パネルディスカッション「大学における看護教育の社会にとっての意味:現在・過去・未来」

公開日 2007年12月07日

更新日 2014年03月16日

パネルディスカッション「大学における看護教育の社会にとっての意味:現在・過去・未来」

平成15年3月23日(高知市文化プラザ「かるぽーと」)

高知女子大学看護学部50周年記念事業

(パネリスト)
 青山英康(岡山大学名誉教授)
 南裕子(日本看護協会会長)
 新道幸恵(看護系大学協議会会長)
 梶原和歌(医療法人近森会常務理事・看護部長)
 橋本大二郎(高知県知事)


(司会)
 第二部では、橋本大二郎高知県知事をお迎えしパネルディスカッションに参加していただきます。お忙しいところありがとうございます。今から、第一部で先生方からご指摘いただいたこと、それらをふまえてこれからの看護・これからの看護教育について討議をさせていただきたいと思います。

 私たち高知女子大の一つの看護教育理念として、健康文化の創造ということを柱に上げております。もともとこの健康文化という言葉は、橋本知事が使われていた言葉を少し拝借したこともございまして、橋本知事がどのようなお考えで健康文化という言葉をお使いになっているのか、そのあたりをまず教えていただければと思います。よろしくお願いします。
 

(橋本知事)
 皆さんこんにちは。本日は、高知女子大学看護学部の50周年記念のパネルディスカッション、誠におめでとうございます。また、お招きいただきまして誠にありがとうございます。

 早速その健康文化という言葉の意味は何か、どういう思いでこの言葉を使ったのかというご質問がありましたけれども、そもそも最初に健康文化という言葉を使い始めたのはもう10年近くも前のことでございますし、その健康文化がこの10年の間に高知県内で決して順調に根付いてきていると言えない現状でございますので、正直なところ少し忘れかけておりました。

 けれども今、野嶋先生から言われてそういえば看護学部を文部科学省、当時はまだ文部省ですけれども、申請をするときにもこの言葉を文言の中に入れていろんな議論があったという話を聞きましたし、自分で使っていた責任もあるなと思って、少し当時のことを思い出しながらお話をさせてもらいたいと思います。

 まずその文化という言葉ですが、文化という言葉はまたその言葉に、皆さん方いろんなイメージを持たれると思いますが、ここで使った文化はですね、文明と文化だとか文化水準だとかいう、どちらかというと高級なイメージの文化とは少し違った意味合いでした。

 では何かといえば、生活文化という言葉に代表されるように毎日毎日の日常性、また生活の習慣そのことそのものを文化と表現した意味合いでございました。ではそうした日常の生活イコール文化と健康とがどうして結びついていくかということですけれども、その背景には日本人のここ何十年かの間の健康に関する考え方、健康観の変化ということがあるんではないかと思います。

 その健康観の変化をキャッチフレーズ的に言えば、治療の時代から予防の時代への変化ではないかと思います。もう少し具体的に言えば、病気になった後、病気を治療して健康を取り戻すという従来からある健康観これが段々と変わってきて、早く病気を見つけるという意味での予防、さらにそれより以前に毎日毎日の生活を気を付け心がけ健康を保っていこうという意味での予防、そういうふうに治療から予防へと日本人の健康感が大きく変わってきている、また変わらざるを得ない背景があったのではないかと思っています。

 ではこうした治療から予防への時代への転換を求めている、その原因理由は何かということを考えますと、二つほどの大きな理由があるのではないかと思います。ひとつは財政的な理由というふうにくくられると思います。

 と、言いますのも正確な数字は覚えていませんけれども、日本の国民医療費はどんどん年々上がってきております。11年度と12年度の推計ですでに30兆を越していたと思いますし、12年度は11年度に較べて若干下がりましたけれども、介護の分を除いておりますので、加えればもっと大きな金額になろうとおもいます。出所はまったく違います。まったくというか一部はだぶっていますが、そのままイコールではございませんので、国家予算とイコールで較べられるものではございません。

 しかし今年度は、来年度の国の予算規模が81兆8000億位でございます。これに較べて30兆という金額の大きさ、そのうち7兆8兆というお金は予算の中に含まれる医療費としての負担額ということになりますので、このことはやはり財政的に大きな負担でもあろうと思います。

 で、これがどんどん伸びていけば、やはり医療を支える保険を支える財政が破綻してしまう、だから従来の治療型の医療、健康観というものから日々の暮らしを変えていくということで、病気にならない健康づくりに大きく社会そのものがシフトしていかなければいけないという、ひとつの時代背景があると思います。

