公開日 2007年12月07日
更新日 2014年03月16日
シンポジウム「南海地震にそなえる」−新しい時代の防災に向けて−
平成15年2月1日(土曜日)13時00分から(高知市文化プラザ「かるぽーと」大ホール)
主催:日本災害情報学会、東京大学社会情報研究所、日本損害保険協会、日本放送協会高知放送局、高知県〇パネルディスカッション
(コーディネーター)
藤吉洋一郎(NHK解説委員)
(アドバイザー)
貝原俊民(前兵庫県知事)
(パネリスト)
阿部勝征(東大地震研究所教授)
河田恵昭(京大防災研究所巨大災害研究センター長)
廣井脩(日本災害情報学会会長)
橋本大二郎(高知県知事)
〔VTR上映〕
(藤吉)
このところ南海地震をめぐる動きが活発になってきています。去年は東南海地震と南海地震にそなえるための特別立法ができました。また、中央防災会議による被害想定の中間報告も発表されました。本格的な対策はこれからというところです。
冒頭にご覧に入れましたVTRの内容を簡単にまとめてみますと、東南海地震と南海地震、これは「双子の地震」とも言われますけれども、過去には同時または連動して起きていたことが知られています。
そして、先ごろ発表されました中央防災会議の、東南海地震と南海地震が同時に起きた場合という最悪の事態を想定した被害、これは震度6以上の揺れというところが広い範囲に及びます。そして、地震で倒れた建物の下敷きになって亡くなる人だけでも7400人、阪神大震災の犠牲者を大きく上回るという想定がされています。
この後、すぐに大津波が各地を襲い、最大で12mにも達するという予測がされていますが、まだこの7400人の中にはこうした津波の被害、あるいは世の中がすっかり変わってしまったことによる被害の増加というのは見積もられていません。
それでは、お集まりの皆さんにそれぞれのご専門の立場から、いったいこの次の南海地震はどんな地震になるのか、どんな被害が予想されるのか、そのへんの考え方から伺っていきたいと思います。最初に阿部さん、いかがでしょうか。
(阿部) 次に懸念されております南海地震というのは、大きな特徴の一つが極めてエネルギーが大きい、大規模な地震であるということが言えます。地震のエネルギーから見ますと、地震の規模をあらわすマグニチュードが8.4と推定されております。
その地震のエネルギーといいますのは、兵庫県南部地震の45倍もあります。それから昭和南海地震の4倍もあります。関東大震災をもたらしました関東大地震のエネルギーの6倍もあります。
昭和の南海地震というのは57年前に経験したわけでありますが、その最も記憶に新しい昭和南海地震よりもエネルギーが大きいということが、次の南海地震の特徴であると思います。
最も記憶に新しい昭和の地震というのは、皮肉なことに長い歴史から見ますと一番エネルギーが小さかった地震であります。この点は今後の地震対策や津波対策にとりまして大いに注意していくべき事柄であると私は思っております。
(藤吉) わかりやすくするために、昭和の南海地震と比べた場合に、次の南海地震は地震の揺れ、あるいは津波の高さはどれくらい違うかというような数字を示していただけますか。
(阿部) はい。揺れはそれほど変わらないと思います。震度6弱、大きいところで、中村市とか須崎の付近ですと6強になります。それから津波の高さも、昭和に比べて約2倍高くなります。4mから10m程度の津波が予想されます。
(藤吉) ありがとうございました。それでは、被害はどんな特徴になるだろうか。河田さん、いかがでしょうか。
(河田)
広域に被害が発生いたしまして、たとえば大都市では阪神大震災のような都市災害のかたちで被害が出てくる。それから沿岸各地には小さな集落がありますから、ここでは高齢化が非常に進んでおりまして、こういったところでは都市災害と違う様相の被害が出てくる。すなわち太平洋に面した西日本全域で、非常に種類の異なる被害が出てくるだろうと考えています。
特に広域ライフライン被害といいますか、電力・ガス・水道・電気・通信、こういったネットワークが非常に大きな被害を受けるだろう。それには、沿岸に発電・送電施設あるいは石油・ガスの精製施設が集中しておりますので、こういう被害が広域に広がっていくだろうと思っています。
そうしますと、大きな揺れで孤立する自治体が沿岸部に続出する。そこには、実は救援の手がなかなか差し伸べられない。こういう実態が出てくるだろうと思います。
それから阪神大震災と違って、やはり津波が6時間以上継続する。これも実は海上からの救援がなかなか立ち上がれないということにつながりまして、非常にいろいろなかたちの被害が重層的に広域的に出てくるという特徴があると思います。
(藤吉)
なるほど。なかなか長時間にわたって周りからの助けが期待できないという、阪神大震災と大きく違った特徴ということでしょうか。そのような地震の対応を考えますと、日ごろからどんな取り組みが大事になってくるか。廣井さん、そのあたりはいかがでしょうか。
(廣井) 今のお話にもありましたけれども、南海地震は特に東南海と連動するというようなケースを考えますと、大変被害が広域に及びます。そうしますと、全国各地からの応援体制をどういうふうに組むか。広遠・広域応援体制の構築というのが大変大事になってくると思います。
それからこれもさっき話がありましたけれども、おそらく沿岸地方を津波が襲いますと道路等々が寸断されまして、孤立地帯というのが大変多く出てくると思うんです。その孤立地帯をどういうふうに救援体制を組むか。これも大きな問題です。
それから、津波ということになりますと避難ということが緊急の課題になりますけれども、高齢化社会の進展ということで、どれだけ短時間に住民の方々が安全な場所に避難できるか。
これも大変難しい問題です。道路の整備とか、場合によっては自動車避難というのも考えなければいけないということで、津波の相互防災対策というのでしょうか、このへんがキーポイントになるのではないかと思っています。
(藤吉) 起きてから考えるのではなくて……。
(廣井) 事前にですね。
(藤吉) 日ごろ準備をしておくということが決め手になるというお話だと思いますが、橋本さん、高知県を考えてみますと大変海岸線が長い。そこへ持ってきて山林が85%近くを占めているという特殊な事情があるわけですが、そういう中でこの南海地震の課題をどういうふうに考えておられますか。
(橋本) 課題はいっぱいあるんですけれども、まず県民の皆さんにいま言われている次の南海地震というのがどれぐらいの大きさの、どういう影響をもたらすものかということを知っていただくことが第一だと思います。
最初に阿部先生のほうからエネルギーのお話がございました。一般的に、昭和の南海地震のマグニチュードが8.0で、今度予想されているのが8.4だと聞きますと、わずか0.4だけ上がったかなという感じに普通の人はとらえると思います。
その0.4増えたことが4倍になるんだということを、なかなか体では理解できないことがあるかもしれませんが、少なくとも頭では知っていただく。それによる被害がどういう状況かということを、県でも中間報告を出していますけれども、そういうことをまずよく知っていただいて、「では、そのときどうするか」を考えていただくことがまず第一の課題だと思います。
後で詳しくお話も出てくるだろうと思いますが、阪神・淡路の大震災のときにも、地震直後に倒れたお家の下敷きになって亡くなった方が9割近くあるということから言いますと、住宅の耐震の診断とか、耐震にどうそなえていくか。
このことと、先ほどもお話がございました津波のときに逃げられるような、特に高齢社会の中でどういうかたちで少なくとも安全なところに逃げることができるか。こういうことが非常に大きな課題だと思います。
併せて、これも今のお話に出ましたけれども、高知県は特に山と海に囲まれておりますので、地震で道路が寸断された場合には、阪神・淡路の場合と違って何日間とか、何十時間とか応援が得られない。
特に、広域に東海から東南海、南海と一緒に起きた場合には、被災を受ける地域が非常に多くなりますので、すぐには応援を受けられない。ということを自覚してどんな準備をするか。これらのことが課題ではないかと思っています。
(藤吉) 地域的な地理上の制約もあって、さまざまな課題を抱えているということですが、貝原さん、阪神大震災のご経験からも、地震発生直後にやはり頼りになるのは隣近所といいますか、地域社会、そういったものだというようなお話が反省としてあったと思いますが、いかがでしょうか。
(貝原)
おっしゃるとおりですね。地震による被害が大きければ大きいほど、また、被害地域が広ければ広いほど、ほかからの救援ということには限界が出てきます。したがいまして、どうしても家族同士の助け合いですとか、隣近所あるいはボランティアの皆さん方の救援ということが頼りになるわけですが、このようなことは急にやるといってもできることではありません。
日ごろから家族同士の助け合いの気持ち、あるいは地域の連帯感、あるいはボランティアのネットワーク、こういった人的なネットワークというものをいかに強くしておくか。このことが防災力を高めるために最も大切なことなのではないか。このことは、阪神・淡路大震災で本当に現実に体験いたしました。
