京都経営者協会での知事講演「高知から21世紀を語る」

公開日 2007年12月07日

更新日 2014年03月16日

京都経営者協会平成14年度定時総会特別記念講演会での知事講演「高知から21世紀を語る」

平成14年5月22日(水曜日)16時00分から17時00分(京都リーガロイヤルホテル)

はじめに

 ただ今、ご紹介をいただきました橋本でございます。本日は、お招きを頂きまして、誠にありがとうございます。京都で講演をさせて頂きますのは、NHKの記者時代に、ロータリークラブの総会にお招きを頂いて以来だと思います。

 京都には、知事に就任しましてからも、パネルディスカッションのパネラーだとか、京都の高知県人会の総会、さらにはお茶会へのお招きなどで、ちょくちょく訪問させて頂いておりますし、また、本日新しく京都経営者協会の会長にご就任なされた宝酒造の大宮さん〔注:宝酒造株式会社取締役社長 大宮 久 氏〕には、四万十川のキャンペーンということで大変お世話になっておりますので、そのようなご縁もあります。

 さらに、もう四半世紀の前の事にもなることでございますが、NHKの記者として大阪放送局に勤務をしていました時に私の家族はJRの高槻駅から歩いて、10分程度のマンションに住んでおりましたので、休みの時には快速で京都にやってきて、家族で一日を過ごしたというような思い出がございます。

 それと、プライベートなことを申しましたついでに、さらに個人的な事を申しますと、今はもう年老いて故郷の宮崎に戻り余生を過ごしています私の家内の母が、かなり長い間京都市の吉祥院にございます、ある企業の住み込みの寮母をしておりました。

 そのために、私ども夫婦は結婚前から、よく京都でデートを重ねていました。ただ、今は私の息子でございますが、家内には亡くなった前の主人との子供がいたというところから、当時周囲の方からは「やはり別れた方が良いのではないか」と言われたこともありました。このために、嵯峨野の常寂光寺に行きまして、お堂の縁側に2人腰掛けて、紅葉の葉っぱを見ながら、よく日暮れまで「ああでもない、こうでもない」と話し合った記憶があります。

 と言ったことで、幕末の大スターの坂本龍馬や中岡慎太郎のご縁を持ち出すまでもなく、大宮さんや霊山護国寺以上に京都には、私にとってゆかりの地があちこちございます。そのような意味合いで京都経営者協会から、今回お招きを頂きましたことを大変嬉しく思いました。

 けれど、この1週間を考えましても、一昨日はIWC(国際捕鯨委員会)の関係で、下関に日帰りの出張をしておりました。また、明後日からは、青森で、先程司会の方の紹介がありました、改革派の知事で構成しています会合がありますので、3日間出張する予定です。このようなバタバタの毎日でございますので、新しい話のネタを仕込むというようなゆとりをつくることが出来ませんでした。

 早いもので、私が知事に就任しまして、もう10年間になりましたが、いまだ県政の経営ということでは、まだまだうまくいってはいませんので、名だたる経営者の皆様の前で話をするのは、大変気恥ずかしい思いがします。

 また、その上、本日いただきました演題は、『高知から21世紀を語る』という、見ただけで名前負けをしてしまいそうな大きなタイトルでございまして、その点も大変気おくれしてしまいますが、これくらい大きなタイトルでしたならば、逆に何を話しても大丈夫だろうというずるい思いもありまして、そのまま提示頂きましたタイトルでお話をお受けする事にいたしました。

 ただ、闇雲にこうお話をいたしましても、四方山話に終わってしまいそうですので、経営者協会での講演会ということに引っ掛けまして、「行政の経営」「地域の経営」そして「地場の産業の経営」というような、三題で話をさせて頂きたいと思います。

 私は、今年の2月から3月の間に、関西地区のテレビで放送されました「高知の野菜のマーシャル」にも自分で出演しましたように、高知県を少しでも売り込んでいくのも、自分の仕事だと思っていますので、話の中に高知県の企業のPRが若干出てきますことを、お許しいただきたいと思います。

 同時に、先程司会の方からお話を頂きましたが、1時間程の講話をさせて頂きますが、話を始めますと中々止まらない性質でございますので、もしかして、若干時間が超過することになるかもしれませんので、その点も予めお許しを頂きたいと思います。
 というような言い訳をしますと、肩の荷も降りましたので、ここから本題に入らせて頂きます。
 

「行政の経営」

 最初の、行政の経営に関して申しますと、10年余り前に、私が知事に就任した時に、最初に県庁の職員に言いましたことは、「意識改革の必要性」ということでございました。

 具体的に申しますと、「県庁というのは、県民の皆様にとってのサービス機関、サービス業なのだからサービス精神が溢れた仕事をしょう」ということに始まりまして、「色々な事業をしていく時の費用対効果を考える」ということを話しました。

 さらに従来のように、補助金を上から下に流していくというような仕事の組立てが中心ではなく、それぞれの職員が与えられている持ち場で抱える課題やニーズに対して、マーケティングを充分に行い、そのマーケティングに基づいて、自ら政策や事業を考えていく、そういった下から上に積上げるような仕事の組み立て方が出来ないだろうか、という事を就任直後から訴えて参りました。

 同時に、開かれた県政や県民参加の県政を実現するために情報公開の推進や、県民の皆様に参加をしていただいて一緒に予算作りを経験していただくといったようなモデル事業の実施など様々な試みに挑戦してまいりましたが、なかなか改革の動きが組織を挙げてのダイナミックな動きにつながってまいりません。

 そこで、何とか改革の流れを確かなものにしていきたい、また時代の変化に応じて、自らが変わっていけるようなシステムを、県庁という大きな組織の中につくりあげていきたいという思いで始めましたのが、「行政経営品質の向上」というシステムでございます。