 もうひとつの原因理由は何かというと、それは長寿社会、高齢社会ではないかと思います。例えば私は、戦後間もない昭和22年の生まれでございますけれども、僕が生まれた年の日本人の平均寿命はたぶん男性が46歳代で、女性がようやく50歳代になったぐらいだったと思います。それが50年余りの間に、平均寿命が30年余りに延びました。

 そうなると一人一人、人生が20年から30年長くなった、この長くなった人生をそれぞれのライフステージ、段階段階に応じて自分のやりたいことを思い切りやって過ごしていきたい、またそのことがクオリティオブライフ、生活の質の向上につながるという思いが、国民一人一人の中に出てきたと思います。

 そうなると病気になるのを待ってという、表現はおかしいのですけれども病気になった後、治療して健康を取り戻すというのではなくて、もう日々毎日の生活の中で健康ということを意識し心がけていく、そして健康づくりを進めていくというように、日本人そのものの健康観が変わってきたのではないか。こうしたことが私は治療の時代から予防の時代へという、大きな変化の背景にあったのではないかと思います。

 またそういう意味で予防、日々の生活ということを考えたときに、健康づくりとか健康観そのものを、毎日毎日の生活の文化にしていく、そのことが必要ではないか。そんな思いで健康文化という言葉を使い始めました。つまりは生活習慣病というふうに成人病が言い換えられた、その時代背景と同じ根っこを持つものではないかと思います。

 ではその健康文化というものを、地域に根付かせていくために何が必要かといえば、タバコとかお酒ということも含めた食生活ということが、重要なポイントであろうと思いますし、もうひとつスポーツとまではいかなくとも、日々何か体を動かしていくというようなこと、これらのことが、まず身近で取り組むことのできる大切な課題ではないかと思います。

 といって私自身は、ほとんど毎日のように外食をせざるを得ない状況にございますし、また生来三日坊主な者ですから、ジョギングやらなんか始めましても三日と持たないという性格ですので、個人的な立場としては人様にこんなことが言える状況ではありません。

 しかし知事というか県政の責任者という立場で言えば、こういう食生活のこと、またスポーツのことこれらのことをテーマにした生活文化を地域に根付かせていくこと、これは今後の長寿社会を質の高いものにしていくために、県としてもみんなで取り組んでいかなければならない大きな課題ではないかと思います。

 そう考えてみますと、保健師さん、看護師さん、栄養士さんまたPTさん、OTさんいろんな分野の専門職の方々、しかもその専門職の方々がその専門の縦割りのその壁の中だけではなくて、その枠を越えて地域で連帯をしていろんなメニューを作り、それを実践的なプロジェクトの活動として取り組んでいっていただくということは、この健康文化を地域に根づかしていくために、とても大切な課題ではないかと思いますし、その時に、別にお世辞で言うわけではございませんけれども、高知女子大学が中心になって果たしていかれる役割は、大変大きなものがあると思います。

 が、冒頭言いましたように、この10年そういうことを言い、予算をつけるから何でも考えてといっても、なかなかうまくいかなかった面があります。それはそれだけの、やはりスタッフ及び意識、意識というのは意識が低いという意味ではなくて、みんなのそれこそ文化としての意識がそこまでいっていなかったことが原因であると思いますけれども、この10年の間に、ずいぶん地域の中の雰囲気というのも変わってきました。

 そして様々な意味でリーダーとなるスタッフも育ってきましたので、是非この機会にこの50周年という機会に、もう一度この健康文化ということを、あまり難しい理屈だと考えずに、地域でみんなで毎日の食生活からスポーツから、いろんな日々暮らしの中に健康を根付かしていく、そういう取り組みととらえていただいて、是非そんなプロジェクトをいろんな形で動かしていただければなという思いでございます。
 

(司会)
 ありがとうございました。非常に価値観、健康に関する価値観を変えていくこと、それは非常にこう難しいことでもあるんですけれども、私達看護職としてどのようなことに貢献できるかということが課題だと思いますが、南先生何かお願いします。
 

(南先生)
 突然のご指名で驚いておりますが、あのそうだなと思って知事さんのお話をお伺いしてたんですが、日本看護協会は今の私たちの医療費の抑制というのではなくて、医療費の適正な使い方効率的な使い方というふうに言っているのですが、今の医療費の圧迫の中で、それに対して看護会は貢献できる二つの要素がある、ひとつは私たちが基本的には健康増進に対して貢献できる、今まで保健師の活動というのがあったわけですが、特に高知県の場合は昔は駐在制の保健師さんたちがいて、本当にすみずみまで住民に保健師という名前が知れ渡っていた。