(藤吉) はい。ありがとうございました。かつてない広域・巨大災害になるだろう。こういうことが予想されるということと、したがってもっと広域の、日本全国といったようなレベルでの応援体制をどのようにするかということが大きな課題になる。そして、隣近所あるいは地域で、助けが来るまで持ちこたえる。それは日ごろの付き合いが大事だというようなことかと思います。
一つ、阿部さん、政府の地震調査委員会がおととし発表しました「今後30年以内に南海地震が起きる確率は40%」。こういう表現がありました。これをどのように私どもは理解したらよろしいのでしょうか。説明していただけませんか。
(阿部) 政府の地震調査委員会が計算したところによりますと、昭和の南海地震の規模が小さい。そのために、次に来る地震の時期が早まるという結果が出たわけです。それはおよそ90年と考えられております。ですから、もう半分以上過ぎたということになります。
そして、確率も計算いたしました。90年といいますと、ちまたでよく「次の地震は2036年ごろ」と言われていますが、その元になっているところですが、実際には繰り返し間隔というのはばらつきがあります。
そのばらつきを加味しますと、今後10年以内に起こる確率が10%程度。それから30年以内になりますと大きくなって40%。50年以内ですと80%もの確率になります。
30年以内に40%と言われていますが、これは30年後に40%に達するという意味ではなくて、現在を含めて、現在から30年までの間に起こる確率ということですから、ある日突然起こってもおかしくない数字だと思います。
(藤吉) まだまだ30年ぐらいあるというふうに油断をしてはいけないということですね。
(阿部)
そういうことですね。
(藤吉)
それからもう一つ、最近の体験でありました阪神大震災。これと被害の面で大きく異なる点は、津波の被害が大きくなりそうだということだと思います。それも西日本の太平洋岸を総なめにする。そういった被害が考えられます。いったいどういうことになるのか。津波対策はどのように進められているのか。VTRでご覧に入れたいと思います。
〔VTR上映〕
(藤吉)
阿部さん、次の南海地震の津波は、具体的にはどのようなことになるのか。たとえば、この高知県の沿岸地域などはどういうふうに考えておけばよろしいのでしょうか。
(阿部) 次の南海地震の震源域というのは、不幸なことに高知県のちょうど前の海域にあります。そのために、津波の起こる場所と高知県が非常に近いということになります。
津波というのは深いほど速く伝わるわけですが、沖合いではジェット機並みのスピードを持っております。そして陸に近づきますと、新幹線並みのスピードに落ちます。ですから、すぐに津波が来るということです。
それから先ほど申しましたように、地震のエネルギーが大きい。ということは、津波のエネルギーも大きいということになります。予想される高さが、高知県では4mから10mになります。
これはなかなかイメージしにくいかと思いますけれども、最近の例で言いますと、この高さは日本海中部地震のときの津波。今から20年前に発生したのですが、その日本海中部地震のときの津波の高さに匹敵いたします。
高さが2mを超えますと、建物や漁船に大きな被害が出てまいります。4mを超えますと、ほぼ全面的な被害になります。そのような場合には、防潮堤といった海岸施設があります。一種の防災施設でありますけれども、この防潮堤だけでは防ぎ切れません。
防潮堤の高さというのは、高いところでも4mから5mの高さであります。それを超えるということがありますから、強い揺れを感じたら即、避難する。これがもう津波の防災の原則だと思います。
国としても、7省庁が集まりまして、津波の防災対策というのをかつて考えたことがあります。もう6年前になりますが、そのときに、津波防災には防災体制、それから防災施設、それと防災地域計画、この3つを各地域の事情に合わせて、ハード・ソフト両面で対策を考えなければいけないという方針を打ち出しました。
従来は「防潮堤をつくれば、もう安全だ」という考えできたわけですけれども、それを超える津波というのものが想像される場合には、もうハードの面だけでは防ぎ切れない。そのためにソフトの面、すなわち避難体制まで考慮して防災対策を考えなさいということを言ったわけです。
ですから高知県の場合も、今後しばらく時間の猶予がありますから、そのような防災体制を再度見直して、きちんと津波対策をしていくことが大事だと思います。
(藤吉)
今のお話のハードの面、つまり防潮堤とはいったいどういうものか、VTRでその例をご覧に入れようかと思いますが、これは高知県須崎市の沖合いに建設中の、湾の入り口でエネルギーを絞る、食い止める。そういったものをつくろうとしているわけです。
5階建てのぐらいのビルに相当するコンクリートを沈めて、1400mぐらいの堤防をつくろうというわけです。総工費が450億円、平成21年までかかるという大工事であります。
こういったものが各地につくられておりますが、河田さん、どうでしょう。こういうハードだけで、どの程度防げるのか。そういった面で、阿部さんのご指摘もありましたが、現状ではどの程度期待できるのでしょうか。
(河田) こういうコンクリート構造物というのは、見た目は非常に安心できる施設なんですけれども、災害というのはやはり規模がそれぞれにつきましては確実的に変化しますので、こういう構造物でシャットアウトするということはできない。
我が国は、実は1923年の関東大震災以降この阪神大震災まで、立派な構造物をつくって被害をシャットアウトする。私どもはこれを「被害の抑止」と呼んでおりますけれども、これを中心に公共事業で進めてきたんです。
けれども、こういったものにはやはり限界があるということは事実でありますから、それを上回る外力に対してどうするのか。被害をできるだけ小さくするという、「被害軽減」を考えなければいけない。こういう時代に来ていると思います。
そうしますと、何から何まで公共事業で防災をやるという時代ではなくて、もうやはり個人とか、家族とか、地域とか、あらゆるソフトの情報といいますか、そういったものを使いながら被害をできるだけ小さくするという努力がどうしても必要になってくる。
しかもこういう広域災害ですから、当然やらなければならないことはたくさんありますので、それを公共事業すべてでやるということは不可能だと考えています。ですから、地域が持っている防災力が試されているんだというふうに考えています。
(藤吉) そうなりますと、避難をするというのがまずは決め手になるかと思うのですが、実は最近、内閣府が調査した津波の避難場所、あるいはその避難経路、そういったものが整備されている割合を調べたデータがあります。
各地のものを比較してみますと、これはグラフが高いところほど整備されていないということであります。高知県が飛び抜けて整備率が悪いというのは、非常に長い海岸線を持っているという地域的な特徴かと思いますが、橋本さん、このあたり高知県では、住民の皆さんにはどういう対策を考えておられるのでしょうか。
(橋本) 今、河田先生からもお話がありましたように、ハードではもう防げないということを、行政の私たちはもちろんですけれども、住民の皆さん方にも知っていただかなければいけないと思います。
ですから、津波に対する一番のキーワードは「逃げる」ということ。しかもその時間が、第1波はもう5分ぐらいで来るわけですから、揺れを感じたらすぐに逃げるということをまず意識していただくことが大切だと思います。
高知県の場合、今お話がありましたように、非常に長い海岸線を持っておりますので、津波で浸水すると予想される地域が非常に広範囲にわたっております。
それがどの範囲かということを、平成11年度と13年度の2回にわたりまして、先ほどからお話が出ている防潮堤とか、水門とか、陸閘といったような、いわゆるハードの施設がちゃんと機能したとき、また、機能しないとき、それぞれどうなるかという予想のシミュレーションの図をつくりまして、これを市町村を通じてお知らせする、また、ホームページで出すということをしております。
これを元に、いま地域ごとでの津波に対する避難計画をつくっていただくということをやっております。というのは、やはりこれだけ広い海岸線を持っておりますと、それぞれの地域で地形ももちろん異なりますし、また、津波が到達する時間等も異なってまいりますので、地域地域で、しかも住民を交えた計画づくりが必要だと考えるからです。
たとえば高知市の浦戸湾に沿った地域は、かなりそういう取り組みが進んでおります。そういう進んでいるところの状況を見ますと、もちろん海に直接接しているために行政の側も非常に意識が高い、危険性を高く認識しているということもありますし、住民の皆さんもその危険を感じているということがございますけれども、やはりリーダーの方で非常に熱心に取り組んでいらっしゃる方がいるわけです。
こういうリーダーをやはりそれぞれの地域に育てていくというか、育てていただくことがこれから大切なことだと思います。
そして、住民と行政が一緒になって、津波のときどうするかという避難計画をつくっていく。それは行政が一方的につくるのではなくて、住民の皆さん方もつくりながら、問題点とか、こうすればいいんだなということを認識していただけるようになると思います。
