公開日 2007年12月08日
更新日 2014年03月16日
こうち山の日制定記念「森はともだち」シンポジウム すぐそこにある森から考える−梼原町と馬路村の取り組みから−
平成15年10月19日(日曜日)13時00分から16時30分(高知県民文化ホール(オレンジ))
本県では、豊かな森林の恵みに感謝し、森林や山を守ることの重要性に対する理解と関心を深め、県民一人ひとりが森林を守る活動に参加し、また自ら行動することによって山を守り次代へと引き継いでいくことを目的として、「こうち山の日」を制定しました。
標題のシンポジウムは、「こうち山の日」の制定を記念して、森林の大切さや、森に対して今私たちにできることを、県民の皆様と一緒に考え、森林を守る活動に参加する契機としていただくことを目的として、下記のとおり開催しましました。
◇講演者◇
山本一力(高知市出身直木賞作家)
(パネルディスカッション)
◇コーディネーター◇
松崎了三(田舎まるごと販売研究家)
◇パネラー◇
中越武義(梼原町長)
上治堂司(馬路村長)
ロギール・アウテンボーガルト(手すき和紙工芸家)
千賀子・アウテンボーガルト(森林インストラクター)
橋本大二郎(高知県知事)
はじめまして。山本でございます。大事なこのシンポジウムの始まりに先駆けまして、皆さんの前でお話をさせていただけますのは大変に名誉なことであります。東京から一昨日の夕方、6時半ぐらいの到着の飛行機でまいりました。もう今の時期は夕方の5時を過ぎますとだんだん日が暮れてきて、空港に降り立ちます手前では空がすっかり暮れておりました。
海岸線にいろんな住まいの明かりがともっておりますけれども、それが本当に海岸線をなめるように明かりが残っているだけでありまして、その奥には圧倒的に暗い、もう明かりの見えない、何があるか分からないような地形だけがぼんやりと浮かんでおりました。つまりあれは山です。
高知が全国の中で一番森林の占める比率が高い県であるということは、私は今年になって初めて知りました。私は昭和23年の生まれで、昭和37年までの14年間、この高知で生まれて思春期の入り口までをしっかりとこの高知の空気の中で育ちました。
そのときの思い出としましては、高知は背後に四国山地が迫っているということは、これはもう学校の授業であれ、毎日の眺めであれ、町を見れば北山もありましたし、反対側には筆山もありました。山が県を囲んでいるという実感はありましたけれども、自分の感覚としては太平洋に面して広々とした海の広がっている海の県だとすっかり思い込んでおりました。
それは55歳の今年になるまで実に40年以上も「土佐」と聞くと、海を自分の頭の中に思い描いておりました。山が占める県ということでふっと問われたときには、例えば東北の秋田でありますとか、屋久島のあの天然杉のところでありますとか、いずれにしても土佐は全然自分の中に山の県であるという印象が残っておりませんでした。
今年、「山の日」を全国に先駆けて制定されて、県民全員に対して山がいかに日常の暮らしと自分たちの中に深い接点を持っているか。それをもう一回足元から見詰め直していきますということを書き下ろしの『父子杉(おやこすぎ)』を着手する前に委員会の方々からご説明をいただきました。その方々は大変に熱っぽく、この土佐がいかに山国であるのか。
そして、その山に植わっている樹木が、特にとりわけ土佐の杉がいかに一般の人間との密接なかかわりを持っているかということを、縷々(るる)説明を受けております中で、なるほど、土佐というのはそうやって樹木に囲まれて私なんかが子どものころ育ってきのだということを強く認識することができました。
先ほど申し上げましたように、金曜日の夜に着いて、それから真っすぐ町なかに入って、一夜明けた昨日、朝から私は小学校の同級生が営んでおります高知の駅前のホテルが定宿でございますので、そこで前の夜から原稿を書いていて、夜が明けてくる6時ぐらいになりますともう朝の6時の日とは思えないような強い日が部屋の中へ差し込んできます。
気持ちが良くて、外へ出て、きれいな川というよりはもうドブ川に近いような川になっているんですけれども、その川っぺりに立ってそこに漂ってくる高知の空気というのは、私が東京の江東区の富岡というところに暮らしておりますけども、すぐ近所に富岡八幡宮がありまして、そこには深い木立があります。
その木立を通して漂ってくる朝の気配と、周りに樹木なんかはないんですけれども、もう本当にドブ川に面した目の前に立ってそこで思いっきり吸ったときの空気の気配がほとんど同じでありました。つまりそれだけ、この土佐というのは、空気が山の木立の中できれいに循環されて清らかな空気が朝、町へ向かって山から下りてきているということです。ものすごくうらやましく思います。
都会に暮らしております人間は、さまざまな文明の利器に取り囲まれて、一見便利そうに思います。今や、さまざまな通信手段が完備されておりますから、東京と高知との間に物理的な距離の隔たりはありますけども、物事を共有していくということにおいては何ら変わりはありません。
インターネットと呼ばれるものをホテルで回線を接続しましたらその瞬間に、東京と高知がもう距離感なしに同じ場所に立っております。そういう意味においての距離の長さというものは、物理的なものはともかくとして、実感する距離の差というものは、もはや皆無であります。しかしながら自然というのは全く別です。
いかに高知と東京との距離がなくなったとはいえ、そこに漂っております空気は紛れもなしに高知のものは高知のものであります。朝起きて夜床につくまで、このきれいな空気の中に、きれいな空気というのは山の樹木がきれいな空気をろ過してくれている、その恩恵を受けているこの高知の人たちは、それが当たり前であるが故になかなか山がいいとか、木が大事だとか、そういうふうなことを感ずるのは難しいと思います。
私が高知に暮らしておりました子どものころは、今とは文明の発達の仕方がまるで違いますから、同一線上で比べるわけにはいきません。また、あのときに土佐の空気がきれいだとか、空気がおいしいだとか、そういうふうなことを感じたことは、今、思い返してもほとんどありません。
いったん外に出て行って、この恵まれた自然、とりわけ空気というのは、水と同じで両方とも生きていく上においてかけがえのない大事な財産です。今、東京で暮らす多くの人は水道(の水)をそのまま飲むのではなしに、何らかの浄水器を間に入れるなり、もしくは別売りのミネラルウオーターというものを買って飲むなりということで、自然が豊かに与えてくれている水辺に暮らしているという感覚は大変に希薄であります。
地方に行きまして、山が町のすぐ後ろまで迫っている山あいの宿に泊まったときに、水道の蛇口をひねってコップに受ける水のうまさ。冷たくて澄んでいて、時に甘露な味がする、あの水のうまさというものを味わえるときに、人はこれほど幸せなことを感ずるかなあと思うほどに至福感を自分の体の中に取り込んでおります。
同じことが空気にも言えます。この土佐はきっといろんな意味におきまして、膨大な山が県の面積の84%までが山で占めていることは、見渡したところ、はげ山がないということは何らかの木が植わっているわけです。その植わり方に問題があって、例えば、春先には杉の花粉が飛沫して、その花粉によって従来にはなかったアレルギーの症状で苦しめられる方が、これは何も土佐だけではなしに全国的にそういう方がいます。見ていて大変つらいと思います。
私も目がかゆくなったりしますけども、幸いにしてそれほどひどい花粉症というものにあわないで済んでいるんです。もうマスクをして目から涙を流して、本当にその涙が止まらないという方にとっては、杉花粉というもののアレルギーは決して人ごとではなしに、もう自然を守ろうとか、地球に優しいとか、そういうふうなお題目を唱える前に実際の暮らしの中において自分に降りかかってくる新たな災難だろうと思います。
とてものことに木を守ろうとか、山が大事だと言われましても、自分の身体的な災害を身に浴びているさなかにおいてはそういう気にはとてもなれないと思います。私が子どもの時分はともかく、もちろんとしまして、本当に杉の花粉症というようなものが世の中の人の口に上って、そのことが社会問題としては取りざたされるようになったのは、それほど古いことではないと思います。
少なくとも、私が高校を卒業して社会人として会社に入社した昭和41年ごろ、旅行会社を退職した昭和50年ごろ、そんなことを誰かが言って問題にしていたかということを思い返してもどこにもそういうことは記憶にありません。
木がいきなりふえるわけはないですから、きっといろんな要素があったのでしょう。それまで目がかゆいと思いながらも、なんだか訳が分からなかったのが新たな杉の花粉症という症状が分かったことによって、社会問題化したものかもしれません。
しかし、山の杉は人のそういう営みとはかかわりのないところで、自分たちの生存をかけて、季節になれば花粉を飛ばして新たな子孫を育てるために生殖の営みを行っていたわけであります。これは私が子どもの時分からも同じだったでしょうし、私が小説の舞台としております江戸時代までさかのぼっても決してそれは違っているとは思えません。
なぜなら、杉が新たな杉を生み育てていく営みというのは、江戸のころも今も、何一つ変わっていないそうです。変わったのは、われわれ人間のほうです。人の数がふえて、人が知恵をさらに蓄えていって、いろんな道具を手にして、自然に対して人のほうが、時に優位に立っていると勘違いをして、山の中に人がずかずかと分け入っていき、
勝手に山を荒らし、山の動物を追い払い、好き勝手にやってきたことがある意味において、今、杉のほうがそのままやって、そんなことばかりしていたら自然が壊されますよという強い警鐘をわれわれに対して打ち鳴らしているのかもしれません。
これは、あくまでも私の個人的な考えですから、この後のシンポジウムで森とのかかわり方、木とのつき合い方ということをいろんな角度からきっとお話が出るだろうと思います。
「山の日」にちなんでの朗読劇を書いてほしいと頼まれましたときに、いろんなことを私もそこで考えました。従来、知らずに済んでいたことを、資料を読み込んで初めて知ったということがいくらもありました。一番びっくりしましたのは、私なんかが子どものころ、町には杉の丸太がごろごろ、本当にいろんな所に積み上げてありました。
製材所が山のようにありました。のこぎりが止まった後の、あのオガクズが舞い散っている、オガクズの山がある、杉の木がいっぱい山積みになっているようなあの製材所の材木置き場というのは、子どもにとって何よりの遊び場でした。
あの積み上げている杉の丸太の上にわっと誰が一番最初に上れるかというのが子どもの中の遊びの本当に大事な種目でありましたし、杉の丸太を積み重ねて運ぶ馬車というものがこの高知の町なかを本当に行き来していたのです。
その荷馬車は当時は道なんか舗装されておりませんから、少し雨が降るとでこぼこ道に水たまりができて、その上を荷馬車のわだちがずっと前に進んでいきます。子どもはいたずらをするのが何よりの仕事ですから、その荷馬車の後ろへ回ってきては、その杉の木に向かって飛び乗るんです。ゆっくり進んでいる荷馬車に飛び乗るのは子どもでもできました。飛び乗る瞬間に重さが変わります。
子どもの体重ですからさほどに重たいものではないんでしょうけれども、それでも熟練の御者には何か後ろで起きているなというのは分かるわけです。通りの端のほうへ行って馬車を止めると、御者が下りてきて、その杉に乗っている子どもたちをふんづかまえて頭をゴツンと殴って思いっきりしかられたものです。そういうふうにして、自分たちの暮らしのすぐそばに、そばというよりももう呼吸をしている息づかいの先に木がありました。
