公開日 2007年12月06日
更新日 2014年03月16日
一 はじめに
皆様こんにちは。本日は内外情勢調査会の講師にお招きいただきまして、まことにありがとうございます。私も知事として三期目、つまり今回でこの会でお話をするのも九回目になります。これが居候ですと、「三杯目にはそっと出し」ですので、九回目にいったい何を出したらいいかという気がいたします。
といいますのも、これが一期目とか二期目の初めのうちならば、仕事もまだ形に見えておりませんので、夢の話をしていればそれで事足りたわけですが、三期目ともなると仕事もそれぞれ皆様方の目に見えるようなかたちで進んでいきますので、夢物語ばかり話しているわけにはいきません。しかもその仕事そのものもうまくいくものばかりとは限りません、むしろ、いろいろな問題がいっぱいありますので、はて毎年毎年何を話したらいいかと思い悩んでしまいます。そんな意味で、去年もこの会に出ましたとき、ついに今年もこの日がやってきたかという切り出しをしましたが、きょうも同じような気持ちでこの壇上に立っております。
そのうえ、毎年毎年題名を考えるというのもなかなか苦しいもので、これまでのものを振り返ってみますと、「もの言わぬ地方からの脱却」とか「土佐の大風呂敷」、「土佐は今、好転期」とか、なんとなくそれらしい題を考えてきておりました。たまたま今年は西暦二〇〇〇年、千年に一度のミレニアムという年ですので、これをダシにして、「二十一世紀への光と陰」、そんなタイトルを考えました。しかし毎年と同じように、まずもっともらしいタイトルを考えて、あとで持ちネタを組み合わせてつじつまを合わせるという手法にはなんら変わりはありませんので、新しい話はあまり出てきませんが、その点はお許し願いたいと思います。
二 見方が変わると
私はこの八年間、この会でも意識改革、意識改革、また県庁の改革ということを言い続けてまいりました。しかし、そのわりに改革は進まないという思いもありますし、仕事の仕方、役所のものの考え方というのもどれだけ変わったかと疑問に思うことがあります。ところが見る立場、見方が変わると、評価もずいぶん違うということを感じたことがありました。
◇大リーグと草野球
それは何かというと、わが高知県もほかの県庁と人事交流をやっております。三月のことですが、この人事交流で来てくださっている愛媛県、広島県、岡山県、岐阜県の職員の方々と懇談の機会を持ちました。その際に、高知県庁の仕事の仕方、文化とそれぞれの県の県庁の仕事の仕方、文化との間にどんな違いがあるだろうという話になりました。すると、その四つの県の職員の皆さんが口をそろえて、高知の県庁は職場の中での職員の上下の風通しが大変いいし、それによって仕事がとても機動的に進んでいるというお話がありました。さらにその話を聞いていきますと、四県それぞれの方が、ヒラの職員の方ばかりですので、自分の県では日ごろ職場で仕事をするときには、話をするのは直接には係長だけだ。うちでいえば班長ですが、係長が課長と話をし、課長が部長と話をする、そういう上下の関係がしっかりしている。なかにはそのような仕事の仕方なので、課長と話ができるのは夜の宴会だけだ。だから宴席で決して失礼がないように心がけないと出世はないと、入庁のとき先輩にくぎをさされた。こんな方もいました。
これに対して高知県は日ごろから職場の中で課長と一般の職員が議論をする、意見交換をする。それによって出てきたアイデアがどんどん進んでいく。こんな風通しのよさ、仕事の機動性に大変びっくりしたという話でした。
また、ある県の職員の方は、その県の仕事の仕方と高知県庁の仕事の仕方を野球にたとえて解説、比較をしてくださいました。その方によりますと、その方のいらっしゃる県庁の仕事は野球でいえば高校野球、つまり監督やコーチのサインどおりにすべての仕事が進んでいる。だから好きな球が来て打とうと思っても、見送りのサインが出ていたら黙って見送るしかない。これに対して高知県庁の仕事はいわば大リーグとその方はおっしゃいましたが、大リーグ並みで、好きな球が来れば少々高めのボールであっても思いきり振っている。だから当たったら怖いと思った、こういう話でした。
この話を別の方にしましたら、それは大リーグではなくて、早朝の早起き野球じゃないかという話もありましたが、このように職場の上下の関係、風通しがよく、またその中で仕事がどんどん機動的に機能的に進んでいるという評価は決して悪いことではありませんし、そういう評価、いい面というものを伸ばしていくことも必要だな、大切だなと思いました。それと同時に、ものの見方、目のつけどころとか見る立場が変わると、同じものを見ても評価はずいぶん違ってくるということをあらためて感じました。
◇目のつけどころ
そのため今月新年度の部課長・出先機関長会議、つまり管理職の会議が開かれたときにも、改革、改革と言うと堅苦しく聞こえるし、肩ひじ張ったものに聞こえるけれども、そういきなり堅く考えるのではなくて、ちょっと目のつけどころ、ものの見方を考えてみる、そんなところから始めてみたらどうかということを言いました。
というのは、目のつけどころのことを視点といいますが、目のつけどころを変えることによって、人の評価というのも変わってくると思います。たとえば同じ子供を評価するにしても、算数の点数に視点を置くのか、かけっこの足の速さに視点を置くのか、目のつけどころでその人の評価は変わってきます。
また、ものを見る場所、視座といいますが、この場所を変えることによって、ものの見え方、形も変わってきます。たとえば円錐形は上から見れば丸く見えますが、横から見れば三角形です。同じように私たちの仕事も、県民の皆さんの立場から見るのと、県庁・行政の立場から見るのでは、その見え方、形は違ってくる。
もう一つ、ものを見る範囲、視野という言葉がありますが、視野をだんだん広げていけば、木が見えていたものが林になり、森になっていきます。というように、視野を広げていくのか狭めていくのかによって、見えるもの、形も変わってくると思います。
ということから管理職の皆さん方にも、もうちょっとものの見方、また見る立場というものを変えてみよう。そうすると、いままでつらいなと思っていたことがそうでもないと思えるようになるかもしれないし、部下の職員の評価も変わってくるかもしれない。そんなところから始めてみたらどうかという話をいたしました。
三 21世紀への光と陰
そこで本題の「21世紀への光と陰」という話に移りたいと思いますが、いま申し上げたように、視点、ものの目のつけどころ、視座、見る場所、そして視野、見る範囲、こういうものを変えていくことによって見え方は違ってきます。ですから二十世紀、さまざまなできごとがありました。これから21世紀に引き継いでいかれることもいっぱいあります。そうしたものも、ある見方によれば陰があったものも見方を変えれば光が見えてくる。また、これまで光っていたものも見方を変えれば陰が見えてくる。そんなイメージで、この「光と陰」という話をしてみたいと思います。ということですので、知事として、県として、こういう仕事をしますということだけでなく、やや評論家的な話もかなり含まれていますが、その点はミレニアム、千年に一度ということでお許しいただきたいと思います。
同時に、これからの県と県民の皆さんの関係というのは、従来とかくありがちだった、県の側がお上意識で目線を少し上から見る、あるいは県民の皆さん、企業の皆さんの側も県は何か勝手にやっているだろう、またやってくれるだろうという見方で見る関係ではなく、一緒になって新しい公共のサービスを考えていくというパートナーシップをつくっていかなければいけないと思っています。そういう意味合いから、いろんな自分の思いをお話しさせていただきますが、お聞きいただく皆様方にも、ではその中で自分は何ができるだろうということもお考えいただければ大変幸いです。
