公開日 2007年12月08日
更新日 2014年03月16日
「高知県概論」 高知県知事 橋本大二郎の講演
これは、平成15年9月26日(金曜日)開催の交詢社の常例午餐会における講演要旨です。
◆歴史上初めての戦後生まれ知事◆高知の県民性―新しもの好き、ふるさと思い、反骨精神
◆三位一体の改革―国と地方の関係を見直す
◆地方共同税は地方にどういう影響があるか
◆地方から国、中央に向けて改善を提案
・国民体育大会の簡素化
・1.5車線の道路整備
・高知県独自で始めた森林環境税
◆地方分権社会の中で経営という考え方が求められている
・地元のビジネス、企業の経営―創意工夫の必要性
・地域の伝統的な技術を使ってビジネスの幅を広げる
・市町村の経営―その地域をどうやって売っていくか
・行政の経営―マーケティングに基づいたものの考え方
・行政品質の向上システム―経営の視点に立った創意工夫
・能力開発型の研修―適材適所で県民サービスに反映
◆公約づくり、政策づくりを県民の皆さんと一緒に進めていく
早いもので知事として十二年目。つまり三期目の終わりの年を迎えております。振り返ってみますと、十二年前に知事に初当選をいたしましたときは、全国でも現役では一番若い知事でございました。また、この記録はずっと破られることはございませんが、歴史上初めての戦後生まれの知事でございました。
それから十二年がたって、今では若いほうから数えますと、指を両手重ねても足りないぐらいになっております。いかに時代の移り変わりは速いかということを思います。
そもそも僕は東京生まれの東京育ちでございまして、高知とは全く縁もゆかりもございませんでした。その僕がなぜ高知へ行くことになったかといいますと、NHKの記者として昭和天皇のご崩御、昭和から平成への移り変わりの場面をキャスターとしてテレビに出て報道をいたしました。そういうことで当時かなり名前と顔が売れておりました。
そういうことから高知におりました私の友人が、十二年前の選挙のときに、このままでは選挙が面白くないから何か面白いことをと言って僕に白羽の矢を立てて、県民の皆さんに働きかけをしたら署名運動が起きました。
そして、一万人の署名が集まった、二万人の署名が集まったといって県民の皆さんが東京に来られて声をかけてくださった。これが「エイヤッ」と高知に行くことを決めたきっかけでございます。
という話をしますと、それじゃ、あんたはどこの県でも声がかかったら行くはずだったのかいと、こういうような質問を受けると、ウーンと一瞬考えてしまいますが、やはりよくよく考えますと、高知だから来たのではないかということを思います。
というのは、高知県にはそれだけ何かほかの県にはない、人を引き寄せる磁場というか、磁力のようなものがある気がするからです。
その磁場とか磁力は何かといいますと、非常に新しいものを好む。新しいものにパッと飛びつくような気質。またふるさと思い。これはどこでもありますけれども、どこの県よりもそういう思い入れが強いのではないかという、そんな県民性。更に、誰かが何か言うと、いや違うんじゃないかと言ってすぐ反論が出るような反骨精神。こんなことが高知独特の県民性、磁力に当たる力ではないかと思います。
新しもの好きという話をいたしましたけれども、なぜかこの三月高知市に、全国でも名古屋と表参道に次いで三番目というルイ・ヴィトンの直営店ができました。実はこれはルイ・ヴィトンジャパンの社長の秦さんという方が高知のご出身だということが一番の原因ではございますが、そのオープニングの式のときに秦社長に伺いましたら、ルイ・ヴィトンの商品、鞄を初めて買った日本人は土佐人(高知県人)だったという話を聞きました。
それは誰かというと後藤象二郎でございます。幕末から明治政府にかけて大政奉還の運動、また民選議員設立の建白書などで活躍をした政治家でございますし、また岩崎弥太郎の縁戚にも当たる人でございます。この後藤象二郎が明治十四年十一月に欧州の視察旅行のために横浜を出航。
そしてマルセイユに着いて首都パリに着いたのが明治十五年一月中頃。そのときシャンゼリゼの近くのルイ・ヴィトンの本店に行って鞄を買い求めた、という記録がルイ・ヴィトンの本店のお客様名簿に残っているそうでございます。
今、全世界でルイ・ヴィトンの商品七割ぐらいを日本人が買っていると言われるくらい日本人はブランド好き、ルイ・ヴィトン好きでございますが、その第一歩を踏み出した人が高知県人だったということは、いかに新しもの好きの血が流れているかということの一つの証ではないかと思います。
また同じ幕末の頃、坂本龍馬は、あの時代に護身用のピストルを懐にしのばせていたと言われます。こんなことからも土佐人の新しもの好きの血というのは相当年期が入っているなと思います。
土佐人の血ということを申し上げましたけれども、このことに関して、つまりふるさと思いということに関して面白いエピソードがございました。どんな話かといいますと、それは県内で行なわれましたミスコンテストに出場した女子学生に、司会者が、あなたの身体の中で一番好きなところ、気に入っているところはどこですか。こういう質問をしました。
普通だったら、切れ長の涼しげな目ですとか、口許のえくぼですとか、長い髪ですとか、こう答えるところでございます。ところがその女子学生は、私の身体の中で一番好きなのは私の身体の中を流れている土佐人の血ですと、こう答えたために、司会者が一瞬ウッとひるんでしまって沈黙が流れたという話でございました。
ということで幾つか土佐人の県民性ということをお話ししましたが、振り返ってみれば僕自身、十二年前にそういう新しもの好きの血にワッと飛びつかれて知事に押し上げてもらったという気がいたします。
といいますのも、当時十二年前の選挙では相手の方は自由民主党の推薦を受けた元の副知事さんで、しかも県内の百を超える団体がこぞって推薦をしておりました。それに対して僕は三ヵ月余り前に高知に来たばかり。無党派、草の根という闘いでございましたから、普通ですととても相手になる闘いではございません。
しかし、やはり新しもの好きの血、また何かエライさんがこぞって推していると、何オッという反骨精神。そういう県民性に押し上げられて知事にしてもらったような気がいたします。
ただ、土佐人は熱しやすく冷めやすいということを言われますので、熱しやすいその風に乗って十二年前当選をしましたけれども、十二年もたつとそろそろ冷めやすいほうの雰囲気も出てきているのではないか。そんなことも思いながらヒヤヒヤと毎日の仕事をしております。
県民性ということを申し上げましたが、こういうふるさとの地方、地方の個性というのはどこにもあるものだと思います。またそういう地域、地域の個性というものが寄り集まって日本という国をバランスよくつくっているのではないかと思います。
ところが今のいろんな論調を見てみますと、そういう地方のよさということにあまり目を向けずに、大都市と地方の対立というふうな概念でものを見るような、そんな話が少し多過ぎやしないかと思います。
