公開日 2007年12月08日
更新日 2014年03月16日
「橋本知事と平井雷太さん公開インタビュー」
掲載紙:月間セルフラーニング「Co:こお」
発行日:平成16年2月25日
発行元:(有)セルフラーニング研究所
ちょうど一年前に橋本高知県知事に手紙を書きました。「21世紀の教育について考える会を企画しようと思っていて、キーワードは“自己を開く”“情報の流れを上意下達的にしない”になると思うので、テーマを“21世紀の視点―大人が学習者でありつづけることで、子どもたちは多くのことを学ぶ―”にしようと思っています。是非ご参加お願い致します」という旨の手紙でした。すぐに「一緒にやりましょう」とお返事をいただき、実現したのが今回の会でした。二〇〇三年十月二六日に高知市五台山の竹林寺本坊をお借りして行なった公開インタビューでの様子をダイジェストでお届けします。 松木 尚
◆好きな教師が一人でも一生のうちにいるかいないかはやっぱり違うんじゃないかな
◆したいことを探すよりも、まず何かやってみること。いろいろなことを経験してみたらどうかなと思うんです。
◆開かれたというのは、全面公開すること、そこが大切だと思います。
◆わかるよりわからない方を選んだ方が面白い
◆子育てに遅すぎるはない…自分の問題に気づき、そのことが問題じゃないと認めてくれる人がいるということ
◆助けるのではなく、子どもにどこまでまかせられるかというのは本当に大事
◆教師が自分を開くってことがてらいもなく出来るようになっていけば、本当はそれだけで教育は変わっていく
「平井さん→橋本知事」
〇好きな教師が一人でも一生のうちにいるかいないかはやっぱり違うんじゃないかな
平井: 「土佐の教育改革」ということでかなり一生懸命進められているようですけれど、橋本知事自身が教育に関心を持たれ、教育のことを考えないとまずいと思われたのは、学生のときの体験とか小中学校のときに影響を受けた先生がいたとかがあったからですか?
橋本知事の原体験のようなものと「土佐の教育改革」とのつながりみたいなことをちょっとお聞きしてみたいんですが。
橋本: はい、わかりました。原体験ということですけど、幼稚園、小学校中高一貫の学校、大学と全部私立の学校を出ていまして、なんか金だけかかってしまったという感じですが、それぞれに楽しい思い出が多くって、学校へ行ったら楽しかったというのが原体験なので、
知事になって子どもたちと会って話したり、また知事室に来てくれて話をしたりすると、「とにかく学校に行くとくたびれる」とか「教師がどうのこうのという」とかを聞くと、どうしてそうなちゃったのかな、どうにかしてあげられないものかな、という思いがひとつにはありました。
それから、学校の教師ということでは、僕は小学校のときの先生で、いまも毎年一回ぐらいはお会いしてお付き合いしている方がいます。好きな教師がいたとか、いまもいるというのは自分にとってとても幸いなことだなと思います。
そういう好きな教師が一人でも一生のうちにいるかいないかはやっぱり違うんじゃないか、学びの力とかにおいて、そう思ったんですね。「土佐の教育改革」とひと口で言い切れませんが、心の問題とかもありますから連動していくわけじゃないですけれども、そういった体験をいまの子どもたちにもさせてあげられればなと、もちろん「られれば」という言い方をするとえらそうですけれども、これがきっかけですね。
平井: やっぱりご自身が受けてきた教育がよかったなと…。
橋本: よかったかどうかはわからないけれど、楽しかったというか、ただ楽しければいいというのではなくて、いい思い出になって僕自身の心を明らかに豊かにしてきたんじゃないかなと思います。
〇したいことを探すよりも、まず何かやってみること。いろいろなことを経験してみたらどうかなと思うんです。
平井:教育とは少し視点が違うのですが、職業選択についても伺いたいんですが、普通「あなたは何になりたいのですか」と聞いて、なりたいものが明確になるとそれに合わせて学んでいく、目的を持つのがよくて、やりたいことがないことが問題みたいに言われていますけど、橋本知事は、自分が将来何をするのか、小中高大と学んでくる中でまさか知事になるとは思っておられませんでしたよネ。
橋本: はい、それは全然なかったですよ。
平井: ですよね。では学習しているときには何がはぐくまれて、ご自身の職業選択につながったかをちょっとお聞きしてみたいんですが。
橋本: 職業に関してはですね、子どもの頃はお坊さんになりたいと思ったり、お医者さんになりたいと思ったときもありましたし、他には弁護士になりたいと思ったり、テレビの影響なんかがあると思うのですが、何かになりたいなりたいと思っていました。
