新採職員辞令交付式での知事挨拶

公開日 2007年12月08日

更新日 2014年03月16日

人事異動についての知事談話

平成15年4月1日(月曜日)8時50分から(正庁ホール)

 皆さん、おはようございます。 
 また、この度は高知県庁への入庁、誠におめでとうございます。今景気の低迷も続いて、就職も厳しいと言われるなかで、この高知県庁の難関を突破して来られた皆さん方の胸には熱い思いと大きな志があるのではないかと大いに期待をしています。と言って県庁生活の初日から、あまり肩に力を入れて緊張をされてもいけませんので、自然体で僕の話は聞いてもらえばいいと思います。

 僕も早いもので、皆さん方と同じように知事一年生として高知県庁に入って、もう11年あまりの歳月が経ちました。この間、僕がずっと志してきたことは県民の皆さんの目線に、視点にたって県の仕事を考えるということでした。

 そのことを県民の皆さんに開かれた県政だとか、県民参加の県政だという言い方もしてきましたし、また最近では県民の皆さんに正面から向き合えるような、そういう県庁でありたいということを言っています。

 このことに関連をして、去年の暮れ、僕のメールマガジンの中に「知事の軸足」という文章を書いたことがあります。それはどういう意味かと言いますと、知事には皆さん方県の職員の代表、トップという立場がありますが、それと同時に県民の皆さんに選んでいただいた県民の代表という立場があります。

 このふたつの立場が同じ場にあれば、知事の軸足はひとつでいいはずです。ところが現実には、県民の皆さんから見る県庁というのはまだ少し距離感があるように思いますし、また県庁の側もすべてが、またすべての職員が先ほど言ったように、県民の皆さんに正面から向き合っているかと言うと、まだまだそこまでいけていません。そういう状況のなかで僕は県民の皆さんに軸足を置いた仕事をしていきたい、そんな思いを込めて書いたメールマガジンでした。

 と言いましても、皆さん方職員の方々を遠ざけるとか、そこに距離をおくという意味で言っているわけではありません。県の職員の代表、そして県民の代表という立場は同じであるはずですから、県庁の側がぜひ県民の目線に立った、また県民の思いとひとつになった仕事をする。そういうかたちで早く変わっていきたい。そんな思いをメールマガジンの中に込めました。

 この点で、皆さん方はまだ県民の皆さん方の目線、視点しかもっていないはずです。それをかつての県庁は、県庁の、役所の視点、目線というものを皆さん方に教えて皆さん方を変えていったという面があるのではないかと思います。

 それだけにこれからは皆さん方、今もっている県民の皆さんの目線、視点ということを大切に、またそれを伸ばせる県庁になっていきたいと思いますし、皆さん方も今ある、当たり前の感覚というものを大事にしていっていただきたい。また、そういう気持ちを中心にしていろんなことに挑戦をしていっていただければと思います。

 挑戦ということで、ひとつ気がかりなことがあります。というのは、今若い世代の皆さん方はとても真面目でおとなしくて、言うことはよく聞いてきちんとやってくれるけれども、それ以上のことをなかなかやろうとしない。いわゆる指示待ち型の人が多いのではないのかと、こういう評価があることです。

 が、先ほども言いましたように、県庁がそれぞれの分野で変わっていかなければいけない時に、指示待ちだけではなかなかこれからの県庁は時代に対応をした変化をしていけません。ということから言えば、皆さん方にはただ指示を待つだけではなく、それぞれの持ち場で何が問題かを考え、その問題を解決する方法を考え出して実行をする、そんな課題解決型の人材として、ぜひ育っていっていただきたいと思います。

 また、この会場の中には事務の方、技術の方、さまざまな専門性をもった職員の方がいらっしゃいます。専門性はもちろん大切ですし、その専門性もこれから磨いていっていただきたいと思います。が、これからはその専門性のカラ、枠だけに閉じこもるのではなくて、その枠を超えてもっと幅の広い視野を、また考え方をぜひ身につけていただきたいと思います。