 これは日本の中では珍しい現象であったと思うんですがそれ以降どうなったのか、沖縄例えば高知県また長野、いずれにおいても保健師活動が重要な役割を果たすことによって、知事さんがおっしゃってた基本的に予防の力がついていく、そのことで結果的に長寿し、健康で長く元気でお年を召していくことができる、そういう仕組みが作れるということがひとつ。

 もうひとつは、医療の非常に効率的でない部分に関して看護が貢献できるのではないかということで、例えば看護というのは先ほども申し上げましたように、キュアとケアとを統合させてブリッジになっていくところですので、これからの社会はきっと入院期間が短くなって、そして地域に帰っていくそうした仕組み作りをどんどん作っていきます。

 外国では、例えば出産でも出産後24時間後で自宅に帰ったり、48時間は当然のことっていう時代がまいります。で、日本がそうなるかどうかはわからないんですが、術後抜糸の前に退院するということが、当たり前の社会になってくる可能性があります。

 そういうときに私たちがそのことを支えていける、いわゆる在宅ケアの問題だとか、また医療の中でも安心して安全なケアが受けられることで、患者さんの合併症だとかまた死亡率が下がるというデータもございますので、両面においての財政的な問題を解決できるのではないかというふうに考えていまして、積極的に私たちが責任をとっていかないといけない、できることを示していかないといけないというふうに考えています。
 

(司会)
 ありがとうございました。他のパネリストの先生方いかがでしょうか。
 

(青山先生)
 僕は先ほどの4人のパネラーの中で、ひとつ指摘されていながら今までの科学というのは全部進歩は専門文化なんですね。スペシャリゼイションなんですよ。もっともっと、こう分けて分けて分けていけば科学が進歩する、このスペシャリゼイションに対応するインテグレイション、総合化ってのが欠けてた、総合化の科学の進歩っていうのがなかったというのが、逆にいえば学問の立場からすれば一番ですよね。

 看護の場合だってガン専門認定のところでそれはわかるんだけど、例えば老人、小児、我々医学の方もだから今ファミリーメディシン、家庭医学とかプライマリーケアだとかいう形で何とかインテグレイションしていくなんていうのは、これは今日私が申し上げたんなるチームワークではなくて、保健と医療と福祉という形ではわけられないものが、今求められているんだろうというふうに私は感じるんですよね。

 看護学も専門性っていうあたりを確立していかなければならないんではないかなというふうに思い、先ほどちょっと触れておられていたので長野県は何で医療費が半額なんだ、確かに一番多い福岡と北海道に較べたら半額なんですね。ところがそれは私たちPPKの勧めっていう、長野県に学ぶっていう本を出したんですけれども、いつの間にこんなPPKってのが一人歩きしだして、棺おけに歩いて入ろうPPKなんて心筋梗塞で死ぬのが一番幸せだなんて、全然そうじゃないですね。

 長野県っていうのは医療費が最低で、100歳以上の人ってのがそんなに多くいないんですよ。いいころ加減で逝ってるっていう点ですよね。それで男性が1位で女性が4位、今度は去年は3位になってましたけれども。じゃあ医療費はどうかってなると、一年あたりで甲信越で最高なんですね。風邪引きで3回も4回も通ってないという、一番大きいのは終末期医療亡くなる前6ヶ月間に病院で亡くなる方が一番少ない。

 これが一番医療費おさえてるんですね。いわゆる在宅ケアがしっかりしてるという、人口当たりの保健師の数が最高と人口当たりのボランティアの数が最高で、もうひとつは、年をとっても働いてる人が多い、それから有配偶者高齢者世帯いわゆるご主人のおる高齢者世帯、奥さんのおる高齢者世帯、一般的には高齢者所帯っていうのはだいたい日本は女性が長生きしていますから女性が多いですね、女性の単身高齢者所帯というのが多いですよね。そうだろうと思いますよね。

 ご主人亡くした奥さんというのは、ほんと葬式のときだけですもんね。悲しんでるのは。翌日からだんだん元気が出てきますから。その点奥さんを失ったご主人というのは情けないですね。もうだんだん数年以内にかたがつくと、データ的に出ておりますけれども。

 ところが長野県ではあなた100まで、私は99までという世帯が多くて医療費が浮く、どうして作られているのかということは、やっぱ保健と医療と福祉というのがインテグレイトされているのだろう。