また、そのことによって、うちの地区では、今お話に出た避難路とか、また避難する場所、そこまで行っても水がないとか、いろいろな問題があると思います。そういう「何が足りないね」ということに気づいてくるだろうと思いますので、
まずこのことを早急に手がけていきたいと思いますし、そこで避難路のこととか、水の問題とか、また、これも先ほどのVTRにありましたけれども、ライフラインである電線などが切れたときでも照明が点くというようなものをそなえていく。
そのためのミニハードとソフトの総合型の補助金、市町村単位で使っていただくようなものをつくっていきたい。もうすでにあるんですけれども、さらに来年度、15年度からはそれを充実させていきたいというふうに思っています。
(藤吉)
はい。廣井さん、よく「津波の常習地帯」と言われている三陸沿岸などでも、津波警報が出ても避難をする人の割合が非常に低いというような調査結果が得られたりしています。
つまり、住民の皆さんがきちんと適切な避難をするための、もう一つ何かが欠けているというような気がするんですが、住民の心理などを考えに入れて、津波の避難対策ではどんなものが欠けているんでしょうか。
(廣井) そうですね。津波警報が出て、危険地域の人たちが避難しなければいけないといったときに、多くのケースでは避難率が相当低いのが現実です。ただ、1993年の奥尻島の北海道南西沖地震ですが、奥尻島はかなり迅速に避難をしていました。
これは唯一の例外ではないかと思うのですが、奥尻では10年前に日本海中部地震による津波の被害を受けていまして、経験が生きていたということだと思うのです。
実は、私は奥尻の津波の被害調査を随分したのですが、津波避難ではキーポイントがいくつかあるのではないかというふうに思います。これは市民の心得ということですけれども、一つは、先ほどからお話が出ておりますように、揺れを感じたらすぐ逃げろということです。
現在は津波警報が発達しておりますので、おそらく南海地震が発生したときには3分から5分で津波警報が出ると思います。しかも「大津波」という津波警報が出ると思うのですが、津波警報が出てから避難するというのではやはり遅すぎるのです。場合によっては、揺れの最中でも避難をしなければいけない。
避難をするときに、ここにはまだ絵が出てきていないのですが、絵があればあれですが、実はこれは奥尻島の住宅地図なのですが、亡くなった方のお宅が赤く塗ってあります。それから、全員助かった方のお宅は黄色で塗ってあります。
そして左側が海側で、向かって右は高台です。これをご覧になると、高台に遠いお宅が必ずしも死亡率が高くはなっておりません。むしろ高台に近いお宅でかなりの方が亡くなっているというのが現実です。
というのは、高台から遠い方は、とにかく何を置いても着の身着のまま高台に逃げるということなのです。しかし中には、逃げるときに歩いて避難する。こういう方は津波に追われて命を落としている方もいらっしゃるのです。
つまり逃げるときには、逃げるスピードも大変大事である。それから、家族のアルバムとか、預金通帳とか、大事なものを持って逃げようとする。これは、気持ちはわかるのですが、逃げるタイミングが遅れます。そうすると、津波に追いつかれてしまう。つまり逃げる時期も、早く逃げなければいけないということです。
それからもう一つ。これは注意しなければいけないのですが、いったん高台に避難するわけです。ところが津波は何波も何波も来ますので、波と波の間に「ああ、大事な家族の写真を忘れてきた」とかいうことで、いったんまたお宅に戻ってしまう。そして亡くなってしまうという方も少なくないのです。つまり、津波警報が解除されるまで危険地帯には入ってはいけない。
このようなことで、単に逃げるといっても、スピードも速く、タイミングも速く。そして、いったん避難したら安全が宣言されるまで危険地域に近寄らない。そういう配慮が必要だと思います。
(藤吉) 過去の津波の災害でも、たとえば明治の三陸津波を生き延びた方が、昭和の三陸津波で命を落とした。あるいは、この奥尻島のときにも、10年前の日本海中部地震の体験が、ある意味では裏目に出てしまった方が逃げ遅れてしまった。
つまり、一つの災害体験から次の災害を生き延びるために、何を教訓として自分の知識と知恵とするかという部分が非常に大事なことだと思うのですが。
(廣井) これは大変難しい問題なんですが、一般的には、災害を経験した地域は次の災害には強いですね。ところが、予想を上回るような災害がやってきてしまいますと、かえって経験がマイナスするということがあります。
奥尻もそうで、先ほども申し上げたように、避難をしようと思っているんですが、避難のタイミングが遅れた方というのは、10年前は、津波は来たんだけれども、地震と津波の来襲時期の間隔がもっと長かった。もう少し余裕があったので、今回も大丈夫だろう。こういうふうに思ってしまうのです。
それから、前回の津波のときには自分の家の手前まで来た。だから、まあ今度も大丈夫だろう。このような方もいます。ですから、経験をどういうふうに生かすかというのは本当に大変難しい問題だと思いますね。
(藤吉)
そうですね。南海地震の場合には、昭和の南海地震を体験された方がまだおられるわけで、それが逆に今度はマイナスになると大変だという警告も耳にします。それはつまりそれを上回るような津波、あるいは地震の揺れを考えておかなければいけないということかと思います。
もう一つ、次の南海地震はどういうことになるのかを考える上で大事なポイントがあります。それは、その間に社会が大きく変化してしまったということです。
いいほうにばかり変化したわけではなくて、便利なものが災害のときにはむしろ、災害にとってかえってもろいものになってしまっている。そういったものがいろいろあらわれています。もう一度そうした例をVTRでご覧に入れたいと思います。
〔VTR上映〕
(藤吉)
貝原さん、実際に大都市が初めて大地震の直撃を受けた。そういう意味で、現代の大都市の弱点といいますか、そういったものをさまざまに実感されたと思いますが、いかがでしょう。
(貝原)
おっしゃるとおりでして、都市というのはもともと人工的な基盤の上で人間が快適な生活をしているわけです。その基盤というのは、自然災害あるいは人為災害の場合もありますけれども、これが壊れますと一挙に生活の基盤が壊れてしまう。
たとえば神戸市の場合は、自分の神戸市域内で確保することができる水は3割しかないのです。7割は、琵琶湖の水を引いて生活をしているわけです。したがいまして、その大導水管が地震で壊されますと、火が出ているときに消防車がいましても、消防ポンプから水が出ない。こういうことになるのは当たり前のことです。これは何も水だけではありませんで、いろいろなライフラインがそういうものになっています。
たとえば防災システムにつきましても、私たちはこういった地震にそなえて通信衛星システムをそなえていました。これは火災になっても、あるいは電話等が切断されても、情報が集まるという宇宙通信のシステムだったのですが、これを使うためには冷却水が必要で、この冷却塔が地震のために壊れてしまったので全然作動しなかった。
したがいまして私たちは、こういうことを考えてみますと、一般の都市の生活をしているときに、当然人工的なものが作動するものだということを前提として生活していますけれども、それが何らかの理由で、災害等で壊れますと思わぬ被害が生じてくる。
そういう意味からすると、一つのものが壊れても、もう一つの代替するものが何らかのかたちで働くというようなことを考えておかなければいけないのではないか。
先ほどの津波の場合も、「警報が出る、出る」と思っていたら、何らかの理由で出ないというようなこともあり得るのです。そういうときにどうするかというようなことを「フェイル・セーフ」という言葉で言われていますけれども、こういうことが非常に大切だということ。
もう1点は、都市の生活者というのはどちらかというと自己中心的な生活をしていますから、隣の人はどういう人か全然知らないまま日常生活をしている。
そういうときに災害が発生いたしますと、お互いに助け合うという人間関係がございませんので、都市は非常に危険な生活空間であるということです。だから、ソフト・ハード両面にわたって都市は脆弱性を持っているということをひどく痛感いたしました。
(藤吉) なるほど。そういったことも頭に入れながら、次の南海地震にどう取り組むべきか。皆さんの意見をお聞きしたいと思います。阿部さん、いかがですか。変化する社会を、被害想定などにはどういうふうに取り入れて考えたらいいのでしょうか。
(阿部) 地震災害の規模とか様相というのは、その地震が発生したときの時とか場所、条件によって大きく変わります。砂漠で地震が起きても、人が住んでいない限りは被害が出ない。これは極端なあれですけれども、私はそれを「TPOで決まる」と呼んでおります。
特に時代が変わりますと、災害発生の様相は一変いたします。それは、自然現象である地震そのものは昔も今も変わらないわけですけれども、それを受ける人間側のシステムが一変してしまっているからです。そのために、地震のほうは変わらなくても、災害のほうは時代とともに進化すると言われております。災害のほうが進化してしまうわけですね。
