第5回高知県ユニバーサルデザインシンポジウム

公開日 2007年12月08日

更新日 2014年03月16日

第5回高知県ユニバーサルデザインシンポジウム−これからの都市と観光−

平成16年1月16日(金曜日)13時00分から16時30分(高知新阪急ホテル 3F花の間)


ユニバーサルデザイン時代における都市居住と都市観光の視点から、21世紀に求められる都市像を模索する。 
  

基調講演 「ユニバーサルデザインのまちづくり」 
 ・木村尚三郎(東京大学名誉教授) 
   
パネルディスカッション(パネラー:五十音順) 
 ・岡崎誠也(高知市長) 
 ・片岡朝美(NPO法人さわやか高知会長)
 ・笹岡和泉(やさしいまち工房代表) 
 ・橋本大二郎(高知県知事) 
 ・広末雅士((株)広末金物店勤務) 
<コーディネータ>
 ・谷本信((財)高知県政策総合研究所 理事・研究部長) 

総括コメント 
 ・森地茂(東京大学大学院工学研究科教授) 




(財)高知県政策総合研究所
 (財)高知県政策総合研究所ほかの主催により、平成16年1月16日に高知市で第5回高知県ユニバーサルデザインシンポジウム「これからの都市と観光」が開催されました。
 当日は、約250名の皆さまの参加のもとに、東京大学名誉教授の木村尚三郎先生の基調講演、橋本大二郎高知県知事ほかによるパネルディカッション、東京大学大学院工学系研究科教授の森地茂先生の総括コメントなどで、これからの高知の都市づくりや観光振興について、熱心な意見交換が行われました。
その概要を紹介いたします。
 なお、シンポジウムの内容については、(財)高知県政策総合研究所のホームページで、音声や画像も含めて詳しく紹介しています。 
 

基調講演
 ユニバーサルデザイン時代における都市観光−住んでよし、訪れてよしのまちづくり−
 講師:木村尚三郎(東京大学名誉教授)

 ・生活者の視点でのまち歩きが旅の醍醐味に
 ・全身に大きな喜びを与えてくれる工業製品がなくなった
 ・江戸時代も、不安に突き動かされて人は旅に出た
 ・「人と人」「人と自然」「人と歴史」がキーワード
 ・不安の時代だからこそ「お祭り」で連帯感を
 ・浴衣、独楽、能面日本文化を観光資源に
 ・手軽なお土産になる絵葉書が求めづらい
 ・全体として美しい輝きを放つステンドグラスのように
 ・ユニバーサルデザインが実現されれば魅力的な都市になる
 ・観光ボランティアや海外で働くシニアボランティアが増えている
 ・美しい山や海を観光資源として活用する
 

生活者の視点でのまち歩きが旅の醍醐味に

 本日は互いに密接に関係し合う「都市」、「観光」、「ユニバーサルデザイン」を軸に、三題噺のようなお話をさせていただきます。
 昨年1月に小泉総理の肝いりで創設された「観光立国懇談会」には、3カ月間毎回総理も出席されました。4月に刊行された報告書の副題は、「住んでよし、訪れてよしのまちづくり」。これは本日のテーマでもございます。

 今日、住民と観光客を分けるのはきわめてむずかしい。住民も旅人であることを求めるし、その逆もまたしかり。なぜ住民が旅人かと申しますと、散歩が全世界的に流行っていることを見ても明らかです。

 散歩の時は、寄り道するわけですから、普段見えなかったものが見えてくる。「いろんな草花が咲いている、もうこんな季節になったかな」とか、あるいは思いもかけないいいデザインの家があったりして、「ああ、いい家だな、自分もこういう家、いつか建ててみたいな、いくらぐらいするかな」とか、「庭に咲いている花はきれいな花だな、うちも咲かせてみたいな。

 何という花かうちへ帰って図鑑で調べて見よう」とかですね。散歩というぶらぶら歩きが、今、自分のうちのそばでも行なわれているし、旅先でも行なわれている。それが現代です。

 一昔前までの新婚旅行は、女性は白い帽子をかぶって白いスーツでしたが、今はほとんどそんな服装はみられない。みんな汚い恰好をして、新婚旅行に行くケースが圧倒的だと思います。

 何であんな汚い恰好になったかと言えば、まさに普段着だからです。普段着でパリのまちをぶらつきたい。その土地の住民と同じ感覚で歩きたい。そういうことです。そうすると、パン屋さんから、いい匂いがしてくるんですね。「おいしそうだな、ひとつ買って食べてみよう」「買って食べてみると、日本のパンもおいしいがこっちのパンは一味違う」。これが、今の旅の楽しさです。

 歩きながらその土地の暮らし、知恵とか楽しさを味わいたい。自分のうちでそうであるように、たとえ半日でもその土地の生活者になりたい。グアムに行けば泳ぎたい、アラスカに行けば釣りをしたい、南フランスへ行けば草原に寝転がってみたいとか、その土地の暮らしをしたいわけです。住民のような感覚になりたい、生活感覚を楽しみたいわけです。ですから、旅先では生活者、また生活しているところでは旅人の感覚で自分のまち、あるいは地域を歩く、こういうことでして、旅人と生活者の区分がなくなりました。

 自分の家とまちとの心理的な境界もない。自分の家にゴミが欲しくないのと同じように、まちにもほしくない。自分の家に花が欲しいのと同じように、まちにもほしい。

 空間感覚、自分の空間と思っている感覚が、昔は自分の家の中だけに限られていたんですが、今、それがまち全体におよぼされており、これが環境問題とか、都市緑化の意識につながっているのです。昔は外にゴミが出ていても、「俺んちは関係ない」という気持ちだったのが、今はそうじゃなくなってきたわけです。人間が上等になったからなのかというと、そういうことではない。真剣に真面目にそうせざるを得ない状況があるということです。
 

全身に大きな喜びを与えてくれる工業製品がなくなった

 昔は、昔といっても、昭和30年代、40年代の高度成長期は、人のことなんか構っている暇はなかったわけです。自分はともかく、駆け上がってゆきたい。坂の上には白い雲がぽっかり浮かんでいて、それを見つめて、とにかく息弾ませて駆け上がっていく、上へ行けば必ずいいものがあると。

 これが明治以降、高度成長期までの私たちの生き方でした。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』は、まさに国民のそのような息弾ませて未来に駆け上がっていく、その気持ちをよく表しているわけです。

 未来に駆け上がるというのはどういうことかというと、まず働いてお金を儲けて、そのお金でもって、いい工業製品を買う。それによって幸せを得る。初めてマイカーを買った時の喜び、初めて、抗生物質を打たれて、肺炎、肺結核その他から開放された時の幸福感。

 初めてジェット機に乗る。初めて新幹線に乗る。初めてナイロン製品を買う。初めて電気冷蔵庫その他を手に入れる。全てが驚きです。それによって幸せが広がっていった。つまり、技術がどんどん進歩発展していったわけです。それとともに幸せが増した。

 技術とか工業製品を買うにはお金が要ります。お金を手に入れるためには働かなければならない。どこへ行ったら働けるかというと、東京がいい、あるいはニューヨークへ行く人もいる。働いてお金を儲けて、そのお金で新しい工業製品、新しい技術を買って幸せになる。この図式が大きくいうと約100年続いたわけです。それが、今パタッと止まってしまいました。

 高度成長期には「よさこい祭り」も何も忙しくてやってられない。「お祭りなんかいやだ」ということでした。このフレーズが戦後流行した「僕はないちっち」という歌に入っています。みんな、東京に行ってしまう、恋人も東京に行ってしまう。僕も東京に行こうかな。お祭りなんか嫌だよ、そんな言葉が入っていました。お祭りやっても儲かりませんから、それなら東京に行ったほうがいい。ところが今、お祭りは世界的に非常に盛んになっています。

 伝統的な祭りもそうですし、新しいイベントというかたちの祭りもそうです。2005年には愛知県で「愛・地球博」、愛知万博が行なわれます。祭りをやっても儲からない。それは昔と変わりませんが、でも今、地域の人々が、例えば御輿を担ぐ、あるいは一緒に踊る、それ自体が嬉しいわけです。

 1人ぼっちはさびしい、誰かと一緒にいたい、集いを楽しみたい。こういう気持ちが非常に強くなった。何でかというと、昔みたいに先が見えないからです。お金があっても幸せをもたらしてくれるような工業製品とか技術が今は買えなくなってしまったということです。

 全身に大きな驚きとか喜びとか幸せをもたらしてくれるような、新しい画期的な技術とか工業製品が、今ゼロになったんです。年末にボーナスをもらって新製品を買おうと思っても、今までのもので間に合うんじゃないかと、こうなるわけです。

 ITだけは別ですが。しかしITは残念ながら、首から上しか刺激しません。首から下は関係ない。人間の幸不幸というのは、全身から出てくるもので頭だけからは出てきません。

 「ITを駆使すれば情報がたくさん入る」とおっしゃるかもしれませんが、情報はたくさん入っても知恵はつきません。早い話が、イノブタの味噌漬がおいしいと思っていて食べていた人が、ある日インターネットを検索してみたら、日本のあちこちでイノブタの味噌漬を作っているのがわかった時、さしあたり出てくるのが不幸感です。

 「おや、俺の食っているもの以上においしいものがあるのか」と、クエスチョンマークが出てしまうわけです。インターネットじゃ味はわからない。ディスプレイを舐めてみても味はしません。肉が硬いか柔らかいかもわからないし、塩加減もわからない。皮膚感覚のない仮想の世界、まさにバーチャルの世界であって、本物じゃない。

 われわれが、平気でイラク戦争のニュースをテレビで見ていられるのは本物じゃないからです。本物だったら弾が飛んでくる。弾が飛んでこない戦争なんてありえない。いくらテレビの画面で戦争を見たって、それは戦争を見たことにはならないわけです。

 首から上だけが世界中駆け回っていますが、首から下がついていかない。じゃ、本当はどうなのかということで、首から下が動き出した。これが今の旅です。旅してみないと本当のことはわからない。ガイドブックを読んでも、ハイビジョンか何かで世界遺産をいくら見たって、実際行ってみないとわからない。
 

江戸時代も、不安に突き動かされて人は旅に出た

 まさに今、明日に生きるという時間観念が後退した分 、空間感覚が広がり出しているのです。先がよく見えない時、不安に突き動かされて人は旅に出る。
 四国八十八カ所めぐりがまた非常に盛んになってまいりましたが、そもそも盛んになった出発点は18世紀、19世紀の江戸中期・後期であります。この時も今と同じ、いや、今以上にもっと、不安が一杯の時代でありました。

 田畑が3000万人分しか米はとれないと決まってしまったのが18世紀初め、八大将軍吉宗の時です。ちょっと凶作になるとたちまち農民一揆が起きるし、間引きが行われる。都市では、米屋とか油屋を襲う。そのような騒ぎがあちこちで起こるようになった時代です。