土佐の山から切り出した杉であります。大きなものもあれば、小さなものもある。それらが製材所では昼間縦に動くのこぎりに向かって、こう、丸太が入っていって、のこぎりの木をひく音が立って、オガクズが周りに飛び散る。のこぎりと丸太とが摩擦を起こして木の焦げるようなにおいがしながらもそこからはあの杉特有の香りが漂ってきます。
子どもたちは自分のすぐ近い所に杉があるということを感じておりました。製材所が閉まった後に、そのおがくずを手に取って子どもたちが投げ合います。目に入ると痛くて仕方がないんですけれども、また首筋に入ったりするとかゆくて、冬場でも同じようなことをやって遊んでおりましたから、セーターの上にはもうオガクズがこびりついてしまう。
首の間からおがくずが入る。そういうふうなことをしながらも、子どもたちは木がすぐ身近なところにありました。木がどういうものであるのか。どんな役に立つのか。木が何になっていくのか。丸太が運ばれてきたものが、材木が板に変わっていく。
その板が時には物に変わっていくというものを、一連の工程を町の暮らしの中で木と接点を持つことができておりました。ですから、ことさら人からどうこう言われなくても、木というものは人の暮らしの中にすごく役に立っているんだということは、学校の授業で教わらずにもそのことを感ずることができました。
今、木を表現するときに「人肌のぬくもりがある」ということがよく言われます。たしかにそうです。私は少なくともそう思います。あの木が放つ香りというものに関しては、ほかの化学的につくられた香料ではとても感ずることのできない、安らぎと言いましょうか、人に心地よい香りが伝わってまいります。
でもわずか今から40年ほど昔には、町の中に、息づかいをするすぐ先にその木があったんです。今は高知の町で製材所がどうであるとか、今私が申し上げたような話、これはこのままではもううっかりすると歴史の一こまのようなとらえられ方になっていきます。
これほど木に恵まれた県でありながら、山の中で植わっている杉が、ヒノキが、おれたちが人のために何かやっているぞだなどとは、とてもあの杉の木立たちはそんなことは考えてもいないでしょう。
自分たちが炭酸ガスを吸って酸素をはき出すという小学校のころに教わったことを日々の営みの中で木は繰り返しているに違いありません。その恩恵がこの土佐の高知県という全域をきっと覆っているんです。どれほどの恩恵があるかということは最初に申し上げました。
県の外から一歩、それも列車でじわじわ来るのではなしに、点と点を結ぶ飛行機でビュッと飛んできて空港へ降り立てばその手前の羽田でかいでいた空気と、日章の飛行場の空気がこれほど違うんだということは、点と点を移動すれば際だってまいります。土佐というのは、そういうふうな県なんです。これは私が子どもの時分も今も変わっておりません。
先ほど驚いたと申し上げたのは、その木に携わっていく産業が衰退の一途をたどって、今や林業に従事している方が2,000人を欠けるのではないかというような数字を先日示されましたが、本当にこれは驚くべき現象でありましょう。
さりとて、すぐに木をどうするとか、自分たちが何をやるとか、こんなふうに困ってきているんだからなんとかしようとかと言ってどうにかなるような、そんな簡単な問題ではないと思います。「つぶれかけた八百屋があるからそこへ行ってみんなで物を買ってやろうよ」ということであれば、その町ぐるみの100人ぐらいの人が毎日そこの八百屋さんで物を買えばその八百屋さんは生き延びることができるかもしれません。
もう少し大きな単位で、例えば、大型のスーパーがすごく地元のために一生懸命やってきてくれていたスーパーが、隣の町にけた違いの大きなスーパーができたために客が来なくなってもう青息吐息になっている。ここをなんとかしてやろうよ、ということであっても、それぐらいの規模のことであれば、いくつかの町の人たちが「よし、やろうよ。
おれたちのためにある店だ。あそこをつぶすのはまずい」と言って、力を合わせればこれはどうにかなります。しかし、高知県の84%を占める山が今苦しんでいる。そこの林業に携わる人たちが「青息吐息だ。なんとかしてよ」と言ってもこれは個人が少々の力を合わせてどうこうなるわけではないと思います。
木というのは、もっと言えば、急に今日やった結果が来月には分かるというようなそんな生やさしいものではないからです。時間の長さが違います。何十年という単位。つまり、今、そこに力を投じていった、力を貸してくれた人たちは、その答えを見ることなしに旅立ってしまわなければいけないというぐらいの単位の話です。
私が『父子杉』という朗読劇を書かせていただいたときに、自分で主題としましたことは、まさにこの一点であります。今やったことがすぐ答えになって出てくれば、やるほうも元気が出ます。おれが力を貸したからあいつなんとか助かったよ、というようなことになるんであれば、力の出しようもあるでしょう。でも木はそんな簡単なことでは答えは出してきません。
『父子杉』で言えば、安次郎というおやじが息子の杉太郎に対して、言葉ではなしに志というものをなんとか伝えていきたいと思っている。それを息子が受け継いだかどうか。これは定かではありません。
しかし、受け継いでくれたとおやじは信じたい。息子は受け継いだことを自分の子どもに、親から見れば孫に、自分の父親から教わったことを子どもに伝えていく、そういうふうな循環でもって物事が動いていくというのが、山の木と人とのかかわりの持ち方でありましょう。
江戸時代は木というものがものすごく身近にありました。すぐに傷んでしまう。火がついたら燃えてしまうという弱さも見せますけれども、人に対して堂々とそこに立つという「木」ならではの強さというものもぐっと示してくれました。何も江戸時代までさかのぼる必要は全くありません。
今、申し上げた私が子どもの時分に十分にあったことです。14歳で東京に行った人間が55歳になって今、皆さんの前でこういうお話をしております。ということは、その間40年でいろんなことがじわじわと変わってきたのでしょう。
だとすれば、今から40年先に元に少しでも戻そうよということを考えて、そのことを信じて今一歩をスタートすれば、40年後、私はもう生きていても90歳を過ぎております。とても何かできる年ではないかもしれません。でも、皆さんの中には40年後に十分社会の一員として物事を進めていける方が多くいらっしゃるはずです。
5年後、20年後に何かしようということではなしに、50年、100年たった次代を担ってくれる。自分たちの世代ではなしに、次代を担ってくれる人、さらに言えば、その後ろに控えている、これから世の中に生まれようとする人たちが恩恵を被ることのできるように、今やれることを生きている人間がやっていこうよということは、これは、私は明日答えが出ることに汗を流すこと以上に極めて尊いことであると思います。
高知県が全国に先駆けて森林の税を徴収することを始めたというニュースに接したときには、たまらなく私はうれしく思いました。「さすが土佐や」と思いました。これは、もっと木の産業で潤っている県もあるはずです。土佐以上に名産としてのヒノキがあったり、杉があったりという県があるはずです。
そういう県よりも先に土佐がそのことを始めた。「自由の風は山間(やまあい)から」ということが高知のスローガンであります。自由民権のこの昔の本当に土佐がそのときの山間というのは、今と同じ杉が茂り、空気が澄んで、空は青い、そういう土佐であったに違いありません。そういう自然に恵まれた所が自由の風を求めて全国に先駆けて立ち上がりました。
平成の今、日本中を不景気の閉塞(へいそく)感が覆いかぶさっております。口を開ければ「仕事がどうの」「何がどうの」。前向きなことを考える前につい自分の足元だけを見詰めて自分がよければいい、今なんとか乗り越えられればいいということに終始して、人は肩を落としてうつむくようにしてものをしゃべっております。
そんなときに、この高知が、今がどうこうではなしに、先へ向かっていくことにみんなが力を合わせようよということで分かりやすいかたちの税金を集めるということを決めました。東京にいてその森林税を払うことに仲間入りできないことが本当に私は残念です。
ですから、高知へ来たときには、東京で買わずに高知で買えるものは必ず高知で買い物をして帰ります。なんだか都会へ物を買いに行くという話はよく聞きますが、高知へ戻ってきて東京でも買えるものを買って帰るということをしながら、私はそれで少しでも高知の役に立てればいいやと思って物を買っております。
そういうふうな税金を払っていくということは、当然その中にはいろんな思いがあるでしょう。杉に苦しめられている人がこの上税金を取られるのかよということで、腹立たしい思いを抱いて当然だと思います。そこにおいてきれいごとはなしです。「明日のために払っている」と言われても「冗談じゃない、この鼻水なんとかしろよ」という怒りのほうが先に出て人は当然です。
でも、いろんな声がありながらも高知県はそういうふうな税金を制定して、一歩を踏み出したんです。この一歩を踏み出すということがどれほど大変であるかというのは、踏み出す努力をした人は十分に分かっていると思います。
よく政治の世界でいろんなことが議論されています。衆議院の解散がどうのこうのというようなことを今言われておりますし、もう間もなく解散をされるんでしょう。政治よりの発言というのは、私は一番嫌いですから一切そういうことは言いません。
でも、あの遅々として進まない、物事を何か決めて今やらなければいけない、おれたちがやらなきゃ、決めなきゃいけないということを決めずに先送り、先送りしてきたツケがいろんなかたちでわれわれの時代にぐっとのしかかっております。
そのケツをわれわれ生きている人間がふければいいんです。しかし、考えてみてください。今年金がどうとかこうとか言っています。あれを今の時代の人間が全部けりをつけずにこれから後に社会に出ていく私たちの子ども、さもなければこれから生まれてこようとする子どもたちの時代……。……先行しながらもやらなければいけないことになかなか踏み出していけません。
高知県は違いました。全国に先駆けて、別に先駆けようとしたんではないと思います。でも全国に例を見ない税金をそこにつくって、山を守っていく、森林を活性化していく。そのために使うお金をみんなで負担して自分たちで全国一の森を守っていこうよということを一歩踏み出されました。私は機会あるごとにそのことを講演会で自慢をして話をします。
これから機会があるごとにいろんな方に、いろんな所で、私の出身の高知はこういうことでやっているといって税金も払っていないのに皆さんに代わって胸を張っていきます。それほどに私にとってこの高知県がやろうとしているということは、自慢であります。なぜかと言えば、先ほど来何度も言いました。
その御利益が今生きている自分たちに直接的に降りかかってくるのではなしに、後へ続いていく人間のために、その礎をつくっていこうということでみんなが汗を流そうとしている。その志に対して私は胸を張りたくなるんです。
昭和30年代の始まりごろ、私は小学生でありました。卒業したのは、江陽小学校という小学校です。5年、6年を受け持ってくれたヨコタ先生とおっしゃる。まだご健在だと思いますけれども、今思い出してもヨコタ先生は事あるごとに子どもの前で背筋をピッと張って、子どもの目をしっかり見て、
「おまえたちはこれからの日本を大事に、いい国につくり上げていく大事な国の財産なんだ。おまえたちが大人になったときには、おれたちが」、おれたちがというのはヨコタ先生です。
「おれたちが戦争をしてしまって国をいっぱい焼け野原にしてしまった。それのケツをしっかり自分たちでふけないままにおまえたちに時代を渡すことになった。でもおれたちはおれたちで国を守ろうとしていろんな人がいろんな所で命を落としてきた。
志半ばにして命を落としてきた自分たちの仲間のためにも、おまえたちがこれから先の日本をいい国にしていってくれ。そうなるように先生はおまえたちに分かっていることを教えていく。だから、おまえたちが学校の授業で学んだことをこれから先の人生の中で役に立てて日本という国をいい国にしていってくれ」。
