きなテーマではないかと思っています。

 例えば、この四万十川周辺にも森林がいっぱいあります。で、森林というのは、これまで、まあ根っこに降った雨を蓄えて、それをジワジワと川に流し出していく。つまり、水を蓄えたり、水を涵養していくというような機能。さらには、炭酸ガスを吸い込んでおいしい空気、酸素を送り出していく。そんな、水や空気を循環をさせるという、大変大切な役割をしてきました。しかし、日本では、外国から安い材木がいっぱい入ってきました。ですから、この森林の管理というものがなかなか行き届かなくなって、今申し上げたような森林の機能というのもドンドンドンドン落ちてきています。その結果、例えば、しばらく雨が降らないと、もう山に水を蓄えているということができなくなりましたから、川の水がすぐ涸れてしまって、下流の大都市部で水飢饉、水涸れが起きるということになります。これを、後になって治療をしようとしますと、本来、これだけ水の豊かな国なのに、砂漠の中近東の石油産出の国と同じように、海の水、海水を真水に換えるというような工場を造るのに、莫大な投資をしなければいけない。治療代を払わなければいけないということになります。
 一方、山の方にドッと、いっぱい雨が降りますと、それを一旦山の中に貯め込んで、ジワジワと川に流していくということができなくなりましたから、いっぺんにその水が川に流れ込みます。で、川が増水をして、下流の大都市部で、これまで予想もしなかったような大きな災害が起きる。こういう危険性も年園増えてきています。これをまた後になって治療をしようとしますと、環境の問題をめぐって大きな論争になった岐阜県の長良川の河口堰でございますとか、今も論争になっている徳島県の吉野川の河口堰のような、工作物を全国各地に造らなければいけない。そのための投資、莫大な治療費を払わなければいけないということになります。
 で、あるならば、こうした治療費の一部を予防代として、中山間地域などの森林の保全、水の保全に当てていくということは、決して不合理なことではないと思います。そんな考え方から、高知県では、都市部の住民の方々にも負担をしていただく、また、できれば山の人にも広く薄く負担をしていただくような形で、この水源を涵養していく、水を保全をしていく、そんな森林の機能を守っていくための新しい税金が考えられないかな、と思って、今、県庁の中にプロジェクトチームを作って検討をしています。こういうものも、高知の県内だけで終わるわけではなく、やがて、四国全体でそのような、水源涵養の税金が考えられる。さらには、日本全体で水源涵養の税金というものを考えて、みんなで森林の保全を考えていくという時代になれば、環境とか自然ということに対する、この予防型の考えもさらに一層進んでいくのではないかと思っています。

 というような話をしますと、この治療型から予防型への環境対策の転換というのは、随分スケールの大きな話で、なかなか身近な話として捉えにくいなと思う方もいるかもしれません。けれども、決して、そんな大掛かりな話ばかりではなくて、身近な実践例もいっぱいあります。
 ということで、県内の高校での実践例を1つご紹介をしたいと思いますが、それは南国市という市にございます、高知県立の高知農業高校の実践例です。南国市というのは、高知の空港のある市ですけれども、ここは米飯給食、お米の給食に積極的に取り組んでいる所で、しかも、ただの米飯ではなくて、教室に炊飯器を持ち込んで、ホカホカのお米を食べようというような取り組みを進めている自治体です。そこで、この高知農業高校も近くにある小中学校何校かと連携をして、一緒に交流の事業でお米を作る。またお味噌やお茶を作る。そんな活動をしてきました。
 で、お米を作れば、当然そこで稲ワラが出てきますが、これを焼いて灰にして埋めるというのでは、先ほど言った治療型の発想になってしまいますので、そうではなく、予防型の発想に切り替えていくために、稲ワラを肥料に使って無農薬の大豆を作ります。で、この大豆からお味噌を造って、もう今では、南国市の給食に使うお味噌の半分はこのお味噌で賄うというようになりました。またお茶も、小学校の子ども達も一緒になって茶摘みをしたり、製茶をしたりして、そこでできたお茶で、もう南国市の給食のお茶は全部賄われるというような状況になってきています。
 で、このようにお米づくり、田植えだとか、また味噌造り、さらには茶摘み、製茶というようなことを、小学校の子ども達も一緒になって手伝っていく、そんな中で、物を作ることの大切さを子ども達も学んでくれます。その結果、使い捨て文化の中で育った小学生も、給食に出た食べ物を残さなくなった。つまり、生ゴミとしてのゴミを出さなくなった。そんな話を聞きました。このように、自然、また自然からの恵みというのを大切にしていこう、そんな心を養っていく、それだけで使い捨て文化に対応するような予防対策になっていくのではないか、そういうことも期待をしています。