 これは、1995年に社会経済生産性本部が始められました、「日本経営品質賞」を基本にしたものですが、「経営だ、品質だ」と言いましても、なかなか行政の世界に、すぐさま受け入れられるものではありません。特に、利潤を追求します企業と行政では、全くその原理が違うため反発とか拒否反応がすぐさま出てまいりますし、そういう反発は当然、事前に意識はしていました。

 ただ、私自身、「この日本経営品質賞を行政の中に、何とか当てはめることが出来ないだろうか」という提案を職員から聞いた時に違和感は憶えませんでした。

 と言いますのは、私達は誰を相手に仕事をしているのか、つまり自分達のお客様は誰なのか、またお客様のニーズをどのように捉えていくのか、さらには時代の変化とか、環境の変化とかをどのようにして捉え、それをどのようにしてビジョンとして確立して行くのか、また、その確立されたビジョンを実行していくために、どのような仕事の進め方をしていくのか、いずれもこれは「経営品質賞」の審査の基準ですが、このような考え方は何も企業経営の範疇だけではなくて、行政の経営にとっても大切な事ではないかと考えたからでございます。

 けれども、本来は企業の中から出てきたものを、そのまま行政に当てはめるとしますと、先程申し上げました拒否反応が起こる事が目に見えておりましたので、これを何とか行政にうまく落とし込む手立てが出来ないか、県庁内にプロジェクトチームをつくり検討を行いました。その結果「経営品質賞」と同じく、7つのカテゴリーで、それぞれ5つの質問を行い、それを6つのランクで評価をしていく「行政経営品質シート」というものをつくりましたが、そのキーワードは「気づき」ということでございました。

 つまり、高知県庁ですと200程の職場がございますが、その職場の単位で、管理職から担当の職員までを含めて議論を行い、そこで自らの組織の持っている強みや、弱みというものに気づき、そして、その上で次の段階を目指して何をすれば良いかを考え、それを行動に移していく、それらを繰り返していくことによって、行政経営の品質や体質を代えていくことが出来るのではないかと思いました。

 また、こういう仕組みとは別に、外部の方にここがいけないと指摘をして頂いて、それを変えていくという、医学に例えれば、外科手術を行う西洋医学的のような手法というものも取り入れました。

 けれども、県庁という組織の体質そのものが改善しない内に、外科手術だけをしますと、その時は病巣が取れたとしても、同じ体質のままでは、また別の所から同じような病気が出てくるのではないかと考えましたので、3年、4年、5年と長い時間がかかりましても、まず体質の改善をしていく事が必要だと考え、そういう東洋医学的というか、漢方薬的な組織の体質の改革に期待をしたわけです。

 同時に、この「気づき」ということを中心においた背景には、高知県庁が持っています組織の上下関係の風通し、風土ということが挙げられます。と言いますのは、高知県庁には、毎年ほかの県庁との人事交流で何人かの職員が研修に来られますが、そういう方々と1年に1回程度、お話し合いをする機会がございます。その時には、「あなた方の県庁と、私どもの高知県庁と文化や風土で何かの違いがありますか」と必ずお尋ねをすることにしています。

 ある時に、このような質問に対して、ある県庁から来られている方から「高知の県庁では、昼間から担当職員が課長と対等で話合いをされている。それに比べて、私の県庁は、担当職員は係長、係長は補佐、補佐は課長に、というような上下の序列がしっかりしているので、昼間に担当職員が課長や部長に直接にお話をするような事は全くありません」そういった意味合いで、風通しの良さを感じたということを仰いました。

 また同時に、野球に例えてみれば、自分の県庁は監督の指示やサイン通りに動く高校野球のようなものだが、高知は担当職員でもサインに関係なく、高めのボールでも思いきって振っていく、いわば、メジャーリーグのようなもので、当たれば恐いなというような話をしてくれました。

 そこで、その話をある方に話をしたところ、「まあメジャーリーグというのは、ちょっとお世辞ではないか、本音は草野球か、早起き野球のようなものだと言いたかったのではないか」と言われたこともありました。

 それはともかくとしまして、高知県庁は他の県庁に比べて割と上下の風通しが良いようです。これは、職場毎に管理職から担当職員までを含めて、話合いを行い、自己点検をして気づくという行政経営品質のシステムには馴染むのではないかと思いました。

 このようなことで、この3年間、県庁の200程ある職場で、この行政経営品質向上システムの取り組みを続けております。

 先日、庁内でアンケートを取りましたところ、共通の理解や認識が広まったというようなプラスの評価から、やはり企業で生まれたものは、行政には合わないといったような拒否反応まで様々なものがありました。

 また、このようなものに取り組んできて、果たして効果があっただろうか、という問いかけに対しまして、YESとNOの解答が、ほぼ拮抗しているような状態にありました。

 大体、知事が逐一確認を行いながらやっている政策ですので、普通であれば大して効用がないと思っていましても、効用がまあまああったと答えるのが、行政マンの習いではないかと思いますが、そのような状況の中でも、まだYESとNOが半々の答えしか出てこないということは、本当に効用があると思っておられる方はまだまだ少ないのではないかと思いました。

 けれども、先程申し上げましたように、まずは、漢方薬をきっちりと服用して体質を改善していこうと考えていますし、この中で、1人でも早く体質が改善され、このことに率先して取り組むような職員が出てくればありがたいと思っています。

 実は、たまたま昨日ですが、「行政経営品質」を担当している事務局職員と話し合いを持ちましたが、その時事務局の職員が、ある若い職員が大変面白い話をしてくれたと言って、こんな話を紹介してくれました。

 その若い職員は、出先の事務所でこの自己点検作業をしてもらう時のリーダー役をしている職員ですが、最初職場の人達に対して「自分達のお客様は誰か、相手方は誰か」ということを話しても、なかなか振り向きもしてくれなかったそうです。