ヨコタ先生は自分の自慢だとか、自分にとって何がプラスだとか、今がどうで、自分が生きている時代がどうであるというようなことは一言も言われずに、ただただ、子どもたちの目を見て「おまえたちがこれからの日本を大事につくっていくんだ。
おまえたちが力を合わせていけば、今、世の中は貧しくてもきっといい国になる。日本人という民族はそれほどに立派な民族なんだ。日本人であることを自慢に思いながらこれから後の日本を大事にしていってくれ」ということを本当に事あるごとにヨコタ先生は教えてくれました。
この年になって、何度もその先生が何を伝えようとしたのか、あのヨコタ先生が自分というものを捨て去って子どもたちに何を託そうとしたのか、そのことを事あるごとに思い返します。
時代はたしかにいろんなことで便利になっております。世の中は昭和30年代に比べれば物があふれかえって豊かであるかもしれません。豊かかどうか私には判断がつきません。自分なりに1つだけはっきり分かることは、今の人たちがあまりに自分たちだけが良ければいいということを第一に考えているのではないかということです。
あのヨコタ先生が「戦争を引き起こしたのも言ってみれば自分たちだ。でも、その引き起こした戦争のケツをふかなければいけなくて、自分たちの仲間はいっぱい死んでいった。いろんな所で死んだ。無念な思いを持ちながらも死んでいった人たちがいっぱいいる。それでおれたちは責任が取れたとは思えないけれども、自分たちがやらなければいけないことはそれなりに命がけでやってきた」ということを言っておられました。
今、われわれは何を考えていかなければいけないのか。私たちがいくつまで生きていけるのか、それは分かりません。でも今していることは、こうやってこんなことをしてそのまま後ろの世代に時代を渡してしまったら、受け取る人間たちはどういう思いになるか。
国の借金が百何十兆円というような、もうけた違いを通り越したような、絵空事のような数字を目の前に見ていきながらも私たちは日常の暮らしの中で自分たちの時代がそういう借金を後ろに続いてくる世代に押しつけているなどということを考えることはまずないでしょう。こんなことを話している私自身がそういうことをいつもいつも考えるわけではありません。
絶対にそんなことを考えているなんて口が裂けても言えません。しかし、一番最初に申し上げた、私が今暮らしている東京と高知とでは、明らかに空気のうまさは違います。そのうまい空気をつくり出してくれているのはこの土佐の84%を占める山です。あの山の樹木が人のためになどと思わずに、彼らは彼らの営みとして朝起きて、夜寝るまで。
もし木が眠るとしたらひたすらそういう空気の浄化作用を続けてくれております。山が少ない県に比べて山に木をたくさんいただいている県はそれだけできっと幸せです。そんなことは考えようとしてしっかり思わなければ絶対に思い至るものではありません。
「ああ、このうまい空気はあの北山の杉のおかげか」などということを朝起きて寝るまで考えているということがもしあったら、それはそのほうがよほど普通ではありません。そんなことはきっと考えません。事あるときに、何かがあったときに、「あっ、そうか。これのおかげでおれたちはいい空気が吸えているのか」ということを思い至るだけでいいんです。私は少なくともそうだと思います。
千本山の杉の原生林の中に入ったときに、本当にこうべを垂れてしまうような神々しさを自分の中に感じました。誰が何を言うわけでもありません。一緒に来てくださった森林局の方が何か説明をされたわけでもない。自然のすごさというのは、けた違いの中に人がすっと入ったときには何も言わなくても自らこうべを垂れたくなるということです。
そういう強さ、そういう神々しさがきっと自然にはあります。山にはきっと神様がいらっしゃいます。神様の使いがあの太い根を張って山肌を、地肌をガッと押さえている、あの杉であり、ヒノキであり、さまざまな樹木かもしれません。
彼らは自分たちが生きていくために地べたを押さえています。しかし、その樹木がいてくれるおかげで鉄砲水の出ることが防げる。うまい水が川に流れ込んでくる。その水を飲めることで人は自分の暮らしをいいかたちで営んでいくことができます。
私はこれからも時代小説を書きます。時代小説を書くのが私の仕事であります。時代小説を書くにおいて、山が、山の木が人の暮らしとどういう深いかかわりを持っているのか。少なくとも今年『父子杉』を書かせていただく手前と、書かせていただいた後とでは、自分の中でははっきりとした意識の違いが芽生えております。
何度も言いますが、山を守るために山の樹木を大事にするためにみんなで力を合わせて、今の自分に直接恩恵として跳ね返ってくるものではないことに貴重な税金を納めていくという、この行為に対しては誰も文句を言えませんし、聞けばみんながきっとこうべを垂れると思います。
私はそのことを知らしめることができるお手伝いが自分の中でできることであれば、機会あるごとにそのことを言ってまいります。この土佐の空気のうまさ、木がある限りこの空気は続くでしょう。そこにうまい空気がある限り、その県に暮らせる人たちは山のない県に住むよりもはるかに気持ちよく、幸せな日常生活が送れるはずです。
これからも私はこの空気のうまさを求めて高知へまいります。皆さんの財産を皆さんがしっかり守っていかれることをここで改めてこうして自分に再認識できましたのは、話をさせていただいた私が一番の誇りとし喜びといたします。どうもありがとうございました。
(パネルディスカッション)
◇コーディネーター◇
松崎了三(田舎まるごと販売研究家)
◇パネラー◇
中越武義(梼原町長)
上治堂司(馬路村長)
ロギール・アウテンボーガルト(手すき和紙工芸家)
千賀子・アウテンボーガルト(森林インストラクター)
橋本大二郎(高知県知事)
(松崎了三)
山を応援する皆さん、こんにちは。今日は天気がええですね。天井が開いたらいいなというように思うわけです。実は今ビデオを見て、すごくきれいな梼原の山なんですが、あまり良くない山もありましたね。昔は、山は、森は友達や、と。僕たちが小さいときは、遊ぶところがなかったんですね。
山へ行くか、川へ行くかしかなった。だからお金になりゆう間はものすごく山は元気やったですね。でも、だんだん、だんだんお金にならなくなってきたんですね。では山に価値がないのかというと、そうじゃないだろうという、1つの非常に新しいきっかけを今高知県が始めたばかりでございます。
今日はパネラーの皆さんともう一歩、じゃあ山を、この運動を、もうひとつ元気にするにはどうしたらええでというがで、いわゆる高知の山はあちこちにありますけども代表として梼原さんと馬路さんが来てくれています。少し両方の活動をもう一度ビデオで見て、それから皆さんに話を少しずつ聞いていきたいなと思いますので、ひとつよろしくお願いいたします。
《---ビデオ鑑賞---》
(松崎了三)
馬路村、梼原というのは非常に山の中でそれぞれが個性を持ちながらこの山にある木をなんとか金にしていこうということで、一生懸命やっています。まず私にとっては一番話のきっかけをつくりやすい上治村長から、いわゆる今の現況というか、今、馬路村が取り組んでいることをビデオに補足して少し皆さんにお話をしていただきたいと思います。よろしくお願いします。
(上治堂司)
こんにちは。馬路村の上治でございます。今ビデオでありましたように、私たち馬路村は地理的なさまざまな条件で市町村合併が言われておりますけれども、今年1月にどこの市町村とも合併をしないという宣言をしたところでございます。合併をしないということになりますと、やっぱりその地域に人々が住まないことにはいけないわけであります。
馬路村は村土の全部の面積の96%が森林でございます。皆さんは、馬路村はごっくん馬路村をはじめ、ユズがあったら大丈夫だというふうに思われているかもしれませんけれども、やはり馬路村は先人が守り、そして育ててまいりましたこの森林資源をどうしてもお金に換えることによって定住人口をふやし、そして交流人口をふやしていかなければならないということで取り組んでおります。
その1つが先ほどビデオにありましたエコアス馬路村でございます。このエコアス馬路村は「エコ」はエコロジーのエコをとりまして環境です。「アス」はあした、未来、そういうものを考えてやっていこうというものでございます。今、森の中でどうしても一番落ちておるのは情報発信。やっぱり都会の方々にこの森をよく知ってもらう。
森のいいものを知ってもらうということが非常に落ちているのではないかということで、一番、今それに力を入れながら、そしてそれをなんとかお金につなげていこうということを一生懸命取り組んでおりますけれども、まだまだ十分な成果が出ていないというところでもございます。以上でございます。
(松崎了三)
ありがとうございます。ユズは実はめちゃめちゃ元気なんですね。でも馬路村は魚梁瀬杉(やなせすぎ)と言いまして、県木なんですが昔は杉の村というか森の村やったんですね。それがある機会を得て、だんだん、だんだんユズにかわっているけれども、もう一回山の再生を誓うちゅうという非常にパワーのある村長でございます。
一方また、梼原のほうは僕はあまり実は行ったことがないんですけれども、昔は太郎川に3時間ぐらいかかっていたと思うんですね。今は90分くらいですかね。非常に山の基本的なことを整備をしているなという印象を持っているんですが、その中越町長から梼原の現況と、今取り組んでいるような状況について少し説明をお願いしたいと思います。
(中越武義)
皆さん、こんにちは。梼原町長の中越と申します。今日はこういったシンポジウムにお招きをいただきましてありがとうございます。実は、梼原町は四万十川の源流域にありまして、もともと一次産業、特に農業も林業も日ごろの生活の中の一環としてとらえて栄えてきたまちです。
ところが昭和30年代から国土の緑化と、あるいは水源涵養(かんよう)といったことから多くの植林がなされ、経済成長に乗って地域の方々が都市部へ出ていったと。こういった中で、この山を守り、地域を守るということは、どういうことをしていかなければならないかといったことを考える中で、四万十川の水が非常に少なくなった。あるいは地域で生活される方々が、飲料水が少なくなったといったことを言われてきました。
これを打開するためには、なんとかしなければならないといったことから、森林組合と一緒になって、何かこの方策を考えようということで、実はFSCの認証制度をとり入れる。そして適正な管理をせられた中で地域の水を守り、環境を守ろうといったことを考えるようになりました。
あわせて、この山の持っておる効用というのは、われわれ山主だけがその役割を果たすということだけにはならないわけで、町(ちょう)の役割、そして事業者の役割、山の持ち主の役割といったことを明確にして、その責任の分野を明らかにする中で山の価値を見直していこうということで、町では森づくり基本条例を定めて今三者の責任の明確化をしたところです。
そういった中で、ちょうど先ほど出ましたけれども風力発電2基の設置をさせていただきました。それから出るお金を基金として積み立てて、そして山を守るためにその半分を入れろと。国で始めておりますデカップリング的なものを先進的にとり入れてやろうじゃないかと。その中で山をしっかり皆さんに守っていただこうということで実はその山にデカップリングを行いました。
あわせて、皆さんが太陽光で、自然エネルギーで循環ができる町をつくろう。そして、もう1つは四万十川の源流域で農集排やあるいは公共下水道の高度処理を使うものに入れていこうと。
そしてその中からやっぱり地域住民が誇りと安心感を持って生活ができるような対応ができたらということで現在進めているところであります。ちょうど町もISO14001を取得いたしましたし、農業においてもISOの認定を受けて、その活性化を図るということからまさしく環境の町にしていきたいなという思いで現在取り組んでいるところであります。