例えば、地方は無駄遣いばかりしているのに何にも反省していない。そのために大都市で稼いだおカネがどんどん湯水のように地方で使われている。これはこのまま許せない。だから国と地方の関係を見直さなければいけないというような論調が代表的なものでございます。
といっても、もちろん地方に無駄がないとは言いませんし、それを改めていかなければいけないことは言うまでもありませんし、併せて国と地方の関係を見直すということにも全く異論はございません。しかし地方がそういうことに全然無頓着で何もしてこなかったかというと、決してそんなことはありません。
例えば、わが高知県は、今、教育委員会の先生や警察の職員を除きました知事部局の職員の数が四千百十七人おります。この職員の数が一番多かったのは平成六年でございますが、それから九年の間に五百八十人、一二・三%の人員を削減をしてきています。
また、予算の面でいいますと、とかく評判の悪い公共事業。これに県単独のハードの事業を足し合わせたものを普通建設事業といいますけれども、この普通建設事業の今年度当初の予算額は昭和六十二、三年当時、つまり十五年余り前のものと同じような水準まで落ちてきております。
その中で県の単独のハードの事業だけを見てみますと、平成九年度の補正予算後が一番のピークでしたけれども、どんどん落としてきて、今ではそのピークのときに比べて本年度当初は三八・八%。つまり六一・二%を削ったということになります。
このように地方の側は、ある意味では血も流し痛みも伴うような改革、見直しということをずいぶん進めてまいりました。
これに対してというと失礼ですけれども、国の場合には前年度から今年度まで公共事業を三%削減するのにも相当な苦労をされています。むしろ改革をしてきたのは地方の側ではないか。そんな自負も感じております。そうした中で国と地方との関係の見直しで出てきたものが三位一体の改革ということです。
皆様方もよくご承知のことでございますが、三位一体とは、国から地方への税財源の移譲、また国庫補助負担金の削減と廃止、更には地方交付税の見直し。この三つをいっぺんにやっていきましょうというものでございます。
こういう三位一体の改革が進みますと、小泉総理も補助金を、例えば地方に一般財源として見直すときには八〇%ぐらいになってもいいのではないかということを言われておりますから、
今、県が受け取っている国からの財源が、例えば一千あったといたしますと、これが七百から八百ぐらいに減っていくということは覚悟をしなければいけません。その二百から三百減る分がその地方の経済に与える影響をどう少なくしていくか。これは地方にとって大変重要なセイフティネットの課題でございます。
しかし、今は一千もらっているために、国がこの補助金を出すからこういうことをしなきゃいけない。また、こういうことはしてはいけないという、いろんな縛り、規制を付けております。
これが七百、八百になったとしても、全くそういう規制がなくなって自由に地方の判断でそのおカネを使っていければ、県民へのサービスということではもっとよりよいサービスができる可能性が出てくると思います。
例えば、今、海岸の事業というものを見てみますと、旧建設省の海岸、旧運輸省の海岸、農林水産省の海岸、水産庁の海岸というように縦割りでやっておりますが、一般の国民が見れば、どこの海岸が何省の海岸などということは全く意味も価値もございません。
また、生活排水の処理という仕事も、国土交通省の公共下水道というお仕事。また農林水産省の農業集落排水事業という事業。また環境省の合併処理浄化槽という事業。こういうものが縦割りで行なわれておりまして、一昔前は、ある事業でつくった処理場には別の事業のパイプがつながらないというばかばかしいこともございました。
こうしたことが全て、補助金ではなく、つまり縦割りではなくて一般財源として地方にくれば、そういう組み合わせを自由に地方で計画をつくっていくことができます。そんな思いを込めて高知県では海岸の事業も統一をして扱う課をつくりましたし、また生活排水の事業もまとめて取り扱う課をつくって準備をしております。
このような意味で三位一体の改革は是非本格的な意味でその抜本的な形の改革を、しかも早く進めてほしいというのが本音のところでございます。けれども実際の流れを見ますとなかなか順調には進んではきません。
本来三位一体の改革というのは、国から地方への税財源の移譲というのが第一のスタートであろうと思います。にも関わらずそれは先送りをして、地方交付税だけ議論しましょうというような、そんな流れがございました。
それに対して、それはちょっとおかしいんじゃないの。こんなご批判やら、ご意見やらが出ますと、いやいや決してそうじゃありませんよ。国庫補助負担金の削減をやりますよ。そしてそれの見返りとしての税財源の移譲をしますよという流れになり、結局は骨太の方針の中で三年間で四兆円を補助金、負担金を削減をし、それを一般財源として地方に移譲するということになりました。
しかしそのやり方は、今、どの補助金をということを決めるのではなくて、予算編成の段階で三年かけてやっていくということになっています。そうすると、事業を持っている各省庁の思いとしては、少しでも先送りをしながらやっていこう。また初年度は補助率を減らしたり、または箇所付け数を減らしたりということで対応していこうということになります。
そうなると、またまた地方の側から、その分捕り合戦が激しくなるという何か本末転倒の動きが出るのではないか。そんな心配をしながら行方を見守っています。
また、この三位一体の議論の中で、今は少し棚上げにされた形になっていますけれども、地方共同税という考え方が出ました。少し細かい話になって恐縮ですけれども、地方交付税というものは、今、所得税と法人税、消費税。そして酒税とたばこ税。この三二%~二五%を財源としてつくられています。
その財源だけでは本来の趣旨が満たせないときには、その三二%~二五%の率を上げることで対応しますということが国の法律にも書き込まれておりますけれども、そのことは一切しないまま、足りなくなった分を一般会計から借りて、特例の加算というような形でやってきましたし、
更に足りなくなりますと国の赤字の国債と同じように赤字の地方債を認めるということでこれに対応してきました。このことが地方の借金がまたまた膨れ始めた一つの原因になっております。
これに対して郷土税という考え方は、先程申しました国の五つの税、この二五%~三二%という決められた額だけに地方への交付を抑えよう。特例の加算と赤字の地方債の分を全部やめてしまおうという考え方でございます。
そうなると地方にどういう影響があるか。高知県に当てはめて考えてみますと、高知県の本年度当初の地方交付税は一千七百五十億円でございます。この内特例の加算と赤字地方債を足し合わせたものは一千百七十八億円ございます。
では、この一千百七十八億円が、交付税だけではなくその他も含んだ県の一般財源の中でどれだけの比率かといいますと、一般財源が三千二十二億でございますから一千百七十八億はおよそ三分の一という大きな額に当たります。
