公開日 2007年12月08日
更新日 2014年03月16日
全国訪問教育第16回大会記念パネルディスカッション
平成15年8月5日(高知市 新阪急ホテル)
(パネラー)
西村圭也(全国訪問教育研究会会長)
福田智佳子(高知県訪問教育生徒保護者)・福田高士(高知県訪問教育生徒)
小松美鶴(高知県養護学校教諭)
橋本大二郎(高知県知事)
(司会)
猪狩恵美子(全国訪問教育研究会副会長)
(猪狩)
では、みなさん。これから第2部、パネルディスカッションを始めていきたいと思います。元気な高知なので、きっと高知らしい元気な企画をしてくれるんじゃないかなと、去年期待していましたら、こういうふうな企画が生まれたわけです。
橋本知事を交えて、地域から訪問教育を考えるという、とてもタイムリーなパネルディスカッションが実現することになりました。どうぞよろしくお願い致します。司会をさせていただきます東京の猪狩です。
土佐の教育改革については、いろいろなところで注目され、日本の各地で動いている動きの中でも特に注目されている動きの一つかと思います。本当に、知事さんはじめ教育長が書いていらっしゃる物を読んでも、子ども達へのまなざしがとてもあったかい。子どもがしっかりすわった教育改革だなと、みんな期待をして見ているところだと思います。
子ども達一人一人を大切にするということと、そして今、地域に開かれた学校ということが言われていますけれども、その中でも、子どもの参加だけじゃなく教師も一緒に参加するということも大事な視点として考えている教育改革であるというところが、私達、訪問教育に関わる教員にとっても、ぜひ、高知からいろいろ学んで帰りたいという、そういう企画になるかと思います。
みなさん、どうぞご期待ください。それでは、今日のパネリストのみなさんをご紹介したいと思います。
もう、紹介するまでもなく、橋本大二郎高知県知事でいらっしゃいます。
そしてそのお隣は、こちらも紹介するまでもなく、全国訪問教育研究会会長の西村圭也先生です。それから、お隣、小松美鶴先生です。高知若草養護学校の先生です。
そして今、こちらに向かって駆けつけてくださっているのが福田さんです。息子さんの高士君と一緒に、この壇上に上がってくださることになっています。もうすぐ到着すると思いますので、一緒に待っていただければと思います。
それでは、これから始めますが、今日の進め方をご案内申し上げたいと思います。まず、パネラーのみなさんにお一人10分ずつ、それぞれの立場からのご発言をお願い致します。発言は、西村先生が全国の訪問教育の実態を踏まえて全体状況の中から発言します。
続いて、小松さんが高知の立場から訪問教育はこうあってほしいという願いを語ります。そして次に、福田さんが12年間、高3の息子さんがずっと訪問教育で学んできた保護者の立場から話してくださいます。いちばん最後に橋本知事の方からお話をいただく。これで4人のお話をいただくことになります。
そしてそこのところで、パネラーのみなさんの間でご質問などしていただきまして、フロア発言をいただきます。フロア発言は、15分から20分ぐらいの時間をとっておりますので、ぜひ、各地域からのみなさんが日々思っていらっしゃるところからの、活発な発言をお願いしたいと思います。
それを受けまして、全体として討議をしていきたいと思います。最後に、発言のまとめをいただくということで、17時に終わるということで進めていきたいと思います。それでは、いちばん最初、口火を切っていただくということで、西村先生、よろしくお願いします。
(西村)
それでは、全訪研という立場で、全国のいろいろな情勢を踏まえて発言したいと思います。まず第一に、橋本知事と並んでこんなふうにお話しできるというのをたいへん嬉しく思います。
実は私、20数年前に、ここに名刺を持っているんですが、「NHK記者・橋本大二郎」という人にインタビューを受けております。20数年経ってこんなことになろうとは、本当にびっくりしていますが、本当に嬉しいですね。
それでは、私の発言ですが、このレジュメの中のパネルディスカッション発言要旨を参考に見ながら、それから資料を見ながら、お聞きいただけたらと思います。 まず、今のいちばん特徴的な情勢というのは、曲がり角というか節目に来ている。
それはどういう節目かと言いますと、一つは就学基準が去年の4月に緩和され、就学指導委員会がやっていた業務を市町村が判定をすることになりました。基準が緩和されて、今まで厳しく基準が決まっていたのが、相当柔軟にというか、弾力的な判断ができるようになってきた。それから、本人や親の希望をわりあい重視するということで、就学の基準から言っても、地域に障害児がどんどん入っていく時代に来ているということです。
もう一つは、「特別支援教育の在り方について」という最終報告が今年の3月に出て、ノーマライゼーションの方向が明確になり、一人一人のニーズを把握した適切な支援とか、あるいは医療・福祉・教育の連携とか、私達がやってきていることがらが全体の課題として大きくクローズアップされるようになった。
それから、養護学校がセンター機能を持って小中学校の障害児教育などを指導するという、巡回指導するというような機能を持たねばならない。対象とする子ども達も、不登校問題だとか学力向上だとか、障害児教育とは今まで考えていなかった課題とも有機的に連携して取り組みなさいということが書かれています。
つまり、訪問教育というものが、対象とする子ども達もぐっと広がるし、私達のやってきたことよりももっと幅広い業務内容として訪問教育がなっていくんではないだろうか。それから、教育のやり方についても、私達がやってきたことが大きくいろんな立場で、先進的なこととして評価されるようになってきたんじゃないだろうか。そういうことを感じます。
訪問教育への影響というのは、「特別支援教育の在り方」の文章の中に直接は書かれていないんだけれども、全体の流れとして影響があるに違いないと思います。それはどういう影響かというと、障害児が一般に地域校に入っていく。親達の希望を重視するということになれば、重い子どもも入ってくるようになるだろう。
そうしたら、訪問の子どもだけは違うという方向にはなっていかないんではないか。つまり、小中学校からも訪問教育をやってくれというふうな要望というか方向が、幕が開いてくるんじゃないか。
それから、不登校の子にも訪問教育というような言い方、そして、実際に埼玉県の志木市などでそういうことをやって、大きな実績を上げているということを考えると、一般学校というものは子どもが学校へ来るんだということだけではなくて、先生の方が子どものところへ行く。つまりスクーリング機能とビジティング機能と両方持っていくことになるんではないか。
それから、一人一人のニーズに合わせた教育であるとか、私達のやってきた教育方法が、重症児のみならず多様な対象者への広がりとして見直されていくであろう。これが今の感じ、こういう方向に行くんじゃないかという感じがあります。それから、全国状況を見てみますと次のような問題があります。
一つは、たいへん大きな地域格差があることです。「全国訪問教育実施状況」の資料を見てください。これは、今年の6月に全国訪問教育研究会の連絡員コールという、連絡員を通じた情報を整理してまとめたものです。これはおおざっぱなまとめですが、これを見ても格差というのは歴然たるものがありますね。
下線を引いているのは、授業時数で、1週間にまだ2回しかやっていないという地域です。今もそういう地域があるわけです。一方で、たとえば4回というのが、在宅訪問の場合、東京、山梨、三重、兵庫、佐賀などであります。さらに、施設訪問などでは、何もない空白のところがたくさん見られますが、これはもう既に施設では訪問教育をやっていない。
つまり、通学に位置付けているという地域であろうと思います。それから、既卒者の高等部入学を認めるかというのを見てもらうと、一目瞭然で○が増えたなと思うと思います。以前は、既卒者は認めないというのがだいたいの全国の状況だ思っていらっしゃったと思いますが、今年の6月の段階ではこんなに○(既卒者の高等部入学を認める)が増えました。
なんらかの条件はついているところが多いですが、それでも、まったく門戸を閉ざしているのは少ないです。これは嬉しいことではあるが、逆に言うと、まったく門戸を閉ざす県がやっぱりあるんです。こういうふうに、やり方については相当に地域格差があります。
それから、「訪問教育在籍割合」という資料を見てもらうと、これはちょっと古い資料ではありますが、たいへんはっきりした格差があるのがわかると思います。在籍割合がいちばん高いのは鹿児島の9.42%、養護学校に在籍する子の9.42%が訪問教育の子どもだということです。
在籍割合がいちばん低いのは滋賀県ですが、0.94%。つまり、10倍の差があるというわけです。子どもの実態というのはそんなに地域格差がありませんから、これは、行政的な対応の違いによって、こういう格差が生まれてくるんであろうと思います。こういうふうに、地域格差というものが今もあります。
今後どういう方向に行くであろうかと考えるときに、さらにこの地域格差は広がっていくだろうと思います。それは、一つは、三位一体の財政改革と言われるように、地方の権限が大きくなって、地方で考えていくことがわりあいと認められていくであろうということと、もう一つは地方の財政がひじょうに厳しくなってきて、軽視される所と重視される所というのが、はっきりと、ますます大きくなってくるであろうと思います。
