公開日 2007年12月07日
更新日 2014年03月16日
「知事は今日もカラ元気」(内外情勢調査会高知支部の知事講演録)
平成14年4月25日(三翠園ホテル)
目 次
一 講演のはじめに
二 兄 龍太郎の入院話から
三 カラ元気でも笑顔で仕事
◇人を育てる
*世代間のギャップ
*現代の若者気質
*高校生のイベント
*画一教育の反省
*人を育てる物差し
◇地域を育てる
*水源かんよう税
*市町村の連携と合併
*鍋焼きラーメンプロジェクト
*カラ元気の種をまく
◇仕事を育てる
*アジア交流と国際化
*深層水と室戸ブランド
*ヤシガラネットをつくる
*環境と健康のモノづくり
*医療特区をつくる
*観光コンベンション協会の発足
四 カラ元気から本当の元気へ
五 おわりに
一 講演のはじめに
皆様こんにちは。本日は内外情勢調査会の懇談会講師としてお招きをいただきまして、まことにありがとうございます。振り返ってみますと、この講演は、知事になりました翌年の平成四年四月から連続九回お引き受けしておりましたが、去年は一回お休みをさせていただきました。
といいますのも、皆様ご承知のとおり、県の融資をめぐる事件がありまして、こうした講演をお引き受けして話を考える時間的なゆとりも、また心のゆとりもなかったからです。心のゆとりということで言えば、今年もそうしたさまざまな事件の余波を引きずっておりますし、その上大変不景気な話題に事欠かないので、あまり心のゆとりがあるわけではありません。できれば今年も続けてパスをしたい、お休みをしたいというのが正直な本音です。
ところが、この懇談会を主催していらっしゃる時事通信の支局長さんから、去年の秋以来、たいへん熱烈なラブコールをメールでいただきました。このため、生来いろいろなご依頼をお断りするのがなかなか苦手という性格の私は、ついに断り切れずに、二年ぶりにこの場に出てきたということになります。
とはいいましても、見かけによらず私は、こういう講演などを準備するときには大変気を遣って、なんとかいい話をしたい、まとまった話をしたいと思うほうですから、かなり生真面目に気を遣います。ですから、講演が近づいてきますと、どうしようかなと思って夜も寝不足になるというのがいつものパターンです。
ところが、皆さん方は、私がペラペラしゃべるのを聞いて、あいつはきっと話が好きなんだろうな、講演なんかをするのが好きなんだろうなと思っておられるふしがあるので大変困ります。というのも、これはある会で講演をさせていただいたときのことですが、その前に関係者の方々とお話をしていて私がトイレに立ちました。
そのときにその場に残っていた秘書からあとで聞いた話によりますと、私がトイレに立ちますと、そこにおられた方の中のお一人が「いや知事さんもお話が好きだから、時にはこうやって講演にお招きをして、気を抜いていただくような機会をつくらなきゃいかんね」という話をされて、それを受けてもう一人の方も「うん、そうだ。そんな時間をつくってあげなきゃいかんね」と言ってうなずいていたということでした。
その話をあとで聞きまして、私のことを気遣っていただくのは大変ありがたいのですが、講演のご依頼を受けるというのは決して私にとってはそういう時間のゆとりにはなかなかつながらないということもぜひ知っておいていただきたいなと思いました。
しかも、県内での講演ということになりますと、同じ顔触れの方々を前にして話をすることもちょくちょくありますので、となると、これもまた生まれつきの負けず嫌いから、同じ話をしていると思われるのはしゃくにさわるという思いもあって、さらに苦しむことになります。
そこで、県内でいろいろなお話をする機会を与えていただくのはありがたいのですが、そういう機会をいただくと、日ごろからこれでもかこれでもかといろいろなことが起きて痛めている胸をさらに痛めるということを、ぜひこの場でお伝えしておきたいと思いました。
二 兄 龍太郎の入院話から
いつものように言い訳から話を始めてしまいましたけれども、胸を痛めると言えば、私の兄龍太郎が文字どおり胸を痛めて大変ご心配をおかけしましたが、無事退院をいたしました。多くの方々からお見舞いのお言葉をいただいておりますので、この場をお借りしましてあらためてお礼を申し上げたいと思います。
その日、つまり兄が倒れました日は、私は東京に出張しておりまして、朝早く知り合いの人から電話がかかってきてそのことを知らされました。驚いて兄嫁のところに電話をしますと、彼女は生来の楽天家でもありますので、大変落ち着いたもので、一連の経過を説明してくれたあと、「病院の総長さんか担当のお医者さんにこれまでの経過とこれからの見通しを発表してもらおうと思うんだけど、どうかしら」とこう言います。
そもそも私は以前から、責任ある立場にある政治家は病気をしたときに自分の健康状態を国民の皆さんにきちんと説明すべきだと思っておりましたし、政治生命うんぬんといって実態を隠してしまうことは家族にとっても不幸なことではないかと思っておりました。ですから、兄嫁からそういう相談を受けたときに、「それはいいね。ぜひ早く総長さんなりお医者さんなりに経過の説明、発表をしてもらったら」と言って電話を切りましたが、そのあとが一騒動でした。
といいますのも、その電話を切ってすぐ私は出張先の東京から高知に戻ったのですが、高知の空港で待ち構えていたあるマスコミの方から病状を聞かれましたときに、もともと、サービス精神が旺盛と言うとよく聞こえますが、若干口の軽いところのある私は、「まもなく病院で発表があるはずだよ」という話をしてしまいました。
このために、病院ではまだ全然準備ができていないうちから記者の皆さん方が殺到しててんやわんやになったということでしたし、また、父の代から世話になっております岡山の事務所の秘書さんからは「政治家の病気について口にするとは何事か」と大目玉を食ってしまいました。が、その日の夕方には総長先生が経過と見通しについての発表をしてくださり、翌朝、無事手術が行われました。
あとでお医者さんに聞いてみますと、もともと三月から八月の間には手術をしなければいけないと言われていたそうですし、また、救急車で病院に運ばれたわけですが、着いたときにはもう十分か十五分遅れれば危なかったという危機一髪の状況だったといいますので、本人は、悪運と言うと怒るでしょうが、本当に悪運の強い、運の強い男だなと思いました。
が、早め早めに発表していくという、政治家の病気としては異例の対応策を取ったことから、あとで変に勘ぐられることなく、また、家族も心おきなく看病ができたのではないかと思っています。
こんなことをわが身にというか、いまさまざまな課題を抱えている県庁に置き換えて考えてみますと、やはり早め、早めに情報を全部外に出していくということはいかに気が楽かということをあらためて実感しますし、そういうことを県庁の職員一人ひとりが悟ってもらうとうれしいなと思います。
もう一つ兄の病気の後日談をご紹介しますと、それは兄の健康の回復、元気さを何で推し量ったかという話です。
そのときも、兄の主治医にあたる、昔からお世話になっているお医者さんが面倒を見てくださったのですが、手術からしばらく経ったときに、そのお医者さんに電話をしまして、「状況はどうですか」と聞きました。
そうしましたら、そのお医者さんが、「順調に回復して、大変お元気になられましたよ」とおっしゃるので、気安さから、「元気と言うけど、どれぐらい、どんなふうに元気になったんですか」と聞きました。そうすると、そのお医者さんが、「そうですね。手術から二、三日経ったときは、お人柄が変わったようにとても優しくものわかりがよくなって、何を言っても大変素直に聞いてくださったんですが、それはもう二、三日ももたずに、四、五日経つとすっかり元の性格に戻られていました」。