更に使い途から見てみますと、福祉関係の民生費に二百八十四億。また警察など治安関係の費用に二百十六億。また教育に七百四十億が使われております。足し合わせますと一千二百億ほどになります。
ということはイコールそのおカネが全部そちらへということではございませんが、一千百七十八億を全部なくしてしまおうということは、その民生費、治安の関係、教育費というものを全部ゼロにしたものに値をする。それぐらい大きな影響を地方に与えるということになります。
これに対して、そんなに地方が必要だったら自己責任、自己決定の原則に従って税金を上げればいいじゃないか。こういうご主張もございます。そのご主張に照らし合わせてみますと、本県の当初予算の中での県税は五百七十二億円しかございません。これで一千百七十八億の減額分を補おうとすれば県税を二倍から三倍に上げる。県民負担をそれぐらい上げないとできないということになります。
というと三位一体の改革を進めてほしいと言いながら、結局は反対なのではないか。地方交付税の見直しにも反対じゃないかというふうに思われるといけません。決してそんなことはありません。本当に地方交付税の見直しを含めた三位一体の改革は一気にやってほしいと思っています。
けれどもその前段として、国として全国どこで暮らしても最低限保障すべきサービスというものを決めるのか決めないのか。決めないならばそういうものはやめてしまうということを宣言をされればいいし、決めるならば、ここが基準だという、その理念をきちんと示していただきたい。
それなくしてただ単に大都市と地方の対立の概念だとか、また財務省と総務省と事業を持っておられる官庁との三すくみ。そんなことでこの議論が進んでいくことは国全体の方向としてあまりいいことではないというのが私の実感でございます。
少し理屈の過ぎた、数字の多過ぎる話になりましたので、いささか退屈をされるのではないかと思いますし、ただ単に国に文句を言っているというだけでは仕方がありませんので、次に、地方から国に向けて、また中央に向けて改善を提案をしていった、そんな事例を三つほどお話をさせていただきたいと思います。
その一つ目は、いわゆる国と地方の関係ではございませんけれども、地方と中央との関係という広い意味で国民体育大会の簡素化ということをお話しさせていただきたいと思います。その背景にはもちろん高知県の財政が厳しいということもございましたけれども、決してそれだけの理由ではございません。
というのも、国と地方との関係の中では、いわゆる地方分権というものが進んで上下主従の関係が対等平等の関係にという流れができてきております。ところが国体で経験をしましたが、スポーツの世界では中央の競技団体なり協会なりが決めたことが、分権ということに関係なく地方に押しつけられてくる。そんな印象を受けました。
これが国民体育大会が一流の選手が出てくるようなスポーツ大会であるならばそれだけの基準、また施設の整備も必要だと思います。しかし現実にはそうではございません。日頃スポーツを楽しんでいらっしゃる方の祭典というようなイベントになってきております。
であれば、その参加をされる選手の安全が確保されるだけの基準、また参加される選手が公平に競い合っていく。その土台がきちんと整備されれば、それで十分なのではないかと私は思いました。
にも関わらずと言うと大変失礼なのですが、例えば、体育館を使う、コートを使う競技の場合、コートの端の所と体育館の壁との距離がちょっと基準より少ない。だから体育館そのものを大改造するようにとか、また射撃関係の競技で的と光の角度がちょっとずれているので全部換えるようにというようなご注文がきます。
これに一つ一つ応じていますと、一つでも数千万から数億というおカネになります。このことは、やはり今の分権の時代におかしいのではないかと思って、できるだけ既存の施設を使っていくということにしました。
また式典も簡素化をし、特に秋の大会の最終日、閉会式は陸上競技場ではなくて室内で、ホールの中で済ますということにしました。中でも象徴的だったのは、開催県、高知県が天皇杯を取らなかったということでございます。
振り返ってみますと、昭和三十九年に東京オリンピックが開かれました。この年の国体が新潟の大会でございますが、この年から開催県が三十八年連続総合優勝、天皇杯を取り続けておりました。このこともちょっとおかしなことではないかと私は思いました。
というのも、国体は予選があって予選を通過した選手が本大会に出られます。ということは当然競技人口の多い大阪とか東京が有利になってこざるを得ませんし、高知のように人口の少ない県は三十位台、四十位台でも決しておかしなことはありません。
けれども、何年後に開催ということが決まりますと突然、三十位ぐらいにいたところが二十位、十位と上がっていって開催の年には優勝をしてしまう。これは少々おかしいと思いました。その背景には、開催県になりますと、その年は予選に出なくてもいいというような特典もあります。
それだけではなくて、開催県になりますと選手強化ということで莫大な税金を各県使われます。それが本当に強化だけならいいですけれども、その強化費というおカネを使って「渡り鳥」と呼ばれる、その開催の前後だけその県の選手になるような選手を多数雇われるというようなことを繰り返してこられました。
これが本当にスポーツマンシップとかフェアプレーといわれるスポーツの大会として相応しいかということを、日本体育協会にもお話しをいたしました。本県では完全に「渡り鳥」というものを排除できたわけではありませんけれども、できるだけそういう選手は少なくして強化費も、せっかく大会を開くんだから、そのあとの生涯スポーツにつながるような強化費をということで考えてまいりました。
その結果、総合成績は十位。開催県が天皇杯を取らないという、ある意味では快挙をなし遂げることになりました。つまり、開催県が何としても天皇杯を取らなければいけないというトラウマを排除したということで、ある方々からはお褒めをいただきました。
このようにべつに国と地方という行政の中での関係だけではなくて、日本中にいろんな古くからのしきたりというか、何となく抜けられないものというのはいっぱいあるのではないか。ただ、時代の流れから言うとそろそろ見直したらというものもいろいろあるのではないかと思います。
そういうものを地方の側から声をかけて直していくというのも地方のやるべき仕事の一つではないか、ということを国体を通じて感じました。
二つ目に挙げてみたいのは、公共事業の一つでございますが、道路整備に関わる1.5車線の道路整備という考え方でございます。といいますと、何のことだろうと思われる方も大勢いらっしゃるかと思います。
道路整備のやり方は一車線の道路を二車線、つまり片側一車線にして、これで初めて道路の改良が終わったというのが従来の国の基準でございました。このためどんな田舎の山の中に行っても道路改良となりますと、二車線の、そして歩道のついた見事な道路ができている。
