東大阪南ライオンズクラブのチャーターナイト25周年の記念での知事講演

公開日 2007年12月08日

更新日 2014年03月16日

東大阪南ライオンズクラブのチャーターナイト25周年の記念での知事講演

平成15年5月21日(都ホテル大阪)

(項目)
行政の経営
 ・行政経営品質向上システム
 ・コンピテンシー型の研修
地域の経営
 ・馬路村のユズ
 ・鍋焼きラーメンプロジェクト
地場の企業の経営
 ・高知工科大学
 ・新しい形のお風呂作り
 ・室戸の海洋深層水
 ・ミロクテクノウッド
 ・土佐和紙


 ご紹介いただきました高知県の知事の橋本でございます。
 本日は、東大阪南ライオンズクラブのチャーターナイト25周年の記念の式典、誠におめでとうございます。また、記念講演の講師としてお招きをいただきまして、誠にありがとうございます。

 なぜ、高知の知事が東大阪のライオンズクラブに出掛けてきたかという理由について、今、司会の方からもちょっとご紹介がございましたが、はじめに、私と東大阪との出会いというか、縁(えにし)を少しだけご紹介をしてみたいと思います。

 私が東大阪というか、その前身でございます布施とか枚岡という町の名前を聞きましたのは、今から40年前のことでございます。といいますのも、私の兄、龍太郎は、大学を出てすぐ今の東洋紡、当時の呉羽紡績に入社をいたしました。

 新入のサラリーマンとして大阪に勤務をいたしました時に、呉羽紡績の独身寮が布施にございまして、兄はしばらくそこに住んでおりました。ということから、兄から40年ほど前に布施とか枚岡という地名を聞きましたのが、私の東大阪との出会いでございます。

 それから15年後、今度はNHKの記者として福岡から、私、大阪の方に転勤をしてまいりました。およそ4年間勤務をいたしましたので、その間、東大阪の方に取材で伺ったことも何度かございます。

 といいましても、若い記者の取材の対象というと、大体、事件絡みでございますので、例えば、交差点で車が止まってる時、後からクラクションを鳴らされて、怒った運転手が下りていって、クラクションを鳴らした人をピストルで撃ったという「クラクション殺人」というのが、かなり前にございました。

 その事件の後日談の取材でございますとか、また、大阪地検特捜部を担当しておりました時に、ある摘発を受けた事件の関係の方が、たまたま東大阪御厨周辺に住んでおられましたので、その方の周りの取材だとか、25周年のお祝いにはあまり相応しくない、かんばしくない話題ばかり思い起こしますので、そこら辺のことはちょっと割愛をさせていただきます。

 で、いきなり知事になってからに話は飛びますけれども、私が知事になりました時、府知事は中川さんでございました。
大変、先輩として仲良く、またお世話をしていただきましたが、その中川ご夫妻からご紹介をいただいたのが、先ほどご紹介のあった、このクラブのメンバー、第二副会長の吉向さんでございました。また、その後、大変お世話になった先輩の記者の松見さんが、東大阪の市長さんになられるというご縁もございました。

 ただ、日々忙しい、バタバタとした毎日を送っておりますし、また予想もしない出来事が最近は次々と起きますので、新しいネタを仕入れたり、また、それを話にまとめたりという時間的な余裕も気力もあまりございません。

 ということから、この場でもこの1年、半年ほどの間、何回か外で講演をさせていただいた、その話を、少し年月日だけ焼き直したような形でお話しをすることをお許しを願いたいと思いますし、また、その中には高知県の、また高知県の企業のPRも幾つか出てまいりますが、その点もご容赦を願いたいと思います。

 ということで、本題に入らせていただきますが、この場にいらっしゃるメンバーの方々は、多くの方々が商工業なり、色んな事務所なり、「経営」ということに関わっていらっしゃるのではないかと思いますので、行政の経営、地域の経営、そして地場の企業の経営というような3大話で「地方の経営を考える」といったテーマで、少しお話しをさせていただきたいと思います。

(行政の経営)
 まず、行政の経営ということでございますが、私が知事になってからもう早いもので12年目、つまり、もう3期目の最後の年を迎えております。その私がはじめて知事になりました時に、県の職員に言ったことは「意識改革の必要性」ということでございました。

 もう少し具体的に言いますと、「県という機関は、県民の皆さんに対するサービス機関、いわばサービス業のようなもんだから、もっと色んな仕事をする時に御上意識ではなくて、サービス精神を持って仕事をしよう。」というようなこと。