五日ぐらい経ったときに総長さんが部屋に帰ってくると、ベッドの上でプイとすねて横を向いてしまって、それを見た看護婦さんが、「あっ、先生がすねている、これはもう元気になった証拠だ」という話をしてみんなで笑ったんですということでした。
昔から兄のことをよく、威張る、すねる、怒るというようなことを言われますが、すねることが元気の回復のバロメーターというのも兄らしい話だなと思って、私も笑いながら聞きました。
三 カラ元気でも笑顔で仕事
ということで、そろそろ本題といいますか、県にかかわる話に入らないとおしかりを受けそうですが、いま申し上げました「元気」ということに関して、私は、今年の正月、県庁の仕事始めのときに、県の職員に、「今年はカラ元気でもいいから、明るく笑顔で、笑顔を忘れずに、元気さをふりまいていこう」という話をしました。
といいますのも、先ほども言いましたように、県を取り巻くさまざまな事件もありますし、また、経済の低迷、雇用の問題とさまざま暗い話題がいっぱいあって、県民の皆さんも気持ちが沈みがちではないか。ただ、そういうときだからこそ、県庁の職員が率先して元気をふりまいていかなければいけないんじゃないかと思ったからです。
また、同じような気持ちで、今月、年度初めの部課長出先機関長会議という幹部への訓示の場でも、「自分が笑えば鏡も笑う」というある漫才師の方の座右の銘も紹介して、「ぜひ笑っていこう、笑って仕事をしよう」という話をいたしました。
そこで今日は、強いて題をつければということで、そこに掲げました『知事は今日もカラ元気』というタイトルをつけさせていただきましたが、そんなに深く考えてつけたわけではありません。支局長さんから「何かタイトルを」と言われて、ともかくつけてしまおうと思ってつけましたので、あとから話を考えなければいけないということになりしたが、「カラ元気」というだけではなかなか話の筋立てをつくることができません。
そこで、いつものように三つほどのテーマをつくって、三題話でお話をさせていただきたいと思いますが、それは「人を育てる」ということと、「地域を育てる」ということと、「仕事を育てる」という三つのテーマです。
◇人を育てる
そこでまず、「人を育てる」ということからお話を始めたいと思います。
*世代間のギャップ
いま県では子ども条例をつくるという取り組みを進めていますが、この子ども条例にかかわっていただいている八人の委員の方と先日お話をいたしましたら、その中で「大学生のつくる子ども条例」というのに取り組んでいらっしゃる方から、ちょっとおもしろいお話を聞きました。
それは何かといいますと、その方が大学生と高校生の意見交換の場をつくって、そのあとにその大学生に感想を聞いたら、高校一年生の子と話をした大学一年生の学生が「いやあ、いまどきの若い者、高校生は何を考えているかわからない」という話をしたということです。
ちょっと出来過ぎた話かなとも思いましたが、「いまどきの若い者は」というせりふは大昔から使われていると言いますので、いまの若い人でもそんなことを感じるのかなと思いました。
もう一つ、いまどきの若い人ということにかかわったお話では、先日、宮崎と高知と首都圏を結ぶフェリーが就航いたしまして、その記念に宮崎からツアーのお客さんが来られました。そのとき団長を務められた、昔宮崎交通におられて今は大学の講師をしていらっしゃる方が、「いまの若い学生さんには伝わらない言葉があって困る」という話をされていました。
この方は宮崎交通におられたので、いま大学では観光の授業をなさっています。宮崎から日南のほうに抜ける途中に堀切峠というところがあって、そこから下の太平洋に鬼の洗濯板という岩が波に洗われてギザギザになった名所があります。
ところが、いまの若い人は洗濯板というものを知らないために、鬼の洗濯板と言ってもなかなかイメージが浮かばない。そこでその方は、わざわざ荒物屋さんか何かに行って洗濯板を買ってきて、これが洗濯板だという説明から始めたというお話をされていました。
このように時代の環境が変わり、生活が変われば、当然使われなくなってしまう言葉、伝わらない言葉もでてきますし、また育った時代の違いによって、「いまどきの若い者は」というような感覚もいつまでも続くだろうと思います。
*現代の若者気質
ところが一方で、若い世代の人たちとお話をしていますと、自分たちが同じ世代のときよりもずっと自分の将来とか社会のことを真面目に考えている人が多いなということも感じます。
たとえば今年の成人式の日のことですが、僕は知事室を開放して、せっかくの成人の機会に知事と話でもしたい人がいたら来てくれませんかという呼びかけをしました。
どれだけの人が来てくれるかと若干心配はしましたが、ふたを開けましたら、ちょうど夕方まですき間ができないぐらい、五十何人かの新成人の方が来てくださいました。といっても、最初は初対面でお互い緊張しますので、まず「何で成人になったことを感じますか」というような我ながらありきたりだなという質問を繰り返しておりました。
そうしましたら、当然のことながら、選挙権、つまり投票のためのはがきが来たときに成人になったと感じるという言葉と同時に、もう一つ、年金の支払通知が来たときに成人になったと感じたという答えが数多くありました。
自分が二十歳のときを考えると、年金のことなど考えたこともありませんでしたので、ああそうかなと思ったのですが、中には「いまから年金を支払い始めて、果たして自分たちが定年退職をするころに年金をもらえるんでしょうか」とこういう質問をする学生さんもいます。
「きみ、それは真剣に悩んでいるの?」と話したら、「もちろん真面目です。とってもそのことが心配で」と言うので、僕たちとはまた違った将来の悩みというか不安を抱いているんだなということを感じました。
と同時に、ハッとするような指摘も受けました。それは何かと言いますと、今年の成人式の日は私はお招きを受けなかったために成人式の式典そのものには出ませんでした。ところが、そこに来た五十何人かの成人の多くの人たちがそういう理解をしてくれていないで、去年の成人式の出来事があったために知事が成人式に出るのに嫌気がさして自分から断ったんだ、というふうに受け止めていたということです。
それだけならああそうかで済むのですが、中には「たとえ主催者側からそういうお話があっても、それをああそうですかと言って受けたら、若い新成人の人たちは、知事は去年の出来事があったから嫌気がさしたんだろう、つまり若い者を見限った、嫌ったというふうに受け止める若い人も出てくる。
だから、知事たる者は、政治家たる者はそれぐらいの配慮をしなければいけないんじゃないか」ということを言う青年がいました。この人は学生ではなくて仕事をしている青年で、なかなか言いたいことの言える子がいるなと思いましたが、何か切り返してやろうと思ってもいい言葉がなくてギャフンとしたことを覚えております。
これだけではありませんけれども、若い人たちと話をしていると、本当に自分の若いころとは違った視点で社会なり自分の将来なりを真面目に考えている人がいるなということを感じて、頼もしくも思いましたし、教えられることもありました。
*高校生のイベント
また、教えられるということで言いますと、先月、県内の高校生八人が知事公邸に来て、自分たちが実行委員会をつくってこの二月に行ったチャリティーのイベントの報告をしてくれました。
