公開日 2007年12月08日
更新日 2014年03月16日
全国知事リレー講座(高知県概論)
平成15年6月10日14時40分から16時10分(京都府 立命館大学)
主催:立命館大学、読売新聞大阪本社
後援:総務省、文部科学省、全国知事会
全国知事リレー講座(高知県概論)
「全国知事リレー講座」は、全国の知事が立命館大学の教壇に立ち、地方行政などについて学生に講義するもの。この講座は、読売新聞大阪本社の発刊五十周年事業の一つで、同大学政策科学部の特殊講義の形で実施し、京都などの五十大学がつくる連合体・大学コンソーシアム京都に加盟の大学の学生が正規授業として受講している。
(高知県概論)
2 地方と国・大都市とは対立の関係ではない
(1) 進めてほしい三位一体の改革
(2) 高知からの投げかけ
イ 国体の簡素化
ロ 1.5車線の道路整備
ハ 森林環境税にこめた思い
3 自立のための知恵と工夫(三つの経営)
(1) 地場企業の経営
イ 知的所有権の活用
ロ 木製の自動車ハンドル
ハ 伝統技術の工夫
(2) 地域の経営(地域の顔をつくる)
イ ゆずの村【馬路村】
ロ 鍋焼きラーメンプロジェクト【須崎市】
(3) 行政の経営
イ 経営品質を高める
ロ 能力開発型の研修
ハ 人の力、知恵での仕事
4 若い世代の皆さんへ
イ 県民参加の政策づくり
(橋本高知県知事)
皆さんこんにちは。ご紹介いただきました高知県知事の橋本です。
今日は、お招きを頂きまして、誠にありがとうございました。といっても、最初この話を受けた時に、すんなりお引き受けをしたわけでは実はないんです。というのは、一つには年々こう忙しくなってきていまして、こういう講演をお引き受けしてもなかなか新しい話を考える時間的なゆとりも気力も段々なくなってきているというのが一つの理由です。
が、そのことと同時に、47人の知事さんみんな出てもらいますよと。だからあなたにもチャンスをあげますよと。こんなのりで言われますと、そこまで気を使ってもらわなくてもいいですよと。僕一人抜けてもかまいませんからといった、生来のあまのじゃくというか、そんな気質が出てしまって、最初お話がきた時にはいったんお断りをしました。
けれども、よく考えてみるとこうした若い皆さん方にお話をする機会というのは滅多にありませんので、それを自分のそのあまのじゃくの性格だけで逃してしまうのももったいないかなと思って、今日は喜んで出席をさせてもらいました。
けれども、毎日忙しくて新しいことを考える余裕がないという現実に変わりはありませんので、話の内容はこれまで本やメールマガジンなどに書いたことの焼き直しになります。ですから、題名も「高知県概論」というふうなアバウトな題でお話をさせてもらうようにしました。
(なぜ高知県だったのか)
ということで、少し本題に入りますけれども、僕も早いものでもう知事になって12年目、つまり3期目の最後の年を迎えています。振り返ってみますと、僕が始めて知事になった時、その時は44才で現役としては一番若い知事でしたし、歴史上初めての戦後生まれの知事でした。
けれどももう今は、下から数えると両手の指を折っても足りないぐらいになっていますので、時代の移り変わりは早いなということを改めて実感しますけれども、そもそも僕は東京生まれの東京育ちで、高知県とは全く縁がありませんでした。
ではその僕が何故高知の知事選挙に出たかと言いますと、今ご紹介いただいたようにその当時テレビにちょくちょく出ていましたので、名前が売れていました。そんなことから、高知の県民の皆さんが、知事選挙に出ませんかと言って署名活動までしてくれて、お誘いを頂きました。
それがきっかけだったんです。という話をしますと、それじゃあ、あなたはお誘いさえあれば、どこの県の知事選挙にも出たのかと、こういう意地悪な質問をする人もいます。そんなことを言われると、う?んと考えてしまうんですけれども、やっぱりよくよく考えてみると、高知県だから来たんじゃないかなということを思います。
じゃあ、何故高知県なのかと言えば、高知県には何か人を引きつける地場というか、磁力のようなものがあるような気がしてなりません。その地場、磁力のもとは何かというと、新しいことがあるとわっと飛びついていく、新しもの好きの気質だとか、故郷への思いが人一倍強くて、もう思い入れに強いぐらいの故郷思いの気持ちがある。
それでいて、何か人が提案するとちょっと待てよと言って、すぐ反対してしまうような反骨精神などなど、独自の気風、県民性があるんじゃないかなということを思いました。
こうした高知県の独自の県民性ということで言えば、この3月に高知県には全国でも名古屋と表参道についで3番目というルイヴィトンの直営店ができました。
これはですね、ルイヴィトンの、ルイヴィトン・ジャパンの社長さんが、高知県の出身だという事にも関係があるんですが、そのオープニングのパーティの時にその社長さんと話をしていたら、ルイヴィトンの製品を初めて買った日本人は高知県人だったんだという話を聞きました。それは誰かと言うと、後藤象二郎という人です。
皆さんもご存知かもしれませんけれども、明治維新から明治の時代にかけて、大政奉還の運動だとか、民選議員設立の建白書などで活躍をした政治家です。後藤象二郎は、明治14年の11月にヨーロッパの視察のために横浜を出て、マルセイユに向かいました。
で、マルセイユからパリに行った後藤象二郎が、明治15年の1月にシャンゼリゼの近くにあるルイヴィトンの店で旅行かばんを買ったという記録がヴィトンの本店の顧客名簿に残っているんだそうです。 今、世界中でルイヴィトンの商品の70%を日本人が買っていると言われます。
その第一歩を高知県人が踏み出したということを考えますと、改めて高知県人というのは、新しもの好きなんだなということを思います。と同時に、よくよく考えますと、坂本龍馬も、あの時代に護身用のピストルを懐に忍ばせていましたので、新しものの血筋というのは高知県人の共通の血なのかなということも思います。
土佐人の血、高知県人の血ということで、数年前に面白い話がありました。それはどういうことかと言いますと、ある地域で行われたミスコンテストに出場した女子学生に関するエピソードなんです。司会者の方がその女子大生に、あなたの体の中で好きなところ、気に入っているところはどこですか。と、こういう質問をしました。
普通ならば、目ですとか、口ですとか、こういう答えが返ってくる場面です。ところがこの女子大生の答えは、私の体の中を流れている熱い土佐人の血です。と、こういう答えでした。そのため、司会者が一瞬引けてしまって空白のというか、沈黙のひと時が流れたということなんですが、ことほどさように高知県の人は、他の県以上に故郷への思い入れというものが強いように思います。
こうした高知県人の特徴というものがあるんではないかと思いますが、そういう新しもの好きということで言えば、私もその12年前知事に出た時、相手の方は自民党の推薦、しかも県内の100以上の団体がこぞって推薦をするという状況でした。
それに対して、草の根無党派で県外から来た私という対戦でしたから、本当だったらば全く相手にならなかったはずです。ですけども、そういう新しもの好きの気持ちが一気に燃え上がり、またお上が約束をしたような人に票を入れるのは気に食わないなという反骨精神も加わって、いっぺんに僕に票が集まったんじゃないかなということを思います。
と同時に、高知県人は、熱しやすく冷めやすいということを言われますので、12年前はその熱しやすいという高知県人の風に乗せられて知事になりましたが、12年も経つとそろそろ冷めやすい高知県人にあきられてるんじゃないかなと、気を付けなきゃいけないなと思いながら日々過ごしています。
(地方と国・大都市とは対立の関係ではない)
ということで、何故高知県の知事になったのか、何故高知県だったのかということを自分なりに分析をしてみましたけれども、こういう地方の独自性、個性というのは、どこの県にも多かれ少なかれあるはずですし、またそういういろんな個性が集まって日本という国ができていると思います。
