橋本大二郎・高知県知事インタビュー「土佐の教育改革」について

公開日 2007年12月08日

更新日 2014年03月16日

橋本大二郎・高知県知事インタビュー「土佐の教育改革」について

平成15年5月14日(東京都千代田区霞ヶ関 高知県東京事務所)

聞き手:日本教育学会「教育改革の総合的な研究」事務局長 乾彰夫・都立大教授

(テープ起こし:小泉眞紅、構成:豊田充・元朝日新聞記者)


 ◆知事1期目は暗中模索
 ◆教師に変わってもらう改革が必要
 ◆恩師の話から「授業評価」と「長期社会体験研修」
 ◆「考える会」のアイデア
 ◆現実に即した議論が現場から
 ◆第2期・改革方針の「学力」の意味
 ◆子どもの感性が育つように
 ◆県民と行政の「ずれ」
 ◆あまり抵抗なかった
 ◆第2期の方針は現場から
 ◆数値的な成果をめざさない
 ◆子ども、保護者の評価が伝わってない
 

――前もって差し上げた手紙のように、私ども日本教育学会は全国の教育改革の状況について調査していますが、高知県の改革がたいへん注目すべき点が多いということで、何度か高知にもおうかがいして調査してきました。最終まとめにあたって、やはり知事が重要な役割を果たされてることもわかりまして、ぜひ直接、お話をうかがえれば、ということで、日程的な無理をお願いしたわけで、お忙しいところ、ありがとうございます。

(知事)
 とんでもございません。
 

――それで、私どもは高知県以外の改革も見てきていますが、その中でも、高知県については、「開かれた学校づくり」などを中心にして、県民参加の取り組みをめざした中で、非常にいろんな方々が教育や教育改革に積極的になられている。その意味では、非常に成功してるのではないだろうか、と私どもは見ております。

 教育の問題は、やっぱりヒトの問題ですので、いろんな方たちが、子どもたちも含めて、そういう意欲をもって、あるいは、いろんな方たちが共同してやれる関係がつくられていくのが、教育改革については非常に重要なことじゃないか、と感じておりまして、そういう点がなぜ、高知でうまくできたのだろうか、ということを中心に、お話をうかがいたいと思います。

 質問内容として、4点ほどございます。1つは、知事として2期目で、この改革に取り組まれた、その背景といった点。
それから2つ目が、とくに「土佐の教育改革を考える会」を設置されましたけれども、これについて、どんなお考えで、あるいは、どんなアイデアの中で出てきたのか。

 3点目に、教育改革・第1期の改革方針について、これは知事の2期目の選挙の公約に掲げたことも非常に重要だったと思いますが、公約には必ずしもなかったような課題が、とくに「開かれた学校づくり」などが加わって、ある意味で公約より豊かになってると思えます。

 そのへんのところ、知事ご自身は最初にお考えになったことを超えて、第1期の「考える会」が実際に進行している中で、そういう展開になったことについて、どうご覧になられていましたか、ということ。

 あと4点目が、改革の第2期に――昨年度からですね――入って、第1期から少し違いが出てきた面もあると思いますけれども、知事はどうお考えになられておられるのか。以上の4点を、おうかがいできれば、と思っています。

 1点目について若干、補足いたしますと、知事は1期目の任期中、県民の中に学校や教育についての不満が非常に強いと感じられて、これを(知事2期目の)公約のトップに掲げられた、とおっしゃってられますけれども、同時に、知事ご自身の目から見て、教育行政について、どういうお考えだったのか。

 とくに1期目から、知事部局などの行政改革については、先頭に立っていろんな形で取り組まれたと思いますけれども、それと比べたときに、教育行政について、お感じになられてたことがあれば、おうかがいしたいと思います。

 とくに1期目では、県教育長を自治省(当時)から迎えて、ほかの行政と比べると、教育行政はあまり大きくは変わらなかった、と聞いておりますが、そのことも含めて、どうだったのでしょうか。
 

◆知事1期目は暗中模索
(知事)
 知事1期目は教育に対して、もちろん関心がなかったわけではないんですけれども、まあ、それよりも、知事部局の意識改革だとか、そういうことに時間をとられて、教育改革ということを基本のところから、または、技術的にというか、ノウハウ的にどういうことをやっていったらいいか、といったことを考える余地がありませんでした。