これは県内の公立と私立の高校生の方々ですが、そのチャリティーイベントのそもそものきっかけは私立太平洋学園の当時まだ三年生だった男の子が去年の秋に私にあてて寄せてくれたメールでした。
それを読みますと、他の学校の高校生とも一緒になって何かチャリティーのイベントがやりたいと書いてあったのですが、その書き方、その思いの真面目さがとても伝わってくるメールだったので、さっそく知事室に呼んで話を聞きました。
そうすると、大好きだったおばあちゃんが病気になって長い間その看病をした、そのときにそれまでまったく感じたことのなかった福祉とかボランティアに関心をもって、それならば他の高校の生徒にも声をかけて何かチャリティーのイベントをやりたいと思った、ということでした。
その子も自分でバンドをやっていたのですが、私も高校生のころバンドをやっていました。ところがそれでチャリティーのイベントをやろうというようなことを考えたことはまったくありませんでしたし、それ以上に、他の学校の生徒と一緒になって何かの取り組みをというようなことは考えたこともありませんでした。
ですから、それもまた教えられたなと思ったのですが、話を聞きますと、他の学校にも一緒にやろうという子どもたちが増えてきて、きみはなんとか委員、あなたはなんとか委員と割り振ったんだけれども、それぞれの高校の先生は、自分の学校の生徒が学校の枠を出てほかの学校の生徒といろいろな取り組みをすることをあまり快く思ってくれない、そのために、せっかく組織はできたけれどもなかなか動きがうまくいかないという話がありました。
また、企業や商店などに協力の呼びかけでまわっても、やはり高校生だけではとても信用がないので十分真面目に話を聞いてもらえない、といった悩みもありました。そこでさっそく、教育長さんに教育委員会の後援をお願いすると同時に、私も、応援していますという推薦文を書いてわたしてあげました。
そのかいもあってか、県内の十の公立と私立の学校から三十人を超える実行委員が集まって二月のチャリティーイベントはたいへん成功のうちに終わりましたけれども、報告を聞いていてうれしかったのは、そのイベントを昨年度一回限りで終わらせずに、今年度も引き続いて、また高校の枠を越えた実行委員会をつくって、二回目のイベントを目指そうという動きが出てきた、ということでした。
というのも、こういうようなイベントをみんなでやってみるということ自体、一人ひとりの力をつけていく、人を育てるという意味で価値のあることだと思いますが、こういうことが二年、三年と続いていきますと、そのことによって地域全体の人がだんだん育ってくるのではないかなということを感じたからです。
また、この子どもたちの話を聞いていて、自分たちの生き方とか将来を非常に真面目に考えているなということを感じました。というのも、たとえば実行委員長を務めた今年太平洋学園を卒業した子は、今年一年はお父さんが経営しているレストラン、食堂の手伝いをして、そこで小遣いをためて、来年は東京の専門学校に入って音楽の勉強をして、音楽プロデュースの道を歩みたいという話をしていました。
また、このイベントで司会役を務めた県立東工業高校の生徒は、自分は将来工科系の大学に行って機械の勉強をして、人の気持ちを癒すような、心を癒すようなロボットをつくりたいという話をしていました。
またもう一人、その日は病気で出てこれなかったという子が先生に手紙を託してくれましたが、その手紙を見ますと、自分が置かれた不利な立場や自分の自信のなさから、これまであきらめていた夢があったけれども、このイベントに参加してみんなでいろいろなことをやろうということから新しい情熱が生まれてきた、つまり、どんな状況でも自分の努力次第で夢というものがもう一度つかめるんじゃないかという気になってきたということがつづってありました。
*画一教育の反省
僕はそういう高校生の話を聞いたり手紙を読んだりして、とてもうれしく、また単純に感激もいたしました。と同時に、いまの学校教育がやや画一的な物差しで人を測ってしまって、そういういろんな力を持った、いろんな能力を持った子どもを伸ばしていく、人を育てていく方向につながっていない面があるんじゃないかということを感じました。
そんなことを思っておりましたら、つい先日のこと、ある職員から、神奈川県の藤沢市で取り組まれている「湘南に新しい公立学校を創り出す会」というNPO法人の話を聞きました。このNPOは小学校の先生四人が中心になって市民と一緒につくっているものですが、市民の理念で新しい公立学校をつくる、いわゆるチャータースクールの日本版をつくろうという運動です。
そもそもこの先生方がなぜそういうことを考えたかというと、一人ひとりの能力はやはり違っている、それなのに、ある意味では公平さを保つという意味で、ある意味では画一的なことをやるという意味で、なかなかそういう能力の違いに応じた教え方、教育ができないというのが一つのきっかけでした。
けれども、その方々も決して学力というものを無視したり否定したりしているわけではありません。学力だけではなくて、音楽でもなんでもそうですが、この分野なら自分は得意だとか自分は人に負けないという経験を小学生のときに持つかどうかが将来の生きる力につながるのではないかと考えたわけです。
この方々が体験したもう一つの出来事がありました。それはその四人の教師が勤めている小学校の高学年のクラスで学級崩壊が起きたときのことです。この四人だけではありませんが、みんなで話し合って、その学級崩壊が起きたクラスの算数の担任を外して、五つの学力別のクラス分けをして、教師がチームで指導にあたりました。
そしたら、当然手ごたえもあるし反応も出てきたけれども、やはり一部の保護者の方、父母の方から「担任がいないのはおかしい」という執拗な抗議が校長や教育委員会に寄せられて、結局一年でその試みが終わってしまいました。このことから、この人たちは、学校の中ではなかなかこういう新しい取り組みは難しいねということで、市民、保護者の方と一緒になって湘南小学校という名前の新しい取り組みを始めました。
といっても、もちろん学校として認められているものではないので、市民会館などを借りて毎週土曜日に開くというものですけれども、私に報告をしてくれたさきほどの職員は、出張で視察に行って半日ほどお手伝いをしてきたということでした。
聞きますと、その日は二十人ぐらいの小学生が来ていて、先生に「次に何をやりますか」と質問するのではなくて、「私は今日はこれをやってみたい」と自己申告をしていきます。
その職員がめんどうを見たのは小学三年生の男の子で、電気の組み立てをしてみたい、モーターなどの組み立てをしてみたいというので、近くの東急ハンズに行ってキットを買ってきて、その子が電気ゴテなどを使ってつくるのを見ていてお手伝いをしたということで、その感想を聞くと、「とても楽しくて、刺激的で、出張で仕事で行っていながらこんな楽しい思いをしていいのだろうかと思ったけれども、よく考えてみれば仕事そのものもやはり楽しくできないと成果は生まれないんじゃないかなということをあらためて感じた」という話をしておりました。
*人を育てる物差し
成人式から日本版のチャータースクールの話までいろいろな話をしてみましたが、このようなエピソードを通じても、「いまどきの若い者は」というような定型的なものの見方とか、偏差値を中心とした学力至上主義的な物差しでの人の見方というものをそろそろ見直すべきときに来ているのではないかと思います。
と同時に、子どもや若者を考えるときに、こんなこともある、あんなこともあるといって悪い点を指摘することも当然必要ですが、それだけではなくて、いい面をどうやって見つけていくか、また従来の物差しとは違う物差しをあてて、その良さ、力を引き出していく、これが、「人を育てる」という面での新しい元気につながっていくのではないかという気がします。