 そうすると必ずしも医療費をかければ幸せな高齢者社会ができるのではなくて、幸せな高齢化社会というのは医療費が低くていいんじゃないかなっていう、そういう問題提議をするに私は3年間長野の調査に入ったんですよね。

 これがやっぱり今までの保健と医療と福祉だとかっていうばらばらなものではなくて、それを総合化していく学問、例えば我々医者も今までの私今保健医療福祉審議会のヘルスの方の保健事業の推進と評価の委員長をしておりますけれども、どんどん今まで何でも公衆保健活動っていったら集団検診、集団検診、個別検診、個別検診、個別的に一番調子のいいときにかかりつけの先生に健康診断をしてもらう、そして予防注射も一番調子のいいときにしてもらう、検診受けたらちゃんと個別指導をしてもらう。

 そういう中で、もうひとつ今度は看護職とか保健師はいままでの従来の保健指導ではなくて、いわゆる生活指導、酒を飲むな、タバコを吸うな、一日一万歩。せっかく長生きして酒も飲まず、タバコも吸わず、うまいものも食わず、そして毎日一万歩歩いて何のために長生きしないといけないのか、そんなものじゃなくて生涯に渡って退屈しない生活できる、そういう知恵と技術を国民一人一人が自分の健康を自分で守ろうと思った、必要な知恵と技術をきちっと提供できるそういうそのヘルスアセスメントっていうかな、また僕はさっきのことばのヘルスエディケイションって言ってもいいし、そういった技術が看護の世界からかえされないだろうか。

 我々医師の方もファミリーメディシンだとか、またいわゆる終末期医療における在宅ケアである痛みをとる一日一秒でも延命の医療じゃなくて、やっぱり痛みをとるというところが医療の基本的な立場である、そういうふうな転換が行われている、やはり看護の方もそういった点で看護のこの今日の状況にあった、新しい看護学の体系に作られていかなければならない。
 

(司会)
 ありがとうございました。新道先生お願いします。
 

(新道先生)
 看護系の大学は、統合教育ということを発展的に勧めておりまして、特に大学教育の中では看護の看護師教育、保健師教育、助産師教育のこの3専門教育を、4年間の中で行うという統合教育を推し進めております。

 先ほど看護協会の立場から南先生がおっしゃいましたように、大卒のナースたちの多くの看護師の多くの人々が、ジェネラリストとして実践活動をするであろうということがいわれましたけれども、まずは統合というところからスターとし、その統合の中で看護系の大学で大変力を入れておりますのが、実践力をもつ看護師の育成というふうなところに力を入れはじめております。

 先ほど梶原さんの方からご指摘がございました実践力のことについて、多少のまだ課題が残っているというふうなご提案、ご発言があったかと思いますが、まさにそのことは看護系の大学の卒業生として指摘されるところではございますが、今看護系大学協議会といたしましては実践力のあるというところに力を入れて、そのことを今後看護系の大学の多くのところで責任もって、実践力のある人たちを卒業させていこうという動きも進めております。

 そのことはそこでおきまして、もうひとつ保健医療福祉の統合ということでございましたけれども、これは3年前に高知女子大の卒業生であります、山崎美恵子先生が看護系大学協議会の役員でいらした時に、介護福祉士への看護系大学協議会の貢献というところで、介護福祉士の育成ということに着目して研究活動を行われました。

 それを引き続きまして、昨年一昨年と介護の施設における看護職、介護等の高齢者の施設には看護職の数が大変少ないんですが、その人たちがより看護としての専門的な能力を発揮して仕事ができるようにというところで、その人たちの育成を各都道府県に散在してます、看護系の大学で実践力をつける継続教育を行ってはというところで研究活動をしておりますし、そのあたりを努力をしてますので、今後先ほどご指摘の、保健医療福祉の統合の中での看護職の役割というのを、明確に出していくことができるのではないかと考えております。
 

(司会)
 ありがとうございました。実践の中での連携、統合ということと、そして学問、看護学そのものが一方では統合性、総合性、人間を中心とした学問であって、もちろんそのスペシャリゼイションもしながら方向性も模索をしながらスペシャリゼイション性にいきつつ、しかし看護学としては基盤は、人間を中心とした統合の学問であるというふうなご指摘だったと思いますし、

また実践の中で健康、文化を促進していく地域の人々が健康になる運動を進めていくその責任を看護がといっていく必要がある。じゃあどのようにするのかというふうな話の方向性にいっているのではないかと思いますがいかがでしょうか。例えばひとつは、その南先生の方からもお話がありました、街の保健室などひとつの非常に健康文化を促進する健康文化を作っていくというふうな、具体的な活動ではないかと思いますけれどもいかがでしょうか。
 