先ほどもお話がありましたが、一番記憶に新しい昭和の南海地震、これは今から57年前です。そのときの高知県高知市の状況と今の状況は大きく変わっております。
ですから、その大きく変わったということで、ある意味では、かつて経験した知恵が現在では通用しないこともあるということが言えると思います。都市というのはとにかく人が集まったところであります。そのようなところでは、地震に対して非常に脆弱な構造を持つに至っているわけです。
私どもはこれを「災害ポテンシャルが高い」と呼んでいます。災害を起こす可能性が非常に高くなっている。そのために、都市の場合にはさまざまな原因が複合して、大きな災害に拡大してしまうことが懸念されます。
そういう意味で、「防災」というと災害を防ぐという、随分肩に力の入った言い方になりますけれども、最近では少し肩の力を抜いて「減災」という言葉があります。災害を減らす。そういう減災という方向を目指して、やはり少しでも減らそうという努力は今から積み上げていくべきだと私は考えております。
(藤吉)
なるほど。さまざま貴重なキーワードを聞かせていただきました。河田さん、かねてから現代社会の災害に対する脆弱性といったようなことを警告してきておられるわけですけれども、ほかにどんな危険性を考えておくべきでしょうか。
(河田)
そうですね。これは阪神・淡路大震災の教訓として使えると思うんですけれども、阪神大震災までは官と民という二つのグループがあって、その境界がはっきりしていた。
ところが震災の後は、どうも官と民が重なる、いわゆる協働の部分があるのではないか。その協働の部分で力を発揮するのが、やはり地域という問題だということが認知されてきました。ですから、まちづくりというものの大切さが非常に認識されてきていると思います。
単にコミュニティをつくるというのは、それだけを考えますと、いったいどうしていいのかわからないというのが次の問題として出てくるのですが、これも阪神大震災の教訓で、やはり地域で大事にするものがあれば、それを共通の財産としてみんなで守り立てていく。
これは具体的にモノでなくても、たとえばイベントのようなものでもいいかと思うのですが、みんなが力を合わせてやるものがあるのかないのか。これによって地域の団結力が随分違う。
それから、やはり近所付き合いといいますか、日ごろからの付き合いがベースになければいけない。放っておいてもそういうことは出てきませんから、それをつくる仕掛けがどうも要る。
自然発生的に出てくるというよりも、むしろ行政が何らかの仕組みづくりをやる。そういった中で、たとえばリーダーが生まれてきて、その人が音頭をとって地域ごとにうまくまとまっていく。こういうものが実は非常に大きな力を発揮してきていると思うんですが。
(藤吉) はい。廣井さん、災害時の情報という面でも、我々は非常に便利なものを次々と生活に取り入れているわけですが、これが、いざ災害となると意外と頼りにならないといいますか、盲点がある。そういうことを警告しておられますが、いかがでしょう。
(廣井)
普段は便利なんだけれども、緊急事態には、普段便利であるがゆえに使用が不能になって苦労するというのは、おそらく通信システムがその典型だと思うんです。阪神・淡路大震災の話にも出ていますが、あのころ私は携帯電話を持っていました。
ところが携帯電話は、当時はほとんど通じました。当時の携帯電話の台数は、すべての会社を合わせて500万台でした。ところが、現在は7000万台を超えています。
現在、何か大きな災害があって、家族同士の連絡、友人同士の連絡を携帯電話でとろうと思っても、これはもう無理で、ほとんどできないというのが現実です。現に数年前ですが、栃木県の那須の水害というのがありました。
NTTでは全国の通信状況を一目で見られるパネルを会社に持っていまして、いつ固定電話の輻湊が始まるかというのをウォッチしていたんです。そうしましたら、携帯電話会社から電話が入りまして、携帯電話の輻湊、つまり異常パニックですね、がスタートしたという連絡を受けた。
その後に固定電話の輻湊が始まったということですので、現在は携帯電話の輻湊のほうが早いのです。となると、普段は便利に使っている携帯電話は、おそらくいざというときには役に立たないだろう。こういうことであります。
それからもう一つ、公衆電話です。実は、公衆電話というのは私たちの使う一般加入電話と違いまして、災害時に通話が優先される機能を持っています。ですから、自宅で緊急事態が起こっていろいろなところへ連絡しようと思っても電話が通じない。公衆電話に走りますと、比較的通じやすい。こういうことになっています。
阪神・淡路大震災当時のニュースの映像で、被災者の方々が公衆電話の前に列をつくって並んでいる姿をご覧になった方が多いと思うのですが、あれはたまたま自宅の電話が通じないので、公衆電話をかけてみたら通じた。それが口コミで伝わって、ああいう公衆電話の前の列になっているわけです。つまり公衆電話は災害時に優先される。そういう機能があります。
ところが、これが携帯電話の普及によって最近目に見えて減少しています。昭和60年には90万台ありました。ところが、現在は70万台を割っております。つまり、携帯電話の普及によって公衆電話の採算が取れなくなって、少しずつ減っているわけです。
これが最終的には11万3000台になる可能性があるのです。この11万3000台というのは、NTTが採算を度外視しても公共のために保持しておく公衆電話の台数です。しかしこんなに少なくなってしまえば、大きな災害が起こったときに、携帯電話が通じないわけですから、我々一般市民はどうやって情報連絡するのか。
そうなりますと、公衆電話は大変大事な緊急時の情報伝達手段なわけです。これを何とか現在より減らさないで残しておいて、いざというときに我々の緊急情報伝達手段として確保するか。これは大変大きな課題だと思います。
(藤吉)
私どもが意識しないでいるうちに、社会の変化が実は災害には大変もろい社会になってしまっている。そういうものに早く気がついて、事前に手を打たなければいけないということかと思います。
それから公共事業への投資、これが今後だんだん今までのような財政が期待できなくなるのではないか。そういったことからも、新しい時代の防災というのを考える上では、やはり民間の力を活用する。そういったことが大きな課題になってくる。そういったことも必要かと思います。
そういう面で、いかがでしょう、橋本さん。高知県の場合には自らそなえるという意味で、建物を丈夫にするということが終わった後の仕事としてもなお、たとえば地震保険に入っておくといったようなことが必要かと思うのですが、どうも全国平均に比べて、ここ数年で高知県は随分高くなったといっても、まだまだ追いついていない。
そのへんは県民性なども関係していることかもしれませんが、自らそなえるということを考えますと、そういった面での備えというのも必要なのではないかと思いますが、いかがお考えでしょうか。
(橋本)
確かにそうですが、今のずっとお話の流れで聞いていて、いわゆる大都市が襲われたときと、それから地方都市の場合。大都市の危険性というお話を先ほど貝原さんからいただきました。そういう比較でいきますと、高知にはまだ田舎の良さというか、地域の連帯感というものが逆にあるのではないか。
今の藤吉さんのご質問から言えば、僕もそういう実状はよく知りませんでしたけれども、たぶんまだ自分自身で守るというよりも、地域の力が強いために、まず自分を保険に入ってまでというところまで考えが及ばない。
そこまで個人主義と言ってしまっては言葉が行き過ぎかもしれませんけれども、そういう個人個人で守るということよりも、地域の連帯ということがまだ残っているせいなのではないかと、良く受け止めました。
というのが、おととし平成13年の秋に、西南地域、県の四万十川とかがあるほうの地域でございますけれども、こちらで大変な集中豪雨があって、お家が全半壊したり、床上・床下浸水が数多く出ました。
ところが、奇跡的と言っていいと思いますけれども、亡くなった方が一人もありませんでした。この高知市よりもずっとずっと高齢化の進んでいる地域にもかかわらず、ほとんどの人が逃げることができた。
それはなぜかというと、やはり地域の力が強くて、「あのお家には一人暮らしのおばあちゃんがいる。だからすぐに助けに行かなきゃ」と言ってみんなで助け出したら、数分後にお家が土石流で流された。
それから、とにかく裏山へ逃げたら、その後ワーッと水が上がってきたというような事例がございました。そういう意味では、まだまだ地域の強さというものが逆に残っているのではないか。
もちろん地震保険などにも関心を持っていただいて、そういうものに加入することを通じて地震というものを身近に感じていただく。その啓発というものも必要だと思うんですけれども、逆に地域の力が残っているうちに、先ほど河田さんから「イベントがあれば」というお話がございました。
去年、国体があったんですけれども、国体でも、本当にできるかと思いましたけれども、民泊とかボランティアで十分支え切ることができましたし、お年寄りの多い地域でも「あっ、これは僕たちもまだできるな」という気持ちを持たれた方がいっぱいいると思います。
そういう熱があるうちに、国体などで盛り上がった地域のエネルギーを、今度は自主防災のほうへ、この地震への関心につなげていくというのがいま自分たちの課題かなと。