ところが今のこう世の中の風潮を見てみますと、こうした地方と大都市を何か対立の関係でとらえる。そういうものの見方が非常に強くなっているような気がしてなりません。例えば、地方はものすごく無駄遣いをしている。それなのに何の反省もしないし努力もしてない。このために大都市で稼いだお金がどんどん地方に行って、湯水のように無駄に使われている。
だから国と地方の関係を思い切って変えなきゃいけない。こういうような声に、その対立の考え方というのは象徴されているように思います。といっても僕は、地方に無駄がなかったと言いたいわけではありませんし、また国と地方の関係が思い切って見直されなければいけないということも、もちろん誰も否定しない事実です。
けれども、地方が全く努力をしていなかったかといえば、そんなことはありませんし、また今起きている国と地方の間の関係の中での問題、この責任を全部地方に押し付けてしまう、というのもいささか疑問があるなと思います。
例えば高知県は、今知事部局という、つまり教員や警察官を除いた知事直属の部局の職員の数が4,117人います。その人数の一番のピークの時は平成6年でしたけれども、平成6年に比べると9年間に580人、12.3%を削減をしています。
また、予算の面でみますと、とかく評判の悪い公共事業、それに県の単独のハードの事業を組み合わせた、つき合せたものを普通建設事業費と言いますけれども、この普通建設事業費の今年度当初の予算額を見ますと、昭和62、3年と同じ、つまりもう15年以上前のレベルに落ちてきています。
このうち、県の単独事業が一番多かったのは、平成9年の補正予算のあとの額なんですけれども、この額に比べると今年度当初の額は38.8%。つまり61.2%も削減をしているということになります。これに対して国はどうでしょうか。
国の場合には、昨年度から今年度、公共事業を3%削減するだけでも四苦八苦をしてきました。こういう国の状況を見ると、本当に問題点を感じて改革を手がけているのは地方の方ではないかと思いますし、まさに地方では血を流す、またいろんな痛みを伴うことも思い切ってやってきました。
(進めてほしい三位一体の改革)
こうした中で、今話題になっている三位一体の改革。つまり税財源を地方に移譲するということ。また国の国庫補助負担金を削減し廃止をしていくということ。そして、地方交付税を見直すということ。この三位一体の改革ということが、国と地方の間の関係の見直しで言われています。
で、この三位一体の改革ということが実現をすれば、当然高知県の手取りというか、高知県が国から受けている財源はもっと少なくなることになります。けれども、高知県は、と言うか僕はこの三位一体の改革には大賛成ですし、是非早く思い切って進めてほしいと思っています。
というのも、これは例えでいう数字ですから別に単位があるわけじゃありませんけれども、今高知県が国から受け取っている財源が、1,000あったとします。三位一体の改革が進めばこれが800、750という数字なることは当然覚悟しなければいけません。
ですから、その減った分200、250の分が与える地域へのフローの経済の効果、影響というものをいかに少なくしていくか。そのためにワークシェアリングなどの手法を使って、激変緩和を図っていくということは、行政として当然考えなきゃいけないことです。
けれども、その1,000が800になったとしても、国からもらった1,000についていた国のさまざまな関与だとか、規制、縛りというものがなくなって、地方が全く自由に仕事ができるようになれば、その方が特に縦割りのさまざまな部局に縛られるということがなくなれば、その方がずっと県民サービスとしてはいい仕事ができることになります。
そういう意味で三位一体への改革には賛成をし、またそれが進まないうちに県の組織も準備をしておこうということで、さまざまな県の組織の改正をしました。例えば、海岸に防波堤を造る、またそれを管理をするという海岸事業といわれる分野を見ますと、国のレベルでは元の運輸省、元の建設省、そして農林水産省、水産庁、それぞれの省庁が海岸の事業をもって縦割りで事業をしています。
仕事をしています。このため、その補助金を受ける地方の側も、高知県の側も、各部局別で縦割りにその仕事をしていました。また、生活廃水の処理の事業も国土交通省の行う公共下水道の事業、農林水産省の行う農業集落排水事業、また環境省の行う合併処理浄化槽の事業というように縦割りに分かれていて、一昔前はある省の造った処理場には、別の省のパイプはサイズとしてもつながらないというふうなばかばかしい事がありました。
このような縦割りの仕事が国で続いているため、地方の部局も縦割りで仕事をしていました。けれども、三位一体の改革が進んで補助金というものがなくなって、それが全て地方の自由な仕事に任されれば、もう縦割りで仕事をしている必要はありません。
地域ごとにより良い生活排水の処理の仕方、海岸の事業の仕方を考えていけばいいということで、今年度から高知県では、海岸だとか、この今申し上げたような生活排水の事業だとかを一元化をして一つの課で行うようにしました。
このように既に、地方ではその三位一体の改革が進むということを前提にして、組織の改革もして準備をしています。けれどもその三位一体の改革の動きはどうかというとなかなか進みませんし、それ以上に何か変な方向に流れているような気がします。
例えば、今この三位一体の改革について議論をしてきた地方分権改革推進会議というところでの議論の流れを見ますと、税財源の移譲という三位一体の中でももっとも大切な話が、最初から先送りをされて、地方交付税の見直しだけに議論が集中したという流れがありました。
これに対して、それはおかしいねという声が地方だけではなくて、マスコミなどが有識者の間からも出てくると、いやいや財源の地方への移譲を全部見送るわけではなくて、補助金を削減したらその削減した分は、地方にちゃんと税源を移譲しますよというような、小手先の改革を今度は打ち出してきました。
しかし、三位一体の改革ということで掲げられた税財源の移譲ということは、各省庁がいやいや出した削減分を地方に税源として回していくというような、つじつま合わせの改革ではなくて、所得税だとか、消費税だとか、そういう中心になる基幹的な税を地方に思い切り移譲して、それによって分権のもとでの地方の自立を促していくというのが本来の主旨であり、目的だったはずです。
にもかかわらず、地方には無駄が多い。その原因は、地方交付税というものがあるからだというような、やや偏った議論に流されて、この地方分権改革推進会議の中で、この間出された意見書でも、地方共同税というふうな考え方が盛り込まれるようになりました。
ここからはやや専門的になりすぎて細かくなりますので、少し話を省いていきますけれども、地方交付税の制度というのは、所得税やお酒にかかる酒税だとか、タバコ税だとか、そういう国の税金、5つの税金の一定の割合を財源にしています。
しかしそれだけでは、福祉だとか教育だとか、地域の仕事が全部まかなえるわけではありませんので、それが足りない時には、本当は地方交付税の制度を変えなければいけないということが法律で位置づけられています。しかし、ずっと国はそれを怠ってきました。
その代わり、足りない分は特例の加算というような措置、また国で言えば、赤字国債にあたる臨時財政対策債という、いわば地方の赤字の地方債というもので、それを補ってきました。今申し上げました地方共同税という考え方は、先ほど言った国の税金の中の地方交付税分、これだけに地方に渡すお金は限ってしまって、
その他の特例加算、また赤字の地方債の部分は、削減し将来なくしていこうということを基調にしています。では、その結果が地方にどういう影響を与えるかということを、高知県を事例に考えてみたいと思います。
