シンポジウム「地方からの価値観転換」

公開日 2007年12月07日

更新日 2014年03月16日

シンポジウム「地方からの価値観転換」

平成15年2月4日(火曜日)13時00分から15時00分(京王プラザホテル地下1階プラザホール)

<学術創成>ガバナンスシンポジウム・シリーズ「自治体改革の検証」Part3

「地方からの価値観転換」

 住民参加の予算編成をはじめ「県庁と県民の一体化」を軸に、積極的に政策と県庁組織の改革に取り組んできた橋本大二郎高知県知事をお招きし、地方自立に向けた価値観の転換とは何か、その具体的な取り組みをパネルディスカッションを通じて探ります。そして、住民と共に一体化して価値観の転換に邁進する地方自治体のあるべき姿とは何かも議論します。

日時:2003年2月4日(火曜日)13時00分から15時00分 
会場:札幌市北区北5条西7丁目 京王プラザホテル地下1階 プラザホール

主催/北海道大学高等法政教育研究センター 
共催/日本政策投資銀行・日本経済研究所

(編集、提供:北海道大学高等法政教育研究センター)


パネリスト/橋本大二郎(高知県知事)、山口二郎(北海道大学高等法政教育研究センター長)
コーディネーター/宮脇淳(北海道大学教授)

(項目)
10年間を振り返って
知事と議会の関係
県民参加の県政
国と地方の関係
本四架橋と高速道路
経済特区
地方分権の実現
県のあり方と市町村合併
高知県の融資事件への対応
行政をチェックする第三者機関
県民参加の予算づくりモデル事業
職員の意識改革
行政基本条例と住民投票制度
四万十川と森林環境税


(山口)
 みなさんこんにちは。お寒い中ありがとうございます。今日はこれから高知県知事の橋本大二郎さんをお招きして、「地方からの価値観転換」というテーマで公開の討論会を行いたいと思います。質問については、入り口でお配りした質問表にお書きいただきまして、会場を巡回しているスタッフの者にお渡しください。議論の後半の方で司会者が質問を集約・整理いたしまして、議論の中に反映させていただきます。それでは橋本知事どうぞ。

(宮脇)
 早速議論に入らせていただきたいと思います。まず、改めてご紹介をさせていただきます。真ん中にお座りいただいておりますのが、高知県の橋本大二郎知事です。
 
 ご承知のように橋本知事は大学をご卒業になられまして、そのあとNHKに入職され、平成三年の十二月から高知県知事となれております。現在3期目です。なお、―これはホームページで公開されているからいいと思いますが―趣味が折り紙とTVゲームと奥様ということだそうです。非常にユニークな方です。それと一番向かって右側ですけれども、先ほどご挨拶させていただきました、センター室長の山口です。
 それから今日司会を勤めさせていただきます宮脇です。

 それでは、鼎談のほうに入らせていただきます。鼎談は大きく三つブロックに分けさせていただきたいと思っております。まず一つは、さきほど橋本知事、平成三年から高知県で知事をお勤めになられているわけですが、ちょうどこの十数年間の間は日本人、あるいは地域に取りましても、非常に大きな転換の時期でした。まずこの十年間について知事のほうから振り返っていただきます。

 そして、そのあと―いつもいろいろなところでご発言いただいておりますが―「国と地方の関係」・地方分権・高速道路ですとかいろいろな問題があるかと思います。こういったところの観点。

 三つ目の部分といたしまして、そういった国と地方の関係などの変わる中で、高知県のいろいろなユニークな取り組みというのがございます。また一方で、高知県のみならず地方自治体が抱えている問題といったようなものもございます。そういったところに最後は焦点を絞らせていただきたいと思います。
そこで、まず知事、この十数年間なんです。。振り返っていただきまして、どういう日本だったのか地域だったのか、その辺をお聞かせいただけるでしょうか。

(10年間を振り返って)
(橋本)
 高知県の知事の橋本です。今日は集まっていただいて、誠にありがとうございます。たまたま今日の夕方、高知の県人会、北海道の高知県人会の総会がございますので、その出席が主な仕事でしたが、前々から宮脇先生にこうしたシンポジウムのお誘いを受けておりましたので、この機会に喜んで伺わせていただきました。

 ただまったく準備も何もしてきませんでしたので、まとまったお話ができるかどうかわかりませんが、少しでも想いをお伝えできればと思いますので、よろしくお願いをいたします。この十年の変化をどう受け止めるかということですが。僕が最初に知事選挙、初当選いたしましたのが平成三年(一九九一年)の暮れのことでした。そのときは、現役の知事では一番若い知事、四四才でした―つまりはじめての戦後生まれの知事ということです。

 けれどもその後十年余りが経って、今ではもう下から何番目か。最初のうちは数えていたんですけれども数えるのが面倒なくらいになっています。また戦後生まれの知事も間違いなく十数人という数になっていますので、それだけでも大きな変化だと思います。その最初の選挙のときの対立の構図というのを振り返ってみますと、自民党が推される、そして自民党の関連団体である県内の百を超える団体がこぞって推薦をされる、元の高知県の副知事さんと、そして無党派との―草の根の形の私ども―事実上の一騎打ちでした。

 ですから、三年前ですか、二〇〇〇年の秋に長野県の田中知事、がはじめて当選された選挙―元の前の長野県の副知事と争われた選挙を見ていまして―最初の私のときとまったく同じ構図が長野で起きているんだということも思いました。またその翌年ですけど、今度は小泉さんが、自民党内のいわば草の根選挙のような形で、橋本龍太郎さんを破って総裁になられたと。

 その自民党の総裁選挙の状況・雰囲気というものを見ながら、十年前に高知で「始まった」というとおこがましいんですけど、高知で起きた現象が段々段々十年かけて中央までその波が届いていったのかな、ということを、少しおこがましい話なんですけども、ひそやかな自負も感じました。

 ところが、その後の小泉政権の流れというものを見てまいりますと、このあとの「国と地方の話」にも出てくると思いますが、なにか「二重構造のねじれ」を感じて、非常に仕事の面でやりにくさを感じております。そのことを最初に僕が感じ取りましたのは、おととしの参議院選挙のときのことでした。

 と言いますのも、小泉さんがそもそも言っておられます公共投資の見直し、公共事業の見直し、また地方交付税などとの組みなす国と地方との関係の見直し、これは今の仕組みでいえば地方にとっては当然厳しい環境が予測をされるわけです。にもかかわらず、日常は県内で、例えば知事である私に対してもっと公共事業を取って来いと、また交付税でも特別交付税などをもっともっと取って来い、公共事業ももっと取って県も負担をしなさい、ということを言っている方々が、一方で、その小泉さんの改革をぜひ一緒に実現していきたいというようなことを言われる。

 そういう「ねじれ」「2重構造」を感じました。もう少し具体的に表現をいたしますと、例えば建設業協会ですとか、また特定郵便局の局長会だとか、それまで自由民主党をずっと支えてこられた方々、こういう運動体が母体となって必死になって組織選挙を繰り広げているそういう候補者の方が、公共投資の削減ですとか、郵政の民営化ということを言われる小泉さんの追い風に乗って中央に行くという、そういう選挙であったと私は思います。

 その「ねじれ」が今も小泉政権の中の大きな二重構造になっているのではないか。それで、小泉さんは最初は自由民主党を解党するということを言っておられましたが、昨日の答弁などを聞いておりましても、いろんな事業を進めていくときに、党内の声に耳を傾けるのは当然だという趣旨のことを言われておりまして、そういう二重構造のねじれというのが何が前提になった形になってきているのではないか。

 せっかくこの十年間続いてきた、培われてきた改革というものが非常にねじれた形になっているなというのが正直な思いです。ただ、ここ数年の地方での選挙、特に首長選挙というものを見てみますと、その特定の政党の推薦を受けない、いわゆる無党派といわれるような知事さんや首長さんがずいぶん増えてきましたし、またそういう方々が支持を受けるようになってきました。

 このことは自分自身も無党派でやってきておりますので、大変心強い思いがいたします。といっても、もちろん政党政治とか政党の存在を否定をしているのわけではありません。政党政治というのは民主主義の原則ですし、もっともっとある意味では政党には力を持って政策を打ち出し、それを論点とした政治への関心を呼び起こすという動きがでてきてほしいなともちろん思っております。

 ただ現実の地方での政党のありかたというものを見ますと、自由民主党のことばかり挙げて悪いんですが、自由民主党であれば、建設業協会だとかJA農協だとかいう従来からの団体と密接な関係がありますし、また民主党などですと連合ですとか自治労つまり労働組合などと密接な関係がある。最初からそういう推薦受ける、ということが首長という立場になりますといろんな面で手足を縛られるということになりかねません。