と、いきなり少し生意気なことを言いましたが、まずは二十世紀、しかもその後半、日本の大きな部分を支えてきた公共事業、それにかかわる財政の問題の光と陰、次に二十一世紀を支えていく柱になるであろう情報化の光と陰をかなりの時間を使って話をさせていただきたいと思います。そのあと情報化に代表される科学技術と、その陰にやや隠れがちだった技能をどうやって見直していくのか。そして三つ目に少子・高齢と過疎という問題、これも二十一世紀に引き継がれていく課題ですので、こんなことの光と陰をお話ししてみたいと思っています。
(1)公共事業の光と陰
まず最初の公共事業ですが、言うまでもなく高度経済成長の始まりの時代には光り輝く存在でした。神様のお守りを護符といいますが、まさに護符のような存在で、地方でもこれをどんどん取り入れて事業を拡大していくことに疑問を感じることはありませんでした。しかし21世紀を目前に控えようとしているいま、この公共事業、かつて光り輝いていた公共事業にも大きな陰が出てきました。先ほどの護符という言葉に対照で言えば、かつて神のお守り、護符であったものに疑問符がつく時代になってきたのではないかと思います。
その疑問符の中で、公共事業にはむだが多い、また公共事業はもう無用ではないか、こんなことを言う人さえ出てきました。ただ、公共事業そのものがむだで、すべて無用だということはありえませんし、本県のように基盤整備が遅れている県ではまだまだこうした事業が必要な面が数多くあります。ではこのようにむだだ、無用だと言われる原因は何だということを分析し、そのむだだ、無用だと言われる原因を取り除いていくことによって、公共事業の陰に光を当てていく努力も必要なのではないかと思いました。
◇社会資本の棚卸し
そこで、そのむだだ、無用だと言われる原因は何だろうと考えてみますと、一つはせっかく公共事業でつくられた社会資本が十分に使われていない、棚卸しがされていないという問題、もう一つは計画の段階から実施に至るまで十分な説明がなされていない、または住民の側が説明されていないと感じている、こういう問題点があると思います。
まず最初のせっかくつくられた社会資本が十分に使われていないという点で、よくやり玉に挙げられるのは地方の港、港湾や漁港のことです。長い時間をかけ、膨大な予算をかけてつくったのに、ちっとも使われていない、これでは巨大な釣り堀ではないかというご批判がよく出てきます。こうしたご批判に対して投資をした者として当然そのご批判を正面から受け止めて考えていかなければいけませんが、それと同時に、港回りのことにはいろんな規制、しきたりがあって、こういうものが十分な利用を妨げてきた面もあるのではないか、これを取り除いていく努力も棚卸しという意味で必要なのではないかと思っています。
◇背高コンテナのこと
たとえば高知新港が開港してまもなく、背高コンテナという大型のコンテナが道路を通る許可を取っていないという問題が指摘されたことがあります。これはもともと手続き上の問題ですので、制度そのものの問題ではないのですが、この手続きを進める仕事をしているうちに、全国数多くの高速道路があり、数多くのトンネルがありますが、そのトンネルのほとんどが背高コンテナが通ってはいけないという通達が出されているということがわかりました。といっても物理的に通れないというわけではないのですが、高速道路がつくり始められたときには安全の係数を考えて、背高コンテナは通さないという通達が出ていました。
だとすれば将来の物流を考えて、その当時からトンネルの口径を大きくするという議論があってもよかったんじゃないかと思いますが、そういうことがないまま従来の基準でトンネルもつくり続けられていきました。ただ国の側も、いま物流の効率化ということを言っておられる。そのとき高速道路のほとんどが背高コンテナが通れないというのは明らかに整合性を欠くのではないかと国にも進言して、この規制を取り払っていただきました。
これは小さな一つの事例ですが、港回りということでいうと、大蔵省、運輸省、厚生省、農水省、法務省等々さまざまな役所の規制、制度がありますし、民間のいろいろなしきたりもあります。こういうものを少しずつ解きほぐしていくことによって、十分に使われていないものをもっと使いやすくしていくという棚卸しの考え方も、公共事業に光を当てるという意味で考えていかなければいけないことではないかと思いました。
いま申し上げたことはややマイナスの面を棚卸しによってゼロにしていくという見直しですが、さらにプラスと受け止められているものをもっと使いよくプラスにしていく、そんな積極的な棚卸しもあっていいんじゃないかと思います。
◇高速道路のマイレージサービス
たとえば先月の十一日、四国四県の県庁所在地すべてが高速道路で結ばれる、X字型のハイウエーが完成いたしました。私が知事に就任した八年あまり前には、四国四県の知事が四国のどこかに集まるときは、一度大阪空港まで行って、そこからもう一度目的地に飛んだほうが早いと言われました。これが冗談でも笑い話でもないぐらい四国島内の道の事情は悪かったわけですが、それが八年あまりの間に高速道路が整備され、ついにXハイウエーというかたちで、それぞれ二時間から二時間半で動けるようになりました。
このXハイウエーについて、これをむだだ、無用だとおっしゃる方はたぶん少ないのではないかと思います。しかし、高速道路には料金の割高感がありますので、この割高感を少しでも軽減していくサービスを考えることによって、プラスのものをさらにプラスにしていく棚卸しができるんじゃないかと考えました。
先日、四国四県の知事が集まって話し合いをする機会がありましたので、そのときにいまのような発想から、高速道路に飛行機と同じマイレージのサービスを取り入れたらどうかと提案いたしました。というのは、この夏からETCといって、自動的にノンストップで、つまり料金所に止まらずに車が走り、なお料金の徴収ができるというシステムが始まります。こういうシステムが始まりますと、いま申し上げたマイレージを考えるのも容易になりますし、インターチェンジから一定の時間途中下車をして降りていくということがやりやすくなりますので、従来通過点であった町に多くの人が降りていって、そこに経済効果をもたらすというメリットも出てきます。
ただ、ETCというのは車に載せる車載機が必要ですし、そのお金が一定かかりますので、すぐには普及しないのではないかとも言われています。しかし、ここにマイレージという考え方を入れれば、この車載機も普及していくし、それによって高速道路の利用も増えていくのではないか。具体的に言えば、飛行機と同じようなことですが、五千キロ走ったらそれで一万円のハイウエーカードをさしあげるとか、十万円分走ったら一万円のハイウエーカードをさしあげる、そういう意味合いです。
この話をいたしましたら、徳島県の圓藤知事が、それを公団に要望していくのはもちろんいいし、四国でモデル的に始めてもらうという相談もやってみよう。ただ、公団に料金の割引というサービスをしてもらうだけではなくて、一定四国の島内をはじめ高速道路を利用した人にはマイレージということで四国四県から何か特産物をさしあげたらどうか、そういう四国ならではのサービスもあっていいんじゃないか。そんな話が出て、話に花が咲きました。
◇四国空港という空港
もう一つ、これは四国四県の知事との間で話をしたときに出した話題ではありませんが、Xハイウエーが完成したあとまもないころに、高知空港の滑走路を二千メートルから二千五百メートルに拡張する工事が始まりました。この工事が完成するのはこれから四年後のことですが、そうなると国際便の定期路線が就航できる空港になっていきます。