高知県のこの15年度、今年度当初の予算の中に盛り込んだ地方交付税の額は、1,750億円です。この1,750億円のうち先程言った特例の加算という部分にあたるのが、722億円、赤字の地方債にあたる部分が456億円ですので、足し合わせますと地方共同税の構想で削減の対象になる額は、1,178億円ということになります。
では、この1,178億円がどれぐらいのウエイトを占めるかということですが、高知県の予算収入のうち国の縛りのない一般財源という自由に使える財源は、3,203億円ですので、1,178億円は3分の1余りにあたるということになります。
また、使い道別に見てみますと、民生費という福祉関係の予算が284億円。また警察関係の治安の予算が216億円。また、教育関係の予算が740億円というように、福祉、教育、治安といったように県民生活の一番の基本を支える部分だけでも、足し合わせますと1,200億円以上になります。
こういう状況の中で、1,178億円を削ってしまいましょうということが、地方が無駄遣いをしているうんぬんという議論以前に、いかに地域の暮らしに大きな影響を与えるかということは、当然予測のつくことではないかと思います。これに対して国の委員の方の中には、そんなに地方が困るんだったらば自前の財源の県税を増税をすればいいじゃないかと。こういう言い方をする方もいます。
では、高知県の自前の財源、県税の収入はどれくらいかと言えば、今年度当初の予測で572億円しかありません。この572億円で、1,178億円の穴を埋めようとすれば、今の3倍の税収にしなければいけない。つまり、今の3倍県民の負担を増さなければいけないということになります。
といっても先程から言ってますように、三位一体の改革に冷や水を浴びせようとしてこんなことを言っているわけではありません。三位一体の改革は是非進めてほしいし、本当の意味での改革を早くやってほしいと思っています。
それだけに、こういう国と地方の関係の見直しというものを、大都市と地方の対立の構図だとか、また財務省と総務省と、補助金を持っている事業官庁の三すくみだというような、利害対立の図式でとらえるんではなくて、大都市も地方も含めた地域の住民の暮らしというものをどうしていくのか。そういう視点で、是非考えてみてほしいなということを思います。
ということで、今一番直近のトピックスでもあり、現在進行形で進んでいる国と地方の見直しの議論、三位一体の議論について、知ってほしいこと、考えてほしいことを少しお話をしましたけれども、こういう理屈の話や数字の話だけしていると、聞いているほうも飽きてしまうと思いますので、次にはもうちょっと具体的な事例で、高知県から改革だとか見直しだとかを提案したこと、これを3つほどご紹介をしたいと思います。
(高知からの投げかけ)
(国体の簡素化)
その一つは、いわゆる国と地方との関係ということではありませんけれども、国体、国民体育大会の簡素化ということです。そもそもその背景は、高知県の財政力が大変厳しいということにありました。
が、それと同時に、国と地方の間では、地方分権ということが進められ、曲がりなりにも対等平等の関係だということが言われています。そういう時代なのにもかかわらず、スポーツの世界では、中央の競技団体が決めたルールだから、基準だからといって、それを当たり前のように全国一律に押し付けてくる。これはおかしいんじゃないのという、持ち前の反骨精神がこう出てきました。
で、そのことから、こういうようなルールを見直さなきゃいけないんじゃないかということを思ったんですけれども、そもそも国体というものが一流選手が集まるような、そういうスポーツ大会であればやっぱり国際的な基準で全部整備をしなきゃいけないでしょう。
ただ、それは地方では無理ですから、そうであれば毎年毎年東京や大阪で大会を開けばいいということになります。実際には、そうではなくてそういう一流選手は敬遠をしてしまうスポーツのお祭りのような大会になっているわけですから、そうであれば、出場をされる選手の皆さんが安全に競技ができ、そしてその皆さん方が、機会均等に戦える条件さえ整えばいいんじゃないかということを思いました。
にもかかわらず、スポーツ団体の中には、例えば体育館の中で、コートのへりとその壁との間の距離が基準よりもちょっと足りないから、体育館全体を大幅に改造しなさいとか、また、射撃競技で射的の場所が、太陽光線との角度で少しずれているから、これを全面的にやり直しなさいというようなことを、国体の要綱にありますからといって平気で地方に押し付けてくるところがあります。
そういうものを一つ一つ全部受けていたら、一つの事業に何千万、何億というお金がかかってしまいますので、そういうごり押しをなるべく排除して、もう既存の今ある施設でやっていくということを徹底をしました。併せて、式典、開会式や閉会式も簡素化をしていきましたし、特に秋の大会の閉会式は、もう室内で、ホールの中でやってしまうという形にしました。
が、そうした中で一番象徴的だったことは、開催した県が総合優勝しない。天皇杯を取らなかったことではないかと思います。といっても、開催県が天皇杯を取るというようなことに、特段の価値観を感じていない多くの方々にとっては、それは何なの、それが何なのということになると思いますが、何と不思議なことに昭和39年東京オリンピックの開かれた年ですが、この年の新潟大会以来、38年間も開催県がずっと優勝する。天皇杯を取るということが続いていました。
が、これはよく考えてみると、相当おかしなことです。というのも、国体に出るには予選を突破しなければいけません。その予選突破の確率ということから言えば、当然競技力の人口の多い、またレベルの高い大都市が有利ということになります。
ですから、そういう意味では、弱小の県は30位台、40位台にいても決しておかしなことはありません。それにもかかわらず、開催県と決まるやいなや、そういう県が30位台から20位台とどんどんのぼっていって、開催をする年には必ず優勝してしまう。こんなことがずっと続いていました。
その背景には、開催県は予選に出なくても全ての競技にエントリーできるというような特別待遇もありますけれども、それ以上に開催をする県が莫大な競技費、つまり税金ですけれども、をつぎ込んで、よく渡り鳥と言われますけれども、その開催をされる時だけその県の選手になって仕事をしていく。そんな渡り鳥の選手を大量に雇ったというようなことが背景にありました。
これが、本当にスポーツマンシップだとか、フェアプレーと言っているスポーツの大会なんだろうかということを疑問に思い、そのことは日本体育協会にも何度も何度も口をすっぱくして言いました。といっても、高知県も今言った渡り鳥の選手というものを全部排除できたわけではありません。
けれども、高知県の場合には、大会が終わった後、そのスポーツが少しでも地域に根付いていくということを基本に、競技力の向上にも努めてきました。その結果、大会では総合成績は10位と、天皇杯を取らなかった。開催県が取らなかったという、逆の意味での快挙を成し遂げることができました。
このように、天皇杯を開催県が取らなきゃいけないというトラウマを排除できたということには、多くの方からお褒めの言葉も頂きましたけれども、国と地方のいわゆる関係だけでなくても、今日本中いろんなところに続いているしがらみや、しきたりによってなかなか変えられないという日本人的なものを変えていくというのも一つ地方でできる仕事ではないかということを思いました。
(1.5車線の道路整備)
次に、事例としてご紹介をしたいのは、公共事業の基準の見直しを提案したという例です。それは、1.5車線の道路整備事業というものですが、1.5車線の道路整備と聞いていったい何だろうと思われる方もいっぱいいらっしゃると思います。