 そういう不安な時に人は旅をする。物見遊山という要素もありますが、みんな不安ですから、同時に身体と心を救われたいという気持ちもあります。亭主に死なれたとか、子供を失ったとか、借金で首がまわらないとか、自分自身が病気でお医者様がさじをなげてしまったとか、そういう場合にですね、四国八十八カ所巡りに出るんです。

 弘法大師さんを頼りにして、杖を頼りにして、同行二人で旅に出る。満願成就すれば、全部旅をし終えれば、そこで生まれ変わるという発想は、今でもそうです。1回まわってみても、肩の重たい荷物がとれない。もう1回まわらなければいけないのかなと、ぽろっと涙を流す。これが、本当の八十八カ所めぐりです。

 歩くと気がまぎれるということもありますし、友達ができるということもあります。お札所でもって、一緒にお経を上げる、ご詠歌をうたう、次第次第に全く知らない人同士の声がだんだんそろってくる。声が合えば、心がつながる。これは昔から田植え歌もそうだし、子守唄もそうです。子守歌で、お母さんと赤ちゃんは心をひとつに結んでいました。

 今、子守唄なんかなくなって、黙って、お母さんが赤ちゃんにミルクをやっています。あれじゃ金魚に餌をやっているのと同じ。こうなると、お母さんと赤ちゃんとの心の結び合いというのは、ぷつんと切れてしまう。育児ノイローゼ、お母さんの育児負担感の増大というのは、まさに心の結び合いが切れてしまったことではないかと思います。

 声は人の心と心を結び合わせます。イスラム教徒がアザーンといいまして1日5回、お祈りを呼びかける言葉が教会の高い塔から聞こえてくるわけです。あの朗々たる声で、イスラム教徒は結ばれています。

 お経も昔、そうだったんです。お経を通して、亡くなった人と生きている人が心を通わせていたわけです。仏壇に点された蝋燭のオレンジ色の光に抵抗できる人はいません。皆、心が安らぎます。これは今も昔も同じです。洋の東西を問わず、蝋燭の火でありまして、あの本堂を蛍光灯か何かにしちゃうと、もう全然人は寄って来ないわけです。

 いい火に誘われて、亡くなった人の魂が戻ってきます。お線香に火を点けると、いい香りに誘われて、位牌に魂が寄るわけです。魂のよりしろと言われる位牌は、黒い漆で塗られており、金文字で書かれている。電気を消して、蝋燭の灯だけで見ますと、あの金文字、戒名が、ゆらいで見えるわけです。

 戻ってきた魂が、まさにそこで息づいているように見えるんです。昔、婆様は、それを見つめながら、爺様とお経を通して話をしていたはずです。極めて豊かな、まさに人間的空間なので、過去の人ともそうして話ができる。お経があるから。いい声のお経があるからです。

 まさに今のような寂しい時代に、声を出し合うことは非常に大事なことです。それにより、大きな安心感と喜びが生まれます。昔の人はよく考えたもので、お仏壇にはそのような、蝋燭のいい光と、お線香のいい香りと、お鈴のいい鐘の音と、そして今申しましたお経のいい声かあったわけです。

 全く新しいいい知恵というものは、なかなかありません。聖書にも、「天の下に新しきものなし」という言葉がありますが、まさに昔のいい知恵を掘り起こして今日に生かす、そういう時がやってまいりました。これを横文字ではルネッサンスと申します。
 

「人と人」「人と自然」「人と歴史」がキーワード

 14世紀、15世紀のイタリア、16世紀の西ヨーロッパでまずルネッサンスがあったわけです。その当時も、ペストが流行り、飢えが人々を苦しめ、そして戦争で町も村も荒れていました。全くお先真っ暗な時代だからこそ、人間の生き方を真剣に考える、昔のギリシャ、ローマの人たちの生き方を書いた本を一生懸命に学んだわけです。

 人間の生き方研究のことをヒューマニズムと申しますが、人間の生き方を研究する上で大事な本、お稽古に値する本を、クラシックと言ったわけです。クラシックというのは、クラスで一番上等な本、お稽古に値する本ということです。クラシック曲というのは、お稽古に値する音楽のことです。まさに今、また再び、稽古の時がきて、昔あったいいものを掘り起こして今日に生かす。まさにそのようなルネッサンス、セカンドルネッサンスの時が来ています。

 その意味では、高知県もそうですが、歴史が豊かなところは出番です。昔を振り返ると、必ず生かせることがたくさんあります。振り返れば未来が見える。こういう時がきたわけです。新しいもの、新しいものと求めてみても、そういうものは今、全世界的に見つからない。 

 どちらの方向に向って旅に出るかというと、こういう時代に人気があるのは、西と南です。何で東でないかというと、歳をとってみるとわかりますが、朝陽の方に向かって歩くのは目に痛いが、西陽を見ていると心が落ち着く。何かホッとする感じがあって、昔から西方浄土と、極楽はやはり西にあると決まっているわけです。

 アメリカも今、西を向いています。初めは「アジア太平洋の時代」といっていましたが、ユーラシア大陸に今、目をつけだした。そこに新しい活動拠点がほしいというのが、今度のイラク攻撃の本心だと思います。

 技術文明の成熟という状況の中で、経済的に一進一退が続いており、それとともに人が西へ動く。あるいは西とか南に関心をもつということでありまして、まさに高知の出番とこうなるわけです。うまくいけばですが。

 人が今大きく動き出した。動いてどうするか。そこで新しい人と人との出会いが欲しい。それと同時にその土地での古い人、つまり歴史との出会いも求められています。

 「人と人」、「人と自然」、そして「人と歴史」、この3つがお互いに仲よくなると、大きな安心があるんです。失敗した例であれ、成功した例であれ、安心します。「その時、歴史が動いた」、「プロジェクトX」なんていうNHK番組も、大変評判がいい。単に過去を過去としてやるんじゃなくて、そこにこれからの私たちの生き方を何となく探っているところがあるからです。

 もちろん「農村」だって仲よく生きられるわけですが、全世界的な大移動の時代に、移動する人たちがどこで交わるかというと、都市においてです。まさに今の先行き不透明な、技術文明の成熟した時代は、都市の時代となるわけです。人と人とが交流しあう接点。これが今、大きく浮かび上ってきています。

 今までは、国が都市をコントロール、支配しておりました。これからの時代は、都市の繁栄が国を支える。たくさん人が来る魅力のある都市、そのようなところには新しい繁栄が約束されます。人が来ないようなところは、この逆になる。

 昨年の観光立国懇談会においても、「日本は物価が高いから人が来ないという言い訳はもうやめよう」が、出発点でした。確かに今、日本は物価が高いどころか、ホテル等は先進国の中でも安い。私が商売にしているヨーロッパは、フランスなどはむちゃくちゃに高くなっています。

 日本の帝国ホテルの2倍、3倍の値段を平気でとります。ただ、とるだけでなくて、予約する時に、クレジットカートから予約金として、2日しか泊まらなくても3日分よこせ、お前が出発する時に精算して返すからとか、あるいは30%よこせとか、えらい強気です。

 何でそんなに強気かというと、今、フランスには年間7600万人の外国人観光客が訪れているからです。国民の数は5880万しかいないから、国民の数よりも外国人観光客のほうが多い。したがってあちこちのホテルはみな満杯で、売り手市場です。

 全世界的に今、どれくらいの人が動いているかというと、何と、7億弱の人が毎年外国旅行に出ております。7億弱というのは、地球の総人口は60億ですから、1割以上の人が毎年外国に出ているということになります。この数字が西暦2010年には10億になるでしょう。西暦2020年には16億に伸びるでしょう。「21世紀最大の産業は旅産業である」と、スペインのマドリッドに本部を置くWTO(世界観光機関)が明言しています。

 先ほど申しましたように、技術文明が成熟して、ものだけでは売れない、技術だけでは売れない、それだけでは豊かにならん。豊かになったとしても、幸せがやってこないということです。
 

不安の時代だからこそ「お祭り」で連帯感を
 

 この日本でも今、自殺する人が、1998年以来、ぐっと増えてきました。この方々はですね、決して高齢者でもなければ、あるいは生活困窮者でもない。40代、50代を中心とした、ちゃんと働いて、収入があって税金を納めている人たちが今、自ら命を絶つわけです。

 これまでの社会福祉の対象であった高齢者だとか、生活困窮者ではない人達ですね、一体何じゃこれはということで、「自殺防止有識者懇談会」というのが、昨年だか、一昨年、坂口厚生労働大臣のもとで私的諮問機関として開かれました。その時も私は座長にされておりました。

 お金だけあっても、幸せになれない。亡くなる人に共通していることが2つあります。ひとつは多かれ少なかれ、鬱病にかかっているということ。ただ鬱病というのは表面上よくわからない。食欲がないとか、何となく体がだるいとか、性的欲求がないとか、いろいろと身体の不調があって、それぞれ医者のところにいっているわけですが、その奥にある心の悩みに気が付かない。

 もうひとつは1人ぼっちということです。会社でも家庭でもケアがない。ケアがあったとしても本人が拒絶している場合もある。1人ぼっちの状況が今、いかに辛いかです。かつてはゴーイングマイウェイで、肩で風切って、ジョン・ウェインみたいに、西部の荒野に1人旅立っていく。家族と別れ、地域と別れて1人旅立っていく。こういうのが格好いいとされていたわけですが、今、1人ぼっちというのは限りなく寂しい。誰かと一緒にいたいのです。

 昔のように、お金を儲けて幸せになれるんだという共通目標があれば、会社でも、家族でも一致結束するわけです。しかし今、共通目標がありません。車メーカーも昔は、モータリゼーションの波に乗り、造れば売れた。

 ところが今はそうじゃない。技術文明の成熟の中で、本当に画期的な発明は出てこない。環境共生型の車といっても、あっと驚くような発想ではありません。一体何のために車を造って売るか。これはもう車メーカーが一番悩んでいることです。昔のように、ただ造って売ればいいという時代じゃなくなりました。技術が成熟して、大義名分が見えなくなったということです。

 今までみたいに一致結束ができない。会社でも、家庭でも、ばらばらになってしまう不安感が非常に強い。それを何とかしなくてはというので、家の中でも、ホームパーティーや誕生祝いを一生懸命やり、その地域の祭とか新しいイベントが花盛りなわけです。
 

浴衣、独楽、能面日本文化を観光資源に

 花火大会の時には、カラフルな浴衣を着た人で賑わいます。ところが、その浴衣を日本のホテルは認めない。土地それぞれの浴衣があって、その土地の浴衣でもって、歩いてもらえれば、ホテルもそんなに冷房の温度を下げなくてすむ。外国の人も、「ああ、日本に来てよかったな」と思うでしょう。