ただ、これまでは地方の空港が国際化するというときには、必ずと言っていいほど韓国のソウルとの間に便が開かれるというのがパターンでした。これはこれで意味があったと思いますが、これからはどこもかしこもソウルと結ぶという時代ではなくなってくるだろう。一方いま申し上げたように、四国四県の県庁所在地、つまり四国の多くの人口が集中する密集地域が二時間から二時間半で結ばれるということになりますので、国際化される空港、つまり松山、高松、高知ですが、それぞれの空港が役割を分担して、ある空港はソウル、北京、上海等を結び、ある空港は台北、香港、クアラルンプール、マニラ等を結び、またある空港はバンコク、シンガポール、ジャカルタ等を結ぶという分担をしていく、そんな使い方はできないだろうか。これも関西新空港がハブ機能を十分に発揮しているのならばそこにお任せすればいいわけですが、なかなかそうなる見通しのないいま、四国の中にせっかく三つの国際空港ができ、それらが二時間から二時間半で結ばれるわけですから、四国空港というバーチャルな空港があって、その中に三つの滑走路とターミナルがあるという発想も発想としてはあっていいのではないか。
そういうかたちで高速道路、空港という公共事業をさらに棚卸しをしてプラスのメリットを与えていく、光を与えていくということも、公共事業の見直しという側面で必要なことではないかと思いました。
◇計画の段階からの説明を
もう一つ公共事業にはむだが多い、無用だというご議論の原因は、なにか知らないうちに進んでしまっている、説明が不十分だという点ではないかと思います。このこともよくこうした会でお話をしておりますが、公共事業に関しては、なにか知らないうちに計画ができて、どんどん事業が進んで、できあがっていく。できあがったあと、なぜこんなものができたんだ。どうせつくるのであれば、一声かけてくれれば、こうしてほしかったのに、こんなものも付け加えてほしかったのに。そういう思いが募り募って、公共事業にはむだが多い、また公共事業そのものが無用だというご議論につながっている面も多分にあると思います。
こうした問題点を取り除いていくために、計画から実施に至るまで住民と議論をしていく、そして一緒につくりあげていく、いわゆるワークショップの方式がノウハウとして確立されることが必要だと思っています。そのときは県庁の中か外かはわかりませんが、住民の皆さんに事業の内容をわかりやすく説明していく、また住民の皆さんの話を聞いて、ワークショップの中でそれをまとめていく仲介者にあたるような、英語でいえばインターメディエーターということになりますが、そういう役割が専門職としてできてくる、そんなときが来るのではないか。このことは、のちほど情報化ということをお話しするときに少し付け加えてお話をしていきたいと思っています。
このように公共事業の説明責任ということがこれから大きく問われてくる時代ですが、これは言うはやすく行うは難しの問題です。私の立場からしても、お隣で起きている河口堰の問題などが本県で起きたとき、はたしてどうやって説明していくかなどと、ふと思わないではありません。しかし、なにもお隣の例を出すまでもなく、公共事業の存否にかかわる問題で県としてその説明責任を果たさなければいけない課題が今後数多く出てきます。
◇家地川ダムのこと
そのうちの一つに家地川のダムの問題があります。この家地川ダムは四万十川の窪川町にあるダムですが、発電のためにつくられたダムでした。ところが、来年四月に三十年ぶりの更新の時期を迎えますので、この時期にこのダムを撤去して四万十にもっと水を取り戻したらという、ダムの撤去論の運動と考え方がずいぶん声高に言われるようになってきました。この問題はさまざまな問題を含んでおりますので、これも光と陰ということを考えるうえでとてもいい参考事例になるのではないか、これを説明責任という立場も含めてお話をしてみたいと思いました。
いま申し上げたように、このダムは発電用のダムとして昭和六年に建設されました。そしてその後は二十年ごとに更新され、来年三十年ぶりの更新を迎えるということになっています。ただ、ここで使われた発電用の水はそのまま四万十の本流に戻されるのではなく、佐賀町の伊与木川に落とされています。
これも当時のことを振り返ってみますと、昔は森林資源も豊富で、水もいっぱいありました。ですからこの分を伊与木川に流すことに異論があまり出なかったのかもしれません。ところが、いま森林資源もだんだん衰え、水が枯れる状況になってきました。そうした中で、地域での光と陰ということでいえば、この問題は佐賀町にとって光であり、四万十の中流域である十和村、大正町にとっては陰であるという問題です。しかし、この問題を地域の光と陰という対立の構図で語ったのでは、その解決を見いだす糸口は見つからないと思いますので、このことは少し横に置かせていただきたいと思います。
四万十川はいま日本最後の清流と全国から位置付けられていますが、一方で水の量はずいぶん少なくなってきました。ですから来年の更新時期にこのダムを撤去して四万十川に水を取り戻せれば、自然環境も戻ってくる、またそのことが観光資源としてもプラスではないか、こういうご意見が出てくるのも当然だと思いますし、特に大都市部から四万十の環境というものを見ている方からは、ダム撤去論への賛成の声が出てくることも容易に想像がつきます。ただ、この問題はそのように簡単にすますことができないいろんな面を含んでいます。という意味から、先ほど申し上げたさまざまなこの問題にかかわるテーマを光と陰という視点から見ていってみたいと思うのです。
たとえばダムのために、アユの量が少なくなったというご意見があります。しかし統計を調べてみますと、昭和六年にできて、二十六年、四十六年と更新されてきたわけですが、統計のある二十年代からアユの漁獲量はずっと増え続けています。それがピークを迎えたのは五十二年のことで、それ以後減ってきていますが、これは四万十川だけでなく、高知県内全体のアユの漁獲量がすべて五十二年をピークに減ってきているので、このダムだけで魚の量が減ったとは言いきれないと思います。
といっても、もちろんダムの影響もあったかもしれません。ただそれ以上に、そこに流れこむ生活排水の問題、地域の皆さん方のご要望で進めてきた川沿いの国道の工事による土砂の問題、また地球の温暖化によって産卵時期が変わり禁漁の時期とずれが生じているといった問題、さまざまな問題が重なってこういうことが起きているのではないか。さらに魚の量ということでいえば、たとえば火振り漁という一網打尽の漁法をしていくことの影響はどうなんだろう。あるいは川と人とのかかわりということでいえば、いまでこそ小学生、中学生は川に自由に入れるようになりました。しかし長い間、小学生、中学生も川から遠ざけるような制度をつくってきた、このことは自然を守るという意味でどうだったんだろう。こんなことも含めて光と陰が議論されなければいけないと思っています。
もう一つエネルギーと環境ということで考えてみますと、二十世紀、私たち日本人はエネルギーを使う、特に電気を使うことによって生活の利便性をどんどん増やしてきました。これは高知県についても同じことが言えます。このため、かつて高知県は県内で発電する電力量が使用量を上回っていました。つまり電力の供給県でした。しかし、昭和四十六年からそれが逆転し、県内の発電量だけでは県内の電力の使用量をまかなえなくなりました。いまは県内で使っている電力の使用量に占める県内の電力の発電量は三七%、残る六三%は県外からもらってきています。具体的に言えば、伊方の原子力発電所に依存しています。
こうしたエネルギーの関係をもとに家地川ダムの問題を考えるにあたって、地域の中でエネルギーの節約を考えよう、また風力や太陽光、太陽熱といった自然にやさしいエネルギーのあり方を考えよう、こういう取り組みが出てきたことは大変すばらしいし、こういう運動はさらに伸ばしていかなければいけないと思います。