この道路事業、道路の改良というのは、本来は片側1車線ずつ2車線を整備をした。それができあがって初めて道路の改良ができたというのが、全国一律の国の基準でした。このため、山の中に行っても2車線の歩道つきの道路があちこち立派なものができている。それが、地方は無駄使いが多いんじゃないのという議論にもつながった面があります。
しかし、地域に行ってみますと、何も2車線の道路でなくてもいいですよ。向かいから来た車とそのまま安全にすれ違うことができるような幅があれば、また曲がり角で向こうがなかなか見えにくい。そこをもう少し見えやすくするような幅があれば。つまり、1.5車線ぐらいの幅があれば、それで十分だという声もいっぱいありました。
そこで、高知県から2車線じゃなくても1.5車線の幅の改良で道路改良と位置づけるべきではないかということを国に働きかけました。同じ様な思いを持っていた地方が、それは賛成だ、賛成だという声をあげてくれましたので、今年度平成15年度からは、この1.5車線の道路整備事業というものが、国の道路事業の一番の柱の中にも位置づけられました。
これによって、当然のことですけれども、道路事業のコストをかなり削減をすることができます。また、高知県では今までの改良という基準では、あと90年ぐらいかかっていた道路の改良が、これで30年でできるということになりました。
このように、地域の実情というものをマーケティングをして、そこから見た問題点、これを国に働きかけて国の基準そのものを変えていくというのも、地方ならではの仕事の一つではないかと思っています。
(森林環境税にこめた思い)
もう一つ例として挙げたいのは、今年から高知県独自の税金として、税制として始めた森林環境税というものです。何故この森林環境税というものを考えはじめたかと言うと、そのきっかけは、2000年の4月に地方分権一括法というものが成立をして、法定外の普通税だとか法定外の目的税だとか、そういう地方独自の税がつくりやすくなったということが背景にありました。
そこで、2000年度1年かけて、県庁の中に検討委員会をつくって、何か高知県でも考えられることはないかということを話し合いました。その結果出てきたのが、この森林環境税というものです。というのも、高知県は広い面積を持っていますけれども、その県の面積の84%が森林という、森林の割合比率が全国で一番高い県です。
にもかかわらず、外国から安い木材が入ってきて、森林の価値がどんどんどんどん落ちてきました。このため、森林の手入れが行き届かずに、荒れ果てた森林がもういっぱい出てきています。その結果、雨が降ったらその雨を山にためて、そしてじわじわと川に流し込んで行く。それによって、下流の都市の増水や洪水を防いでいく。
また、下流の都市に飲み水を供給していくといったような、水源をかん養する機能だとか、また地球温暖化で問題にされる炭酸ガスを吸い込んで酸素を供給していくという機能だとか、森林が、森が果たしている公益的な役割というものがどんどん落ちてきています。
このことは何も高知県だけの問題ではなくて、全国共通の問題ですけれども、これに対して行政が今ある財源をやりくりして、それを山の側に何か予算として組んでいきますと、余りこういう問題に関心のない人から見ますと、山の公共事業が減ったからまた行政がやりくりして何か新しい予算をつくったんだなというような見方で終わってしまいます。
そこで、広く薄く税金という形で、負担をしていただくことによって、これまで山の問題、環境の問題に関心を持たなかった人達にも、森林の問題というものを考えてもらう。そういうきっかけ作りにしたい。そんな思いで考え始めたのが、森林環境税というものでした。
そして、2001年度、1年近くかけてプロジェクトチームで試案を作り、その案をもとにまた2002年度昨年度、1年間かけて県民の皆さんと議論もし、県民の皆さんと一緒に作るという形をとりました。その結果、今年の3月の県議会で、全会一致でこの森林環境税というものが成立をしました。
といっても、先程言いましたように、広く薄く負担をしてもらう。具体的には、一つの家庭あたり500円、県民税に上乗せをするという税金ですので、全部足し合わせても1億5千万足らずという金額にしかなりません。
が、これを使って公益上どうしても急いで間伐をする必要のある、そういう山の間伐、木の間引きをしていくとか、また空の日とか海の日というのがありますから、同じように「高知山の日」というのを設けて、その山の日、また山の日週間には、町の人もこぞって山に行ってできる人はボランティア活動をしてもらう。
またそうでなくても、森林環境というものを森林浴をして味わってもらう。そんなことで、今森林が置かれている状況、問題というものを考えるきっかけになればなということを思います。併せてなかなかつながっていない川上と川下、山の側と都市の側がつながっていくような交流のきざしもつくっていければなということを思います。
今は、高知県1県だけで森林環境税は始まったものですけれども、是非徳島や香川や愛媛や、四国の他の3県にも働きかけて、四国全体で森林環境税という動きをつくっていきたいと思いますし、そのことは全国に向けてもこの森林環境の問題を考える大きなアピールになっていくんではないかと思います。
また、この問題は、徳島県の吉野川の河口で問題になった第十堰、つまり水の問題、治水の問題、水の公共事業の問題にも大きく関わってきますし、また地球温暖化の中で課題になっている炭酸ガスの削減ということにも、大変大きな影響を持つ問題ですので、是非皆さん方にも関心を持ってもらえたらなと思います。
ということで、高知県から具体的に提案をしてきた事例として、国体の簡素化、また1.5車線の道路整備、森林環境税というものについて説明をしてみました。このように地方は今は国に依存するおんぶに抱っこという形では決してありません。むしろ改革がなかなか進まない国の先取りをして、できるところからいろんな改革をしているのが地方ではないかということを自負をしています。
(自立のための知恵と工夫(三つの経営))
とはいっても、これからの時代を考えますと、ますます経済環境も財政も厳しくなってきます。こういう時代に地域や地方が自立をしていくためには、自分の頭で考え工夫をしていくという、別の言い方で言えば経営という発想が必要なんじゃないかということを思います。
そこで、次に地場の、地元の企業の経営、地域の経営、そして行政の経営という3つの分野で経営という発想でものを見てみたらどうなるか、そんな話をしてみたいと思います。
(地場企業の経営)
まず、第1は、地場の企業の経営ということですけれども、高知県は東京や大阪という大きな市場マーケットから遠く離れていますし、またアクセスの整備も遅れました。だから加工組立型の企業などの物流コストがかかるということで、高度経済成長の波には完全に乗り遅れました。そんな距離のハンディキャップを抱えた県です。
これに対して、今よく言われる情報通信ITという技術は、まさにこの距離のハンディキャップを取り除く上で大変有効な手段ですので、高知県では平成9年度から情報生活維新と銘打って、この情報化の取り組みに全国にも先駆けて参加をしてきました。
そうしたことの結果、まだ数とか、また取引の額から言えば、決して大きなものではありません。しかし、経済力の弱い高知県としては、よく頑張っているねと言われるぐらい情報通信の関係の企業も育ってきました。
だけど、そういう企業の取引先の会社を見ますと、やはり地域全体の経済力が弱いですから、県庁をはじめとする官庁だとか、大手のベンダーの下請けだとか、そういうような仕事がほとんどです。これでは自分たちでソフトを開発していくというような、付加価値の高い仕事をしていく力の蓄積につながりません。
(知的所有権の活用)
ということで、もう少し付加価値の高い仕事を、この県内の情報関連の企業にやってもらう。何かその手立てはないかと、こう知恵を絞ったあげく、高知県のある規則を変えました。その規則は何かと言いますと、従来は、高知県が発注をして企業と一緒に共同開発で何かシステムをつくった時、その著作権は全部県が持つ。県に帰属するという仕組みになっていました。