 しかし、電話の応対などを見ていますと、職場で10回以上ベルが鳴っても、なかなか受話器を取らない人がいっぱいいる。これをどのように問題解決をするのかというような具体的な事例を中心にお話をしていきますと、次第にお客様にどのようなサービスを行ってきているのか、お客様は誰かの議論が次第に出てきたそうです。

 そのような中で、「事務所で入札が行われる時には、多くの業者の方々が役所にやってきて、駐車場が大混乱となっている」というようなことをある人が言いますと、それならば「入札のある日には、職員は駐車場を使用するのを遠慮しようという張り紙をしたらどうか」というような提案があり、具体的にその張り紙をしたところ、入札の日でも駐車場をめぐる混乱がなくてスムーズな管理が出来るようになったと、その若い職員が嬉しげに話しをしていたということでした。

 このようなことは、日々の中の小さな出来事でございますが、こういう小さな成功体験、小さな気づきが、だんだんと積み重なっていき、次第に大きくなっていく中で、行政経営の品質の向上、体質の改善に繋がっていくのではないかと思いました。

 以上が、高知県で取り組んでいます「行政経営品質の向上システム」という内容でございます。
 このシステムの中であげました「気づき」ということで申し上げれば、自分自身が3年間取り組んできて、気づいたことがございます。

 それは、何かと言いますと、このシステムは企業経営にとって、もちろん必要だとは思いますが、むしろ、行政経営などに必要なシステムではないかということです。と言いますのも、企業の場合は、利潤や営業成績など目指す目標を割と簡単に数値化することが出来ます。

 これに対して、行政で成果目標を数値化するということは、なかなか難しいところがあります。しかし、この行政経営品質システムで審査基準を設けて、その上のランクを目指そうということになりますとこれが一つの目標となる訳です。

 また、県庁のような減点主義で動いていくような大組織の中で、加点主義的なプラスを目指すというような意識を醸成していくのに、役立っていくのではないかと思いました。同時に、これまでの行政ですと、法律や行政の枠組みの中で、これらをうまくこなしていけば済んでいました。もちろん、これからも行政マンである以上、法律や行政制度のあり方をきっちり知っていて業務をこなしていかねばなりません。

 しかし、先程も、行政マンの意識改革と申し上げましたように、これからは自らがマーケティングを行い、色々な政策を考えていかねばなりません。

 その時に、今ある制度であるとか、枠組みや規制がおかしいと思えば、勇気を持って変えていくという、そういう能動的な提案が出来ないと、これからは公務員もつとまらないのではと考えます。

 そういうような新しい時代にふさわしいような公務員づくり、人づくりということにも、この「行政経営品質向上のシステム」が役立つのではないかと考えています。

 人づくりということを言いましたが、こういうシステムは、併せて、人事と人材の登用にも連携が取れるやり方をしていかなければならないと考えています。そういう意味から本県では、職員の研修を行う機関の名称をこれまでの「自治研修所」から「職員能力開発センター」に変更しました。

 同時にこれまでですと、課長ならば、課長になった後に管理職に必要な研修をやっていましたが、これからは管理職になるための必要な能力、すなわち、管理職になるためのメニューを示して、その能力を身につけるための能力開発の研修を受けてもらって、その一定の能力水準を身につけた方を管理職に登用していくという仕組みに、ぜひ、変えていきたいと考えています。

 この時に、能力開発研修の概念として使っていますものも、企業で普及しましたコンピテンシーという考え方でございます。このコンピテンシーというものは、企業の中で成績の良い人や成功した人、そういう方々をモデルに、その方の行動特性を分析し、その特性を身につけるような能力開発の研修をしていくという考え方ですが、行政の場合は企業のように成功した人というようなモデルが、なかなか探し難い面があります。

 先程も申し上げましたとおり、従来型の法律や制度をうまく運用するだけの行政マンだけではなくて、もっと能動的に色々考えて、改革を目指すとなると、なかなかモデルをつくりにくい面があります。

 そのような時に、先程申し上げましたような「行政経営品質システム」の審査基準を一つの手立てにすることが出来ますし、また、この考え方を織り込んだ能力開発メニューを作りまして、昨年度は、その主旨に基づいた課長職への教育研修をいたしましたので、今年度は、課長補佐や班長、さらには出先の次長の職につく場合の能力メニューを示しまして、その研修を6月から、実施をしていきたいと考えています。

 今申し上げましたような、行政の経営品質の向上システムにしろ、またコンピテンシー型の能力開発の研修にしろ、なかなか行政の中に理解が広がることではございません。

 しかし、こういうものを地道に続けていくことによりまして、21世紀の行政のあり方を自ら変えていけるような、そのような県庁をぜひ目指していきたいなと考えています。
 以上が、行政の経営という事でございます。
 

「地域の経営」

 続きまして、地域の経営ということに関しまして、まずは、森林のお話をさせて頂きます。と言いますのは、わが県は、県面積の84%が森林で占められている、全国一森林の占有面積の比率が高い県でございます。

 しかし、わが県だけではございませんが、森林は木材価格の低迷や後継者不足などの問題から、なかなか手入れが行き届かないという時代になってしまっています。このために、従来森林が果しておりました山に水を蓄えるという水源をかん養する機能とか、また崖崩れや土砂崩れを防ぐ国土を保全する機能というような公益的な機能がどんどんと失われてきているところです。

 そこで、この森林の大切さというものを、県民の皆様にもう一度見直してもらう、そして、森づくりのために、何かの行動を起こしてもらう、そんなきっかけつくりということで、高知県では「水源かん養税」という名前の新しい税制を検討しています。