 で、今、自然とか自然の恵みということを言いましたが、我が高知県で一番代表的な、また誇れる自然の1つが、このすぐそばを流れている四万十川です。そこで次に、僕と四万十川の関わりというのを少しお話をしてみたいと思いますが、僕が初めて四万十川という川を見たのは、今から十数年前、まだNHKの記者をしている時のことで、宿毛市という、一番西の方にある市で講演をした時のことでありました。で、この時、四万十川の河口にあたる中村市にも立ち寄って、橋の上から川の姿を見せてもらいましたし、また、屋形船に乗せてもらって昼食もご馳走になりました。その時、第一印象は、うーん、とてもきれいな川だ。だけど、あちこちコンクリートの地肌も見えて、随分人の手も入ってるな。そんなことを思いました。
 が、それから間もなく、縁があって高知県の知事になりましたので、この四万十川との関わり、縁というのも一層深くなりました。そして、しばしばこの周辺に来てみますと、道を拡幅するために、道の幅を広げるために、河川敷にコンクリートの壁を立てていく、それによって、せっかくあった木漏れ日のきれいな並木道が切られていく、そんな様子を見て、いくら便利さを追求するにしても、せっかくの財産を切り売りしてしまうのは勿体ないな。そんなことをいつも感じていました。
 と同時に、この四万十川というのは、山奥にある渓流とは違って、そこの川漁師さんがいたり、また地域で農業をしている人がいたり、つまり、人の営みだとか、人の息づかいが聞こえる。これがこの川の特徴だなということも感じるようになりました。つまり、自然と共生をしていく、また文明と共生をしていく、これがこの四万十川の特徴なんではないかということを感じるようになって、だからこそ、この四万十川という川を21世紀と言わず、もう22世紀まで続いていくような、そういう川として守り、育てていかなきゃいけないなと思うようになりました。

 そのため、何をしてきたかということは、追々ご紹介をいたしますけれども、今、自然という言葉を使いましたので、この自然という言葉を入れた幾つかの熟語を本に、川をテーマに様々な事例を、ちょっとご紹介をしてみたいと思います。その自然を取り入れた言葉は何かと言いますと、1つは自然保護ということ。2つ目は近自然、多自然の工法ということ。そして3つ目は自然循環という言葉です。
 最初の自然保護ですけれども、このそばを流れる四万十川もそうですし、県内にある川には、昔は日本カワウソという、今は特別天然記念物になっている動物がいっぱいいました。ところが、この日本カワウソは、毛皮がとても珍重されたということから乱獲をされて、ドンドン数が減って、ついには天然記念物に指定をされるということになりました。で、この日本カワウソが、最後に人間に目撃をされたのは、もう20年以上前、昭和54年のことで、それ以来、人の前には姿を現していません。ですから、僕が知事になった後も、NHKが夜間も映せるような赤外線の固定カメラを設置をして、1年間、この日本カワウソが出て来るのを待ったことがありますが、結局、そこにも日本カワウソの映像を捉えることはできませんでした。こんな形で、既に幻の動物になりかかっていますけれども、それだけに、日本カワウソというのは、とても象徴的な動物です。