つまり、そうしてできたシステムをまた別の仕事に、ビジネスに使ってもらうということは全く考えの中になかったわけです。けれどもよく考えてみれば、そうやって共同開発をしたシステムの中には、高知県だけじゃなくて他の自治体でも使える汎用化できるようなのもあるんじゃないか。
だとすれば、高知県だけが著作権を持つんじゃなくて、企業にも著作権を持ってもらって、それをもとにビジネスをしてもらったらどうかということで、この規則を今申し上げたような形に改めました。
何故そういうことを思いついたかと言いますと、それは高知県の財務会計のシステムのダウンサイジングをした時の経験が基になっています。というのも、こういうシステムのダウンサイジングをする時には、その道の常識では本体のコントローラー、制御の装置も、中にあるアプリケーションも、全部いっぺんに変えてしまうというものでした。
ところが、高知県にはそうしたその道の常識のSEさんなんかがいませんから、コントローラーはともかくとしても、そのアプリケーションまで全部内容まで変えてしまうのはもったいない。だから、それは残して何かに落とし込んでもう一度使うっていうことができないか。まあそんな働きかけをしました。
そしたらその事業を受けてくれた、受注をしてくれた企業が考えて、そのアプリケーションを捨てずに新しいシステムを作り直すということを考え出してくれました。この結果、最初のうちは当初は3年かかると見込まれていた仕事が1年半で済みましたし、また7億円を予定していた予算も2億5千万円で済みました。
これは高知県だけではなくて、他でもビジネスとして使えるんじゃないかということから、去年の4月ビジネス特許の申請も出しました。が、ビジネス特許は今混んでますのでなかなか申請に時間がかかるということで、まずはこの著作権を基にビジネスをしてもらいました。
その結果、福岡県が同じようなシステムのダウンサイジングに採用してくれましたし、他の各県や自治体からもいくつか引き合いがきました。けれども、そういう自治体に参加をして入札に参加をしていきますと、結局は大手の企業が危機感を感じて大幅に値下げをしてきますので、まだそれ以上の展開はできていません。
けれども、今申し上げたような形で、共同開発したものの知的所有権を使って、企業に新しいビジネスをしてもらう。こういうことも県と企業とが一緒になって、この地場の企業の経営を考えていく、という上では大変大切なポイントではないかということを感じています。
(木製の自動車ハンドル)
もう一つ、地場の企業の経営ということで、地域に続いている、残っている、またその企業に脈々と続いている、受け継がれている技術を、本来の使い方だけではなくて、新しいものづくりにどう活かしていくかという知恵もとても大切だという事例をお話をしてみたいと思います。
それは、高知県の南国市にあるミロクテクノウッドという会社なんですが、この会社の親会社のミロク製作所という会社は、もともとは江戸時代から土佐湾で盛んに行われた捕鯨、鯨を捕る時の捕鯨砲を作る会社でした。
けれども、捕鯨が下火になって捕鯨砲ではとても商売にならないということで、銃を作る技術を活かして今度はアメリカやヨーロッパ向け、輸出用のライフル銃やピストルを作るという仕事に転身をしました。そうしますと、ピストルやライフルの銃掌、手で握るところに木を加工するという技術が必要になります。
そこでこの木を加工する技術を担当したのがミロクテクノウッドという会社なんですけれども、せっかく木を加工するという技術を身に付けてきたんだから、これをまた別のことに何か使えないかといっていろいろ工夫をしました。その結果出てきたのが、この木を使った自動車のハンドルを作るという仕事です。
といっても、人の安全、命にもかかわる部品ですから、ちょっとでも反っちゃいけないとか、またひびが入っちゃいけないとか、いろんな基準があって、それをクリアするには相当な苦労をしました。けれども、いろいろ研究を重ねた結果、そのハンドルの部分を切り取って、そして中をくり抜いてウレタンの芯にかぶせるという形で、木材のハンドルを開発をしました。
こういうやり方は、従来の木を薄く切って、それを貼り付ける、まあ木目のハンドルと違って熱の伝導率も非常に低い。また、実際の木そのものですから、非常に手触りもいいということで、トヨタが採用してくれて、もう今は400人規模の雇用のある仕事になってきています。
が、この分野は日進月歩というか、コストダウンはいつも要求をされますので、今コストを10分の1に、逆に言えば生産性を10倍に増やそうという、ウルトラCの技術開発を県の工業技術センターなども一緒になって考えています。
それはどういうことかと言いますと、今はこういう正方形の板をハンドルの形に切り取って、それをくり抜きながら作るというやり方をしていますから、正方形の板から1つのハンドルしかできません。そこで、発想を転換してこの正方形の板を、横に10本の細い材に切ってしまって、その材をぐっと曲げてハンドルを作るという技術開発に今挑戦をしています。
技術的にというか、物理的にはもうできていますけれども、コストの面、安全の面でいろんな課題が残されていますから、生産のラインに乗っかっていくには、もうしばらくかかると思いますけれども、このように地域に根付いている、またその企業に脈々と続いてきた受け継がれた技術というものを、従来のものづくりだけじゃなくて新しいものづくりに次々と転換をしていくという工夫、知恵をみてみますと、とてもうれしい気がします。
(伝統技術の工夫)
同じような事例として、高知県には江戸時代から続いた土佐和紙という伝統の技術があります。その中に典具貼紙(てんぐちょうし)と言って、もう透けるほど薄い紙をすく技術がありました。
これも手すき和紙の時代ではないということで、だんだん衰退をしていましたが、一時タイプライターが普及をした時には、タイプライターの用紙に使えるんじゃないかということで販路がぐんと拡大をしました。けれども、これがまた時代の変化とともにワープロに変わりますと、またまた衰退をしていきました。
そこで、せっかくこう続いている薄い紙をすくという技術が何か他の仕事、ものづくりに使えないかと考えた企業があります。それはニッポン高度紙という企業なんですけれども、この企業が考え出した技術は、電解コンデンサー用のセパレーター、つまり蓄電池の絶縁紙をこの薄い紙の技術で作るということでした。
この技術の開発、商品作りで、この企業はその分野では世界の70%のシェア、ということはもうほとんどのシェアを独占をするまでになっています。京都で言えば西陣織というふうな技術があります。またそれぞれの地域に、タオルを作るとか、メガネを作るとか、ナイフやフォークを作るとか、いろんな伝統的な技術があります。
が、そういう伝統的な技術を使った本来の伝統的なものづくり、これは中国など外国とのコスト競争だとか、また消費者の趣味嗜好が変わったということで、だんだん厳しい状況に追いやられています。
しかしそうした時に、その従来のものづくりだけにこだわるのではなく、と言うと実際やってる方に失礼ですから、そういう言い方はしないほうがいいかもしれませんけれども、それだけではなくて、そのせっかく伝わってきた技術を使って何か別のものづくりができないか。そういう知恵、工夫を出していく。そんなことが地場の企業の経営にとっては、これからとても大切なんじゃないかなということを思っています。
(地域の経営(地域の顔をつくる))
ということで、次には地域の経営ということに話を移させてもらいたいと思いますが、地域を経営する、地域づくりを考える時には、その地域と言えばこれだと思いつくような特徴的なもの。つまり、地域の顔、ブランドを作っていくということがとても大切なテーマではないかと思います。
(ゆずの村【馬路村】)