ちょっと藤吉さんの質問に直接の答えにはならないんですけれども、逆の面の良さがまだ残っているのではないかというふうに思うんです。
(藤吉) 大変心強い、いい話を聞かせていただいたような気がいたします。貝原さん、地震を経験された後で、独自の共済制度といったようなものを提案されたわけですけれども、そのへんの提案の意図というのは今も続いているわけですよね。
(貝原) そうですね。社会が豊かになってきて、逆に防災力が弱くなったという話が今までずっとあったわけですけれども、逆に豊かになったからいい面という部分も当然あるわけですね。
これは北海道の奥尻のときもそうでしたし、長崎の雲仙普賢岳の火砕流のときもそうだったんですが、被災者に対しまして全国から義援金が多額に寄せられたんですね。
そして、いま家屋の復興などについては公的資金が入れられないという制度に政府の見解ではなっていますけれども、全国からの善意が集まって被災者の皆さん方が家を復興することができるぐらいの、200億円とか300億円とかいう義援金が集まったんです。
阪神・淡路大震災のときも、これは世界でも人類史上初めてだと思いますが、1800億円という巨額の義援金が寄せられたんです。
ところが阪神・淡路大震災のときには、全壊に近い家屋だけでも40万世帯ありましたので、1世帯あたりにしますと40万円余りというようなことになりまして、なかなか家屋の復興というところまでいかなかったんですが、考えてみますと、阪神・淡路大震災のように大きな被害というのは100年に1回とか2回ぐらいしか起こらないのではないか。
そうだとすると、かねてからこういった国民の「お互いに助け合おう」という善意、そしてそれを支えている豊かな経済力、こういったものを考えますと、何らかの共済、「みんなで助け合おう」というような仕組みをあらかじめつくっておけば、大きな災害の場合にもそれが復興に対して大きな働きをするのではないか。
地震保険というのはどちらかというと経済行為であるわけですけれども、私どもが提案しましたこの共済というのは、むしろ災害に遭わなかったということは自分は幸せだ。
したがって掛け捨てになるのは幸せであって、それをいただかれるという方は到底全額もらえるわけではないので、ああいった精神的にも大きな打撃を受けられた方に、自分たちの善意が少しでも分配できるという、善意を積み立ててそれをみんなで共有し合うという意味での共済制度というものを提案いたしたわけでして、署名運動をやりましたら、非常に多くの国民の皆さん方からたくさん署名していただきました。
そういうことについての土壌は、日本の場合は十分にあるなと思っていまして、これを何とか実現できればと思っているんですけれども。
(藤吉)
この兵庫県が提案された共済制度については、廣井さん、これまでいろいろご提言をしてこられたわけですけれども、どういったことがやはり課題になっているのでしょうか。実現のための課題といいますか。
(廣井)
私は災害でいろいろな被災地を訪ねていますけれども、やっぱり住宅を再建して初めて地域が再建される。もちろん住宅は個人の資産には違いないのですが、しかし地域の復興のために、住宅の再建というのは大変大きな社会的意味を持っているわけです。いかにして被災地の住宅を再建するかという大きな問題なのです。
いろいろな方法があると思います。一つは、今はこんなに住民の方々のニーズが多様化していますので、先ほどもお話がありました仮設住宅ですね。たとえば災害によって家がなくなった。
しばらくは仮設住宅暮らしをしなければいけないわけですけれども、一般的に言って、仮設住宅の建築費が300万円、撤去するのに100万円、400万円の工費を投入するわけです。しかし、それも原則2年間で取り壊しということですよね。
同じお金ならばその仮設住宅充当分を、希望する人間に限ってでもいいのですけれども、住宅再建資金の一部に回せないかということも考える必要があるのです。あるいは、民間賃貸住宅に家賃補助をしてあげられないか。そんな方法もある。
何とかして被災地の住宅を再建する。これは大事なことで、その一つとして共済制度があると私は思っています。それほど多額ではありませんけれども、住宅所有者の全員が掛け金を払って、いざというときのためにそなえる。
これはしたがって共助ですね。みんなで助け合おうということなんですが、2階建て方式はどうかななんて思っているんですけどね。広く薄く共済制度でいく。
そして、もう少し再建資金が欲しいというような場合は、それにプラスして地震保険に加入する。その共済制度も地震保険も、ともに公的なバックアップをする。こんなかたちでいけたらどうかなと。
要するに私が申し上げたいのは、やはり地域の復興のためには住宅の復興は本当に中心的な問題ですので、これをいかにして早くするか。その制度をいろいろな側面から考えていく必要があるかな。そういうふうに思っています。
(藤吉) そうですね。ぜひ次の南海地震が来る前に、そういった新しい仕組みをきちんとつくることが必要だと思います。もう一つ、この社会の変化というものを考えますと、少子高齢化というものが進むということがあります。災害の場合にも真っ先に被害を受けるのはお年寄り、子供たち、そういった弱い立場の人々であります。
日ごろどうそなえればいいのか。こういった問題が阪神大震災をきっかけにして、各地でさまざまな提案が生まれてきていますが、そうした取り組みの例を一つVTRでご覧に入れたいと思います。
〔VTR上映〕
(藤吉)
お聞きのように、防災を日常化するといいますか、日ごろから心がけていくというのはなかなか長続きはしないわけですけれども、防災を福祉の一貫だというふうに発想を切り替えることによって日常活動がうまくいっているという例でありました。
このように、一つ発想を切り替えるということが、この少子高齢化時代の防災を考える上で大事なことだと思いますが、どうでしょう、阿部さん。たとえば津波、こういったものは少子高齢化という時代ではマイナスの要因になりますよね。どういうふうな取り組みが決め手になるのでしょうか。
(阿部) 津波というのは日本各地を襲いますけれども、一番被害を受けたのは三陸地方なんです。その三陸地方には津波に関して一つの言い伝えがあります。それは「津波テンデンコ」という言い伝えなんです。
ちょっと聞いたところ、津波テンデンコというと人間的な感じを受けませんが、これはまさに津波の悲惨さを伝えているのです。津波テンデンコというのは、「津波が来た場合にはてんでんばらばらに逃げろ」という意味なのです。
てんでんばらばらに逃げるということは、小さな子供さんとかお年寄りを探したり、助けたり、背負ったりしないで、一人で逃げろという意味なんです。そういうことによって人命がたくさん救われるという悲しい言い伝えなわけです。たぶん相当辛い経験がそのようなことを言わせたのだと私は思っております。
最近の例ですと、奥尻島で10年前に大津波がありました。先ほども出てまいりました。その大津波のときも、やはりお年寄りの方とか近所の方を探したり、連れていこうとして一緒に逃げ遅れたという方も少なくないと聞いております。
皆さんはその場合どうなさるかというのは、大変深刻な問題であります。これは災害弱者の避難をどうするかという問題です。私自身も完全な解決策は持っておりませんけれども、自主的な防災訓練を積み重ねていくということも、一つの防災上の自助努力になるかなと思っております。
(藤吉)
少子高齢化の防災と、津波テンデンコという考え方には、随分食い違いというか、落差があるような気がしたんですが、つまり親は子を、子は親をかまっている余裕はないという訴えだと思うのですが、いま少子高齢化の防災を考えますと、じゃあ、そういった人たちを誰が心がけて助けてあげるんだろうかということなんですが、河田さん、そのあたりで何か考えはありますか。
(河田)
特に少子高齢化で問題になるのは、高齢者というのは体力だけではなくて、判断力も非常に鈍くなるといいますと、ちょっと言い過ぎに聞こえるかもしれませんが、高齢になればなるほど子供さんに近づくと考えますと、やはり少子高齢化というのは、実は非常に大きな課題を私たちに突き付けていることになっているわけです。
かつ、たとえばアウトソーシングといって、いろいろなものが地域を離れたところで供給されるような体制が出てきておりまして、こういったところでは非常に……。
ネットワーク社会というのは、ある部分のネットワークをやられたら残りでカバーができると皆さん思っておられるのですが、そうではなくて、ネットワーク社会の落とし穴は、ある部分がやられると全体がだめになる。
そういう特徴を持っていると思うのです。ですから、やはり昔からあるいいものを残すようなかたちでネットワーク社会をつくっていかないと、単にコストの問題でアウトソーシング、たとえば外に給食を注文するとか、そういうことをやってしまうと、いざというときに自立できなくなってしまうということにつながると思うのです。
ですから、やはり阪神大震災でもそうですけれども、日ごろやっていないことはいざというときにできないということがありますから、災害の前にそういうことを心がけてやるということが非常に大事ではないでしょうか。