(松崎了三)
ありがとうございます。さすがですね。僕はISOのことは役場が取っているということは今初めて聞いたんですけど、環境というものが、環境というのはちょっと分かりにくいですね。でもその気持ちがええというと分かりやすいですね。そういった部分で言うと、かなり先進的な気がしますね。
またそういう町を選んで悠々と。悠々と、と言っていいんですか、暮らしているロギールさん夫妻です。いわゆる日本の、また高知県の、梼原を選んで山の中で暮らしているロギールさんのほうから梼原にまつわることとか、選んだ理由を少し皆さんにお話ししていただけたらと思います。
(ロギール・アウテンボーガルト)
こんにちは。アウテンボーガルト・ロギールです。23年前に日本に来ました。日本に来てからすぐ、なぜ9,000キロぐらい離れたところから来たかという。これ、すぐ分かった。オランダで小さなA4くらいの大きさの和紙を仕事場に見つけて、とても驚きました。どういうこと。そういうとき、あんまり分からんかったけど、とにかくこれは非常に深い意味があるものだということで、日本へ来ました。
そして、日本に来て、すぐ横浜、東京の驚き。オランダにない都会を経験して、その後すぐ田舎のほうへ邪魔して、五右衛門風呂とボットン便所。その世界がそのときまだオランダでは経験できないけど、日本にそういう暮らしがあるということで、また、紙のことに興味があったのでその田舎のほうで原料も栽培している、そこからきれいな水を使って素晴らしいものをつくっている。
そこで物と自然のかかわり。ほかの日本のクラフトとも言えると思うけれども、その深さは大変なショックでずっと今もやっております。初めは伊野のほうで、産地らしくとも技術と質と水のことを勉強したと思います。そして、12年前、梼原に移り住んで、初めて、梼原に来てから初めて「ああ、水ということは森だ」ということを勉強しています。
私としては、森という、その一番いいのは和紙の中で森にいたというのではなくて、山の文化を感じたんじゃないかなと。昔は日本の山の中では梼原も昔、3時間ぐらいかかっていたから、梼原の地域であらゆるものをつくっていた。ほとんど全部生活に必要なものをつくっていた。それが大分なくなって、ほとんどなくなって、寂しい感じなので、1つとしてはまた紙のほうを復活させて、また新しい使い方を生み出したいと思っています。
(松崎了三)
はい。ありがとうございます。紙づくりでやっぱり水という1つの切り口がしっかりできていると思いますね。僕なんかはすごく四万十(川)やなくて、仕事柄やっぱり安田川へアユをかけにいきます。でも川へ行っていますと、非常に毎年、毎年川の状況って変わるんですね。水が出るコケの状態という。
僕はたまたまアユというか、魚釣りから山を見るというような習慣になってしもうたんやけど、紙からやっぱり水というか、そういう部分で森を感じているというのが非常に1つの物の見方じゃないかなというように思います。また千賀子さんのほうも少し皆さんにお話を。
(千賀子・アウテンボーガルト)
こんにちは。アウテンボーガルト千賀子です。なぜ梼原かって、ロギールと一緒にいるから梼原というのが一番大きいかと思いますけれども、今私たちが住んでいる家は標高650メートルくらいあります。そして、四万十川の源流がすぐ目の下に流れていて。高知(市)に来て思うんですけど、山が遠いなあって感じます。
私たちが住んでいるところは目の前もすぐ山、後ろもすぐ山、東も西もすぐ山で、ぐるりと山に囲まれたようなところに住んでいます。12年前、引っ越してきたときは空き家だったんですけれども、その家の周りには、すぐ目の前には山があるんですけれども家の周りは1本の木も生えていなくて、よく手入れの行き届いた畑に囲まれていました。
おそらく、そのせいなのか、こんなに豊かな山の中なのに鳥が少ないなあというのが私の印象で、住みながら1本ずつ家の周りに木を植えていきました。私の背より小さな苗木なんですけれども、ヒメシャラだとか、エゴノキ、ツバキ、キンモクセイ。そんな感じで1本ずつ植えていって、12年たった今、いつの間にか家の周りに小さな森ができました。
わずか10年余りでこんなに森になるのかって。今森の中に住んでいるような感じがするんですよね。それにあらためて住みながら驚いているんですけれども、高知の大地というのは、ひょっとしたらすぐに豊かな森になれるんじゃないかな。もしかしたら、森になりたがっているのかもしれんなあというのが私の印象です。
そして、そういう森、家の周りが森になってから野鳥もとってもふえて、ちょっと数え上げてみたんですけれども、1年間通して30種類ぐらいの野鳥がやってくるようになりました。
もちろん虫や鳥、チョウもいっぱいいるんですけれども、そういう下には雑草もいろいろお花を四季折々に咲かせてくれて、本当に気持ちのいい森なんですけれども、そういういろんな花が咲いて、いろんな木があって、鳥や虫や、いろいろ集まってきて、そういうふうにさまざまな生き物たちと一緒に暮らしているなという感じがしています。
私はそのことがとても気に入っているんです。特に、子どもたちには身近に暮らしの中にそういう自然があるといいなというふうによく考えております。
(松崎了三)
はい。ありがとうございます。僕は高知市にいて、今は実は夜須町に移ったんですが、それは子どもが小さいときにやっぱり僕も実はすごい山奥で育ったんです。北川村の山奥ですが、そのときにずっと思っていたのは、やっぱり季節というもの、季節を忘れると人間おばかさんになるんじゃないかということをずっと気にしておりました。
今朝も鳥はずっと鳴いておりましたけれど、すごくそういう季節を感じるというんですか、この高知にいて、市内におったらはやから分からんなってきたなというのを少し心配事としては思っていました。そういう意味では非常に皆さんにとってというか、山で暮らしていると当たり前になるんですね。
川がきれいで当たり前。朝起きたらできたての空気を吸って当たり前とか。それをもう一回見直すということはこれからの生き方としても僕は非常に大事やなという気がしています。それと皆さん、これはロギールさんの作品でございます。紹介するのを僕、遅れました。
それとまた、橋本知事は高知でもう12年ぐらいですが、高知へ来たときにこの高知の山を見て、これをちゃんと使わなあかんやないかというようなことを言ったようなことを聞いたので、少しその都市から初めて高知の山を見たときに「ええもんあるやないか。これをおまえらちゃんと使わんか」という部分を感じたというか、高知の山を見て今感じていることとか、初めに感じたことを少し。
(橋本大二郎)
こんにちは。今、ロギールさんご夫妻から12年前に梼原にというお話がありました。僕も12年前にちょうど東京から高知に来ました。高知の友達が高知は自然がものすごく豊かだと。こう言うので、そうだろうと思いながら来ましたけれど、僕がイメージをする自然というのは、森で言えば秋になればやっぱり葉っぱの色が変わり、冬になると葉っぱがなくなって向こうが見えているという。
景色が変わると。これまで見えなかった山が見えるというような光景が自然というイメージだったのですけれども、高知に来るとそうじゃなくて、夏も緑、冬も緑という山がものすごく多いわけですよね。うーん、これが自然かなあとちょっと疑問を感じたのが1つでした。
でもそれでもみんなこの木をなんとかその生活に生かそうと思って頑張っているんだろうなと思って山の中に入っていくと、もう僕が来たころからそうですし、今はもっともっとそうなっていますけれども、やっぱり外国の木材が安く入ってくる。そうなるとなかなか高知の山の木を切っても魚梁瀬杉のような銘木であればどうにかなる。
また間伐をうまく集材したりする技術があればそれはそれで仕事になるけれども、そうじゃないとただ切って市場に出すだけではもう労賃もなかなか出ない。山主にはなかなかお金が入らない。そのために全然手入れが行き届かなくなるというような山がいっぱいあるということを、山を回る中で感じて、これはやっぱりどうにかしないといけないな。
だから今、松崎さんが言われたように最初はやっぱり使わないかんなあとこう思いましたけれども、なかなかうまく使えないのであれば、まずはその使うことも大切だけれどもその木がもたらすいろんな環境。さっきも最初のビデオにもありましたけれども、水をつくるとか、そのできたての空気を僕たちにくれるとか、いうその役割をもっと木が果たせるような状況をつくっていくことが必要だなということを思いました。
今、千賀子さんの話を聞いていて、ヒメシャラやなんかを植えて、10年ちょっとで森になったという話を聞くと、なんか勇気が出ますよね。もちろん、使える杉やヒノキは使えるように頑張らないといけないけれども、そうじゃないところをもうちょっと、元の森に戻すと。
元の森に戻すと言うとものすごくなんか時間がかかって、僕たちが生きているうちにはなかなか結果がみられないんじゃないかなあと。30年も40年も先じゃないかなと思っていたけれど、10年ぐらいでそれぐらいの変化が感じられるということだと、みんなちょっと勇気がわいて、今度の森林環境税なんかも使って何かしてみようかなという気になるんではないかなと、お話を伺って思いました。
(松崎了三)
はい。ありがとうございます。そうですね。そうやって言われたらそうやなあ。僕らはずっと高知にいたんで杉、ヒノキというのがある種当たり前というか、ただ、紅葉もあり、それなりに場所を探せば山があると。みんなが山を歩きゆうと。
ただ僕は実は5月の新緑のころが一番安田川を車で行きよっても全部杉ではないですから、一部分緑がもくもく、もくもくという感じですごい力を山が見せるときがあるんですね。
あのときは、正直言って勇気をもらっているような気がするんで、前にも話をしたことがあるんですが、道ばたにあまり緑がきれいなときは、緑景観料みたいな良心市みたいな看板があったら、車で行きながら「今日もきれいな緑やなあ。1,500円ぐらい払とこか」みたいな県民がふえると山がまた元気になるような気がしております。
それでは、次、もう少しこの現況から、これからでは皆きっかけはつくったと。1つこの運動の軸は、実は県のほうから動いてつくられたわけですけど、それを今後皆がどういうようなかたちで山を資源として利用するか。経済とは違うもう一方の視点ですね。文化的なもの。いわゆる環境的なもの。
実はそういう環境保全型農業というので、農産物そのものはきちっと価値として新しく見られているんですね。ただ林業というのは、実はやっぱり「業」というか、産業にするとまだまだ情報的にクローズだと思うんですね。
木がどこで切られていて、誰が里へ持ってきて、里から市場へ行って、市場からどこどこ行って。それでお客さんが「この木、なんぼ」というような、そういう情報公開がまだまだだと思っているんですね。それをもうちょっと山のほうから情報発信するぞという1つの例が馬路村と梼原さんですので、少しまた、それに今の活動をまたビデオにまとめていますので、またちょっと皆さんにビデオを見ていただきたいと思います。
《---ビデオ鑑賞---》
(松崎了三)
またビデオを見ていただいたわけなんですけれども、具体的に言うと、梼原町はFSCという循環型の認証をとっているということですね。一方、馬路村はエコアスという、新しい、みんながやめておけと言う第3セクターをつくりまして、なんとか山、特に間伐ということを軸に商品化をして、全国へなんとか山でも仕事をつくっていこうという活動をしているわけです。
また、一方、千賀子さんたちはビデオで見たとおり、山の文化の中でいい物づくりをしたいというような、暮らしの中にそういった自分たちの活動を置いているわけですけれども、まず梼原の中越町長からいわゆるFSCというと高知でも非常に先進的ですね。