 1992年にイタリアのジェノバで、「国際船と海の博覧会」がありました。この時、日本は羊蹄丸という青函連絡船で使われていた船のエンジンをとって持って行ったわけです。

 海上に浮かぶ展示場に最初はイタリア側も、「海の上でやるなんて聞いたことない」と文句をいっていました。その時に、日本から持参した浴衣がうけた。コンパニオンのお嬢さんたちに大人気で、誰もが着たい。数が少ないので、日替わりでもって着て頂きました。あれは外国でも特に熱いところでは、絶対にうけます。あんなにカラフルで、モダンで、涼しいものはないわけです。何であれを日本のホテルは認めないのか。本当に不思議です。

 もうひとつ、不思議をいえば、日本から出ている国際線の中で、何でフランスの香水とかバッグばかり売っているのか。これも不思議です。日本発のものが売っていない。例えば扇子です。

 昨年のヨーロッパは暑かった。 南フランスのマルセイユあたりで35度ありました。私が行ったのは6月でしたから、8月はもっと暑かったようです。ともかく、扇子でパタパタやっていると、うらやましそうに見るわけです。扇子は絶対に売れます。

 ただ日本のちょっと渋い好みと、欧米の好みは違うのですが、花魁であれ、浮世絵であれ、合戦ものであれ、坂本龍馬であれ、何でもいいですけど、ともかく日本のデザインのものであれば売れます。ルイ・ヴィトンが、日本のデザイナーを使って、日本の家紋入りのバッグを売り出していこともその証左です。

 シュリーマンというギリシャのトロイ遺跡を発掘した人ですが、この人が幕末に日本に来ています。中国と日本の旅行記を書いているのですが、驚嘆しているのが日本の独楽(コマ)です。穴が空いてぴーぴー鳴るコマとか、日本刀の上を刃渡りするコマとか、綱の上、糸の上を渡るコマとか、いろんなコマ、100種類もあって、日本のおもちゃ製造の技術には、パリも、おもちゃ産業で有名なドイツのニュールンベルクも、とてもかなわない。この旅行記は、『シュリーマン旅行記清国・日本』(講談社学術文庫)で読めます。

 世界中にマスク(仮面)があって、お土産に買って帰れるのに、日本の能面だけは買えない。もちろん能舞台の能面は買えませんが、でも、つくってもらったらいいじゃないですか。静岡の引佐町には能面づくりを指導する先生がいて、全くの農村ですが、そこで百数十人が能面を作っています。能面は、軽くて、しかも日本のお土産にもいい。まさに日本文化そのものです。能面とかコマとか、そういうものはこれからの地域の魅力となりえます。
 

手軽なお土産になる絵葉書が求めづらい

 今日のテーマ、「住んでよし、訪れてよしのまちづくり」が、どうして出てきたかというと、物価高を日本に観光客が来ない理由にはすまいということです。これが出発点です。外国人観光客の数は、フランスは先ほど申しましたように第1位、第2位はスペインで、第3位はアメリカ、第4位はイタリア、第5位は中国です。この中国が近い将来、2010年には、観光大国ナンバーワンになるだろうとWTOは予想しています。

 フランスと中国、どこが似ているかというといずれも、安くておいしい土地なりの食べ物がある。それと安くていいお土産がある。この2つです。いい食べ物といいお土産は、全世界どこでアンケート調査しても、旅人の2大欲求です。旅をした思い出になにか買って帰りたい。皆そう思っているわけです。絵葉書などは、一番手軽です。

 日本にも絵葉書がないわけではありません。しかし、2つ問題があります。ヨーロッパですと駅や広場のキオスクに行けば必ず売っていますが、日本ではどこに行けば買えるのかわかりにくいこと。

 もうひとつは、日本は印刷が悪い。高度印刷技術をもっているはずなのに、絵葉書を馬鹿にしているせいだと思いますが、印刷技術がよくない。
さらに理由をあげれば、絵柄です。川とか水とか、そういう風景では魅力に乏しい。日本から年間1700万人、海外へ毎年々出ているわけです。そして、海外のいい景色を見てくるわけです。滝であれ、山であれ、何であれ、したがって山とか滝とか自然のものだけでは、面白くもおかしくもない。

 そこにもし、人間が写っていれば、例えば爺ちゃん婆ちゃんが、あるいは身体障害の方が、あるいは子どもたちが、そこに写っていれば、「ああ幸せいっぱいだ」、「行ってみたいな」という気になります。一番手軽なはずの絵葉書がない。私が勤めている静岡文化芸術大学は浜松にありますが、浜松駅前には1枚の絵葉書も、1枚の地図も売っていません。

 日本にどのくらい外国人観光客が来ているかというと、世界第35位、年間500万人ちょっとです。韓国は32位で、韓国よりも下です。観光小国も甚だしい。なぜ来ないか、物価が高いせいではなくて、魅力がないからだというのが、観光立国懇談会の私たちの共通認識でした。いかにしてまちの魅力を高めるか。交流の拠点であるまちの魅力をいかに高めるかが、最大の課題です。

 来年の「愛・地球博」のテーマは「自然の叡智」です。この「自然の叡智」というのは、ものすごく欧米人に評判が悪い。自然というのは人間より下だと思っているのが欧米人です。人間のほうが上で自然は人間に奉仕すべきである、人間は自然をこき使うべきであると、ずっとカトリック教会が教えてきたわけで、「自然の叡智を学べ」なんていうと、「猿の叡智を学ぶのか」と。こういう話になります。最近は猿の惑星なんていう映画もありますから、多少は知恵があるのかもわかりませんが。ともかく非常に評判がよくない。

 これでは具合が悪いというので、自然の叡智の隣に「地球大交流」という副題をつけさせていただきました。これは僕ら、総合プロデューサー3人でつけたものです。まさに地球大交流の時代が来て、博覧会をそのような大交流の機会にしたい。そこへ来ると知らない人同士でもお互いに友だちになりあえる。友達博にしたいというのが、最大の狙いです。

 月の石をみてびっくりする、びっくりはするがバラバラに帰っちゃうんじゃなくて、そこに来るとお互い友達になりあえる。そこに住んでいる人も、よそから来る人も、若い人も年寄りも、障害のある人も障害のない人も、皆そこで、お互いに仲よくなりあえる。それが狙いです。
 

全体として美しい輝きを放つステンドグラスのように
 

 パリの凱旋門の近く、バルザック通りにバルザックホテルがありますが、このホテルのレストラン「ピエール・ガニエール」は、今パリで最高に人気のレストランです。夜はとても高すぎて行けないので、昼行きました。昼間でも85ユーロでしたから、コースで1万円を少し出ます。ワインなんか入れてしまうとその倍の2万円くらい。夜だとまたその倍になってしまいます。

 その店で昼間の目玉コース、セットメニューを頂戴しました。何事も勉強です。出て来たのは、とにもかくにも、小物ばかり。ちょこ、ちょこ出てくるんですね。メインディッシュがない。フォアグラをのりで巻いたりして、不思議なものが、次々次々出てきます。確かに味は悪くないんですが、最後までそれです。いつのまにか、おなかが一杯になってしまう。明らかにこれは日本の懐石料理を学んだものです。

 主役がない、メインディッシュがない。今までのフルコースですと、まずオードブルにスープ、鼓笛隊みたいなものでありまして、その後、魚がきて、メインディッシュの肉がドーン、そして最後にチーズとかデザートとかが来る。軍隊行進が昔のフルコースですが、これがもう今、寂れつつあるんです。どこへ突進していいかわからない。

 結婚式等でずらっとナイフとフォークを並べるのは、もう昔の発想となるわけです。その都度、丁寧にナイフとフォークをひとつずつ出していく。あるいは、このナイフとフォークを横によけて、皿だけ変えていくというわけです。

 今の新しい食べ方、出し方というのは、これはヨーロッパでいえばステンドグラスと同じです。ステンドグラスの1枚1枚は、ハンパもの。大きいのあり、小さいのあり、不ぞろいです。しかし、それが組み合わさった時に、大変美しい、デザインになるわけです。

 パリの西南にあるシャルトル大聖堂には、13世紀の「いと麗しき絵ガラスのマリア」という有名なステンドグラスあります。これは傑作ですが、それを構成しているのは、ひとつひとつは不揃いの色ガラスにすぎません。お互いつなぎあわさって見事なデザインのものに仕上がるわけです。

 人間もそれぞれバラバラです。目のよくきく人もいれば、目の見えない人もいる。足の速い人もいれば足の動かない人もいる。さまざまな人がいます。それらが組み合わさって、全体として美しいステンドグラスの輝きをつくりだす。これがユニバーサルデザインだと私は確信しています。

 
ユニバーサルデザインが実現されれば魅力的な都市になる

 バリアフリーというのは、障害のある人のバリアをなくするために努力をすることですが、それ以外の人との関係性は考えていません。したがって、バリアフリーのトイレは一般の人には使いにくい。

 ところが、ユニバーサルデザインはいろんな人がともに助け合う、共助の社会をつくろうというものです。役に立たない人はいない。これがユニバーサルデザインの根底にある発想です。障害のある人はだめな人で、障害のない人はいい人と、こういう区別はありません。ユニバーサルデザインは、ロン・メイスというアメリカの建築家が言い出したことでありますが、こういう発想は、もともと、ラテン的な農業社会にありました。

 つまり役に立たない人はいないという発想です。目が見えなくてもいい声で歌えるじゃないか、耳が聞こえなくても花の種を蒔いて美しい花が咲かせられるんじゃないか。足が不自由でも毛糸の編物その他ができるんじゃないかとか、人それぞれ、組み合わさってひとつの農村社会、農村を作り上げるという考えです。

 今でも、「めくら」とか、「びっこ」とか、フランス人、イタリア人、スペイン人、ラテン系の人は平気で言います。平気で言うというのは、そこに差別の発想がないからです。目が見えるのはその人の特性、目が見えないのもその人の個性、目の見えない人は、その分だけ欠けているかというと、そんなことはないんです、耳は普通の人よりはよく聞こえます。

 あるいは知的障害がある人は、その分心がきれいだとか、なにか他にプラスのところがあるわけで、完全にマイナスばかりというところはないはずだというのが、発想の根底にあります。それぞれ特性があって、その特性をお互い、交換しあい助け合って生きていく。農業社会はそれが可能ですが、工業社会ではそうはいかない。やはり、目が不自由であったり、耳が聞こえなかったりすれば、その分だけ事故を起こしやすいわけですから。

 産業革命後のイギリス、そしてアメリカで、障害のある人を排除するというような発想が出てきました。それに対するアンチテーゼといいますか、反論として、福祉という観念が出てくるわけです。

 みなさんが何気なく使っている靴ベラ。あれも腰がかがまない人のために考案されたものです。それから、ライターも片手が不自由な人にも使えるようにしたもので、ユニバーサルデザインのはしりです。お湯と水が一緒に出るレバーもユニバーサルデザインですし、温水洗浄式トイレも、痔の病気のある人も普通の人も使えるということで、ユニバーサルデザインです。

