公開日 2007年12月08日
更新日 2014年03月16日
新年の職員へのあいさつ
平成18年1月4日(水曜日)県庁 第二応接室
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
それぞれに良い新年をお迎えのことだと思います。私は家の中に閉じこもって、ずっと寝たままテレビを見て過ごすという、そんな寝正月を決め込んでいました。
そうしてテレビを見ておりまして、ひとつ気が付いたことがありました。それは2つの生命保険会社のコマーシャルが、ほとんど同じコンセプトだったことです。
ひとつは、若い父親が子供と家族を連れて実家の田舎に帰省をするという話から始まるものです。家族団欒で話をしていて、ふと隣の部屋に行くと、その部屋の柱に、自分が小さいころに背が伸びるたびに親父さんがつけてくれた柱の傷が残っている。
それで昔を思い出し、その後自分の小さな息子を柱の前に立たせて、三角定規を当てて新しい傷を作るというストーリーで、「心はお金で買えないけれども、お金に心をこめることができる」というキャッチコピーのついたコマーシャルでした。
もうひとつの生命保険会社のコマーシャルも若い男性が主人公で、小さいころから学生時代の親父とのふれあいがフラッシュバックをしていきます。
その都度親父さんが、「がんばれ」とか「止まるな」とか「走れ」とか言ってずっと声をかけるシーンが出てきて、最後はきっとサッカー選手だと思いますが、スタジアムでグラウンドに駆け出していく。ふとスタンドを振り返ると、親父さんが手を振りながら応援をしている。
「夢を実現させるためには・・・」というようなキャッチコピーがついていたと思います。この他にも日ごろ身近にあって何気なく感じているもの、しかし、その背景には多くの方の協力があるという、身近な方への感謝を呼びかけるという類の製薬会社のコマーシャルがありました。
そういうものを見ていて、確かにいいコマーシャルだという評価もあるかと思いますが、だんだんひねくれが進んできている自分としましては、少ししらじらしさというか、わざとらしさというか、作り物の感じがしないではない、そんな若干の違和感がありました。
違和感ということで申しますと、昨年の忘年会でクリスマスイブに行きました谷村新司のディナーショーの時に感じた若干の違和感についてお話しました。
その時来ておられた面々は、政界では森元総理、竹中総務大臣、中川政調会長、また、経済界からは、トヨタの名誉会長、会長、副会長、六本木ヒルズや歌舞伎町の開発を手がけている日本最大のディベロッパーである森ビルの総帥、政治と経済を結ぶ郵政公社の総裁といった方々がおられました。
それぞれに顔を知らないわけでもありませんので、会釈をしたり、何人かの方とはお話もしました。
しかし、そうしたみなさんがリードしている社会を見て、この十数年自分が人生をかけてきている地方の実情、特に中山間で暮らすお年寄りだとか、非常に厳しい地域でがんばっている人々の姿を重ね合わせますと、非常に距離感が開いているという違和感がありました。
心とか夢とか感謝とかいうことが大切なのは言うまでもありません。また、自由競争の中での、ある意味での優勝劣敗、そうした中で口をあけて待っていれば誰かが何とかしてくれるという風な依存体質を持つ人が後に追いやられていく実態、これは時代の流れとして避けられないことだとは思います。
ただ、日本の社会の中で進んでいることが本物かどうかというと、偽物とはいいませんが、何か本物らしくないというのを感じます。
では、本物というのは何かなと思っていましたが、昨日箱根駅伝の2日目の様子を中継でずっと見ておりました。
往路優勝した順天堂大学が、箱根の山下り6区から7区まで順調にリードしていましたが、8区のキャプテンの難波君というのが残り5キロくらいの所で脱水症か何かになりふらふらの状態になりました。
監督が出てきて何度も水を差し出して水をかける、しかし、だんだんふらふらが進んできて、駒沢大学や亜細亜大学に抜かれるということで、何人目かに抜かれた時に彼自身も気力が萎えたんでしょう、後何百メートルというところで止まりかけました。
それでも死力を振り絞ってたすきを握って中継点まで行きました。解説の人は、「これが個人の競技であればとっくにやめていた。駅伝という一人がやめたら全体の努力が台無しになる、そうしたレースだから彼も最後までがんばれたんだ」ということを言っていました。