 また、「どんな事業をするにしても、そのコストパフォーマンス、費用対効果をきちんと考えながら仕事をしていこう。」というようなこと、そういうことを言いました。

 また、さらにその当時は、県の仕事というものを見てみますと大半は、国に色んな制度や補助金がある、これを取ってくるということを考えます。そして、それを取ってこれそうになると、「では、どういう地域に配分をしていこうか。」という、上から下への物の流れ、仕事の流れが大半でございました。もちろん、国から色んな物を取ってくるということも必要ですから、全て否定されるべきものではありません。

 けれども、「これからは職員一人ひとりが、それぞれの分野、持っている現場で何が課題か、何がそこでのニーズかということを捉え、その課題を解決をするため、ニーズに応えるための事業、施策を自分で考える。そして、それが国の何か事業制度と合っていればそれを持って来るという、下から上への積み上げ、いわばマーケティング方の行政というものも必要ではないか。」こんなことも言ってきました。

 さらに、「情報公開の徹底」でございますとか、「県民参加型の県政」ということも訴えて、県民の皆さんに実際に集まっていただき、県税収入のわずかな額を元手に、ご自分達で予算づくりを経験し、実際に予算まで作っていただく、「県民参加の予算づくりのモデル事業」というような、新しい取り組みにも挑戦をしてきました。

(行政経営品質向上システム)
 しかし、5年経ち、6年経っても、なかなか職員の意識改革というものが大きな流れになっていきません。もう少し、その意識改革の流れというものを確かなものにしていきたい。また、それを外から、また上から言うだけではなくて、自分達が考えながら、自ら変わっていけるような、そういう組織にしていきたい。そんな思いで取り入れた仕組みに「行政経営品質向上システム」という、少々長たらしい名前ですけれども、取り組みがございます。

 この「行政経営品質向上システム」というのは、元々1995年に社会経済生産性本部が始められました「日本経営品質賞」というものを元にしておりますが、「これを行政バージョンに焼き直したものを是非やってみたい。」という提案を職員から受けました時に、私は「なかなか面白いな」と思いました。

 といいますのも、例えば、「自分達にとっての顧客、お客様はどういう人達か」「そのお客さんのニーズをどのような形で掴んでいるか」「そのニーズを元にどんなビジョンを立てているか」また「そのビジョンをどういう形で実行しているか」というようなこと。まあ、これは、今申し上げた日本経営品質賞のテーマ、目指すものでございますが、それはそのまま行政にも当てはまることではないかと考えたからです。

 ただ、行政の世界にいきなり「経営だ」「品質だ」と言っても、なかなか受け入れられるはずがありませんし、企業でできたものをそのまま持ってきますと「企業と行政とは違うんだ。」という拒絶反応、拒否反応が起きることも目に見えていました。

 そこで、この企業で始まった経営品質というものを行政に置き換える。そういう仕組みづくりを年ほどかかって、プロジェクトチームで検討をしました。その結果、7つのカテゴリー、例えば「ビジョンがきちんと立てられているか」というようなこと、また「リーダーシップをとって仕事ができているか」というようなこと、この7つのカテゴリー毎に5つの質問項目を立て、そしてそれを1ランクから6ランクまでの段階で評価をしていく行政の経営品質のシートというものを作りました。

 そして、それを職場で、職場ごと運用をしていく時に一番大切にしたことは、「職員の気づき」ということです。
 といいますのも、高知県庁には本庁の中と、出先の事務所合わせて200ほどの課室・出先事務所がございますけれども、そういう職場で管理職からヒラの職員まで合わせて話し合いをしていき、「何が自分達の職場の弱みかね?強みかね?」ということを議論する。

 その中で「ん、これが弱みじゃないか。」「これが強みではないか。」ということに気づくと、「その弱みを、それじゃあ克服するために何をすればいいか。」また「強みを伸ばすために何をしていけばいいか。」という、次のランクの目標を立てた仕事というものができるようになります。

 こういうことによって、その前例、前例に流されてきた行政の仕事の中に、自分の仕事を見直して次のランクを目指すという、上向きの考え方が出て来るのではないか。で、それを積み重ねることによって、行政の品質というものも上がっていくのではないかと思いました。