なのにクルマは全然走っていないということから、都市の方が行かれると、地方は無駄遣いだ。公共事業は無駄が多い。こういう議論にもつながりました。実際にそうした地域に行ってみますと、何も二車線の道路でなくてもいい。
お互いが安全にすれ違うだけの幅があれば、また曲がり角で向こうがもう少し見やすくなるように、その部分が広がれば。つまり二車線でなくても1.5車線ぐらいの幅があればそれで十分だという声が数多く聞かれます。
そこで高知県では、二車線でなくても1.5車線でも道路改良として位置づけるようにということを国に提案をいたしました。これに対してほかの同様の思いを持っている県も、そうだ、そうだと言って後押しをしてくださって、今年度この四月から1.5車線の道路整備というものが国の道路改良の事業としてきちんと位置づけられるようになりました。
このことによって道路整備のコストは格段に下げることができますし、また同じ金額で長い延長距離を整備することができるようになります。高知県の場合、非常に道路整備の後れた県でございますので、今までのような二車線の改良ということを前提にしますと、全ての道路の改良が終わるのにはまだ九十年かかるという気の遠くなるような状況にございました。
けれども、1.5車線の整備をしていくことで三十年で然るべき道路としての改良は終わるということになりました。このように地域の実情に合わせて国の基準を変えるように提案をしていくというのも、これもまた地方の果たすべき一つの役割ではないかということを思います。
三つ目の事例として森林環境税という、今年から高知県で独自に始めた税のことをお話ししてみたいと思います。森林環境税という税を考えたきっかけは二〇〇〇年四月に地方分権一括法というものが制定をされて、地方でも独自にいろんな税をつくりやすくなったということがきっかけでございました。
これを発端にして二〇〇〇年四月に庁内に検討の委員会をつくって、高知県でも何か独自の税のことを考えてみたいねと、こういう話し合いを始めました。そして一年間話す中で出てきたのが森林環境税というアイディアでございます。
といいますのも高知県は県内の中で森林の占める面積が八四%。全国で一番森林の比率の高い県でございます。しかしご承知のとおり外国から安い木材がどんどん入ってくるために国内の材木の価格がどんどん落ちて、森林の整備、手入れというのはなかなか行き届かなくなってきております。
こうしたことから、高知県内でも森林がそもそも果たしている役割。つまり山に降った雨の水を山に溜め込んでじわじわと川に流して、下流の大都市に流していく。それによって下流の都市の災害を防ぎ、また下流の都市に飲み水を提供していく。
また地球温暖化の原因であります炭酸ガスを吸い込んで酸素を供給していく。こういう森林の果たしている公益的な機能というものがどんどん衰えてきています。このことは何も高知県だけではなく全国共通の問題、課題でございますけれども、
これに対して県が今持っている財源の中から何かやり繰りをして事業をしたとしますと、町のほうから見ている方から見ますと、ああ、県がまた公共事業をやったから山の業者のためにああいう費用を出しているんだろうなと、これぐらいにしか見ておられません。
そうではなくて、町の人も含めてみんなが森林の環境を考えるにはどうすればいいか。そのためには広く薄く税という形で負担をしていただき、負担をしたんだからということで関心を持ってもらうというやり方はどうかな。そういう考え方から森林環境税というものに取り組みました。
そして二〇〇一年四月から今度は市町村の方も入っていただいたプロジェクトチームをつくり、その十月に二つの試案をお示しをして、住民との議論も進めながら、この四月から新しい森林環境税というものを施行するに至りました。
具体的には、まさに広く薄くでございますから、一世帯当たり年間五百円という小さな税でございます。世帯数三十万戸ほどでございますから、年間一億五千万ほどの税金にすぎませんが、この税金を使って何とか森林の環境をみんなで考えるという雰囲気をつくっていきたいと思っています。
七月二十日の「海の日」とか「空の日」というものがございますので、高知では十一月十一日を「こうち山の日」と制定して、その前後には、山に行ける人は行ってボランティアの活動をする。また森林浴をして、その環境を楽しむ。
または荒れている森林を見て、森林の環境の問題に心をはせる。そういう動きを起こしていきたいと思いますし、それを通じて川上と川下をつないでいくような森林の問題をみんなで考えるような動きがつくれればと思っています。
この条例に基づく税は高知県が最初でございますけれども、同じ四国の徳島、香川、愛媛の各県にも働きかけをしております。そして四国の四県が共同で森林環境税というものに取り組んでいくことになれば、これもまた全国に向けての大きなアピール効果になると思いますし、またそのことが国全体で環境に関する税を考える。そういうきっかけづくりにもなりはしないかと思うのです。
またこのことは長良川の河口堰で、また徳島県の吉野川の河口堰で問題になった公共事業、治水との関係、また京都議定書の例の地球温暖化の関係。こういうことにも密接に絡みあっております。是非こうした森林環境の問題、それに対する税としての取り組みということに多くの皆さん方に関心を持っていただければと思いました。
ということで、国体の簡素化、また一・五車線的な道路整備という公共事業の中での提案、更に森林環境税という森林のことを考える新しい税というものを地方からの提案の事例としてお話しをいたしました。
このような形で、国ではなかなか進んでいきにくい改革というものに地方からいろんな形で提案をしているということを、高知県だけの例ですけれども、ほかの各都道府県もやっておられます。そういうことを是非、関心を持って目を向けていただきたいと思って紹介をさせていただきました。
しかし、わが足元を見てみますと、三位一体の改革のこともございます。また、経済力も非常に弱うございますし、この景気の中でございますので、今後本当に地方が分権社会の中で自立をしていけるかどうか。非常に正念場の時にきているという思いがいたします。そういう中で地方ということを考えていったときに、いろんな分野で経営という考え方が求められているのではないかということを思ってなりません。
ということで、次には地元の企業やビジネスの経営、また市町村など地域の経営、そして県などの行政の経営という三つの分野で経営ということを切り口に、ちょっとしたエピソードをご紹介してみたいと思います。
まず地元のビジネス、企業の経営ということでございます。高知県は東京や大阪という大きな市場から遠く離れた県でございます。こうしたことから高度経済成長を支えた電機ですとか自動車、そういう加工組立型の産業にとっては物流コストが大変嵩むということで、本県は高度成長の波には完全に乗り遅れました。このように距離のハンディキャップというものを大きく抱え込んでいる県でございます。