(南先生)
 先ほど知事さんから、文化というのは日常生活の中にある、今までの行政の予防、政策っていうのがあって、その中にいろんな縦割りの行政がある、一般の人たちは私はリュウマチがあって日常生活がしにくいんだけども、生活費を稼がないといけないとかそういう事柄があって、そのことを私は今の生活をどう整えていけばいいのかということの方が関心が強いわけですね。

 私もこの間健康診断を受けて透視を受けたときに、これはもう何年もやってらんないなって思ったんですね。透視は非常にハードですね。私と同じように何年代60年代の人が受けてて、これはもう何年もやれないって言っているんですね。今のような検診のあり方に関しても、見直してみないといけないなっと改めて思いました。

 私が持っている、私は肥満症で血糖値が高くて生活習慣病で、ほんとに変えていかなければならないんです。でもそのことは、私は専門家だからよくわかってるんだけど、私が自分の日常のこの忙しい生活の中で懇親会もあり、いろいろな会があっておいしいものがたくさん出てくる中で、おいしいものを食べないでどうやって生活するのかという、そういう事柄をほんとに個別にデザインしてくれる、生活デザインをしてもらえるそういうことができるようになっていて相談ができる、そこが私健康文化を育てていくのに非常に重要だろうとおもうんですね。

 そういう意味で街の保健室というのは、身近に医療のこと薬飲んでるんだけどこれでいいんだろうかとか、家族のおばあちゃんがぼけてきてほんとに困ってるんだけどどうしたらいいだろうかとか、何か別の医療機関は無いだろうかとか、そういう相談ありとあらゆる保健医療福祉のありと、あらゆる事柄のさまざまな問題を個人に統合させて相談していくことができるそういうしくみが欲しい、それを作りたいというのが街の保健室で、これを今はまだまだ看護のボランティアでプロジェクト型でやってってるんですが、これをもう少しきちんとした社会のしくみに段々としていきたい、でもボランティアの部分はずっと残していきたい。

 これが看護協会の考えというものです。仕組みになって、政策になって、行政になったとたん、面白くなくなる、やることに限界がでてきて枠組みが出てきちゃう。ある部分もちろんお金が必要ですし、是非知事さんにもこのことは行政的にもサポートしていただきたい部分あるんですが、でも看護職が週休二日の中で多少ボランティアができるようになってきた、その活力をいかした組織作りをしたい大切にしたいのが街の保健室です。
 

(司会)
 高知県でも高知県看護協会と一緒に、また私たちも街の保健室のプロポーザルを出しておりますので何とかうまくいけばいいなと思っておりますが、また知事さんのほうもいろんな機会に応募すればまたサポートしていただければなと思っておりますので、またそのことも検討させていただきたいと思います。

 梶原先生の方は、ほんとに私たち高知女子大は一体地域の問題を、どのように考えているのかという非常に厳しい現実をご指摘いただきましたし、それを私たち自身考えていかないといけないことだというふうに考えておりますが、いかがでしょうか。
 

(梶原先生)
 今急性期の病院ですらですね、退院される患者さんが不安なく次のステージに移れるようにということで、ディスチャージナースというそういうふうなポジションを作りまして、その患者さんの不安を軽減、それから介護保険を使う、あるいは使わないどんな社会資源を使って在宅で暮らしていけるかというふうなお手伝いをしています。

 で、その保健医療福祉の統合っていうのは、急性期ですら現場はしないと患者さんに満足していただけないという状況があるんですけれども、一市民として考えたときは、まだまだ行き当たったらそのテーマに行き当たって教えてもらった人はわかるけれども、県民全体として市民一人一人が具体的に困っているときにどうしたらいいのか。

 例えば私は要介護3の痴呆の母と暮らしてるんですけれども、通所介護に通ってて、ちょっと一過性に脳虚血になったりして少し一泊二日の入院をさせてもらった、そしたら一夜にして歩けなくなって、そして形相が変わって人格荒廃してかえってくるというふうな状況があって、老人は非常にこう環境の適応に弱いです。じゃあ在宅でってことで、いろんな介護保険でサポートの医療器具だとかそういうふうな貸し出しとかもありますけれども、例えばポータブルトイレのそのポータブルを洗うところっていうのが普通の家庭には無いんですね。