 そんな意味で高知県庁ではこれまでも事務と技術の職員の方々の交流ということを積極的に進めてきましたし、この新年度からは保健婦さんの課長さんもその第一号が誕生をしました。これからますます、そういう職種の枠を超えた交流と仕事が盛んになっていく時代だと思います。ですから、皆さん方もご自分の専門性は専門性として、その枠だけに閉じこもらずに、県庁全体の仕事、県政全体ということをいつも見て、ご自分の仕事を進めるようになっていただけたらと思います。

 その高知県庁は、今年度、この平成15年度からの中期的な計画として南海地震に備えるなど、4つの項目を重点課題として掲げています。そのなかで雇用の確保、経済産業の育成ということをあげていますが、冒頭にも言いましたように、経済が大変低迷をしています。

 そんな中では、県民の皆さんの生活基盤を支えるというのは県庁全体の大きな仕事ですので、福祉であれ、教育であれ、医療であれ、また公共事業であれ、どういう分野の担当をしている方々にも、ぜひこの雇用の場の確保ということは頭の片隅に県の大切な仕事としておいていただきたいと思います。

 最初に自然体であまり肩に力を入れずにと言いながら、いつもの癖でお説教っぽい話になってしまいましたけれども、世の中本当に不景気な、景気が悪いなという思いを新たにするようなことが一杯あります。

 が、そんな中で最近高知ではちょっぴり楽しい嬉しい話題がありました。それはなにかと言いますと、ルイ・ヴィトンが全国に3店しかない直営店を、名古屋と東京の表参道に続いてこの高知にオープンをしたという話題です。もちろんルイ・ヴィトンジャパンの社長が高知のご出身だということもその理由のひとつだとは思います。

 しかし、これだけの世界的な企業が、ただ単に社長の故郷だと言ってそこに店を開くほど甘い時代ではありません。そこにはやはり高知の特性というものを考えた、また高速道路など一定のネットワークができた中での高知の地理的な条件というものを考えた、今後の全国展開の経営戦略があるものだと思います。

 では、その高知の特性は何だろうと考えてみますと、いろんな言い方ができると思いますが、進取の気性があると言うか、新しいものが好きで新しいことに挑戦していくというのはひとつの大きな高知県の特徴ではないかと思います。

 実はこのルイ・ヴィトンの店の開く前日に、ルイ・ヴィトンジャパンの社長さんとお話をしていたら、ルイ・ヴィトンの商品を初めて買った日本人は高知県人だったというお話をうかがいました。それは誰かといいますと、明治維新から明治政府の時代に大政奉還の運動だとか民選議員の設立の建白書などで有名な後藤象二郎という人です。

 後藤象二郎は、明治15年の暮れ近くに板垣退助らと一緒に横浜を出港して船で50日あまりかけてマルセイユに着きました。そしてマルセイユからパリに行って、明治16年の1月にシャンゼリゼの近くのルイ・ヴィトンの店で旅行鞄を買ったという記録がルイ・ヴィトンの顧客の名簿の中にあるそうです。

 その話を聞いて、さすがに新しもの好きの土佐人だなという思いを新たにしましたけれども、そのように高知の人は新しいことに次々と挑戦をする、それだけ変革の時代を切り開いてきた、そういう人材を多く輩出をしたということも言えると思います。

 これから高知県庁も多くの面で変わっていかなければいけません。ぜひ皆さん方には先ほど言った県民の目線、これまでの当たり前の感覚というものを大切に伸ばして、その力で高知県庁を変えていく人材になっていただけたらと思います。

 最後になりますけれども、改めて皆様のご入庁を心からお喜びを申し上げますとともに、今後の皆さん方のご活躍を心から祈ってご挨拶とします。
 おめでとうございます。頑張って下さい。

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