 そうではなくて、今は新しい時代の変化、環境の変化というものに十分対応していくためには私は、無党派を通す時期ではないかなと思います。その中で議会でいろんな政党団体の代表の方々と議論を進めることによって、一定の距離感を持って進めていくべき時なのではないかということを思いますので、この無党派層の方々が首長さんとして出てこられることを大変自分は心強く思っております。そういうところがこの十年に感じ、また現在感じている感想です。

(知事と議会の関係)
(宮脇)
 ありがとうございます。無党派、つまり知事ご自身が九一年にそうやってご当選されるという形になったんですが、知事と議会との問題ですね。高知県知事と議会との関係、これをどういう風にお考えいただいているか。今、基本的なことはおっしゃってくださったんですが―あるいは非常に踏み込んだことになるかもしれませんが―北川知事とかあるいは田中知事、これもまた議会との関係というのは、それぞれにまた異なっているものを作っている気がするんですけど、その辺はどういう風にお考えになられておりますか。

(橋本)
 率直な答えにならなくて恐縮ですけど、あるとき、議会の有力な議員の方から、自民党の方なんですけど、これからはこのままだと「是々非々」で行かなければいけないだろうとこう言われるわけです。その言葉を聞いて、私はこれまでの議会と知事との関係というのは―高知県だけではありませんが―「是々非々」じゃなかったのかどうかということを、口には出しませんでしたけれど思っていました。

 まさに、最初から知事候補を政党が立てて、知事を取り込んでいくということが地方の政治に―交付金をみんなで豊かに分け合っていた時代はいいですが、そういう時代の名残のものが続いてきて―相当な問題点を起こしているんじゃないかというようなことを感じたんですね。私は正直言って、特に自由民主党を中心に、民主党もそうですけど、あまり県議会との関係はよくございません。

 そのためにいつも追及を受けますし、いろんな決議も何度か受けております。ただそのことは、ある意味では議会の、活性化と言ってはおかしいですけど、単に知事の、行政の執行部の言いなりにそれを追認していくという議会ではなく、また最初から馴れ合いでやる議会ではなくて、自分たちも何かをしなければ、というそういう動きに私はなってきたのではないかと思います。

 先ほど打ち合わせのときに山口先生から高知県で起きた行政にかかわる事件があるんですが、その事件についてもぜひ聞きたいという話がございました。あとでお話出ると思います。それに関連して、百条委員会のことも議会の中でも非常に厳しい追及を受けましたが、そういう厳しい追及を受けたことで、執行部の側も情報の公開を徹底しなければならないということにつながってきたと思います。

 ある意味では厳しい面もあるんですけど、そういうことが県民にこれまで知られていなかったことがどんどん知られていって、ある意味ではいい方向に行っているのではないかと思います。

 例えば、議会の中でもひとつの一年間のうちに少なくとも一本は自分たちで条例を出していこうという流れが出てきまして、道路なんかに乗り捨てられている自動車を片付けるための条例ですとか、合併処理浄化槽をもっともっと普及させようという条例ですとか、また間伐を進めようという条例ですとか、いろんな条例提案が出てくるようになってきました。そういう意味では、議会とは仲は良くないんですが、仲が良くないことが一つのエネルギーになってきてるんじゃないかと思います。

(宮脇)
 山口先生、今無党派という流れがあるわけですが、それと議会との関係、あるいは橋本知事、田中知事、北川知事いらっしゃるわけですが、そういう知事の方たちとの会議、こういったところをちょっと整理していただきたいと思います。

(山口)
 最初に無党派の増加について若干コメントさせていただきますと。一九九一年に橋本さんが当選されたとき私は大変大きなショックを受けた、驚いた覚えあります。高知県は当時としてはどちらかというと保守的なところと思ったんですけど、副知事、政党に担がれた候補者を打ち破ったということで当時のことを今でも記憶しております。

 これは当時は農村関係なしに、地方でもその住民の政治意識の運動が始まったのではないでしょうか。そういう意味ではまさに九〇年代の初めを飾る、大きな政治のできごとであったというように私も思っております。今宮脇さんのご質問に答えますと、従来議会というものは知事とか首長とか行政の側にある種依存してきました。行政にいろんな注文をつけるのが議会の仕事、地域・支持者からの要望を取り次ぐことが議会の仕事という面があったんですね。

 ところが新しいタイプの知事さん、首長さんが登場してきて、単に御用聞きみたいなことをしてその場で出たことに予算をつけるというのがいい政治じゃないんだということを言いますと、これは議会もハタと驚いたわけですね。そこでこの今度は知事はけしからん、一方的な無視じゃないかというわけです。しかし知事のいろんな行政の仕方、政策への批判をしようと思えば、議会の側がやっぱりそのあたりちゃんと勉強しなきゃいけない。

 まさに階段を踏まなければならない。いうことで、知事は問題提起をすることによって議会も今までのあり方を反省させられる。やはり県民の視線を意識するならば、もうちょっとちゃんと政策的な面でも勉強しなければいけないという、いい意味での緊張関係というものが出てきていると思いますね。特に大事なことは、議会に味方がいない、もう少数与党とかあるいは与党もいないという知事さんでも、首長として持っているいろんな権限、力を使うことでオープンな場で使うということが大事なことだと思います。

(県民参加の県政)
(宮脇)
 ありがとうございます。知事は、いろんな政策の中に「県民参加」というファクターを入れられていると思いますが、これは後ほど予算編成の中でもお尋ねしたいと思っていますがどうでしょう。この三期の間に、県民の方々の反応というのでしょうか、県政に対する関心度こういったものになにか変化というものをかなり感じられているれるでしょうか。

(橋本)
 数字とか具体例でこうなりましたよというような、自慢できるようなものがありませんが、自分の肌合あるいは具体的な課題ということでいえば、ずいぶんそういう理解は進んできたと思います。それは、県民の側もそうですが、職員の側も、ずいぶん変わってきたことが大事だと思っています。これまでの行政というのは、私たちは行政のプロだから、公的なサービスに関わること・公に関わることは私たちに任せてくださいとこういう思いで仕事をしてきたと思います。

 これはある意味では責任感でもありますし、自負でもあったと思います。けれども、それがだんだん積み重なっていくうちに、もう素人の県民の人は、私たちの仕事に県民の人は口を出さないでくれ、われわれが責任を持ってやりますから、というやや驕りのような考え方につながって、それがだんだんお上意識的なものになっていったということもあるのではないでしょうか。

 また一方県民の皆さんの場合も、県と個の関係というと、市町村ですとまだ窓口がいろいろありますが、県との関係というと、「道路を作れ」・「○をしろ」という要望するか陳情するか、それとも「なんだこの仕事はけしからん」といってクレームをつけるか、そういう関係でしかなかったのではないでしょうか。

 そうでなければ、例えば議会との関係で出てきましたように、議員さんに頼んで何かしてもらうという「おんぶにだっこ」のような感じで行政というものを見ておられたんではないか。こういう距離を、もっと埋めていくことが、単に県庁の組織の名前や形を変えることではなくて、県民と行政との距離感を変えることが本当の行政改革ではないかなこういうことを思って、いろんな形での「県民参加」ということを進めてきました。

 最初のご質問に戻れば、県民の皆さんもずいぶん参加をしてくださるようになりましたし、一方職員の側が相当悩みながらもとにかく県民の皆さんの声を聞きながら仕事をしていかなければならないなという意識にずいぶんなって変わってきたということは実感しております。

(宮脇)
 この点につきましては、最後の方で高知県のいろんな取り組みについてまたお聞きしたいと思います。山口先生、知事のほうから今の小泉内閣の政界とかそういうものについて「二重構造のねじれ」の問題というものがご指摘があったんですけど、非常に興味深いところなんですが、この点について山口先生にご意見をうかがいたいのですが。

(山口)
 戦後の日本の政治というのはずいぶん地方を大事にしてきた。国土の均衡ある発展というのが国内政治では一番大きな問題だった。こういう歴史の整理をしております。第一の段階というのはまさに田中角栄的な利益配分の政治であり、公共事業を中心とした、補助金、公共事業、資本をどんどん配っていってそれを地域を底上げしていって、それなりに日本を平等にする平準化された社会とつくるという政治をずっとやってきた。

 これがおそらく昭和四〇年代五〇年代の経済成長にどんどん変わってきたということだと思います。第二の段階としては小泉さんの改革というものがでてきた。これは要するに平等だとか弱者の保護という一つの価値観に対して、もっと自由を認めていって、もっと強いものがどんどん力をつけることによってもっと全体を活発にしていこうというものですね。