そこで、高知県の東部にある、ゆずの村として知る人ぞ知る存在になっている馬路村という村を例に、地域の顔をどうやって作るかという成功例の紹介をしてみたいと思います。
ゆずの村と言いましたけれども、高知県はそもそも全国でも一番ゆずの生産量の多い県です。この馬路村も従来ならば、他のゆずの産地と同じように、できたゆずをそのまま玉で出していくか、または絞って一升瓶に入れてゆず酢として売っていくか、そういう付加価値の低い売り方をしていました。
が、ある年ゆずが生産過剰になって、そのゆず酢が大量に余ってしまいました。そこで地域の人が考えて、ジュースかポン酢しょう油でも作ってみようといって、いろんなものづくりをやってみました。ただ、まさに手探りで、しかも手作りで作ったものですし、名前も全く知られていませんから、いきなり販路を確保することはできません。
そこでJAの担当の人が足しげく東京や大阪に通って、デパートやスーパーを回って、何とかどっか片隅でもいいから置いてもらえませんかと話をしていきました。そして片隅に置いてくれたところでは、1日中そこに立っていて、買ってくれた人がいたらお名前を聞いて、住所を聞いて、顧客名簿を作るということを地道に繰り返しました。
また、お中元、お歳暮の時にはその手書きの顧客名簿を使って、また手作りのダイレクトメールを出すというようなことを繰り返していきました。そして、10年ほど経った時に、ある大手の流通グループがやっている故郷の村の101店というような、故郷産品の品評会で優秀賞を受けることができました。
優秀賞を受ければ当然賞金が出ます。こういう時、普通の地方の田舎の村であれば、それまでそういうものづくりには何の関心も示さなかった、汗も流さなかったような肩書きだけの偉いさんが、議員さんなんかが出てきて、いやめでたい、めでたいと、宴会でもやろうと言って酒を飲んで全部使い切ってしまうというのが常でございました。
けれども、この村ではそういう無駄遣いをせずに、きちっとそれを貯めておいて、それをもとに新しいマーケティングをしました。また、新しいキャッチコピーやパッケージデザインを作りました。それが功を奏して、「ごっくん馬路村」というゆずのジュースや、また「ゆずの村」というポン酢しょう油は非常に根強い人気商品として、今では年間27億から30億ぐらい売り上げる規模になっています。
今お話をした馬路村という村は、もう人口2,000人を切っている1,200人余りしか人口のない村です。そういう小さな村でも、自分たちの顔を作ったことで元気にみんなが生きていける。頑張っていけるということを考えますと、この顔作りというのはとても地域の経営にとって大切だなということを思います。
(鍋焼きラーメンプロジェクト【須崎市】)
そこで、今度は馬路村ほどまだ知られていないし、成功もしていないこの地域の顔作りの事例をもう一つご紹介をしたいと思います。それは、「鍋焼きラーメンプロジェクト」というプロジェクトです。鍋焼きラーメンとは一体なんぞやと、こう思われるかと思いますが、高知市の西、車で1時間ほど行ったところに須崎市という市があります。
この須崎の駅前に、戦後店開きをした食堂が、お客さんからラーメンの注文があった時に、出前で届ける間に冷めちゃいけないなといって工夫をしたのが、土鍋にラーメンを入れて運ぶということでした。
それが評判になって、出前の時だけじゃなくてお店の定番のメニューにもなったんですが、このお店が昭和50年代に店を閉めた後も、それが根強いファンがいるためにいくつかの店に引き継がれていました。その須崎市に、去年の9月国体を前に高速道路が開通をしました。
そこで、高速道路の開通を機に、須崎の顔はこれだというような地域の顔作りをしたいねと、地域の青年会議所だとか、商工会議所の人なんかが話し合う中で出てきたのが、白羽の矢が立ったのがこの鍋焼きラーメンで、この鍋焼きラーメンを何か地域の顔にしようというプロジェクトが始まりました。
といっても十分な準備をしたわけではありません。けれども、十分な準備もしないうちに地元誌に特集記事で大々的に取り上げられ、またそのことが地方誌などにも載りましたので、地方の地味なプロジェクトとしては結構なブレイクをしました。
その結果、最初は17店舗の参加店でスタートしたものが、今はもう46店舗に増えていますし、高知の市内にも鍋焼きラーメンというふうなのぼりが立つようになりました。
また、お店によっては看板を付け替えるとか、またアルバイトさんの数を増やすというような形で、地域の経済効果もわずかながら5億円ほどの経済効果が出るというまでになりました。といっても鍋焼きラーメンというのは、単にその土鍋のような形の容器に入っているということと、なぜかたくわんが付いてくるということ以外には、共通点、特徴と言えるものがありません。
このため、もうしばらく前のことですけれども、あるテレビで全国ラーメン選手権という特集の企画があった時に、この須崎の鍋焼きラーメンも出場したんですけれども、何と1回戦で京都のラーメンに負けてしまいました。
札幌や博多のラーメンに負けるならともかく、京都の人には失礼ですが、京都のラーメンに1回戦で負けるようじゃあ、これは先行きが相当不安だなということを思いますから、まずはやっぱり味のレベルを上げていくということと、須崎の鍋焼きラーメンといえばこれだというような特徴づけを考えていかなければいけないと思います。
が、その一方で、先程も言いましたように、地域の中では結構盛り上がったプロジェクトになっていますので、それじゃあ鍋焼きラーメンというのは、どっか商標登録をしてないか調べたらどうだといって、調べてもらいました。
そしたら、案の定、大手の即席ラーメンを作るメーカーさんが既に鍋焼きラーメンというのを商標登録をしていました。が、その企業に聞きますと、地域で、地域の顔作り、地域おこしで鍋焼きラーメンという名前を使うならば、それはもう自由ですからどうぞご勝手にということでしたから、その点は安心をしましたが、
それと同時に将来的には、この商標登録を持っている企業が、ここまで鍋焼きラーメンのプロジェクトが盛り上がったならば、一緒にこの名前を使って何かビジネスをしませんかと。こう働きかけをしてくれるような、そんな盛り上げをしていくことが、この鍋焼きラーメンプロジェクト、地域の経営としては残された課題かなということを思っています。
(行政の経営)
今、地場産業の経営、地域の経営ということで、自分たちで考え工夫していくことが大切だということを言いました。けれども、残されたもう一つの分野、行政の経営という分野は、更にそれ以上に自分たちの頭で考え工夫していくということが、今その力が求められているんじゃないかと思います。
というのは、一昔前の県庁の仕事であれば、国の補助金をとってきて、そしてそれを市町村や地域に配分をしていくという、上から下への流れのその仕事の流れの中で仕事をしていけば十分であったと思います。また、法律や制度の枠組みの中でそれをうまく運用していければ、それで立派な職員だという評価を得ていました。
しかし、これからは上から下への流れというのではなくて、一人一人の職員が自分が持っている持ち場で、今何が本当のニーズか、課題かということをマーケティングをしていく。そのマーケティングをもとにその課題解決の方法を自分の頭で考える。
そしてその考えをもとに、国に提案をしていく。先程言いました1.5車線の道路整備などというものもその一例ですけれども、そうした下から上へ積上げていくという仕事が必要ではないかと思います。
また、法律や制度への対応ということで言えば、その枠組みの中で仕事をしているというだけではなくて、現場でのいろんな仕事の中から、もう今の枠組みや制度が現状とはかけ離れている、ずれが起きているということが分かれば、今の制度枠組みを変えていくことを提案をしていけるような、そういう職員にならなければいけないと思うんです。が、このように、考え方を変える、物の見方を変えるというのは、とても難しいことで、なかなか一朝一夕に進むものではありません。