それから、もう一つは、先ほど申し上げたように、特別支援教育という体制の中で、訪問教育の取り組みというものは文章の中では表れていないけれども、いろいろな意味で、ますます私達が取り組むことは重要な問題になってくるだろうと思います。
私達が教育のパイオニアと自負しておりますが、そういう教育のパイオニアとして訪問教育が重視される地域と、予算を削ぎ落としてくれと言われたときに真っ先に「じゃあ、訪問教育の予算を削ぎ落とそうか」というふうに考える、つまり訪問教育が軽視される対象となる地域がある。
先ほどの実施状況の資料を見ていただきますと、兵庫が今、ひじょうにおもしろいですね。おもしろいというのは、よくやっていますね。たとえば授業時数なんかでも、わりあい柔軟です。柔軟であるべきなんです、ほんとはね。あるいは、長崎には下線が引いてませんね。
これ、大きい問題なんです。長崎は長年にわたって下線がついてた地域です。しかし、今年とれました。つまり、授業時数が改善されました。あるいは、鹿児島には何も書いてませんが、今まで高等部の訪問教育は非常勤講師でやられていましたが、非常勤講師がなくなりました。こういうふうに進んでいる所があります。
進んでいる所はよく見れば、たとえば兵庫は、兵庫訪問教育研究会をきちんとやっています。長崎はさっきも紹介されましたように、授業時数改善のためにたいへん努力されている先生方の活躍があります。鹿児島は大会をやったときにおわかりいただいたように、豪傑がたくさんいます。この力はやっぱり今も生きてるんじゃないかと思いますね。
つまり、私達の努力というものが地方を変えるときに大きな役割を果たしていくだろう。私達の研究活動やそういう親達と連携した取り組みというものは、地域をこれから変えていく力となっていくだろうというふうに思います。
そこで、今日、高知でこういう大会を開いて、地域に根ざした訪問教育ということをテーマとして考えるときに、高知にはこうやって私の横に並んでいただける知事さんがおられることだし、こんなことができないかということを提案させていただきたいと思います。
高知は広域県でもありますし、もし小中学校からの訪問教育というものが行われたならば、たいへん喜ばれる子ども達がいるんじゃないだろうか。小中学校からの訪問教育というのをまだ全国ではありませんが、いち早く高知で取り組んでもらえないかと思いますね。
もう一つは、さっき埼玉での話を言いましたが、不登校だとか、そういう重度の障害のために通えない子どもだけでなく、いろんな原因で学校に来れない子どものために地域へ先生が出て行く、つまりビジティングシステムを取り入れるというようなことができないだろうか。この問題を提案させていただいて、私の発言とさせていただきます。
(猪狩)
それでは、続いて高知から小松先生、よろしくお願いします。
(小松)
先ほど、開催地からの報告で15分もしゃべらせていただいたので、最初、西村先生が知事さんとの出会いのようなことをおっしゃられてたので、私もせっかく一緒にすわっていただいているので、そのことを話したいと思います。知事さんは当然私のことは知らないと思いますが、私は知事さんを知事になる前から知ってました。
というのも、「じろううなぎ」って高知にはあるんですが。雨の日はお休みっていう、変わった、高橋次郎さんという方がいらっしゃいました。その高橋次郎さんて方と縁があって、建築探偵団ていうのがありまして、それは高知県の古き良き建物を見直そうという、物好きなおじさんの集まりだったんです。
その中に高橋次郎さんがいて、私もどちらかというと涙もろい方なんですけれど、その高橋次郎さんは、その頃、コンクリートの打ちっ放しで作った高知県でいちばん古い建物を探そうというので、探したところ、須崎市にある大衆浴場がいちばん古い建物として残っていました。
それを見つけたとき、高橋次郎さんは涙を流してたんです。私は古い建物を発見して涙を流すという感覚はちょっとわからないので、ただそのとき、ほんとに純粋な方だなと思いました。それで、私は養護学校の教員になったってことをお知らせしたら、真っ先に高橋次郎さんが「よかったね」って手紙をくださいました。高橋次郎さんは信じられる人だなと、私は思いました。
その次郎さんがある日、お写真と手紙を送ってきました。そのお写真に、橋本大二郎さんと奥様が写っておられて、「ぜひ、この人を高知県の知事にしよう」っていう内容でした。私は組合は高教組、全教の方に入ってまして、その頃、別の方を推してたんだと思います。
だから、私はそれを見たときに、次郎さんには申し訳ないけど表立っては応援できない。でも、私個人なら「大二郎さん書こうかな」って思いました。そういうところから、私は私の中で知事さんを知っていました。
たぶんこれ、初めて話す話なので、全然知らないし、ちょっと面食らっているかもしれませんし、次郎さんと今仲がいいのかどうかもわからないし、次郎さんと私も今交流がないのでわからないんですけど、それが私が大二郎さんを意識したきっかけでした。
いつも知事さんは1分1秒を争う方なので、何回かお会いしましたが、秘書の方がタイムスケジュールを持っていて、無駄口を言わないので、私もこんなことを言うのは初めてです。
ただ、ゆめゆうびん事業で採用されたときに、出るときに、「私、ちょっと好きだったんで、きょうは嬉しかったです。」って言って出たんですけど、覚えてらっしゃるでしょうか。あと、「黄色のネクタイが似合ってますね」ということも言ったんですけど。すみません。いらない話でした。でも、私の中ではだいじな思い出として残っています。
それで、固い話に移るんですけれど、大会資料のP.22に私の発言要旨を載せていただいています。そして、先ほど開催地からの報告で、「これは後に回します」って言いましたP.10からを合わせて見ていただきたいと思います。
私は西村先生の発言を受ける形で、地域の小中学校からの訪問教育について、もうちょっと高知県の現状を掘り下げて、具体的にはどうかという話をしたいと思います。開催地からの報告のP.10?P.12を見てください。P.11は目が痛くなると思いますけど、これは資料としては2001年ですので、今から2~3年前です。
今、合併とかよくありますし、小学校でなくなった学校とかもあるので、ちょっと資料が古いかもしれませんが、P.11を見てください。小学校ってこんなにあるんですね。296校あります。それでp.12、中学校132校あります。小学校はどの地域、市町村にもありました。中学校は吉川村だけはありませんでしたが、その他にはありました。
P.10に戻って、じゃあ高知県の養護学校の学校配置はどうなってるのかなと見ていただくと、高知市周辺にひじょうに集中しています。高知県の訪問教育の話をするときに、私が話し出すと、ある方に「地理の勉強じゃないから」って言われました。
確かに「面積は・・・」「全県の約8割が山地であって・・・」とか「高知市と隣接する所を合わせると全県の7%の面積に県人口の約半数が住んでいる」というようなことを延々と言い出すと「地理じゃないですよ。訪問教育ですよ。」って言われるんですけれど、訪問教育というのは、地理というのがだいじになってくるんですね。
というのは、教員が家庭に行くわけですので、そのどこを出発点にするかということがだいじになってきます。たとえば、中村養護、山田養護になると、県の東部、西部のほんとに広い距離になります。もし、対象の児童・生徒がいる場合、2時間あるいは3時間という時間をかけて行くわけです。8時間労働の半分ぐらいが運転に費やされるという実態があります。
私は、そういう意味ではありがたいことに、近い方が多かったので、運転をそれほど苦痛に思ったことはないんですけれど、それどもやはり、「公用車で行きなさい」だとか公用車がミッションとかだったら、そういうので行くのに抵抗を感じたり練習をしたり。女性の教員は運転技術に長けてないので、よくどこかに車をぶっつけたとか、そういうのは聞かれました。
(あ、高士君、今、お母さんと到着しました。)
ちょっと話は違いますが、訪問のお母さんていうのは、こういうとても緊張する場面にも、ほんとは遅れないんだけど、遅れることもありうる。子どもさんがいつどうなるかっていうのがあるって部分でお許しいただきたいと思います。
要するに、教育内容を充実させるためにも、教員に安心と安全をもたらしたいというか、そういう中で教育をしたいなと思います。ただ、性急に、だから、みんな地域からの小中学校から行きましょうって思いはありません。
やはり、希望といいますか、地域の中で生活していて地域の中で生きていきたいと強く願う親御さんもいれば、やはりちょっと離れた所から来ていただいた方が気が楽かなって方もいらっしゃると思うし、それはそれぞれだと思います。ただ、教育の内容が充実してくると、間違いなく、地域で他の子ども達と一緒に生きていきたいと思われると思います。
いろいろな条件を無視して、即、地域からとは思ってません。ただ、そういう希望が出た場合は、「できませんよ」ではなく、「じゃあ検討してみましょう」とか「考えてみましょう」とか柔軟に対応していただければと感じています。
もう一つは、開催地からの報告で映っていた本山小学校の女の子ですが、あの方は本山町という自治体のひじょうに温かい配慮のもとで、訪問も飛び越えて通学生として通っています。