 それからもうひとつは、利益配分を官主導で行って、権限・財源を持っている中央省庁に地方から陳情に詣でたわけです。お参りをする。それで政治家と一緒にお願いをする、それで御利益をいただくという、そういう官主導の利益配分というものがいろんな意味で腐敗につながっていた。それがけしからんということで、それに対する民営化だとか規制緩和というものが出てきているということです。

 そのへんが一部は、国民の言論に対する不満に相当アピールした面もあるわけですけど、しかし、その反対の振り子が振れすぎて、要するに田舎ではもう高速道路は作らなくてもいいとか、地方交付税はどんどん切っていってあるいは公共事業減らしていって、一次産業その他の政策的なサポートは少なくしていって、日本全体が力がある者を中心に引っ張って行っていいよ、というような考え方になってきています。

 この考えかたが行き過ぎると地方が非常に疲弊してしまうということですね。多分第三の段階として、民の法律だとか官主導を壊していくということは踏まえながらも、もう少し透明で公正な地方自治政策機能が期待されるということだと思うんですね。

 ねじれということでいえば、第1段階の利益配分の政治を担ってきた方々をがまだいっぱい残っているわけで、その人たちがいわば延命のために、第二段階としての改革で人気を集めた小泉さんを利用するというか、それを使いながら政権を維持している。こういう第一段階と第二段階、矛盾するものが一つの政権政党の中に共存しているというところに問題があると思います。

(国と地方の関係)
(宮脇)
 今お話にもでた点なんですが、二番目のテーマとして国と地方の関係ということなんですが。地域主権という風によく言われているわけですが、ここ数年間の地方分権といわれている政策の流れは、例えば法定受託事務といったものが自治事務になっていくとか、こういう意味での地方分権という流れに対して知事は全体としてはどういう風に評価されているのか。

 これはある意味で言うと―これは私の考えですけど―一方で中央集権的な部分というのが強まっていく部分もあるし、さりとて以前に比べればある程度分権というののも実現している部分もあるんではないか。そういう面で実際に行政というものにどういう風にお感じになりますか。

(橋本)
 今、最後のほうに言われたように、一方では中央集権が逆にかなり強くなったという面があり、しかし地方分権も現実に進むというのが実感で、一言で言えばやや中途半端な状況ではないかと思います。例えば法定受託事務のお話が出ました。機関委任事務という国の仕事を都道府県知事が下請けでやっていた仕事が、法定受託事務と、自治事務という地方の独自の仕事という位置付けになりました。

 ところがその許認可の元になる法律そのものはなんら手が加えられていませんので、自治事務になったにもかかわらず、地方の独自の裁量権はほとんどない。そのために地域との間にいろんな軋轢が生まれるということがございます。一例を本県でおきたことでご紹介しますと、中土佐町という町がございます。

 ここはもともとはかつおの一本釣りなどで有名な町でしたが、なかなか一次産業だけではやっていけないということで、もう少し交流人口を増やしていこうというので、かつお祭りというようなイベントをはじめてそれが根付いていった。また、黒潮本陣という温泉つきの旅館を作ってそこに人を呼んでくる。

 さらにイチゴの農家が非常に多いところですので、農家の奥様方が農協に出せないような規格外のイチゴを使ってお菓子を作る。それで喫茶店やケーキ屋さんをやるカフェ工房というお店ができたり。またもともとのお魚の市場があったりということで、そういう点がだんだん線につながって人が来るようになってまいりました。

 そこに、採石をしたい、石を採りたいという事業者の方がこられて、認可の申請をされたんです。地域の皆さん方は、そうやってやはり人を外から呼んでくる町にしたいと。そのときに採石場などはじまると、環境上のいろんな心配がありますし、トラックが一日何十台も走るのも、というので、町長さんも反対の意見書を出され、町議会もこぞって反対で反対の決議をした。

 地域が三つほどあるんですけど、その三地区を合わせた住民のアンケートでも反対の声が七〇%近くになるというような状況なわけです。それで、もし本当の意味で自治事務であれば、そういう地域の声というものを一定に反映した判断ができてしかるべきだと思うんですが、森林法も採石法も―採石法で言えば例えばその新しくはじめる採石の事業が、地域である公共の施設に損害を与えるとか、または地域の産業、これは一次産業を指していますが、一次産業には悪い影響を与える等々―三つの条件に当てはまらない限りは認可をしなければいけない。

 こういうきわめて限定的な法律で、また解釈、経済産業省もそういう狭い解釈のままです。このために相当悩んで、すったもんだがあったんですけど、結局は森林法、採石法により認可をせざるを得ませんでした。私はもう少しやっぱり地域との間のいろんな話し合いが進むような仕掛けですとか、またいざとなれば地域の声をおって、いったんそれを不認可許可にできるというような仕組みが必要ではないか。

 そうでなければ機関委任事務が自治事務になった価値・意味がないのではないかなということを思いました。こういう中途半端さというのがあります。それからさっきちょっと高速道路の話が出たんで、高速道路の一例として挙げますと、私も高速道路の整備のあり方、また今の料金制度などは、変えるならば抜本的に変えてほしいと思います。そのときは、私は有料制度というものを無料にしていくというのが本当の意味での構造改革ではないかなと。

 というのは、日本の経済力に相当影響を与えるのが国内での物流コストです。この高速道路が完全無料化になれば、相当大きな経済的なインパクトがあるし、浮揚効果もあろうと思います。もちろんそういうことをするには、例えばプレートに税をかけるとか新しい仕組みが必要です。そこはもちろん議論しなければいけませんが、今回はやはり高速道路を無料化しようとしたことを提示をして議論が始まるべきではなかったかと。

 それが、競争を入れればいい、民営化すればいいという、耳あたりもいいし確かにそうかなと思う面もある。そのことがもう前提となり、閣議決定があってそのやり方を進めるという委員会ができました。このために本来ならば例えば固定資産税という風なものは―これは市町村、地方の固有の財源ですので、地方分権の中でも最も大切にしなければいけないものではないかと思うんですけれども―一方で地方分権ですと、地方にできることは地方にやっていただく、それが自分の考えですと小泉さんが言いながら―小泉さんの作った委員会が固有の財源である固定資産税を払わなくてもいい会社を作っていこうかということを、まったく地方の意見も何も届かないところでやっていかれるというようなことがあります。

 しかも、名前を出して悪いですけどダイエーさんにしろマイカルさんにしろ大手のスーパーが二兆円くらいの負債で行き詰まるという時代に、その十数倍の負債を抱えているといわれる組織を民営化する企業にするというのは、経済的に考えてもいささか無理がありすぎはしないかと。民営化ということによって、結局は公団という組織そのものが公団ではなくなるが組織としては名前だけ変えて生きていくことになるのではないかなと思うわけです。

 本来であれば、その組織そのものは、技術力は当然大切にしなければいけませんが、組織そのものを抜本的に見直すだけでやめるということがあってよかったのではないかと。そういう議論がなかなかないまま、一方でマスコミの皆さんも「民営化、うんいいな」ということで、詳しい中の議論が―頭の中では考えられたんでしょうが―すくなくとも紙面では出て来ないというのもある。

 そういうこともやや中途半端なこととして自分としては思います。あんまり長くなってもいけませんけども、今度の地方交付税や国庫支出金の見直しの中でも、少し専門的な話になって恐縮ですが―義務教育の小中学校の先生の人件費というのは文部省が国庫負担をしております。これを見直し廃止をしようと、三兆円くらいなんですが、という議論が出てきました。

 その基本にあるのは、そのことによって文部省がいま決めているような教員配置の基準だとか、そういうものを取っ払って、地方で自由に小学校でもいろんな教員配置ができるような、そういう仕組みを作るんだというのが触れ込みでした。そのことにはうちの県などではまたいろんな問題があるんですが、宮城の浅野さんなんかは全面的に賛成しておられましたし、私も現実がそうなってしまえば、それに応じてやっていかなければいけないし、そのことによる地方のメリットも充分あるなと思いました。

 しかし結果的に、最初に初年度として出てきたものは、教員の皆さんの共済、退職金などに充てる部分のお金を国庫負担から削るということで、県で自由に教員配置するということとは全然関係ない部分が削られるということになっております。つまり、やりやすいところのつまみ食いという形でどんどん事が進んで、それが最後で抜本改革につながればいいんですけど、途中で頓挫してしまったらこれはもうとんでもないことになる。そういう中途半端がいま地方分権ではないかということではないかと思います。