もちろん町としても先進的ですし、林業で言うとかなり新しいですけれどもそのFSCが1つの軸にする物づくりであるとか、そのへんをまた少しお話ししていただきたいと思います。
(中越武義)
実は梼原町が取り組んだFSCというのは、先ほども申し上げましたけれども四万十川の源流域にある、そういった中で森林組合が果たす役割は何なのかと。あるいは、何をすることで地域が保てるかといったことを真剣に考えるようになりました。
そういった中で県のご指導もいただきましたけれども、やっぱり四万十川の源流に生きる民として、なすべきことはしっかりとした水を確保する。そして環境に配慮された山を保持する。そのことが将来にわたっては、経済的な行動につながるということを考えなければならないといったことから、国際認証機関であるFSCを取るということになりました。
大変組合員さんが努力をせられましたけれども、このできた原因には、町の国土調査が終わっているということからデータベース化ができておったと。その中で山の持っておるそれぞれのデータがすべて管理をされておるわけです。そういった意味では非常に国土調査の中でできたデータというものが有効に生かされたということになったんだろうと思います。
最初は2,250ヘクタールがその認証森林となりました。それにさらに今は6,200ヘクタールもの森林が認証森林として現在その対応をはかっています。そこにあわせて実は日本の中でもこのFSC、環境に配慮された認証森林を取ろうじゃないかということで、最初に取られたのは三重県の速水林業なんですけれども、梼原町が団体では一番。
そして今日もおいでをいただいておると思いますけれども、アサヒビールが実は広島県でこの認証を取られました。そういったことからアサヒビールのすごい販売力、あるいはPRとか、情報発信とかいったことを兼ね合わせて、水を使うアサヒビールがやっぱりこういったことが必要だということをとり入れるということが私は大変素晴らしいことだと思いまして、
そういった意味では連携もして認証森林から出る木材、あるいは生産物といった物をなんとか販売につなげる方法はないものかといったことを真剣に考えるようになりました。墨田区の本社のロビーに梼原町の間伐材を使っていただいて、皆さん方にPRする拠点をつくっていただいたわけでございます。
そういったことから、これからやっぱり山間地域から皆さん方に訴えるということになりますと、山は適正に管理されて、誰が行っても楽しいな。あるいはもう一度行ってみたいという山をつくらなければならないのではないか。
ややもすると、今までは皆さんが見てもなんとなく山にお金は入っているけれども見てみると、そんなに手入れされているようには見えないんじゃないかといったようなことが、皆さんの思いの中にあるだろうと思います。このことを考えて、やっぱりしっかりとした見える山をつくる。そして皆さんが入って楽しい。あるいは行ってみたいという山をつくる。
そのことが水をつくったり、森をつくったりする。そこから私は教育の場としても十分対応ができるのではないかという思いを持っています。そこで、やっぱり環境に配慮されたFSCの認証を受けて、そこから生産されたものを、今年県が森林環境税の中から認証材に対する助成といいますか、それをしていただくということで、今、4月から始めて、今日現在まで23棟の木材の家の申し込みがございます。
高知県内が18棟、そして京阪神地域が5棟。非常に皆さんから好評を得ております。こういったかたちで都市部の方々が利用していただくことで、さらにこの思いがつながるのではないかなという思いをいたしております。
(松崎了三)
はい。ありがとうございます。ちょっとうらやましいですね。FSCという、やっぱり認証はなかなか分かりやすいと思いますね。多分、重要なのは、普通のお客さんにとってそのことが、例えば自分がその商品を使うことがどういうかたちでその生産者に返るかとか、その分かりやすいという仕組みがすごく大事だと思うんですね。
それが僕から見ると少し山のほうはまだまだ情報がクローズなような気がするんですね。さっき言った、例えばパートナーをきちっと選ぶであるとか。それは、でもデータベースがあったわけですね。それがどうも僕らがある仕事で住宅を建てるぞと。「それなら55年生の木があの西の谷に何本あるぜよ」と言ったら、「それは分からん。
行って数えてこんと」みたいな。普通そういった意味で言うと、情報の一元化が本来は山のほうでできているはずなのに、勘で「大体何本じゃ」みたいな、そういう部分が少し多すぎるのかなという気がしますね。 それではすみません。FSCはなかなかええみたいやけんど、村長やらんかえみたいな。おれらも早く取ろうよ、みたいな。すみません。
身内の話になってしまったんですが、上治村長のほうからエコアスの、この、なかなか森は難しいぞと言われながら、手元に資源があるからおれらはやるんやという強い意志を持って始めましたけど、今後のエコアスというか、エコアスも含めてやっぱり馬路の山をお金にしていくぞという作戦みたいなものを少し皆さんにお話ししていただきたいと思います。
(上治堂司)
冒頭に私たちの村の96%が森林ということをお話を申し上げましたけれども、馬路村はそのうちの約75%近いくが国有林ということで、本当に一番盛んなときには、今、知事も言われましたけれど樹齢200年、300年の天然木を切っては売り、切っては売りというよりか、一番森でしんどい売るというところを売らなくても買いに来ていただけるというようなことで、消費者の声を聞かなくても十分成り立っておったわけであります。
その営林署も、というか、国有林も厳しい状態の中で、ではどうするのかということで、コーディネーターの松崎くんが「第三セクターでつくるのはやめちょけ」と。それは、たしかにやりたくもなかったこともないし、やって今は逆に良かったなと思っております。
それで、やっぱし馬路村の場合に、戦略を考えたら、やっぱり農協の戦略が私は一番合っているんだなというふうに思います。農協の戦略でいいのは、一次産業で農家の方々がユズをとる。
そして農協さんがそれを加工する。そして販売をする。いわゆる第二次産業。それに今は情報発信が、情報技術が進んだ関係で馬路村であっても都会に負けない商売ができるということで、農協さんのそれが非常にエコアスのこれからの展開に大きく勇気も与えてくれております。
同時に馬路村は当然エコアスだけではなく、馬路村の森をどのように売っていくのかということで、今さまざまな取り組みを行っておりますが、なんといっても、やっぱり消費者の声を聞かないといけないということが一番であります。私たちの村も東京に販売にも行きました。
そのときに、行った戦略が、今言う森林環境税も踏まえてなのですが、間伐材。いわゆる「森を守っていく間伐材からできた商品ですから買ってください」と。「商品ですからいいんです」ということの戦略でまいりました。
しかしながら、都市部ではその間伐材ということも分からないし、なぜ間伐材からできたものを使わないといけないのかというところに消費者は反応を示さなかったわけであります。となると、やっぱり逆の方向の考え方をしていかないといけないと。
逆というのは、消費者が気に入る、消費者が使えるものをつくって、やっぱりいいものだから使う。これはいいから使おうというのを使う。それが森林整備に役立つ、環境に役立ってきたというふうに逆からとらえないといけないということで、今戦略の練り直しをしております。
今日はちょっと持ってきておって、PRも兼ねさせていただきますけれども、一番最初に出ました間伐材でつくったお皿。これを一番最初の戦略のときには、スーパーなんかに売っているトレーの発泡スチロールに替えるもの、替わりはしないか。容器包装法で、これはいけるぞと。
これは使い捨てで使ったら、1日に使われだしたら何万枚も使えるからこれはいいぞ。これでいこうという最初戦略をとりました。いかんせん、片や発泡スチロールは1つが3円から高くても5円だと思います。
こちらのやはり木を使うとなると、今の工程を見ていただいたように非常に時間がかかります。1枚がやっぱり30円ぐらいはかかります。そうなると、なかなか使うということができないと。
では、これを使い捨てにしなかったら良かった。何回も洗ったら使えるわけであります。10回使えれば30円を10で割ると3円で済むわけでありますので、そういうふうな戦略の仕方をしたらよかったなという反省はしつつ、新たな今展開を考えております。
新たな展開というのは、すみません。宣伝をさせていただいておりますけれども、「1枚のカナバでも森を思う気持ちもあります」ということで、こういうふうなトレーをつくるまでの工程で使う、ひとつの薄くスライスしたもの、カナバでありました。これをうまく戦略で使っていこうと。
ではどこに、どういうふうに戦略を持つのかというのは、今、ありました。これ。こういうもの。いわゆる木でつくったもの。1つはホビーの世界、趣味の世界でやったらどうだろうということで、実は東京のホビーの催事場、3日間で十数万人来るところへ持って行きました。
では、この木で編んでいくわけでありますが、この木で編みながら小物入れをつくってみたりとかいう趣味の世界へ持って行くと、普通趣味の世界では、香りのするものが少ないんです。これも「におい」と言ったら非常に悪いイメージがあるので、私たちは「香り」と言うようにしているんですが、この木の香りがするというところに東京ですごくお客さんが集まっていただきました。
では趣味の世界はこれでいこうではないか。だからそれに対する編み方の本もつくってひとつやってみよう。同じように今、学校関係では小学校、中学校で総合的な学習時間というものがふえてきております。
では、総合的な学習時間に森に行けないところでもこの1枚のカナバで森を訴えて森の勉強をすることができないかということで、小学校、中学校にはCD?ROMをつくりながら、森、環境、そういうものを訴えて、そこからできた商品ですと。これをひとつ、あなたたちが工作あるいはさまざまな関係で使っていただく。そうすることが環境に役立っていきはしないかというような戦略を今考えて取り組んでいます。
(松崎了三)
ありがとうございます。はい、どうぞ。
(中越武義)
あの、75%が国有林。うちは民有林が約90%ですが、うちの山の間伐材、使えますかね。(笑い)
(上治堂司)
それ、最後に私が言おうと思ってたんですけれども。
(松崎了三)
ほんなら、置いちょいてください。上治村長が言ったので面白いのは、これは商品開発のヒントになるかもしれませんけど、木のお皿にすると「においがするじゃないか」と言うんですね。これは面白いでしょう。でもあれをうちわにしますね。「ああ、杉の香りがする」と言うんですね。同じ杉材なんですね。だから多分商品のとらえ方というのは、いろんな側面がある。
これは実は簡単に言うと金だけじゃねえぞという世界と一緒だと思うんですね。だから、僕にするとやっぱりもう少し商品の特性みたいなものがプラスの方向が出るような商品の切り口というものが多分重要だろうと。上治村長がおっしゃったように、一次産業というのは全部そうで、つまり山の木は切れば金になったんですね。漁師は魚を捕れば金になった。農産物も百姓はつくってしまえば金になった。
つまり消費者というか、買い手側は見たことがないというんですね。僕はここが一次産業の一番の問題だろうと思っているんですね。だからもっともっとお客さんのほうへ自分たちが近づいていくということが、今後、皆さんに分かりやすく説明ができ、皆さんが山に、じゃあ、一遍ばあ使うちゃおうかというような組み立ての始まりになっていくのかなという気がしています。
そういう点では今回の森林環境税というのは、そういう環境に対してもう少し意識を持ちませんかと。いわゆる毎日あんたら水を飲みゆうやろうと。朝起きたら新しい空気が来るだろうと。