(経営品質を高める)
そこで高知県では、企業から始まりました経営品質という手法を使って、少しでも物の見方、考え方を変えようという努力をしています。この経営品質という手法は、私たちにとってのお客さんは誰だろうかということを考え、そのお客さんのニーズをどのようにつかんでいるか。
また、時代の環境の変化というものをどのように受け止めているか、そのニーズや環境の変化というものをもとに、どんな仕事の方向性を打ち出しているか、ということをそれぞれの職場ごとに議論をし、そして自分たちの職場が持っている弱みや強みに気づいて、弱みを克服し強みを伸ばしていく、目標を立てて仕事をしていくというような手法です。
とはいいましても、従来の長い間続いてきた一つの枠組みの中で、先輩が続けてきた前例というものを大切にし、そして外となるべく波風を立てない、そういう仕事の仕方がよしとされてきた役所、県庁の中で、立ち止まらずにいつも考えていく、そして時にはこれまでの過去を少し否定をしながら新しい環境の変化に対応していくというものの考え方を身に付けるのはとても大変なことです。
ですから、この経営品質ということに対しても、そんなものは企業から始まったもんだから行政にはとても馴染まないというような、アレルギー反応もまだまだ根強くあります。
けれども、こうした経営品質というような手法を続ける、医学にたとえれば漢方薬のようにしてずっと飲み続けることによって、県庁という組織の体質を変えて、少しでも県民の方を直接向き合って県民本位で仕事がしていけるような、そういう組織に変えていきたいなと思っています。
(能力開発型の研修)
また、この経営品質ということと同時に、研修の仕組みも大きく変えつつあります。といいますのも、これまでの自治体の研修のやり方というのは、例えば、新任の課長の研修であれば、新しく課長になった人を集めて2日間なり、朝から晩までいろんな話を聞く。座学で講義を受け、そして時にディスカッションをするという程度のものでした。
が、これからは課長になった後に、そうやって座学で勉強するというのではなく、これから課長になる人、なるべき人に、課長になるのに今求められる能力はこういうものですよというメニュー、手引きというものを示して、その能力を身に付ける研修を受けてもらって、そうした能力を身に付けたと評価された人が課長に登用されるという形に変わっていかなければいけないと思っています。
まだ、2年ほど施行しているだけですから、人事と具体的に連携をしているわけではありませんけれども、将来的には今申し上げたような形で、課長なら課長の職に求められる能力を身に付けた、いうふうな評価を受けた人は他に特段の事情がなければ登用していくという形で人事とも是非連携をさせていきたいと思っています。
と同時に、課長になる、班長になるという、いわゆる階層別の能力開発だけではなくて、自分は福祉の分野をやっていきたい、また自分は教育の分野を、自分は産業育成の分野をという自分の求める分野に応じて、その分野にこれから求められる能力はこういうことですよという、能力開発の研修のプログラムも是非作っていきたいと思っています。
では、こうしたことで何が変わるのかということですけれども、行政の場合、人事をすれば必ず適材適所です、とこういう説明の仕方をします。が、これまでは本当にどこがどう適材適所なんだと言われたとしたら、十分説明がしきれないという面がありました。
しかし、こういう能力開発型の研修というものが一定のレベルに達すれば、つまりその研修のプログラムの質、またそれを評価するその力、そういうものが一定の基準を達しているということを前提にすれば、この能力開発の研修を受けてこういう能力を身に付けたから登用したんですよというきちんとした説明ができるようになります。
また、分野別の研修にしてもそうですけれども、そういうポストを求める人に対して、こういう能力をつけたから適材なんですと。またこの分野の能力を身に付けたから適所なんです、という説明ができるようになりますし、このことは結果的にはサービスの向上として県民にもはね返ってくることではないかと思います。
一方、県の職員の場合にしてみれば、これまでも人事考課表のなかに、自分はこういうことをしてみたいという自己申告の欄はありました。けれども、結果的には、最終的にはどういうポスト、どういう分野の仕事をしていくかということは、人事担当者の判断に任せられてしまうことになります。
これに対して、こういう能力開発の研修ということが組織に根付いていけば、自分はこういうポストで仕事をしてみたい、こういう分野で仕事をしてみたいと、県庁の生活の中で自分の進む方向というものを自分で選んでいくことができます。
英語を使えばキャリアデザインを自分で描くことができるようになって、この事は県の職員にとっても満足度を高めることにつながるんではないかと思っています。にもかかわらず、ポストを求めて何かをするということは、日本人の美徳にあわないというような言い方で、先程申し上げた経営品質以上に、この能力開発型の研修については、県の職員のアレルギー、拒否反応が強く出ています。
けれども、従来の人事評価の基準でポストについた人が、県民本位とか県民に向き合った仕事ということで言えば、おかしいなあと思うことを次々繰り返す。そんな実態を見ていますと、やはり人事評価の基準というものが、大きく変わらなければいけない時ではないかと思っていますし、
それに加えて日本人の美徳ということを言う前に、自分が本当にその仕事についてやろうという思いがあるのであれば、自分がその職に求められる力をつけているかどうか、そのことを自分でためし検証をする勇気と責任感も持たなければいけないんじゃないかということを思っています。
が、まあいずれにしろ、今申し上げたような経営品質、また能力開発型の研修には強いアレルギーがまだまだあります。けれども、こういうものを地道に続けていくことによって、本当に自分の頭で考えられる工夫のできる自らの判断で行動できる、そういう県庁に是非変えていきたいな、行政の経営ができるような県庁に変えていきたいなということを思っています。
(人の力、知恵での仕事)
県庁を変えていくということで言いますと、このリレー講義で前にお話をされた知事さん方の、そのお話のタイトルを見ていましたら、岩手県の増田知事さんが、「県庁解体論」というテーマでお話をされていました。
どういうお話をされたかまでは、私には分かりませんけれども、僕も県庁の職員には4,000人余りの人が机の上で補助金や何かの申請だとか、そんな書類作りの仕事をずっとよしとしてやっていたら、やがて県庁はいらないよと言われる時代が来るよということを職員にはずっと言い続けています。
それと同時に、先程から言っていますように、県の財政も国の財政も大変厳しくなります。そういう時代に、ただ単に従来のように予算だけで仕事をしていくのではなくて、もっと人の力、人の知恵で仕事のできる県庁に変わっていかなきゃいけないんじゃないかということも言っています。
そんな思いで、高知県庁では、今年度から県内を7つのブロックに分けて、それぞれに地域の元気応援団長というようなキャッチフレーズで、一人ずつの職員を配置をしました。
また、土木事務所など出先の事務所の仕事の仕方も、従来のように河川班だ、道路班だと、仕事の縦割り別の班の組織をつくっていくのではなくて、河川も道路も公園も下水も、そういう担当者が一緒になって地域別に地域ごとの仕事をしていくような、班体制に変えるというふうに変化をしつつあります。
更に、これだけ人口も減り、高齢化も進んできますと、地域にある民間の団体も、例えば、消防団は防災の関係の仕事だ、社会福祉協議会は福祉の仕事だ、またJAは農業の仕事だ、というように縦割りで仕事をしているだけでは、なかなかもう地域の維持が難しいという時が、もうすぐそこまで迫ってきています。