(藤吉) なるほど。そういう意味で、「防災は福祉だ」というのは一つの具体的な提案だと思うのですが、どうでしょう、廣井さん。こういった考え方の例といいますか、ほかにもあるのでしょうか。
(廣井)
防災と福祉は、今後21世紀の社会動向を考えますと、やはり連動していかなければいけないと思います。阪神・淡路大震災のボランティアの方々を見ましても、今までは福祉ボランティアをなさっていた。
そして、大災害が起こったので、防災ボランティアに変質するわけです。そして、また災害の進展に応じて福祉ボランティアに戻っていく。このようなことをやっているわけです。
最近、福祉機器と防災機器がドッキングしようという動きがありますので、ちょっとご紹介したいのですけれども、たとえば介護ベッドと防災ベッドを連動するというようなことを、現在静岡県では考えています。
もちろん、家屋の倒壊を防ぐためには、家屋の耐震性の強化というのが大事ですよね。ところが、耐震補強にはかなりの金がかかる。しっかりやろうと思ったら、200万円から300万円ぐらいかかるわけです。
もちろん可処分所得の多い人たちはできるかもしれない。しかし高齢者の方々は、やはりそれだけのお金を使って老朽化した家を耐震補強するというのは、経済的にも心理的にも難しいと思うのです。
ですから、そんなことを静岡も考えまして、介護ベッドに屋根を乗せるわけです。そして天井が落ちてきても、その屋根が防護壁になって命だけは助かる。こんなかたちの仕組みです。介護ベッドには補助金が出ますが、防災ベッド分はまだ難しいらしいのですけれどもね。こんなかたちで寝たきりのご老人の命を地震から守るというようなことは、今後検討していくことではないかと思います。
それからもう一つ、私は災害情報専門ですけれども、災害情報というのは基本的に音声なのです。たとえば防災無線、ラジオ、それから救急車もそうです。つまり高齢社会が進展するにつれて、難聴の方々というのでしょうか、耳の悪い方々が増えていきます。
そうすると、重要な災害情報をキャッチできないということになります。現に1999年のJCOの臨界事故でも、2000年の有珠山の噴火でも、そういう耳の聴こえない方々は情報キャッチが遅れて避難が遅れている。現実にそういう現象が出てきています。
実は福祉機器に、たとえば玄関に人間が来てピンポンとしたときに、腕時計に文字が出る。普段は腕時計なんです。ところが、メッセージが文字のかたちで、たとえば「玄関に人が来た」というような文字のかたちで出るような機器が、福祉機器としてすでに世に出ているわけです。
こういうものをもう少し拡張して、たとえば「避難勧告が出たぞ」とか「裏山が崩れそうだ」とか、そういうときに防災情報を時計で。大変重要な情報を知らせたいときは、時計が振動するわけです。そのときに見られるような、そういう仕組みもこれから考えていかなければいけない。
福祉対策として今まで発達してきたようなものを、何とか防災に連動できないか。これが実は今後、非常に大きなテーマの一つになるというふうに思っています。
(藤吉) なるほど。阪神大震災の教訓から、たとえば神戸市などでは「防災福祉コミュニティ事業」といったようなものを始めておられるというように聞いておりますが、貝原さん、この阪神大震災の教訓から少子高齢化社会に対して、防災の面ではどういう取り組みが必要だという教訓が得られたのでしょうか。
(貝原)
神戸の場合、非常に成功した例として、よく「震災が一番ひどかった長田の真野地区」ということが全国的に知られていると思いますが、この地域はもともと工場公害が非常にひどい地域だったのです。
その地域に住む人たちが、工場からの公害を除去するために、住民運動としてネットワークをつくって活動して成功されたんですが、引き続いてその組織が、今度は高齢化してきましたので福祉の問題について取り組もうということで、真野地区のコミュニティがそういう互助活動を展開されていたのです。
そこで地震が起きたわけですが、非常に大きく火災が広がった地域の中で、この真野地区は住民の皆さんがバケツリレーなどを非常に活発に展開されまして、幸い火災を食い止めることができた。こういうコミュニティというのは、まさに福祉の基盤があったからこそ、そういうことができたというふうに評価されているのです。
私は、高齢化とか、先ほど都市の豊かさというものが非常にマイナスになるという部分があると。確かにあるんですけれども、逆にそれを生かしていくということができる条件が整いつつあるのではないか。
先ほどベッドの話がございましたけれども、ああいうことに対してはみんなが資金を出すというような仕組みがあるわけですから、そういったマイナスを逆にプラスに使っていくというような知恵を出していくことが必要なのではないか。
先ほど阿部先生から津波テンデンコの話がありましたけれども、私はあれは非常に悲しい言い伝えだと思うのです。今、自分だけ命を生き長らえて、自分の子供とか親を死なせてしまったという方が現にいらっしゃるのですが、これは自分の意思ではなくて、結果的にそうなってしまったのですが、こういう方々はそのことに対してものすごく精神的な負担を感じて苦しんでおられます。
果たしてそういうことで生きるということが人間としての道なのか。悲しい現実の中ではそうとしかできなかった。それが現実でしょうけれども、今これだけ科学技術が発達して、お互いある程度の財力も持つことができたわけですから、テンデンコを過去の悲しい出来事として、今の社会ではそうでないような工夫をどんどんしていかなければいけない。また、そういうことができる社会にあるのではないかと私は思いますけれども。
(藤吉)
はい。ありがとうございました。先ほど橋本さんからは、この高知にはまだお互いに助け合う地域社会というものが厳然として生き長らえているんだ、そこに期待したいというお話がありましたが、どうでしょう。
高齢化率という点でも全国2位というような、ある意味では日本の中の最先進県であるわけですけれども、日本の近未来がもう現実にある。この少子高齢化の中で迎える南海地震にどう取り組んでいくか。そういった面ではどのようにお考えでしょうか。
(橋本)
先ほどからいろいろお話を伺ってきて、一つ「防災ではなくて減災」だというキーワードが出ましたし、それから「防災の日常化」、つまり日ごろできないときは、いざ何か起きたときにもできない。そういう二つのことが、キーワードとしては非常に印象に残っています。
ということから考えますと、高齢化というのは、確かに災害への備えということを考えますときに非常に重い課題ではございますけれども、逆に、減災とか防災の日常化ということを現実のものにしていくためには、高齢化があるから日常いろいろな活動ができて、
先ほどの豊橋の例ではないですけれども、それが防災にもつながっていくという仕組みづくりのためには、ある意味ではいい条件なのではないか。何でも裏返しにばかり言って恐縮ですけれども、そういうふうに思うんです。
先ほどの豊橋のような例は本県でももちろんございます。本県で特に活発なのはむしろ中山間の地域で、津波にはたぶん直接影響がないだろうと思われる地域ですけれども、社会福祉協議会でボランティアの活動としてお年寄りの見回りをしているというようなところがございますので、こういうものをやはり日常の活動として。
単に防災という、いつ来るかわからないと言ってしまうと叱られるので、明日来てもということは当然ながら、ただ、いつ来てもということの備えのために、日常から何をしていこうかということで言えば、やはり福祉との連動というのがとても大切な視点で、それを具体化していくために高齢化というのは、ある意味では良い条件になるのではないかということを思います。
もう一つ、高齢化というのは、いざ起きたときにお年寄りや体の弱った方をどう助けていくかという問題点と同時に、災害の後、お年寄りが心に背負った傷をどう癒していくのかという点でも非常に重要なポイントがあると思うのです。
というのは、もう5年前になりますけれども、平成10年、1998年にこの高知市などを中心にした、これも大変な集中豪雨の災害がございました。このときにも床上・床下浸水で、お年寄りがもうお家の中でがっくりきているという場面があちこちにございました。
県ももちろん保健婦さんが出て、そういう相談をするということと同時に、職員も出てゴミの後片付けなどをしたのですが、ゴミの後片付けという肉体作業よりも、お年寄りが「よう来てくれた」と言って、話し相手として30分も1時間もお話をするということのほうが多かったというような職員の話も受けました。
ということからいうと、災害が起きた後、先ほど住宅の問題もございましたが、これももちろん大切なことですけれども、やはり心のケアをどうしていくかというのは高齢社会の中で考えておかなければいけない。
防災・減災ということと同時に、その後のアフターケアということも、ソフトとしては考えておかなければいけないと思いますので、そういう意味も含めて、福祉と防災との連動、防災の日常化ということはとても大切なご指摘ではないかと思いました。
(藤吉)
ありがとうございました。これまで、これからの新しい時代を見据えた防災対策のあり方、こういったことを議論してきたわけですが、問題はそれを30年先、50年先、いや100年先と、ずっと長らく伝えていくということも、もう一方で実現していくことが課題になってきます。