これは森と、水と、僕は暮らしというような、・・・の中で暮らしが支えられているという、その根っこに森があるというとらえ方をしているんですけど、もう一回、本来なら少し産業的なことを中越町長に聞くつもりでしたけれども、少し置いておいて、次はこの森林環境税のきっかけをつくった。
僕は運動というのは、非常にある種、参加するけど分かりづらいというものがあって、今後その、いわゆる運動と産業というものが融合していかなくては続かないという思いがあって、でも、この森林環境税のきっかけをつくった知事のほうから狙いと、県民への願い等含めて、山側、頑張れということも含めて、少しお話ししていただけたらと思います。
(橋本大二郎)
そもそもこういう独自の税を考えるきっかけは、少しかたい話になりますが2000年4月に地方分権一括法と言って、いろんな法律が改正されて地方でも税金を独自につくりやすくなったんですね。
そこで高知県でも何か考えようと。例えば産業廃棄物に税を課すとか、またプレジャーボートに税金をかけるとか、いろんな案が出たんですけれども、これは一つ一つ考えていくと、税金を集めるために、集まったお金よりもいろんなコストがかかってしまうとか、いろいろな一長一短があって難しいという面がありました。それから高知県だけじゃないけれども地方も非常に財政が厳しくなると。
だから何か取りやすくなったから新しい税金をつくろうということになると、一般の県民の皆さんから見たら地方分権で分権になったと言いながら税金はどんどん、どんどん高くなるのはおかしいじゃないか。こういうようなズレも出てくるのではないかなと思って、
高知県の場合には財政が厳しくなったから財源を補てんするというような新しい税ではなくて、何か広く薄く負担をしてもらうことによって、これまであまりかかわりを持たなかったけれどもそれをきっかけにちょっと関心を持ってもらう。そんなきっかけづくりになる税が考えられないかというところから出てきたのが森林環境税です。
その意味はさっきも言いましたけれども、その外材に押されてなかなか山の手入れができなくなったと。このためおいしい水をつくるとか、下流の洪水を防ぐとか、それから酸素を送り出すという森林が果たしている役割もどんどん、どんどん衰えてくると。このことをやっぱり多くの山の人は気づいるわけだけれども、まちの人にも気づいてもらう。
そういうきっかけがつくれないかなというのでつくった税です。さっき松崎さんが拝観料のことを言ったでしょう。それはまさにちょっとそういう雰囲気でというと、税金だから皆さんに失礼だけれども、1年間1つのご家庭当たり500円という税金ですので、まあ森に対する拝観料という思いでお支払いをいただいて、森に行って、いい森を見て、
良心市のようにお金を入れてもらうということもいいだろうけれども、最初に広く薄く税金で払っちゃったから、払ったからには一度森に行ってみようかと。どんな状況か見てみようということで、何かできるかなということのきっかけになっていけばいいなというふうに思います。
その中で、今のお話にあったように、やっぱりまちの人が行って、しかも例えば馬路に行ってエコアスを見れば、また梼原にいってFSCの工場を見れば、そういうものを見る中で同じ売るんだったらこんなふうに売ったらいいんじゃないのというような話も出てくるんじゃないか。とにかく、上流と下流がもっと、生産者と消費者。
消費者といっても本当は東京、大阪の人までつながらなきゃいけませんけれども、そういう上流、下流。生産者、消費者の壁を取っ払ってそこをつないでいくきっかけがないと、やはりなかなか意識改革がどうだと言ってもそうは山側も変われない。
また下流側は山側を少し距離を置いて見てしまう。その関係をつくるという、そのきっかけが森林環境税ですので、そのお金の使い方はいろいろなことがあると思います。杉、ヒノキのままじゃ駄目なんで、それを少し強度に間伐をして、その代わり千賀子さんがおっしゃったようないろんな木を植えていって、混合林にしていく。
それからそういう交流の中で、FSCのものを使っていく。またエコアスのものを使っていく。そういう仕組みをみんなでつくろうじゃないかという動きを応援する、とかいうことにつながっていくと思いますので、まずはきっかけづくりですね。森林環境税は。お寺の拝観料と同じようなきっかけづくり。そのせっかく払った拝観料で何をするかというのをぜひ皆さんで考えてほしいなというふうに思っています。
(松崎了三)
そこが割とポイントだと思うんですよ。どうやって使っているかというのは、例えば、・・・あなたの3,000円がこの50人の注射になりますとか、ものすごく明確なかたちが取れているグループがたくさんありますね。それが多分今回の使い方を情報公開していくという中で非常に重要になると思いますね。つまり県民が分かるかたちのものがいいというか、例えばそれも高知市に近いところであるとか。
(橋本大二郎)
そうですね。だからそういう使い方の透明性というか、いろんな人に入ってもらって使い方をどうするかを考えてもらって、どういう使い方をしましたよ、どんな効果というか、どんなことがありましたよということを皆さんに知らせていくということは当然必要だと思いますね。
ただ、もう1つ、今言われたように何かやっぱりキャッチフレーズ的に、「この何千円で、この何万円で、何がどうできます」というようなことが言えると、たしかにものすごくいいなあと思いますね。
(松崎了三)
はい、ありがとうございます。やはりその運動からスタートして、これはけんど、事業というか、やっぱり金に換えていく。例えば交流にしてももちろんそうですし、山のまあ言ったら緑を見たという中で、僕にするとやっぱり分かりやすいというのは、ではこれをあなた使ってください。
あなたがこれを使うことによって実は間伐が5本進みますみたいな、何かそういう分かりやすいかたちがないものかなといつも考えているような状況でございます。少し話をまた暮らしというか、森の文化のほうに戻したいんですが、ロギールさんのほうで少し山の文化は気持ちいいぞ、こういう暮らしは気持ちいいぞという暮らし方をしていると思いますが、そのへんについて少しまた物づくりを含めて話していただければと思います。
(ロギール・アウテンボーガルト)
そうですね。本当に気持ちいい面があって、やっぱり苦しい面というと風がよく当たる。私たちは、標高の高いところに住んでいるから雪が積もると雪かきに追われて、暑いときもある。だから高知の山は結構そういう変化が大きくて、そこも魅力があって、また自然の豊かさもあると思います。その中で、この12年、梼原に住んで山のことを考えさせられた。木もいろいろ植えている。
また雑木ですか、そういう木だけじゃなくても、紙の原料も2反ぐらいつくって。今その原料の話、ちょっと今思い出したけれども、映像のほうさっき馬路村のほうに、映像の中の左側に楮(こうぞ)の絵が出ていたんですね。気がついた人もいるかも分からないけれど、やっぱり日本全体もそうだけど、特に高知は山というと紙産業、紙の原料。
梼原を私が選んだ1つの理由はやっぱり山の文化、紙の文化が昔からあります。植林する前に40年前までは、梼原の山は春になると、黄色い花、三椏(みつまた)の花で染まるのです。そこから、その作業が終わってから植林になりました。その山のこと、木を植えながら考えている間にやっぱり梼原の環境、梼原の山は植林が多いからでは水の状態はどうなのか。
自分の仕事に使う水はこれで大丈夫なのか。考えながらやっぱり地球規模のどんどん、どんどん状況が悪くなって、紙産業から考えると、紙だけじゃない・・・世界中問題になっている。そしてその中で、日本人1人で、多分今400キロぐらいの紙を使われている。ミャンマーの国に比べたらミャンマーは1人で1.5キロしか使っていないです。
その紙の質は大体竹とリサイクルとほかの植物繊維しか使っていないから、こんなにたくさん紙を使って、やっぱり影響あります。自分の地域の森を守りながらそういうことも考えていかないといけないということを考えるようになりました。そして、梼原のほうで、11年前から学校のほうで和紙、地域文化と環境の一環としての授業をやっています。
その中で、「ああ、この日本の文化は素晴らしい。ここの川はきれい」。それだけの話で終わってもどうも何年やって、これでちょっと足りないじゃないかということで、もう少し世界の状況の話もしないといけないのではないかということで、ちょうどそのときに、自分が一生懸命和紙を勉強して子どもたちに教えている自分の生まれた所の紙がどうなのかと気がついて調べると、昔、非常にオランダが大きな役割を果たしていました。
今の産業はオランダが十何世紀に発明した機械に成り立っているということが分かって、ではどういうものをつくっているのか。これはリサイクルですということなので、ああ、この2つのことを結びつけないといけないなという絶対の物づくりと森と自然とリサイクルのサイクルができるのではないか。このことを子どもたちに教えないといけないのではないかということになりました。
そして、これからはもちろん商品をつくって、できるだけ私、自分もオランダで感動したものをつくってみんなに感動してもらいたいけれども、もちろん体験を通して、世界、地球規模のことを考えてその両方の良さをつくりながらでないと分からないから、それをつくって、そしてその中で本当に、ああ、これが和紙の良さだということまで体験して感じてもらえたら、結局最後またその森に戻ってくるんじゃないかなということに今取り組んでいます。
(松崎了三)
要は、その子どもらにも直接に体験させて、感じてほしいということを伝えていくということですか。
(ロギール・アウテンボーガルト)
そうです。その中に非常に、特に和紙の文化が全体の森の文化に深いつながりがあるから、もう、まき1本でも、道具1個でも全部がつながっているから、非常にいい道具じゃないかなと思います。
(松崎了三)
そして循環が非常に説明がしやすい1つであると。
(ロギール・アウテンボーガルト)
あとは芸術的に表現ができることも1つあると。
(松崎了三)
なるほど。はい、ありがとうございます。千賀子さん。
(千賀子・アウテンボーガルト)
今、町長さんとか村長さんの話を聞いていても、どんどん産業としての山の取り組みというのは活発化していっていて、大丈夫じゃないかなという未来、そんな感じがするんですけれども、そんな中でも10年余り、梼原に暮らしていて、この10年間で梼原町の人口は700人ぐらい減少しているんです。減っていく一方なんです。
いくら山が元気になったとしても人口が減っていくことに歯止めをやっぱりかけるのが本当に難しいんだなあと思います。実際、自分たちの子どもたちも家から離れてしまって、近所を見ていても周り、現実明かりが消えていく。この寂しい状況というのをどうしたらいいんだろうというのは考えます。
1つは先ほど町長がおっしゃっていたように、山を適正に管理して、山は楽しいんだよ、また来たいねっていう山づくりをする。それが1つだと思いますけれども、ではどうやって人に山に来てもらうかという取り組みは、これからの山の私たちのテーマじゃないかと思っています。
特に、県内だけじゃなくて、東京からも、ひょっとしたら世界レベルででも呼んで来れるような山づくりというのは考えていかないといけないし、今、私たちは小さな取り組みかもしれませんけれども、例えば、ロギールとか、山でつくられ物を発信するのにまちの中で展覧会をして、まちの中で見ていただくというよりも、まちの人たちに梼原まで来て見てもらおうと。そういうような取り組みを私たちは続けています。
「クラフトフェア 源流のうた」と言って、今年9回目を迎えます。また来週の土日に開催するんですけれどもそれの広がりというのは、ことしは見に来てくださるお客さんも多いのですけれども、東京や神奈川、静岡、岡山みたいなところから作品を持ち寄ってくださる出展者の方たちの広がりというのもすごいんですよね。