そうした中、県庁の仕事というものも先程言いましたように、机の上で書類作りばっかりしているのではなくて、そういうものはもうできるだけ整理をしていく、そしてできるものはアウトソーシングをしていく。それによって浮いた予算があれば、それは集中投資をする。
また、それによって浮いた余力、人の力があれば、その人はもう地域に出て行って地域のコーディネーターとして、いろんな仕事に当たっていく。そういう県庁に変わっていかなければいけないんじゃないかと思っています。それだけに、もちろん、法律や制度のことが分かって、そういう書類も作れるというその能力は、県庁の職員にとって必要です。
けれども、それだけではなくて、自分の力で今の制度そのものを変えていこうというような、そういう意思を持ち、考える力を持った、そんなまた行動力のある職員も今求められているんじゃないかと思います。
(若い世代の皆さんへ)
ということから言えば、若い世代の皆さん方にも、これまで以上にそういう地方の自治だとか、行政だとかいうことに関心を持ってもらって、今申し上げた地場の企業の経営だ、地域の経営だ、行政の経営だということに少しでも何か関わりを持つこと、そんなことをしてもらえればなということを思います。
振り返って自分の学生時代を考えてみますと、ちょうど全共闘の盛んな時代でした。ですから、好むと好まざるにかかわらず、やれベトナム戦争だ、またエンタープライズというアメリカの原子力空母の佐世保の入港だ、更には学費値上げの反対闘争だというように、政治的な雰囲気にも学校全体が包まれていました。
しかしそれが、1972年、昭和47年の連合赤軍の浅間山荘事件、またその後判明した連続のリンチ殺人事件というものをきっかけに、急速に政治への関心がなえていったような、しぼんでいったような気がします。更にそれと同時に、高度経済成長が更に進みましたから、豊かさの中で、若い方々の政治への関心というものが薄らいでいったと。そういうこともあろうと思います。
これに代わってというと、語弊があるかもしれませんけれども、これに代わってはけ口として出てきたものに、オウム真理教のような団体もあるんじゃないかと思います。しかし、それからまたかなりの年月が経ちました。
今、もう地方の自治も行政も大きく変わらなければいけない時です。そういう時ですから、これまでの過去の負の遺産だとか、亡霊だとかいうことをいったん捨て去って、是非若い世代の方々にも地方の自治とか行政ということに、もっともっと強い関心を持ってほしいなということを思います。
そんな思いを込めて、高知県では3年前の春休みから「知事のそばでのインターンシップ」という取り組みをしています。これは、1週間なり、2週間なり、私のそばでもう一緒にずっといてもらう。車も一緒に乗ってもらう。
そして、県庁で行われる庁議、部局長の会議ですとか、またいろんな課との打ち合わせ、更には庁外から来られる一般の県民の方との懇談、意見交換とか、更に外に出かけての行事とか、全て一緒について行ってもらって僕の仕事ぶりを見てもらう。そのことを通じて知事の仕事、また県庁、公務員の仕事というのは、どういうものかというものを理解をし、感心を持ってもらうということに狙いがあります。
この立命館大学にも、また近畿地区にもこのインターンシップに参加をしてくれた学生がいて、実は今日も夜そのOBの人たちと会って話し合おうということを考えていますけれども、うれしいことにそうやってインターンシップに参加をしてくれた学生さんは、口を揃えて公務員の仕事というものを見直したとか、また県庁、地方の行政ということに改めて関心を持ったということを言ってもらえます。
例えば、今ちょうど僕のホームページにもアップをしていますけれども、春休みにインターンシップをしてくれた高知大学の女子大生は、もともとは公務員の仕事というものに疑問を持っていた、悪いイメージを持っていた。だからその仕事ぶりの実態はどうかというものを本当は見ようと思ってインターンシップに参加をした。
そうしたら、高知県庁は結構明るいイメージで、割と柔らかい物の見方をする人がいるので感心をした。イメージが変わったということを書いてくれていました。
(県民参加の政策づくり)
最初に言いましたように、僕は今、3期12年の最後の年を迎えています。この12月には任期が切れます。ですからもし4期目に出馬をすればという条件付ですけれども、もし4期目に出馬をする時には、一つ是非それまでのプロセスとしてやってみたいことがあります。
それは、県民の皆さんと一緒になって政策を考えていく、作っていくということです。というのも、前の三重県の知事の北川さんが提唱したマニフェスト、これは従来のようにあれもやります、これもやりますという無責任な総花的な公約じゃなくて、予算の裏づけのある約束をしていこう。
しかもこの予算は削減をし、こちらに重点投資をするんだということを明確にした公約づくりをしていこうという趣旨で、そのことにはもちろん賛成です。けれども、現職の知事という立場で、県の職員を使って何か数字の裏づけのある公約をつくって、これがマニフェスですというのも何かおこがましいような、恥ずかしいような気がします。
そのこと以上に、今マニフェストという言葉がもう流行語になって、およそそういう新しい政治とは関係のないような旧態依然としたおじさんが、はいマニフェストですと言って出すような状況が出つつあるんじゃないか。そうなると、悪貨は良貨を駆逐するで、このマニフェストの志そのものが、いやしめられはしないかなと、そんな心配もしています。
ということから、マニフェストにいたる時点、それをつくるプロセスというところで、県民と一緒にそれを考えてつくっていくということができないかなということを思い続けています。
といっても何かご希望は、要望はありますかと聞けば、うちの前の道を直してくれというたぐいの話がどんどん出てくることは目に見えていますから、単なる要望、陳情ではなくて、まさにその地域の方々の県民の皆さんの本当の課題は、ニーズは何かということを探れるかどうかということが大きなテーマだと思います。
で、その仕事の手伝いを僕は大学生の皆さんにやってほしいなということを思っています。というのは、何も政治活動として僕の後援会活動に参加をしてほしいという意味ではありません。そうではなくて、これまでなかなかできていなかった新しい自治の作り方、形、それを手探りでつくっていく、そういう仕事の手伝いをしてほしいという意味です。
この間行われました統一地方選挙、高知県の県議会議員の選挙の平均の投票率は、54%台、地方の県としてはもうかなり大幅に落ちました。特に、県庁所在地のある高知市では、44%ともう50%をはるかに切るようになってきています。
この中には、更に落選をした候補者の方への票、死に票も含まれていますので、それを除きますと県民の思いが反映をされているウエイトというのはもっともっと低くなってきます。
こういうような議会制民主主義の現状、また多くの県民、国民の皆さんが、既存の政党に感じている距離感、その距離感がだんだん広がってきているということを考えますと、僕は既存の政党の方々にも、今申し上げたような政策の作り方というのを、何かよそ事、きれい事というふうにとらえずに、是非新しい政党活動の新しい自治の取り組みとして、関心を持ってほしいなということを思っております。
以上、今日は「高知概論」というふうなことで、高知で考えていること、また高知でやっていることのいくつかをご紹介をいたしましたけれども、最後に言いました学生のインターンシップは、この夏休みもまた来年の春休みもずっと続けていきたいと思っています。
何か感心を持つ人がいれば、是非手を上げていただきたいと思いますし、そういう中から、地方の自治とか行政、政治ということに少しでも関心を持ってくださる若い方が増えてくれることを心から期待をして私の話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。