ただ、NHKの記者になったのもそんなにマスコミに行きたいと思っていたわけではありませんで、一浪をして大学を卒業するときに夏休みも冬休みもなくなっていきなり毎朝毎朝会社に行けるかな、もうちょっと時間が稼げないものかなと、でも大学院にいって勉強するほど勉強が好きでもないし、で学資入学しまして学部も変えて、結局、三年ほど余分にいましたけれど、就職するときには年齢制限で銀行なんかは引っかかって入れなくなってしまい、それでも入れるところは証券会社やマスコミしかなかったんです。
ですから、その中から選択して、NHKの記者になれればいいじゃないかと、そういう感じで職業選択しましたから、ご質問の直接の答えとして言えば、子どもの頃に影響を受けた人がいたとか、テレビとかでなく、親と話した以外には影響を受けたものはありません。
逆に、いま若い人たちと話をしますと、真面目系の人たちは、こうしたいということを高校の頃からかなり明確に持っていると、少し使命感が強すぎやしないかなと、真面目すぎやしないかなと。われわれの頃なんか「したい」という思いはあっても、ぱっぱと変わったり、成り行きで来た人がわれわれの世代には多いですよね。
親御さんの期待を受けてそう言われるのかどうかはわかりませんけれども、真面目な人ほど「将来、自分はこういうことをしたいんです」と決めているというか、それはとてもすばらしいことなんですけれど、ちょっとそれがなんかを狭めたり、使命感のようになっていて、窮屈になってしまってはいないかな、とご質問からずれてしまうかもしれませんが、そういうことを最近若い人たちと話していて、自分たちのずぼらさと比べて感じますね。
平井: 若い人たちにとりあえずしたいことを探すよりも、とりあえずまず何かやってみるみたいなことを提案したりされるのですか?
橋本: そうですね、まず僕はいろいろなことを経験してみたらどうかなと思うんです。最近、僕は大学生の方のインターシップという形で、知事のそばで一週間二週間県庁の幹部会である庁議だとか本当は職員も入らないようなさしでの話なんか、そういうところにも入ってもらって、「このことは内緒にしておいてね」ということもありますが、とにかくいろいろな経験をしてもらうようにしています。
また、ここ数ヶ月くらいは大学生といろいろな地域に出かけていって地域の声を、単に道路を直す事業だからといって直してくださいというから直したらいいという政策事業だけでなくて、なんかそこに隠れているニーズを探して、政策事業を考るとすればどうしたらいいか、という勉強会形式でやってきているんです。
結構そういうことに参加してくれた人たちが、これまで見たことなかったことを見る、県外から来たお子さんなんかは、まったく同和地区がなかったところにいた方は同和地区の差別問題を見るだけで驚いたりしますし、いろいろな影響を受けますね。
まあ、それはひとつの例ですけど、山間地域ということだって東京にいたらわからない、中山間地域(平野の周辺部から山間部に至る、まとまった耕地が少ない地域)だってどこにあって、何がなにやらわからない。山間地域へ出かけていってこういうところに暮らしている人がいるのを見て、話を聞くだけでいろいろな影響を受けます。だからといってこれを職業選択に活かせといっているのではなくて、そういういろいろなことをしている人を知ってもらうということなんです。
平井: じゃあ、橋本知事はインターシップは最初からやろうと思われていたんですか?
橋本: いやーそうじゃないです。それはこの三年ぐらいです。これは、インターシップをやっているNPOの若者がいて国会議員とか市長さんだとかはやっているんだけれども、知事さんでまだやっている人はいないので、是非やってみてくれないだろうかということがあって、これは自分自身の刺激にもなるだろうし、また若い方がいろいろな経験をしたり活動をしたりするのにいい機会じゃないかなということではじめました。
〇開かれたというのは、全面公開すること、そこが大切だと思います。
平井: 僕は、人が育つには場とチャンスを提供する以外はないと思っていて、そういうチャンスを提供してくれる人がいるのはすごくありがたいことだと思うんですね。それじゃ、そういうことを積極的にする人と、しない人は何が違うんでしょうね。
橋本: それはですね、怖がらないかどうかとか、怖いもの知らずかどうかということあると思います。学生さんや県の若い人にきてもらってるんですけれども、この人のところには入ちゃだめだとか、こういう会議には入ちゃだめだとかいうのをやったら意味がないと思います。
平井: お話を伺っていて、「開かれた学校」ということは、「開かれた知事」だからという風に感じましたが?