(本四架橋と高速道路)
(宮脇)
 今、高速道路の話になったのでもう少しだけお話聞かせていただきたいと思うんですが。道路公団改革というのは債務を返済しない形での民営化というのが最後のゴールだろうと思っているんですけども、これはこの高知県を含めた四国の問題となりますと、高速道路全体もそうなんですが、本四架橋の問題がどうしても出てくると思うんです。

 それでまさにいま本四架橋に関する財政的な問題について知事が言われた財政負担をかけたいか、それとも利用料金を減らしたほうがいいか、経営化させていくのかという議論がされているんですね。そういう中で、本四架橋ができたことによって例えば徳島あたりが逆にストロー効果みたいに効いてしまって、非常に難しい経済状態になっている。この辺は高知県はどうなんでしょう。本四架橋というのは三本入って、高知県そのものという状況・変化はだいたいどういう風にお考えですか。

(橋本)
 高知県にとってはマイナスになっていないと思います。多くの方が例えば観光などで行き易くなったというプラスはあり、逆にやはりわざわざそのために出て行くというようなことのストロー効果をもたらすだけのインパクトもなかったということはいえるんではないかと思います。というのは、少し余談になりますが、高知県は今、高校の新卒の就職率が非常に低い県になっております。

 ところが、有効求人倍率でいうと本県よりも悪いところが九州などにも何県かありますが、高校生の就職率との図式で言うと、うちの県よりよくなっております。つまり、県外になかなか就職に出て行かないという、まあ沖縄県などと同じような地域性があるんではないかなと思います。そのために、元に戻りますが、高速ができただけでストロー効果が出るほどのことはありませんでした。全体としてはプラスであったと思います。

(宮脇)
 山口先生、高速道路の問題は地方にとって大きい問題ですし、地域政策の問題としてもどう捉えていくかということがあると思うんですが、先生はどのようにお考えですか。

(山口)
 やはりアメリカ・イギリス・ドイツなどいわゆる先進国を見ると、中堅都市間を結ぶ高速道路のネットワークは、これは基本には民間でほとんどタダですね。一部有料もありますが、日本に比べれば五十分の一くらいの料金です。日本の場合にも、私は公共事業についていろいろ悪口ばかり言ってきた人間でありますが、地方のことを実態として知っているつもりなんで、やはり拠点都市間を結ぶ高速道路のネットワークは公的責任だと思っています。

 ただ今のような規格で、全部土盛りと高架で持って完全に一般道と切り離せるところのネットワークを全部作るかというとそれはちょっと無理があると思います。やはり地域ごとの条件にあわせて、道路の規格そのものを工夫して変えていくというようなことで、自主的にネットワークを作ってみるということが依然として政府の仕事だと思いますね。

(橋本)
 少し付け足しになりますが、今お話にあった「規格」というのは、どういう意味かといえば、今高速道路というのは四車線、片側二車線で完成である。利用量の少ないところは、暫定的に片側一車線でよろしいという仕組みになってます。ですから、片側一車線で作られているところも、全部用地としては四車線作れる用地を買収して仕事が進んでおります。

 これを片側一車線でいい、完成二車線です、とするだけでも、単純な素人計算で言えば半額になるわけですし、また今は法面やなんかの整備も相当手の込んだ整備をしておられますが、そういうところももっと民間の山を、その所有者に任せてやっていくとかいろんな手法がありますので、金額的にもはるかに安く作れる手法があると思いますし、それほどにまた地方が一定の負担をしていくということも決して否定はいたしません。

 けれども、今のような仕組みで行くと、これまでは一応国幹審という幹線自動車道を審議をする会で全体的なやりかたを決めている。単純に言えば中央からだんだん地方へすすめていくという仕組みがありました。これがいまあるものとあと少しの継ぎ足しを民営化をしていくと。で、その他のものは新直轄という、新たに国が権限を持った道路作りが始まる。

 というと、従来の部分というものがルールが良かったというのではないですが、ルールが崩れて、それによってまた先ほど山口先生が言われた、田中角栄型の分捕り合戦が始まることは目に見えています。再び、さっきの宮脇先生の話で言えば、中央集権ほど強くないところに議員が介在をしていろんな仕事をしていく素地ができている。そういう「ねじれ」「中途半端さ」もあるのではないかと思います。

(経済特区)
(宮脇)
橋本知事、経済特区ということに関してはどういうようにお考えでしょうか。たとえば北海道でもかなり経済特区という考え方でいま取り組んでいるんですけども、ある意味でいうと、経済特区もいろいろと「ねじれ」を起こしている部分があるような気がするんですが。知事あるいは高知県としては経済特区という問題にはどういうように捉えているでしょうか。

(橋本)
 正直言ってなかなか自分が充分なアイデアを出せなかった、勉強できなかったということがあって、熱心には取り組んでおりません。各部局任せで、例えば農村型のレクリエーションだとかそういうところへのいろんな規制を窓口に交換をさせてもらうとか、そういうことが当たり前のものがでてくるわけです。

 一般論というか全体的なイメージで言うと、私はもう特区の時代ではなくて、完全に規制を外すのであれば外すべきではないかなと。それで何か問題が出たら、それをもう一度見直していく。そのきちんとした前提条件さえ付けておけば、特区というような形で手を挙げたようなところを、また各省庁が審査をされて、これは認めるこれは認めない、これもまた逆に中央集権を強めていくことになりはしないか。

 この中央省庁の意識が完全に切り替わっていなければ―一部切り替わってきている省庁もございますが、どことは言えませんが、ほとんど切り替わっていないような省庁もございますので―そういう中で経済特区という形を取ると、逆にやっぱり中央集権を強める結果になりはしないかという気がしています。

(宮脇)
 山口先生、経済特区についていかがでしょうか。

(山口)
 私も今の橋本さんと同じような考えです。特区というのは非常にズルイようです。つまり政策の効果という面では国の失敗を認めているわけですね。だけど政策の手法の面では国が依然として権限を握っておいて、例外的に手を上げたところに許可するという、形を変えた裁量行政だと思います。

 私もこの数年、一国多制度論というのを、あちこちで言っておりまして、教育ですとかインフラ整備とか地区ごとに自主性があっていいのではないか。北海道内、あるいは高知県、四国なりそれぞれの地域で基準を作っていけばいいのではないか。国の省庁が画一で指導要領とか道路の規格とかそういったものを決める時代はもう終わったんじゃないかと思っております。特区などというけちな事は言わずにもっと面的に広げていくことが必要だと思いますね。

(地方分権の実現)
(宮脇)
 橋本知事は地域主権ということでずっとやっていて、これからもそういう形でずっと広げていかれようとしているんですけれど。いろいろと地方分権の話が出ました規制の問題ですとか財源の問題とかあると思うんですが、話は戻りますが、知事が描かれている分権を実現していくためのトリガーと言いましょうか、そういったものはどこにあるのか、どこにあるとお考えなのか、そこをお聞かせください。

(橋本)
 少しずるい言い方ですが、税財源の異常だとかそういう分類ではなくて、違う表現で言うと、思い切りもう引導を渡してもらう、というのが一番のトリガーではないかと思います。それは先ほどの「中途半端」という言葉の裏返しなんですが、今は国庫支出金という補助金だとか、地方交付税だとか、そういうものをいただいて、現実に地方の財政運営をしています。

 地方交付税もやはり一定のバランスを取って調整機能というのが将来に向けて必要だと思います。しかし今のままでいつまでも続くだろうとは思えませんし、当然変わっていくべきだろうと思うんです。ただ先ほども言いましたように、なんかつまみ食い的な税財源の移譲だとか改革とかですと、現実にその高知の県を預かり、県民の福祉向上という仕事をしている中で、なかなかそうならば完全に国に楯突いてといってすぐ県にとってプラスになるかどうかというとなかなか計算できません。

 という意味でずるい表現なんですけども、逆に思い切りもうここでこういう改革しますよ、という思い切った形を出してもらって引導を出してもらえれば、かなりそれを受けて地方分権が進んでいくのではないかと思います。もう少し具体的なイメージに言いますと、現実に高知県で受け取っている金額ではないですけど、例えば高知県が補助金だとか地方交付税で一千億円貰っているとします。

 ただ、その補助金だとか地方交付税ていうのはそれぞれにいろんな条件がついていますので、その補助金を貰うのであれば、合わせてこういうことはやらなければならないとか、その事業はこういう規格でやれというような、さまざまな規制があります。 そのために、現実の地域の実情には少し合わない。ただ国のお金は持ってこれるからないよりはあったほうがいいね、というようなことでやっているものもいっぱい正直言ってあります。