しかしそうはいっても風力、太陽光といったものが、コストの問題からいって短期的にこれだけ多くの電力量をいきなり代替的にまかなう存在になろうとはとても思えません。となれば、いませっかくある水力発電をダムを撤去して捨てるとなると、その分、原子力発電所への依存を高めるということになります。
といっても、もちろん私は原発の存在を否定するという立場ではありません。しかしその一方で、原子力発電には使ったあとの原子燃料、つまり使用済み核燃料の処理の問題、ガラス固形化の処理の問題等々、また廃炉、つまり使い終わったあとの原子炉をどう処理していくかといった問題、そんなトータルとしての社会コストの問題が大きく残っておりますし、併せて環境の面でのリスクも当然残されている課題です。ということを考えたとき、いまあえてせっかくある水力発電をダムを撤去して捨てていき、原発の依存度を高めるということが、二十一世紀の環境を考えるうえでベストの選択なのかどうかは十分議論されなければいけない課題ではないかと思っています。
同時に、四万十川というのはそもそも人の生活とのふれあい、つまり文明との共生ということをその価値として持ってきました。というのも、これが文明から離れた山里、山の奥であれば、もっときれいな渓流、自然はいっぱい残されています。これに対して四万十川は流域の土木工事とか生活排水、また観光客の増加という文明と折り合いながら、それでもなおいまの川のかたちを保ってきた。そこに四万十川の価値というものがあるのではないか。だとすれば、電力を供給するという文明の装置、こういうものとも共生しながら二十一世紀の川の姿を考えていくということは十分可能なことではないかと思いますし、そのために努力をし、知恵を絞っていくということが四万十らしさに通じることではないかと思います。
ただ、そういうことを進めるためにはもう少し四万十の本流に水を戻すということが必要になります。ですから企業の皆さん方にもそうしたことに積極的に踏み切っていただく。それによって四万十の環境に貢献するということをアピールしていただく。私は、こうしたことが電力エネルギーへの理解を深め、さらにはそのもとになっている公共事業の意味合い、必要性というものへの無言の説明責任を果たすことになっていくのではないか、そんなことを思っております。
☆財政の悪化という問題
以上、公共事業の光と陰ということで、棚卸しの問題と説明責任のお話をいたしましたが、公共事業に絡んでもう一つ陰の部分が出てきています。それが財政の悪化という問題です。というのは、日本はIT革命など産業構造の改革、改善が遅れてきました。そのために景気を回復していくためにはケインズ理論に基づく公共投資に重点が置かれてきました。また地方の側もそうしたケインズ理論を一つの理由として、それと同時に遅れているさまざまな社会基盤をこれを機会に取り戻していこう、そんな思いも込めて公共投資を積極的に取り入れ、その事業を拡大してきました。その結果、各地域で財政が厳しくなるという現状が出てきていますが、本県もその代表的な県の一つです。
◇フローとストック
ただ、このことは決して陰の部分だけではなく、光の部分も残してきています。というのは、それだけ予算を使った分、社会資本のストックは残ってきたからです。たとえば道路の改良の延長距離を見てみますと、平成四年度までの五年間、道路改良の延長距離は七十三キロでした。これに対してその後の五年間は百四十二キロとほぼ二倍に伸びています。また農業集落配水整備というこれからの農村の環境、生活に欠かせない事業、これも平成三年度の末はそのサービスを受ける人口はゼロでした、一つも事業がありませんでしたが、平成十年度の末には二万二千人の方がサービスを受けるという状況になってきています。
しかし、このようなストックを残した分、フローは悪化してきて、財政の悪化、財政構造改革という陰を二十一世紀まで引きずっていくことになりました。懐かしのウルトラマンで言えば、胸のシグナルがピカピカと光ってきたという状況であろうと思います。しかし第一次財政構造改革によって、本年度、借金への依存度、県債依存度を一〇・一%まで落とすことができましたし、財源不足、つまり支出オーバー分をまかなうための財政調整基金などの取り崩し、これも三十五億円まで縮小することができました。ただそれでも県債残高、つまり借金の総額は県の予算を超えて七千四百七十億円という規模になっていますし、財源不足を補うために必要な基金も残り百六十億円ほどになるということが予想されています。
今後何も手立てをしないで、これ以上の節減をしないでいきますと、やがてその財源の不足額は平成十四年度には九十二億円になり、平成十九年度には二百三十一億円まで膨れあがって、それが十年あまり続いていくということが想定されます。こういう状況ですので、当面、平成十四年度に収支均衡の予算が組めるように第二次財政構造改革に取り組んで、その取りまとめをこれからお示しをする段階に来ております。皆様方にも大変厳しいことをお願いしなければいけないことになろうかと思いますが、これは高知県の将来のために欠かせない課題だということはご理解いただきたいと思います。
と同時に、こうした財政構造改革はただ単に陰の面だけではなく、今後に光を残していく、また光を当てていく、そういう改革にしていかなければいけないと思っています。というのも、財政が豊かで膨らんでいくときには、そろそろ配分を変えなければいけないな、また事業そのものも見直さなければいけないなと思っても、それがなかなかできないという現状がありました。しかし実際には時代の移り変わりとともに、配分も変えていかないとニーズに対応できない、また事業そのものを見直さなければいけない、こういう課題もいっぱいありました。ですから財政構造改革を機会に、配分も見直していく、事業ももう一度見つめ直して洗い直していく、こういうことをして単にスリム化を求めるだけではなく、質的な構造改善を進めていくことが財政構造改革に光をもたらす方向ではないかと思っています。
◇事業評価のシステム
このことを進める手助けの手法として、県では事業評価のシステムというものを今年度予算の特別枠から取り入れました。事業評価というと一般的にはその事業そのもののよしあしを判断していく、そのランク付けをしていくための評価基準と受け止められがちですし、私自身もそういうものをつくるのかなと漠然と思っておりました。しかし今回の特別枠のプレゼンテーションを聴く中で、高知県のめざしている評価基準というのは色合いが少し違うなと思いました。
ではどのように色合いが違っているかというと、それは単にその事業のランクを決めるというのではなく、県民の皆さんにうまく説明ができるか、理解してもらえるようになっているか、その説明責任が果たされているかというところを評価の基準にしているということです。
先ほど公共事業の中で説明責任の必要性というお話をいたしましたが、行政がこの仕事は県民の生命・財産を守るためにはどうしても必要だ、Aランクの仕事だと自信を持って評価したとしても、そのことが十分説明され住民に伝わっていかなければ、住民投票というかたちで否定をされるという時代です。ですから自分たちが本当に必要だと思う事業ならば、そういう事業こそ十分に住民に説明できるような手段を持っていなければ、その事業の意味が生きてこないということになります。
そんな意味合いで本県の事業評価システムは、まず県民のニーズというものをどのようにとらえ、それをどうやって説明していくのか、また代替的なほかの手法と比べて、めざす事業の優位性は何なのか、その実現の可能性は何か、さらにそこから得られる成果は何か、これらを県民の皆さんにどうわかりやすく説明できるかというところに重点を置いた評価基準になっています。