これに対してIT、情報化という技術は距離のハンディキャップをなくしてしまうというのが最大のメリットでございますので、本県のように距離のデメリットを抱えている県にとって取り組まない手はないと思いまして、他の県よりも少し早めに情報化に取り組んできました。
生活情報維新という形で五年計画もつくってやってきましたし、その基盤になるスーパー情報ハイウエイも日進月歩に従って張り替えるということで、何とか地元の情報産業を育てていこうということを心がけてきました。
弱い経済力の中ですけれども、その中では健闘していると言われるぐらい、そういう情報産業も育ってきました。けれども、もともとの経済の力が弱うございますから、そういうソフト関連の企業が取引きをしている、受注をしている相手はどこかと見てみますと、県庁など行政機関。または大手のベンダー企業の下請という仕事ばかりになります。そうなるとご自身でソフトを開発をしていく力を養って付加価値の高いビジネスがなかなかできません。
そこで何とかもっと自分自身でソフト開発ができ、付加価値の高いビジネスが展開できないかという思いで、県では県のある規則を改正いたしました。それはどういう規則かといいますと、従来は県庁が発注をし、地元の企業と一緒に何かの共同開発をしていくシステムなどをつくっていく。
そのときには出来上がった品物の知的所有権、著作権ですとか、特許権だとか、そういうものは全部県に所属をするという規則になっておりました。というのは、そうした著作権などを使って企業がどこかでビジネスをするということを全く考えていなかったからでございます。
よくよく振り返ってみれば県庁で開発をされたものであれば、ほかの都道府県でも、また市町村でもビジネスのネタとして使っていただけるものがあるのではないかということを思いまして、この規則を改めて、県と企業が共同でいろんなシステム開発などをしていくときには県もその知的所有権を持ちますが、併せて企業にも知的所有権を持っていただいて、それを元にビジネスをしていただくというように改めました。
こういうことを考えたきっかけは何かといいますと、県の財務会計のオンラインがございます。このダウンサイジングをしたのがきっかけでございました。こういうダウンサイジングをするときには、コントローラーという本体と、中にあるアプリケーション全部を取り替えてしまうというのがそれまでの常識でしたけれども、
財政も厳しいということもあって、コントローラーを取り替えるのは当然だけれども、中のアプリケーション、中身はもったいないから何か残してやれないかというような注文をしましたら、受けてくれた県内の企業が一生懸命考えてくれて、アプリケーションを残すシステムを開発いたしました。
このことによって、当初三年かかると言われておりました期間が一年半に短縮することができましたし、また七億円と想定されておりました予算が二億五千万円で済みました。これはビジネス特許に出せるのではないかというので、
去年の四月ビジネス特許に出しておりますけれども、ちょっと申請手続きが間違ったということもあり、またビジネス特許が混んでいるということもあって、まだ結論は出ておりません。
その特許とは別に著作権をもとに仕事をしてもらうということをしましたら、福岡県さんが同じような財務会計のシステムのダウンサイジングにご採用をいただいて、県にもなにがしかの振込がまいりました。
ほかの都道府県や市町村からもいろんな引き合い、問い合わせがございますが、いざとなりますと、やはり大手の企業も対抗して安い価格で入札をしてこられますので、まだなかなかそれ以上の進展は見ておりません。
このように県とその弱小の県内の企業が共同で仕事をし、そしてそこでできたものをその企業にも権利を持ってもらって、しかも県がバックアップをし、信用力で後押しをして、そのビジネスを広げていくということもこれからの地元の企業の経営ということに一つ必要な方向性ではないかということを思っています。
次に、同じく地場の企業の経営ということで、その地域にずっと古くから伝わる伝統的な技術、またその企業に脈々と受け継がれてきた技術。これを本来の目的ではなくて、違う別の使い方をして、そのビジネスの幅を広げたという事例をご紹介してみたいと思います。
その一つは、ミロクテクノウッドという会社でございます。この本体、親会社のミロク製作所という会社はもともと古くは捕鯨の捕鯨砲をつくっていた会社でございます。捕鯨が衰退をして捕鯨砲ではめしが食えなくなった。
そこで捕鯨砲をつくっていた技術を生かして、今度は欧米向けのライフルやピストルをつくるという仕事を始められました。この面では日本国内のトップメーカーになっております。ライフルやピストルをつくりますと当然銃床をつくる。木を加工するという技術が出てきます。
この部分を受け持っているのがミロクテクノウッドという会社でございます。この木を加工する技術を生かして何かほかにもっと付加価値の高い仕事ができないかといってずっと研究をしてきました。その中から出てきたのが木製のハンドルづくりでございます。
これも人の命に関わるものでございますので、歪みが出たらいけない、反りが出たらいけない。いろんな安全基準上の問題があって、相当な研究と実験を重ねました。正方形の木を丸く切り取って、そこをくり抜いて、それをウレタンの芯にかぶせるという形で見事に一定の安いコストでその木製のハンドルをつくることができました。
従来の木目のハンドルは木を薄く切って巻き付けるという形のものでございますが、これに比べてずっと手触りが本物でございますし、また熱の伝導率も低いということで、トヨタに採用をいただいて、パートさんが主ではございますけれども、四百人ぐらいの雇用のあるビジネスになってきております。
ただ、この部門は日進月歩というか、コストダウンの要望も非常に強い分野でございますから、生産性を十倍に上げ、コストを十分の一に下げる。そういうことができないかというのを一生懸命この企業では考えておられます。それはどういうことかといいますと、今は、正方形の板を丸くくり抜いてハンドルをつくるということをやっております。
つまり正方形の板から一つの商品しかつくれません。これを横に切って十本の細い材木をつくり、これをぎゅっと丸く曲げてハンドルをつくってしまうということを研究しております。物理的にはできておりますけれども、採算ベースということでまだ生産工程に乗っているものではございません。
このように従来その企業がずっと受け継いできた技術を別の分野で何か活用できないかということは、これからの時代とてもいい方向性ではないかと思うのです。
同じような事例をもう一つご説明をいたします。高知県には土佐和紙という古くから伝わる和紙をつくるという技術がございました。その中で典具帖紙という透けて見えるような薄い紙を漉くという技術がございまして、従来から、その手漉き和紙の業界を支えてきた商品でございますが、もちろん手漉き和紙というのはどんどん販路も狭まってきております。
そんな中で一時期はタイプライターの用紙として典具帖紙が使われましたが、これもワープロによって取って替わられることになりました。そこで、薄い紙をつくるという技術を何かほかのことに使えないかと考えたのが、ニッポン高度紙という県内の会社でございます。