 本県の場合には、勤評闘争以来の対立というものが根強く残っておりまして、教育委員会の側もとにかく対立の構造の中で、自ら殻の中に入ってガードをしてしまうところが強くあって、その殻をどう破っていったらいいのか、という手法もですね、ただ知事が言っただけでは、直接の権限者でもございませんので、難しいなということで、暗中模索しておりました。

 で、(知事1期目に県教育長を)自治省から(招いた)というのも、従来は県庁の職員がやっていたわけですけれども、そのままでは対立の構図に少しでも風穴を開けることが難しいと思いましたし、かといって、そもそも勤評闘争をもとに対立の構図があるところに、文部省、いまの文部科学省の方に来られたら、なお対立の構図になることも目に見えているなという思いで、自治省の――当時のですね――方に来ていただいたという経過があります。

 ですが、自分で一定の考え方を持って、また、自分なりの強い主張として、教育改革ということをまだ掲げておりませんでしたので、従来の枠組みというか、流れの中から、なかなか脱しきれなかった、という点はあります。

◆教師に変わってもらう改革が必要
 ただ、自分自身、いろんなことに関心を持ち、たとえば高知市内で荒れているといわれた中学校の生徒たちと会って、いろんな話をしたりして、そういう子どもたちもいろいろおもしろいことを考えてるし、言うなあ、と実感したことがあります。

 たとえば、髪が私には茶髪に見えた子がおりました。「髪、染めてるのか」と言ったら、「いや、染めてない、脱色してるんだ」と。「染めたら、校則に触れるけれども、脱色してるからいいだろう」と言ってですね。そういう理屈なり反骨精神なりに、やっぱりおもしろいものがあるなと思って。

 そのほか、そういう仲間の子どもたちと話す中で、学校に行ってる子も、そう行かない子、また行って暴れる子、そういうことを含めて考えていかなきゃいけないときだな、ということを、それは一例なんですけど、いくつかの事例の中で感じました。

 で、2期目にというときにですね、先ほどお話がありましたように、県内あちこち出かけて、いろんな方々と話をするときに、やっぱり教育に対する不満とか要望って、非常に強いものがありました。ハード面でいえば「道路をつくってくれ」なんですけれども、ソフト面ではやっぱり圧倒的に教育でした。

 ただ、それは呉越同舟というかですね、さまざまで、本県の場合には「私高公低」といわれ、私立の3校が非常に学力的にも抜きんでいて、公立が弱いと。しかも、その私立が中学校の段階からでございますから、小学校までは平均的な形であっても、リーダー的な子どもが中学で私立に抜けるので、公立の中学校でクラス編成すると、クラスのリーダー格もいなくなる。学力の面だけではなくて、そういうクラスの組織運営ということからも難しい、というふうな、いろんな事情がございました。

 そういう中で、やっぱり公立の学力をもっと上げてほしいという方もおられますし、一方で、そうではなくて、高知の自然が多いとか、そういうよさを使って、もっともっと、のんびりというか、ゆとりをもってできるような教育をしてほしいという方々まで、千差万別、呉越同舟ではございましたけど、とにかく教育を何とかしてほしい、と。

 その中でやっぱり、教師に対する不満が、どういう立場の方からも強く出ました。それは教師の資質とかですね、教える力とかいうことでございます。そこで、やはり教師に変わってもらうという意味での教育改革は、どうしても必要ではないかと感じて、(2期目の知事選で)教育改革ということを言いました。

 ただ、そういう幅広い取材をしたからといって、具体的な項目が立てられるわけではございませんので、公約に掲げるにあたっては、やっぱり自分が子どものころ教わって、信頼していた、また尊敬していた先生に話を聞いて、そういう先生の話を基に、公約を立てました。

◆恩師の話から「授業評価」と「長期社会体験研修」
 いくつかのものにも書いたことがございますけれども、教える力というのがね、学校の教員の教える力はなかなか推し量れない、ということの中に隠れてしまう。だけど、自分たちでいろいろ工夫をすれば、教える力だって量れるよ、と。

 その先生が言ったのは「自分は1学期の中で、単元の中で教えるもの、それぞれの項目で、子どもたちの解答の中の正しい答え、正答の率が85%以上あったら、自分の教えた方が正しかったっていうか、フィットしてたと。