その彼が、残り百何メートルふらふらになりながら、どうにかたすきを握り締めて中継点に入る様子を見て、「がんばれ」と思わず声をかけておりましたし、中継点でたすきを渡した時には、おもわず涙があふれるのを感じました。本物というのはこういうものではないかと思いました。
私たちの仕事は、見ている人に感動や涙を与える仕事ではありませんが、チームワークで死力を尽くして最後まで目的達成のためにがんばるということが、本物の仕事として必要なのではないのかと思っています。
高知県はずっと改革ということに取り組んできました。そして着実に成果が上がってきていると思いますが、今こそ本当の意味での改革ということに、本物の改革に取り組んでいかなくてはいけないと思います。
私が感じる本物というのは、これまでの役所・県庁の中の仕組みだとか仕事の仕方から物事を推しはかって、その基準で外の現実をはかっていくような仕事の仕方ではなくて、外にある現実・ニーズというものを物差しにして、自分たちの仕事を変えていく、内向きから外向きに仕事を変えていくことではないかと思っています。
単なるスリム化や削減が改革ではありません。それは仕事を変えていくための手段だということを、ぜひ皆さん方にも考えてほしいし、すべての職員のみなさんにもそうしたことを伝えて欲しいと思います。
そしてその際には、昨年最後の庁議の時にも申し上げましたが、単にスリム化や削減を考えるのではなく、15年度に設けました経営方針の中で綴った県民のみなさんとの協働、住民力を活かすということを今こそ県庁の骨に据えていく、そうした本物の改革を進めていく年にしたいと思っております。
もうひとつテレビを見ていてこれもキーワードだと思ったのは、ポジティブという言葉です。
高知県では多分流れていないコマーシャルだと思いますが、東京や首都圏周辺では東京メトロ、昔の営団地下鉄ですけれども、このコマーシャルが盛んに流れています。
例えば、「地下鉄で温泉めぐりをしましょう」というようなストーリーだとか、「日本橋で彼と別れを告げて浅草で甘いものを食べて立ち直る女性のストーリー」だとか、そういうものがいくつか放送されていて、その後に「東京ポジティブ」というキャッチコピーが流れている。
また、もうひとつニュースを見ていますと、10歳のイギリスの女の子が書いた本が今イギリスで話題になっているというトピックスをしていました。
その子は、6歳の時に両親の離婚を経験して、ものすごくその時は落ち込んだ。その落ち込んだ自分を立て直すためにどうしたかというと、毎朝鏡を見たときに、自分は昨日の自分よりも一歩前進をしているということを5回鏡に向かって自分に呼びかける。また、昔の楽しかった時の写真をずっと見つめて、目をつぶって考えてみる。そうすると楽しい気持ちが心の中のイメージとして沸き上がってくる。そうしたものを綴った本で、それが大変なベストセラーになっているという話でした。
10歳の女の子にそうした本を書かせるという時代背景・社会環境は、大変恐いものがあります。しかし、そういった時代だからこそ、社会だからこそ、ポジティブなものの考え方がとても大切なことではないかなと思いました。
数年前に、カラ元気でもいいので元気を出そうということを言ったことがありますが、カラ元気というのは自らカラだということを自覚しながら、それでも元気を出そうということです。
しかし、ここまで時代と環境が変わってきたらカラ元気ではなく、今こそチャンスだという自信を持ってポジティブに本物の改革に取り組んでいかなければならないかなと、そうしたことをこの1年是非がんばってみたいと思います。
高知県はとてもいいものもいっぱいありますし、いい人材もまだまだいっぱいいます。けれども、高知県というのは、お互いの足を引っ張ったりくさしあったりする、そうしたことにある意味存在価値を感じている人が各分野に多すぎる感じがします。
そうした足の引っ張り合いだとか、くさしあいということをやめて、一致団結ひとつのことに取り組んでいくポジティブな姿勢が今高知県に求められていると思います。
高知県庁も全く違いはないと思います。少なくとも高知県庁だけは、みんながくさしあったり足の引っ張り合いをするのではなくて、一致団結して本物の改革に向けてポジティブに考え取り組んでいける、そういう県庁にしていきたいと思います。
自分自身はポジティブな思考で本物の改革に取り組む、そういう1年にしたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。