 皆が、お互いが助け合える。障害があろうとなかろうと、旅人であろうと地元の人であろうと、年寄りであろうと若い人であろうと、皆それぞれ、持ち味を発揮して、仲よく生きていく社会がユニバーサルデザインで、これこそ現代における都市の一番の魅力だと思います。それがもし実現されて、皆笑顔でにこにこしていれば、そしてそれが絵葉書にでも写っていれば、「ああ、これはいいまちだ」と誰もが思うはずです。
 

観光ボランティアや海外で働くシニアボランティアが増えている

 東北にたいへん美しい山峡村として有名な胆沢というところがあります。東北新幹線に乗って水沢江刺駅で降りて、そこから車で西に1時間ほど行ったところですが、そこに伊藤まつをというおばあちゃんがおられました。最近98歳で亡くなられましたが、このおばあちゃんから話を聞いて、一冊の本にまとめたものが、『まつを媼(おばば)百歳を生きる力』(石井純子著、草思社刊)です。

 このおばあちゃん、90歳過ぎてから、自分の部屋に、スイッチひとつでお湯が沸くお風呂をつくりました。何でそんなことをしたかというと、自室から家族全体のお風呂へはまさか裸じゃ行かれない。浴衣か何か着て、行かなければならないし、家族の誰かが使っていることもあり、入りたい時間に必ずしも入れない。自分の部屋にお風呂があれば、いつでも好きな時に、裸で這って行っても入れるからです。そのおばあちゃん、死ぬまで部屋の外の廊下に電気洗濯機をおいて、下着等は自分で洗っていたようです。

 人間も動物です。動物というのは動くもの。つまり、可能な限り身体を動かすようにすることが大事で、寝たきりになってからどのような介護をしてもらうかより、いかにして人手を借りずに自分なりに生きられるかということに力を尽くす、これがこれからの介護の一番の根本ではないかと思っています。年寄りがこれからどうしたらいいかというんで、「シニア社会学会」というのが東京にできて、これの会長もさせられています。

 フランスでは、家の中に引きこもりがちなお年寄りを外に引っ張り出すのに成功しています。パリ市内ではやっていませんが、パリ周辺や地方都市にある高齢者のレストランでは、お昼頃から夜8時くらいまで、お年寄りがわいわいしゃべりながらごはんを食べる。値段は1食日本円にして500円くらいです。何でそんなに安くあがるかというと、学校給食をそのまま使っているからです。そこにワインがついている。ワインは必須で、大学の学生食堂でもワインは出ます。

 心得としては第一に自分のできることは自分でする。人手は可能な限り借りない。第二に、道端に種を蒔くのであれ、何であれ、人様にご奉仕しながら生きていく。まさに今、ありとあらゆる分野で、ありとあらゆる能力が求められています。観光ボランティアやアジア諸地域に赴き技術指導をされる方も増えています。第三に美しく生きるということです。年寄りは鼻がバカですが、若い人は鼻がいいので臭いには敏感で、老臭にはウッとします。

 今の若い人たちはいい香りを真剣に求めているのは確かです。東レではいい匂いをマイクロカプセルに詰めて織物をつくっていますが、これを枕カバーに入れて、世界中を旅行できます。枕が変わると寝られないという人も、自分の好みの香りであれば、安心できるわけです。これは1200年前から弘法大師様がやっておられることで、何も新しい話じゃありませんが。

 念持仏は、ポータブルな旅に持って歩く仏様のことです。白檀の20センチくらいの板に両側からお釈迦様が彫られている。旅に出て、寝る時に枕もとにそれを立てるわけですが、開いて、立てると、白檀のいい香りがしてきます。同時に、お釈迦様に見守られているわけですから、これは安眠間違いなしです。

 もし、高知へ来ると安眠ができるとなると、これだけで人は来ます。そのような新しい技術を使った製品も当然これからは出てきます。先ほどもお仏壇のところで申し上げたとおりで、いい光、いい香り、それからいい音が大事です。

 いい音に関して申しますと、ハンブルクという北ドイツのまちに住む芥川賞作家の多和田葉子さんとお会いした時の会話をお話しましょう。ハンブルクでお会いしたのは、雪が舞う2月の寒い時期でした。

 「どうしてお1人で、こんな寒いところに住んでいるのですか」と問いかけると、「ここのほうがまちが東京よりも大きいから」と言われまして、きょとん。
「東京のほうが大きい」と反論しましたところ、「いや、ここにいるとまちが静かなので、遠くから船の汽笛が聞こえてきます。東京にいたら雑音ばかりで何も聞こえないじゃありませんか」と言われて、ハッとさせられました。

 本当にその通りです。行政上は広いけれども、騒音だらけでいい声が聞こえる範囲は自分の身の回りだけ。東京だって、もし騒音がなくなれば、子どもたちの元気な声とか、遠くのお寺のいい鐘の音とか、いいものだけが聞こえてくれば、どんなに元気になるか。

 ところが、聞こえてくるのはピーポーピーポーというパトカーや救急車の音ばかりで、雑音のかたまりです。遠くのいい音が聞こえることにより、まちは大きく見えるんです。いい音はいい香りと同様にまちの魅力です。そのような豊かな美しい感性空間であれば、人と人が出会って、お互いに仲よくなりえます。
 

美しい山や海を観光資源として活用する

 昨年の6月、南フランスのサンポール・ドゥ・ヴァンスというところに参りました。ニース空港から、車で約20分山の中へ入った何もないが、景色のいいところです。1920年代、画家たちが、景色がいい場所を求めて、ぞろぞろその山へ上ってゆき、そこで絵を描くわけです。ボナールとか、シニャックとか、モジリアーニとか、絵描きや彫刻家が、そのまちに集まった。

 宿代が払えないから、そのかたに作品を置いてきたわけです。今度は観光客が、そこにいい絵があるというんで、レストランがいい絵をもっているというんで、押しかける。サンポール・ドゥ・ヴァンスは、人口2900の狭くて小さな町ですが、画廊や工房、古美術商、そんなものがひしめいています。

 観光客はたくさん押し寄せるけれど、車が走っていないので村は大変静かです。山の下で、車は全部ストップさせられる。太い鉄のバー、棒が、自動車道路に6本立っている。

 インターホンを通じて、そこで「村の中のホテルに予約済み」とか怒鳴ると、スッと鉄の棒が下に沈む。1台通ると、また上る。観光バスであれ、何であれ、鉄の棒の手前で降車し、駐車場に車を置いて、歩いて山の上の村に向かいます。

 そのような技術によって、村の静寂と繁栄が実現されているわけです。村の環境を保全しながら、空気も汚さないようにしながら、経済的には繁盛していく。こういう知恵をいかに絞るかです。

 サンポール・ドゥ・ヴァンスには、フランス最高級のレストランと最高級のホテルがあります。この村だけでなく、フランスでは景色のいいところ、景色以外に何もないところに、一番いいホテルと一番いいレストランがあります。そこが日本との大きな違いです。

 日本では、大都会にはそのような施設があるが田舎にはないというのが普通です。しかし、今一番人々が行きたいのは、そういった景色のいい田舎です。
高知県でも、「第1回棚田サミット」が行われた梼原町のような景観のいいところがあります。美しい田舎でいい味に出会える。中山間地域にそのようなところをつくってゆくことは大事です。環境を汚さないで、お金だけちゃんといただく。これからはそのようなしかけ、知恵を絞るべきです。

 一方、海に対する期待感も非常に強い。世界中どこでも明るい海に人が集まっています。ヨーロッパですと、南フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル。こういうところに人がたくさん来る。忙しいものだから、地中海沿岸の生活も変わった。

 昔はスペインなんていうのは、夏暑くて、セビリアで私、45度という経験がありますが、45度になると、頭は真っ白で、息しているのも困難という感じです。シエスタと言って、昔は昼寝をしていると聞いていましたが、今は15分、いすに座ってじっとしているだけで、あとは働くわけです。

 アジアですと、南シナ海に面したところが人気がある。上海、香港、シンガポール、バンコク、その他です。高知県もいい海に恵まれている。山河の美しいところや海辺に人は集まります。

 同時に都市では、人と人とが交わりたい。オープンなガラス張りのところで、まちとひとつなって、お酒を酌み交わし、おいしい魚を食べている光景を、外から人が見て、「ああ、いいな」、「笑顔がいっぱいあるな」、というのがこれからの時代です。若い人がオープンカフェを望むのはまさに、自分の家族や友だちだけではなく、いろいろな人と集い楽しみたいという気持ちを、そういうかたちで求めているからです。

 誰もが一緒になれる安心感があれば、身体障害のある人でも、まちに出てくるようになる。松葉杖にカラフルな色が塗ってあって、その人がまちに出てくると、華やいだ雰囲気になる。これからは障害のある人が、むしろ華になれるような、いいデザインが求められます。

 美しさの感覚、そして歩く楽しさを、いかに実現していくか。そこにこれからの「住んでよし、訪れてよしのまちづくり」がある。基本はお仏壇の発想です。高知は、人々がこぞって向かう南西に位置しているので、うまくやれば、繁栄は間違いないでしょう。


パネルディスカッション
「ユニバーサルデザインで考える観光都市・高知の未来」

 高知の観光資源をどのように生かしてゆくか。橋本大二郎高知県知事はじめ5人のパネリストに、ユニバーサルデザインの視点で、「観光都市・高知」のあるべき姿について語っていただきました。
 

「まち歩き観光」のスポットを増やしたい

●岡崎誠也 高知市長 
 従前の観光は、桂浜や高知城のような名所旧跡が代表的でしたが、今注目を集めているのは「まち歩き観光」です。東京・横浜では、「都市観光」という言葉が似合うかもしれませんが、やはり高知のような地方都市になると、「都市観光」では焦点がぼやけてしまうので、我々は「まち歩き観光」という言葉を使っています。

 高知市にはご承知のように、裏通りを含めて、面白いところがたくさんあります。県外から来られる方は、日曜日であれば、日曜市を通り、高知城を訪れ、ひろめ市場へ入る。こういうパターンが非常に多くなっています。

 ひろめ市場は屋台村という感じに近いかもしれませんが、まだ日本国内の都市ではめずらしいので、人気も高い。我々も、日曜日なんか、昼間からビールを飲んだり、かつおのタタキを食べたり、友達と会ったり、けっこう楽しんでいます。このように、住民が行って楽しいところは、観光客の方も楽しいということが、「まち歩き観光」のひとつのヒントです。そういう意味で、300年の歴史をもち、約600店が並ぶ日本一の街路市・日曜市が、県外客に人気があるのもよくわかります。