 85%を切れば、これはやっぱり教え方にどこか問題があったら、もう少しわからせるためにもう一度工夫することをやってた」という話をして、そういうことから、授業評価というものを、それは人事評価とは関係なく、子どもたちにわかってもらうということが一番大切なことだから、

子どもたちがわかってるのかわからないのか、またわかりにくいのかと、そういうことぐらい聞いてみたらどうか、と。それはやっぱり教員が、それぞれ自分たち(の教え方)がそんなにわかりにくいのかということを感じる過程にしたらどうか、ということですね。

 それから、その先生の経験からも、ほかの会社に勤めてて途中から来られた方とかが、やっぱりまったく違う意見を、職員会議なんかでも……。わかりやすい言い方をすれば、活性化をしたというかですね、非常に新しい流れをつくってくれたと。

 だから、学校の先生っていうのは、小学校から大学まで学校にいて、大学出た途端また学校に入ってという、学校社会だけで生きていくから、やっぱり違う社会を経験させることが絶対に必要じゃないかな、と考えて、そういうところから長期社会体験研修という提案を出しました。

◆「考える会」のアイデア
 ただ、実際に進めるときには、それこそ勤評闘争以来の対立がありましたから、それを乗り越えて、みんなでいっしょにやっていこうという雰囲気をつくることが必要になります。

 先ほど高知の場合には、地域と学校と保護者という形が、みんながなんかしようという機運が出ている、というお話をうかがいましたが、その裏を返せば、それだけ対立が激しいものがあったので、それを乗り越えて、みんなの共通点を見つけるということが必要だと。

 やっぱり子どもたちのことを考えてやっていきましょう、ということを前提にすれば、教員の給与だとか身分だとかとは関係なく論議していける部分だから、そこらへんから入りましょうとやったことが、みんなで何かやろうということにつながったと思います。

 その手段として、当時の副知事(山本卓=たかし=氏)がアイデアとして言ったんですけれども、やっぱり国の臨教審じゃないが、これだけいろんな対立があったんだから、教職員の団体も5つございますけれども、

そういうもの、それから県議会はもちろん、PTAももちろん、一般の方ももちろん、学識経験者はもちろん、少し人数が多くても、集まって議論をして、そこから共通認識として出てきたものをやっていくことにしたらどうですか、と言われて、それで「土佐の教育改革を考える会」がスタートいたしました。

◆現実に即した議論が現場から
 やはり同じ場で、それまで対立していた人が、同じ議論の場に座ることそのものが初めてでしたから、そういう意味では、どちらの立場の人からも「ようやく、こういう場ができたね」と評価する声が出てきましたし、そういう評価の声を踏まえて、なかなか噛み合ったいい議論ができたんじゃないかと思っています。

 そこから様々なアイデアというか、臨時教員のことだとかですね、それから飛び複式をどう解消するかとかいうような、現実に則した議論も出ましたので、自分が、自分の母校の小学校やなんかの教師と話をして出てきたこと以上のものが、現場レベルから出て、ふくらみが出てきたということであろうと思います。

 地域との関わりという話もですね、開かれた学校づくりやなんかのことも、これまでの学校というのは、関係があったとしても、子どもを学校に通わしてる親との関わりを通じてのもので、それ以上のものになってないと。

 だけど、やっぱりこれからは、学校に自分の子どもが通ってるか通ってないかにかかわらず、地域の人たちにも学校に関心をもってもらう、また学校の側も親に対してだけじゃなくて、地域ともいっしょにやっていくことによって、少子化で子どもの数も少なくなってる中で、学校の力をみんなで支え合って強くしていけるんじゃないかということから、開かれた学校づくりだとか、地域の指導主事というアイデアが出てですね、それをやってきたという経過があります。

 何事もそうですけれども、形だけ済ましていくという面も、まだまだ数多くあると思いますが、その中でやる気をもってやっていただいて、開かれた学校づくりなんかで具体的な取り組みがいくつも出てきましたし、奈半利中学校の例ですとか、従来でいえば民主的なというか、子どもも参加して、学校づくり、地域づくりをしていくということの芽が、ずいぶん育ってきたんではないかな、と思ってます。

◆第2期・改革方針の「学力」の意味
 で、第2期ということですけれども、やはり最初のいろんなご要望の呉越同舟、千差万別の中でも、やっぱり学力ということはですね、単にいい大学に入るということではなくて、やっぱり全体のレベルを上げていくということは、その子どもたちの将来の選択肢を考える意味でも絶対必要なことだし、