非常勤として看護師を配置してくれて、それは本山町が町を挙げてそういう取り組みをなさったようです。そのときの本山町の教育長さんがある手記で「ぼくはこのまま一生、病院の天井だけを見て死んでいくんだろうか」というのを読んで、「できるなら、その方に空を見せてあげたい」、それと「子どもの声を聞かせてあげたい」そういう思いから、町を挙げて、毎日通学となり、地域の中で生きています。
この間、電話でも、とても明るい声でした。やっと家族が地域の中で一緒に暮らせて、それで教育を受けておられました。ですので、やろうと思えばやれるんだなと、思います。だから、単に求めるだけでなく、自分達でがんばらなくてはいけないんですけど。
ただ、何か希望が出たときに柔軟に対応していただきたいと思います。頭から「こうなってますから、できませんよ」ではなくて、できる方法を探していただければ嬉しいなと思います。その点、高知県教育委員会はそういう気持ちはとてもあるところだと思うので。きょうもこの会場にたくさん来ていただいているようなので、また、そのあたりも含めて検討していただければありがたいと思います。以上です。
(猪狩)
それでは、ちょうど今、福田さんと福田高士君が会場の方へ着いてくださいましたので、まずみんなで拍手でお迎えしたいと思います。どうもごくろうさまです。お待ちしていました。
(小松)
生徒代表ということで、いろんな協議会の中に、教員とか大人関係はいるんだけど、子どもがぬけているねということで、生徒代表ということがよく言われているので、きょうはこのように高士君に生徒代表として来ていただいたのは、とてもありがたいと思います。
(猪狩)
高士君もすごく今、にこにこして、「今からできるよ」って言ってくれてるので、一緒にこれからみんなで続けていきたいと思います。駆けつけてすぐで恐れ入りますが、福田さんの方から、これまでの訪問教育と今いろいろ考えていることをどうぞ発言してください。一応10分ぐらい発言していただいて、この後いろいろお話を進めていくということで始めています。
(福田)
現在、高等部3年生の息子は1才半のとき池に落ち、寝たきりとなりました。気管切開をして飲み下しができないので、鼻腔栄養摂取で吸引器で痰を取らなくてはなりません。
中学3年生の3学期から高等部1年の1学期にかけて兆候があったんですけど、側弯の進行により、背骨が気管支の一部を押しひしいで、気管支が極端に狭まっている所があります。そのために、そこに唾液とか痰が流れ込むと息ができなくなります。だから、息をするにも体力がかなりいるようになっています。
高等部1年の夏休みに体調を崩し、入院中に何回か息ができなくなって、同日、夜間と早朝に立て続けに息ができなくなりました。そのとき、チアノーゼで色が真っ青な感じになってSpO2 (血中の酸素飽和度)は14にまで下がりました。そのときは心配でぐっすり眠れず、不安な日々を過ごしました。
それ以降、この子は酸素吸入が必要ということで、ずっと酸素を吸入するようになりました。だから、気管支の狭まっている所に唾液なり痰がないときは、一応酸素をのけても息ができないというわけではありません。ただ、普通の人よりもSpO2 の数値は低めに出るようになっています。
また、昨年から今年にかけて、また1年近く入院したんですが、そのとき、上腸間膜動脈症候群ということで、十二指腸の一部が、体内の脂肪がなくなって血管に挟まれて、またそこが極端に狭まって通過ができにくいという状態になりました。それで、鼻から管を、外科の先生に造影をしていただきながら、十二指腸の奥の空腸という所まで通して、栄養を与えるようになりました。
その後、栄養を持続でずっといかないと、一時期にだだっと栄養を流してしまうと、今度は血糖値が上がって下がってという極端な変化があって、けいれんが起こったりしました。そのために持続で、24時間ではないんですけど、20時間ぐらい継続で栄養を少しずつ少しずつやるようになりました。
そのために唾液が常に出るようになって、それでタオルを何枚も汚すような形でしたけど、やっとこの間、持続吸引器といって、唾液を取る専門の吸引器があるんですけど、それをするようにしました。だから、この子は、酸素、持続の栄養、持続吸引、それとSpO2 を測るパルスオキシメーターを常に付けております。
長くなりましたが、この息子の唯一の楽しみは訪問教育です。今年、この教育を受ける最後の学年となりました。そこで、親が感じた12年間の訪問教育について、また、卒業後の願いについて述べたいと思います。
就学前、息子は入退院の繰り返しでした。最初に肺炎を起こしたのは4才になる前でした。それからずっと、入退院、入退院という形で、親は心身共に疲れ果てていました。そんな中で始まった訪問教育は、本当に親の心労を和らげてくれました。そして、定期的に訪ねてくれる先生は、私にとって救世主のように思えました。
時期もあったのでしょうけれども、訪問教育が始まると入院することもなく、母子ともに笑顔が増えました。このとき、訪問教育の幼稚園のようなものがあったら、もっと私達、早く救われてたのになあという思いはあります。就学後は、指で意思表示ができ出しまして、ゆっくりではあるけれども、豊かに確かに成長してきました。
そんな中で、息子に「先生にもっと来てもらいたい」と尋ねてみると、人差し指を1本出して、これはYesのサインなんですけれども、これをしました。しかし、訪問教育は毎日ありません。確かに最初は週2回で良かったのかもしれませんけれども、子どもの実状に応じて柔軟に対応してもらえればと思います。
親の方は、狭い家なんで、先生が来るのに準備が大変ですけれども、この子はほんとうに訪問教育というか、先生がおいでてくれるのをすごく楽しみにしているので、毎日毎日、先生の授業を受けたいっていう思いがこの子から出てきています。
また、親も、重度の息子を世話していると、なかなか家を空けることができなくて、いろんなことをあきらめて過ごすことが当たり前となっていました。でも、先生の訪問によって、少しずつ外に出て刺激を受けることができ始めました。
そして、私も高知県訪問教育親の会の代表として、また全国訪問教育親の会の一員として、高等部でも訪問教育を実施してほしいと働きかけることができました。「何もできない」から、「やればできる」という自信につながる体験でした。
それから、中学部の修学旅行で、この子は初めて飛行機に乗ることができました。「息子と一緒に飛行機に乗って旅行することもできるんだ」と感慨無量でした。その後、さっそく私は母子で飛行機を利用して東京方面へ旅行し、かけがえのない思い出をつくることができました。
このように、訪問教育は、子どもとともに親にも希望や勇気を与えてくれる教育です。だからこそ、以下の対応について考えてもらいたいと思います。一つは、子どもの実状に応じた教育課程、特に授業時数をつくってほしい。一つは、子どもの実状に応じた訪問教育の体制を整えてほしい。
また、看護師さんや理学療法士さんとの同行派遣もお願いしたいと思います。最後に、卒業後の希望ですが、週1回でもいいから、訪問教育の続きのようなものがあれば、ぜひ利用したいと思っています。東京都の日野市で行われている青年学級がそれです。
そして、息子の好きな音楽の授業に聴講生として月に1回でもいい、できたら3回とか欲を言ってもなんですけれども、母校に受け入れてもらえたら、とても嬉しいかぎりです。訪問教育の延長のような選択肢がほしいというのが正直な気持ちです。以上です。
(猪狩)
どうもありがとうございました。高士君がここで退場します。どうもありがとう。
今、それぞれのパネラーからいろいろ要望が出ましたが、ここで橋本知事の方からよろしくお願い致します。
(橋本)
みなさん、こんにちは。きょうは、このパネルディスカッションにお招きをいただいて、まことにありがとうございます。西村さんと20数年前にお目にかかっていようとは思いもよりませんでした。小松先生が建築探偵団に入っていたのは知りませんでした。
建築探偵団の存在は知っていましたが。高橋次郎君は、今も仲良くしておりますので、ご安心ください。きょうも昼間に2度電話をしました。きょうのパネルディスカッション、小松先生の話、西村先生の話、福田さんの話がレジュメで出ておりましたので、事前に読ませていただいて、そこに込められている思いとか提案について教育委員会に考え方を聞いてみました。
そのとき、教育委員会から書面での回答が出てきたんですけれども、それを見て、今から6?7年前になるでしょうか、高等部での訪問教育の要望を受けたときに、教育委員会にやってみたらどうかという投げかけをしたことがありますが、そのときの答えとほとんど意識的に変わらない面があるんではないかなと思いました。
それはどういう意味かといいますと、高等部の訪問教育のご要望を受けたときに、平成8年ぐらいでしたかね、財政的にどれぐらいの負担があるのかと聞いたら、「そんなに財政的には負担にならない」ということなので、「それじゃあ、やればいいじゃないですか」という話をしたら、できないという理由で返ってきたのは何かというと、「卒業証書が出せないから」という答えでした。
高校は小学校中学校と違って授業時間によって単位が決まっていて、その単位の積み重ねで何単位になれば卒業ということになる。そうすると、「訪問教育の高等部を文部省が認定をしていないかぎり、単位の認定ができずに卒業証書が出せない。だから、できません。」という答えでした。