 高知の観光ブランドで、全国に通じるのは、「よさこい」と「坂本龍馬」と言われていますが、「よさこい」は過去50年の間に発展を致しまして、全国で200カ所以上、「よさこい」を手本としたお祭が催行されています。昨年はちょうど50回の記念大会ということで盛大に開催しましたが、今年は坂本龍馬がブームになりそうです。

 NHKの大河ドラマ「新選組」に、江口洋介扮する坂本龍馬が準主役級で出てきますが、主役ではないかと見まごうくらい存在感が大きい。1年間、大河ドラマに龍馬が登場するわけですから、それをブームにつなげていきたい。

 坂本龍馬が生まれ育った上町に、「龍馬の生まれたまち記念館」が3月21日にオープンする予定です。ここをひとつの核として、ボランティアガイドさんが坂本龍馬の話をしながら、上町周辺を歩く、それから高知城まで歩いて行くということも今、考えています。

 「龍馬の生まれたまち記念館」、ひろめ市場、日曜市、高知城、そしてはりまや橋。このような回遊性のあるコースの中に、食文化を混ぜ込みながら、本当にまちを歩いて楽しめるスポットを順番に増やしていく必要があります。

 土佐の魅力は何といっても「食」と「人」です。魚、果物、土佐酒の美味しさと同様に、土佐人の魅力を広く知っていただきたい。夜、屋台なんかでギョウザを食べて、隣の見知らぬ客と話をして喜んで帰られる県外の観光客の方はたくさんいます。土佐人はもともと人なつっこくて、すぐ友達になれるという気風があり、そこが一番いいところです。
 

人と人のつながりが深まれば、温かいまちになる

●笹岡和泉 やさしいまち工房代表
 まず、私自身のことを少しお話しますと、生まれつき足に障害があって、何度か手術をした経験とか、車いすや杖を使って生活していた時期もありました。今は日常生活には支障はないんですが、運動したり長距離を歩いたりということはあまりできないんです。そんな状態ですから、遊びや買い物に行ったりする時には、車で店の前まで行けて、なるべく歩かなくてすむ場所を選びます。

 街中では、長い距離を歩くと疲れてしまうので、座って休めるような場所、ベンチを探しながら、休み休み買い物をします。しかし、休める場所がなかなかなくて、お金を払って喫茶店に入ることもあります。

 また、私は身長が136センチととても低いので、そういうところでも不便を感じるところがあります。おしゃれな飲食店とかに行くと、すごく座面の高いいすがあって、座り辛かったり、お店のカウンターとか商品の棚の高さとかも高くて、届かなかったりですね、使い勝手が悪いなと感じる部分があります。

 でも、私が思うのは、障害をもつ方のために特別に使いやすいようにまちをつくりなおすのが、誰もが住みやすいユニバーサルということなのかと考えると、それは違うなって思います。やはり両方にとって使いやすい、住みやすいまちというのを見いだしていかなければいけないんだと感じています。

 大掛かりな工事とかをしてまちを変えていかなくても、ベンチがなくてまちの中で足が疲れて困ったら、どのお店の方に声をかけても、「すみません、ちょっと足が疲れたので休ませてくれますか」って言ったら、快くいすを貸してくださるとか、車いすの方や視覚障害の方が段差とかに困っていれば、近くにいる方がすぐ協力して手伝うとか、棚が高くて届かなければ踏み台を用意してあるとか、

そういった気軽に声をかけられるような人と人とのつながりや、ちょっとした工夫で解決できることもあるんじゃないかなと思います。そのほうが、人と人とのつながりが深まって、高知のまちが温かいまちになるんじゃないか、そのほうが県外の方とかが来られても、自慢できるまちにつながるんじゃないかなと思います。

 仕事として取り組んでいる「やさしいまち工房」は、障害者や高齢者の方の住宅改修に取り組んでいる小さな事務所です。例えば手摺り1本取り付けただけでも、その方が家の中で立ち上がれるようになったり、玄関まで出て行けるようになって、すごく喜んでくださる。

 そういうことがすごくやりがいにつながっています。そういった方の笑顔を見ていると、やはり人は住み慣れた家で安心して生きがいをもって暮らせる時に、笑顔が出てくるんだと思います。そして、高知のまちにもっともっとそういう笑顔を増やしていきたいと思いました。

 自分のために、また皆のために、また女性としてこれから結婚して子供が生まれて、その子どもたちの世代のために、住みやすいまちにするためにやらなければならないことがあります。NPOとして「福祉住環境ネットワーク高知」を立ち上げて、そんな思いを共有できる仲間と、誰もが住みやすいまちにしていくために自分たちに何ができるかを模索しているところです。
 

商店街の放置自転車は困りもの

●広末雅士 広末金物店勤務
 私もそうでしたが、県外の大学に進学する友達は大勢いました。私は高知に戻ってきましたが、県外で就職した友達も結構います。「何で高知に帰ってこないの?」と聞くと、「面白くないき」という返事が一番多く返ってきます。

 都会と比べると高知が面白くないのはしょうがないのかもしれませんが、商売をしている者としては、面白いお店が商店街の中にもっと多くないとショッピングセンター等に対応しきれないのではないか。それぞれの個店が、一人ひとりのお客様のニーズに応えるように努力しないといけないのではないかと感じます。

 次に日頃の商店街活動を通じて、感じたことをお話します。まず、商店街の自転車の乗車と自転車放置の問題です。私も幼い頃には自転車に乗るための練習を商店街でしたり、高校の時には規則をやぶって、商店街の中で自転車に乗ったりしましたが、歩行者の立場に立つと、自転車は怖い。

 小さなお子様やお年寄りの横を自転車がビュービュー通っているのを、「あ、怖いな」と思いながら見ています。商店街も、週に2回ほど指導を行ってはいますが、なかなか成果が上がらないのが現実です。行政や警察関係の方のお力を借りて、規制を作る等が必要ではないかと思います。

 また先日、うちのお店で買い物をすませた目の不自由な方が、「商店街まで案内して」と言われたので案内しました。店の前には自転車がいっぱい放置されていて、2人では通れない状況だったので、私は自転車を除けて誘導しました。目の不自由な方のことを思えば、道がなくなってしまうわけです。一人ひとりの不注意によってバリアができてしまうというのは、やはり注意しなくてはなりません。

 次に、観光客の方へのお知らせやサポートを今以上にしなければならないのではないかと考えます。先ほど市長さんもおっしゃられたとおり、高知はやはり、「よさこい」と「龍馬」をメインに観光を進めていかなければならないと思います。私も1年間城西館でお世話になったことがありますが、お客様から、「主要な観光名所は行ったけど、他に何かないか」と言われました。

 その際には「ひろめ市場」を紹介しましたが、「高知にはいい素材があるのに、いい名所が少ない」と感じました。その面でいいますと、よさこいも50周年を迎えて、本祭以外でもいろいろなイベントがあります。さらに龍馬のほうも、上町のほうに記念館ができます。いい流れになっていると思いますが、去年私が、よさこいのイベントに参加した際に、踊り子よりも観光客の方、見る側のほうが少ないことがありました。やはり、もっと、見ていただきたいものです。空港や旅館・ホテルで、今以上にイベントの紹介をしていかなくてはならないと思います。

 私が小さい時には、商店街の中に住んでいた家庭も多くて、わいわい、皆が商店街の中で遊ぶというような光景もありましたが、最近では目にすることが少なくなってきています。何年も前から構想はありますが、追手前小学校の再開発等を進め、中心部に住宅地がもっと増えればいいですね。
 自転車の問題もそうですが、人それぞれお互いのことを考えながら、愛のある元気なまち、高知になってほしいと思います。
 

高齢者が輝ける「シルバータウン」構想

●片岡朝美 NPO法人さわやか高知代表
 ちょっと年をとった女性の視点からお話させていただきます。私は20歳代の10年くらい、東京のほうで生活をしまして、主人のUターンに嫌々ながら引っ張られて高知に帰ってまいりました。その時に、逢坂山の上から高知市街地を見ましたところ、夜景がきれいで、胸がいっぱいになった思い出があります。年をとってきて、いろいろな夢が、その当時は思ってもみなかった夢がたくさんふくらんでまいりました。

 高知を自分の子や孫の時代に、もっと誇りがもてる、住みやすい地域にしたいという思いで、今、ボランティア活動に取り組んでおります。人々が死ぬ瞬間まで幸せを感じ、感じ続けながら生きていけるそんな世の中をつくるために自分たちが今、がんばらなきゃいけないという思いです。

 高齢者夫婦や一人暮らしのお年寄り、ボランティア活動の中でこういう方々がたくさんいらっしゃるのがわかりました。高齢者夫婦は、お子さんを都会に出して淋しく過ごしております。また、一人暮らしの方というのは、終戦当時、結婚適齢期に相手の方が兵隊さんに行っていなくて、結婚もせずに未婚のままお年をとられた80歳過ぎた方、身元引受人が姪御さんであるとか甥御さんであるという方がすごく多いんです。一人暮らしになって、在宅で生活できなくなった時に、シルバータウンがあったらいいなという夢がふくらんでまいりました。

 少子化で児童数は激減しています。追手前小学校、それから新堀小学校なんかには、空き教室がたくさんできております。私の夢ですので、聞いていただきたいのですが、新堀小学校と追手前小学校を統合する。統合するということは、卒業生にとっては淋しいことですが。統合した小学校を市民病院の跡地か、女子大の跡地かにもっていき、新堀小学校の跡地を「シルバータウン」にしたらどうかと。

 1階には高齢の方や障害をもった方の日用品を扱うお店やレストラン、ベンチのたくさんある素晴らしい中庭、シルバーの方のお部屋はみどりが一杯、そのような大きなロの字型の建物を「シルバータウン」にすることができればいいですね。そこへ来たご家族は、すぐ商店街にお買物に行くことができます。ひ孫ちゃんを預けて、若いご夫婦が日曜市へ行く、帯屋街へ行くということであれば、街も賑うのではないでしょうか。お年寄りも2階を医療関係の機関にすれば、安心して生活を続けていけるのではないか。そんなふうな夢をみております。

 また八十八カ所の癒しの里としての再生の道もあるのではと、そんな夢もみております。「さわやか高知」の活動というのは、助け合いながら心豊かに暮らしていける関係を築いていくことを基本にしております。活動を続けている中で、実はボランティアさんが、狭い事務所に最近10人くらい押し掛けてくるようになりました。皆さん、65歳過ぎているような方で、事務所は社交場になっております。

 声が大きいために電話の声が聞こえなくて、「もうちょっと静かに話して」って言うこともありますが、冗談をいいあえるそういう場になっております。お年寄りが輝いて、いい笑顔をしながら生活している状態を子供や孫の世代に見せることができれば、年をとるということも決して悲観的なことじゃない。年をとることについて、悲観的にならない感覚をもった次の世代が育ってくるんじゃないか、そう考えながら日々の活動を続けているところです。
 