 病院にはきちっと汚物を洗う深いシンクがありますけれども、家庭にはありません。そしたらお風呂場に行って水を入れて、その水をまたトイレに捨ててっていうふうな、非常に生活してみると様々なそういうケアのノウハウというものがいるし、それから痴呆を進行させないためにこうしたらいい、こうしたら夜間せん妄が起こったらこうしたらいい、

というふうないろんな手立てが私にはわかるんですけど、私の義理の妹たちはわからないので、とても彼女を預けると迷惑をかけるので、私が仕事をしながら見た方が一番母にとってもみんなにとってもハッピーだなということで行ってますけれども、その街の保健室ということは南先生が一貫して看護協会からの提案で行われています。

 でも私は50年の歴史のある高知女子大が何でそれをもっとしないのか、病院だったら栄養士が栄養状態の悪い患者さんのところに来られて来て、そしてどういうふうな何が足りないかということで、すぐさまプランを立てて、栄養指導が行われます。

 そしてひとつの病棟の垣根を越えて床ずれのできそうな人には、こういうふうなマットがいいとかいうふうに、自分のポジションで仕事をしながら対当に、あっちの病棟こっちの病棟というふうに右往左往しながら、いくつも掛け持って仕事してるんですね。で、今日の会場に今回のこのテーマも社会にとっての意味ということで、ほんとに県民にとっての意味と考えたとき、女子大がこれから未来に向けてどういうことをしたいと思うあるいはしてきたっていう公開講座だとか、池川町の懇親会、相談会だとか、いろんなメニューが出されました。

 わたしは、それをすごいすばらしいと思ったんですけど、果たしてこれだけ女子大の看護科がやっていることを知っている県民がどのくらいいらっしゃるでしょうか。私も知りませんでした。

 もっともっとアピールして、もっともっと利用していただく、看護学科は女子大は看護科だけではなくて、福祉も栄養科もありますので、総合したパワーでポストの数ぐらいとは申しませんので、各地域にひとつづつぐらいでも、中学校区にひとつづつぐらいでも、あるいは輪番でそういう県民にサービスしていく。いくら専門看護師が誕生したと言っても、市民一人一人が専門看護師ってこんなに具体的にいろんなことを教えてくれるんだっていう、その利益がわかるようなそういうこう実践に移す活動っていうのをしていただきたいなって思っています。
 

(司会)
 新道先生お願いします。
 

(新道先生)
 今の梶原先生のご発言で、私ちょっとヒントになって思うところがあるんですけれど、いろいろな大学でそして先ほど50年の歴史の中で、高知女子大の地域貢献のことはお話になりましたし、そのことが今ご指摘のように、どのくらい県民全員が知っているかというふうなことがございましたけれど、知らせるひとつの方法として、こういう機能を持ってるっていうのは、組織をもってるということは、いわゆるその大学はどういう組織を持ってるかによって、機能っていうのは県民の方々にご理解いただけるっていうのがあるんじゃないかと。

 そのことのひとつで例えばですが、いわゆる付属施設、例えば教育センターとか研究センターだとかつくって、そこで総合的に県民の先ほど知事がおっしゃいました健康文化を、いわゆる創造し実際に活用する場としてのいわゆる付属のセンターを作り、そしてセンター活動でアピールするというのも、ひとつの方法ではないかなというふうに今ちょっと思いつきましたので、発言させていただきました。
 

(司会)
 ありがとうございました。貴重なアドバイスありがとうございます。梶原先生のほうからはいくつかご指摘がありまして、私たち一人一人がもう少し、そして看護学部として実際に行動していくこと、行動ができる卒業生、大学卒業生を育てていくことが、教員の課題でもありますけれども、そのようなことが必要ではないのかなというふうなご指摘であったと思います。

 大学卒業生が状況を変える積極性、行動性、仕事をオーガナイズする力、マネージメントする力、そういう力がつくことによって、また南先生がおっしゃってた生活をデザインする一人一人を変えていく力を持って卒業する卒業していく人たちを育てていくというのが、私たちの課題ではないのかなというふうに教えられたような気がいたします。
 

(橋本知事)
 いろいろお話を聞いているうち、また自分でも話をしたうちにだんだん思い出したことが、もうひとつありました。健康文化ということを言いましたときに、もうひとつキャッチフレーズ的な言葉で、五感にやさしい街を作ったらどうかというようなことを言ったことがあります。五感というのは、目から入る視覚、耳から入る聴覚、鼻から入る嗅覚、舌からの味覚と、手触りの触覚の五感でございます。