 この一千億円という額が、思い切った見直しでも引導を渡してもらうと、例えば七百億円になるとします。その三百億円の差額というのものは、経済的なフローの効果としては大変大きな意味合いを持ちますので、そのことにソフトランディングやそれが与える影響というものをきちんと考えなければいけません。だけど逆に七百億円になっても国の一切のいろんな規制がなくなる、たとえば先ほど例としてあげました学校の教員の配置のやりかただとか、そういうことも一切規制がなくなって、自由に教育改革をやっていける、またさまざまな産業政策でももっと自由に税制なども維持できる、手が入れられるということになれば、その三百億円が減った分を補えるようなサービスは少なくともできるのではないかなと思います。

 現実のその三百億円減った部分のフローの効果は別なんですが、サービスとしては一千億円でやっていたよりも、高知県なら高知県の県民のニーズにあったサービス、また将来への備えに合うような仕事ができるのではなでしょうか。ただ、それも今こちらから「さあ七百億円にしてください」というのはなかなか言いにくい面があるんです。そこは弱いといわれれば弱いし、それをやっていくのがこれからの地域のリーダーではないかということも言われるんではないかと思います。

 そういうこともそろそろ言っていかなければいけないね、と最近よく言われているいろんな知事さんが集まって連携をして話をしていますが、それができるかどうかということを考えながら、そうであればもっと思い切りやってくださいということを言うようなグループになっていければと思って私も参加しているのです。だが、まだそこまで踏み切れないというところがあります。

(県のあり方と市町村合併)
(宮脇)
 ありがとうございます。もう二年くらい前になると思いますが、四国にお伺いして、四国の四知事がお集まりになりまして討論したことを覚えているんですけど、その中で二つ話として覚えていることがあります。一つは四国全体で県が一つになったらいいんじゃないか、これに対して橋本知事はそれはどうかなというようなご発言があったと思うんですね。

 もうひとつは市町村合併に関することで、四国というのは非常に市町村合併がある意味では進んでいる地域だといわれているんですけども、そのときは市町村合併についても若干他の知事とは違うお考えをお持ちだったような気がするんです。そういうことで、県というもの意味と、市町村、そういうことについてお考えをお聞かせいただけますでしょうか。

(橋本)
 市町村合併ということでいうと、将来的には当然合併をしてかざるを得ないと思いますし、合併が進むときにはあまりお隣近所、二箇所三箇所というのではなくて、もっと大きな規模での広域的な合併が進まないと意味はない、その価値が出てこないということを思っています。

 ただ地方分権の流れの中でいいますと、地方分権によって国と地方の関係が上下主従の関係から対等平等に変わったと、そういわれながら、市町村合併を進める手法というのは、あまりにも私には強圧的に見えますし、もっともっと地域での議論というものがきちんと進めば―それは私たち自身の責任ですけども―そういう素地がない中でいきなり財政的な理由から必要性からのみ市町村合併が進んでいくのはどうかなという想いがあります。

 県の立場というのは無理やり市町村合併を進める立場ではなくて、やはり地域での議論を熟成させるそのための情報を提供していくのが立場だとずっと言ってまいりました。ただもう平成十七年という期限が目前に来ておりますので、そこはバランス感覚を持ちながら仕事をしております。一方その次の段階での四国四県の道州制というか、ひとつの自治体にということですが、それも私も将来的に反対はしません。

 ただ私はそもそも県というものの役割が市町村合併というものが進んでいって大きな規模の基礎自治体ができたときに、残っていくだろうか、必要だろうかということを一方で感じるんです。というのは今の高知県庁の仕事を見ましても、国との関係だったり市町村との関係、そこでいろんな法人の申請を受けたり、その支給をしたりというような事務的な作業をいっぱいやってるわけですね。

 そういうことをずっと続けていって、果たして県民の皆さんが、県庁というのはやっぱり必要だねと思ってくれるかどうかというと、もうそろそろそこには多くの方々が疑問を感じ始めているのではないか。こういう中二階的な組織の持つ意味というのはどこまで続くだろうかということを思います。そういうことからいうと、都道府県であれ四国州であれ、中二階の存在ということでは変わりがありませんから、道州制に対する疑問がありました。

 ただ、そうはいっても残るべきものはたぶん機能として残るだろうと思います。そのときには四国というところがひとつになる、特に今の知事さん方みんなそういう意識をもっておられますので、ひとつになるような取り組みというのを具体的に進めていく必要があると思います。二年前から市町村合併についても道州制についても微妙に考え方が、違ってきたわけじゃないんですけど、少し発言の仕方が変わってきたと、今は考えています。

(宮脇)
 山口先生、今知事がお話した「中二階」ということなんですが、北海道でも道庁なんかでいうと、かなり大きさ等の違いがありますんで、必ずしも同じように画一的には判断できないとは思うんですが、こういう道県のありかたについてなにを考えていったらいいんですか。

(山口)
 直接的な住民サービスがあるときには市町村の仕事、それから合併してある程度市町村大きくなってその辺をもっとよくしようということだと思います。他方、国レベルの省庁が政策的な面で本当に役割を果たしていくのかということを考えますと、それは経済にしても外交にしても合格点は上げられないという風に実感としては思います。

 先ほどの橋本さんがお話になったように、やはり、政策の単位、政策を立案実行していく単位として考えると、日本という国政レベルでやったほうがいいものもありますけど、そうでないものをむりやり国単位でやるからいろいろな齟齬というか矛盾が起こっていると思うんですね。そうすうとやはり県あるいは若干の県を再編した道州というもので実質的な内政―要するに雇用とか農業とか教育とかインフラ整備とか、そういう問題は実質的に県なり再編したもののレベルでやっていくという、ドイツとか連邦制の国にあるようなイメージで、日本もこれからは考えていかなければならないのではないか。たぶん効率的になるように思います。

(橋本)
 別の言い方をしますと、イメージ的な表現で恐縮ですが、北海道は英語表記で言うと「ガバメント」、他の県は「プリフェクチャー」ですね。「プリフェクチャー」が四つ集まってもあんまり意味がないんです。これが「ガバメント」になるのであれば四つ集まってひとつの「ガバメント」を作るということに意味がある。それができるかどうかなのではないか。ちょっとイメージ的な言い方でわかりにくいかもしれませんが。

(山口)
 今の意見ですが県が合併して大きな県になるじゃ意味がなくて、今国がやっている仕事をかなりきちんと下ろしていって、権限とお金をきっちり付けて、政策を自主的に進めるという体制がないと単に図体大きくても意味がないということですね。

(宮脇)
 時間を過ぎていますので、質問表をスタッフにお渡しいただければと思います。よろしくお願いします。それから話が内政の方に入ってきましたので、まず山口先生の方から先ほどご質問されてみたいということがありましたね。まずそれからお願いします。

(高知県の融資事件への対応)
(山口)
 自治体の受け皿論というのがあるんですね。要するに地方に任せたってうまくいかないぞということを言う人が常に東京にはいるわけですね。そのとき地方が問題を管理する能力を持っているんだということを実証していくことが重要になると思うんです。そこで今度これは橋本知事にとってはいやな質問をするんですけど、本当に改革を進めていっていわゆる従来の利権の構造に切り込むといろんな苦労があると思うんです。

 高知県の場合は県の企業に対する融資制度を悪用していて、いわゆるヤミ融資という事件が起こって、県の関係者などが背任に問われたといった大きな事件が起こったんです。それを報道した高知新聞の報道が平成十三年度新聞協会賞受賞ということで、私もその高知新聞の記事をまとめた本を読んで知ったんです。別に高知県がいけない、橋本知事の下で不祥事が起こったということを僕はいいたいんではないんです。

 去年の鈴木宗男のいろんな公共事業とか融資とかをめぐって、いろんな利権の構造がこれでもかというくらいイメージしている。北海道では例の官製談合の話も最近議論されている。要するに日本中どこにでもそういうヤミの部分、危険な部分がある。そこにメスを入れるということがないと改革は本物じゃないと思うわけです。知事はこの問題が発覚したあとどのような追求をされてヤミの部分に切り込んだのかということのお話をかいつまんでしていただければと思います。

(橋本)
 自分にも行政上の相当の責任がございますので、切り込んだというような奇麗事ではなかなか片付けられない面があります。今ご紹介いただいた事件は、モードアバンセという縫製会社、縫製工場が関係しています。これを作るにあたって、同和地区の方々がちょうど従業員に相当数おられるということから、同和対策の事業の経済化の振興という形ではじめました。ここに一つの根っこがあります。