そこで、「人を育てる」という話の最後に、最初にちょっと触れました子ども条例のことにもう一度戻ってみたいと思います。
先ほど「大学生のつくる子ども条例」の紹介をしました。その第一条にも保護者、親の付属物だとか、教えられる存在といった子どもの見方、子ども観、そういう固定観念をまず見直さなければいけないのではないかということがうたわれています。
と同時に、管理され、評価をされる場だけではなくて、もっと自由な居場所をつくってあげる、さらには、音楽とかファッションも含めた若者の文化、ヤングカルチャーの尊重といったことがその条例の中にうたわれておりました。
こういう話をしますと、「そんな風潮があるから権利ばかり主張する子どもや若者が出てきて義務とか責任ということがないがしろになる」というご批判が当然出てくるだろうと思います。そのご批判も私は重々わかりますし、当然、自由の裏側には規律、責任があるということはきちんと子どもたちに教えていかなければいけないことも言うまでもありません。
しかし、公平とか公正さという名のもとに、あまりにも画一的、一面的に人を推し量っていくということをそろそろ見直して、先ほども言いましたけれども、別の物差しをあてて人の力を見ていくことが、私は、人を育てるということでは最も元気を出していく一つの秘訣ではないかということを感じ始めております。
◇地域を育てる
ということで、「人を育てる」という話はひとまず置きまして、次の「地域を育てる」ということに話を移したいと思いますが、この点では、まず山のこと、本県の八四%を占めます森林のことに触れてみたいと思います。
*水源かんよう税
といいますのも、いま本県では水源かん養税という森林の保全を考える新しい税の取り組みをしているからですが、この水源かん養税というものを考え始めたきっかけは、一昨年の四月、地方分権一括法が改正されて法定外の目的税、普通税が総務省との協議、同意でできるようになったという点にあります。
このため、一昨年の四月から、高知県でも何かそういう新しい税の検討ができないかということで、検討会を庁内につくりました。その中で、たとえばプレジャーボートに課税をするとか、三重県のような産業廃棄物への課税だとか、いろんなアイデアが出ましたけれども、最後に残ったものがこの水源かん養税でした。
といいますのも、何か財源を新しく得るための新税ということに着目をしてしまいますと、地方分権になったからどんどんどんどん税が増えるということになって、これは国民、県民から見たときに「地方分権ってなんだったの」ということになりかねません。
そこで高知県では、ただ単に一般財源を補うための新しい財源という税制ではなくて、県民の皆さんに何か新しいことに目を向けていただく、そういう意識づけをしていくような政策目標を持った税が考えられないかと思いました。
そういうことを考えましたとき、本県だけではありませんけれども、中山間地域の森林は木材価格の低迷ということがあって荒れ放題のところがいっぱい出てきています。そして、森林がこれまで果たしてきた「水を蓄える、水源を涵養する」とか「国土を保全する」という公益的な機能もどんどん失われてきています。
そこで、新しい税をつくり、そして県民の皆さん全員に山のことを考えてもらう、また上流、下流を結ぶような取り組みをすることによって森林の大切さをもう一度見直すということが必要ではないか、そんな思いで始めましたのがこの水源かん養税でした。
そういうことから、去年の四月から十八人のプロジェクトをつくって取り組みを進め、去年の十月には二つのモデル案をお示ししています。一つは、水道を利用している方に月々三十円ほどの税金を払っていただくという水道に課税をする方式ですし、もう一つは、県内に住居または事業所を持っている個人と法人に年間五百円ほど県民税を上乗せして払っていただくという県民税の超過課税の方式です。
いずれにしろ一年間の税金の税収は一億一千万円から一億四千万円ほどですから、全体の予算とか税収から見ればわずかな額ですが、このことによって県民がみんなで森づくりを考えていく、また上流、下流の結び付きの取り組みが出てくれば、これはまた大きな、新しい流れがつくれるのではないかなと思いました。
と同時に、これまでの税というのはどちらかというと納めたものがどこで使われているのかなかなか見にくいという面があります。このことがある意味では大都市部の納税者の不満にもつながりますし、また、税に対するシビアな感覚が薄れてしまう原因の一つにもなっておりました。
これに対して、広く、薄くではありますが、こうした水源かん養税といったかたちで納めていただいて、身近な水源になっている森林の保全、公益的な機能の保全に使っていくということになれば、より使い途が明らかでわかりやすくなって、それが目に見える。つまり、税がより身近なものとして感じられて、税に対する皆さんの見方も少し変えていくことができるのではないかと思いました。
ただ、課題はまだまだたくさんあります。たとえば、徴税をしていくときに誰がどうやっていくかという市町村の皆さんとの調整もありますし、また、先ほど上下流の結びつきということを言いましたが、そういうソフトだけでいいのか、もっとハードの面にもきちっと使っていけるような財源にすべきだというような使い途についての議論もあります。
また、先ほどから「水源かん養税」という言葉を言いましたが、この言葉そのものがわかりにくいのではないか、もっとわかりやすくその目的を明確に言い当てるような名前を考えたらいいじゃないか、とさまざまな課題があります。そこで、今後はこういう課題を整理しながら、今年度中に条例をつくって、十五年度中または十六年度からこの税が実施できればと考えています。
そう言いますと、ずいぶんまた先の話になるねと思われる方もいらっしゃると思いますが、先ほど言いました水道に課税する方式ですと、いわゆる法定外の目的税ということになりますので、総務省との協議、同意に一定の時間を割かなければいけません。
また県民税に超過課税をする方式ですと、市町村の皆さん方にお願いする課税システムの調整ということで、これまた一定の時間を割かなければいけない。ということから、十五年度中か十六年度の初めということになろうかと思います。
こうしたなか、皆さんもご承知かと思いますが、今年度から香川県さんが、県の水瓶である早明浦ダムのある本県嶺北地域の森林の保全、間伐などに助成をするという予算を組んでくださいました。この背景には当然さまざまな事情がありますが、県の境を越えて下流から上流に予算を使われるということは極めて画期的な、ありがたいことだと思います。
と同時に、この水源かん養の税ということでは、すでに徳島県も県民のアンケートをされて公表されていますし、四国四県の知事の会、さらには県議会の議長の会などでも、みんなで一緒にやっていこうという概ねの同意が得られております。
ですから、高知で始まりましたこの水源かん養税というものがだんだん四国四県に同じように広がっていけば、四国四県で県の境を越えて、森林の管理、水源の涵養をみんなで考え、実行することになりますし、このことがまた全国にアピールする大きな情報発信になっていくのではないかと思っています。
と同時に、この二月の県議会でも、「山の日」というようなものをぜひ制定してはどうかというご質問があって、それはぜひやりたいというお答えをしました。けれどもすぐにというわけにはいきませんので、具体的には来年度から、今年は準備、ということになろうかと思います。