 そのため、この日本カワウソをめぐるシンポジウムとか、パネルディスカッションというのも何回も開かれて、僕もそれに参加をしたことがありました。もう何年も前のことですけれども、そうしたパネルディスカッションに参加をした時に、そもそも、なぜ日本カワウソを守らなきゃいけないんだろう、こういう話になりまして、その時、同じパネラーとして出席をしていた方の話が、僕は印象に残っています。その方が紹介をしたのは、リベットの理論という考え方でした。で、リベットというのは何かと言いますと、金属と金属を重ねて合わす時に使う、頭の大きなネジのことをリベットと言います。例えば、飛行機を組み立てる時には、このリベットは何百本も、たぶん何千本も使われてると思います。ですから、この飛行機のリベットが、1本抜けても、それで飛行機が飛ばなくなることはありませんし、また2本、3本と抜けていっても、それでも飛行機は何の問題もなく飛んでいくと思います。が、このようにして、リベット、ネジがドンドンドンドン抜けていった時、どこかで、その最後の1本が抜けて、その時に飛行機が空中分解をしていくという、そういう時点が来るのではないかと思います。
 これと同じように、地球上にいる生物、動物・植物というのも、もう、何千種類、何万種類と、沢山の種類があります。ですから、その内の1種類が絶滅をしても、それだけで地球という、こう宇宙を飛んでいる飛行体が、空中分解をすることはありません。また、2つ、3つの植物や動物が絶滅をしていっても、それだけで地球の環境がバラバラになることはないと思います。けれども、そのようにして、ドンドンドンドン地球上の動物や、植物が絶滅をしていった時、さっきのリベットが抜けていって、どっかで飛行機が空中分解をしてしまうというのと同じように、何か、どの動物かは分かりませんけれども、それが絶滅をした時、またある植物が絶滅をした時、ついに、その飛行機が分解をするのと同じように、地球上の環境が分解をしてしまって、自然のサイクルができなくなって、人間が住めなくなる。まあ、そんな状況が出てこないとも限りません。というのが、このリベットの理論という考え方でした。僕は、とても説得力のある考え方ではないかと思います。
 そんな思いも込めて、では、高知県内で絶滅の危機に瀕している動物や、植物、どんなものがあるんだろう、ということを調べたレッドデータブックという物を作りました。たぶん、どこの都道府県でも、この絶滅の危機に瀕した動物、植物のリスト、レッドデータブックという物を作っていると思いますので、是非、皆さん方も、ご自分たちのふる里で、地域で、絶滅の危機に瀕しているような動物・植物、どんな物があるんだろうということを関心をもって、それをまた、どうやれば守れるんだろうということも考えてみていただけたらいいと思います。

 次に、自然という言葉でご紹介をしたのは、近自然工法・多自然工法という言葉です。工法というのは、工事の方法という意味ですので、近自然は自然に近い工事の方法。多自然は少しでも多く自然を活用した工事の方法ということになります。
 先ほど、知事になってからの四万十川との関わりをお話をした時に、この四万十川沿いの道を走ると、道路の拡幅のために、随分コンクリートの壁が立ったり、並木が切り倒されたりする。それをとても悲しく感じたというお話をしました。ですから、県庁の中で話をする時にも、もう少し、このコンクリート重視のやり方ではなくて、コンクリート文化からの脱却を考えてみたらどうかという話をしたことがあります。そのような時に、この近自然工法・多自然工法というような話を聞くことがありました。これは、スイスなどで発展をしてきた技術なんですけれども、高知にも、そういうことを専門に研究をしてらっしゃる方がいましたので、四万十川は国の管理の河川ですから、当時の建設省、今の国土交通省にもお願いをして、こういう多自然・近自然の工法もドンドン取り入れてもらう。つまり、コンクリートだけではなくて、自然の石だとか、植物だとか、そういうものを使って護岸を整備をしていく、そんな事業も幾つかやってきました。

 また、先ほどちょっと言いましたように、道路を、こう走っていると、コンクリートが随分目につきます。で、この道路を広げる時に、山の側を削りますと、山の側に斜面ができます。これをのり面と言いますけれども、放っておくと、雨なんかが降って、そののり面の崖が崩れたらいけないということで、従来はコンクリートで吹き付けてしまう。また、コンクリートブロックで固める。そういう手法が全て取られていました。けれども、周りの自然と見比べてみますと、あまりにも殺風景な光景になります。そこで、もう少し何とかならないのかなということを検討をしてみました。そうしますと、この道路の山側を拡幅をする時ののり面、まあ、半分ぐらいは、やはりコンクリートで固めていかないと危険ということでしたけれども、残りの半分は、そこまでしなくても防災上の問題はないということが分かりました。そこで、そうしたのり面には、間伐材、木材で木の枠を作って、段々を作っていきます。そして、その段々の所に苗の入ったポット、ポット苗を置いていきますと、まあ、自然に根が生え、そして、5年、10年経つと、もう木が茂ってきます。これによって、周囲と同じような植生を取り戻すという事業を考えました。この事業は、コンクリートの吹き付けだとか、コンクリートブロックで固めた物と違って、周囲の景観とマッチして、環境にとても優しいという良い面、メリットがありますし、それと同時に、間伐材で木の枠を作るとか、またポット苗を作る。これが一定地域の仕事になって、まあ、経済的にも還元できる。そんな一石二鳥をねらった事業でした。名前は、木の香る道づくり事業と名付けて、この四万十川沿いを1つのモデル地域として、こんな事業を取り上げましたけれども、やがて、これも国の事業として採用をされるまでになっています。