 というのは、決して同和問題に対するさまざまな取り組み、部落開放同盟をはじめとする運動がすべて悪かったということを申し上げるわけではありませんが、しかしそういう運動と長く付き合いをしてきた行政の中に、だんだん運動団体、またその関係者が声をかけてくることはそのまま受け入れなければならない、という思いが積み重ねられてきたものがあろうと思います。

 それは昭和四十年代の半ばから同和対策の特別措置法がはじまって何回か切り替わってきたわけですが、その辺進む中で、同和関係の予算をつけることが人権問題に対応しているんだという数値的な形に見える点もあったと思います。また一方で同和団体の運動の中に明らかな問題があり、そういう強い声に押し流されという行政の弱さが出てきたと。

 この事件そのものはその同和関係の運動と直接絡みあったものではないですけども、その根っこにあったそういう行政の意識というものをこの際取り払っていかなければいけないんではないかというのがひとつの重要なポイントでした。まだまだ充分研究できてませんけども口利きをしている特定の人物といわれるような人が行政を跋扈するということは、どこの都道府県でも大なり小なりあるように思います。

 そういうものを排除する機運を作っていく、意識の改革としてということがひとつでした。それからこの事件中で、仕事を積み重ねる中で、若手の職員の中にはこういうことをしていっていいかな、こういう声があったのも事実です。ところが当時の管理職の人がこれはこれこれこういう政治的な意味を持つんだ、大変大切な仕事だからやらなければいかんのだ、と頭ごなしに言われてそのまま行ってしまった。

 そういうことから、職員が途中で不安や疑問に感じたことをひとつバイパス的に受け入れる機関が必要ではないかということを勘案して、外部に相談員の制度を置いて、去年からスタートさせております。これも屋上屋ではないかといろんな議会でもご批判いただきましたけど、やはり結構いろいろ具体的に日ごろ疑問を感じている人の声が出て、それを元に職場改革の取り組みが進んだという事例もございます。

 もう一つやはり考えられるのが、いろんな事業を進めていくときに、これまでは行政の裁量権ということですべていっていたわけですけども、本当に一歩出ていいかどうかということを考えていくような機関として、行政だけでなく第三者機関が必要なのではないかということも思いました。これはまだ実現をできていないんですが、こういうことは本県でおきた事件だけではなくて、ちょっと事件と同列で出すのは失礼ですが、諫早湾の干拓などでも、あれだけの問題が出て、その後の海苔の問題だとかいろいろ考えますと、ああいうものが進むときに第三者機関的に議論をする場というのは必要なのではないかと。

 なかなかそれが具体的な形では表せていませんけども、それもやらなければならないことだということを受け止めております。さらに情報公開の大切さということで、これは自分も内心忸怩たるものがあります。けれども、情報公開ということが徹底していれば、こういう問題というのは起きないわけですね。

 そういう意味からも情報公開ということを徹底していけば、仕事はやりやすくなる気も楽になるということを職員に感じてもらう。それはずいぶん徹底できてきたと思います。こんなことがこの事件を踏まえて自分なりに考えて行動したことです。

(行政をチェックする第三者機関)
(宮脇)
 山口先生、今の第三者機関についてご意見をうかがえますか。

(山口)
 今のお話でこれはいいなと思ったのが、ひとつはですね。その仕事が本当に正しいかどうか、意味があるかどうかということに対して、県民に対して本当にプラスになっているかということについて、素朴な疑問を持つ若手の職員の疑問というものを、課長なり部長なり上の人がいわば蓋をしてきた。そういうことである種利権が続いてきた腐敗が起こったということがあったと思います。

 そうすると、こんなことやってていいのという、今までの行きがかりとか行き先に捕らわれないない人の思いを、もっと政策決定に使えるバイパスというのが、これが非常にいいと思いますね。それから第三者機関の問題はやはりもちろん最後の責任を負うのは当然、行政、知事だと思うんですが、今そのまさにある種のプロジェクトを生み出すことが本当にいろんな観点から見て県民の利益になるかどうかということについても審査というかチェックしていく。

 これはやはり必要だと思います。今までの審議会とかいろんなものは結局はじめに結論が出てそれを正当化するものだったと思う。それとは違う形の第三者のレビューというものについて、これがうまくいけば画期的なものになると思います。

(宮脇)
 山口先生、第三者機関というのを考えたときに常々考えたときに、常に壁になるのが、第三者の意味というか公正をどうやって選択していくか、選択という言い方はよくないですけども、公正にしていくとか常に起こると思うんですけど、その辺はどういうようにお考えですか。

(山口)
 これは誰でもどうぞということができるのは非常にまれなケースだと思いますね。やはりある程度、行政の方がお願いするということが多くなると思います。やはり、しがらみのない人あるいは行政から見てこの人は安全だみたいな人だけでなくて、多様な人を入れるということ。専門プロセスとかそういったものに参加する形の仕事振りや情報をきちんとオープンしていくような形で歯止めをかけるしかないと思います。

(県民参加の予算づくりモデル事業)
(宮脇)
 知事、例えば高知県では県民参加の予算でしたでしょうか、県民から積極的に政策形成が入っていただこうというやり方をされてると思うんですが、これも同じような問題を一方では抱えていると思うんですが、その辺どういう風にお考えになられているんでしょう。

(橋本)
 県民参加の予算づくりのモデル事業というのは、事業評価ではございません。県民の皆さんに直接参加をしていただいて、そして県民の参加をされたグループの中からこういうことやりたいね、こういう仕事をしたらどうだろうという提案を出していただいて、その提案をさらに予算として組み立てるまでを実際に経験をしていただくという事業です。今年度は一年お休みをしておりますが、昨年度まで三年続けてやってきました。

 その意味は、一つは県民の皆さん方に先ほどちょっと前段で総論としてお話したように、県という存在を、また陳情か要求そういう相手、または対立してしまう相手ではなくて、一緒に公的なサービスを作り出していく仲間だという風に考えてもらい、その意識を県民のみなさんにも持っていただきたいという思いでした。

 一方職員の側に対しては、同じような事業を考えるとしても、県民の皆さんが考えられたときはそこに一味または見方・切り口の違いがあるということをぜひ感じ取ってもらいたいなということもありました。三年間やりまして、参加をしていただいた県民の方々、これはやり方としては県内に五つの県税事務所がございますので、その五つの県税事務所単位でその事務所であがる県税の、わずかコンマ数パーセントというのを原資に、その地域の若い人・年寄り・男女含めたいろんな方々にイベントしていただきました。

 参加をしてくださった方からは、県の考え方というものをいろいろ理解できるようになったし、予算作りの難しさ、また単に言うだけじゃなくて作ったからにはその自分たちも参加したり自己責任を持っていただかなきゃいけないと、といういろいろ前向きな意見が聞かれました。けれどもそれを受ける県の職員の側からは、どちらかというと、また新しい仕事が降っててきたとか、また同じような自分たちが考えた事業を繰り返し言っているだけだと。

 そこにはいろんな微妙な切り口とか思いの違いがあるんですが、そういうことをなかなか埋めようとしないで、同じ事業の繰り返しだ、自分たちも考えた、と一刀両断に切り捨ててしまう。そういう意識がまだまだ強いですね。受け止め方としては県民の皆様には割りと評価をしていただいておりますけれど、県の職員からは評判が悪いというのが現状です。

(職員の意識改革)
(宮脇)
 今、県の職員の行動というかそういうお話があったんですけど、これは会場の方からも質問がございまして、行政職員・県の職員の意識改革ということや、こういったことについての手法についてどういう風に取り組まれていますか、という質問なんですが、高知県の改革の取り組みを見ていると、他のところと比べて少し目立つなと思うのが、改革というか見直しを行っている部局に技術系の方が多いことですね。

 比較的、土木ですとかそういう方が多くて、通常ですとそういう職場の風土というのは従来のところの関係と一致しないというところが多いんですが、高知県ではちょっとそういうところが違うなと感じてるんですが、行政職員の意識改革ということにはどのような取り組みをされていますか。 

(橋本)
 最初に私が十一年前に知事になったときから、しっかりとずっと言ってきたんですが、なかなか進まないというか、大きな切り替えができないということがあります。そこで今進めているものは「行政経営品質の向上システム」です。長ったらしい名称ですけども、こういうものをやっています。これなにかといいますと、一九九五年、社会経済生産性本部、昔の生産性本部が日本経営品質賞というものをはじめました。

 この日本経営品質賞という企業の中での改革の考え方を行政の中に取り入れたものです。といっても、行政の中に企業から始まったものを取り入れると、企業と行政はそもそも違うんだということから、まったく受け入れないという体質もございますので、その企業ではじまったものを少しでも、行政に受け入れられるような形にして一年くらい検討して、強化シートというか検討のシートをつくり議論の中で実施しております。