 そもそも、この税制度を考え始めましたきっかけは、一昨年に制定されました「地方分権一括法」によりまして、法定外の目的税とか法定外の普通税ですとか、地方で独自課税がこれまでより手続き的に割と楽に出来るようになったことがきっかけでございました。このため、一昨年の4月から、県庁内で独自課税のあり方を検討してきました。

 その中では、三重県さんが出された「産業廃棄物への課税」とか、プレジャーボートに対する課税はどうかとか色々な課税提案が関係者から出されましたが、徴税のための実費が税収に較べると大変多くかかるとか、様々な問題が出てきました。また、そもそもいくら地方分権になったと言っても、地方で新しい税金が増えるというのは、県民の皆さんにとっては、この地方分権とは何だったのかと言われかねません。

 そこで、高知県では一般財源の補填のための新しい税制ということではなくて、むしろ、県民の皆様にはこれまでは考えてこなかったような、新しい事に目を向けてもらえるような政策的な目標を持った、新しい税を考えようというようなものを検討してきました。

 そういうものの中から出てきましたものが、先程申し上げました「水源かん養税」という税制でございます。具体的には、昨年から、県と市町村の職員とでプロジェクトチームをつくりまして、その内容を詰めてまいりました。そして、昨年の10月には、2つの試みの案を出してきました。

 一つ目の案は、水道を利用されている方に課税をしていくというやり方で、これは法定外の目的税にあたります。二つ目の案は、通常の県民税に加重の上乗せをして、税金を徴収させて頂くというやり方でございます。

 いずれも税収増は年間1億1千万から1億5千万円位で、県の収入からすればわずかな税収でございますので、それならば一般の財源から捻出できるのではないか。その程度の税収額で新しい税制を制定して負担増を付するのは如何なものだろうか、というような意見もございます。

 これも、もっともなご意見ではございますので、こういう新しい税金収入で、先程申し上げました、水源のかん養や森づくりの面で、これまでとどのように違うのか、事業にメリハリを持たせて活用目的を明確にしていかなければならないということ、これまで以上に重要になってきます。

 一方では、新しい税制をつくって、それによって森づくりとか、森林の環境の大切さを考えるきっかけを作ることも大切なことではないかと考えました。

 そのような中で、香川県さんは、高松市が使用する水の大部分を本県にあります早明浦ダムから供給を受けているということから、本年度の予算で早明浦ダム周辺の森林の保全に香川県の予算を使うという、従来にない画期的な予算に取り組まれました。このように県の境を越えて森林の保全を考えるという事は、大きな一歩ではないかと考えます。

 併せまして、徳島県さんでも水源保全の取り組みが進んできていますし、先日は、愛媛県の加戸知事さんとお話をした時も、高知県がやってくれるならば、愛媛県でも必ず、続いてこの水源かん養税に取り組むと申していただきました。

 やがては、四国全体でこのような「水源かん養税」を導入し、これを四国の森づくりや森林環境の保全に役立つ時代がやってくるのではないかと考えます。

 同時に、この2月に高知県の県議会で議員の方から、「海の日」があるのだから、「山の日」もつくってみたらどうかという提案がありまして、「それは良い案ですので、ぜひやってみましょう」とお答えをいたしました。

 と言いましても、今年度からすぐにとはいきませんので、現実的には来年度からの実施ということになりますけれども、「山の日」をつくりましたら、県の職員はもとより県民の皆様に出来る限り多くの方に山にでかけて頂きまして、色々なボランティア活動をしていただき森林浴でもしてもらいながら、森林の状況を良く見てもらうような動きに繋げていきたいと思っています。

 このように「水源かん養税」というものを通じて、森林を四国全体で守ることが出来れば、それがさらに大きな動きになって行き、全国への情報発信になるのではないかと考えています。このことによって、21世紀に向けての日本にとっても大切な森林というものを考える大きなきっかけが出来るのではないかと期待を持っています。

 地域の経営ということで、いきなり森林のお話になってしまいましたけれども、もう少し身近な地域のお話で、市町村の町おこしについて、触れさせていただきたいと思います。

 町おこしを考えるときには、その町の顔、キャッチフレーズ、またはセールスポイントをどうするかということが大きなテーマになってまいりますが、本県の中でも、町おこしで割合有名な馬路村という村がございます。

 この村はユズの生産地でございます。と言いましても本県自身が全国一のユズの生産県でございますので、馬路村だけのことではございませんが、この馬路村でもかなり前までは、ユズを生産しそのまま果実として出荷するか、ユズを絞ってユズ酢にして出荷することしかしていませんでした。

 ところが、ある年にユズの生産が過剰となってしまい、ユズ酢が大量に余ってしまったそうです。そこで、ユズを活用してジュースやぽん酢醤油が作れないかということで加工品つくりを始めたのがきっかけでした。

 しかし、いきなりそんな加工品を作っても、すぐに売れる訳ではありません。そこで、JAの担当者が、東京や大阪に出かけて、デパートや量販店を回り売込みを行い、そして買ってくださった消費者のデータを顧客リストにまとめ上げて、毎年毎年、自分達でダイレクトメールを出すことを続けていきました。

 そうこうして、10年ぐらい経ったところで、あるデパートが主催されておられます「日本の101村展」というもので最優秀賞をいただきました。その時に、普通の町や村であれば、町長さんや町議会の議員さんが出てきて、その賞金を使って「いやあ、良かった。良かった」と酒を飲んで喜んで終わりになるというのが、今までの高知県での例ではなかったかと思いますが、この馬路村は、そこが違いました。

 いただきました賞金をプールして、それで次のパッケージデザインを考えたり、マーケティングを考えることに活用されました。

 そして、どんどん売上げを伸ばして、今や2,000人足らずの小さな村ですが、「ごっくん馬路村」というユズジュース、また「ゆずの村」というぽん酢醤油などのユズ加工品だけで、年間27億円の売上げを上げる程に成長してまいりました。
 このように地域の顔、セールスポイントをどうつくるかということが地域にとって、大きなテーマでございます。