その答えを聞いて、親御さんが希望してらっしゃる、または実際に教育を受けている子どもさんが希望しているのは、卒業証書がもらいたいということじゃないんじゃないか。小学校中学校で、訪問教育によって能力が上がってきた。それを高校になって落としたくない。
また、今、福田さんもちょっとお話しになりましたけれども、重い障害の子どもさんを持っておられれば、お家からなかなか出られない。訪問教育で先生が来ておられる間、家庭の外に出ていろんな活動をされる、そのことが親御さんにとってもリフレッシュになって子どもさんにもいい影響を与えるでしょうし、また、実際に家庭に障害児を抱えている親御さんとして、その思いを込めたいろんな社会活動ができるんじゃないか。そういうことを求められてるのではないかという話をいたしました。
つまり、教育というと、学校教育法の中での仕事、その範囲以外のサービスをどう組み合わせていくかということが、なかなか発想できていないのではということを思いました。
今回、いくつかご要望があったことへの回答を聞いても、その域をなかなか出ていない。別に学校の先生だけが、ということじゃありませんけれども、県の職員含めて、公務員の意識改革の難しさというか、もっと視野を広げて県民本位に立って、何のサービスをしたらいいか、そのサービスが必要かどうかというところから議論する力が、なぜ、もっともっと強く出てこないのかなということを思いました。
ということで、本題に入っていけば、今いくつかご提案がありました。全部ずらずらと並べますと時間がかかりますから、かいつまんでいきますと、地域の学校から訪問教育をしたらどうかというご提案、また、障害児だけでなく不登校の子ども達にも訪問教育のサービスを広げたらどうかというご提案、また、卒業後の対応を何か考えられないかというご要望があったと思います。
これに対する教育委員会の回答はですね。「地域の学校からの訪問教育については、今の訪問教育は養護学校に在籍をしている児童生徒を対象にしたものである。だから、学校教育法施行令22条の3によれば、制度的にできない。
また、その75条の2が活用できないかというご提案に関しても、これは特殊学級、具体的に言えば病院内学級を対象にしたものだから、できない。」こういう回答が返ってきました。それから、不登校の子どものために訪問教育を拡大したらどうかというご提案に対しては、「情緒障害学級にいるお子さんにはできる」という、本来、西村さんが言われているご提案とは少しすれ違いの回答しか返ってきません。
さらに卒後のことに関しては、「それは医療や福祉関係者と連携しながら考えていくことが必要だ」と書いてありますけれども、必要だと考えているならば、そのことをきちんと連携をして考えているのか。また、いつまでにその考え方をまとめるのかという話も出てこない。
そういうものを見て、もっともっと教育委員会の考え方を変えていってほしいなと思って、「きょうは、教育長や教育次長をはじめ、できるだけ出れる人はこれに出てきてくれ。いちいち知事室で話さなくても、僕が自分の思いをここで述べるから、それをもとに検討を進めてくれ」ということを言いました。
ですから、これからお話しすることは、会場のみなさんにお話しすると同時に、教育委員会向けにもお話をしますので、少しそういう部分も含まれていると思って聞いていただけたらと思います。
まず第一に言いたいことは、この問題だけじゃありませんけれども、いろいろなご提案があったときに、そのサービスは、それを今求めておられる県民にとって必要なものかどうかということをまず議論して、考えなけりゃいけないと思うんです。
必要でないとすれば、教育上それは良くないとか十分な効果が上がらないということであれば、そのことをきちんと説明をし、意見が分かれれば議論をしていけばいいと思います。必要であるのならば、その必要であると思うサービスができない壁は何なのかということをまず考えなくてはなりません。
それは学校教育法をはじめとする制度の壁なのか、または財政上の壁なのかという、たぶん二つのことだと思います。制度の壁であるならば、法律制度そのものを変えていく必要があるということを、まず地方から、また県の教育委員会として声を上げていかなければなりませんし、それだけではなくて、その制度に則らなくても別の形でやれるサービスがあるんじゃないか。
学校という場を使っても、学校教育法上のやり方ではなくて、福祉との乗り合いでやっていけるような部分はあるんじゃないか。ただ、親御さんがそのことを求められているかどうかという、マーケティングというと言葉は悪いけれど、市場調査、思い、ニーズの調査はしなければいけませんけれども、
すべてが学校教育法に基づいて、障害児教育のプロだけがやらなければいけない、そういうサービスが求められているかどうかということもきちんと見極めた上で、そうではない部分があるのだとすれば、その学校教育法の枠外で、学校という場を使ってやっていく仕事というのは、いろいろあるのではないかなというふうに考えなくてはいけません。
最後に財政の壁が出てきて、議論して、やはりできないなりにもう少しこうしなきゃいけないとなったら、また親御さんと議論していけばいいのではないかと思います。そういう手順がなかなか踏まれていないんじゃないかなと思いました。
財政ということで言えば、今、福田さんがおっしゃった看護師さんや理学療法士さんを同行してもらいたいという思いは、もうこれだけ重複の重度の方が出てきている時代には、当然の思いだろうと思います。ただ、これを教育委員会の予算の中でやろうとしたら、とてもできないということにしかなりません。
また、福祉という観点から言っても、今の制度の中でなかなか理学療法士と看護師さんを一緒にということはできないだろうと思います。そのときに、それだったらば、これは単なる思いつきで言っているので、具体性のある話ではありませんが、
介護保険の中にこういうものを含めていって、そういうサービスを受けられる仕組みが作れないかとか、今あるいろんな制度を活用した、教育とは別のところから、そういう人材、マンパワーを引き出してくる仕組みや組み合わせを作るということを、とにかく考えていくことはできると思います。
そういうようなことを、僕は、まず教育委員会にはぜひやってほしいなと思いました。で、個別のことに対する自分自身の思いですけれども、地域の学校からの訪問教育というのは、僕はぜひやったらいいと思います。
西村先生が言われたように、高知県というのはきわめて範囲の広い、海岸線も700km以上あるという、東西に広い県ですし、また、小松先生が地理の勉強じゃないという中で言われたように、森林の比率が84%、つまりそれだけ山間部が多いという、きわめて特殊な地理的条件をもつ県です。
ですから、この問題だけでなく、なんのサービスをするにしても、拠点をつくろうとすると高知市周辺になってしまう。高知市に人口の40%が集中して、高知市を中心とする周辺で60%ぐらいが集中していますので、施設はここに集中してしまう。そうすると、県民のみなさんからは、そう言わずに東部にも西部にも拠点をつくってくださいよという話になります。
私が知事になったときにも、東部に、山田養護よりももっと東部に、安芸などにということですけれども、養護学校をつくってくださいという要望がありました。この問題だけでなく、なかなか施設を作って、その後のランニングコストを出していくということは難しい時代になってきています。
そういうときに、今、西村先生から提案された、地域の学校から人を出していくということは、きわめて本県にとって合理的なことではないかなと思います。僕は、県の単独の予算としてどこまで組めるかということは、ここではなかなか言えません。それは、庁内できちんと議論しなければいけないことですけれども、きわめて積極的に取り組んでみるべき課題ではないかと思いました。
それから、不登校の子どものために訪問教育の枠を拡大していくという話も、僕は大賛成です。ただ、不登校のお子さんというのは、それぞれにタイプが違います。集まって居場所を作ってあげるという、高知の市内でいえばホットルームというものがありますが、そういう民間の方がやっていらっしゃるようなものをもう少し学校に形にしていくというように、教育委員会として支援をしていく仕組みもあるでしょう。
それから、今、家庭訪問といえば、学校に出てきなさい出てきなさいということしか行われていないのではないか。同じ労力を使うのであれば、出てきなさいの呼びかけではなくて、そこで訪問教育をするという選択肢は、時間の割り振りからいっても考えていけるものではないかと思います。
ただ、すべての不登校のお子さんに全部いっぺんにサービスを広げられるかというと、なかなかできない面がある。それができないから「うん」と言えない面があるということが、役所の考え方としてはあるんじゃないかと思いますが、方向性としてはやるべきだと言っていいんじゃないかと思いました。
また、卒業後のことですが、訪問教育の方だけではなくて、養護学校でも、今、最大の課題の一つではないかと思います。重度重複の方がどんどん増えてくる中で、卒業後の居場所がなかなか見つからないという問題があります。