公立と私立がそういう意味であまり差別感なく、対等にやっていくところから、いい形での競争というのか、切磋琢磨(せっさたくま)が生まれるんではないか。そういう意味では、やっぱり学力というものを、もう少しきちっとやっていくことも必要だね、と。

 最初から学力で入ると、競争型の学力で、なんかいいとこだけつくってということになるので、そこは開かれた学校づくりとかですね、教員の資質の向上ということに5年間、取り組んできたことには価値があったと思うんです。で、それを基に、やっぱり学力ということ、教える力ということにもう一度、着目をしてやっていくことが必要ではないかということに、第2期で力を入れております。

◆子どもの感性が育つように
 あと、教育改革そのものよりはですね、少し幅が広がりますけれども、生まれたときから学校に上がるまで、また学校に上がって3年生になる10歳ぐらいまでの間に、人間の自我が育ってくるといわれます。

 子どもの教育といって、中学校だ高校だでですね、昔でいえば二宮尊徳、倫理だどうだということを座学で聞いて、理解をしても、なかなか行動とか感性というものにはつながってこないんじゃないか。

 ということからいえば、そういう幼児期のうちから、自然の体験でも芸術の体験でも文化体験でもスポーツでもですね、いろんな体験などを通じて、そういう感性とか感受性とか、創造力、クリエイティビティをですね、養っていくことが必要ではないのか、ということをもって、こども課というのを、平成10年(98年)でしたか、つくって、なかなかうまくいかないところもあって、今年度からはこども課を一部、教育委員会に移してるんですけれども。

 なんとか、生まれたてのお子さんからずっと学校までつながっていくような感性というものをつくり、そして、それが学校教育の中での教育改革につながる――まあ、理想の話をしてるので、なかなかそうは簡単にいきませんけど――ものをつくっていければな、と思っております。

◆県民と行政の「ずれ」
――もう少し補足的におうかがいしますが、1つは従来の教育行政について、例えば、私どもは吉良(正人・前教育長)さんからもお話をおうかがいしてるのですが、吉良さんが「自分もずっと役人をやってたけれども、教育委員会に行ってみたら、あまりに、なんていうんでしょう、文化が違うので、非常にびっくりした」とおっしゃってまして。

 知事の場合は、民間からなられたので、そういうところはちょっと違うかもしれませんけれど、それまでの教育行政が、一方では知事部局から離れてることと、旧文部省との関係が非常に強いことがあって、独特の性格があったといわれてます。そのへんについては、どうお感じになられていた、あるいは、考えておられたでしょうか。
 

(知事)
 まあ、ぼく自身が教育委員会の中で仕事をしているわけではございませんので、肌合いで実感で語ることはできませんけれども、はた目で見ている限りですね、やっぱり一般の県庁職員、公務員も、意識という点で、通常の国民、県民からすると、少しやっぱりずれているところは当然あろうと思います。「ずれてる」というのは、いい意味での違いもありますけれども、やっぱり感覚的なずれというのもあろうと思います。

 教員、とくに指導主事という形で委員会に入って、一定の構成メンバーをつくっている方々は、やっぱり相当なずれがあるんではないか、――これは感覚で申し上げてるので、たいへん失礼な言い方ですけど――ということを思います。

 吉良さんともそういう話をしましたし、いまの大崎(博澄)教育長とも話をしますが、やっぱり大崎氏もですね、ずいぶんまだまだずれがあるし、彼の言葉を借りれば、県立高校の校長会の中で、自分を支持してくれてるのは数人じゃないかと。ほとんどの人から自分は煙たがられている、という話をしておりましてですね。
 

――なんか、一般の先生方からは結構、大崎教育長は人気高いみたいですね。

(知事)
 ええ、ええ。だから、管理職からは、なかなか……。要は、管理職イコールといっちゃいけませんけど、やっぱりそういう方々、指導主事として教育委員会やなんかにいた方が、指導的な立場として校長会を引っ張ってっている、という伝統と歴史は変わっておりませんので、そういう方々から見ると、まだまだ、そこにずれがある。向こうから見ても、ずれがあるだろうし、こちらからというか、私や大崎氏から見ても、ずれがあるというのは現状だと思いますね。