この「山の日」には、県庁の職員をはじめ下流の都市部の人たちが一日は山に行って、ボランティアのできる人はボランティアをやる、また、森林の状況を見ていろいろなことを学び認識する日にしていけば、先ほど言いました水源かん養税の実施と併せて、上流、下流を結んだ大きな動きになっていくのではないかと思いますし、そのことが地域を育てるということでも、大きな元気さの一つの源になっていきはしないかなと僕は思っています。
一方、先ほど十八人でプロジェクトチームを立ち上げているというお話をしましたが、専任のプロジェクト員は三人で、このうちお二人は、今日町長さんが来ておられる檮原町、そして市長さんがおられる高知市の水道局から出向していただいております。このほか兼務の方の中にも三人、市町村の方が含まれています。
このため、専任チームの中で唯一の県職員に話を聞いてみますと、「いま水源かん養税を高知県が取り組んでいると言うけれども、実質的には市町村の職員の方の力でこの水源かん養税の取り組みが進んでいるようなものだ」ということを言っておりましたし、水源かん養税というテーマは、税金だとか森林だとかいうことだけではなくて、環境、水、さまざまな複合的な視野が必要なテーマです。
ですから、縦割りの仕事に慣れている県庁の職員よりも、むしろ包括的な視野を持った市町村の職員の皆さんのほうがよりよい仕事をしてくださるし、また、一緒に仕事をしていてとても楽しいということをその県の職員も言っておりました。
こういう話を聞きますと、このようなプロジェクトで取り組みを進めることは、先ほど言った四県の連携ももちろんですが、これから当然欠かせない課題になってくる市町村の連携とか合併、さらに県の機能をどうやって基礎の自治体、市町村に動かしていくかということを考えるときにも、とてもいい参考の事例になっていくのではないかなということを感じました。
*市町村の連携と合併
そこで次に、「地域を育てる」ということではいま欠かせない話題であります市町村の連携・合併に少し触れてみたいと思います。
高知県といたしましては、市町村合併はあくまでも国や県の都合でお仕着せで進めるべきものではないし、進むべきものではない、やはり地域の住民の方々が主体的に議論をして判断をしていただくべきものだという考え方に立って、まず支援本部ありきという考え方を取りませんでした。
ですから、いま四十七都道府県の中で合併の支援本部ができていないのは富山県と高知県の二県だけになっているのではないかと思いますが、ここに来て、窪川、大正、十和、大野見といった高幡西部の地区ですとか、いくつかの地区で、合併に向けて首長さんの協議会をつくっていこうというような動きも出てまいりましたので、来月には合併支援本部づくりに向けての本格的な検討をしていかなければいけないと思っております。
ただ、こうした正式の首長さんなどの動きとは別に、先日新聞でも報じられていましたが、須崎や中土佐、窪川、大野見、葉山の若い青年の方々が集まって、二○○五年に「龍馬市」という新しい市ができたという想定のもとに龍馬市のバーチャル企画会議をやったというようなことがありました。
その内容は若い青年の方々が市町村の枠を越えた町おこしを議論するというものでしたが、ここで使われた「龍馬市」というような表現、そう言うとまた松尾市長さんが「ん?」と思われるかもしれませんけれども、このように、須崎をはじめとする地域のこれまでの名前とかいきさつとは全然関係のない新しい名前、それでいて高知ということがすぐわかる名前をつけていくというのは、今後市町村合併ということを考えるときにとても重要な発想ではないかなということを思いました。
と同時に、ここからは個人的な思いですが、せっかく市町村が合併をするのであれば、隣近所の二つ、三つというだけではなくて、もうちょっと広い範囲での、大きな視点から見ての連携・合併ということが考えられないかということを思います。
というのは、二つ、三つということでやっていきますと、結局は何か追い込まれてやらざるを得なくなってやったという意識がいつまでも残ってしまうのではないかと思うからです。 そうではなくて、もう少し大きな視点に立って合併、また連携ということに取り組むことによって、追い込まれての受け身の合併ではなくて、新しい広域、町をつくっていく、地域を育てていくという視点に立った、さらには県の機能そのものも取り込んだ新たな基礎自治体をつくっていくという、もっともっと前向きの動きにつながるのではないかと思うからです。
ただ、そうした広域や合併のあり方がどういうかたちになっていくにしろ、先ほど例に挙げた「龍馬市」というような発想であれば、それぞれの地域がどんなセールスポイントを持っているかということも、ただ単に一緒になるだけではなくて、これからの「地域を育てる」という観点からは必要なことではないかなと思います。
*鍋焼きラーメンプロジェクト
そんな中で、バーチャルの龍馬市の一員になっている須崎市では、最近「鍋焼きラーメンプロジェクト」というプロジェクトが出てきて話題になっていますけれども、この「鍋焼きラーメンプロジェクト」は、私は、もしかすると、もしかするような、おもしろい、新しいタイプのまちおこしではないかと思っています。
私自身は、知事になって十年、この鍋焼きラーメンの存在を実は知りませんでしたが、お話を聞いてみますと、戦後間もなくお店を始められた谷口食堂さんというところがラーメンの出前をするのに、冷めてはいけないというので土鍋に入れたのがそもそもの発端だったそうです。
だんだんファンが増えてきて、鍋焼きラーメンというものができた。五十年代に谷口食堂さんはお店を閉められましたが、根強いファンができたために、そのあとも須崎市内でいくつかこの鍋焼きラーメンを提供する店が根強く続いておりました。
こんなことから、去年の六月、今年須崎まで高速道路が開通することをきっかけに須崎市をどうやって売り込んでいくかという話を商工会議所やJCの方々がしたときに白羽の矢が立ったのが、この鍋焼きラーメンでした。
ただそうは言いましても、そのプロジェクトができたとたん、まだ十分な準備もできないうちにマスコミで大きく取り上げられてしまいましたので、そのプロジェクトのチームの方に伺いますと、「野球にたとえれば、知らないうちに一塁に出てしまって、その後サインもなしに二塁まで走っているような感じで、そのうち牽制球でさされてタッチアウトにならないか心配だ」と言っておられました。
それもそのはずで、去年の六月に始めたときには十七店、鍋焼きラーメンをつくっているお店の確認ができたということですが、あっという間にいまは三十店になっておりますし、それぞれのお店の中には、看板をつけ替えたりアルバイトの数を増やしたりと、一定の経済効果が出ているところもあるということでした。
さあそこで、お味はどうだろうということで、私も家内ともども今年の三月でしたか、橋本食堂さんという老舗のお店に行って食べさせていただきました。そこは鶏ガラのスープのさっぱり味で、私は大変おいしく、スープも全部飲み干しましたが、あとで伺いますと、三十の店舗それぞれにダシの取り方、スープの取り方も違うし、こくの度合いもまったく違っているということです。
ただ、そこにはお店のいろいろな思いがありますから、味を統一してしまうということはなかなか難しい。そこでこれからは、さまざまな味の全体のレベルアップをどう図っていくかとか、サービスの仕方をどうしていくか、また、須崎の鍋焼きラーメンなんだという「須崎」というまちをどう売り込んでいくか、このようなことが大きな課題になっていくのではないかなということを思いました。