一方で、軽い方々もその就職先がなかなか見つからないという問題があります。これは、重度の方、ほんとうに行政として、また、県民みんなで支えていかなくてはいけない弱い立場の人と、それから、応援をしてあげることによって力をつけて働き場所を見つけられるという、二通りの応援をしなきゃいけない方々があると思います。
そういう働き場所をつくるためのNPOもまもなくできつつあります。そういう方々の支援をしていくことによって、軽い方々は企業なり社会なりに出て行けるように、ぜひしていきたい。それによって、少し形態が違うのでいちがいに言えませんけれども、作業所なりなんなりを空けていって、また、重度の方が入っていけるような仕組みを考えていったらどうかなと思います。
併せて、福田さんが言われたような、週に1度とかそういう形ができるかどうかわかりませんけれども、卒後の対応ということも検討はしていくべきことではないかと思います。今、私立の養護学校で専攻科を設けてらっしゃる所がありますけれども、学校に行ってらっしゃる方の中にも、せめて20才になるまでの専攻科2年ができないかというご要望も強いと、自分は受けとめています。
そういうことへの対応がすべてできるわけじゃありませんけれども、教育委員会としてはやるべきだ、やりたいなという主張はぜひしてほしいと思います。それが、後で財政の問題なんかで庁内で議論をして、これとこれは後に回してとか、こちらを優先順位にとかいうことにはなろうかと思いますけれども、僕は、最初の回答が「学校教育法が、施行令が」ということではいけないなということを、会場に来ている教育委員会の人にもぜひ聞いてほしいなと思いました。
もっと、教育委員会のみなさんには、それは悪気があってということではないし、本当はやりたい人ばっかりだと思います。そういうやりたいという思いをもっと前に出して、庁内で議論をしていくようになりたいということを思いました。
(猪狩)
どうもありがとうございました。今、それぞれから、こんなことはどうでしょうという夢のような話をみんなで出し合った中で、橋本知事も含めて、やっていくということが現実的な一つの方向としてあるんじゃないかということも出ました。
こうやって地域に風が起きていくんだなということをふっと感じるような一瞬だったかと思います。それぞれのパネラーのみなさんの中で、もう少し話を聞いてみたいというようなことがあれば、出し合っていただければと思います。いかがですか。
(西村)
私は知事さんと一緒に話をさせていただくという計画の中で、一言でも前向きな回答が得られたら、ほんと嬉しいなと思っていましたけれども、いくつ前向きの回答が出たでしょうね。ほんと、高知の県民の方は幸せだと思います。そう思いませんか。(会場から大きな拍手)
私は、「地域からの訪問教育」という問題は、実は私自身、奈良県でもやったことがあるんです。奈良県の戸塚村という所が、あんまり遠いから、「村で訪問教育をやってみます」と言われて取り組まれました。中学校を出るまでは、戸塚村でやられました。
訪問教育をやられるについては、明日香養護学校の私達も村へ行って担当の先生とこんなふうにやったらいいと思うとお話をして、今で言えば、特別支援教育をやっていたわけです。それで、その子は中学校卒業までうまく指導していただきました。高等部は村にはないですから、遠いですけれども、明日香養護から行きました。こんなふうに、法律が妨げているけれども、やって全然できないことはない課題であろうと思いますね。
そして、おっしゃる通り、密かにならば、さっき小松先生もどこかの町でやられたって言ってました。でも、密かにではなく、そういうことも選択肢としてやっていいのだということ、やっていただくことが本当にだいじなことではないかと思います。不登校のことも同じです。
私達も、不登校だ、ほい訪問だという考え方は持っていません。それはいろんな事情で不登校になっているわけですから、子ども一人一人にとって違いがあると思います。
不登校の子に担任の先生が対応していただいて、きめ細かな対応の中で通学に復帰できたとかいろんな実践が既にありますから、一人一人への対応の努力があったらいいと思います。ただ、その選択肢の一つとして訪問教育というやり方もあると、そのことを認めていくことがだいじであろうと思っております。ぜひとも私は高知県がパイオニアになっていただけるようにお願いしたいと思います。
(猪狩)
その他、いかがですか。
(小松)
今、前向きなお話ばかりの中で、現場にいてふと後ろ向きになるんですけれども。不登校の件ですけれど、不登校の子どもさんていうのはとても重いものを持っているかなと思います。心にいろんなものを持っているかなと思って、それを訪問教員が対応しきれるかなという不安はあります。
ですので、先ほど言われたように、いろんなものが一致して教育効果が上がるというものに対してはいいんだけれど、そうじゃない場合はお互いに負担になるんじゃないかなという心配もあります。
それから、もう一つ、委員会をどうこうかばうというのでもないんですけれども、現場にいると、現場の教員の合意であるとか、私達一人一人の問題も大きいかなと反省もしました。現場の合意を得るというのがなかなか難しいなと感じています。
ですので、教員も含めて、職員の意識改革は当然なんでしょうけど、ゆとりというか、今、すごく窮屈というか閉塞感みたいなものも感じています。そういう部分も含めてやっていかないと、現場もすごく混乱するかなと思います。
今、ここまで知事さんが前向きにいろんなことを言ってくれると、じゃあ、それを全部やりましょうとなったときに、「ちょっと待てよ」ということは感じました。私達一人一人の研修を積んでいくとか、実践の積み上げであるとか、自分達に返ってきているものがたくさんあるということを感じています。
職場での合意は難しくても、ここに集まっている方達との合意をもらって、仲間をつくって。こういう大会に出て力をもらえるというのはそういうことだと思うので、私達自身もがんばらないといけないなと、とても感じました。
(橋本)
おっしゃることはそのとおりだと思います。まず第一に不登校の問題は、僕は教育の専門家ではないので、効果うんぬんについて議論に参加することはできませんが、もちろんall or nothing の議論ではありません。
たぶん不登校のお子さんというのは感受性の鋭いお子さんが多いと思いますし、それだけに社会的な要因を重く受けとめていると思いますので、それぞれ個人の個性をより大切にしなければいけない存在だと思います。
ということからすれば、もちろん一人だけの教員が訪問で対応できるかということは、おっしゃる通りだと思いますけれども、中にはそういう形で心を開いていくお子さんもいるんではないかな。
そういうお子さんがいた場合に、制度がだめだからということで道をふさいではいけないという趣旨で申し上げたので、そういう選択肢もあるということは開いておく必要があるんではないかということは感じました。それから、教員の合意という、現場の問題はあると思います。
それは、財政やなんかの問題と同じようなことで、教育委員会のさっき悪口のように聞こえましたけれど、けっして悪口で言ってるんではなく、もっともっとみんなで力を合わせてやろうねと自分は言っているつもりなんですけれども。教育委員会も、県の組織の中ですから、「最終的に財政のことも考えながら答えもしなきゃいけないな。
また、こういう形で出していったら、現場ですぐに動かないだろうから、そういうことも考えないといけないな」となると、そこに行くまでにもうちょっと手前でお断りをしておいた方が楽だな、楽というか、その方が相手の気持ちも変な期待感を抱かさずに終わるからいいんじゃないかということになりがちなんじゃないか。
僕はやっぱり、最初に言ったように、必要かどうかということをきちんと議論して、必要であればその課題が何かを考える。現場にも課題があると思います。現場の教員の考え方の違いという課題もあるでしょうし、やる気のある人とそうでない人の比率の課題もあるだろうし、忙しさによってそこまで仕事が増やせないという課題もあるでしょう。
その必要性を考えて議論しないと、それぞれの課題が何かということまで行き当たらないんじゃないかな。課題まで行き当たらずに、まあそうだろうな、たぶんこれが壁だろうなということを前提にやめちゃっていることが多いんじゃないか。そこをもう一つ突き破ってほしいなということで、言いました。
(猪狩)
どうもありがとうございました。
(西村)
もう一言、言わせてもらいますが、知事さんのおっしゃったように、私達の中にも必要は何か、その課題を検討しようというような思考パターンじゃないパターンがやっぱりあると思うんですね。そういう意味では、私達自身も改革していかねばならないということだと思います。
それから、不登校に関しては、今年の4月に文部科学省の不登校問題に関する調査研究協力者会議というのが報告を発表して、その中にこんなふうに書いていますね。「教育支援センターと呼ぶ、通えない子には教育を学ぶ大学生らが訪問することも提言した」。どう思いますか。
私は、小松さんが「教師の力でできるかな?」とおっしゃってるような、たいへんな仕事だと思うんです。大学生にやらそうという考え方でいいんでしょうかね。私は、最も難しい分野の教育だと思いますよ。やっぱり、ほんとに責任を持って、職業として全力を挙げて取り組むべき課題だと思います。