 で、もう1つ、自然という言葉を使ってご紹介をしたいのは、自然循環ということなんですが、これも、同じ四万十川をモデルにして、水質の浄化の仕組み、四万十川方式という水質浄化の仕組みの実験を進めたことがありました。この四万十川方式というのは、化学薬品などは全く使わずに、地域の土だとか、小石だとか、また腐った木だとか、枯れ木だとか、そういうものに微生物を組み合わせた、いわば、水田の資源循環、水の浄化のシステムと同じような、まさに自然循環を活用した水の浄化のシステムです。ただ、いきなり四万十川の本線で、本流でやっても、焼け石に水というか、砂漠に水をまくようなことになりかねませんので、その支流、家庭排水の入りそうな支流で2年ほど、この四万十川方式の実験をしてみました。そうしました、BOD・CODは勿論、LASですとか、SS、さらには水の不栄養価の原因になりますリンとか窒素なども十分吸着処理ができるという結果が出ました。
 で、元々は、この自然循環の方式は、東京大学の先生が考案をされたものですが、高知県内の地元の企業も一緒になって、この生産に乗り出して、高知工科大学の処理の方式だとか、色んな所に採用されて、ビジネスとしても成り立つようになってきています。

 で、このように、自然や環境というのは、最初に申し上げた自然保護に代表されるような、保護・保全という守りの姿勢だけではなくて、それを取り戻していく、また予防をしていく、そのことを考えていくことが、1つの新しいビジネスにも繋がる時代になってきました。
 ということで、もう1つ、この環境ということをテーマにした、新しい商品作りのエピソードをご紹介をしたいと思いますが、それは洗わなくて炊けるお米、無洗米という商品です。この無洗米を開発をした方は、高知県の方ではありません。和歌山県のご出身の方で、お米の精米の工場、会社を経営をしている方なんですけれども、地元のふる里、和歌山に何年かぶりに帰ったら、海の水がとても汚れているので、ショックを受けたということです。で、自分がお米の精米の仕事をされているので、どうしてこういうことになったかなということを考えるうちに、ふと、昔はお米を研いだとぎ汁、これを色んなことに活用をしていた。資源循環をさせていた。だけど、今は使い捨て文化だから、ドンドンそれを生活排水として川に捨ててしまっている。そうすると、このとぎ汁の中にぬかがいっぱい含まれていて、それで川の栄養価が高まって汚れが進んできたのではないかということを考えられました。

 そこで、そもそも、もう精米する時にこのぬかも取ってしまって、後で洗わないで炊ける無洗米を作ろうと、そんなことから始まったのがこの無洗米という商品作りでした。
 で、お話を伺ったら、もう随分前のことですから、数字的には古くて恐縮ですが、その当時、この無洗米はまだ始まったばかりで、全国のお米の生産量のわずか0.3%しかありませんでした。けれども、その0.3%の無洗米を作るために、毎月8,000tのぬかが取り除かれているという話でした。0.3%分のお米で8,000tのぬかがあるんですから、全国でこのとぎ汁が川に流されて、そこで川に流れ込んでるぬかの量というのは、まあ、莫大な量になるということになります。
 このように、先ほども申し上げましたけれども、環境とか自然というのは、ただ守っていくというだけではなくて、それを取り戻す、また予防していくということにチャレンジをすることから、新しいビジネスにも繋がるという時代になってきました。これも、また環境ということを背景にした、時代の大きな変化ではないかと思っています。

 と、このように、川ということをテーマに見てきただけでも、そこに住む動物や植物のこと、また、その水質のこと、この水質に大変関わりを持った家庭排水、生活排水のこと、さらには、その水の量と今度関係を持った森林の保全のこと、そして、こういう色んな問題を解決をする知恵から出て来る新しいビジネス、産業のこと、等々。大変多くのことが学べるということが分かってきます。が、今申し上げたことだけに留まりません。まだまだ、川ということをテーマに考えると、学べることはいっぱいあると思います。また、そのことを実感をしたあるエピソードがありました。
 で、それは何かと言いますと、水や環境とエネルギーとの関係ということです。と言いますのは、四万十川というのは、日本最後の清流と、こう呼ばれると同時に、この四万十川にはダムがないということがよく言われてきました。確かに、法律で定められたダム、まあ、河川法ではダムの定義として、堰堤、ダムの高さが15m以上の物をダムと呼ぶ。というように決められています。ですから、この法律で定められた15m以上の高さのダムは、四万十川にはありません。ところが、源流域から50mほど下流に下った窪川町の家地川という所に、高さ8mの堰、取水堰があります。一般的に見ればやはりダムですので、通称家地川ダムと呼ばれています。