橋本: 学校でも、開かれたというのは、一部が開かれたというのではなくて、恥ずかしい部分、恥部があるかどうかわからないけれども、全面公開すること、そこが大切だと思います。
なんか、これは見せよう、これは隠そうというか、あんまり見られたくないところを知られちゃうとこれはいけない、どうにかしようという行動パターンに入りますでしょう。で、知られたくないところも知られちゃってると、もうべつに人に後ろ指されたり、まあ開き直っちゃいけませんけれど、まあ現実としてそうですから、反省すべき点は反省しますが、でもここはこうしましょうと前向きに自信を持ってやっていけるのではないかと思いますね。
平井: 橋本知事のように先の見えないことでもやってみる方と、その逆で見えないところに出てみたり、何かやってみようという状況を怖がっている人は多いと思うんですが、知事の場合はもともとですか、それとも何か培われてのものですか?
お話をうかがっていますと、いろいろと選択肢があるなら、わかるよりわからない方を選んだ方が面白いみたいな、そんなところが感じられるのですが…。
橋本: 安全思考でいくか、ややリスクを負うほうでいくかというのは、多分生まれつきだと思いますね。親に危ないほうを選べといわれたわけでもありません。私の場合、父が障害者でして小学校五年ぐらいのときに結核菌が入ったカリエスという病気で七年くらいは病床についていました。うちの親父が何にでも挑戦する、しかも大正、昭和の初期の障害者なのでハンディキャップの大きさでは、世間の目というのはいまとは比較になりません。
何にでも挑戦していくとか、何でも粘って粘ってやっていくという人だったので、親父のような粘りは僕にはありませんが、そういうことから自分は門前の小僧で親父から習ったように思います。危ないこともまあやってみようということにつながったのかもしれません。
平井: 結構、お父さんの影響って大きいということですか?
橋本: 直接的に話をしたりということではなく、門前の小僧的に親父の背中を見ていた影響というのはありますね。高一のときに父は五七歳で亡くなりました。私は五六歳なので、来年ですね、親父が亡くなったのは。それくらいで亡くなっているのですから、本人も悔しい思いはあったでしょうね。本当はもう少し自分が大人になって一年でも話が出来ていれば、またいろいろなことはあったろうと思います。
「橋本知事→平井さん」
〇子育てに遅すぎるはない…自分の問題に気づき、そのことが問題じゃないと認めてくれる人がいるということ
橋本: 子どもの年齢でいうと、〇歳から六歳、就学前の六年間というものが、僕自身はとても大切だと思うんですが、その時期の子育てというか期間というのは、その子の一生にあたえる影響というのはどのようにとらえていますか?
平井: 僕は基本的にはもう何歳からスタートしても手遅れはないとはっきりそう思っています。だから三歳までの経験がどうだったから、だからそのあとの一生に響くってこともないと思っています。
だけど、もちろん三歳までも大事かなとは思いますよ。それはどうしてかと言うと、例えば僕は養子なんですが、そのことは十八歳まで知らなかったんですけど、僕は過保護、過干渉、ものすごい子育てをある意味では受けているんです。
それをどう活かすかは本人次第ですから、反面教師として活かすことはいくらでもできるわけで、小さいとき虐待とかあったからこうだという因果論でものを発想する発想の仕方はあんまりしないです。そういう意味で、どんなふうに育てても子どもはどんな風にも育っていくというのが三〇年以上教育に関わってきたいまの思いです。
先ほど不登校の話を伺ってもそう思いましたけれども、いろいろな会合にいくといま不登校のお子さんを持っている親御さんはまずいますね。それくらい多いですが、最初は悩んでいるけども、どう見てもこの人はお子さんが不登校になったおかげで人のつながりができて、思いがけない経験をしているという人ばっかりですよ。
僕はそういう意味で問題現象、問題行動って一般に言われているよくない現実は、実はよくなくないんじゃないかと逆に思うんですね。
橋本: 多くの子どもは、なかなか充分な感性が養われる環境にはいないと思うんですが、そこからさきのいろいろな手当てというか、手の差し伸べ方っていうのは、これは個々の子どもによって当然違ってくるのでしょうか?
