公開日 2007年12月07日
更新日 2014年03月16日
知事のリレーエッセイ「“隣人”への思い」
平成14年7月8日
産経新聞朝刊 西日本広域県版 「知事のリレーエッセイ」欄
ワールドカップで、日本がトルコに敗れた日の夜、韓国はイタリアと戦った。イタリアが一点をリードして、前半を終わった頃には、「このままでいけば、おあいこだ」と、そんな気分で試合を見ていた。
ところが、後半に入って、韓国が必死に攻勢を繰り返す姿を見ているうちに、いつしか韓国のサポーターに変身していた。だから、韓国が同点に追いついた時には、思わず「やった」と叫んでいた。同じ様な心の変化を体験した人も、少なくないのではと思う。
この試合の十日前に、在日韓国人の、宋斗会さんが亡くなった。指紋押捺が義務づけられていた時代には、外国人登録証を焼き捨てた闘士だったし、晩年まで、従軍慰安婦の裁判や、朝鮮人労働者が多数犠牲になった、浮島丸事件の裁判などにかかわってきた。
と言うと、日本人の自虐心をあおった張本人ではないかと、眉をひそめる人もいるだろう。だが、僕にとっては、隣人のことを考える、きっかけを作ってくれた人だった。
宋さんとの出会いは、駆け出しの記者として、福岡に赴任して間もない頃のことだった。それもまた、日本に密航した在韓被爆者の、裁判の取材がきっかけだったが、以来、記者時代を通じて、時々時間を作っては、日韓の歴史などについて語り合ったものだった。
秀吉の朝鮮侵攻の拠点だった、佐賀県の名護屋や、戦功のあかしとして、秀吉軍が持ち帰った朝鮮兵士の耳を葬った、京都の耳塚などに、一緒に取材に出かけた思い出もある。
僕が、高知の知事選挙に出ると告げた時、「馬鹿なことはやめとけ」と笑っていた宋さんは、その後、僕と顔をあわせることはなかった。ただ、数年前に、在日の外国籍の人から、公務員試験の受験資格を奪っていた、いわゆる国籍条項を撤廃した時、僕の頭の中には、宋さんの顔が浮かんでいた。
確かに、やってもいないことを謝る必要はないし、それは、自虐と言われても仕方がない。しかし、やったことをきちんと認めて謝ることは、自虐ではない。考えてみれば、ワールドカップでの心の動きは、ひと時の興奮だったかもしれないが、確実に、日韓の距離感に、何らかの変化を与えたと思う。
宋さんは、遺言の最後を、「親しい者たちだけでなしに、隣人たちに対して、親切であって欲しい」と締めくくっている。最近の、アメリカに対する過度の卑屈さと比べる時、僕は、この言葉の方に共感を覚える。