厳しい財政状況だからこそ、逆転の発想で見直してみる

●橋本大二郎 高知県知事
 ご承知のように今、高知県だけじゃありませんけれども、自治体の予算は大変厳しくなってきています。ですから、高知県でも去年の夏、各部局毎に、もし、財源が500億円少なくなったとしたらどうしたらいいか、ということを前提に新しいかたちでの予算の組み方の話というかブレーンストーミングをいたしました。

 その時は、500億円少なくなるというのが、ある意味では狼少年的な意味合いで言っていましたが、三位一体の中で、現実のものとなりつつあります。で、そういうことをふまえて各部局と今度は具体的な予算に向けての協議をする中で、土木部からは、これからはなかなか新規の新しい投資をしていくことは難しくなる、社会資本づくりという意味でですね。その分、せっかくこれまでにできた社会資本のストック、これを長持ちしていくように、維持管理補修のほうに予算をシフトをしていきたい、こういう話がございました。

 実際に来年度予算に向けて今、取り組んでいる土木部の予算の経過を見ましても、全体的には今年度に比べて83%、つまり17%減になっていますが、維持管理補修の部分は、プラス1.2ポイントというかたちのシフトができております。このような土木部との去年夏からの協議を受けて、昨年11月の選挙の時に、ユニバーサルデザインの考え方だとか、そういうものを取り入れていくことが交流人口を増やしたり、お年寄りに住みよいまちになったりということにつながるんではないかという意味合いの公約をかかげました。

 ところが、土木部の職員に悪いんですけが、予算に向けてのより具体的な協議をして、その項目の中で出てきた知事公約への対応というのを見ますと、ユニバーサルデザインというところには、高齢者向けの有料の賃貸住宅をバリアフリー、ユニバーサルデザインでつくっていくとか、やさしいまちづくりをしていくとかですね、

従来ある事業が項目として並んでくる。また、観光にプラスにということになると、足摺公園線という、土佐清水の岬をめぐる道路の拡幅をしていくというふうな個別の事業、縦割りの事業が出てくるということで、それはちょっとおかしいんじゃないか。ものの見方を変えなきゃいけないんじゃないかということを言いました。

 というのも、先ほども言いましたように、新しい投資を次々にしていくことがむずかしい。であれば、維持管理補修ということが大切な課題になってくる。ただ漫然と穴のあいたところを埋めるようにやっていくだけではなくて、同じお金を使うのであれば、その時に段差をなくしていくとか、色合いをくっきりつけていくとか、いろんなプラスアルファの工夫によってユニバーサルデザインに近いまちがつくっていけるんじゃないか。

 また、観光ということでいえば、道路のいろんな標識を変えていく時に、字を大きくしていく。また、あわせて英語とか中国語とか韓国語の文字を入れていく。同じ予算の中で工夫をしていくことがいくつもあるんではないか。そういう意味で言ったということを、土木部にも話をいたしまた。

 今後、高齢者はどんどん増えてきます。特に高知県では、間もなく後期の高齢者の方が前期の高齢者を上まわるというところまで来ております。こういう状況の中で、元気なお年寄りが増えて、国内の各地をまわられるということを考えた時に、今、申し上げたような哲学で、ちょっとしたアイディア工夫でまちづくりが進んでいけば、このことがひとつの話題にもなり、またそれが伝わっていくことによって交流人口とか観光ということにもつながっていく面があるんではないかと思いました。

 もうひとつは、逆転の発想で見直すことです。というのもですね、正月休みが終った時に、福岡の空港で時間待ちをすることがございました。私と妻とは福岡で出会ったということがありますので、久しぶりに時間があるから、天神や昔、NHK福岡放送局のあった大名とか、その辺りに行ってみようといって地下鉄に乗って天神で降りて上に出ました。

 そうしたらもう、どこがどこだか全くわかりません。福岡のまちをご存知ない方にはちょっとわかりにくい話かもしれませんけが、昔、チンチン電車が走っていた東西の通りがあり、そして、渡辺通りという南北の港側から南に抜けて行く道が交差するところが天神なんですが、昔の電車通りがどこなのか、最初全くわかりませんでした。

 歩いていくうちに、女房と「ああ、ここが昔の電車通りだな」と「こんなに狭かったかなぁ」と言って話をしたんです。ただ、もう25年から30年も前の話ですから、あの時、あんなに広く感じたけれども、実際はこんなものだったのかなと思って帰ってきました。

 たまたま、このあいだ谷本さんとこのシンポジウムの打合せで話をしたら、谷本さんから「いや、あそこは車道を狭めて歩道を広げたはずだ」と。そういう新しい逆転の発想で仕事をしたところではないかという指摘を受けて、ああ、そうだったのか、昔見えたものがもっと狭く見えたわけじゃなくて、そんなことをしていたのかと思いました。

 都市計画の道路等は予定をしてから20年、25年、30年かけてできていくというものもあります。これからも長い時間かけても道幅を広げていかなきゃいけない、そういうまちづくりの必要な地域もありますが、一方でそういう長い時間が経つなかで、時代のニーズとかが変ってきて、車道よりも歩道が広いほうが住んでいる人にとって便利な、そういう地域も出てくる。動線の作り方というものも逆転の発想で考える時に来ているのではないかと思います。

 よく、並木が邪魔になるというお話がありますが、これもやはり並木そのものが悪いわけではなくて歩道が狭い。だから、歩いてもいろんな問題があるということが原因ではないかと思います。ということからいいますと、先ほどから言った、折角お金をかけて手直しをしていく時に、ちょっとした工夫をしていくというようなこと。また、まちづくりの中でこれまでは右肩上がりの時代、当たり前だと思っていたことをもう一度逆転の発想で見直してみる、そんなことが今日、木村先生のお話のタイトルになっている「住んでよし、訪れてよし」ということにつながっていきはしないかなと思っております。


質疑応答

新堀川を観光資源として活用しては

●谷本 信コーディネータ
 会場からいくつかのご質問とご提案がございます。最初は「埋もれている観光資源として、自然と文化の残る新堀川には、珍しいアカメやスズキ、クロダイが住んでいることは確認されています。江戸時代に町民が掘った新堀川を高知市の観光資源として活用してみませんか」というようなお話、ご提案になりましょうか。市長さんのほうで何かご意見があれば、もしくは無ければこれから検討するのでももちろん結構でございます。
 

●岡崎誠也
 具体的にどのポイントを指して言っておられるか、少しわかりにくいところもあるのですが、行政の計画といたしましては、新堀小学校の東側の新堀川については、高速インターから下りてくるはりまや町一宮線という道路が、「かるぽーと」の正面に出てくる予定になっており、新堀川について、地域の住民の方々によるワークショップや専門家による検討もされました。その結果、新堀川の水辺環境を保護保全するような道路になるということです。

 また、「かるぽーと」の北側、それから「旭ロイヤルホテル」の北側、あの辺りにつきましては、高知県のご努力により、河川景観も含めてきれいに整備をされております。あそこは隠れた桜の名所になっており、水面に桜が映えてすごくきれいですが、残念ながら、明かりがないので、たくさんの人々が夜、非常に暗い中で花見をされております。自然と文化を守って行くというところで、これらの当然残さなければいけない部分については残していくことになろうかと思います。
 

●谷本 信
 観光的な話がありましたが、ユニバーサルデザインというような話で少し、何かございましたら。
 

●岡崎誠也
 ユニバーサルデザインにつきましては、やはり安心な暮らしやすいまちづくりということで、ハードにもつながっていくんです。例えば観光サイドから、ユニバーサルの観点でみますと、交通手段の部分でちょっと問題があるのではないか、課題があるのではないかというふうに思っております。いわゆる交通弱者といわれます障害者の方々が観光のために移動し、高知に入ってこられた時の交通移動手段が、非常に弱いという課題があります。

 それから、観光施設や宿泊施設につきましても、まだまだ車いすの方が、旅館・ホテル内で移動するのは難しい状況です。そういう意味で、改善しなければならない視点はいくつもあるというふうに思います。都市全体でみますと、区画整理事業に代表されますが、我々は高知駅周辺でも区画整理はやっており、やはり区画整理事業によって面的な整備を進める。これが、安全、それから安心なまちづくりにつながるわけです。当然、これがユニバーサルデザインにもつながるし、暮らしやすい地域づくりにもつながっていくのではないかと思います。区画整理事業はいろんな困難が伴いますが、非常に効果が高いのです。
 

空き教室を利用してミニデイサービス

●谷本 信
 次のご提案は「児童数が少なくなった小学校に高齢者のデイサービスのような施設を1階に、2階以上を教室にして高齢者と小学生が交流することにより、高齢者は若い生気をもらい、小学生は高齢者を敬う心が育つのではないかと思います」ということで、先ほどの片岡さんのお話と類するお話でしょうかね。
 

●片岡朝美
 実は以前それを考えたことがありました。市へもお願いに行ったことがありましたけれども、なかなか。3、4年前は、教育委員会と市役所の縦割りで、うまく通らなかったという経緯はあります。けれど、世の中が進んでくるにつれ、皆さんの考え方も変ってきて、最近はそういうデイサービスであるとか、生涯学習教室なんかもどんどんできておりますし、ちょっとずつ前進はしていると思います。

 私がちょっと夢で言ったのは、そういうデイサービスとかではなくて、やっぱり県外から自分なんかの家族を呼び寄せて、それから、その人なんかが地域を、高知を誇りにもてるような、そういうようなまちとしてのシルバータウンづくりです。車が入れないような大きな広場、そんなかたちを考えているところなんです。
 

●岡崎誠也
 私共の市立小学校にもかなり空き教室が増えてきております。学校の規模にもよるんですが、この空き教室を利用して、ミニデイサービスということを、月1回から月2回くらいのペースで行っております。非常に好評なのは、そこで子供さんとお年寄りの交流ができる。お年寄りからは昔の遊びの伝承を子供たちに伝える。

 子供たちはお年寄りに手紙を書いたりして交流を深める。そういうお互いにいい意味での交歓、いろんな意味での知識の交換、それから人間的な交流ができております。

 ただ、先ほどの橋本知事の話ではございませんが、国が非常に財政状況厳しい中、予算を削減してくる傾向にございますので、我々もいろんな工夫をしながら、子供たちとお年寄りの交流、こういうものはさらに工夫をしながら進めてまいらなければならないというふうに思っているところでございます。
 

価値観の異なる人が、「まちづくり」をテーマに意見を出し合う

●谷本 信
 「ユニバーサルデザインとは笹岡さんのおっしゃるように小さなことから、ソフト面からはじめていくべきだと思います」ということで、例えば、笹岡さん、先ほどおっしゃられていたことで、いすの話なんかも出ましたけれども、もっと他に具体的なものはございますか。