平井: 違ってくるっていうか、いろんな子がいますけど、その子が自分を取り戻していくプロセスというのは、どの子もよく似ていると思います。たとえば、病気であるということを問題にしないで、病気であることを肯定しながら、そのことを楽しめるようになっていくと変わってきます。
橋本: それは家庭の中でも、学校の中でも同じでしょうか?
平井: そうですね、いま例えば僕の教材が児童養護施設でも使われていて、そこの職員と子どもとの関係でもそうだし、この子の声を聞きながら、この子が何をしたいかを認めてゆくというのが原点だと思いますね。
こちらがどうにかしてやるっていうことじゃなくて、子どもでも大人でも誰でも自分で自分を変えていくのは自分なんですよね。だから、自分の問題を自分が気づいて、それが問題じゃないと認めてくれる人が一人でもそばにいれば、これはもう本当に変わっていくと思います。
橋本: そういうのはご家庭であったり、また施設のようなところならば見守ってくれる人がいれば出来やすいように思いますが、学校ではどうなんでしょうね?
平井: 学校の中にも教材が入っていますが、大人(教師)の人が「私が子どもをどうにかする」って思っている限りどうにかなりにくいんです。子どもがやっているそれは、子どもの問題なんだというふうに思うようになると距離のとり方が出来てきますから、先生は楽になって、子どもが変わっていくという・・・。
こちらがどうにか子どもを変えようと思っているときにはどうにもならないということが、子どもが自分で気づいて変わっていくとなったときに、この視点を持てるかどうかだけでずいぶんお互いの関係が変わりますね。
〇助けるのではなく、子どもにどこまでまかせられるかというのは本当に大事
橋本: いまのお話に出た教材というのは、「教えない教育」の道具の一つになるわけですよね。それで、平井さんの言われる「教えない教育」っていうか、自分自身で気づいていくというのは、ものすごく素敵だと思うし、そのとおりだと思うんですが、
気づきができてそこからスタートしてしまえば自分の力でいい螺旋階段を上がって行けるとは思いますが、最初の気づきの一押しというか、きっかけ作りというのはどういうやり方なんでしょうか? コツというとちょっとおかしいでしょうが…。
平井: プリントを例にしてお話すると、僕のところにはいろいろな人がきますけど、例えば中学一年生で不登校の子が来たとしますね。プリントはだれでも小学校一年生のものからはじめるので、一年生のを三枚(小1-3、小1-11、小1-24)並べて見せるんです。
小学一年生の最後のプリントは120問を5分で間違いが3問までなら合格。結構難しいので大人の人でもこのプリントを見ると、「えーこんなにやるのー」というくらい、次に小1-11っていうのは+1、+2、+3、+4ばかりで目安5分で120問で結構やさしい、そして小1-3というのは+1ばかりで目安3分、これを並べて見せるわけですね。
このときに「どれやる?」って聞いちゃだめです。どれやるっていう聞き方だと「やらない」という答えを引き出すからです。要するに「NO」って言う答えを引き出すような聞き方をするのは「NOでもいいんだよ」と言っているのと同じですから、三枚見せて「どれならできそう?」って聞くんです。
そうすると自分のできそうなのを、探すようになる。これはもう自発性なんですね。で、「やるやらないのはどちらでもかまわないから、ためしにこれやって見る?」と聞くんです。要するに「自分で決めればいい」。いままで三千人近くみてますけど、できないことはやりたくない、だけど、できることはやるって子がほとんどです。
橋本: 単にこれは基礎学力的なことだけを目指しているということではないと思いますけれど、プリントをやって見て、これならできるなっていうのがあって、学力的に進んでいっているというのはどのようにされるんですか?