と同時に、その鍋焼きラーメンのプロジェクトをやっているチームの方とお話ししていましたら、鍋焼きラーメンのプロジェクトもそうだけれども、各地域にいろいろな取り組みが出てきている、そういうものを先ほど言った「龍馬市」というような地域全体でどうやって盛り上げていくかというのも大きな課題だと言われました。さらにその方がおっしゃったのは、「モーニング娘。」的なつながりが何かできればというお話でした。
*カラ元気の種をまく
その意味は何かと言いますと、「モーニング娘。」というのは、一人ひとりは私たちであればよく名前も知らないそれぞれのキャラクターですが、それがまとまって「モーニング娘。」というかたちで大きな力になっています。
同じように、須崎市の鍋焼きラーメンと、中土佐町のカツオと、窪川町の豚饅とというように、まだまだキャラクターとしては弱くても、そういうものがまとまって「モー娘。」的な力が出れば、というのがその方々の夢でした。
そこで、そのお話を伺った僕は、「モーニング娘。」もいいけれども、もっと一人ひとりが強いキャラクターになって、さらに集団でもグループでも力を持つSMAPを目指したらどうかと言ってカラ元気の種をまいてまいりました。
いまSMAPのお話をしましたが、SMAPが今年の夏から秋にかけて全国のツアー、公演をいたします。ところが残念なことに、高知どころか四国も、会場が見つからないということで公演の予定が入っておりません。
そこで、春野でどうにかできないかということを考えていろいろ検討しましたが、今年は国体があります。SMAPの公演というとその準備に一週間ぐらいかかってしまいますので、一週間も空けるのはとても無理だというのであきらめざるを得ませんでした。
ところが、これからの「地域を育てる」とか「元気」ということで言えば、先ほど大学生のつくる子ども条例でも申し上げましたが、やはりこうした若者の文化、ヤングカルチャーに応えていくということも地域にとってとても大切な課題ではないかと思います。
そこで、これから準備が進み、また具体化もしてまいります高知駅前の整備のときに、いまソニーの関係の会社が全国展開をしていますZeppというホールがありますが、こういうものを誘致することも一つのアイデアとして検討してもいいのではないかと考えております。
◇仕事を育てる
ということで、いま「地域を育てる」というお話をいたしました。そこで、最後に「仕事を育てる」というテーマに移っていきたいと思います。
* アジア交流と国際化
仕事、ビジネスという点では、やはり中国をはじめとする東南アジア、アジア諸国との交流、国際化という視点は避けて通れない課題ではないかと思います。
といいますのも、しばらく前のこと、カシオ計算機さんが高知に新しい工場を立ち上げてくださったとき、社長さんとお話ししておりましたら、カシオさんも最初、海外の進出はメキシコに進出されたそうですが、やがてメキシコではやっていられなくなってマレーシアにかわった。
けれども結局は中国に行かざるを得ないという話をしておられました。その上で、「コストだけの競争になっていくと、もう中国に全部吸い取られるような格好になっていく。だから国内でということを考えたときは、よほどの付加価値か、よほどのブランド化ということを考えていかないと難しいね」ということを言っていらっしゃいました。
ですから、深層水のことにしろ、また工科大学などを使った技術開発にしろ、この「よほどの付加価値」、「よほどのブランド化」というのは大変重要なテーマだと思います。
このような流れの中で、最近よく中国脅威論ということが聞かれます。ところが、先日中国のある省の経済顧問をされている方とお話をしましたら、「中国脅威論ということはたしかに言われる。けれども中国にも弱みはある。それは何かというと農業の問題だ。その農業問題でかゆいところをかいてあげることで、また新しいビジネスの芽というものも考えられるのではないか」という話をしておられました。
それはどういうことかと言いますと、この三月五日に全国人民代表大会(全人代)が開かれました。そこで朱鎔基首相が政府の活動報告をしていますが、その二番目に出てきているのが農業政策で、その中でWTO加盟のことなどに触れて、農業をどうしていくかうんぬんということを語っておりました。
考えてみれば、中国何千年かの歴史の中で、農民の一揆、革命で倒れた王朝はいっぱいあります。一九四八年にいまの中国が始まりましたが、それからもう五十年あまり経っているわけですので、いかに工業化が進んだからといっても、人口の中の多くを占める農民をどう食べさせていくかということは、中国にとってもたいへん重い課題ではないかと思います。
そこで、その方が言っておられたアイデアは何かといいますと、「中国も小麦や大豆を、日本で言えば食管制度のかたちで政府が買い入れしているけれども、WTOの加盟でなかなか難しい課題が出てきた。そこで、小麦や大豆に代わって、一部のところでヒエやアワをつくってもらって、それを輸入するというようなことを考えたらどうか」というお話でした。
そういう話をしますと荒唐無稽だと思われる方もいらっしゃると思いますし、いったいヒエやアワを輸入して何になるんだとおっしゃる方もいると思います。また、「そもそも農産物の輸入は……」というご意見もあろうかと思います。
が、わが高知県だけではなくて国内の農業がこれだけ厳しくなってきたという現状を考えるときに、またWTOという現実の課題を考えるときに、中国とどう折り合っていくか、いいビジネスの芽を考えていくかということは、やはり避けて通れない課題だと思います。ぜひそういうことを農業団体の皆さん方も含めて真剣に考えてみていただきたいなと思っています。
*深層水と室戸ブランド
また、アジアとの輸出入ということで言いますと、深層水に関しても、韓国、台湾への展開ができないかということを検討しております。このうち韓国に関しましては、三年ほど前でしたが、在日韓国人の方からの働きかけで始まりました。ところが韓国には陸上水でないと飲料水として認めないという法律があり、この法律の壁でなかなか話が前に進まない状況が続きました。
かといって座して待つわけにはいきませんので、海洋深層水は室戸が先進地だというイメージ、また深層水にはこういう有効性、有用性があるというアピールをテレビ放送を使ってプロモートしていくということを、これまで何度か繰り返しやってきています。直近でも、今月二十八日の日曜日に、向こうのKBSの夜八時からの放送の中で室戸の海洋深層水を扱ってもらうことになっております。
一方輸入のほうも、陸上水でないと飲み水として認められないという法律はなかなか破れませんので、陸上水に海洋深層水のエッセンスを混ぜる混合飲料で輸入の許可をもらう、そういういうかたちで話を進めようとしておりますが、当然韓国も今後、深層水の取水ということを自ら考えられるようになると思います。
また、高知県でこんなアイデアを考えているということを言いますと、当然ほかの県もすぐにまねをしてこられると思います。ですから、なんといっても、こうしたビジネスをいかに低廉化して、安く、コストを下げていくかということと同時に、やはり「室戸」のブランド化ということが欠かせない課題ではないかと思っています。
もう一つの台湾に対しましても、去年の末から本格的な交渉を始めて、すでに高知ファズの社員が二度ほど台湾に行って交渉しておりますが、その中で、ある大手の企業が取り扱いの代理店として有力視されるまでになってまいりました。ところがここでは、日本のペットボトルが高値安定になっていることが一つのネックになっております。