ただ今回の予算の査定、プレゼンテーションを聴く中で、まだまだそのことは県の職員には十分理解されていないし、その技術も浅いなと思いました。しかし、この評価のシートは県民の皆さんへの総合案内のコーナーにも置いておりますし、ホームページの中でも公表しておりますので、ぜひ多くの方に一度見ていただきたい、そしてこんなものじゃさっぱりわかりませんよというご批判をどんどん寄せていただきたいと思います。こういう相互の関係によって事業評価のシステムが県民参加の県政の一つの基本的な道具になっていけば、財政構造改革も大きな光を持つ改革になっていくのではないかと感じております。
以上、公共事業と財政という問題の光と陰を考えてみました。そのことにずいぶん時間を使ってしまいましたが、次に二十一世紀の柱になっていくであろう情報化の光と陰を少し考えてみたいと思います。
(2)情報化の光と陰
情報化の光ということに関して言えば、情報化は距離の壁を取り払ってしまうという長所を持っています。これに対して本県はさまざまな意味で距離のハンディキャップを抱えた県ですので、情報化は必ず多くのメリットをもたらす手段だ、そんな意味で光の部分を強調してご説明してまいりました。
これに対して情報化の陰の部分もさまざまなかたちで指摘されています。その代表的なものの一つは、情報化というバーチャルの世界、仮想の世界にのめりこんでしまうために、人と人とのコミュニケーションがとれない、また人として必要な感性が身につかないような人間が出てくるのではないかというご指摘、もう一つはネットワーク社会にすべて頼っていくと、そこに悪い侵入者が入ってきたとき、社会のシステムそのものがだめになってしまうのではないかという不安、つまりセキュリティーの問題、この二つが代表的な陰の部分のご指摘ではないかと思います。
◇子供のうちから感性を
このうち、コミュニケーションをつくれない人ができてくるのではないか、この陰のご指摘はたしかにそういうことがあろうと思います。
しかし少し大げさな言い方をすれば、人類の長い歴史の中で、いろんなメディアが出てきましたが、そのつどこういう問題は絶えずあったのではないか。古代を振り返れば、言葉が文字になりました。そしてその文字をパピルスなど持ち運びできるものの中に書くことができるようになりました。これだけでもコミュニケーションというのは大きく変わったと思います。そして中世にグーテンベルクが活版印刷をつくり、本、書物が普及するようになりました。こういう時代にも、本、小説というような仮想の世界にのめりこんでしまって、そのことによって人間のコミュニケーションが失われる、そういう意見は必ずあったのではないか。そのあと写真ができ、映画ができ、テレビができ、ビデオができというように、メディアの選択肢はどんどん広がって、いまインターネット、マルチメディアという時代を迎えています。
ということから考えれば、時代の進歩の度合いは早まってきていますが、そのつどいろんなメディアができ、選択肢が広がってきた。その一環に、歴史的な一つのポイントに、インターネット、マルチメディアの情報化というものも位置付けられると言えると思います。と言えるのならば、ただ単に陰の部分だけを強調するのではなく、光の部分も同様に見ていく、つまりいずれをも過小評価しない、そしてそのことによって陰の部分が起きないような手立てを考えていくということが必要なのではないか。
ではその手立ては何かといえば、小さな子供のうちから感性、感受性とか創造性がきちんと身につくようなプログラムを提供していくことではないかと考えます。そのため県では一昨年からこども課という課をつくって、この広い県内どの地域で生まれた子供でも、それぞれの地域で自然の体験、文化・芸術の体験、スポーツの体験などをすることによって、感性、感受性や創造性を養っていける、またコミュニケーションの基礎的な能力を身につけていける、そういうプログラムをつくっていきたい、それを子供の権利条例というかたちで条例化もしていきたいと考え、その取り組みを進めております。
こういうものがきちんとできあがっていって、人間の自我が確立されるまでに創造性、感受性を身につけていければ、どういうメディアが新しく付け加わってきても、そのメディアに押しつぶされることなく、それにのみこまれることなく、それを使っていける人材が育っていくのではないかと思います。
◇教育の情報化
一方これからの時代ということを考えますと、あまりにも情報化の陰の部分だけを強調し、その必要性を矮小化、過小評価していって、子供にこういう面での教育を怠っていきますと、これからの時代は文字が読めるかどうかという識字率と同じように、コンピュータのリテラシーができるかどうかが必要な社会的手段として位置付けられるようになってくるだろう。そういうときにそのような教育をきちんとしていなければ、やがて将来、識字率がかつて問題になったような意味合いで、子供たちがかえって陰を引きずってしまうということになりかねません。
そうならないために本県では、教育の情報化、また情報化による教育というものに力を入れて取り組んできました。すでに小中高校、また教育の機関、すべてがネットワークで結ばれるということが実現しています。これは全国のスピードからいえば一年半から二年ぐらい先を行っているというネットワーク化です。こうした先行のメリットを生かして、いろんな取り組みを進めてきました。
今後もそうした取り組みを進めていきたいと思いますが、そうした中でいま、ある団体が持っておられるソフトを活用し、そのソフトを短い時間のクリップというかたちにしていただいて、それを県としてお借りして、そのクリップをいろいろ組み合わすモジュールをつくり、それを教材にすることによって、自然とか生物、歴史、社会というものを情報化の中で学んでいく仕組み、これを試みとして立ち上げていきたいと思っています。
こういうものを全県的に進めていくことによって、子供たちは知らず知らずのうちに、これからの識字率として必要になるコンピュータのリテラシーを身につけていくことになりますし、これまでにない教育のバラエティーを増やしていくことによって、関心を持っていろいろ勉強してくれるようになる。こういうことによって情報化が光り輝くものになっていく、それを支える人材がつくっていけるのではないかと思います。
◇直接意見交換していける仕組み
また、このような情報化による人づくりということだけではなく、情報化を使えばさまざまなことができます。先ほど説明責任ということを公共事業に関して申し上げましたが、この説明責任ということに関して言っても、いま県でいえば情報公開を、いちいち窓口まで行ってコピーをもらうというのではなく、行政の情報化によってデータベースから自動的に引き出せるかたちにしようということを取り組んでおります。これはやがて実現していくと思います。
こういうことが実現していきますと、そのことによって情報公開そのものも幅の広いもの、中身の厚いものになっていきますし、それだけでなくそれをもとに県民の皆さん方と直接意見交換をしていける仕組みをつくることによって、いい意味での議会制民主主義、間接民主主義を補完するような制度もつくっていけるのではないか。そんなことにも挑戦していきたいと思っています。
◇インターメディエーターとは
情報公開に関して言えば、これからは端末で、プライバシーにかかわるようなものだけを除けば、どんどん情報を引き出せるという時代になってくるだろう。しかしそうなると逆に県民の皆さんから見れば、バラバラとなまの情報が出てきても何がなんだかわからないということになります。本当はそれをまとめて、こういうことが知りたいということにお答えしていくコンテンツをつくっていく、または行政に代わって説明責任を果たしていくようなシステムを考えてくれる、そういうものが必要になりますが、これを行政の中につくっていくということがなかなか難しい現状にあります。そこで先ほども申し上げたような仲介者、インターメディエーターが一つの仕事として出てくるのではないか。