平井: もともとプリントは僕の息子への対応で作ったので、息子に指示命令を出してやらせたら、絶対に嫌になる。僕が子どもだったら親から言われて嫌だったことはしたくないと、そうすると「命令しない、怒鳴らない、手を上げない」になっちゃうんです。
自分の状態が自分でわかるようになると、判断ができると思いましたから、プリントをやってすらすらできる状態を目安時間に設定しました。そういうふうに時間が設定されていると、どの子もできる状態にならなければ先に進みたがらないことがわかりました。
学校は教師が決めるじゃないですか。できていなくても途中で先に進めるからどんどんわからなくなる。ものすごい単純な原理だと思ってください。できるようになるのも人によって様々なプロセスを経ることがやっているうちにわかってきたわけです。
ある子は三回くらい繰り返すといいけど、ある子は三ヶ月やらないとできない。三ヶ月っていうと九〇日ですよ。子どもが自分で決めてやっていく、僕はそれを見ていて、できないってことは本当にいいなと思ったんです。人が育つには「できないこと」でしか育たない、うまくいかない、つまる、困るという状態で人は自分に気づくわけですよ。粘り強さ、根気、集中力などの大事なものは、行き詰まる状態で育つわけで、どこまでまかせられるかっていうのは本当に大事です。
橋本: 助けちゃうから、その力がつかないまま次に行ってしまうんですね。なるほど。
〇教師が自分を開くってことがてらいもなく出来るようになっていけば、本当はそれだけで教育は変わっていく
橋本: 教師の子どもへの関わり方もそうですし、学校のあり方も、いま問われている時代だと思っていますが、最近はチャータースクールとか、いろいろな学校作りの動きがありますよね。
学校として認める認めないは別にして、学校の型っていうのはもっとフリーであるべきだと思われますか? 形はいまのままで、中味が…というようなことを何か思われますか?
平井: 形は、根底から変える必要は本当はないと思っています。昔は義務教育がダメだと思っていましたけれども、やっぱり公教育ってすごく大事だなと思っていて、制度として変えなきゃいけないことはあまりないなと思います。
ただ、実際にいま、習熟度別とか学校選択性になっていますけど、公教育の最大のメリットというのは、「学びたくないときに、学びたくないことを、学びたくない人と、学びたくないだけ学べる」ことがいいと思っています。
橋本: 難しいですね。リンカーンより難しい。
平井: 要するに公教育は自分で選択できない、だから「違いと出合う場所」としてはあんなにふさわしいところはないと。不登校の人たちがいま出ていますけど、ああいうシステムなら出るのがあたりまえ、出ることも否定しないで、まぁどちらかというと、出ることが健全な学校だと思います。
不登校の子っていうのは、自分の学ぶ時期を自分で決めることができる子なんだろうと思っていますので、いつ学びをスタートしても全然問題はないなと思いますから、一律一斉に六歳からは学校に行くっていうのがちょっと無理があるかな。
だけど、六歳からっていうふうにしとかないと不登校も生まれない。そういった意味では、不登校が出ることは本当は問題じゃなくって、それとどう付き合うかが僕は大事だと思っています。
橋本: なるほどね。いまの学校の仕組みそのものは特にこのスタイルでいいでしょうと。じゃあ、別にここを変えればいいと平井さん流に思われることはどんなことでしょう?
平井: 一つにはいま大阪府立松原高校というのがあって、これは『進化する学校、深化する学び』(学事出版)という本になっているんですが、総合教育を十年くらいずっとやってきた学校ですよね。そこに「らくだ教材」が入っているんですよ。それと沖縄にある沖縄大学にも小中学生がやる「らくだ教材」が入っているんです。
僕は学校に教材が入るにあたって、条件をつけたんです。先生自身も「らくだ教材」を解く、毎日自分で決めてたんたんとやるってことを、先生がやってると、松原高校なんかでも子どもと先生が一緒にやると、子どもの方が先に進んだりするんです。
僕の教室とかでも、親と子が一緒にやっている場合があるんですよ。同じ場所を共有しながら同じことをしてると、子どものことを責めなくなるんです。自分で決めたことを自分でし続けるのが、結構大変だってわかると、親と子、学校だと先生と子どもが対等になる。先生がプリントをやるというふうに先生が学ぶ人になる。
あと、気づいたことを毎日書いて公開するという考現学というのもあって、それは自分を開いていくことになります。ですから、子どもだけをどうにかするんじゃなくって、その人が学ぶ人になっていくことが大事かなと。
先生が自分の教室を公開して、何を外に対して発表していくかということになると、いやがおうでも教室の中で起こっていることを見ざるをえない。観察する目ができてきますね。橋本知事がなさっているように開くってことを、教師自身もてらいもなく出来るようになっていけば、本当はそれだけで教育は変わっていくだろうと思うんです。
相互インタビューが終わったあと、会場からの質問を受け、「壁」というものをどうとらえるかや、子育てを通して感じたこと、自己を開くきっかけなどへとお話が広がりました。子育てのあるべき姿や理想を語るというのではなく、まさにお二人の経験を通してのお話に会場は盛り上がりました。尚、この講演会の様子を写したビデオが一月中に出来上がりました。ご覧になりたい方は松木尚までご連絡ください。(電話とFAX088-844-5934)