 ところで、昨年の6月から「鍋焼きラーメンプロジェクト」というものを、立ち上げました町があります。町といいましても、立ち上げた所は、高知市から西の方に1時間ばかり車で走りました須崎市というところです。
 実は、今年は高知県で国体が開催されますが、これに先だって須崎市まで高速道路が開通する事になっています。

 ところが、須崎市というのは、その町の顔は何だと言われても出てくるようなセールスポイントがなかなかありません。そこで、何かセールスポイントをつくろうということで、商工会議所やJCの若手の方々が知恵を絞って話をしている内に白羽の矢が当たったのが、鍋焼きラーメンでございました。

 と申しましても「鍋焼きラーメンとは一体何ぞや」と、皆さんから思われるでしょうが、これは実は戦後間もなく須崎市に開店しました某食堂の親父さんが、ラーメンの注文を受けた時にその出前の途中で冷えてはいけないというので、土鍋に入れて運んだというのが、この鍋焼きラーメンの発端でございます。

 それが話題になりまして、定番の商品にまで発展するまでファンが増えました。このために、その食堂が昭和50年代に店を閉じてからも、須崎市内には、根強く鍋焼きラーメンなるものが続いてまいりました。

 そこで、昨年の6月にこの鍋焼きラーメンによる町おこしのプロジェクトが立ち上がったわけですが、地元新聞がそのことを大きく報道をしましたところ、これまで17軒位しかなかった鍋焼きラーメンの店舗が、今では30軒くらいに増えています。

 なかには、鍋焼きラーメン中心に看板を書き換えたお店も出てまいりましたし、また、アルバイトの店員を増やした所のお店も出てまいりましたので、一定の経済効果も出てきています。

 では、それでは肝心のお味はどうかということで、今年の2月末に私も須崎市に行きましたついでに、この鍋焼きラーメンでは老舗と言われますお店に立ち寄り、このラーメンを頂きました。そこのお店は鶏ガラスープのさっぱり味で、私自身は、大変美味しくスープまで飲み干しました。

 しかし、よく聞いてみますと、鍋焼きラーメンと言っても土鍋に入れるというコンセプトだけが共通で、中のスープ味はバラバラであるということでした。ですから、しばらく前のことですが、テレビで全国ラーメン選手権のような番組がございましたが、ここで須崎の鍋焼きラーメンは、何と1回戦で京都のラーメンに負けてしまったというようなことがありました。

 「にしんそば」に負けるならばともかくとして、京都のラーメンに負けているようでは、先が心配だなと思いますが、このように、まずは味をきちんと均質にして、レベルを上げていくことがテーマかなと思っています。

 また、須崎の鍋焼きラーメンと言ったときに、その特徴がパッとわかるような特徴づけが必要ではないかと感じます。と同時に鍋焼きラーメンと聞いた時に、私はもしかしたらどこかの会社が既に商標登録をしてはいないかと心配になりまして、担当の職員に聞きましたらすでに鍋焼きラーメンという名前を商標登録されていました。

 実は、後でお話をいたします「海洋深層水」に関しましても、私が知事になりまして間もない頃に、一般名称だから認められないだろうけれども念のために商標登録を申請したらどうかと指示しましたら、これもこの時には既に大手の食品会社2社が申請を出していました。

 こういうことからも、「地域の経営」ということを考えましても、やはり企業経営との競争とか連携だとかいうことを充分に考えていかなければならないなと実感しました。同時に、先程申し上げました大手の即席ラーメンを作っておられる会社が、須崎の鍋焼きラーメンに関して、別段文句を言われることはないだろうと思います。

 けれども対立の競争相手と考えるのではなくて、須崎の鍋焼きラーメンをもっともっと有名にしましてその商標登録を持っておられる大手の会社が、「それでは一緒に何か新しい仕事をやりましょうね、一緒に企画をやりましょうね」と言っていただけるような、そういう地域経営が出来るようなプロジェクトに、ぜひ育っていければと願っています。

 以上で「地域の経営」についてお話をしてきましたが、次に三つ目の「地場の産業の経営」に関しましての話に触れていきたいと考えます。

 
「地場産業の経営」

 高知県は、先程も申しましたとおり、日本一、森林占有面積の多い県です。裏を返しますと、工場などの用地になるような平地が少なく、地方の割には土地の値段が高いというハンディキャップがございます。また、東京や大阪などの大きなマーケットから遠い。このために、物流コストが高くついてしまうという、距離に関するハンディキャップもあります。

 こうしたことから、自動車産業とか電機産業等の組立て加工型の産業を中心にしていました日本の高度経済成長の波には、完全に乗り遅れてしまった県でもあります。また、工業製品の出荷額は、国が産業振興に力を入れておられる沖縄県にも抜かれてしまい、全国で最下位に位置している状況です。

 こうしたことから、税収も伸び悩んでいますし、また若い人達から見れば、自分が働きたい職場が少ないということで、若い人が県外に流出していくということにつながっています。

 このようなことから、県の地場の産業を強めていくことによって、少しでも雇用の場を広げていくということは、これは全国どこも同じでしょうが、高知県では、特に重要な課題となっています。その時に、単なるコスト競争だけでは、中国にはかなわないということになりますから、コスト競争に陥らない付加価値のある地域産業の経営の模索が、今後、重要な視点ではないかと考えています。