そこで開発されたのは、電解コンデンサー、蓄電池のセパレーター、絶縁紙でございました。この分野では世界で七〇~八〇%というシェアを占める企業になっております。
このようにそれぞれの地方には、タオルをつくるとか、食器をつくるとか、団扇をつくる、眼鏡をつくる。いろんな伝統的な技術がございます。その伝統的な技術によるモノづくりというのは、中国など安い人件費の所にはなかなかかなわない。
また安い人工の代替品ができるということで、どんどんシェアは狭まってきております。そういうときに伝統の技術を何か別の、今の時代に合った付加価値のあるものに使えないかという方向で考えていくということは、これからの地元の企業の、またビジネスの経営ということで大変大切な視点ではないかと思ってご紹介させていただきました。
次に市町村の経営ということでございます。地域の経営ということを考えるときには、その地域をどうやって売っていくか。何をその地域の顔にしていくかということが一番肝心なポイントになります。
ということで、一つ、小なりといえども成功している事例として高知県の東部にございます山の中の村、馬路村という柚子で有名な村の例を紹介してみたいと思います。
高知県はもともと柚子の生産では全国一の県でございます。馬路村も柚子の生産ではかなり知られた村でございました。ただ、昔は玉でそのまま出荷をするか、それとも絞って柚子酢にして出荷をするかというだけでございましたけれども、あるとき過剰生産になってしまって柚子酢がいっぱい余りました。
そこで、この柚子酢を使ってジュースやポン酢醤油をつくってみようという加工品づくりが始まりました。しかしまさに手探り、手作りですから、つくったものの売り先もなかなか見つかりません。そこでJAの担当の人が東京や大阪に行きスーパーやデパートを回って、何とかちょっとした隅っこでもいいから置かしてもらえませんかと言って頼んで回りました。
そして置かせてもらった所では、そこにずっと一日中張りついていて、お買い求めになった方のお名前と住所を聞いて名簿をつくっていくということを地道に繰り返しました。そしてその名簿をもとに夏には御中元、また冬には御歳暮のご案内を出すということを何年か続けているうちに、西武さん、西友さんがやっておられました、「ふるさとの一〇一名品展」で優秀賞を得ることができました。
当然賞金が出ます。普通の地方の村ですと、賞品が出ますと、これまでそういうことには全然汗をかいてこなかったようなエライさんが出てきて、めでたい、めでたいと言って酒を飲んで終わってしまうということになりがちでございますが、ここではそういうことをせずに、その賞金をきちんと貯めてマーケティングをし、それに基づいて新しいキャッチコピーをつくる。またパッケージデザインをつくるということをしました。
それをきっかけに通信販売等々含めて急激に売上が伸びまして、今は、「ごっくん馬路村」という柚子のジュース、また、「ゆずの村」というポン酢醤油を中心に年間二十七億円の柚子製品の売上を持っております。
この村の人口はどれぐらいかというと、わずか一千二百人でございます。一千二百人の村でありながら年間二十七億ぐらい、柚子だけで売っていく力を持つようになった。これも、やはりその顔を何で売っていくかという一つの地域経営の成功例ではないかと思っています。
次に、まだこれほど成功した有名な事例ではございませんけれども、何とか売り込もうと思って努力をしているプロジェクトを一つご紹介したいと思います。
それは高知県の須崎市という所で取り組まれております鍋焼きラーメンプロジェクトというものでございます。鍋焼きラーメンというと一体何のことだろうと思われるかと思います。高知市から高速道路で三十分ほど行った所に須崎という市がございます。
このJR須崎の駅前に戦後ありました食堂がラーメンの注文を受けたときに、運んでいる途中に冷めてはいけないというので土鍋に入れて出前をした。これが鍋焼きラーメンのきっかけでございました。これがわりと評判になって、そのお店の定番商品にも出るようになりました。
この食堂そのものは昭和五十年代に店仕舞いをしたのですけれども、その定番商品になっていた鍋焼きラーメンはほかのお店にも受け継がれて、須崎の市内では結構人知れず人気を呼ぶ商品になっておりました。
この須崎に去年の九月、国体を前に高速道路が開通をするということになったときに、何とかもうちょっと須崎を売っていこう。そのときにセールスポイントとして何を使っていこうかという議論を若手の方々がした中で、白羽の矢が立ったのが鍋焼きラーメンでございました。
といいましても何も特段の準備もせずに始めたのですが、始めた途端に地元の新聞に大きく取り上げられましたので、地方の市としては急にブレークをして、最初十七店舗で始めた鍋焼きラーメンが今では五十店舗ぐらいになりましたし、高知の市内にも「鍋焼きラーメン」という幟が立つようになりました。
また看板を付け替えるとか、アルバイトの数を増やすとかいって、ごく小さなものでございますけども、五億円ほどの地域への経済効果も出てきたというような計算もございます。
ただ、鍋焼きラーメンといいましても、鍋焼きの土鍋にラーメンが入っている。また、なぜかたくあんが付いて出てくるというだけが共通点というか特徴でございまして、まだそれ以上のこれという味などの売り物がございません。
このために、かなり前のことなのですけれども、テレビで「日本ラーメン選手権」という番組がございましたき、須崎の鍋焼きラーメンも参加をしました。ところが一回戦で京都のラーメンに負けたそうでございます。
鰊そばに負けるならともかく、京都のラーメンに負けるようでは、これは先行きが不安だなと思います。つまり味の面でもっともっとレベルアップをしていく。また須崎の鍋焼きラーメンといえば、これが売り物だという、スープなり麺なりの特徴をつくっていくというのがこれからプロジェクト成功のカギだと思います。
こういう動きが出てきた中でふと思いつきまして、もしかしてどこかの企業が「鍋焼きラーメン」というので商標登録してやしないか。そこからクレームでもこないかといって調べてもらったことがございます。案の定大手の即席ラーメンをつくっている会社が既に商標登録をされておりました。
その会社に問い合わせたところ、地域づくり、地域起こしのために名前を使われるのは全く構わないので、どうぞご自由にということでございました。考えてみれば、そういう企業から、ここまで鍋焼きラーメンのプロジェクトが成功をして話題になったのであれば、何か一緒にビジネス、商品づくりをしましょうという声をかけていただくぐらいになれば、このプロジェクトも本物ではないかということを思って、是非そういう方向に進むように頑張ってみたいということを思っています。
地場の企業、地場のビジネスでも、また地域の経営でも、経営ということを考えるときには創意工夫というものが必要だということを申し上げてまいりました。