 で、これに対して気づきではなく、外から見てもらって「ここが悪いね。」「ここは直しなさい。」と指摘を受ける。まあ、医療でいえば、外科手術をする西洋医学的な手法というものも当然あると思います。けれども、こういうやり方で「ここが悪い」といって手術をした。

 その時は、その部分は治るだろうと思いますけれども、県庁という組織の体質そのものが治っていないのに、何かここが悪いからといってそこだけ取り出せば、その時は治っても、体質はそのままですから、また時間が経てば別の場所に同じような病巣ができてくるのではないかと。

 で、あれば、そういう手法ではなくて、経営品質という、いわば漢方薬を3年、4年、5年と、こう飲み続けることによって段々体質を変えていく、そういう東洋医学的な手法の方が時間はかかっても、結局ゴールには早く着けるのではないかという思いで進めてきました。

 また、この「気づき」ということを大切にした背景はもう1つあります。それは何かと言いますと、高知県庁という職場の上下の風通しの良さと思っています。といいますのも、高知県庁にも、他の県から交流の職員として派遣をしてこられる方々が毎年何人かおられます。

 で、何年かにいっぺん、そういう職員の方とお話しをする時に、僕は必ず「あなたの県の県庁の仕事、その職場の風土と、高知県庁の職場の風土に違いがありますか?」という質問をするようにしています。

 何年か前ですけれども、ある県から来られた方が「それはもう、全く違います。高知県庁は非常に上下の風通しの良い職場だと思います。」という話をされました。

 よく聞きますと、その方のおられる県庁では、昼間その職場で仕事をする時、ヒラの職員は係長としか話ができない。係長は補佐と、補佐は課長と、というように、上下の序列がしっかりしているので、仕事中に一般の職員が課長と直接話したりすることはほとんどあり得ない。それが、高知県庁では日常から普通の職員が課長と、また時には部長とも話をする。「こういう状況を見て、とても風通しが良いなと思った。」という話でございました。

 また、この方は、そのご自分の県庁と高知県庁とを野球に例えてこんな話もしてくれました。それはどういうことかと言いますと、ご自分の勤めている県庁は、監督のサインどおりにバントをし、またボールを見送る。

 いわば高校野球のようなものだけれども、高知の県庁は、まあ監督のいうことを聞かないと言うよりも、選手が自分で判断して、少々高めのボールであっても思いきり振ってくる。「だから、当たれば怖い大リーグ並だと思った。」という話をされました。

 で、その話を聞いて、「おお、そうか。高知県庁は大リーグ並か。」と思って、やや自慢げにある方にその話をしましたら、「いや、橋本さん、それはいくら何でもお世辞でしょう。

 その人が本当に言いたかったのは、大リーグ並ということじゃなくて、それは早起き野球か、素人の草野球みたいなもんだということが言いたかったんじゃないの?」と言われて、ぎゃふんといたしましたが、いずれにしろ、職場の中で自由に上司と話ができる風通しの良さというのは、職場で色んな議論をして気づいていくという、この経営品質には向いている風土ではないかということを思っています。

 と同時に、「気づき」ということで言えば、この仕組みを取り入れてもう3年、4年と経ちますけれども、その間に自分自身が気づいたことが1つありました。それは、先ほど申し上げたように、この経営品質というのは企業から出たものですし、企業にとって大変重要な意味を持っていると思います。けれども、それ以上に、行政にとって大変役に立つ仕組みではないかと思ったことでございます。

 といいますのも、企業の場合には利潤を追求する。また営業成績を上げる。いわば数値化できる目標というものを立てやすい環境にあります。
これに対して行政の仕事というのは、なかなか数値目標を立てられないということを、ある意味では隠れ蓑に10年一律「前例、前例だ。」と言って同じ仕事を繰り返してきたというきらいがあります。

 これに対して、行政経営品質というものを取り入れて、先ほど申し上げたように1つでも上のランクを目指していこうという考え方が出て来れば、目標を立ててそれを目指していくという、これまでになかった行政の仕事ができるようになるのではないかと、そういう意味で、企業以上に行政に役に立つ仕組みではないかと思いました。

 また、これは行政の組織だけではありませんけれども、人事ということを考えた時、大きな組織では必ず減点主義、つまり、何か失敗した人をマイナス評価をするというような人事評価になっています。