そのためには、やはりそういったものを後世に伝えるための工夫が要るのではないか。貝原さんは「防災文化」ということを提案しておられますけれども、その考え方を少し聞かせていただけますか。
(貝原) そのように口幅ったい「文化」というような言葉で表現して申し訳ないような気もしますが、今日のいろいろなお話の中にも出ておりましたように、災害というのはそれぞれの地域で、またいつ発生するかによって、ものすごく個性があるというか、特徴があるわけです。だから阪神・淡路大震災の教訓をほかの南海地震のときに活用するのは、私は非常に限界があると思うのです。
そういった意味では、やはりそれぞれの地域が、過去、自分たちの地域ではどういう災害が発生したのか。そして、そういうことについて古老の言葉、言い伝え等を含めて、どういう伝承がなされているのか。
地名などを見ましても、専門の先生方から解説していただきますといろいろなことがあるようですが、そういった中で自分たちが置かれている状況をしっかり認識していく。そして、それを日常の生活の中で、その地域の日常の生活の中で。
たとえばその地域の建築屋さんは、ほかの地域の建築屋さんと違って、この地域で、今こういう災害があるんだから、こういう工夫をしておかなければいけない。家を建てる場合に、たとえば礎をどうするとか、そういう言い伝えが過去それぞれの地域でもたくさんあるようです。
そういったことをしっかりもう一回学び直すということ。そしてまた、「過去のことだけでは足りない」というお話が先ほどからたくさん出されましたけれども、そのとおりでしょうし、逆にそれに変わるべく新しい技術とか、手段とか、システムとかがたくさん生まれつつあるわけですから、そういったものの中心に、防災あるいは減災というようなものをしっかりはめ込んで、自分たちの生活を構築していく。
「災害列島・日本」と言われるように、いろいろな自然災害が起きる日本でありますから、そういったものをしっかりと日常生活の中に組み込んだライフスタイル。これを「防災文化」とでも言うとすれば、高知は高知なりに、神戸は神戸なりに、静岡は静岡なりの、それぞれの地域の文化というものが、私はあっていいのではないかと。
それが最もしなやかで、いろいろな災害に対応できる元の力になるのではないか。私はこのような気がしてならないのです。そういうことで申し上げているんですけれども。
(藤吉)
ありがとうございました。もっとしなやかな力を。そのためには防災文化といったようなものを育てていかなければいけないということだと思いますが、まずそのためにはどんな災害が自分たちの地域で昔々からあったのか。
そういった地域を知る、学習するということが大事だと思いますが、防災学習に力を入れている高知県の例をVTRでご覧に入れたいと思います。
〔VTR上映〕
(藤吉)
橋本さん、この防災教育、防災学習。これは、高知県としては今後どういうふうに考えておられるのでしょうか。
(橋本)
そうですね。今、高知県としてこの地震にそなえる柱として、一つはやはり先ほどからお話が出ている住宅のことで、耐震の診断と耐震のための備えをどうするかということ。もう一つは、津波に対する避難をどうするかということ。
そして、もう一つの柱として防災教育ということを掲げております。というのは、地域の皆さん方に防災、地震のことを理解し、認識していただくためには、やはり子供たちにそのことを感じてもらって、家で「お父ちゃん、お母ちゃん」と言って話してもらうのが一番早いのではないか。
そういうことと同時に、もしまだ次の地震が来るまでに5年10年という余裕が結果的にあったとした場合、その場合に今の子供たち、小中学生にこういう教育をずっとしていくことによって、その子たちが地域でリーダーとして育っていってくれるのではないか。そういう2通りの思いがあります。
今ご紹介のあった小学校ですとか、今いくつかの小学校でもモデル的にやっておりますが、親御さんのアンケートなどを見ましても、子供が家に帰ってきて「うちは非常用の食料はどうなっているの」という質問をされて「あっ」と思ったとか、そういう随分いろいろな気づきの報告があります。
ただ一方で、静岡からたまたま転勤してこられた保護者の方がおられて、そのアンケートを見ると、「静岡に比べるとまだまだやっていないに等しい」ということが書いてあって、担当者が「相当やってきたと思ってがっくりきた」と言っておりましたけれども、「まあまあ、そう言わずに頑張ろうよ」と言って次に進めようとしているところでございます。
これからやはり防災教育というのは、地域の皆さん方にこの地震のことを知ってもらうためには一番効果的な手法ではないか。
学校の授業の中でももちろんですし、いわゆる総合的な学習の中で、その地域の、その地震の、南海地震のときはどうったのかというような学んでいけば、いろいろな意味で子供たちのためにも、地域のためにもなる、非常に有効な手段ではないか。ぜひ全県下の小学校・中学校に広げていきたいというふうに思っております。
(藤吉) なるほど。「防災は子供に教われ」そういう時代になるのかもしれません。皆さん、それぞれ防災文化の教育ということについては一家言をお持ちかと思いますが、お1人1分程度で皆さんの考えを聞かせていただきたいのですが、阿部さん、いかがでしょうか。
(阿部) やはり教育というのは小さい子供さんだけでなく、大人にも大変大事なのですが、被災体験に基づいた知恵というものを世代から世代へ伝えていくことが大事だと思うのです。次の南海地震が起きるときは、小さなお子さんが私どものような大人になってから起こるかもしれません。
そのように大きくなった人がまた小さな子供さんに教えていくという、世代を超えた災害文化。先ほどは防災文化といわれましたけれども、災害文化の伝承というのが大変大事だと思います。継続的に進めていくということ。
具体的な例を一つ挙げますと、たとえば大船渡市の例ですが、海岸付近へ行きますと、銀行とか郵便局とか普通の建物があるのですが、よく見ると壁に「何年のときの津波はここまで来た」というプレートが道路側に張ってあるのです。
行くたびにそれを見ていると、やはり知らないうちに「ああ、ここまで来た。頭の上まで来ているんだ」ということが体に通じてわかる。災害の文化というものは後世まで残すことも大変大事ですし、実効性があるという点で私は非常に優れているものだと思っております。
(藤吉) なるほど。河田さん、いかがですか。
(河田)
防災というのは、突き詰めていくと、生きることの大切さとか命の尊さというのが原点にあると思うんです。こういったことをやはり子供のときに知っていただかなければいけない。一人では生きていけないんだ。
こういった考え方は、防災が非常に重要だということの一つの大きな意義だと思うんです。子供のときに習ったことは忘れないと言いますけれども、幼稚園から小学校低学年、高学年にかけてこれをやはり知っていただかなければいけないだろう。
私は、実は昨年解説されました「人と防災未来センター」にいるんですが、ここを見ていますと、入ってくるときの子供の顔が、出てきたときには違うんです。すなわち非常にインパクトを受けている。
これを見ますと、実はこの4月にNHKの協力を得まして、命の尊さとか生きることの大切さを何とか訴えようというミュージアムが増設されるのですが、そういった試みがこれから継続的に存在することが、結局的は防災につながっていくのではないかと思っています。
(藤吉)
ありがとうございました。廣井さん、いかがですか。
(廣井) 防災教育が重要なのは言うまでもないですけれども、その中身です。一つは、たとえば地震のメカニズムとか、自分の地域でどんな災害が起こったか、そのときにどこがどういう被害を受けたか。こういういわば知識を教える教育があります。私は「知育」と呼んでいますけれども。
それから先ほどのビデオにありましたように、いざ地震が起こったときにどうすればいいのか。机の下にもぐるとか、あるいは火の始末をするとか、そういう一種の技能の教育です。私はこれを「体育」と呼んでいます。
しかし、もう一つ。これは河田さんの話とも通じるんですが、たとえば連帯感の大切さとか、人を思いやる心の大事さとか。要するに、ボランティア精神の涵養というのでしょうか。
防災教育の中の一つの大きな柱として、やはり人間を思いやる心、あるいは、被災した人たちと連帯意識を持てる心。「徳育」と呼んでいるのですが、その3つのバランスを上手にとってやっていくことが大事かなと思っています。
(藤吉)
はい。知育・体育・徳育、3つの教育というのでしょうか。ありがとうございました。私ども、この30年以内に南海地震が次に起きる確率が40%という警告を受けて、この後どうすべきなのか。一人ひとりはどう対応すべきか。
そして、だんだん年を追って可能性が大きくなるその事態に向けて、今のうちに何をすべきなのか。もう一度皆さん、これまでのディスカッションを踏まえたまとめのご意見をお聞きしたいと思います。最初に阿部さんからお願いします。
(阿部)
最後ということですので、一言。私の好きな標語が一つございます。「災害に、時なし、場所なし、予告なし」です。災害に、時なし、場所なし、予告なし。これを噛み締めながら、正しい地震の知識を持って地震にそなえていきたいと思っております。以上でございます。
(藤吉)
ありがとうございました。河田さん、お願いします。