 
●笹岡和泉
 気軽に声をかけあえる関係をつくっていくというのもひとつです。じゃあ、そこまでいくのにどうしたらいいのか。やはりまだ障害をもってらっしゃる方々が街中にいても、「あ、何か助けたいな」と思っている側も声をかけにくいし、障害をもっている方も「助けて」と言いにくいというのがある。

 本当に気軽に声をかけあえる、いい街にしていきたいと思ったら、自分のこととして捉えて、お互いにとってのことを考えて動けるというのが理想だと思います。ベンチの話とかを出しましたけど、例えばベンチを作って設置するというと大変なんですが、お年寄りがよく使っている買物カゴ付きのシルバーカーをお店で貸してくれて、まちで使えるとか。広島で、タウンモビリティで使われているのは、電動スクータや車イスですよね。まちを移動する間はお年寄りや障害をもってらっしゃる方に貸し出しをしているとか、そういうことも考えられるんじゃないかと思います。

 「いいまちってどんなまち?」というのは、皆さん価値観が違って、捉え方も違うと思うんですけど、シンプルに言ってしまえばやはり「皆が幸せになれる」というのが前提だと思うんです。といってもなかなか難しい。

 まちに来る人も、まちをつくる人も、まちで商売をする人も、皆がそれぞれ価値観の違う人が集まって意見を出しあうことが大事です。「足が痛いからベンチがあったらいいなと思う」って言っても、お店をやっている側からしたら、「そんなところにベンチがあったらじゃまになって商売にならない」とか「通る人も困る」という意見が出てきたりすると思うんです。いろいろな違う意見を合わせて考えてみたら、「じゃあ折りたためるようなベンチにしたら」とか、何か共通点を見いだしながらいい解決策をつくっていけると思います。

 こういったシンポジウムもそうですし、いろんな場でいろんな立場の方がいいまちをつくりたいという大きなテーマで話し合える場をどんどんつくっていって、自分のもっている情報を出し合う。当事者の方も自分の障害について理解を求めたり、まちの中でも「こんなことに困ってるんだ」というのを出していけば、「じゃあ、それにはこういうアイディアがあるじゃない?」という意見が出たりもします。
 

●谷本 信
 広末さん。笹岡さんからご提案があった「はい、いすをどうぞ」という帯屋町商店街は実現できないですか。
 

●広末雅士
 いすをお貸しするということなんですけども、私も経験が有りまして、高齢のお客様がお孫さんへのお土産をうちのお店に買いにきてくれたんですけれども、その際にですね、やはり「立ちっぱなしでしんどいから、いすを貸してください」と。「お金を払う間だけでいいから座らせて」といわれたことがあります。

 やはり、こういうのはですね、個店が独自にしていくものであると思います。うちなんかですと、すぐそこにいすがありましたので、それをお貸しすることができたんですけが、これを商店街全部でやりなさいというのは、なかなか言い辛いものだとは思います。

 しかし、やはり先ほど笹岡さんが言われましたとおり、言っていただかないとわからないところもありますし、なかなか、アプローチをしづらいというところもあります。そこらへん、お互いがお互いのことを考えるというのがまず第一に必要なことではないかなと思います。
 

●谷本 信
 「橋本知事は、第4戦の選挙公約で、ユニバーサルデザインの思想を広げて行くとおっしゃっていましたが、これからの学校教育にユニバーサルデザイン教育を取り入れることはお考えでしょうか」というご質問です。知事にコメントをいただければと思っています。

  
●橋本大二郎
 まずひとつ申し上げたいのは、ユニバーサルデザインという言葉の定義はまだしっかりしていないと思いますね。それぞれの人がユニバーサルデザインという言葉で思い浮かべるものが随分違うんじゃないかと。その違う中で色々議論していると、いや、そうじゃないとか、私はこう思う、とかいうことで、すれ違いがおきるということをまず皆が理解しておかなきゃいけないだろうと思うんです。

 小さなソフトというお話があって、それはとても大切なことだと思います。例えば、公共広告機構が、前にやっていたコマーシャルで、エレベータに車いすの方が乗る時に、中に乗っている人が「開く」のボタンを押してですね、「指1本でできるボランティア」と、いわゆる「チョボラ」に焦点をあてたコマーシャルがありました。これはこれで、大切なことですけども、これを果たしてボランティアというかな、と。

 また、ユニバーサルデザインというかな、と言うと、僕は定義としては疑問があります。基本的な社会常識や道徳分野に入るものではないかというふうに思いますし、教育ということでいえば、そういう意味でのソフトとか、お互いの協力とかいうことは、当然教育の中で取り入れていかなければいけないものではないかと思います。

 では、僕がユニバーサルデザインを、ソフトとハードの関係で、どういうふうに捉えるかといえば、ソフトの思想をきちんともったいろんなハードづくり。ハードづくりというのは、道路とか何とかという、いわゆる公共事業にあたるものだけではなくて、今日のお話で出たものでいえば、いすだとかベンチだとか、電動のスクータ。そうしたいろんな機械とかモノ、こういうモノづくりも含めたハードというものをソフトの思想をきちっともってやっていくのがユニバーサルデザインじゃないかと僕は思っています。

 例えば、いすを出すという時もですね、それぞれの店が勝手にいすを出すのでも、第一歩はいいと思いますが、それじゃあ買物で来られたお年寄りに喜ばれるようないすはどんなもんだろうと、デザインを皆でいっしょに考えていくという次の一歩が必要です。

 教育ということで言えば、今、自分が言ったようなソフトの思想をもったいろんなハード、ものづくりということは、当然教育のなかで取り入れられていかなきゃいけないと思います。これは権限から言っても、僕がどうのこうの言って動くものでもありませんので、そういう話はまた、教育長と十分していきたいというふうに思います。

 結果として、いいまち、住みよいまちは、それぞれの立場で違うと思います。そこに至るまでの方法論というかプロセスでいえば、多くの人が同じようなコンセプト、共通の意思をもってまちづくりを進めているまちがいいまちなんじゃないかと、これからの時代は思うんです。

 先程、笹岡さんも「意見の違う人が議論しながら解決策を見つけてひとつのものを」ということをおっしゃいましたけど、ユニバーサルデザインならユニバーサルデザインというものを定義して、そのことを共通認識としてもって皆で進めていけばいい。日本中どこにもありませんし、高知でもできていません。できていませんけれども、そういうコンセプトをきちんともったまちというのが、いいまちなんではないかと思います。

 僕は自分が高知に来て12年間、何が変ったか。皆さん方、そう思われてないかもしれませんけども、得意な分野、さまざまな視点から活動される方の数が確実に増えてきていることです。また、そういう人達が活動する分野も広がっています。

 私は全国の中でも、高知県はそのような動きが目に見えてきている県ではないかというふうに思っていますので、まちづくりに向けてのコンセプトというのも、もう少しでつくっていけるところまできているんじゃないかと思うんです。

 で、その歩道のお話もですね、やはり、そういうまちづくりのコンセプトということを議論する中で、出していかないと、県が、市が、こういうような考えでやっていきますということでは、本当に地域のニーズというか住んでいる人の便利さに合った町にはなっていかないんじゃないかと私は思います。


統括コメント
森地茂 東京大学大学院工学研究科教授
 

観光においても、都市間競争の激しさは増す

 木村先生のお話は、先が見えない時、地域資源の再発見をするのがルネッサンスであり、そんな時代に我々がいる、そして何をするべきか。これがキーポイントではなかったかと思います。

 岡崎市長からは、都市観光というのは少し焦点がぼけるのでもう少し具体的に、まち歩きのスポットを増やすことで回遊性を高めたいというお話をしていただきました。

 笹岡さんのお話は、市民のバックアップも含めて安心して暮らせるまちを、広末さんからは個店の努力で面白いまちを、片岡さんからは誇りのもてるまちをということでした。

 橋本知事からは、財源のない時の工夫のあり方についてのお話がありました。実は欧米は30年前からそのことであがいていて、例えば交通でいうと、道路づくりだけの時代が1960年代から1970年代の前半で終焉をし、その後出てきたのがTSM(交通管理計画)です。ソフトだけではなくて、路面電車が復活したり、歩道の使い方を変えたり、モールが出てきたりと、いろいろなアイディアが出てきました。1980年代になると、もっと厳しくなって需要を管理していこう。TMD(交通重要管理計画)というアイディアが出てきました。交通以外でも同様の発想が重要です。

 都市観光の面とユニバーサルデザインの2つを融合させて、基本的には木村先生のタイトルのように、住んでいる人からも訪れる人からも魅力的にまちをつくるというのは、結局は同じ努力なんだと思います。観光においても都市間競争が激しくなり、対応が重要です。
 

社会的なジレンマ

 議論がありました自転車の問題は、研究者の立場から言うと大変重要な問題です。具体的に何かといいますと、自転車を使う人一人ひとりは、自分の好きなところに置くのが、一番効用が大きいわけです。従って当然そうしたいわけです。ところが、皆がそれをやると自分自身も含めて社会的にはうまくいかない、こういうことを社会的ジレンマと呼びます。実はこれ、数学の問題としてきれいに解くことができます。

 人間一人ひとりは、自分が一番得だということと別に、皆がどう行動するかということを見ながら自分の意思決定をする、こういう行動形式をとっています。つまり、自転車がいっぱい置いてあると自分も置いてもいいんだ、皆がきれいにしていると、そういうことはやっちゃいけないのかなと、こう思うわけであります。実は、そういう自分の最適行動と、他人の行動とあわせた時に、結局その人はどう行動するかという、数式がつくれるんですが、この数式の非常に苦しいところは、ある一定の範囲から下側のところのカーブを越えると、突然どんどん悪いほうにいってしまう。

 自転車問題というのは、政策としてまだクリアになっていなくて、自転車置場をつくりますとか、置かないで下さいとかいう、あるいは取り締まりますとか、個別の対策でだけ扱われていて、人間がどこでどう行動してどこまでやったら良いほうに収斂していくんだというところが、よくわかっていない問題です。学問的にはもう解かれておりますので、それぞれのまちでどのレベルまでやったらいいかを調査すれば、一定の解決の糸口はできます。

 こういう問題というのは、何も自転車問題だけじゃなくて、ETCの普及の問題もそうですし、商店街から自転車を排除するという問題もそうです。いろんなところでそういう社会的ジレンマというのは残っています。
 

時間軸上で問題を考えること

 時間軸上でどうするか、簡単にいうといつまでに何をするか。いつまでに何をしなければならないのかということです。時間軸上の処理の問題、政策展開の問題として、さらに4つに分けて考えておくべきではないかと思います。

 今、都市間競争が大変厳しくなっていますが、どこが先に良い事をするかが、後々決定的な影響をもたらします。この問題に関して重要なことは、予算がないから、あまり道路がつくれません、ハードウェアができませんから都市の改善が急には難しいという思考をされる場合が多いわけですが、そんなことはありません。