 だから、もう少しそこらへんの殻を破っていただければ、学校はずいぶん変わってくるんではないかな、と。よく言われる民間校長のことも、そのまま全部プラスになるとは、とても思えません。

 でも、何かやっぱり外の血を入れない限りはですね、変わっていかない面も根強く残ってるんではないかと思う。とくに、そういう管理職の立場の教員の人たちの資質というか、パターンを変えていくことが、一方では必要だなとは、ずっと感じ続けております。

◆あまり抵抗なかった
――「土佐の教育改革を考える会」のことですが、山本・元副知事のアイデアっていうのは、たしか知事が書かれた本の中にもありましたけれど、これは(2期目の知事)選挙が終わってからですか。

(知事)
 選挙が終わってですね、公約にこれを掲げたから、それを第一に取り上げなきゃいけないと。だけど、まさに対立の構図も残ったままで、一方的に役所で何か政策を書いていっても、なかなか現場になじむものではないだろう。

 ということからいえば、せっかく知事がそういう旗を掲げて、選挙を勝ち抜いた機会に、まず、みんながとにかくテーブルに就いて話をするところから始めてみたらどうだろう、と言われてですね。これはもう、当選して間もないときです。

 ぼくの選挙はだいたい11月から12月ですので、それが終わって、つまりは4月の新年度から、(平成)7年が選挙でしたから、8年(96年)の新年度からやって、そして9年度の予算に乗せられるようにしましょう、という話を、もう選挙後すぐ受けました。
 

――「考える会」を開いたのがたいへん画期的で、(「土佐の教育改革」が)うまくいく一番のきっかけだったろう、と思ってるのですが、でも、それまでのやり方を大きく変えようとしたことでの抵抗っていいますか、たとえば、(「考える会」の参加メンバーが)議会の各会派お1人ずつなんていうのも、慣行とはずいぶん違うやり方だったとうかがったのですが、そのへんは、あまり抵抗なかったのでしょうか。

(知事)
 そうですね、全然、別の要因ですけれども、自分が知事になるまでは、(歴代の知事は)自由民主党の推薦を受けられた方で、完全に共産党とは対立の関係にありました。わかりやすい政党名でいえばの話ですが、たとえば議会での質問でも、自民党の方の質問に対してはていねいにお答えをし、共産党であれば短めにお答えをするという形でした。

 私が知事になってからは、(議案に)賛成する反対するっていうことは別にして、どういう党のご質問に対しても、同じようなウエートでお答えをしていくようにしましたし、たとえば地労委の委員の中に、共産党寄りの組合の人を入れたりして、

まあ、連合ともめたりはしましたけれども、そういうことをずっと続けてきておりましたので、いろんな政党、いろんな考え方の団体の人と、公平にというか、機会均等におつきあいをし、お話を聞いて議論をしていくということは、この知事がやってる限りはしょうがないな、という思いが皆さんにはあったんじゃないかと。

 でも、その分ですね、別に共産党だけに偏るとか、公明党だけに偏るとか、それから社民、民主、自民だけに偏るということも、逆にないということは、皆さん、ご理解をしていただいていましたので、こうした形で各会派から出ていただくということにも……。

 自分がご連絡をしてですね、こういうのをやりますんで出ていただけませんか、という話をしたわけじゃないので、そういう場でどんなお声があったかはわかりませんけれども、(「考える会」の)スタートまでに、私のところに「これじゃ納得できない」とかいうようなことは、まったくございませんでした。

◆第2期の方針は現場から
 ――もう1点、先ほどのお話をうかがっていて、第1期のときには、とにかく対立していた、意見が違った人たちがいて、子どものことでといっしょに、ということで。それで第2期では、その中でも「学力」の問題を、というふうに。このへんは、かなり第1期の最初のころから、そういうお考えがあったのでしょうか。

(知事)
 それはもう、全然なかったです。第2期(の改革の方針)はですね、基本的に教育長としての大崎さんの、教育委員会の中での議論と方向性から出てきておりますので。

 というのは、やっぱり実感として、教育改革としていろいろと取り組んだことが、どこまで根を張ってるのかは、ぼくにはわかりませんので、それを基に何が足りないか、何を押せばさらにプラスの面が伸びていくかということは、やっぱり教育長に任さざるを得ないというか、任すべきことだと思いますので。