 このために、「その減点主義の網に引っかからないためには、前の人がやってたことをそのまま踏襲すればいい。」ということで、先ほど言った前例主義がずーっと続いていくということになりますが、今申し上げたように、行政経営品質というもので「少しでも上を目指す」という考え方が根付いていけば、減点主義ではなく加点主義という意識の変革が出て来て、そこに人事も絡めて仕事の仕方の変化が出て来るのではないかと思いました。

 あわせまして、これまでの行政であれば、法律や制度の枠組みの中で、それを上手くこなしていけば「そういう職員が優秀な職員だ」という評価を受けました。もちろん、行政ですから法律制度の枠組み、それは大切ですし、それをきちんとこなせることは最低条件です。

 しかし、これからは先ほども言いましたように、現場から何が問題か?ということを感じとって、それを事業に自分で組み立てていく。マーケティング型の発想が必要ですし、そっから出て来た問題点が、今の制度・枠組みとぶつかり合うのであれば、今の制度そのものを変える必要があるという意識を持つ。

 そういう改革の意識を持つ職員が、今後は求められるのではないかということから言えば、この、今申し上げてきた行政の経営品質という取り組みは、そういう新しい時代の公務員を育てる、人づくりという面でも私はやがて役に立っていくのではないかと思っています。

(コンピテンシー型の研修)
 ということで、その「人づくり」という面、研修の面でもずいぶん大幅な手直しをいたしました。具体的には、「実地研修所」という名前も「能力開発センター」という名前に変えました。

 文字通り「職員の能力を開発していく」という意味ですが、例えば、従来の研修所なら、課長の研修というのは課長になってから新任の課長を集めて色んな話を座学で聞かせるという研修でございました。

 これに対して、これからは課長になる前に課長になるべき人、また、なりたい人、その人達を対象に「課長になるためにはこれこれこういう能力をつけてもらうことが必要だ。」というメニューを示し、その能力を身につけるための研修を用意をして、それを受けて、その能力の身についた人を課長として登用していくということが、必要なのではないかと思っています。

 で、そういう仕組みづくりとして取り入れたものが、これも企業から出て来たもので「コンピテンシー型の研修」というものです。「コンピテンシーというのは何か?」と言いますと、企業の中で成功をした人、業績を上げている人、こういう人をモデルに、その方の行動特性を分析をして、その行動特性にあった能力開発をしていく。

 それによって、そのモデルになるような職員・社員の能力を多くの社員に身につけてもらおうという考え方です。で、「これを行政にも是非取り入れよう」と考えたんですが、なかなか難しい面があります。

 というのは、公務員という仕事、なかなかどの人が成功した人なのか、業績を上げてる人なのかということを、まずモデルとして決めることが難しい。その上、これまでのように制度の枠組みの中で上手くキチッとやっていくというだけではなくて、制度そのものを変えていくという新しい意識を持った公務員ということになりますと、まだ、なかなかそのモデルになる人が出て来ない。その中で、そのコンピテンシーのモデルを作るのが難しいという面がありました。

 が、そこでも、先ほど申し上げた行政の経営品質のシートというもの、つまり「お客様は誰か」「そのニーズをどう掴んでいるか」「それをどのように仕事のビジョンにつなげ実行しているか」というようなこと。

 まあ、これはまさに、これから管理職であれ、何であれ、そういう求められる職員の能力とも繋がってきますので、この経営品質のシートを基に能力開発のコンピテンシーというものを作って、はじめは課長になる人から。そして課長補佐、班長へと、やがて研修を広げていっております。

 ただ、今申し上げた経営品質にしろ、コンピテンシー型の研修にしろ、職員にはなかなか理解をしてもらえてはおりません。まだまだ「企業と行政は違うんだ」という強いアレルギーというか、拒否反応があるのではないかと実感をしています。

 しかし、こうしたことを粘り強く続けていくことによって、21世紀型の行政の経営というものが実現できるのではないかと思いますし、その21世紀の行政の経営を担う公務員、人づくりということもできるのではないかと。是非、その先進県を高知県としては目指していきたいな。そんな思いで、行政の経営ということに取り組んでおります。

(地域の経営)
 次に、今度は地域の経営、よくいわれる「地域おこし」とか「まちづくり」ということですが、これを進めていきますためには、その地域のアメニティを高めて、住みやすい地域にしていくということはもちろん必要でございますが、それと同時に、その地域を外に対して売り出していくセールスポイント、その地域・町の顔を作るということもとても大切なテーマでございます。