そこで、韓国のペットボトルメーカーと組んで、韓国のペットボトルを使ってこういうものを売り込んでいく仕組みがつくれないかなということでいま検討を進めておりますけれども、ここでも低廉化、コストダウンということと、ブランド化という、韓国と同じような課題があることは言うまでもありません。
*ヤシガラネットをつくる
また、輸入、輸出という海外との交流ということで言いますと、もう一つ、スリランカとの交流についてお話をしてみたいと思います。
スリランカとの交流は、高知新港とスリランカのコロンボ港の姉妹港提携をもって始まりました。その後、いろんなものを送ったり送ってもらったりして試しをしておりましたが、その中で、ココナッツの繊維を使った工事用の製品が、自然に優しい工法、資材として、河川工事や道路工事で使われるようになりました。
これはヤシガラネットと言われるものですが、いまヤシガラネットづくりに協力していただいている県内の製紙会社と県が一緒になって特許の申請も出しておりますし、また、県の各課と森林組合連合会、さらに高知ファズも入った検討会をつくって、こうしたさまざまな県内の工事の事例、成功例の発表会を開いてみたいと思っています。
そして、そういう積み重ねの中で、一定の時期が来ましたら、ダイレクトメールなどで全国にPRをして、ぜひ全国の公共事業にヤシガラネットを普及させていきたいと思っています。
といいましても、平成十七年の目標が売上高一億という小さなビジネスです。スリランカとの交流が始まって五年ですので、この五年の間にこうした小さな芽が出てきたということも一つの「元気のもと」として考えていただけるのではないかと思ってご紹介いたしました。
*環境と健康のモノづくり
このような国際化、世界との交流と同時に、これからの仕事、ビジネスを考えましたとき、よく言われることですが、「環境」、「健康」といったものも忘れることのできないキーワードだと思います。
たとえば、先ほども国際化の中で例に挙げました農業に関して言えば、農業と海洋深層水の組み合わせもいくつか具体例が出てきています。また最近では、県内で、いわゆる永田農法とユニクロが一体となって新しい製品をつくっていこうという動きがプロジェクトとして動き出しております。
といいましても、永田農法とはいったい何ぞやと思われる方がいらっしゃるかもしれません。これは、従来からの大きな肥満児のような野菜をつくっていくというやり方ではなくて、やせた土地で、スパルタ式で、健康に締まった野菜をつくっていこうという農法です。もちろんいろんなご批判や反論というのは当然ありますが、一方でこの永田農法を使った成功例も県内にもいくつか出てきております。
これに目をつけたのがユニクロで、いまユニクロと永田農法が組んだ新しい農産品づくりが進んでおります。県内では、たとえば土佐清水市の永田農法でつくった酒米を使いました高級な日本酒づくりですとか、池川町の完熟トマト、また、土佐清水市で完熟パインをつくる、池川町や仁淀村でお茶をパウダー化する、さらには清水サバを燻製にするなど、さまざまな具体的な商品づくりが進んできております。
今年の十月には通信販売が始まりますし、また十一月には東京の銀座に農産物一次産品を売るユニクロの第一号店ができることになっています。ユニクロと言いますとアパレルで代表される安売りの商法を思い浮かべがちですが、この一次産品農産物に関しては、安売りではなくて、むしろ永田農法という付加価値づけを売り物にした割高商法というものを考えておられます。
いま挙げましたのは一例で、もちろん永田農法はこれがすべてだということで申し上げているわけではありません。けれども、「環境」、「健康」ということをテーマにしたモノづくりは、これからどうしても欠かせない課題だと思っております。
県でも農業の分野ではすでに環境保全型畑作振興センターでISO14001を取りましたが、そういう生産・研究の現場だけではなくて、農業者や園芸連、販売流通を含めてすべてをISO14001で結んでいく、ISOのチェーンで高知県の農産物を売り出していく、そんなことも計画しています。
また、「環境」、「健康」ということで言いますと、一次産品だけではなくてすべてのモノづくりに大切な課題ですので、ご承知のように「高知エコデザイン協議会」というものをつくって、産・官・学・民が一緒になったさまざまな取り組みをいま進めております。
こうした中では、エコアス馬路村の間伐材を使ったモノづくりですとか、大正町を中心にした四万十川沿いの自然エネルギーを使ったエコロギー四万十という会社など、地域づくりにかかわるような会社もぜひ支援をしていきたいと思っています。
一方、既存の企業の中では、ミロクテクノウッドさんがつくっておられます木のハンドルが大手の自動車会社で環境に優しい自然系の商品として大変売れ筋になってきており、すでに県内で三百人の新しい雇用ができています。
ただ、たいへん競争の厳しい分野ですから、こういう新しい雇用が失われないように、さらなる技術開発の支援などをすることによって、まだ数少ない元気さの素ですが、そういう元気さを県としても後押ししていきたいと思っております。
*医療特区をつくる
一方、健康ということでは、高知県立中央病院と高知市民病院が統合した新しい病院がPFI事業としてスタートすることになっています。いま一次の募集が終わり、それを通った四社で二次募集が行われておりますが、今後十月の末にはPFI事業の契約をして、十七年三月の開院を目指して十一月から工事をスタートしていければ、と思っております。
お聞きしますと、経済産業省では、さまざまな分野での経済特区を各地域につくっていこうという構想の中で、医療特区という新しい経済特区もお考えだといいます。
そこで、この二つの病院が統合される新しい病院では、ぜひこの医療特区に手を挙げることによって、医療関係のビジネスを起こしていくということにつなげていければと思いますし、さらにカラ元気の勢いで言えば、近くにある国立療養所の跡地もそのままにするのではなくて、新しい医療センターと連携をし、そして民間のご協力も得られれば、そういうところに高齢者が住んでいくようなまちづくりを考える、そんなこともぜひ考えていきたい、検討するだけの価値のあるテーマではないかなと思っております。
*観光コンベンション協会の発足
もう一つ仕事ということに関して言えば、やはりなんと言っても即効性のある、経済効果のある課題として観光ということを除いてはいけないと思います。ただ、これまで行政も十分反省をしなければいけないことがいっぱいありました。また、民間の皆さんにも考えていただかなければいけないことがあったと思います。そこで、官民が一緒になってもう一度本気で観光のもり立てをしていこうということで生まれましたのが高知県の観光コンベンション協会です。
先日、まだ少し時期尚早かとは思いましたが、せっかく発足をした協会ですので、東京のほうで記者会見を開きました。そのときいくつかのテーマを申し上げましたが、そのうちの一つは、今年八月に第二回目が開かれます原宿表参道の「スーパーよさこい」です。
これは別によさこいソーランへの敵愾心とかライバル心ということではありませんが、やはり高知というものを東京という大きな市場で売っていく一つの機会ではないかと思います。こういう場を通じて高知のよさこい、また高知というものをもう一度売り込んでいければと思っています。
もう一つ力を入れて売り込んできましたのは、修学旅行、教育旅行の誘致でした。といいますのも、修学旅行はいったん決めていただきますと三年ぐらい続く、また百人、何百人単位というまとまりのある旅行になってまいりますので、たいへんその意味で力を入れる価値があるのではないかと思いました。