 それは、自分たちにとってのお客様というか自分たちが相手としている人は誰かと、その認識はきちっとできているかどうか、またその相手方のニーズ・要望をどのような形でつかんでいるかどうかということ、そのニーズと時代環境の変化というものをあわせて自分たちの職場が何を目指していくかというビジョンをしっかりしているかどうか、またそれをどのような形でリーダーシップをもって仕事を進めているだろうか云々、というものです。

 つまりは企業であれ行政であれ、同じ考え方が問われる分野ではないか、ということで取り入れました。やりかたとして、そうやって自己点検をしたものを外部の方にいきなり評価をしていただいて、ここが悪いここを直しなさいと、こういう風にやるやり方も当然できます。お医者さんに喩えれば外科手術をする、西洋医学的な手法でそれを使うということもできますが、そもそも県庁の意識・体質が変わっていないのに、外科手術的にここが悪いこれを直しなさいといって対応すると、そのときは治るんですけど、また同じようなことが体質が変わらないからあちこち出てくることにもなります。

 ですからちょっと時間がかかっても自分たちで今申し上げたような行政経営品質のシートを職場ごとに議論し、そして自分たちの弱み強みに気づいていく、「気づく」ということを一つのテーマにしてその積み重ねで、東洋医学的・漢方薬的にじわじわと効いていくような仕組みをとりたいと思って、実施しております。もう三年ほど積み重ねてきていますけども、じわじわと効果というか影響力がでてきたと思います。

  とくに出先の事務所などではいろんな変化が出てきているのではないかと思っています。もうひとつはその研修のあり方でございまして。従来の研修は例えば課長の研修であれば新しく新任の課長になった人、なった後にその人たちを集めてこういう形で座学でこう話を聴いて終わるというものでした。

 そうではなくて、これから課長になるべき人、またはなりたいと思う人、そういう人に手をあげてもらってこれからの時代、課長になるにはこういうような能力、こういうような知識が必要ですよ、というメニューを使用して、このメニューに自分の足りないところを受講してもらってそれをきちんと達成できたかどうか、それを評価して、そのレベルに達した人を課長として採用していくというようなやり方をとっています。

 これも横文字で恐縮なんですけれど、コンピテンシーという形の研修の方法をとっております。昨年課長の、新任課長を目指す人の研修をし、今年度はさらに班長、一般で言えば係長にあたるものとか、補佐、出先の次長を含めて、こういうコンピテンシー型の能力開発の研修ということもはじめました。まだまだはじめたばかりですし、また全般的に企業というのは営利を目的にするものだ、その企業が取り入れているものと私たち行政の仕事は違うという意識をなかなかまだ壁としては破れていません。

 ですから、全体的な動きに、理解となっているかわかりませんけども、今申し上げたような「行政経営品質の向上システム」というものと「コンピテンシー型の能力開発の研修」というものこれで少し時間はかかっても意識改革というものがじわじわと進んでいくのではないかと、進ませていけるんじゃないかなと、手ごたえは感じられます。

(宮脇)
 山口先生、道内の市町村含めて、職員の行動様式を変えるような研修と申しましょうか。ここが一つの課題になっているのでしょうね。この研修というやり方、これは何かうまい突破口みたいなものがあるんでしょうか。

(山口)
 私自身も研修の講師というのはなかなか考えて、話している方も退屈になる研修というのもありますし、割と自発を感じられてこちらも勉強になるなという研修もあります。要は職員の自発性の意味ですね。

 私はあの自発的にいろいろ勉強して、例えば北海道でいえば道路公団とかありますので、そういったところに出かけていっていろいろと自己啓発をする人に、もうちょっと役所の方で何かインセンティヴを付けてあげればと思いますね。それからもうひとつは、政策的な研修でいろんな立派なレポートも出てくるんですが、それが少しでも形になって利用するという手ごたえが出てくると、研修の参加する意欲も違ってくると思いますね。

(行政基本条例と住民投票制度)
(宮脇)
 ありがとうございます。残り時間も少しになりましたので、質問を中心にさせていただきたいんですが、いくつか質問があります。ひとつは行政基本条例のことです。高知県として行政基本条例ということについてどういう風にお考えになられているか。北海道の場合、これは成立したわけですけども、高知県としてどう考えられておられるか。

 それからもう一つはそれと密接に関係するんですが、県民の方との距離感をどんどん小さくしていこうという方法の一つである住民投票制度についてです。この二点、どうぞお聞かせください。

(橋本)
 後段の住民投票についてですが、私は、地方行政を進めていくうえでの有力な道具の一つだと思います。ただ、オールマイティではないし、すべてのことに通用するわけでありませんし、あまり多用されるのもいろんな問題が起こるのではないかということを思っています。というのは、そんなところまではポピュリズムが行かないでしょうが、なんでも住民投票でやろうではないかといって、じゃあ税金を無くしてしまおうといったら反対しない人は多分いないだろうと思います。

 それではやはり公共的なサービスっていうものが成り立たないわけで、そういうようなバランス感覚が取れるまで熟度が達すればいいと思いますが、単に制度ができてなんでもやってみようということだと、むしろそういう無駄なというか無用なエネルギーを使うことになるのではないかと思います。それから、原子力発電所でも、うちの場合には産業廃棄物の処理場をめぐって住民投票条例ができて、十月の末にやろうということになっているんです。

 その一定の熟度というかそこでの喧喧諤諤の議論をあって多くの方々がその問題を意識をした上でやっていくのならば、私は意味があると思います。例えば原発のような国のエネルギー政策にかかわるもの、また産業廃棄物でもそうですが、県全体の公益性に関わるものを、一部の住民の投票だけで決めていいのかという議論はあります。

 それはそれで意味があると思いますが、「だけ」で決めるということでなければ、それすべてを決するということでなければ、やはり住民投票にかけて、住民のみなさんの理解が得られないものはいったん考えて、またその後もう一度住民との議論をはじめるきっかけにするという仕組みとして、時間がかかってもいろいろなやり取りを重ねていく途中の段階として住民投票というのは充分使っていける手法でないかと思いますね。

 それと行政基本条例にもやや関わってきますけど、北海道の行政基本条例がどういうものか自分がよく勉強していなくて恐縮ですが、本県でも自治基本条例という形で、やろうと思ってはじめました。ところが、やっているうちに、行政が一方的にこれが自治だといって条例を作るのはおかしいのではないか、自治というのはやっぱり県民が考え県民が参加して動かしていくのが自治だから、というそもそも論があって、それもそうだな、ということからいったん頓挫をしました。

 そして、また県民レベルで議論をしてというのを積み重ねてきていますが、なかなか実際に県民の間からそういう自治基本の条例を作ってこうやっていきましょうというところまで、正直、地方自治というものはまだ熟成して熟度が高まっていません。

 それで、なかなか形としてはまとまっていませんが、さきほどから申し上げております県民参加のありかた、例えば一定の事業をやっていくときには必ずワークショップのような形で、県民参加で議論していきながらやっていきましょうという風なことを取り決めていくとか、まだ一定のこのような事業に関しては住民投票の条例をひとつの判断の基準として取り入れていきましょうとか、そういうものが熟度としても制度としても取り入れるようになるととても意味もあるし、ぜひやってみたいなということは思っています。

 将来の形としてはぜひそういう基本条例作っていきたいと思いますけれど。まだなかなか形としてまとめきれていないのが高知県の実情です。

(宮脇)
 山口先生、住民投票制度の、知事の言葉を借りると無用のエネルギーが生じてしまう問題がまだあるんじゃないか。こういう住民投票制度の現状における展開といいましょうか、こういう問題。それから自治基本条例についてどのようにお考えですか。

(山口)
 直接民主主義というのか、住民投票というのは地域の非常に重要な問題について、最後は民意で決める仕組みとして意味があると思います。ただこれを制度化するにあたっては先ほどの知事の話にあったようにあまり乱用されないようなある種のハードルというのか。要するに住民投票をやるからには住民もよほど覚悟を決めてというか、意を決してしっかりと自分たちなりに勉強する、しっかりとした判断をするという、いろんな前提条件を整えなければいけないわけです。

 ですから、そのための仕組み作りということがまず重要になります。そうすると、リコールやなんかの直接請求みたいな形である程度のハードルは当然設けなければならないという風に思いますね。ただ、こないだ滋賀県のどこかの小学校の校舎の解体問題なんか見ても、ああいう小説もありましたけど、ああいうの見てますとやっぱり反対してる人たちは政治的な判断や思いがあった人ではない。