 人間の体の中に入ってくる刺激というのは、全部五感を通じて入ってまいりますし、その刺激がストレスになったり、様々な悪さをして病気を起こす、健康のバランスを崩すということがあろうと思いますので、この五感から入るものを優しい形に街を作っていけば、当然日ごろから健康文化ということのベースができるのではないかという趣旨で、五感に優しい街作りということをキャッチフレーズとしていったことがございます。

 で、そこで言いたかったことが何かといいますと、先ほどからいろんな専門分野の枠を超えて連携をしていきましょう、というお話が出ております。それでも女子大の中であれば、まだその保健師さんと看護師さんと、また助産師さんと栄養士さんとというように、女子大の中でもっている範囲の専門職の方々のネットワークということにとどまってしまうと、決めつけてはいけませんけれどもとどまりがちであろうと思います。

 もっともっとやっぱり枠を超えて、街全体をということを考えたときには、土木建築少し大きく言えばそういうものも入るでしょうし、教育も入るでしょう、様々な分野が入ってくると思います。といういうことから、女子大の中であっても看護学部社会福祉学部だけでなくて、生活化学の中でもっている建築的なデザイン的なものとか、いろんなものとかがですね、私は健康文化に関わってくるのではないかなっということを感じました。

 街の保健室というこれもイメージもまた、具体的なプロジェクトとしてもとてもすばらしいと思いますので、ぜひせっかく南先生がいらっしゃるのですから高知県率先してそういうことをやっていきたいと思いますが、梶原さんがおっしゃったように看護協会だけではなくいろんなものが主体となって、特に高知女子大学でやっていっていただければ、お金の面は県がやりますので口は出さずに。

 どんどん学生さんも参加してね、やっていただくような何もそのボランティアであろうが、少し何がしかのものをいただいてもいろんな仕組みが作れると思います。是非そういうものをやっていただけたらなということを思いました。

 健康文化ということが、なかなか根付かなかったというか根付かせにくかったのは、先ほども言いましたようなスタッフが十分育ってこなかったということもありますし、やろうと思っても予算をつけるよと言っても、何をやったらいいのかなかなか思い浮かばないような分野であったと思うんです。

 ということから言えば、街の保健室というふうな考え方は、それをこう具体的に一歩進めるイメージがはっきりしてきますので、是非取り組んでみたらどうかなということを思いました。

 もうひとつその統合教育と言う話がございました。ちょっと突然の話であれですけど、私webマガジン(橋本知事のメールマガジン「とりあえず一言」)を書いておりまして、その中で知人のがん患者のことを、昨年書いたwebマガジンがございます。

 タイトルは「千人に一人になるために」というタイトルをつけていましたが、末期のがんだったんですがいろんなことが重なって奇跡的に生還をした人でございます。おととしの秋ごろに、もう今年いっぱい持たないと、おととし一年持たないだろうということを、2つのしかるべき病院から宣告を受けて、ご家族ともお別れの旅行をしたりというようなことをされた経験のある方ですが、本当にいろんなことが幸いしてがんが消えてですね、生還を今されております。

 この方とお話をしたときに、病院に入ってがん患者さんがお隣にもさらにお隣にもいらっしゃって、隣二つ隣の部屋の患者さんは非常に若い方だったと。で、ある晩その隣の隣のへやから大きな声が聞こえてきて、行くなとか、戻ってこいという声が聞こえてくる、つまり三途の川を渡るなという声をお父さんなり、ご親戚の方が大声出されて聞こえてきて、翌日聞いたらやはりその晩亡くなったということで、お隣の部屋は今度は70を越えたというか80近いお年寄りの方で、その方も夜中に何かごとごとするなあと思ったら、翌日亡くなったとそういうことを経験するうちに、次はもう自分の番だろうなと思うと、もう何ともたまらない感じになった。

 で、どうしたらその昼はどうにかなっても、夜の怖さをしのげるかということを思って、昼間くる人に思い切って、実は自分はもう今年いっぱいだというふうに宣告されるんだという話をしたら、そうしたら相手はびっくりするんだけども、それぞれにいろんな思いの話をしてくれて気が和むようになったと。

 ご家族が実は全然外には漏らさずにきたのに、知り合いの方からだんなさんもうあと3ヶ月らしいですねってことを言われて、誰がそんな話してるんだろうと思ったら、本人だったという話でございました。

 それとともにその方は、中国からの帰還者の方で中国で戦争が終わったときも、ほんの小さな子供であったわけですけれども、大変な思いをしてご家族と一緒に昼間は出ると撃たれたりするので夜出て、そして昼間は草むらに隠れてということで命からがら逃げてきた、そのことをぐっと思い出しながら「あーあ、あの時自分はもう死んでてたんだな」と。