ただ、なんの情報もなしにはできませんので、今年の夏から東京の事務所に八人の修学旅行専用のリサーチャーを置いて、東京、神奈川、千葉、埼玉の四つの都県、千百の公立、私立の高校がありますので、すべての高校をまわって、どんなニーズがあるか、それに対してどういう課題があってどう応えられるかという徹底した調査をしていきたいと思っております。
併せて私は、「もし高知に修学旅行で来ていただくのであれば、私が出張で出前授業なり何なりをやってもいい」というリップサービスをいたしました。そうしましたら、翌日ある全国紙が囲み記事でそのことを書いてくださいましたので、さっそく東京の私立の高校から、「ぜひ高知に修学旅行で行きたいが、知事は出てきてくれるのだろうか」というお問い合わせがありました。といっても来年の話ですから鬼が笑うかもしれませんが、せっかくのお申し出ですので、そういうことにも対応できるような調整をしていきたいと思っています。
こういった話をしますと、また知事のパフォーマンスかといってご批判を受けるかとも思います。けれども私は、パフォーマンスだとかなんとかいろいろ言われても、自分で何か高知県のためにお役に立てることならば力いっぱい取り組んでいきたいと思いますし、また、野菜のコマーシャルのように全国に向けてカラ元気の笑顔をふりまいていければ、そういうチャンスがあれば何にでも使っていただきたいなというふうに思っています。
また、観光ということで言いますと、こうした団体の旅行だけではなくて、これからは女性の一人旅とかグループ旅、そういう旅にもきめ細かく応えていけるようなソフトというのが必要ではないかと思います。そういった点で、今年の職員提案の事業の中で、ややマイナーではありますがちょっとおもしろい企画がありました。
それは、目の不自由な、そして耳も不自由な重複の障害のある方を高知にお招きして観光を楽しんでいただくという企画です。といいましても、重複の障害のある方ですから、通訳介助者を二人つけて一泊二泊の旅行ということになりますが、具体的には、カツオのわら焼きの経験をしてもらってその香りや味を楽しんでもらう、土佐和紙の手すき和紙の実体験をしてもらってその和紙の手触りを感じてもらう、また四万十川などに手足をつけてそのせせらぎ、川面を渡る風を感じていただく、というようなかたちで高知県を感じてもらう旅という企画です。
ちょうど今年は全国障害者スポーツ大会が十一月に開かれますので、その意味でもタイムリーな企画ではないかと思いましたが、併せて、これまでであれば、目も不自由、耳も不自由という重複の障害のある方は、外に出るどころか他県に観光旅行に行くなど考えられないことだったと思います。
けれども、そういう常識、階段などのバリアだけではなくて心のバリアを外すことによって、また、それを受け入れるソフトをつくることによって、観光という面でも新しいソフトがつくっていけるのではないか、そんな視点も必要ではないかなということを感じました。
四 カラ元気から本当の元気へ
ということで、仕事に関していろんなお話をいたしました。少しマイナーなお話もありましたし、思い込みの話もあったと思いますが、今年これからの一年を考えてみますと、なんといっても国体と全国障害者スポーツ大会という大きなイベントがあります。
また、それを前にしまして、西の方では須崎市までの高速道路の開通、また東の方ではごめん・なはり線の開通といった交通の分野でのイベントがあります。大変忙しい中ではありますが、これらのことをどう少しでもプラスに生かしていくか、元気さに生かしていくかということも、みんなで考えていかなければいけない課題だなとつくづく思います。
たとえば国体という分野に関して言えば、せっかく四万とも五万とも言われる方々が全国からお見えになるわけですから、県内の特産物をそれぞれの市町村で売っていただくことはもちろんですが、どこか一カ所に集めて、そこに行けば県内のいろいろな特産品、自慢のものが手に入る、そういうスペースをつくることができないかなと思います。
また併せて、国体のあとに、国体のためにつくったいろいろな施設を、スポーツを通じた交流人口を増やすためにどうやって使っていくのかということも大きな課題だと思います。
また、ごめん・なはり線に関して言えば、せっかく漫画家のやなせたかしさんが各駅にキャラクターをつくってくださいましたので、そういうものを使って子ども連れや家族連れを呼び込むような仕掛けが考えられないだろうか、また海沿いを走るとてもロケーションのいい汽車ですので、たとえば季節によっては夕日を見るとか、さまざまなツアーが考えられるのではないか、そういうこともぜひ知恵を絞りたいなと思います。
それと同時に、今年ということではありませんが、観光に関して言いますと、西暦二○○四年、再来年のNHKの大河ドラマは「新撰組」です。これに関してこのあいだNHKの海老沢会長からお電話をいただいて、「高知県から坂本龍馬をぜひという要請をいただいていたけれども、坂本龍馬をもう一度というのは難しかった。
新撰組になったので、新撰組の中に少しでも多く坂本龍馬と桂小五郎を出していきたい」というお約束をいただきました。そうであれば、たとえば坂本龍馬の役はぜひキムタクにやってほしいというような要請をやってみたらどうか、また、京都と脱藩の道をつないでいくツアーを考えていくとか、さまざまなことをいまから考えていく必要があるのではないかなと思います。
また、ツアーということで言えば、先ほどヤシガラネットのお話をしましたが、四万十川の流域では木の香る道づくりとか、近自然工法とか、さまざまな自然に優しい工事が行われています。そういうものを見て歩くツアーも、私は十分ツアーとして成り立つ時代ではないかと思います。
それに加えて、先ほど言いましたSMAPの公演等々、やろうと思えば、考えれば、いっぱい出てくるカラ元気の素があるのではないかと思います。
ただ、私自身もさまざまなことで手一杯ですし、公務員の悪口を言うわけではありませんが、公務員がこういうことを考えようと思ってもなかなかこれまでの発想の枠から抜け切れないというところがあります。ですから、できれば、緊急雇用の基金とか、契約社員でもいいですから、そういう方々にお願いして「カラ元気プロジェクト」みたいなものをつくって、こういうものに対応していくことができればと思いますが、果たしてそれもカラ元気だけの話に終わってしまうかもしれません。
ただ、今日お話ししました「人を育てる」、「地域を育てる」、「仕事を育てる」ということで言えば、地域も仕事もやはりそれを担っていく人が育つかどうかにかかっているだろうと思います。そういうことから言えば、いろんな物差しで隠れている元気な人を掘り出していくということも大切ですし、また、いろんなことのできる人の力を借りる、人の誘致をしていくということによって、いま申し上げたさまざまな課題がカラ元気に終わらずに本当の元気に変わっていくように、精一杯がんばっていきたいと思っております。
五 おわりに
今年も多くの課題がありますけれども、自分は、ノー天気という意味ではなくてカラ元気で、この一年精一杯笑顔をふりまいてがんばっていきたいと思います。ぜひ皆様方からも、いろんなご叱声をいただくと同時にまた、一緒にやっていこうという、そういう気運を盛り上げていただければなと思いました。
ということで、今日もまたいろいろ詰め込んだ話をしてしまいましたが、ご静聴まことにありがとうございました。これで私の話を終わらせていただきます。