 で、この家地川ダムは、なんのために造られたダムかと言いますと、先ほどエネルギーということを言いましたけれども、昭和6年に水力発電をするために造られたダムでした。が、その水力発電に使った水は、そのまま四万十川の本流に戻されるのではなくて、この窪川町の西の隣にある、佐賀町という町の伊予木川という川に流されて、農業用水として使われるという仕組みになっています。
 振り返ってみますと、というのは、当時、その昭和6年の当時を振り返ってみますと、その頃は、森林の勢いも大変良かった。つまり、森林が水を蓄えるという機能もまだまだ強かった時代ですので、四万十川の水量もいっぱいありました。ですから、その水力発電に使うぐらいの分を、お隣の佐賀町に廻しても、本流の水にそんなに影響がでなかったんじゃないかと思います。ところが、この周辺の森林の力がドンドンドンドン弱まってきて、水を蓄えて、川に水を送り込むという機能が弱まりました。このため、四万十川の水量もドンドン減ってきています。ですから、その中でこの発電に水を使われて、その水が四万十川の本流に戻らないと、さらに四万十川の本流の水が減っていく、そして、この家地川、窪川町から下流にあるこの大正町ですとか、十和村という所では、もう季節的には水涸れの現象が起きるという状況になってきました。

 ちょうど、こんな時に、このダムの更新の時期、つまり、このダムを引き続き発電用のダムとして使用を認めるか、それとも止めさせるか、そのことを県が判断をする。前に判断をしたのは昭和46年ですので、30年ぶりの更新の時期が今年4月にありました。そこで、これを機会にこのダムを撤去すべきじゃないか、いや、そのまま発電を続けるべきだ。という議論が巻き起こりました。これが、この家地川ダムをめぐる問題です。
 で、こうした中、今、先ほど言いました窪川町にございます高知県立の窪川高校の社会問題研究会という、まあクラブの生徒さんが、流域の住民の皆さん方に色んなアンケートをしてくれました。そのアンケートを見ますと、流域の住民の方の70%は四万十川に誇りを持っているというお答えをされています。ところが、外から来た人が、四万十川の今の実態を見てどう感じると思いますか、という質問に対しては50%、なんと半分の人が、たぶんガッカリするだろう、と、こう答えておられました。つまり、今の四万十川の実態には、大変不満がある、また心配だけれども、県外の方が思ってる四万十川への清流というイメージは、是非、大切にしていきたいな。そんな複雑な思いが、こういうアンケート調査からも伺えたように思います。

 このようなことから、この大正町や十和村など、下流域の住民の皆さん方はこぞって、この更新の機会にダムを撤去して、発電に使っていた水を全部この四万十川の本流に戻すべきだという主張をされましたし、また、観光資源という面からもダムを撤去したというアピール効果は、全国に大変大きな効果をもたらすのではないか、そんなご意見もございました。そのようなご意見、勿論、県も真剣に考えました。けれども、一方で、このダムを撤去するということは、四万十川の本流の下流にあたる皆さん方にとっては、水の量が増えるというプラスになります。けれども、今、この発電用の水を流してもらっている佐賀町の人にとってみれば、これまで何十年かあった水がなくなってしまうというような、まあ地域の対立という問題点もあります。また、それだけではなく、様々、考えなければいけないテーマがありました。

 そこで、まず結論から言いますと、これまで更新の期限というのは、30年間でしたけれども、この30年間という期間はあまりに長すぎますので、まずそれを10年間に思い切り短縮をして、しかも、この間、四万十川に戻す水の量はこれまでよりもずっと増やしていく。そして、この10年間の間に水力発電に変わる風力だとか、太陽熱、太陽光、さらにバイオマスといったような、オガクズなどを使った発電、こういう自然を活用した、エコエネルギーで代替できるかどうかというものを研究をしていく、このことを条件に、とりあえず10年間このダムの使用を延長する、そんな判断をいたしました。