 もう今の残りの人生は余りでもらった人生だなっていうふうなことをいろいろ考えているうちに、また勇気が出てきたというようなことで、そのことをちょっとwebマガジンで書いたんですけれども、がんの治療ということでもまさに専門性とか科学性だとかでいろんな治療があると思いますけれども、そういう人の思いにどう答えていくか、

南先生が言われる看取りは在宅の意味も含めておられるでしょうから、ターミナルケアの看取りの意味だけではないでしょうけれども、というようなことがこれからのこれまでももちろん大切だったんでしょうけれども、まさにこれから高齢化社会が進み、多くの方がそういう形で最期を迎えるという時には大切な視点ではないかな。

 そのことと大学教育ということを考えますときに、高校か大学のころに読んだ本でしたから正しくは三四郎だったかどうか覚えてないんですが、たぶん三四郎だったんじゃないかと思いますけれども、大学にいったけれどもなかなか授業が始まらないというお話が出てきます。

 ということと同じように、大学というのはですね、大学に入ったらいきなり専門の授業が始まる必要はまったく無いところだと思います。というのは受験勉強なんかでいろいろ苦労してきて、少しほっとするということもありますけれども、そういう時期にいろんなまあ人生とは人の思いとか暮らしとかいろんなことを勉強するというかですね、知識としての勉強ということよりも体感をすることによって、私はそのもの専門教育というものがもっともっと生きてくるのではないかなあと。

 従来から女子大学でもそういうことを心がけてらっしゃると思うんですけれども、これからの時代ですから是非またさっきの南先生のお話ではないですが、仕組みになっちゃうと仕組みが義務になっちゃってオブリゲーションになっちゃうといけないんですけども、やはりそういうことを勉強できるような機会というのを大学の1年2年のときに作っていけば、3年4年とこう専門性を持ってやっていかれるときにもっと大きな力になるし、そのことがやがてまた在宅にという形で地域にも歓迎していただけるのではないかなあということを思いました。
 

(司会)
 ありがとうございます。私たち看護教員は、確かに1回生2回生のときから学生を社会につなぐ役割を担っていかないとけないのではないかというふうに最近考えておりましたので、とても示唆に富むお言葉をいただきました。

 議論は尽きないところなんですけれどもそろそろ終了の時間が近づいてまいりました。本日は北海道からまた九州からも200名以上の方たちから参加をいただきました。看護師の方たち、保健師の方たち、看護教員、養護教員、マネージャー、ヘルパーさんそして地域の方々が参加してくださいましてありがとうございました。パネリストの皆様からは、看護学部の未来像に多くの示唆をいただきました。

 新藤先生からは、知の継承、知の活用、知の創造の3つの次元からもう一度看護学部を考えて見る必要性があるなと言うふうに考えました。

 青山先生からは、判断をする事そして判断をしながら実践していくことの重要性を教えていただきました。また科学とは何か学問とは何か、学問のスペシャリゼイション化、専門化、そして専門化する中にも、総合性と専門化とのバランスの問題を指摘していただいたように思います。

 南先生からは、看護教育は社会的なニーズから人々の運動から形成され、それゆえに看護教育の中には社会性が、そしてポリティックスが内在しているということを教えていただきました。常に変動する新しい看護のあり方や、看護の提供システムを変革し続けることが大事であるために、看護教育の場ではどのような人材を育成しているのか、ということを常に模索し結びつけていくことが大事であるというご指摘をいただきました。

 梶原先生からは、社会的状況によって変化を強いられる看護は、必然的に政策政治の問題と深くかかわっていること、そして私たち高知女子大は高知県の医療の厳しい現実に、もう少し対峙し問題解決に取り組むべきであるということを指摘していただきました。

 これらのご示唆を真摯に受け止めて、本日を未来への再スタートの機転として、看護学部は地域の文化生活と健康生活をエンリッチする大学として、飛躍することを目指していきます。地域の看護職者の仲間とともに、実践科学である看護学を創造し、地域の専門職者との連携を形成し、地域の健康文化の創造に取り組んでいく所存でございます。

 創立50周年の今日を機会に初心に返り、地域の人々から信頼され、存在感のある大学として、熱意をもってまた新たな挑戦をしてまいります。より一層のご支援、ご鞭撻をお願いいたします。パネルディスカッションはこれにて終了させていただきます。パネリストの先生方どうもありがとうございました。これを持ちまして高知女子大学看護学部50周年記念事業パネルディスカッションを終了させていただきます。皆様どうもありがとうございました。
 


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