というのは、情報化によっていろいろななまのデータが出てきたとき、県民の皆さんからの要望を受けて、たとえば自分は四十五歳で農業をやっていて、これまでこういう作物をやってきたけれども、今後違うこんな作物をやってみたい。そのためにこれだけの元手を持って、こういう広さで、この場所でやりたい。それを支援してくれる制度としてどんなものがありますか、こういうご質問があったとき、本来ならば県の中にワンストップのサービスがあればいいのですが、なかなかそれがやれる状況ではありません。とすれば、そういう要望を受けて、情報の中からそれを洗い出し、それをまとめてお伝えするというサービスが成り立つのではないかと思います。
一方、先ほどワークショップということを言いましたが、これも行政に代わって、いろんな事業をするとき、その事業の情報データを全部見て、その中で県民の皆さんにどう説明していったらいいかという仕組みを考え、そして県民の皆さんと一緒に話し合い、それをつくりあげていくような仕組みを考えていく、そんな仕事も新しく出てくるだろう。
こうしたことがビジネスとして企業ベースに乗るのか、それともNPOにやっていただくのかはわかりません。しかし、こういう仲介役の存在が出てきて、それがたとえばNPOの団体として確立していくとなれば、まさに情報化というのは大きな光を持つものになっていくのではないかと思うのです。
◇セキュリティーの問題
情報化の二つ目の疑問点、陰として、セキュリティーの問題を挙げました。つい先日も霞が関のほうでいろんな問題が起きた。そのことによって日本がこういう問題にいかに無防備だったかが明らかになりました。などと高知県も大きな口をたたいていられないような現状にありますし、これはいったん侵入を受けたときには県だけの問題ではなく、それがほかの方々にも影響を与えるという意味で、責任問題も考えなければいけないというのがネットワーク社会です。ですからセキュリティーの問題というのは当然重要な問題として今後考えていかなければいけません。
しかし、そのセキュリティーの問題が起きるということはそれだけ情報がだれにでもアクセスできる開放されたものだということですので、それを裏返しに考えることによって、先ほどの情報公開の仕組み、県民との直接の意見交換の仕組み、さらにはそれを仲介する仕事、そんなことが広がってくるのではないか。そういうことを情報化の光と陰という面で考えています。
☆科学技術と技能
以上、公共事業から財政構造改革、情報化へと話を進めてまいりましたが、この情報化に代表されるように、二十世紀というのは科学技術がどんどん進歩してきた時代だと思います。ただ、そのことによって一方では二十世紀が戦争の世紀だといわれるような陰も背負ってきました。また科学技術によってできた大量生産・大量消費の仕組みが豊かさも生み出しましたが、その反面、ごみとか排気ガス、地球の温暖化とかさまざまな環境問題という陰の部分も起こしました。こうした問題に対して二十一世紀は資源循環型社会をいろんな場面でつくっていかなければいけないということは言うまでもありませんが、このことは昨年も少しふれましたので、今年は循環型社会の話はおいて、技術の後ろに隠れてしまった技能、この大切さをもう一度見直してみたらどうかということを少し考えてみたいと思います。
◇技能の大切さをもう一度
といっても、もちろん技術そのものを否定するという意味ではありません。資源循環型の社会をつくるにも新しい技術が必要ですし、そういう視点も含めて県でも工科大学を設立して、そこに大きな投資をしてきました。ただ一方で技術の陰にずっと技能というものが隠れたままでいたときに、本当に競争力を持った社会がよみがえるのだろうかと思うのです。
というのは、もうずいぶん前の話ですが、自動車産業華やかなりしころ、なぜ日本の自動車産業の競争力があるかということをお聞きしたときに、その一つはたとえば扉をバタンと閉めたとき、わずかな隙間で扉がぴたっと閉まる、そういう板金の技能があったからだという話をしてくださった方がありました。それがそのまま事実なのかどうかはわかりません。しかし、こういう技能というものを大切にしていかないと競争力が失われてしまうのではないか、また新しい競争力はよみがえらないのではないかと思いました。
◇溶鉱炉の番人
そこで先日、異業種の方々とちょっとお話をしたときにそんなことを言いましたら、そういえばと言って、技能とか勘、経験ということにかかわるお話がいっぱい出てきました。
たとえば製鉄会社の方は、かつて溶鉱炉の番人としておられた宿老というお仕事のことを言っておられました。というのは、溶鉱炉の中は何千度という熱になりますので、昔はセンサーなどを設けることができませんでした。ですから宿老という方がおられて、長年の経験で光と熱で炉の状況を見て、そろそろ空気をもっと入れなければいけない、このような指示をされていたということです。その私がお話をうかがった方が新入社員で入ったころは、宿老という方は非常に大切な存在だったので、役員と同じで車で送り迎えをされていた、こんな話をされていましたが、いまはいろんなセンサーなどの技術も発達し、リストラの波の中でそういうお仕事はなくなったというお話でした。
また航空会社の方は昔パイロットをされていたということですが、パイロットとして研修を受けたとき、神様と呼ばれた教官と一緒にテスト飛行をした。そのときその教官の人が遠くを指して、おまえあそこのピンク色のところが見えるかと言われるので、よく見てみると、普通の空でなんにも色なんか見えない。見えませんと言ったら、まあいいからあっちに行ってみろと言われて、そこの方向に行ったら、もののみごとに気流の悪いところに突っ込んだ。その方は気流の悪いところがピンク色に見える人だったという話です。降りたとき、そんな話を別の先輩にしたら、いやあの人は神様だからしょうがないけれども、誰もがそうはいかないよ、こういう話をされたと言っておられました。
さらにくどいようですが全然別の話で、その交流会におられた方が、いまテレビで盛んにコマーシャルを打っているマイタケの製造をしている会社の社長さんと会ったときの話を紹介してくれました。この方はマイタケの人工栽培ができないということで、それをやろうと四六時中マイタケと寝食をともにした。そのマイタケと寝食をともにしているうちに、こういう状況のときにマイタケは喜んでくれるんだな、こういうときにマイタケは悲しいんだろうなということがだんだん感覚でわかってきて、それをもとに人工栽培の技術を確立したということです。いま数十億の企業になって、今度は大学卒の技術者を入れたら、いろんなセンサーを使って管理をしていく。その部屋に入ってみると、どうも自分が感じたマイタケの喜ぶような感じとは違うという話をいつもしている、そんな話でした。
この系統の話ではいくらでも話が出てきて、たとえばある大手電機メーカーのオーナーの番頭役だった人が、ラジオができたときにラジオを抱えて、夜も一緒に抱えたまま寝ているうちに、ラジオがだんだんとここを直してくれと語りかけるようになったという神話的なお話とか、同じ会社で風や波の音を聞くうちに、その中のF分の一ゆらぎというものに気がついたという研究者の話とか、さまざまな話がとめどなく出てまいりました。