そんなにすごく売れるわけじゃないと思うのに、旅費で消えちゃうんじゃないかなあという感じなのに、それでもわざわざ来てくださるという、その魅力は十分梼原町が持っているんだと思うんですよ。
だから取り組み方によって、人を引きつけてくれる。町の人を山に引きつけてくる仕組みというのをやっぱり考え続けていかなかったら、定住人口は流出する一方かもしれませんけれども、せめて、交流人口をふやしていく取り組みというのは、山を商品として売り出していくことと別にも考えていかなければならないんじゃないか。
それで、そういうクラフトフェアの取り組みもあります。今、もう1つは梼原町でグリーンツーリズムの会というのを立ち上げまして、農家民宿だとか、農家の方たちの持っている技術や人柄でまちの人たちに来てもらいたいというような取り組みを進めています。
(松崎了三)
はい、ありがとうございます。都市との交流というのも1つの山に近づくきっかけだと思いますね。そういう意味では農村を越えて全国にたくさんあるわけですけれども、今やっぱり非常に人気があるというのはやっぱり体験型。
今日もちょうど馬路村の「曲げワッパ」の木でできた、素人がつくっても見事な弁当箱になるという体験教室を四国 勝(しこく まさる)さんという方がやっているんですが、彼らも最初は「おーの、おーの」と。「面倒くさいのー」とイベントのたんびにやりよったけれど、やっぱりお客さんが喜ぶんですね。
楽しいとそこに人が集まって来るというか。馬路村は馬路村の独自の情報の出し方で、村のイメージをつくるという、1つまた違う手法があって、それでどんどん、どんどん人との交流も盛んになっていく。
それは最終的にはその村のファンであり、これはしいては高知のファンになっていくわけですけれども、そういった中で今後僕は県民というか、みんなが山へ近づくというのはやっぱり山側も受け皿をつくっていく必要がやっぱりすごく大事な。またその子どもたちに木を通じて環境を伝えながら教えていく。
そういう体験メニューとか、今のところはやっぱり経済という、僕は運動というのは必ず経済との両面性があってこそ成立して運動が大きく広がっていくというとらえ方をしていまして、そういう点についても少し町長のほうも、「おれのところの木が使えへんか」というような話を含めて、
僕もここで少し提案が。時間もあれですが提案がいくつかありまして、皆さんの話を聞いた中で少しそれを含めて皆さんにまとめて話をしてもらったらどうかなと思うんですが、1つはその運動としての山の木ですね。山側からの提案として、やはり商品として使うことが環境参加であるような。
1つは商品開発ですね。もう1つは情報発信。山側が具体的に実はおれらこんなことに困っているんやと。人に困っちゅうがやとか、金に困っちゅうがやとか。例えば商品開発に困っているんやとか、流通に困っているんやとか。もう少し具体的に、甘えるわけじゃないですけど山側はこういう手伝いを今欲しいんだというような情報も今まち中にはないんですね。
もう1つはやっぱりこれは山に限らず、一次産業。さっきも言いましたけど、全体がスピードが遅いですね。来年には考えますみたいな。再来年には考えますみたいな。実は20年も30年も前から今の山の状況が出てくるというのはみんな分かっていたことだと思います。
分かっていたはずなのに実は、手を打っている方もいるけど、ほとんどの高知の山は何も手を打っていなかったというのが現実だと思うんですね。だからそういう意味では本当に早いというか、すぐやろうよというか、そういう山側が早く対応できるようなことが多分重要だろうと。
私の提案は、これはみんなに聞いて意見も聞きたかったのですが、橋本知事もちょうどいらっしゃるので「えこひいきの店」といって、この環境税そのものとか、例えばボランティアを募集しているとか、情報の拠点ですね。それと間伐材を利用した商品の紹介であるとか、そういったものを市民がすぐに寄れる場所というか、例えば上治村長は自分の村で情報を、住宅の掘り起こしをやっている。
設計家もいろんな活動をしている。梼原さんもそういう活動をしている。もちろん嶺北もやっているでしょうし、四万十流域もやっている。そんな中で1カ所に、帯屋町の真ん中ですわ、大丸の前ですわ、大丸の1階でもいいですわ。そこに森林の学習館というか、事、物、人の情報館みたいな。
全部ボランティア、展示場の一元化のえこひいきの店みたいなことと、もう1つは最終的に産業系になりますと土佐の木づくり、家づくり化というような、要は梼原も馬路村も嶺北も、とりあえず県ぐるみで全国へ「高知の木、柱要りませんか」みたいな、柱をトラックに積んで日曜市に売りに行くみたいな、
そういうような高知から全国にわれわれの柱を使うことであんた、高知の森が元気になるで、しいては日本が元気になりまっせ、みたいな何かそういう販売の集団みたいな、特殊部隊みたいなものをつくってみてはどうかというようなことを提案として投げかけて、少しそれについてまとめをすみません。
時間が結構たちましたので、知事は一番最後にしていただいて、すみません。ロギール夫妻からそういった、まとめとして自分の今後の未来ですね。それを少しお話ししていただけたらと思います。今後の地域にいて目指すこととか。
(千賀子・アウテンボーガルト)
私の今後の提案ということで、「心の中にも木を育てよう」というのが私の提案です。まちの人たちには特にお願いしたいことは、子どもたちに山や自然をうんと体験させてあげてほしいということです。いくら今馬路も梼原も頑張って森を育てて、いい森にしたとしても、ひょっとして100年後に森を切られていたら困るじゃないですか。
だから今の子どもたちにも森や自然を大切にする感性を育ててあげたいなと思うんです。森に行ってドングリの種を1個拾ってきて、子どもの心の中にドングリの種をまいて、子どもの心の中でもその木を森で見てきた木の姿に育ててもらいたいというのが私の提案したいことです。
それで森に来てもらうために山に住んでいる私たちのすることというのは、今、まさに美しい山、川、自然、もう一度来てみたい山を守り続けていくこと。それを努力することではないかなというふうに思っています。ロギールにはその続きを。
(ロギール・アウテンボーガルト)
景観として、稲刈り、山に来てもらって、川の状態。山の状態。また、まち、どういう雰囲気のまち。そういうことをまちの雰囲気と川と同じように大事じゃないかなと思う。ある流域の中で川がすごく汚れているとやっぱりその流域に住んでいる方の生活の原因がありますね。同じようにせっかくまちのほうから、山のまちに来てもらったときには、やっぱり私だったらすてきなまちに来たいということね。
今の時代というと、田舎らしい、木をたくさん使った、全部昔に戻って障子1枚じゃなくて、やっぱりそのまちの人たちが感じている、考えていることを表しているようなまちをつくらなきゃいかん。その関係で景観。梼原で木の橋もつくっている。
いろんな公共施設ですか。そういうものであちこち日本でも見られると思うけれど、個人個人の1つ、一人一人の山に住んでいる人がもっともっと木を好きにならないといけないんじゃないかという、自分も含めて反省というのがあります。
今の時代は非常に難しいと思うね。私近所の方と話すと、紙の話というと、40年前は2、3時間山へ上がって三椏を刈り取って山のほうで蒸して、乾かして、降ろしてということをやっていたけど、その後、無理やり、無理やりじゃない。植林せんといかんかったということで、わらじで上がらんといかんかったということで、非常に苦労していたと思うね。
その時期って。けど、今はもう値段はあまりないし、あんまり何もならんなという声は聞いていますね。片方はいろんな活動をしている、明るいところもいっぱいあるけれど、やっぱり木、その木をまた好きになることは今は難しいけれど、そのことをどんどん、どんどん力を入れて地元が本当に木の香りのまちをつくって、まちの方を迎えてくれたら大丈夫じゃないかと思います。
(松崎了三)
はい、ありがとうございます。すごくやっぱりすてきな所。僕らからすると、おしゃれなといったほうが分かりやすいかな。そういうような暮らしぶりですね。見ていてちょっとうらやましい感じの生き方をしているなということをいつも感じていました。それでは。中越町長。循環と共生というテーマで。
(中越武義)
私はこれからの時代というのは循環と共生だろうと思います。私たち山に住む民としては、当たり前の生活の中からいかに自然が守られ、地域が守られていく。そのことを考えてる、やっぱり皆さん方と山村とが共に生きるということを考えなかったら、私はこれからの日本全体も守られないのではないかというふうに思います。
そういう意味でやっぱり都市部の皆さん方も、あるいは山村の地域の方々も持ってあるものを皆さんに情報発信する。そのことが必要。その中から得るものがたくさんあると思います。そして、2点目は環境の循環から経済の循環へ。
先ほど松崎さんがおっしゃられましたけれど、山間地域で当たり前の生活をするというのは、ある程度の経済的なものが入らないと生活ができないということも事実なんです。そのことを考えるとやっぱり経済的循環がなされて、そして、心豊かに生きる。その中から皆さん方もしっかりと受け入れる。
そのことが癒しであったり、体験であったり、教育であったりすることになるだろうと思っています。そういった意味から、これからは生活に調和した、豊かな今の自然環境ということを言われていますけれども、当たり前の生活の中からこの地域を守る。水を守る。そして森を守る。
そういった意味で「こうち山の日」というものができたのは大変いいのではないかと。このことが私は高知県の休日として、ぜひ条例化をすることまでできないかも分かりませんけれど、ぜひ知事に対応してほしいという思いもあります。そういう意味でよい方向づけができるのではないかと思います。
(松崎了三)
はい、ありがとうございました。僕は、11月11日は山の日の委員の1人でして、それはぜひ知事に言って、その日は高知県は休みにしようと。民間はどうしても、こっそり仕事をしてもいいけれど、とりあえず全員が山へ行っちゃえということを言っていたんですけど、今日、それを決めるわけにもいきませんけれども、僕も大賛成です。それではすみません。上治村長、これからというか、目指すこと。
(上治堂司)
簡単ですね。すみません。私が一番簡単で。言えばまとめになるんですが、森の丸ごと循環術は、イコール今まで出てきたように私も情報の発信だと思うんです。森からの発信、これが一番大事だと。要は、今まで木の家を建てよう。木を使おうと言うと、木は高いというイメージを消費者が持っています。これは高いというイメージを先に植えつけた。それはやっぱり山側もたしかに問題がある。
だから、私は高知の森の情報館には木は、柱材は専門用語の1立法メートルいくらということではなくて、柱材1本いくら。1本に換算すればそんなに高くないんですよね。そんなふうなイメージから変えないといけない。今年、ちょっと私たちの村が東京で「こじゃんと馬路村、高知県馬路村の夏祭り」というのをやりました。
やはりこれは農協さんが馬路村のイメージを売ってくれたおかげで多くの方々が来られまして、そのときに来場者の方々に馬路村の住民登録をしていただけませんかという企画をやりましたら、うちの人口は約1,200人で今現在あります。1週間で倍になりました。
倍になっただけではなく、やっぱり住民登録して終わったかなと思ったら、その住民票を持って馬路村にもう既に20人来ていただきました。20人来るということは、これはもう農協さんの戦略と全く一緒なんです。というのは、農協さんは農協の商品だけを売るのではなく、馬路村を一緒につけて売った。だからそういうふうな馬路村のイメージを与えることによってユズのファンができた。