残る三つ目の行政の経営ということを考えますときに、この面では地場の企業や地域以上に、今、創意工夫ということが求められているのではないかと思うのです。
というのは、例えば、私たち県庁の仕事というものを考えてみますと、従来はとかく国に、こういう補助金ができた。またこういう補助金がある。それをまず持ってこよう。持ってこれそうだとなると、それを市町村のどこに下ろしていこうかという、上から下の流れで仕事をしていくというきらいがございました。
また法律や制度仕組みに対する考え方も、それを与えられた当たり前のものとして、その枠の中で仕事をしていく。それをうまくこなしていく、そういう職員がよい職員だと評価をされてまいりました。
しかしこれからは単に上から下へものを流していく、その流れに従って仕事をしていくのではなくて、自分が持っている部署、自分が担当している地域で何が問題なのか、何が課題なのかということをマーケティングをして、そのマーケティングに基づいてその課題を解決をしていく方向、政策なりを考えていく。
例えば、先程の一・五車線的な道路整備というものも、そういう地域のマーケティングから出てきたものでございますけれども、そういうものの考え方をしていく職員が必要な時代になってきていると思うのです。
また、法律や制度の枠組み、いろんな基準、仕組みの枠組みということも、従来はそれが当然ということで、それを守っていくことを杓子定規にずっとやってきました。もちろん行政ですから、法を破るということをやることはできません。その枠組みの中で仕事をしていくということはある意味では当然です。
しかし、それこそ地域でのマーケティングから、今の法律制度や仕組みというものがもう今の時代に、また地域のニーズからずれているのであれば、それを変えていくということを提案していける職員になっていかなければいけませんし、また、今ない仕組みであれば、それをつくっていったらどうか。
先程の森林環境税などもそういうものでございますけれども、今、これだけ森林が荒れてきている。そのことに多くの方に関心を持っていただく接着剤として、こういうものをしたらどうだというように、今ない仕組みをつくっていく。そういうものの考え方を県庁の職員ももっとできるようにしなければいけません。しかし、こういうふうに考え方やものの見方を変えていくというのは並大抵のことではございません。
そこで高知県では数年前から、企業で取り入れられております経営品質というものを行政版にバージョンを変えました行政品質の向上システムというものを取り入れて、その取り組みを進めております。それは各職場ごとに、自分たちの仕事が相手をしているお客様、顧客は誰か。そのお客様の求めるニーズは何か。
また、今の時代環境の変化をどのようにとらえて、それに対してどういうビジョンを自分たちが出せているか。また、その仕事を遂行するためにどんな人材の育成や何かをしているか。こういうことを職場、職場で議論をし、そして自分自身で自分の職場の弱さに気付き、強みを知る。
そういうことによってその弱さを克服し、強みは伸ばしていく。そういう気付きをもとにして少しでも変化をもたらそうという取り組みでございます。
しかし、やはり前例というものにずっと慣れて、先輩が続けてきた仕事をそのままやっていけばいい。また、なるべく周囲と波風を立てずにやっていけば、そのほうがいいといわれた役所の世界の中で、自分自身をいつも変えていく。また上の段階を目指して取り組んでいくということは、なかなか根付いていきません。
特に、今申し上げました経営品質というものは企業から始まったものでございますので、行政の中には、企業は営利を目的とする、行政はそうではない。それなのに企業から始まったものを行政に取り入れても、それがうまくいくはずがないという、はなからのアレルギーも強くございます。けれども、僕はこういうものを長く取り組むことによって大きな変化がやがて訪れるのではないかと思うのです。
というのは、今ある行政のいろんな仕事の仕方の問題点を、ここが悪いといって指摘をして無理やり変えさせる、医学的なたとえをかりれば、西洋医学の外科手術の手法をとるということも当然あり得ると思いますし、それは一時的に効き目はあると思います。
しかし、体質そのものが変わっていないのに外科手術的にその部分だけを治しても、またしばらくすれば別の所に同じような病気が発生するのではないかと思います。
ですから、少し気の長い話ですけれども、行政の経営品質の向上というような漢方薬をずっと職場、職場で飲み続けることによって、その体質を変えていく。そのことによって県庁の仕事を変えていけないか。経営という視点に立った創意工夫のできる組織に変えていけないかということを思っています。
併せて、研修の仕組みも大きく変えようとしております。従来の役所の研修ですと、例えば、新任の課長の研修は、新しく課長になった人を集めて、講師を呼んでお話を聞いて、ああ、いいお話だったねというので終わりでございました。
そうではなくて、これから課長になるべき人たち。その人たちに、あなた方が今の時代、課長になるにはこういう能力が必要ですよ。こういう知識をきちんと身に付けておくことが必要ですよというメニューをお示しをして、そのメニューに沿った研修を受けて、その能力の身に付いた人を課長として登用していくというような能力開発型の研修に切り替えていくべきではないかと思って、この三年ほど試みを進めております。
まだ試みの段階でございますから、人事と連携をしているというわけではございませんけれども、将来的にはそうやって、きちんと能力を評価された、そういう人たちを次のランク、ポストに上げていくというような形で人事と結び付いた研修にしていければということを思います。
と同時に、今、課長ということを言いましたけど、課長とか、班長、係長になる。そういう階層別の能力開発ということももちろん必要でございます。が、それだけではなく、例えば、自分は福祉の分野でやっていきたい。自分は教育の分野でやっていきたい。自分は産業育成の分野でというような、職員が分野別に求められるこれからの時代に必要な能力、知識というものを示して、その能力開発の研修を受けてそのコースに進んでもらうということも必要ではないかと思います。
こういうことで何が変わるかといえば、県だけではありませんけれども、人事をするときには必ず適材適所ということを見ます。しかし自分自身がやっていても、もし人から聞かれたらどう適材適所を説明するかといろいろ悩むこともございます。
これに対して今の能力開発の研修ということですと、その研修のプログラムがきちんとしたものになっていけば、またそれを受けた人の能力判定の基準と判断がきちんとしたものになっていけば、この人はこういうきちんとした能力開発の研修を受けた人だから、このポストに相応しい適材適所なんですよということが言えるようになります。
また、この人はこういう福祉の分野の能力開発の研修を受けて身に付けた人だから、こういう福祉の職に相応しい適材適所なんですよということを自信を持って県民の皆さんにも言えるようになると思います。