こうした勘とか経験に基づく技能をどうやって伝承していくのか、またどうやって次の時代につくりだしていくのかということは、技術という面だけではなく、これから大変重要な視点なのではないかと感じています。ですから職業教育の面等々も含めて、こんなことを何か考えていかなければいけないと思いますが、いまその手段を持っているわけではありませんし、いいアイデアがあるわけではありません。
◇KKDH
ちなみに、この交流会に出席されていたおひとりの方は、経験と勘に度胸とはったりを加えて、KKDHということを言っておられました。経験と勘と度胸とはったりをなぜ英語で言わなければいけないかわかりませんが、このKKDHの二十一世紀での必要性をどう考えるか、こういうことも皆様方にもお考えいただいて、またそういうことについてお話し合いができればいいんじゃないかと思います。
(3)少子・高齢と過疎の問題
以上が技術と技能という話ですが、もう一つ二十一世紀に向けて本県として考えていかなければいけないことは少子・高齢と過疎の問題です。本県はそのことが先進的に進んでいるわけですが、これからの全国の状況を考えてみますと、二〇二〇年までには全国で四人に一人が六十五歳以上のお年寄りになりますし、それより前に二〇〇七年からは日本の総人口が減っていくという大きな変化が予測されています。しかもこの経済状況がありますし、地域にいまの産業構造の中で人が残ってくれないということも続こうかと思いますので、そうした中で再生産の力を地域が失ってしまうのではないか、さらに厳しい状況にある中山間地域をどうしていくか、陰の部分は数多くあります。
◇地域を支えている元気なお年寄り
というとなにか暗い話題になってしまいがちですが、一方でその地域を支えているお年寄りは昔のお年寄り、老人というイメージとは大きく変わってきました。元気な方がいっぱいおられます。ということで最近実感したことがあるのですが、この二月から四月の初めにかけて、学生のインターンというのを実施いたしました。せっかく学生が来てくれましたので、長年やっておりませんでした知事室の掃除を一緒にやりました。そうしたら整理していない手紙がいっぱい出てきて、なかに読んでいないものがありました。読んでみますと、おばあちゃまからのお手紙で、知事さんのファンなので写真を送ってほしいという内容でした。年齢を見ますと、自分は九十一歳、友達は八十六歳、九十一歳と書いてありました。くるっと裏を返して、その日付を消印で見てみますと、なんと五年前でした。はたしてご健在かなと思いながら電話帳をめくりましたら、その電話帳の中にお名前がありましたので、学生に電話をさせますと、元気な声で出てこられました。「自分はもう九十六歳になるけれども、一緒に手紙に書いた八十六歳と九十一歳だった友達もそれぞれ九十一歳、九十六歳になって皆元気だ。」こういうお話でしたので、さっそく写真を贈らせていただきましたら、また懇切丁寧なお手紙をいただきました。そういうことで非常にうれしい思い、元気づけられる思いをいたしましたが、このように元気なお年寄りが地域の中にどんどん増えてきています。
◇支え合いの仕組みづくり
一方この四月からは、中山間地域への直接所得補償支払い制度というものが高知県などのこれまでの要望にこたえて実現することになりました。しかし、これもただ単にそれでお金をもらうということではなく、そのことをきっかけに地域をつくりかえていくという方向に動いていけば、大きな光になっていくのではないかと思います。
併せてこの四月からは、介護保険の制度が始まりました。この介護保険の対象になるのも全体の一割ほどのお年寄りです。残り九割のお年寄りは健康とはいわないまでも元気にいろいろ動けるお年寄りですので、こうしたお年寄りの健康づくり、社会参加の仕組みづくりが大切になってきます。
もう一つ中山間では来年度から、公共交通、バスの乗り入れ、またその撤退というものが規制がなくなって自由になります。こうしたときのその地域の足をどうやって支えていくかという課題もありますが、いま申し上げたような課題にこたえていくキーワードは、支え合いの仕組みをつくるということではないかと思います。
直接支払い制度、直接所得補償に関して言えば、集落協定というものをつくることになっています。この集落協定を話し合うのも支え合いの仕組みをつくるいいきっかけであろうと思いますし、併せて介護保険の導入とともに県では三級ヘルパー、シルバー介護士の方々などに入っていただいて、お隣ヘルパーという仕組みをつくろう、こういう事業を今年度から進めることにしています。さらに公共交通の足ということでは、中山間の問題も含めて、新しい足の確保、これを考えるプロジェクトチームをきのう発令いたしました。
こうした一つひとつの仕事、従来であれば集落協定のことは農業の担当が、お隣ヘルパーのことは福祉の担当が、そして公共交通のことは交通、企画の担当がというように、縦割りのものの見方、視座に立って仕事を進めていくということになります。これをそうではなくて同じフィールドを対象にした仕事だという総合的な見る立場、視座に立つことによって、まさにいま申し上げた支え合いの仕組みづくりということにもお役に立てるのではないか。そういうことをしていくことが、この厳しい少子・高齢、過疎化という現状の中で県としてまずやらなければいけないことではないかと思っています。
四 役所の仕事の光と陰
以上、20世紀から21世紀に向けての光と陰ということで、いくつかのテーマに絞ってお話をいたしましたが、もう一つ自分たちの足元である役所の仕事の光と陰にどう対応していくのかという問題が残されています。
この役所の仕事の陰の部分は、私が知事になってからも次々といろんなかたちで外に出てきました。それぞれの問題は自分自身の力の足りなさもありますし、それぞれの問題に対するご批判は真摯に受け止めなければいけないと思っています。ただ、私はそういう問題が生じるたびに、これは自分でなければできないような仕事を与えられているんだという前向きな思いでこれらの課題に取り組んでまいりました。同時に、私はこうした課題に取り組むとき、一罰百戒的な見方ではなく、そういうことが二度と起きないようなシステムづくりはどうしていったらいいかという考え方をしてきたつもりです。
◇日本とアメリカの文化の違い
というのは、これは自分がNHKの記者時代に経験したことですが、皆さん方もご記憶にある日航機のジャンボ機墜落事故がありました。この事故を起こした飛行機は、それより数年前に大阪空港でしりもち事故を起こし、そのときその機体の修理のためにアメリカのボーイング社に送られて、その工場で修理をしました。ところが、このときの修理にミスがあったために、あのジャンボ機の墜落事故が起きました。
このために日本の遺族の方々などを中心に、ボーイング社の工場責任者など個人の責任を刑事責任として追及していこうという動きが起きました。日本の考え方としては当然のことであったと思います。しかし結果としては、この追及は不起訴に終わりました。その理由は何かというと、こうした事故に対する日本とアメリカの考え方の違い、文化の違いがそこにあったのではないかと思います。
というのは、日本の場合は一罰百戒という言葉に代表されるように、まず罰を与えることによって被害感情も和らげ、またそれによって罰を受けてはいけないな、だから自省しなければいけないなというかたちで物事を直していくという手法がとられています。ところがアメリカはそういうやり方ではなくて、最初から刑事責任は免責してしまう。そのことを条件に、すべての話をつまびらかにさす、またすべての資料を出させる。そしてそれをもとに二度とそういうことが起きない仕組みをつくり直していくということに力を入れる、そんなやり方でした。
これはどちらがいいとか悪いということで申し上げているのではありませんし、刑事責任がすべての面で不問に付されていいと申し上げているわけでもありません。しかし、いま申し上げたようなアメリカ的な文化、考え方は、私は日本においてももう少し取り入れられていっていいのではないかと感じましたし、自分自身はいろんな問題、課題が起きるたびに、そういうことに重点を置いて取り組んできたつもりです。