 第2期に関しては、もちろんディスカッションはしましたけれども、基本的には大崎さんをはじめ、教育委員会としての考え方を反映したものでございます。ですから、第1期を始める段階から、第1期の4?5年はこういうことでいき、次(の第2期)はこうだ、というような考え方があったわけではありません。

◆数値的な成果をめざさない
――これも知事としてお答えしづらいかもしれないが、第1期の評価に関して、教育委員会などで出されたのでは、いろんな形で画期的なことはできたけれども、県民の目に見えるような成果が上がってないというような、そういう総括がされていましたけれど、そのへんについて、どういうふうにお感じになるか。

 といいますのは、私どもの目から見ると、たとえば学力で、CRT(到達度テスト)の数値が上がったかどうかとか、そういうところでいうと、非常に微妙なところがあると思いますし、教育委員会などでやられたいろんなアンケート調査などでも、県民全体での評価に、微妙さがあったと思います。他方、保護者や子どもたちの評価では、ずいぶん上がってる部分が多いことを感じました。

 総合的に見ると、保護者にしても子どもにしても、発言する機会がかつては、あまりなかったという背景があり、そういうところでは評価が非常に上がってるということは、すごく重要なんじゃないか。

 また、教育行政もずいぶん開かれてきて、実際に保護者、PTAの方たちの話も何人かうかがったのですが、たとえば「考える会」だとか、あるいは教員研修などにPTAの方たちが出たことで、さらに活動が積極的になっていく方たちが多い、といったことは、もっと高く評価されてよかったのではないか、と思いました。

(知事)
 私も乾さんと同じように思いますし、たぶん教育長も教育委員会も本音では、そう評価をしてるだろうと思います。ただやっぱり、自ら県民向けにですね、「やりました」というと、それこそ議会などで、「それじゃあ、数値的に何が変わったんだ」といわれて、

 その説明が面倒くさいっていうことが、たぶんあるんではないかと思います。それよりはやはり、少し反省気味にですね、謙遜して言ったほうが、いろんなご批判を……ご批判を受けないっていうのは、ちょっと語弊がありますけれども……そういう突っ込まれ方をせずに次に進んでいける、という本音のところがあるのではないかと思います。

 私自身も「数字で示せ」といわれて、学力の数値的なものとか、そういうものが上がっていくことをめざしたのでは、教育改革の本筋が外れてしまいますので、もちろん教育長はそういうタイプの人ではありませんから、そこは大丈夫だとは思っております。

 で、そのことからいえば、やっぱり開かれた学校づくりのような形で、より平たくいえば民主的に、また幅広くいろんな意見を聞きながら、子どもの声も反映をされながら、やっていけるような仕組みができたということは、それだけでも大きな変化だと思いますし、それから、教員の方々の理解とか意識というのも、じわじわと高まってきてると思います。 

 以前の「やらされてる」という感覚から、「やっぱり何か自分たちでやっていかなきゃいけないね」という感じには、明らかに、トレンドとしては上がってきておりますので、そういうことは大きな変化ですから、私は評価をすべきことだと思いますが、自分たちで声を上げてやってきたことを、そういうわずかなというかですね、トレンドとしての意識変化で「やった、やった」とはなかなか言えませんので、自ら評価をすれば、そういうことになっていこうかと思うんですけれども。

◆子ども、保護者の評価が伝わってない
――私どもが県教委がやられた各種の調査、とくに県民の教育世論調査を拝見して感じたのは、県民の方たちに直接、「学校が開かれてきたと感じるかどうか」と聞かれているんですけども、そのとき同時に、たとえば「保護者の方たちや子どもたちはこういうふうに、いまの学校を評価するようになってきてるけれど、そのことも含めて、県民の方たちはどうお考えでしょうか」というような聞き方があってもよかったんじゃない、と。

(知事)
 もう1ランク……。そうかもしれませんね。

――直接、学校に関係がない方たちに、そういう材料なしに、学校が変わったかどうかって聞いても……。

(知事)
 それはわからないですよね。その場合には、やっぱり毎日見てるテレビか新聞かの感覚でしか、反応できなくなるという部分があろうと思いますね。
 

――ご多忙な時間を割き、率直なお話を、ありがとうございました。
私どもはこの夏に、きょううかがったお話も含め、調査報告をまとめて、教育学会で発表し、その報告書を県教育委員会などにもお届けしたいと思っています。

(知事)
 はい、よろしくお願いいたします。
 


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