これを見ると、大学生のボランティア的というか、軽く扱っているなという感じがしてしょうがないですね。そういう意味では、埼玉のやっている実績というのは真面目な取り組みだと思うし、そういう選択肢の一つとして訪問教育という対応を考えていくのは正しいことじゃないかと思いますね。
(猪狩)
子ども達の抱えている多様な願いや困難やそういうものに、子ども達のもとに出かけていく訪問という形が一つのきっかけとして生かしていけるんじゃないかということで、そういう可能性について考えていったらいいんじゃないかという話が出てきていると思います。
そういう意味で、今、出ている「特別支援教育」の中でも、不登校の子どもということでは、そういう形ではなく、LDであったりそういうお子さんの問題も出てきていて、それが私達、重度の障害を持つ子ども達を預かっている自分達の専門性でできるのかということについて、どうしていこうかと、各地でいろんな議論が出てるんじゃないかと思います。
それが即、訪問をやっている先生がやる仕事なのかということについては、もっと子ども達一人一人を広く見ていく議論や、訪問教育の担当者だけでなく、広く教育に関わっていく者とか、地域での議論ももっと必要になっていくと思います。
今、ここには訪問教育に直接携わってはいないけれどもという先生方もおいでになったり、保護者の方もおいでになったりということで、いろいろな立場からお話を聞いていただいたかと思います。フロアからいくつか、いろいろな意見や今抱えている問題などについても出していただけたらと思います。これから15分ぐらい、フロアから発言をお願いしたいと思います。
(川村)
高知県の山田養護で訪問教育を担当しています。今のお話の中で、地域の学校からの訪問ということの中に、ぜひ、養護学校の分校からの訪問ということも考えてほしいと思います。私は今年から山田養護に来ましたけれど、昨年度まで重症心身障害児の施設が併設されている所の分校におりました。
今、私が訪問している子ども達は、どちらかといえば、分校からの訪問の方が適当だろうと思います。でも、分校からの訪問はないということで、山田養護から行っています。それと、通学保障の問題です。
実際問題として、こちらが訪問するのが必要である生徒もたくさんいますけれども、通学保障がされていないために訪問教育にやむなくなっているという子ども達もたくさんおります。本校にはスクールバスが配置されておりますけれど、分校には高知県ではスクールバスの配置がありません。
そのためにやむなく訪問教育になって、本来ならば集団の中での教育が望ましいと思われる子ども達も集団から取り残されているということも実際としてあります。その通学保障の問題と分校からの訪問の二つをよろしくお願いしたいと思います。
(間賀田)
神奈川県のみどり養護学校から参りました。私は神奈川県立の障害児学校の教職員組合の委員長もさせていただいています。養護学校が義務化された次の年にたまたま新卒として、まったく障害児にもふれたことのない私が養護学校に勤務致しまして、早23年ですが、その中で、ひじょうに軽度のお子さんから重度重複のお子さんまで持たせていただく経験をしております。
それで、昨年までの3年間、本校に訪問学級ができまして、訪問の担当もやらせていただくという幸運に恵まれました。その中で、そういう経験と、きょうのパネラーのみなさんのお話を重ね合わせて聞いておりましたが、やはり不登校の方への訪問という、ある意味、大胆な発言の中でパネラー自身も揺れ動いていたと思います。
私は、養護学校にいながら不登校になったお子さんを受け持った経験があります。この3年間もったお子さんは、もともと自閉的傾向のお子さんで、途中で疾患を発生いたしまして、知的障害の養護学校に毎日通学できなくなってしまった。
その子が中3のときに、校長のいろいろな考えのもとで、その子のために訪問学級を開設して県に認めてもらって、3年間、訪問を行いました。神奈川では高校からの先生もたくさん養護学校に赴任していますが、ある先生がこう言いました。「高校だと40人いて3人ぐらいはふつうに不登校でいる。
どうして、先生はそんなに熱心に毎日毎日その子の所へ行ったり連絡したりするんですか」と。やりすぎと批判されているのかな、と思うぐらいずばりと言われて、私はちょっと息をのんでしまいました。そのとき私のクラスには6人しか子どもがいませんでした。40人に1人と、6人に1人と、私は給料のもらい方が違う。
この6人の子達すべてに対して支援していって当然じゃないか。40人の中にいる子どもとは違うんだぞ。なかなか口では反論できなかったんですけど、ここまで考え方が違うのかなと思ったんですね。
ですから、さっき知事さんが「今されている家庭訪問では、どうしても学校の方へ来い来いという形で、出てきなさいという働きかけが中心になっちゃうんじゃないか」と言われたのは、出てきてもらわないと、今の通常学級の先生の家庭訪問では、支援が行き渡らない。そういうふうに思いました。
そして、昨年まで担任した訪問学級は、1人しか生徒がいませんでしたので、その子の先生は私1人、私の生徒はその子1人。ということは、そのお母さんにとっても、先生は私1人なので、私に来てほしくないという指導をしてしまったらおしまいだと思いました。
訪問学級というのは、ほんとにそこまで重みのあるもの、責任のあるものだって思いました。20年やってても、養護学校の普通学級とは違うんだなと思ったんです。そういうのをいろいろ考えると、責任の重さにひるむ部分もあるんですけれど、養護学校が義務化される前から訪問という所で障害児教育をこじあけてきたということを、全訪研の神奈川大会で学びました。
それを思うと、もし、また訪問教育が教育のニーズのない子に一つの手だてを提示をする選択肢の一つになるのであれば、通常学級からの訪問になるのか、分校をたくさん造って拠点を増やすことでの訪問になるのかわかりませんけれど、親御さんや本人が望む形で、あせらずに少しずつ寄り添っていけば、必ずしも障害のあるお子さんじゃない、学校に来ることができない子達への訪問教育というのはあり得るのではないか、
また私達も考えていかなければならないのではないかという思いで聞いていました。知事さんとこういうようなお話が直接できるというだけで、私は感動しています。ぜひ神奈川にも持って帰りたいと思います。
(谷口)
栃木県の宇都宮市から参りました。私は2001年に教員を定年退職いたしまして、障害児教育から離れておりますが、在職中に抱えた深い問題をどうしても解決したいと思いまして、定年と同時に大学院に進んで研究をしております。
訪問のお子さんから学んだ、ほんとうにすばらしい命のメッセージというものが、学問の道の扉を開けかけておりますので、21世紀ですから、今、前向きのお話が出ている中ですので、橋本知事さんに期待をかけて私も一つ紹介をさせていただきたいと思います。
音にも反応しない。声にも光にもいろいろなものに反応しない重症のお子さんが減圧した空気のふにゃふにゃしたボールを背中の下に入れて揺れ、委ねたときの感触から、自分の自覚を取り戻して排便ができるようになったり、口から嚥下ができるようになったり、目を開かなかった子が開けるようになったり、不思議な体験をたくさんいただきました。
1400ケースほどの事例を報告しまして、医学界でも昭和63年に世界リハビリテーション会議が初めてアジアに参りましたときに、ヨーロッパ、アメリカの先進国から研究者が日本に来るというときに、日本のリハビリテーションは欧米のものを持ってきて横文字を縦にしただけで、オリジナルなものがないということで、
まだ若輩だった私に白羽の矢が立ちまして、FBMという減圧ボールの心身をゆだね、そこから重力と空気のリアクションを直接、体性感覚に、私は最近遺伝子にと言っていますが、直接命が受け取る療法があるんだということを発見させていただきました。
今、エネルギーシステムも変わって、水素社会というのが取りざたされている時代ですから、新しい視点に立って、理化学会の新パラダイムとして、もう一つの教育の方法として、今、研究中です。訪問のお子さん達から学んだものを、ぜひ訪問のお子さん達を通して、広い社会の教育界に還元できればと思っております。
(岩井)
愛媛県の一本松町から来ました。さすが橋本知事だなと思いながら、話を聞かせていただきました。今からする話は、県の障害福祉課の担当者にまず話をするべきなんですけれども、せっかくの機会ですので、知事さんに話を聞いていただけたらと思います。
担当の方には明日にでもお電話しますので、お許しいただきたいと思います。実は、うちも県境なんですけど、宿毛市と一本松町では組合立の小中学校があって、宿毛市の子ども達もうちの方の学校へ通っています。ひとつ提案なんですが、重症心身障害児通園事業というのが、宿毛市の方でも幡多希望の家でやられているんですが、うちはそこまで約20分程度であります。
もう一つ、知事さんにぜひ知ってもらいたいのが、西土佐村に訪問を受けている2人のお子さんがいらっしゃいます。宇和島市に重症児通園事業と児童デイサービスをしている所があるんですけれども、「重症児通園事業は県の事業ですので、県を越えては利用できない」ということで、利用できていません。
その代わり、今年入った小学校1年生の子どもさんは、児童デイサービスの方を利用しています。重症児デイサービスは、本来なら市外なんで、就学になった時点で受け入れないというのがそこの施設の方針なんですが、特別な事情なんでということで児童デイサービスを利用している。