(河田)
すぐにやることとしては、具体的な目標をつくらなければいけない。たとえば5年目に今の被害の10%減らす。10年目に20%減らす。15年目に30%減らす。こういう目標を、自治体だけではなくて住民の皆さんも地域の皆さんも考えていただく。そこに知恵を結集していただく。これがまずやらなければいけないことだと思うんです。
長期的にやることは、実はこの南海地震というのは今回が最後なのではなくて、また100年たったら来るわけです。高知、三重、和歌山のいろいろなところで古くから住んでいる方に聞きますと、3世代ごとに家も財産も全部流されて、家族も亡くなっている。
これをどこかで断ち切らなければいけない。となると、災害の前にどこをどうしなければいけないのか。そういう土地利用計画とか、都市計画とか、地域計画をきっちりと立てていただく。
ですから海沿いに木造の平屋の家を建てないとか、そういったこともやはりやっていただかなければいけない。そういう不退転の覚悟が、行政だけではなくて、住人の方にもやはり必要ではないかと思っています。
(藤吉)
ありがとうございました。廣井さん、いかがですか。
(廣井) 私はやっぱり津波対策だと思うんですけれども、車避難をどう考えるかということが大事だと思います。10年前の奥尻の津波の災害では、私たちがアンケート調査をしましたら、四十数パーセントが車で避難しています。つまり、車で避難してはいけないと言っても、実態はやはり車で避難する人が少なくないわけです。
これは先ほどの津波テンデンコと関わるのですけれども、明治29年、たとえば小さな子供さんの手を引きながら避難をしたお母さんもみんな死んでしまった。それから、年寄りのおばあさんを背負って避難した中年の男性も死んでしまった。
ということで、要するに津波で助かるためには、それぞれ一人ひとりが他人のことを顧みないで避難をする。それがトータルでは被害が一番減るというのが、テンデンコの思想ですよね。
ところが車の避難というのは、ひょっとしたらそれが避けられるかもわからないのです。奥尻でもやはり病身のお父さん、お母さんを持ったお宅も少なくなかったのです。そういう方々は、それこそお父さん、お母さんを車の中に押し込んで、自分は靴も履かないで、そして車で猛スピードで高台に登っていくのです。
つまり体だけは助かるということで車を使えば、これは相当津波テンデンコの悲劇が避けられる可能性もあるのです。
しかし、自動車避難というのは難しいところもあります。一家全員亡くなったという方々は、車避難の方が多いのです。つまり何でも運べるから、避難が遅れてしまうというのが一つあります。
それからもう一つは、たとえば家が倒れて道路がふさがっている。そういうときに、やはり車に執着してしまうのです。バックをして、また別な道を行く。そういうことになると、結局高台に登れないということで、何か障害があったら、その場で車を捨てるというような覚悟も大事なのですが、やはりこの現代社会のことを考えますと、車で避難をするということが、現実にも決してゼロにはなりっこないと思うのです。
だとしたら、車で避難しなければいけない家庭は、どうしたら上手に車で避難させることができるかというような方策を考える必要があると思います。しかし、道路が大変狭隘な場合は、今はやりの避難ビルの発想ですよね。鉄筋鉄骨の建物を配置しておいて、たとえば漁協のビルとか、学校とかですね。高台に行かないで、そういう鉄筋鉄骨のビルの2階、3階に避難してもらう。
そういうことで、やはり南海地震の場合は避難対策を総合的に考えてみる。そして、今までの常識を打ち破って考えてみる。それが大事なのではないかと思いますが。
(藤吉) 橋本さん、いかがですか。
(橋本) 災害、特に震災は、それぞれの地域によって受ける被害とかかたちが違ってくると思います。そういう意味も含めて、先進地の事例としてこういういい例があるといって、すぐにそれを取り入れてきても、なかなかうまくいかないのではないか。
ある意味では、少し時間がかかっても飛び箱をだんだん高くしていくように、低い水準からできることをきちんと決めていき、それを県民の皆さんにも説明しながら、高い飛び箱が飛べるように進めていくことが必要だと思っています。
そのためには、まず県民の皆さんに次に来る南海地震に対する正しい知識を持っていただき、適切な行動はどうあるべきかということを自ら考えていただけるような、そういう仕組みをしていくこと。
それによって災害に強い人をつくり、それを災害に強い地域につなげていくということが、今すぐにやっていかなければことではないかと思っています。
(藤吉)
はい。ありがとうございました。最後になりましたが、貝原さん。
(貝原)
今、橋本知事さんが「災害に強い人づくり」ということをおっしゃいましたけれども、私はまったくそれに尽きると思います。阪神・淡路大震災のときに全国、外国からもそうですが、いろいろな支援チームにお越しいただいて活躍していただいたのですが、その中で長崎県の医療チームが非常に被災者から喜ばれたんです。
なぜ長崎県の医療チームなんだろうかということを後でよくお聞きしますと、長崎県の場合は離島が非常に多いものですから、船に乗ってお医者さんが巡回医療をされている。
決して心臓外科とか、非常に高度な医療技術を持ったお医者さんではなくて、行ったら全然薬のないような病気の方がいらして、その方にどう処置をするかというようなことを、日ごろから実践されているお医者さんが非常に多かったみたいです。
だから被災者のところではメスがなかったのに、「怪我をされている。これはどうしたらいいのか」ということについても臨機応変な対応をされる。そういう能力が非常に高かったというようなことをお聞きしたのです。
もう一つ例を挙げますと、避難所にものすごくたくさんの人が集まった場合に、水洗便所は水が流れないから使えないのです。
そういうときにトイレはどうするかということが非常に切実な問題なのですが、いろいろなキャンプなどを経験している方がいらしたら、30cmぐらいの縦穴をつくりまして、そこにテントを張ってトイレとして使う。そのような実践的な技術とか知恵を持っておられる方がいらしたら、全然防災力といいますか、対応能力が違うのです。
そういうことを考えますと、私は防災に対する適応能力というのは、個人個人がそういう技術を持っておられる度合いがどれくらいかによっても大きく差があるのではないか。しかもそれは非常にハイテクではなくて、むしろローテクに近い部分ではないのか。
そういった意味では、本当に日常の生活の中で「いったん何かが起きたときにはどうしたらいいか」ということについて、ある程度専門的な勉強をしていただく。あるいは、防災訓練でそれを身につけていただく。
そういうことが非常に大切なことであるし、もう一つは、できることならそれぞれのコミュニティとか、あるいはそれぞれの団体に、そういうことについてある程度の知識なり技術を持ったリーダーをできるだけたくさん持つ。そのことによって、私は防災力が非常に違ってくるのではないかと思います。
先ほど河田先生が「人と防災未来センター」ということをおっしゃいました。パンフレットをお配りしてありますけれども、これはそういう人材教育を一つの大きなテーマにした施設で、そういうことを心がけていくことが、私は防災文化の創造ということにつながっていくのではないかと思います。
(藤吉)
はい。皆さんに貴重な提言をいただきました。ここでそろそろまとめに入ろうと思いますが、一つ気になることがあります。東海地震。これは明日起きるかもしれない。このようなことが言われたために、どうしても今すぐできる対策、そういったものから先に手をつけてきました。
そして、騒ぎが始まってからやがて25年になろうとしていますけれども、幸いといいますか、まだ地震は起きていないわけです。25年も起きないということがわかっていたら、もっと違った対応があったかもしれない。そういった反省があります。気がついてみますと、地震に強い家づくり、地震に強いまちづくりは、なかなか進んでいないのが現状なわけです。
今、この南海地震、次に起きるのはいったいいつなのか。これはわからないわけですけれども、東海地震とは少し事情が違うのではないでしょうか。まだまだ万全なといいますか、地震に強いまちづくり、家づくりを進めるだけの時間的な余裕はあるのかもしれない。
そういったことで、今すぐにやれることだけに終始するのではなくて、やはりどなたかがおっしゃられたように、3世代おきにすべてを失ってしまうという、その輪廻のようなものをここで断ち切る。
そういう固い決意で、地震に強い、津波に強い郷土をつくるんだ。そういった取り組みが必要なのではないか。そういうときに、私どもは差し掛かっているのではないか。そんな気がしております。また、「災害は正しく知って、正しく恐れる」といったような言葉も聞きました。
今日は皆さんいかがでしょう、心に染み入るようないくつもの貴重な言葉をいただけたかと思います。これは高知県の皆さんばかりではなく、全国の皆さんにとってもきっと役に立つ提言ではないかと思っております。さあ、今から始めようではありませんか、明日への備えを。
今日は長時間、会場の皆さん、それから壇上の皆さん、ご協力ありがとうございました。これで今日のパネルディスカッションを終わります。