 ハードのシェアが少なくて、ソフトのウエイトが大きくなりますと、こちらのほうは合意形成の問題ですから、市民の方々がやろうと思えば、もっと早くできるはずです。逆に言うと時間軸上の競争はもっと厳しくというか、差がつきやすい、そういう状況になると思います。これが第1点です。

 それから、時間軸上でもうひとつ重要なことは、価値観の変化をどのように見るか。ユニバーサルデザインにしろ観光にしろ人々の欲求は変化してゆきます。これが2番目です。

 3番目は、需要層の変化です。高齢化をしていくというのはもう議論されましたが、どこから人が来るかということについても変ってきます。これは時間軸上で考えれば、3つ目のポイントです。

 情報の風化が非常に早くなっている。これが4点目でございます。具体的に言いますと、本四架橋、あれだけ立派なものができても、観光客が増えた期間というのは1年くらいだと思います。テレビで放映があったとしても、それはすぐに風化してしまいます。

 私はちょうど60歳ですが、私の学生時代には足摺岬や桂浜に行ってみたいという情報を、東京の大学生のほとんどは共有していました。しかしある時期から、学生の関心が国内の景勝地に向かなくなり、今の学生のほとんどは国内旅行よりも海外旅行を好みます。一時期、サーフィンやスキーが流行っていましたが、今は少数派です。情報の回転が早いので、せっかく与えた情報が長続きしない。この問題を時間軸上でどう解決していけばいいか。こういうことも大変気になるわけです。
 

観光客の嗜好の変化への対応

 海外旅行では都市観光が非常に大きなウエイトを占めています。ヨーロッパに行って、自然景勝地だけ見て帰ってくる人はほとんどいない。
 昭和40年代に九州全域の観光計画の立案をお手伝いしたことがあります。その頃、九州の県で観光政策が最もうまくいかないところが福岡で、宮崎などは賑わっていました。

 ところが今、九州で一番人気があるのは福岡市です。ヨーロッパの人たちは都市に泊まり、自然景勝地を見る、こういう行動が多いわけですが、日本人の場合は京都や奈良などの特別なまちを除いて、むしろ温泉を宿泊地として観光していたので、都市計画上も観光にはあまりウエイトをおいて扱ってきませんでした。アメリカでもヨーロッパでも、都市計画のレポート、マスタープランには必ず都市観光が出てきますが、日本では限られた都市だけがそういう扱いをしてきた。

 その都市観光も今では京都・奈良から角館や高山などの個性をもった都市に関心が向かい、温泉都市も熱海とか別府ではなく湯布院や黒川に関心が移ってきました。都市観光、例えば東京では、銀座や東京タワーにも人は来ますが、むしろ臨海副都心や六本木ヒルズ、こういうところに人々の関心が移っています。新しい丸の内ビルができたら、皆そこへ行く。汐留にビルができたら皆そこへ行くというような、もの凄い早い回転で人々の関心が移っています。

 結局、その都市観光というのは景観とか歴史とか食とか買物とか、あるいはいろいろなエンタテインメント、催し物とか、こういうものから物語性とか交流とか人とか芸術とかにウエイトがやや移ってきているような気がします。高知でも、どういうスポットを演出して、まちと一体感をもたせるかが重要になります。

 それから、観光行動の時系列変化についても同じことが起こっています。例えば、ここでお見せします頻度とか目的地とか行動形態とか価値観とかの変化です。景勝地でも昔は華厳の滝や、足摺岬だったのが、釧路湿原とか四万十川とかに、歴史観のほうも大仏や寺社だったのが、宿場町とかに明らかに人々の嗜好が動いています。

 海外旅行市場の需要動向は極めてクリアに見えます。20歳代の女性のケースでは東京が突出していて、次が大阪。1人当たりの海外旅行回数は東京、大阪、名古屋、地方の都市の順で増えています。出国者数の変遷を地域別で見ますと、全体では増えていますが、地域別の発生地や渡航先が変化しています。

 個人属性別にみると、割合均等に全国から出ているのが20歳代の女性と男性で、東京だけが突出しているのが30歳代の男性です。3大都市圏が突出しているのが50代の男性や40代の女性とか、それぞれの層によって成熟のスピードが違っています。それに従って地域別の出国者数が変化してゆくわけです。

 また、観光では1回行ったところではなく、違うところに行きたいと思う人が多い。オーストラリアへは20歳代の女性がたくさん行きますが、年間の伸び率では成熟してきている。60歳代以上の女性はまだあまり行っていませんが、毎年の増加率は非常に高い。こういうことが起こります。

 全国での渡航先の伸び率を見ると、台湾は比較的伸び率が低い。オーストラリアやアメリカにはたくさん人が行くが、伸び率はそこそこ。太平洋諸国とか中国は伸び率が高い。国別で見ると、東北から欧州へ行く人、関東からオーストラリアへ行く人は、矢印のような恰好で分布しています。先の地域別の海外旅行の増加に応じて、その行先分布も変化していくのです。

 同じことが訪問観光客についても起こっているはずです。それを明らかにするために、うちの学生が台湾で約300人にインタビュしたアンケート調査では、「日本に行ったことがありますか」という質問に対して、140人が「はい」。韓国や東南アジアは、ここにあるような数字になっています。ちなみに台湾の人口は二千数百万ですが、毎年七百数十万の人が海外に出ています。

 大変面白いのは、「前回どこに行きましたか」という問いに対する答えです。日本には、2回続けてきている人が67人いますが、韓国には2回続けて行っている人はゼロ。中国は29人、香港が11人。リピータに関しては、日本は割合有望です。多分、緯度差もあるし、それぞれの地域に個性あるということなのかもしれません。
 北海道に台湾人観光客が増えだしたのは「雪祭」がきっかけですが、今では夏のほうが多くなっています。その次が冬。夏のほうが多くなっていると同時にその季節の行先として、中国やヨーロッパ、北米、あるいは日本全国とか、こういうところと競合が始まっているという調査結果もでています。

 北海道では台湾人観光客に対して、重点的な政策を展開しています。例えば、北海道庁がスポンサーとなって、台湾のテレビで毎週3回「北海道特集」を組むなどの集客努力をしています。しかし私からみますと、いずれというか、もう近々、台湾のお客は下火になってくると思います。この循環が他の地域でも同じように起こってくるはずです。

 渡航先選定の情報源は性別、年齢により異なります。男性がインターネットからの情報、旅行経験者や家族友人の話に引っ張られて動くのに対して、女性は旅行ガイドブックや専門誌を調べる比率が高い。

 広域で考えることも重要です。欧州の人からみると、高知は単独の観光地としては成立しないし、日本というのもあまり成立しない。東アジア全体ぐらいがひとつのエリアになります。日本からヨーロッパと言った時にどのエリアを考えるかというのと同じです。北米からみると大体北東アジアくらい。東南アジアからみると、日本全体でひとつのターゲットになります。

 日本国内からみると四国、こういうように、遠距離からみると対象エリアが非常に広い。エリアの中がひとつの対象として意識されて、その中でどこに行こうとか、その中をどのように周遊しようとか、こういうことになります。その時に高知はどういうマーケットに対して、どういう需要層に対してアプローチしていけばいいのかが問題になります。
 

リピータ客の獲得につながる魅力づくりが大切

 リピータの獲得が重要です。福岡市にカネボウの工場跡地を再開発したキャナルシティがありますが、ここはまだ賑わっています。ただし、福岡の若い人はそうたくさんは来ていなくて、むしろ、休日に他県からのお客さんがたくさん来ている。アジアからの、中国とか韓国からのお客さんもたくさん来ています。

 これは何を意味するかというと、最初は地元の若い人がいっぱい来ていたんですが、そのうちその人たちは下火になります。下火になった頃、他県や外国から人が来て、そうこうするうちに、福岡在住の大学生の世代が交代し、その人たちもやって来る。こういうサイクルの中で、キャナルシティは長期間、もっているわけです。

 それに対して、小樽ではマイカルがつぶれてしまいました。一時期北海道中から人が来ていたんですが、下火になった時に、次のお客を引っ張れなくて結局うまくいかなかった。もちろん東京からの観光客も行くわけですが、そのボリュームと施設のサイズがあわなかった、こんなことではないかと思います。

 複数回来る人に対してどんなサービスをするのか、一生に1回だけ来てくれるとすると、その新規の時に引っ張るのには何をすればよくて、2回、3回と来てもらうのにはどうしたらいいのか、こんなことが大切です。

 もっと重要なことは、偶然層、妙な言葉ですが、例えば観光とは違う目的でここに来た、ユニバーサルデザインが非常に素敵だからそれを見に来た。そのついでに観光をしてみて、なるほどここは素敵なところだからもう一度来たい、こういう客層を生み出すことです。

 結局は、新規性や話題性、異質性の魅力とか好奇心への刺激とかで引っ張ってきて、次には快適性とか安心感とか満足感とか、今回行けなかったけど、次はここに行きたいなという期待感をもたせて、それで、リピータに変えていく。こういうサイクルになります。快適性は五感への刺激で生まれますが、物語性とか季節性とか多様性とか、こんなことをうまく展開をしていくわけでございます。

 地域の個性ということがよく言われますが、個性自体がすぐに陳腐化する危険性をはらんでいます。結局、違う国との競争の中での個性、価値観が非常に多様化した中での価値観に対する個性が重要になってきます。

 個性を演出する時にどういうまとまりでやっていけばいいのか。高知のある商店街だけ、県、四国全体、四国・中国という単位もあるなかで、遠くに対しては広がりの中での個性をアピールしていく、こんなことが必要になります。

 日本の地方部の国際的価値、これは実は日本人があまり気が付かないものなのかもしれません。今日、たまたま飛行機の中で機内誌を見ていたら、スウェーデンがヨーロピアン・ジャパンと呼ばれているという記事がありました。日本の何もないと我々が思っているようなものも、実は国際的には大変価値があったりします。従って、特定のものだけでなく、地域資源を全般的に見直すことが重要になります。行政のみでなく、市民ですとか、個々の商店の店主さんだとか、そういう人たちがどこまで早く目標を設定して、その目標を達成していくかが問われています。

 最後に余談ですが、実は私、「日本橋学生工房」といって、5大学の8研究室の学生を1人、2人ずつ選んで、東京の日本橋地区の再生をする、そういうお手伝いをしております。これはボランティアで、学生にも全く何の報酬もありません。

 日本橋は昔からの老舗が多いので、それぞれのお店が誇りをもっていることもあり、合意形成がうまくいかない。ところが、旦那衆曰く、「学生にはわがままをいえない」とか、「学生の正論には身勝手な反応ができない」とかで、活動を支援していただいています。

 実は今年、MITの学生も加わって、まちづくりの提案をします。僕の学生時代には考えられなかったことですが、次の時代には期待がもてるのかなと、思っている次第です。
 


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