 ということで、まず一つは、情報化の活用ということでお話をしたいと考えています。

 本県では、情報化という点では、全国でも先駆けて取り組んで来た県でございまして、1997年から2001年までの5年間「情報生活維新・こうち2001プラン」と名付けた取り組みを進めてきまして、情報基盤の整備や9個のプロジェクトによる様々な実験事業等をしてまいりました。こうしたことを通じまして、高知県内の情報関連企業の力も次第に増して来たのではないかと考えています。

 しかし、県内の情報関連企業各社のお取引先を見てみますと、やはり産業の基盤の弱さというところから、製造業とか金融機関の割合は大変低く、県庁をはじめとした県内の自治体からの発注が中心を占めているようです。また、大手ベンダーからの下請け比率が大変高い状況にあります。

 こうしたことから、県庁をはじめとする自治体からのアウトソーシングを増やしていく、また、電子自治体すなわち自治体の電子化を進めることによって、こういう県内の企業の足腰を強めていくという努力が一方では必要になってまいります。

 ただ、このような下請けだけの仕事、すなわち自治体からの発注や大手のベンダーからの発注だけを受けていただけでは、なかなか独自のソフトの製品を持つ企業が育ってまいりません。そこで、何とか独自のソフトの製品を持つような企業を育てる。県として何とかお役に立てないかなということを検討してまいりました。

 どういうことかと言いますと、これまでは県がシステムを発注しまして、企業の皆様と一緒にシステムを開発した場合には、そこでできました著作物の著作権や特許権は全て県に帰属するというものでした。つまりできあがって納入を受けた商品を、改めてその商品をビジネスとして再利用する事を想定しておりませんでしたし、県の規則で制限を設けていました。

 そこで、産業振興を目的に、こういう規則を改めまして、成果品の著作権やビジネス特許を取得された時の特許権などを、その企業にお渡しして占有していただき、知的所有権のもとにビジネスの展開をしてもらうという仕組みを考えました。

 なぜ、そのようなことを考えたかといいますと、そのきっかけは平成11年から12年にかけて行った県庁内のあるシステムのダウンサイジングがきっかけでございました。一般的に、ダウンサイジングをする時には、コントローラーもアプリケーションも全部取り替えてしまうそうですが、本県にはシステムエンジニアのような知識を持った者がおりませんので、「コントローラーはともかくとしても、折角のアプリケーションを捨ててしまうのは、もったいないのではないか」ということで、アプリケーションを残してそれをクライアント・サーバーに落とし込める事が出来ないかという注文をいたしましたところ、受注してくださった企業さんが、色々と工夫してその注文を実現してくださいました。

 その結果、本来ならば3年間程かかる予定の期間も1年半くらいに短縮する事が出来ましたし、また7億から10億円くらいを想定していました予算も、2億5千万円くらいで出来ました。

 そこで、このビジネスモデルをビジネスモデル特許として申請したらどうかと考え、今年の4月1日に特許申請をいたしました。ただし、特許庁は大変混み合っていますので、審査には1年半くらいかかるということのようですが、この特許を待たずとも、著作権でどんどん仕事を展開してくださいと言っています。

 私も、あちらこちらでお話をする機会がありますのでこの成果を言い回っておりますが、その結果、幾つかの自治体からお問い合わせがあって、この5月8日には福岡県の財務会計システムのダウンサイジングで、その企業が落札をさせていただきました。

 成約は今月末と聞いておりまが、あと2県ほどからもお問い合わせを頂いています。企業側もこの1社だけではなくてグループを組んで、その受け皿をつくっていこうとしています。こういう面でも、新しいビジネスチャンスが広がるということを期待しています。

 また、情報化はいい古されたことではありますが、日進月歩の世界でございますので、企業が思いきって仕事が出来るような高速大容量の情報基盤、ブロードバンドの整備は、もちろん必要です。それと同時に、情報関連の企業だけではなくて、既存の一般企業にも経営の革新という面で、情報の技術を持った人材の育成は、必要不可欠な課題だと考えていますし、そういう支援も、県として是非していきたいと考えています。

 人材ということを、今申しましたので、次は、地元の大学を活用した地場の企業育成ということを、お話をしたいと思います。

 私が、知事に就任しました頃には、高知県には工学系の大学とか、大学の工学部が一つもありませんでした。これからの21世紀の産業ということを考えてまいりますと、先程も言いましたとおり、コスト競争では中国にはとてもかないません。ですから、付加価値の高いものづくりや付加価値の高いビジネスモデルをつくっていく、そういった技術開発やパテントが地方になければいけませんし、またそれを担っていけるような人材がいければいけないと思いました。

 そのようなことから、県が土地と建物を提供して、後は学校法人のかたちで運営していく公設民営の考え方で立ち上げましたのが、高知工科大学という大学です。設立は1997年の4月ですので、今年の3月には2期目の卒業生を社会に送り出しました。

 すでに、3年前には大学院、2年前の4月には企業と共同研究を行う連携研究センターも設立しています。
 このうち、大学院には起業家コース、つまりアントレプレーナーを目指す人を養成するコースをつくっていまして、現役のビジネスマンや企業の経営者など70人近くの方に受講をして頂いています。

 また、現役のビジネスマンに多く受講をして頂いていますので、講義は土曜と日曜とし、東京や大阪にも教室を設けまして、テレビ会議の形で受講ができる仕組みを取っています。来年度からこのような起業家教育を大学院だけではなく、一部の学部・学科に広めていき、大学発のベンチャーを育てていきたいと考えています。

 大学発のベンチャーといえば、高知工科大学には、これまで8つの大学発のベンチャー企業が誕生していますが、そのなかに高知の観光情報などをインターネットで提供する高知ナビという会社があり、現役の学部学生が社長をしています。

 一昨日には、ここの社長が京都大学にお招きを頂きまして、新産業創生論という講座で「ベンチャー企業での学生の立場」というテーマで講義をさせてもらったようです。その講義の結果の報告は、まだ伺っていませんが、こういった分野でも京都とのつながりができたと思い、大変嬉しく思っています。