ですから旅費や食糧費の問題が追及を受けたときも、それにかかわった職員個人個人の責任を追及していくという一罰百戒の方式ではなく、そういうことが二度と起きないような仕組みづくりを進めてまいりました。そのシステムが少しいきすぎて仕事がしにくいという面がありますので、またその見直しもしなければいけないと思いますが、こうした課題、問題、県庁の陰の部分に対しては、私はこれからも二度と起きないためにはどうするかという視点を大切に取り組んでいきたいと思っています。
同時に、こうした問題が起きますと、内部の管理を強めていかなければいけないんじゃないかという管理型の発想がすぐ出てきます。しかし、内部の管理を強め、規制を強めたからといって、それだけですべての問題が解決するとは思いません。
◇行政の経営品質向上システム
という意味で取り組んできたのが、去年もこの場で少しご紹介した行政の経営品質向上のシステムづくりです。もう一度この内容についてご説明いたしますと、行政の中で私たちの仕事の相手、サービスの対象はだれかを考え、そのニーズは何かをまず考えます。一方それぞれの組織、事業所の運営のビジョンは何か、リーダーシップはどうなっているか。その中でどういう人材を育てようとしているか、その学習の環境はどうなっているか。さらに仕事を進める際のスピード、その効果をどう測っているか。そして実際の効果、成績はどうなのか。このような組織経営に必要な七つの項目を三十五の質問にしてシートにし、それを自己点検していくところから始めます。
そして、よりよい例から、ベンチマークといって、その例を取り入れていく、また自分の悪いところを認識する。それによって自分を少しでも高めていこうという仕組みですし、それを外に公表することによって、よりよいものをどんどん活用し、全体が伸びていくということを目標にしております。
昨年度は二百の所属でこの自己点検を行いましたが、そのあとのアンケートを見てみますと、労力がものすごくかかったわりに効果があまりなかったねという否定派、マイナス評価が半分、労力をかけただけの効果はあったというプラス評価、前向きの評価、積極派が半分でした。ただ、こうしたものはとかくアンケートをとりますと、まあいいほうにマルをしておこうかなという心理が働きますので、たぶん否定派、マイナス評価のほうがもっと多いのではないか。ですからこの仕組みもリニューアルして、理解を深める努力をしていかなければいけません。しかし、そもそも競争とか切磋琢磨という意識がなかなか育たなかった、いわんや自分たちの行っているサービスの質をどうするかを考える環境がなかった行政の中に、そういうことを考えようというきざしが出てきたことは大きな一歩ではないかと思っています。
また先ほど申し上げたアンケートでもう一つ興味を持ったことは、やったわりに効果がないという率とやっただけの効果があったという率が、本庁の中といわゆる出先とでは逆転していたということです。というのは、本庁では効果があまりなかったという否定派が三分の二を超えていますが、これに対して出先のほうでは逆にやっただけの効果があったという評価が三分の二近くになっています。これはたぶん出先のほうが県民の皆さんと直接接しているだけに、自分たちのやっているサービスの対象は何か、顧客の満足は何かということが認識しやすいというのがその理由として挙げられるのではないかと思いますし、それだけに従来、本庁をやや重視しがちだった人事のあり方そのものが問われるような内容を含んでいるのではないかと感じています。
今年度はこの行政の経営品質の向上システムを全庁的に進めていくことになりますが、こうしたことによって職員の中にも、行政を自ら中から変えていこうという意識が起きていくことを心から期待しています。
*いま、なぜ、何のために
また昨年度やりました中で、六つの事業所が外部の評価を受けたいと手を挙げてくれました。この中で最もいい成績を上げたところとして、健康政策課をベストプラクティスとして先日表彰しております。その評価の内容を見ますと、「いま、なぜ、何のために」、こういう質問を自ら出して、そのことを管理職を含め皆で議論し合って仕事を進めていった。その結果、法律とか制度の枠だけにこだわるのではなく、いまなぜ何をしなければいけないか現場に根ざしたサービスを考えるようになった。こういうことが評価されていました。
「いま、なぜ、何のために」というと、そんなことは当たり前だろうと民間の皆さんは思われると思います。しかし県庁という組織の中では従来、法律・制度の枠の中で、それをきちんとこなしていく管理型の人材が当然重用されましたし、そういう人が仕事のできる人材として評価されてきました。そのことはこれからも必要なことですが、そのために法律・制度の枠内だけで満足してしまって、「いま、なぜ、何のために」を考える習慣、文化が生まれませんでした。これを先ほど言ったような表彰をすることによって、「いま、なぜ、何のために」を多くの職員が考え、特に管理職が考えてくれるようになるのではないか。
*ベンチマークという考え方
そして、この行政の経営品質向上のシステムはそもそも民間の日本経営品質賞をもとにしてつくっておりますので、ぜひ県内の企業の皆さん方にもこういうものに挑戦していただいて、県庁と品質の向上を競い合う、そんな時代になればさらにすばらしいのではないかとも感じています。
併せて、先ほどベンチマークということを申し上げましたが、このベンチマークという考え方もようやく県庁の中でだんだん認識を得るようになってきました。これは最高の水準を持っているやり方を勉強し、その勉強する中で自分たちの足りないところ、問題点を気づき、そしてその最高水準のやり方を取り入れることによって向上していくというやり方です。その実例として、飛行機の駐機の時間などを短くするために、自動車レースのピットインチームのやり方をベンチマークして成功したアメリカの航空会社の事例などがよく紹介されます。
ただ、こんなことを言いますと高知の皆さん方は、人まねをするのはおれはいやだなと言われるんじゃないかと思います。もちろん人まねは決しておもしろくありませんが、ベンチマークというのは人まねで終わってはいけないものです。というのは、先ほども言ったように人のやっているすばらしいやり方、それを見ることによってまず自分の足りないところ、問題点は何かを気づく。この気づきということが非常に大切ですし、そのうえで人のものをそのまま持ってくるのではなく、自分の組織ではそれをどういうかたちで取り入れていったらいいか、そういう独創的な能力、発想が求められるようになります。
ですからベンチマークというものもぜひこれから県庁の中でも進めていきたいと思いますが、併せてベンチマークは同じ業界の中、その業界の同業他社のいいところを取るというだけではなく、その業界とは違うところからやり方を学んでくるというやり方もあります。ということからいいますと、これから県庁が同じ自治体の中の競争ではなく、民間の企業の皆さんからそのやり方をベンチマークしてくるということもあると思いますし、できれば将来、県庁が民間の企業や団体の皆さん方からベンチマークをされるような存在になれば一番いいんじゃないか。そういう行政の組織というものを二十一世紀はめざしていきたいと思っています。
以上、きょうは「二十一世紀への光と陰」ということで、思いつくままにいろんなお話をさせていただきました。あまりまとまらない話になってしまったのではないかと思いますし、お約束した時間よりも少し長い時間しゃべってしまいましたが、ご清聴を大変ありがとうございました。(拍手)