 要するに地域の財産である校舎を残して大事に使いたいということを考えている人たちです。そういう人たちが行政の進める事業、政策に対してちょっと待ってくれということを言うための仕組みというものは必要だなと感じます。

(四万十川と森林環境税)
(宮脇)
 次の質問ですが、環境関係のご質問がフロアからいくつかあがっています。これは事実関係がどうかわかりませんが、橋本知事が四万十川をカヌーで下られたというそういうことをご覧になったという方がいらっしゃいます。四万十川をカヌーで下りられてどういう風に川というものを感じられたかと。

 それとセットで、今高知県の方では森林環境税でしたでしょうか、これをご検討されていると思うんですが、こういう動きはある意味で地方での独自の課税といった展開という側面と、環境問題の側面とを、結びつける試みではないでしょうか。こういった環境制度、環境問題そういうものについて何かお考えがあればお話いただきたいのですが。

(橋本)
 四万十川をカヌーで下りましたのは知事になって間もないころでしたので、多分もう十年近く前のことだと思います。ある知り合いの人といっしょに二人乗りに乗っておりましたけど、途中で見事転覆してびしょぬれになったのを覚えていおります。

 川など下っていて何を感じたかということですけども、正直言って四万十川というのは日本最後の清流と言われながら、私は自分自身が高知に行き、高知の知事になってから見て、決して日本最後の清流といっていわれるほどの川ではないな―何か逆宣伝になってもいけませんが―ということを感じました。

 と同時に、やはりなんとかせっかく日本最後の清流という呼び名、愛称がついているわけですから、それにふさわしい形をなんとか維持し取り戻すことができないかなと思ってさまざまなことをやっていました。細かいことを言えば、道路の事業でも、「木の香り道作り事業」という名前で行いました。道路の道幅を広げるときに山の方を削りますと割れ面ができますので、従来はコンクリートのブロック、またはコンクリートの吹き付けで固めるという事業ばかりでした。

 調べてみますと安全上別にコンクリートで固めなくても大丈夫だというところが、十分の一ぐらいはございます。こういうところは間伐材で木の枠で段々を作って、そこにポットに入った苗を置いておくと自然に苗が芽を付けて自然の植生がよみがえるというもので、四万十の流域を中心にはじめて、これは国の事業としても取り入れられたものがございます。

 それから四万十に関してはもちろん清流保全の条例を作り、さらに地域を一定、限定をしながら、そこでのさまざまな営業行為を規制していくそういう規制を含めた四万十川条例と呼ばれる条例を作りました。これは県だけではなく、関係の市町村も入っていただき、しかも愛媛県側にも支流を持つ市町村がございますので、愛媛県側の四つの市町村にも条例を作っていただいたという形で、かなり具体的な形を取れたのではないかということです。

 それから森林環境税ですけど、これを最初に考えたのは二〇〇〇年四月の地方分権一括法で、法定外の普通税とか目的税が作りやすくなった。こういうと表現が悪いんですが、当時の自治省との協議が簡単になった。ということから高知県でもなにか考えられないかねといって検討をはじめたのがきっかけです。

 その中からいろんな意見が出てきたんですけれど、ただ財源が地方も厳しくなったら、財源を補うために法定外の普通税・目的税をということを言いますと、県民のみなさんにとっては地方分権がすすんでどんどん増税になったと。地方分権ってのはいったい誰のための何なのだということになりかねません。

 そこで財源を補うためではなくて、広く薄く負担をいただくことでこれまで気づかなかった問題に気づいていただく、またこれまであまり関わりを持たなかったことにも住民の多くの方にかかわりを持っていただくきっかけになるような税が考えられないかという中から出てきたのが、この森林環境税です。というのは、本県は県の面積の八四%が森林という全国でも一番森林の比率の高い県です。

 しかし、ご承知のとおり外国の材木に押されて価格が非常に下がって森林の手入れができない、そのため水を蓄えて川にじわじわと流して下流の都市に水を提供するとか、また炭酸ガスを吸って地球温暖化の源を吸って酸素を供給するとか公的な機能がどんどん衰えているわけですね。

 ということは、高知県だけではなくて全国的な問題ですが、これを今ある財源からなにか手当てをすると県民の皆さんからなかなか見えないところで予算の品目だけ変わって何か新しい事業をするとそういうことになります。そうではなくてこの機会に県民のみなさんに広く薄く負担をしていただく、そして森林環境税という名前を打ち出すことによって、県民の多くの方々に、高知市なら高知市に住んでいる方にも、森林の大切さということを考え、何かアクションをおこすきっかけになればということで取り組んできたものです。

 二年くらい県民との皆さんとの議論を深めてこの二月の今月からの県議会に提案をして新年度実現をできればということを思っています。だいたい一つのご家庭あたり五百円ほどのもので、これはさきほどいいました法定外の目的税・普通税ではなくて県民税に上書きするという形に変えました。

 その理屈はいろいろありますんで細かいことは省きますが、そういう形で年間の収入は一億余りというわずかなものですけれど、それをきっかけに街の方々にも森林のことで森作りにいろいろと関わっていただけるような事業ができなればと考えています。

 今海の日とか空の日ございますが、高知県は「山の日」という休日を作り、県の職員もこぞって山に出かける、そしてボランティアをしたり山の荒れ具合を見たり、良さを感じ取ったり、そういう運動を起こしていきたいと思いますし、さっき四国全体の話がありましたけれど、高知県だけではなくて他の三県も非常に関心を持っていただいておりますので、三県でその森林環境税というものがさらに何年後かに動き出せば、全国的にも大きな発展になるのではないかと思います。

(宮脇)
 最後に、北海道においでいただいてますので、高知県と北海道と非常に共通しているところがある一方で、非常に対照的な部分もあると思うんです。面積ですとか人口、財政とか、こういう非常に対照的な面を持っている北海道、こういったところの行政を担うにあたって、なにか違う部分は必要なのか、それともそれはまったく知事が今やられているものと同じなのか、それとももし何かお考えがあれば、お気づきの点があれば教えていただきたいんですが。

(橋本)
 違うものは、僕はないと思います。自分の目に見えていない、気づいていないだけかもしれませんが、ないと思います。やはり県庁ということを中心に考えればこれまでの県庁とたとえば議会との関係だとか、県庁の―ここでは道庁ですね―職員の方の意識、仕事の仕方を切り替えていくそのリードをしていくということですね。そういう意味では私は違いがないのではないかと思います。

 ちょっとまた自慢話的で恐縮ですけども、本県から提案した事業で一・五車線の道路整備というものがあります。これは何かというと、道路の改良というのは本来二車線になっている。片側一車線の改良ができてはじめて改良が済んだというのが国の基準でした。ところが地域に行けば、わざわざ二車線しかも同時に作ってくれなくても一・五車線くらいの幅でお互いすれ違いができるようになれば、また急なカーブの見通しが良くなれば、それで充分だと言う声がいっぱいあります。
 そこで一・五車線の整備というものを道路改良として位置付けてもらう、ということをまずやり、それを国の事業としても取り入れていただくということになりました。なにがいいたいかというと、この事業は本県の場合に八四%が森林ですの非常に急峻な地域が多い、コストもかかる、というので二車線整備をやっていたら今後まだ道路整備が全部終わるのに九〇年かかるという計算になるんです。

 そういう実態の中から一・五車線というものを認めさせてやっていこうという動きが出ました。北海道も本県とはまったく地形も何も違うわけですが、国の基準ではなくて、北海道の地形・大きさの中から出てくる「北海道の基準」があるべきではないか。

 そしてその基準は、いっぱいさまざまな事業で出てくるのではないでしょうか。そういう事業をどんどん打ち出して国を動かしていく、また先ほどもちょっと言いましたが、同じ思いを持っているような知事が連携をしてそういうものを形にしていくというのが今必要ですので、それぞれの違いというもの、その違いはあるけど違いの中から出てくる北海道独自のものを打ち出してそれを形にしていくことが必要かと思います。

(宮脇)
 ありがとうございます。もう時間過ぎております。最後にセンター長の方から。まとめをお願いします。

(山口)
 橋本さん言ってみれば改革派知事の第一号、元祖みたいな存在で、いろいろと改革をやってこられたということがよくわかったと思います。やはりそれぞれの県の中でできることをやっていくという面と、それから国の仕組みとしてこういうことを変えていくんだという発信する面と、この両面が今の時代のトップには必要なんだなと改めて感じました。

(宮脇)
 ありがとうございます。それではいただいた時間過ぎておりますのでこれで鼎談の方終わらせていただきたいと思います。改めまして橋本知事の方に拍手を持ちましてお礼に代えさせていただきたいと思います。どうもありがとうございます。


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