 もう一つの、企業と共同研究を行う連携研究センターには、既に20社近くの企業に入居いただき、様々な研究が進められているところです。その中のいくつかを紹介しますと、まずコンニャクを使って、ひき肉と同じような食感の食材をつくっていこうという研究があります。

 今は、ちょっと事情がありまして、研究の方は停滞していますが、試作品はすでに出来ていまして、私も食べさせてもらいました。確かに、食べますとひき肉のような食感がいたします。その研究グループによりますと、もともとは、コンニャクはヘルシーな食べ物ですし、その上にBSEの心配もいらないわけです。ひき肉のバーガーに取って代って、コンニャクのバーガーがあたれば、大儲けできるなと皮算用をしている訳です。

 また、先程本県は森林県だということを申しましたが、木材価格の低迷により、高い付加価値を求めるなかで、間伐材をどのように活用していくかが大きな課題です。

 そこで、ヒノキの間伐材の中から、ヒノキのエキスを取り出して、これをディーゼルの排気ガスの中に混ぜることにより、排気ガス処理に活用していく研究をしているグループもあります。すでに、広島にある企業と一緒になって試作品等もできていますし、会社も立ち上がっています。いきなり乗用車に適合することは無理にしても、例えば工場などに置かれていますフォークリフトなどに使えないかなどの研究も行われています。

 もう一つは、全く別の視点ですが、高知県は人口に占めます65才以上の高齢者数が、全国で2番目に高い県で、高齢化の先進県です。

 そこで、車椅子に乗ったままで、お年寄りが入りやすいような新しい形のお風呂の研究をしているグループがあります。これは、どういう内容かと言いますと、通常のお湯に入るようなお風呂ですと、車椅子の方に対して、施設の職員の方が何人もの作業で、お風呂に入れなければなりません。このために、毎日毎日、気軽にお風呂に入ることが、なかなか出来ないのが現状です。

 そこで、お湯を使わないで、細かいウレタンの粒を動かすことによって、身体を洗うという研究です。もう少し、具体的に申し上げますと、車椅子に乗られたお年寄りが、首だけ出してウレタンの粒が詰まった箱に入りますと、そこに石鹸水が出てきて、その後に温かい蒸気が動き始めまして、その蒸気によりまして、ウレタンの粒が散乱しまして、それが身体に当って、身体を洗っていく仕組みでございます。

 このようにして、口で説明しますと、何か機械的になされているので冷たく聞こえてしまい、年配の方々には往年のチャップリンの「モダンタイムス」などを思い出されるかもしれませんが、私も実験台になりまして、そのお風呂に入ってみたことがございます。

 そうしますと、ウレタンが身体に当たる痛みもまったくないし、ぽかぽかして大変気持ちの良い装置でした。これも、福祉機器やエステ用の機器として、大手の電機メーカーや化粧品メーカーから引き合いが来ているところです。

 このように大学をうまく活用した産業の経営に続きまして、地域の資源の活用ということで、幾つかの事例をご紹介させていただきたいと思います。

 その第一の事例としまして、取り上げさせていただきますのが海洋深層水です。
 これは、本県の東部にございます室戸市の沖合い海底320mのところで汲み上げています深い層にあるの海水のことです。

 これは、一般の海水とは性質が全く異なっていまして、温度も低く、安定しており、このために雑菌などの汚れも比較的少ないという特徴があります。一方で、栄養価も高く、ミネラルなどがバランス良く多数含まれていますし、保湿性とか味をまろやかにする成分などの様々な特質を持っています。

 太平洋を取り囲む地域に沿って、その海底を本当に長い長い時間をかけて回って行く、しかも表層の海水と交わらないとういう海流の流れがあるということは、それだけでも物語的でロマンチックな内容なので、私が知事に就任してからすぐにこの情報を耳にして、これは高知県としての売り物、顔になると直感しました。

 ところが、それから何年か経ちましても、養殖など水産の面での活用では一定の研究報告がなされてきますが、この海洋深層水がなかなかブレイクしません。そこで、もう6~7年前にもなりますが、いっそこの海洋深層水について、いろいろな企業さんに、自由に活用してもらったらどうかと考えて、企業への分水を始めました。

 そうしましたら、いっぺんに「飲料水」「食品」「化粧品」「ティッシュペーパー」に至るまで、様々な物づくりが始まりました。今では、室戸市の現地で、この海洋深層水を汲み上げて商業用に販売するような施設も出来上がっており、海洋深層水を活用しておられる企業は、今では111社を数える程になっています。

 また、シュウウエムラという化粧品会社とか、赤穂化成という兵庫県にあります会社がミネラルウォーターを作る工場を立ち上げています。雇用の面でも、すでに90人くらいの新しい地元雇用創出ができていますし、年間の海洋深層水に関する売上高も90億円程に上っています。

 ただ、このように海洋深層水というものに対する話題が高まってきますと、当然に競争も激しくなってまいります。現実に、富山県をはじめとしまして、各地で海洋深層水の取水が始まりました。

 ですから、これからは、この室戸の海洋深層水の特性を科学的に成分解明を深めて、さらに売り込んでいくということが必要になってきましたし、併せて、ブランドのPRが、大変に重要なものとなってまいります。そのようなことから、今年はこの関西や首都圏の地下鉄への広告や女性誌にPRしていくといったプロモーションをやっていきたいと考えています。

 もう一つ、地域の資源ということでいえば、先程から繰り返して申し上げています、森林、木材でございます。木は、木という素材そのものは勿論ですが、木を使う技術、木を加工する技術も地域の大切な資源です。