 といったことで、改めて、その時色々議論になった論点を幾つかご紹介をしてみたいと思います。1つ、このダムによって四万十川で捕れる鮎の量が減ったという議論がありました。で、このダムができましたのは、先ほど言いましたように昭和6年のことです。また、鮎の漁獲の量のデータが残ってるのは昭和20年代からですけれども、既にダムが出来上がっていたこの昭和20年代からのデータを見ましても、四万十川の鮎の漁獲の量は、ずーっと伸び続けています。まあ、それは昭和52年にピークを迎えて、それからは段々減少の傾向に向かいました。が、このことは、何も四万十川だけではなくて、県内の鮎の全ての漁獲量を見ましても、昭和52年がピークで、それ以降ドンドンドンドン漁獲量が減ってきています。ということは、勿論、そこにダムの影響がなかったとは言いません。つまり、ダムの影響はあったと思います。けれども、それだけではなくて、先ほど言いましたような、周辺の道路工事など、公共事業によって入ってきた土砂が、川を汚したといったこと。また、文化が進み、文明が進み、家庭排水・生活排水から汚れた水が四万十川に流れ込んできたということ。さらには、地球の温暖化で水温も少し上がってきてると言われます。そのことによって、産卵の時期と禁漁の区間にズレが生じたのではないかというようなご指摘があること。このような、様々な問題が重なって鮎の量が減ってきたということが言えるのではないか。つまり、こうした問題には、単にダムというだけではなくて、総合的に色んな視点から、環境の問題として対応をしていかなければいけないんじゃないかということを思いました。

 それと同時に、このダムは、先ほどから繰り返し言っておりますように、発電用のエネルギーのダムです。ですから、このエネルギーと環境の問題というのももう1つの大きなテーマでした。
 と言いますのも、これまで、それこそ20世紀の後半、私達日本人は、エネルギーをドンドンドンドン消費をする。言い方を変えれば、電気を使うことによって生活の利便性を高めるということをやり続けてきました。高知県もご多分に漏れません。高知県も、古くは、自分の県でつくる、生産をする電力で自分の県の電気の使用量は全て賄える、つまり電力の供給県でした。ところが、この家地川のダムの前回の更新期限だった30年前、昭和46年にこの関係が逆転をして、高知県内でつくられた電気の量、電力の量だけでは、高知県内で使われる電気の量を賄えなくなりました。今現在はどうかと言いますと、高知県内で使っております電気・電力の内、県内で生産・供給をされるものは37%、残りの63%は県外からもらってきてます。より具体的に言えば、お隣の愛媛県の伊方町にある伊方の原子力発電所から、その多くの部分をもらっているということになります。ということを考えます時に、この水力発電を今捨ててしまうということは、この伊方の原子力発電への依存度をさらに高めていくということになります。このことがどうかということを次に考えてみました。

 と言っても、原子力発電というものを、全て僕は否定をするわけではありません。原子力発電は、発電が行われている間は、火力発電に比べて大気の汚染云々の面で、環境に優しいエネルギーだ、発電だということが言われます。しかし、その発電を終える時、使用した、使用済みの核燃料の処理をどうしていくかというようなこと、また、使い終わった炉、廃炉、これをどう処理をしていくかというようなこと、このような面で、後何年後かは分かりませんけれども、何年後かに大きなツケが回ってくるのではないか、そんな環境上の問題を抱えた発電でございます。
 で、そうした中で、今、せっかくあるこの水力発電というもの、一応自然のものを使っていく、水力を使っていく、そういうエネルギーを捨ててしまって、これ以上原子力発電への依存を高めることが、21世紀の環境問題を考える上で、最善の策になるのだろうか。また、バランスの良い判断になるのだろうかということを考えました。

 一方、この家地川の問題をきっかけに、地域の周辺の住民の方々も、自分達の使うエネルギーをもっと節約をしなければいけないんじゃないか。また、先ほどもちょっと言いましたけれども、風力だとか、太陽光・太陽熱・バイオマスなど、代替のエネルギーをもっともっと考えなければいけないんじゃないか、そういう議論が出てきました。これはとても素晴らしいことだと思います。が、これもすぐには行くものではありません。といったことで、僕は、今、原子力発電への依存をいっぺんに高めてしまうよりは、もう少し時間的な余裕を考えるべきではないか。そう思って、先ほど結論として言いました10年間この使用を認めて、その間に、代替エネルギーなどについて考えていきたい。そういう方向を出しました。
 今後、技術はドンドンドンドン進歩をしています。今、風力でも、バイオマスでも、なかなか、現在ある発電とはコストの面で競争はできません。しかし、10年ということを目途に考えれば、コストの面でも、もっともっと競争力が出るでしょうし、そこでまだまだ間に合わない面を、行政がどう支援をしていけばいいのか、そのようなことも分かってくるのではないかと思います。ですから、10年という期間をただ無為にすごすのではなくて、3年、5年と色んな計画を区切っていって、その間に地域の住民の方も一緒になって、この代替のエコエネルギーをどうつくっていけばいいか、また森林と川の関係をどう考えていけばいいか。そのようなことを、色々と知恵をしぼっていきたいと思います。また、そうした活動によって、10年後もこの家地川のダムのことが問題にならないような、そういう時代がきっとやってくるのではないかということを思っています。