しかし、これも市とそこの村との話し合いなのでいつまで続くものかわかりません。ここに来るということで、先週、その子のお母さんにお電話したんですが、「もし県外を越えて重症児通園事業が利用できるようになったら利用しますか」と聞いたら、「ぜひ、したいんだ。でも、どうやって県や担当課に言いに行けばいいのか、私にはようしません」と言っていたので、「機会があったら話だけでもしときます」と言うときましたので、ついつい手を挙げました。
我々の所にも通園事業はないんですけれど、今度、国のモデル事業で、宇和島市の隣の広見町という所に国療の重心病棟を持っている施設があるんですが、岡山市の法人が来るようになっています。
そちらと交渉していただいて、愛媛県とそちらで今年からB型通園については、認められた巡回方式ということで、我々の地域はなんとか巡回方式の通園事業で対応していただこうというふうにお願いをしてますので、まずそれは話が進むというふうに考えております。訪問教育については、先ほど西村先生から、親と訪問教育とが連携してはじめてその地域がより良く変わっていくんだろうという話がありました。
私はそれがいちばん望みなんで、うちの子どもについては2週間に1ぺん地域の学校から遊びに来てくれということで、声がかかるので遊びに行くんですが、訪問教育の先生にお願いすると、訪問教育としては地域の学校とか地域の社会参加に授業としては行けないんだという返答が返ってきております。
それは、また親と先生、学校の校長、教頭と深く話し合いをしていって、そういったつながりをつくっていくのは親の役目だと思っております。最後に、西村先生から出していただいている訪問教育の在籍割合、小松先生から出していただいている四国4県の訪問教育の数というのは、愛媛が圧倒的に多いのです。
全国でも、在籍割合でいけば6番目ということですので、きょうの参加者は全国でも6番目ぐらいにはなってほしいなと思いながら、先生方も2人来ているということで愛媛から5人。全国からはどれぐらいかなというところがあって、ちょっとさみしいなと思っております。
(田揚)
京都から来ました。実は、「高知の現状と課題」という資料は、他府県から来ても、高知の状況というのがたいへんわかりやすくて、ここにまとめたということは素晴らしいなと思いました。
きょう、知事さんの方から言われてましたけど、あらゆる分野のマンパワーを生かすというか、そういう意味ではP.23に学校関係の地図を描いていただいたというのは、たいへんわかりやすかったと思うんです。
そこに加えて、福祉・医療・教育・労働の分野から、お互いに歩み寄って、障害者を地域で生きていく条件を整えるという観点で、そこの地図の中にたとえば福祉機関がどうなっているのかとか、就学前ではどうか、学齢期ではどうか、卒業後の福祉サービスがどうかとか、医療のサービス、たとえば訪問看護ステーションがどこにあるとか。
それから、教育の面でも、たとえば就学の所も含めてどういうサービスがあるのかということを、高知県ですと、各ブロックごとにあるようですから、具体的に示していただきますと親御さんはたいへんわかりやすくて、学校を卒業しても、もしかしたらこの福祉サービスだったら受けられるんじゃないかということが見えてくると思うんです。
そういう意味では、学校の側も、学校の制度だけを活用していくんじゃなくて、それぞれの地域での福祉や医療や労働の分野がどうなっているかということを積極的に情報として提供していくことは有効な手段じゃないかと思いました。ここまでまとめられたわけですから、ぜひ親御さんを激励するためにも、ここをふくらましていただけるとありがたいなと思いました。
(林)
来年の全国大会を開催致します、岡山からの参加です。岡山県では、平成2年まで普通学校から訪問していました。岡山は四角い県ですが、四つに分けるとその左上のところに養護学校はありませんでした。
その地域の子どもの訪問は、既存の養護学校からとても遠いということで、籍は養護学校に置いて、職員も養護学校籍の職員が地域の学校へ机を置いて、そこから訪問していたということがありました。平成3年に新しい養護学校ができたので、それはなくなったんですが、そういう形でできるのであれば、可能かなと思いましたので報告しました。
(松尾)
長崎県の諫早養護から来ました。発言の趣旨は、長崎県の今の教育界の動向と、障害児学校の動向、本校がどのようにそれに巻き込まれていっているのかということと、訪問教育部がどうなっていくのかなという点での、県レベルの話から入りたいと思います。
実は、長崎県は新しい教育長に替わってから、今まで手をつけられていなかったところにどんどん手がつけられています。その一つに高校の統廃合があります。住民レベルで分校あるいは小規模の高校を残してほしいという誓願があるにもかかわらず、どんどん独断でされているような状況です。4/17に県の教育委員会から「障害のある子どもの教育推進計画」という基本方針が出されました。
その中にいくつか項目がありますが、最初に「盲・聾・養護学校の適正配置」という項目があります。学校規模の適正化ということで、小規模の養護学校、子どもが少なくなっている養護学校に対する計画なんですが、その中に大村養護学校という病院併設の病弱養護学校があったんです。
国立病院が小児科を廃止する中で、どんどん子どもが減ってきまして、今かなり減ったということで、そこの学校を私に言わせるとつぶすような形で計画されているようです。その趣旨説明が6月にありまして、結局、病弱養護の大村養護学校の子どもさんを、肢体不自由の諫早養護学校に移すような形で、総合養護学校をつくりたいという形を考えているそうです。
私も大村養護学校に10何年前おりまして、不登校の子ども達に対する取り組みをがんばってやってきました。もし肢体不自由の養護学校と病弱の養護学校が一緒になったときに、諫早の先生方の、どんなふうに教育課程をやっていったらいいんだろうというとまどいがあります。
また、大村養護学校の子どもさんの中にはかなり学習していくためのいろいろな力がまだ育っていない、たとえば教室から飛び出すとか物を投げるとか、そういった行動を示す子どもさんがいます。そうした子どもさんと、肢体不自由の養護学校にいるかなり支援を要する子どもさんとが一緒になって、どういった設備にしても教員の配置にしても、できるんだろうかという不安が趣旨説明会の中でありました。
意見聴取はあったんですけど、突然の発表で、かなり職員も動揺した部分がありました。その話を受けた後で、訪問の先生方でいろいろ話をしたんです。不登校の子ども達、心身症の子ども達が中学部におりまして、その子ども達がもし諫早養護学校に来れなかった場合、訪問教育部の職員が出向いていく可能性もひょっとしたらあるかもしれないって、言ったんです。
そのとき、県の適正配置の計画というものが訪問教育に重くのしかかってくるんじゃないかということを訪問の先生は感じ取って、「それはやれないんじゃないか。
心理面でのカウンセリングもかなり積まないと子ども達を癒すことはできない」と、先生方も県の計画に対して現在もかなりとまどいがある状態です。西村先生の提言の2番目の中に、「不登校の子ども達を訪問教育の対象とすること」ということが、なんていうか、嬉しいという気持ちと頑張ってやっていかないとたいへんだぞという気持ちの二つを感じました。
訪問教育をして6年目なんですけど、教育観が変わりました。学校という器の中でやるのが教育だという今までの発想が違うんだということで、意識が変わらざるを得ませんでした。ひょっとしたら、これから先は、訪問教育そのもののいろいろな構えというか、ものの考え方が大きな流れの中で変わらざるを得ない。
それが、果たして、教員一人一人の意識の中でちゃんとしっかり確立されていかないと、おそらくたいへんなことになっていくんじゃないかと思います。心の中では、不登校の子ども達に対して出向いていくことはすごく画期的で、教育行政の一つの大きなうねりになるんじゃないかなと思っています。
そこまでせざるをえなくなった今の日本の教育の問題点として、訪問教育に携わる先生方の力量が問われている。という感じがしまして、そこまで日本の教育はなってしまったのかということを感じています。
(猪狩)
いろいろ発言があると思うんですが、時間がきておりますので、一応ここで締めくくらせていただきます。いただいた発言の一つは、今、養護学校が足りないという中で訪問教育になっている子ども達の通学保障の問題であったり、分校をもっとつくってほしい、もっと身近に養護学校をつくってほしいという願いがあります。その問題があります。
かたや通常教育の中で出てきている教育困難に対して訪問教育が一つの形態としてあるんじゃないかという、そういう二つの課題だったと思います。その二つが一緒になっていて、議論として十分整理しきれないまま、進んでいくんじゃないかという感じですが、そのへんの整理も含めて、フロアの発言を受けて、パネラーの先生にまとめて最後の発言をしていただくという形でお願いしてよろしいでしょうか。では、小松先生、いいですか。
(小松)
京都の先生の提案は、その通りだと思います。今度それを提示できるかは、ひじょうに不安ですが、重く受けとめています。ただ、私、今年転勤して訪問ではないので。