 この面で、一つの事例を紹介させていただきます。
 本県にミロク製作所という、ライフル銃を製作してほとんどアメリカへ輸出している会社があります。もともとは、捕鯨砲を造っていた会社ですが、その技術を活かしてライフル銃や、ショットガンを造って海外の輸出をしてきている企業です。

 このライフル銃を造るには、銃床という木の部分が必要ですので、木の部分の加工技術をずっと蓄えてまいりました。しかし、単に銃床を造るだけではなく、これまで蓄積してきた技術を使って木のハンドルが造れないか研究を行い、関連会社でミロクテクノウッドという会社を立ち上げ、今ではトヨタさんに納入できるようなところまで成長してまいりました。これのお陰で、雇用創出ができて、雇用がかなり確保されるようになってきています。

 この分野も大変競争が激しい状況です。今まではハンドル1本を作るのに1枚の木から切り抜くという加工をしてまいりましたが、そうではなくて、1枚の木を曲げて使うことが出来ないのかと、いう研究が始まりました。つまり、生産性でいえば10倍の費用対効果、コストでいえば10分の1のコストダウンの技術開発ができないかという研究を続けています。

 こうした木の加工する技術を活用するということも資源の経営ですが、実際に木そのものを資源として活用していくと、大きく前に立ちはだかってきますのが、価格の壁です。

 それは、どういうことかと申しますと、例えば本県に大正町という町があります。ここの森林組合が、集成材という木を薄く切って組み合わせた木材で造る事務机の生産をしています。この事務机が、天板からキャビネットまで、全部この集成材で作り上げますと、今は少し安くなっていますが、最初に県庁に納められました時の価格は、机1台あたり91,350円でした。これに対して、大手メーカーから納めていただいたスチール製の机は、23,100円でした。つまり、ほぼ4倍近い価格の差が出ているわけです。

 また、先程ユズのところでお話をさせていただきましたが、馬路村が第三セクターでエコアス馬路村という会社を作り、間伐材を本当に薄くスライスし、3枚組み合わせて木の皿やトレイを作っています。ところが、この木のトレイも発泡スチロール製に較べますと、コストで10倍くらいの差がついています。

 このように木だけではありませんけれど、21世紀のキーワードといわれています「環境にやさしい製品」というものを作っていきますと、コスト問題を避けては通れません。

 こうしたコストをどのように切り下げていくのかという技術革新と並んで、利用を増やす努力、これは単に消費者だけではなく、製造者である企業も含めて、皆さんの意識を少しでも変えていただきマーケットを広げることによってコストダウンを図るというようなことをしていかなければいけないと思います。

 そのためには、行政だけ、企業だけではやっていけませんので、本県では一昨年の9月になりますが、行政と企業、さらに研究者や県民も入っていただき「高知エコ・デザイン協議会」を立ち上げました。

 商品開発も、もちろんですが、これら「環境にやさしい製品」の消費の裾野、市場を広げていくように様々な運動をしております。こうしたことによりまして、ビジネスチャンスを広げることもこれからの課題だと認識しています。
 ということで、本県の3点目の「地場産業の経営」ということでお話させていただきました。

 今年の3月でしたか、堀場さん〔注:堀場製作所会長、堀場雅夫氏〕が、日本経済新聞のリレー討論の中で、「今、地域で元気な産業、企業は伝統の技術に裏打ちされている」と言われていました。例えば、セラミックは清水焼の技術、半導体は西陣の微細な描写や転写の技術が活かされているというお話をされていました。

 その記事を拝読しまして、先程、例に挙げましたミロク製作所のライフル銃生産も、まさに捕鯨砲という伝統技術を活かした企業でございますし、他にも本県でも伝統文化に裏打ちされた技術が幾つかあるなと、改めて思いを新たにしました。

 例えば、本県には電解コンデンサ製品の絶縁紙であるセパレーターで世界一のシェアを誇っている、ニッポン高度紙工業という会社がありますが、この企業も土佐和紙という手漉き和紙の技術から発達した企業でございました。

 また、サイレントパイラーという、音も振動も騒音もない杭打ち機を開発した、この分野では相当高いシェアを持っています技研製作所という会社があります。これも野中兼山以来の、わが国の土木技術ですとか、また土佐の打ち刃物、農機具といった技術の結晶として生まれてきたものではないかと考えます。このサイレントパイラーの場合で申しますと、これを考えられた社長さんが開発されたきっかけは、現場で杭打ち機の騒音が、あまりにもうるさくて、近所の人が怒って包丁を持ち出してオペレーターを追いまわしたということがきっかけだというエピソードをお聞きしました。

 そういったお話を聞きますと、「必要は発明の母」ということを改めて思い出しました次第です。
 このようなことを考えていきますと、これからの時代の変化や環境の変化という時代が求める必要性を敏感に感じ取ること、それに地域の資源や技術資源、自然資源など様々なリソースを合わせていくことによって、これからの行政の経営も、地域の経営も、地場の企業経営も、進んでいくのではないかと改めまして感じました。

 本日は、三題の話を中心にして、あれやこれやを詰めこんでお話をしてしまいましたが、本県の行政はそれほどうまくはいってなく、暗い時代が続いていますが、こういう時代だからこそ、せめて本県の職員が、カラ元気でも良いから元気良くやってゆこうと、今年の正月の仕事始めに申し上げました。

 ということから申せば、本日の講演の半分以上は、カラ元気でお話をさせていただきました。このカラ元気を、少しでも本物の元気に変えられますように、これからもがんばっていきたいと考えています。

 今年は、少し先程も触れましたが、夏から秋にかけまして、高知で国体が開催されますので、こういうような機会にぜひ高知にも足を運んでいただければと願っています。
 この事を、最後につけ加えまして、私の話を終わらせていただきます。
 どうも、ご清聴ありがとうございました。


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