 ということで、今日は、川から学ぶことというので、幾つか事例を紹介をしながらお話をさせていただきました。が、僕は、この高知県の知事なってから、四万十川だけでなくて、県内にある、いっぱいある、このきれいな川から、様々なことを学びました。ですから、その学ばせてもらった恩返しというわけではありませんけれども、こうした素晴らしい川を、21世紀というだけではなくて、22世紀にも繋げていけるような、そういう施策を是非考えていきたいな、対策をとっていきたいなということを思いました。
 が、その時、やはり、まずモデルとして取り掛かるのは、やはり、全国にもブランドになっている四万十川ではないか、そういうことを思いまして、四万十川対策室という、全国でも珍しい、特定の川の名前を付けた、環境や地域対策を考える担当のセクションをつくりました。そして、この四万十川対策室を中心に、5年前に清流四万十川総合プラン21という、総合計画を立てましたし、それをまた発展的にして、この春には、通称 四万十川条例といわれる条例を作りました。今、その条例の規則を、今年度いっぱいかけて作ろうとしています。

 が、条例というのは、色々そこで活動をされる方の私権、私の権利の規制も伴いますので、さまざま、総論賛成、各論は、というような問題点が出て来ると思いますが、せっかく、総合プランから条例と繋げてきた取り組みですので、是非、地域の方々のご賛同を得て、全国にもモデルになるような取り組みを進めていきたいと思っていますが、この総合プラン21にしろ、条例にしろ、ただ単に自然の保護とか、水質の保全といった、先ほどから申し上げた守りの姿勢だけではなくて、循環、また予防ということをキーワードにした、攻めの姿勢を盛り込んでいます。
 また、地域的にも、単に川ということに注目をするのではなく、その川の水と密接な関わりのある森林のこと。そして、その川が流れ着く海に至るまで、まあ、地域全体を、この環境というテーマで振興をしていく、そんな視点から、総合的にこの条例や、計画に取り組んでいきたいということを思っています。

 で、今日、冒頭に、私の子供の頃の思い出として、神田川という川のことを例として挙げました。そこで僕が大学生の頃は、ものすごい汚れた川だったんですが、今はどうなってるだろうと思って昨日東京都に問い合わせてみました。そうしましたら、僕がそれこそ、まだ大学生だった昭和46年には、中流域で29ppm、また下流の河口で19ppmだったBODが、平成11年には2.9ppmから3.1ppmに改善をされていますというお話を聞きました。ああそうか、東京でも都心を流れる川でこんなに努力をしているのであれば、もっともっと素晴らしい、自然に恵まれた地方では、高知県では、さらに努力をしなければいけないなということを、そんな数字を聞きながら思いました。
 と同時に、多くの方々にも、もっともっと川に関心をもってもらわなきゃいけないんじゃないかということも感じました。というのは、地方においても、川と人の距離というのは、大都市でかつてそうだったように、段々段々距離が開いてきてしまっているのではないかということを感じるからです。例えば、もう数年前のことですけれども、県内の山村の、村の小学校に行って、校長先生とお話をした時に、校長先生がこんな話をされたことがあります。それは何かと言いますと、夏休みが終わった後の地域の集いで、ある方が小学校の子ども達に、この夏休みに川で泳いだ人、どれぐらいいる。と、こう声をかけて、校長先生がヒヤッとしたという話でした。で、なぜ校長先生がヒヤッとされたかと言いますと、学校では、すぐ目の前に川があるんですけれども、川で子供たちが勝手に泳いじゃいけない。泳ぐ時は学校のプールを使いなさいと、こう指導しているので、川で泳いだ人と言って、子ども達が手をいっぱいあげると困るなあと思った。というのが校長先生のお話でした。