でも、これは逃げ口上なので、ここで集大成的なことを示させていただいたので、お返しするという意味で、ここに福祉の方も来ていただいているので、実行委員長の山崎先生も福祉の方面に明るい方なので、ちょっとがんばってみます。
できるかぎりの、そういうマップをこれからのお母さん達に作れたらと思います。また、こういうことを委員会を含めた県庁の中でも、たてわりではなく横のつながりをもって、学校・福祉・医療、そういうマップをつくっていっていただければいいなと思います。
(猪狩)
では、次に福田さん、お願いします。今、フロアからの話を聞いて思ったり、さっきお母さんが言い足りなかったこととか、知事の発言を聞いていただいて言っておこうかなと思うことがあれば、お願いします。
(福田)
教育からは外れますけど、その福祉の問題で愛媛県の岩井さんが言われましたが、私の場合も学校の方で聴講生とかその他いろんな青年学級等がなければ、通園事業の一環として週に2日ほど利用するという手があるんですけど、うちの子の場合はけっきょく看護師さんが付いていなければ、移動が不可能ということで、希望の家で実施されている通園は人数が多くて、車と看護師さんの人数とかフル稼働でなかなかうちの子のところまで来てもらえる余裕がないそうです。
それで、うちの子の卒後に向けて、一応できるような形にはしたいなということは言ってくださっていますけれど、はたしてできるかどうかという不安があります。それと、これは触れるべきかどうかわかりませんけれど、看護師さんの派遣とかありましたけど、
教員が医療行為ができないために、訪問の授業の間、家にいなければならないということで、けっきょく、しばられたまんまということになってしまうんで、うちの子は重度化が進んでしまったためにですけど。
なんとかできないかということで、県の方と掛け合いましたが、ちらっと、多少は動いてくださいましたけど、「それは教育の分野か」みたいなことを言われまして、すぼんでしまったということがあります。
ただ、通園の利用ができないということで、希望の家の看護師さんがちょっとした試みとして、この1学期の終わりぐらい、7月ですけど、週に1回だけ1時間ないし2時間おってくれたことあったかな、授業の時に訪問の先生に合わせて来てくださったという試みは受けています。
(猪狩)
やっぱり、医療と福祉と連携が必要だということ。家庭で一緒に暮らしている保護者にとっては、ほんとにそこが切実で、少しであるけれど、そういう願いを出していったら、ちょっと動きも出てきた。それがよかったというところですね。
では、西村先生、全体をまとめていただいて、最後に橋本知事からお願いしたいと思います。
(西村)
全体をまとめることができるかわからないけれど、私はとてもいいパネルディスカッションをさせていただいたなと思います。私は知事のおっしゃった、「必要かどうかということをまず考えよう。必要ならば、何が解決せねばならないのか。その課題を考えていったらいいんだ」ということ。
私達の中にもそれが合うんじゃないかと思うんです。「そんなこと言ったって、また校長先生からアカンて言われるだけやで」とかね。「行政に言ったって、全然相手にされないで」って、まずそうなりますよね。
しかし、「必要ならば、どうやったらいいんだ」っていう発想。それから、「学校の中で努力でできることはあるだろうか、どうだろうか」。そういう発想というのは、ぼくらにももうちょっと必要だなと思いました。
それから、あらゆるマンパワーを使おうという、それはいわば連携の問題であり、地域に根ざしたという私達のテーマにもした問題でもあると思うんです。今言っている二つの問題でも、もっと具体的に言えば、実状に即した授業時数をやってほしいという中で、「じゃあ、この子にとって、実状に応じた授業時数って何時間なんでしょうか」というやつをきちんと出せるでしょうか。
というような問題も含めて、相当に研究の課題が私達にふりかかってきてるんじゃないかと思います。つまり、運動をやってくださいという問題でもあるけれど、私達でもうちょっと研究していかなければいけない課題がたくさんあるなということを感じました。
それは私達の反省というか、今回教えてもらったことだと思います。逆に、知事さんにがんばっていただきたいと思うのは、私達、文部科学省に行って話をしても、今の国の回答の仕方ってものは、もう、ワンパターンですね。
「今、地方分権の時代ですので、地方で考えてもらってください。地方でいいと言われるのでしたら、私達は反対はいたしません。」と。全部、こういう回答ですね。
ですから、私達もまた、地域に根ざした訪問教育を考えていかねばならないのだけれども、ぜひとも、高知で今言われたような回答に沿って、いい実績を示していただけたらと思います。お役所では、「前例がないからなあ」と、だいたいこれが切り札なんですね。ですから、「いや、高知が前例を示してくれています」と言えたら、私達はどれほど勇気を持てるかと思いますね。そういうことで、ぜひともよろしくお願い致します。
(橋本)
困りましたね。今、たまたま文部科学省の、授業時数についてというのと、高等部の既卒者の入学についての見解というのを見ていて、なかなか文部科学省というのは、かっこのいいこと言うなと思いました。
今、西村先生が言われたように、「ご自由にどうぞ」と。ただ、「国はそこまで直接支援はできませんよ」という趣旨なんだと思います。こういう文部科学省の見解を読んでいて、自分が言っていることも、あまりにもかっこよすぎるかなと。
実際どこまで実現できるかわからないのに、かっこよく言い過ぎてるかなと自戒を込めながら、お話をしたいと思います。要は、僕は、先ほど言いましたように、必要かどうかということから、必要なものは選択肢として構えていけばいいと思うんです。
選択肢は広げていけばいいと思います。先ほど、岩井さんがおっしゃった県境をまたいでの利用というのも、選択肢の一つではないかと思います。四国連携で議論する一つの課題だと思います。四国連携で議論する場というのはできていますから、その中の一つの提案として投げかけておきたいと思います。
選択肢は広げていって、その中でできること、できないことが出てくる。今度は財政の問題も出てきますので、効果とか財政上の理由ということを勘案しながら、優先順位をつけながらやっていかざるをえないという現実はあります。
もう一つ、これも今出た話ですけれども、また最初に私が教育委員会のものの考え方ということで言ったことですけれども、「教育委員会は学校教育を担当するから、その範囲で話をしていればいい。お答えすればいい」という意識はぜひ捨ててほしいなと思うんです。
福祉・医療と連携をしないで、日常からそういうことを一緒に考えていないで、この分野のサービスというのは今後考えられないんじゃないかと思います。先ほど、財政上の理由で答えて、福田さんから「教員に医療行為ができない」ということを改めて言われて、そうだったな、若草養護のときに相当の議論があったなということを思いました。
ここは、財政以外の、なかなか微妙な問題もありますので、一概には言えないところもあります。けれども、日頃からほんとうに学校教育はその分野だけということではなくて、福祉・医療とどう連携をしていくかという視点で物事を見ていかなきゃいけないと思います。
それから、学校教育の教育支援の分野も、そういう形で見ていかなきゃいけないと思います。ぜひ、そういう土壌作りをしていきたいし、それができれば、同じコストの中で、より柔軟でマンパワーを活用したサービスというのが考えられるのではないか。というふうに考えますので、西村先生が期待されるほど、「高知で例がありますよ」ということができるかどうかわかりませんが、できるだけ、がんばってみたいと思いました。以上です。
(猪狩)
ありがとうございました。それでは、2時間という、パネルディスカッションということで、かなり長いんじゃないか。途中で休憩が必要じゃないかという話もあったんですが、ぶっ通しでやらせていただきました。まだまだ、これから、いよいよ話は佳境にというところなんですが、時間がまいりましたので、今回は終わりますが、
今、いろいろな教育改革、財政困難という中で、学校がどうあるのかというころも本当に問われているし、私達はその中でいろいろ考えていかなくちゃいけないことと、考えるのがとても苦しくなっている問題と、いろいろ出てきているんじゃないかと思います。
けれども、きょうの話の中で、子ども達や御家庭のいろいろな願いをしっかり見つめながら一緒に考えていくこと。そして、今、橋本知事から柔軟にということが出ましたけれど、やっぱり柔軟に、フレキシブルにいろいろな発想から幅広く考えていく。そして、粘り強く考えていくということがだいじだということを改めて出てきたのではないかと思います。
とても大きい課題を投げかけた、21世紀にふさわしいパネルディスカッションだったと思います。まだまだ不消化のまま終わるのがとても残念ですが、きょうから3日間のいろいろな論議の中で、ぜひ深めていただいて、それぞれの分科会の中で、言い足りなかったことをたくさん発言して、全国に高知から持って帰っていただければと思います。
きょうは、お忙しい中、駆けつけていただいた橋本知事。それから高士君もお母さんも、きょう、とても睡眠不足できつい中、駆けつけていただきました。どうも、ありがとうございました。大きな拍手で終わりたいと思います。