ユズのファンイコールまた馬路村のファンになる。馬路村のファンになると馬路村に人が来る。人が来るとユズだけではなく当然宿泊もする。宿泊すれば、コミュニティーセンターの売り上げも上がってくる。馬路村にお金も落ちる。森の恵みのマツタケも採れたときには出せていけるというような1つの流れができるんですよね。だから今回森林環境税というものは、私はもう森だけではないと思っています。
この森林環境税をうまく使いながら、高知県は森林県なんで、この環境税で高知県の森の取り組みをやっぱり全国に発信していかないといけない。全国に発信して、高知県というか、まず森のファンをつくろうと。森のファンをつくって、これは高知県のファンにつなげていく。高知県のファンにつなげたら次は高知県へ来だす。
高知県へ来たら当然、例えば高知の一番中心であるし、やっぱり高知市の桂浜を見てみようとか、あるいはさまざま行ってみようということでまず高知市にもお金が落ちる。そうするとその500円のいわば環境税が山だけではなく、全部へつながっていく環境税になっていく。
では500円を1,000円に上げていいじゃないかという話もできてくる。だから森だけでこの環境税は使われるのでは私はないと思います。将来は県民に還元をされる消費税(環境税)になっていくのではないかと大いに期待もしていますし、私も、また私たちもそれに取り組まないといけないというふうに思っています。
(松崎了三)
ありがとうございます。僕もそういう世界が基本にあると思います。だから森林だけにかかわらないというか、例えば高知は今やっぱり海のイメージなんですね。「土佐」「黒潮」「カツオ」「カツオのたたき」なんですね。これは県のアンテナショップも一緒で、でも野菜があり、柑橘(かんきつ)があり、実は森林県であった。
だから森林のイメージというのは、僕、高知県は今非常にレベルの高い全国区に誇れる1つのきっかけづくりだと。ただこれが僕にするとやっぱり最終的にはお金が物にかえって循環するということの仕組みまで持っていって初めて意味があると思うんですね。
そういう意味ではやっぱり今度は僕は山側が1つの商品であったり、「よっしゃ、おれらはこうするから」という、答えを出さないかん時期がそろそろ来るだろうというような思いです。では、橋本知事のほうに、さっきの少しまちの店をつくりまへんか、売りに行ってよ、手伝ってあげてよということも含めて少しお願いします。
(橋本大二郎)
まずロギールさんご夫妻が言われた、子どもたちの話がありますよね。これも僕も高知に来てからずっと言ってきていて、なかなかうまくできてないんだけれども、だけどこれからますます少なくなった子どもを地域全体でどうやって育てていくかということがとても大切で、
それはもちろんその成長を助けるという育てるもあるんだけれど、やっぱり地域で育った子どもが、自分たちの地域が何で支えられてきたのかということをやっぱり学ぶ機会をもっときちんとつくらなければいけないんじゃないかなと。
もちろんカリキュラム、授業の課程の中にそういうものが盛り込めればいいけれど、それがなかなか難しいのであれば、今、週5日。2日休みになっているからその土曜日を使って何か地域でそういうことを支えていくような人たちを集めて、子どもたちを集めてやっていく。親の側はもっと勉強させてほしいという思いが強いことはあります。
中山間でもそういう塾に行く子どもがいっぱいいることも現実としてあります。だけど、その一方でやはり高知の教育として提供できる子どもたちへのサービスというのは、やっぱりそういう面ではないかなと。
そういうことを僕はきちんとやっていくことが、その丸ごと高知をやがて売っていくことに将来つながっていくのではないかと思いますし、そのためには、今度はまちの子どもたち、まちの人たちにも山のほうに行ってもらうきっかけが必要だと。さっき松崎さんが言われた、町なかにつくるというのは僕も大賛成です。
ただ現実問題では、なかなか帯屋町の空き店舗を借りようとすると相当のお値段なんですよね。で、そこらへんをどうにか折り合わなきゃいけないという問題がありますけれども、そのことは別にして、僕はやっぱりそういう町なかに情報発信基地があることはとてもいいことだと思います。
これは別に県の職員の悪口を言うのではなくて、役所がそれをつくろうとすると、また少しやっぱり一般の人の感覚とずれたものになりかねないので、そういうものをやるときには、本当に今日集まった皆さん方とか、いろいろそういう皆さん方で中はつくってもらう。
(松崎了三)
やろうやない。
(橋本大二郎)
ソフトはつくってもらう。それで手を挙げてくれたところは、自分の村、自分のまちを売り込んでもかまわないと。別に53市町村、全部公平でなくても抽象的に森林がどうのということではなくて、もっと具体的にどこに行けば何があるかということを教えて、まちの子どもたち、大人たちにも行ってもらうということも必要だと思います。
ただ、こういったときに、2番目に森林ボランティアってあるんだけれども、やっぱり山の人に聞くと森林の間伐にしろ、枝打ちにしろ、そう簡単に素人ができるものではないと。だからそういう思いはとても大切で、そういう思いを持ってぜひ行ってもらいたい。けれども直接の間伐やなんかでなくても、何かボランティアというか、その思いでできることはいくらでもあるんじゃないかなと。
一方で、それがまた受け入れる山の側でもそういう思いで来てくれる人を、その間伐やなんかはいきなり難しいけれど、こんなことをやってみませんか。こういうことを体験してみませんかという場面誘導というか、受け皿をつくっていただくということもとても大切じゃないかと思っています。
それから「山の日」を条例でお休みにというのは、僕も大賛成なので少なくとも県庁はもうお休みにして、みんなが山に行くということをぜひやっていきたいと思いますが、これも高知県だけではなくて、やがて四国全体で「四国山の日」、せっかく1つの島なのですから「四国山の日」というようなかたちで直接水の恩恵を受けている高松の人たちに、嶺北の早明浦周辺の森に来てもらうとか、いろんなことがあると思います。
愛媛のほうにも水を送っていますから、そういう人にも今度は四万十上流のところに来てもらうと。そういうふうな動きをつくっていければとてもいいなあということを思います。
それで最後に森林循環型ということを書いてありますけれども、さっき松崎さんが言われた木材を持って東京、大阪で売って回るというのもとても大切だと思うんですけれど、僕、その前に、やっぱり東京、大阪の人にうまくPRとか、キャッチフレーズで山に来てもらって、山を見てもらって、この森の木を使いませんかという売り方じゃないかと思います。
実際にそれをやっていらっしゃる方がいます。10年前、20年前からこういう時代を想定して、そして単に生産して出すだけではなくて、消費者とつながらなければいけないという意識を持って、そういうつながりを持ち、そして大阪などから来ていただいて自分の森を見てもらって、
それを使ってもらうということをやっていらっしゃる実際に木材業の方もいらっしゃいますので、そういうノウハウを広げていって、外から来てもらうということがぜひ必要だろうということと、もう1つ、さっき上治さんがエコアスの最初のお皿を見せながら、
これが発泡スチロールのトレーに代わればと僕もそう思って、最初いろんな講演で話すときにはそういう話し方をしていたんですけれども、実際にやっぱり3円、5円でできている代替商品に対して30円かかって10倍の開きがあったのではこれはやっぱり売り方を変えるという発想の転換が必要ですよね。
だけど例えば5円のものが、代替の商品、石油化学製品とか鉄だとか鋳物でできているものが、5円のレベルでできるものが、この木材だと8円だとか、9円だとかいうような差額であれば、そこをカバーしていく仕組みはあるんじゃないかなと。それはやっぱり1つはコストを下げるためにみんなで研究していくことだけれども、もう1つはみんなで買って、使っていくことによってマーケットを広げる。
今、県でもグリーン購入というようなかたちで資源循環型の商品をどんどん項目の中に挙げて、公共調達という難しい言葉ですけれども、県がいろんな商品を買う。椅子でもいい、机でもいい、さまざまな物を買うとき、・・・そういうものをいろいろ調達をするときに、自然循環型の物をどんどん買い込みましょうと。
その項目に入れていきましょう。FSCも入れましょう、エコアスも入れましょうといういうふうになっていって、マーケットを広げていけば、それがやがて経済循環にもつながっていくのではないか。
ぜひ、そういうことで力を合わせて元気に頑張る山の方々を支援をして、なんとかまだまだ定着人口の歯止めにまでいっていないですけれど、それをこの5年、10年では必ず人口の歯止めにもいくような取り組みにぜひつなげていきたいなと。森林環境税というのはおっしゃるように最初は森林の環境、その果たしている公益的な役割がどんどん衰えていく。
それに都市の方にも目を向けてもらおうという、森林ということを中心にしたものだけれども、その動きが単に森林のことだけではなくて、いろんな山とまちの循環につながって、高知の中でもいろんな循環がおき、そして、外からも人が来てくれる。
高知を丸ごと売っていけるきっかけづくりにぜひしていきたいとなということから、今日は多分うちの県庁で言えば森林局の職員の人が多く来ていると思いますけれども、森林局の職員の人にも頑張ってもらわないといけないけれども、それだけじゃなくて、商工労働部も文化環境部も、いろんなセクションがかかわってこの使い道、この広げ方を考えていくべきかなということを今日感じました。
(松崎了三)
はい。ありがとうございます。すみません。松崎の時間コントロールが下手で時間が過ぎてしまいましたけれど、最初に言ったアンケート、提案事項をいただいていますので2、3ちょっと皆さんにはお伝えしたいと思います。1つは、これは10代なんですね。若い人です。これは実際行きましたと。
小学生20名ぐらいで、学生ボランティアとNPOのスタッフで森へ行って遊びましたと。飯ごうでご飯を炊いて竹の食器で食べたというような報告が来ています。要はみんなも、山のほうの人も若者が集まる、要は興味があるようなものを森に関してうまく伝えていってくれたらと。
若者に森に関する知識などを、ちゃんと伝える努力が要るんやないかと。10代ですよ、10代。だから楽しかったんやなというようなことを思いますね。だから、こういった小さい子でも参加できるような仕組みが、結局今はまだNPOさん、まちの人がどっさりついてくることによってできると。
ここは実は今後まちの方がちょっと、そんなら手伝いに行こうかと言ったときに、山側がやっぱり受け皿としてつくっていく必要があるやろうと思います。 もう1つは民間です。会社の名前は言いませんけど緑の募金に寄付していますよみたいなことですね。
いくつか提案事項とかいただいておりますけども今日はパネラーの皆さんにこれに対してお答えしていただくということは時間的にもできませんけども、僕にとってやっぱり非常に高知県の森というものが、意識されるすごいチャンスという、それをもう少し皆で現実なことに動かしていけたらなと、非常に大きな意味を持ってくるやろうと。
今日、ばっと会場を見ますとちょうどこれぐらいがいい間伐の状況かなあというようなことを思います。(笑い)決して少なくなく光がうまく当たりましてこれくらいの間伐に皆さんでしていこうということで、続いて11月11日はどこか近くで皆さんとお会いできるということで、山のほうもまちのほうも皆が「高知のこの山はおれらの財産や。おれらのものやで。おれらできることをちゃんとせないかんで」。
1人が1年間に吸う空気で二酸化炭素は杉の木で何年生とは言いませんが、23本くらい要るらしいです。だから自分の空気は自分で面倒を見るということで、23本の木を1人ずつ山へつくりに行くということで11月11日はよろしくお願いします。それからまたプラスチックはやめよう。できるだけ高知の木を使いましょうということでこれを終わりたいと思います。5人の皆さん協力ありがとうございます。