 校長先生のお立場とか、お気持ちはよく分かります。けれども、大都市と違って学校の目の前にある川で泳げるということも、僕は、地方の地域のとても魅力ではないか、セールスポイントではないかと思いますが、そうした場合でも、やはり、川と子ども達の距離が遠ざけられてきた。そんな流れが地方にもあったんじゃないかなと思っています。
 では、このような、川と人の距離を隔ててきた原因は何だろうということを考えてみますと、それは、川というものを危険なものとして捉えらる。その安全志向、安全思想というものが少し強すぎた。それが1つの原因ではないかと思います。つまり、さっきの学校のプールの例で言えば、子ども達の安全ということを考えて、目の前に川があっても、自然との親しみということよりも、学校のプールを選びなさいと言って指導をしていく、また防災という面で、ともかく川を、この川という中に水を押し込めてしまおう、そんな発想から、護岸をドンドンドンドン高い堤防で、コンクリートで固めていく。そういう仕事が、ずーっと何十年も続いてきました。これが川と人の距離を遠ざけてきた1つの原因ではないかと思っています。

 けれども、こうした川に対する考え方、特に行政の川に対する考え方もここ数年、随分変わってきました。それはどういう転換かと言いますと、先ほど言いましたような安全と言うことだけを重視をするのではなくて、その中に環境ということを大きなテーマとして取り入れてきたということでございます。このことを決めたのは、河川審議会という、この河川の行政を司る審議会なんですが、このことを決めた、その審議会の答申の中で、わりと印象的な表現がありました。それは何かと言いますと、災害のことを考えて、河川の色んな事業を対応する時には、単に災害にどうそなえるかということを考えるのではなくて、日常の河川の状況というもの、そして河川と人との関わりというものを考えて整備をしていこう、また逆に、日常の河川の整備、例えば、公園の整備などをする時にも、非常時・災害の時を考えながらやっていこうと、つまり、それぞれバラバラではなくて、河川の365日をいつも考えながら、これからは河川事業をしていこう、まあ、そんなフレーズでございました。

 こういう表現を目にして、僕は、かつて、当時の建設省のOBの方が言っていた言葉を思い出したことがあります。それはどういうことかと言いますと、お天気の良い日に、川縁を散歩した人は、護岸がコンクリートで固められている。しかも、もうコンクリートの高い堤防で3面張りのような川になっている。そういう川を見て、何て無粋なことをするんだ、もっと自然との共生を考えてもらわなきゃ困る。環境を大切にしてもらわなきゃ困るということを必ず言われる。しかし、ひとたび大雨が降って、川が、水があふれて、そしてご自分の家が水に浸かったり、また家財道具が流されたりすると、国や県は何をしていたんだ。どうして堤防の整備をしなかった。きちんとコンクリートなどで整備をしなかったのだ。これは人災だ。と言って裁判を起こされる。まあ、これでは、とても行政は対応できない。やはり、自然との共生、ということを言うのであれば、特に川との共生ということで言えば、お天気の良い日の機嫌のいい川との共生というだけではなくて、お天気が悪くて、暴れる川とも共生できる。それぐらいの覚悟を持ってもらわなきゃいけない。こういうお話でございました。

 何も川というのは、僕達にとって、いつもケンカ相手なわけではありませんし、いつも危険なものではありません。しかし、またいつも機嫌の良く、仲の良い友達というわけでもありません。というわけで、川ということを考える時には、やっぱり、そのようなことをいつもバランスよく考えていくことが必要ではないかと思いますし、こうしたバランスを考えていく中で、これからの、21世紀の川と人との付き合い方というものも出て来る。また、それによって、川と人との距離も20世紀の後半以上に、21世紀はもっともっと密接なものにしていけるのではないかと思っています。
 そのためには、私達、行政の仕事に関わっている者も、この川と人との距離を縮めていくということに何ができるか、環境ということを特にテーマに、様々なことにこれからも取り組んでいかなければいけないと思いますし、また、地域で様々、この川と関わっておられる漁業協同組合だとか、様々な組織、また団体の方、そして周辺の住民の方々も、この人と川との交わりをどうしていけばいいかということを、是非、考えていただきたいと思います。

 と同時に、今日全国から来られた、また四万十川高校の生徒さん達のように、環境・自然ということを関心を持ち、また、川ということをテーマに色々と考えていこう、勉強しよう、そういう皆さん方が、このようなサミットを開いてくださって、その勉強の成果を皆さん方に知らせてくれる。これもとても素晴らしいことだと思うんです。こういうような会を通じて、また多くの人が川に関心を持ってくだされば、そのことが、さらに環境や自然ということを考えていく、また次の一歩に繋がっていくのではないかと思っています。
 そのようなことを期待をして、ちょうど時間になりましたので、私の話を終わらせていただきます。どうも、今日はご静聴ありがとうございました。

Topへ