また職員の方にとっても、自分は福祉がやりたい。そういうことを考課表の中に書いても、結局は人事のいろんな都合でさまざまな職種を割り振られていく。これに対してある程度のところまできたら、自分が進みたい道というものをきちんと能力開発の研修を受けて、
その方向に進んでいくということは、県庁の生活の中でのキャリアデザインを人事に描かれるのではなくて、自分で描いていけるということで、職員そのものの満足度にもつながっていくと思います。そういう満足度が仕事の面で県民サービスにも反映していくのではないかと思っています。
ただ、県庁の中で話を聞きますと、自分は課長になりたいから何か研修を受けるというと、そのポスト欲しさに研修を受けるような気がする。そういうものはなかなか日本人の感性、美徳に合わないのではないかというような声とか、そもそも先程の経営品質と同じように、企業から始まったものは云々というアレルギー拒否反応も非常に強くございます。
しかし、先程も言いましたようにこういうやり方をすれば本当の意味での適材適所になってまいりますし、職員自身にとってもプラスだと思うのです。更に、ポストを求めてというのが何となく日本人の感性に合わないという、その意味はわからないではございません。
しかし、これからは本当に課長として仕事をしていくというのであれば、それだけの自分で能力を身に付けていく、その責任感を持ってもらわないと、この厳しい時代に管理職として、その行政の経営に当たることは難しいのではないかということを思いまして、
先程言いました行政経営品質、そしてコンピテンシン(能力開発型研修)ということを末永く続けることによって、是非、県庁の体質を本当に行政を経営できるというような組織に変えていきたいということを思っております。
三つの分野での経営ということをお話しいたしました。
冒頭申し上げましたように、知事として十二年目、三期目が終わろうとしております。先日、四期目に挑戦をするということを申し上げましたが、そこでやっていきたいことが一つございます。それは政策づくり、公約づくりというのを県民の皆さんと一緒に進めていくということです。
というのは、今「マニフェスト」ということが非常に流行語のように言われております。この考え方は、理念は私ももちろん賛成です。ただ単にこれもやります、あれもやりますと言って、足し合わせれば予算の額の何倍にもなるようなものを約束をしていく。そんな公約であっていいわけはありません。
何をやって、何をやめるか。また、やるものはどういう手順でどんな手段を使ってやるのかということをきちんと明示をしていく。このことは当然必要なことだと思います。
ただ、現職の知事という立場からしてみますと、どういう予算でやっていくかというようなものを事業別につくることは、自分の部下を使えばわりと簡単でございます。
そういうものをつくって、これがマニフェストですよと、現職として出していくことに何となくおこがましさを感じますし、今、マニフェストは流行り言葉になりましたので、何から何まで、皆さん、マニフェストで出してこられる。
こういうことがやがて、「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則が働いて、何かわけのわからんものがマニフェストとして通用するようになりはしないか。そんな不安を感じます。ですから、まずマニフェストありきではなくて、そこに至るまでの手続きとして県民参加というものを是非やってみたいということを思いました。
そんな思いで、この数カ月県内を回ってさまざまな形で地域別、分野別の地域懇談会というものをしております。十年前に自分が知事になったとき地域で懇談会をしますと、あそこの道を直してくれ、あそこの田圃の道路を広げてくれ。そういうような何とかしてほしいという話が大半でございました。
今ももちろんそういう話がないわけではございません。けれども、そういう話よりも、こういうことをしてみたい。こういうことをやっていきたい。だけど、そのためにはこういうものが足りないんだというような話が数多く出るようになってまいりました。これはこの十年間での大きな違いではないか。
住民の皆さんの中に力がだんだん付いてきているのではないか。こういうときだからこそ地域の住民の皆さん方の力を生かした支えあいのシグナルをつくって、行政との役割分担をしていくことが求められているのではないかということを感じております。
併せて、今、若い人たちの政治離れということを言います。けれども、若い人たちの中にも政治とか地方の行政に関心を持っている人は結構いっぱいいます。ただ、なかなか機会がない、きっかけがないということで参加の接触のパイプを見つけないまま過ぎているという例があります。
そこで僕自身は二年ほど前から、知事のインターンシップという形で、学生さん、夏休みとか春休みに一週間ずつ、または二週間ずつ、私どもと全く一緒に行動をしてもらって知事の仕事を見てもらうということをやってきました。
その延長線上で、今回、地域を回っていろんな懇談会にも学生の皆さんに参加をしてもらって、そしてその地域の皆さん方の話を聞いて、その奥にあるニーズをつかんで、それを何か政策につくりこんでいくということを一緒にやってみようということを働きかけてやっております。
なかなか簡単にいくものではありませんし、公約の中に一つでも二つでもそういうものが、もし入ればいいなと思いますけれども、そんなことをして若い人たちを少しでも育てていくというのも、大変おこがましいことでございますけれども、自分たちの世代の仕事かなと思って取り組んでおります。
ということで頂いたお時間を過ぎましたので話を終わらせていただきたいと思います。石川先生にご注文を受けた、高知県のことをわかりやすくというということにうまくお答えできたかどうかわかりませんが、精いっぱい、高知県を舞台に地方から国にどういう働きかけ、また提案をしているかというようなことを中心にお話をさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。(拍手)
橋本さん、どうもありがとうございました。私は、さっきもお話しいたしましたように、高知のことは全くよくわからない。何かきょうは、少し、地方の持っている苦しみとか問題点というのがわかったような気がいたします。
中央との難しい関係の中で地方がどんなに苦心していろんなことをやっているかということもわかりましたし、また、行政の責任者として行政機構がどういうふうに変わらなければいけないかということにも言及していただきました。
おっしゃるとおり問題は遅々として進まないかもしれないけれども、いつかその努力は結実するだろうとは思います。ただ、日本中全体が本当に、その地方が同じようなことをやっていてくれるのかどうかということが今度は心配になってまいります。ですけれども、高知県のことを中心とした話ですが、一応、全く無知な者を啓蒙してもらったという点では大変ありがたく、皆さんと共にお礼を申したいと思います。ありがとうございました。(拍手)