(馬路村のユズ)
 この「地域の顔を作る」という面で、いわば成功をしている高知県の東部にある山間の村、ユズの村、馬路村の例を1つご紹介をしてみたいと思いますが、高知県は元々ユズの生産では全国1の産地でございました。

 東部地域の方が中心でございますけれども、従来はユズをそのまま出す。玉の形のまま出しますので「玉だし」と言いますが、これか、またはそれを絞って「ユズ酢」にして一升びんなどに入れて出すという売り方でございました。馬路村でも長くそういうやり方をしておりました。

 ところが、ある年、過剰生産になってユズ酢が余ってしまったので、これを使ってジュースを作る。またポン酢醤油を作る。そういう新しい2次加工品作りを始めました。といっても、手作りの商品作りでございますから、そう簡単に売れるわけはありません。

 けれども、そこで諦めずに、JAの担当者が足繁く東京や大阪のスーパーですとか、デパートに通って「何とか棚に置いてもらえないか」と、こういう話をし、そして置いてもらえた所には数日間ずーっと立って見て、そして買って下さったお客さんのお名前、住所を聞いてアンケートをお送りをする。そして、また冬場、夏場には「お中元・お歳暮にまたどうですか?」というようなダイレクトメールを、自分で手書きで出すということをずーっと繰り返してきました。

 こういう地道な努力を10年ほど繰り返したところで、ある大手のデパート・スーパーがやっておられました「全国の101の村展」という、いわゆる地場産品の品評会・選考会で最優秀賞を得ました。

 で、当然賞金が出ます。こういう村で何かで賞金が出ますと、これまでそういう販売などには全く関わってこなかったような地域の有力者が出て来て「いや~、めでたい、めでたい。」と言って、そのお金でお酒を飲んで終わってしまうというのが通例でございますけれども、この村ではそういうことをせずに、きちんとその賞金を貯めて、それを次の戦略に使いました。

 具体的には、新しいパッケージデザインを、地元のセンスの良いデザイナーに頼んで作るというようなことにお金を使いました。それが功を奏して、ジワジワと伸びていきました。

 今、この村は、もう人口2千人を切るという小さな村ですけれども、それでも「ごっくん馬路村」というユズのジュース。また「ゆずの村」というポン酢醤油、こうしたユズ製品だけで年間27億という売上をあげるまでになっています。

 つまり、こうした地域の顔を作るということには、大変な努力と、地道な長い時間が必要だということになりますけれども、一方、やはり地域の顔、セールスポイントを作れば、どんなに小さな村になっても、その村としては非常に強みだなということを改めて実感をしました。

(鍋焼きラーメンプロジェクト)
 そこで、次に、これほど上手くいっていない、まだ、それほど成功をしていないこの地域の顔作りの例をもう1つご紹介をしたいと思います。それは「鍋焼きラーメンプロジェクト」というものでございます。

 この「鍋焼きラーメンプロジェクト」というものを進めている所は、高知市から西の方に行きました「須崎市」という市でございます。去年、高知で国体が開かれました。それをきっかけに、国体の直前にようやくこの須崎まで高速道路が開通をいたしました。

 高速道路が開通をしたものの、須崎といってなかなか思い出すものがない。つまり、「町の顔がない」ということで、地元の青年会議所や、また商工会議所の若手の方々が「何かセールスポイントを作りたい。」と喧々諤々議論をした結果、白羽の矢が当たったのがこの鍋焼きラーメンというものでした。

 では、「鍋焼きラーメンとは何ぞや?」ということでございますが、戦後まもなく、須崎の駅前にできました食堂がラーメンのご注文を受けた時に、持って行く間に、出前の間に冷えるといけないといって、土鍋にラーメンを入れて運んだというのが起源で、それがわりと評判になって、そのお店では出前だけではなくてお店の定番商品としても、鍋焼きラーメンというものをずーっとやっておりました。

 お店そのものは、昭和50年代に閉店をしましたけれども、それが結構評判を呼んで、須崎市の何店舗かでこの鍋焼きラーメンというものが、地道な定番商品として続いておりました。

 そこで、鍋焼きラーメンにひとつ光を当てようということで、このプロジェクトが始まったんですが、プロジェクトが始まって間もなく地元紙にも大きく取り上げられましたし、それをきっかけに幾つかの地方紙にもこのことが載りましたので、小さな町・市としては、わりと華やかなブレイクをいたしました。

 このプロジェクトを始めて2年でございますけれども、最初17店舗で始めたものが、今46店舗。高知市にも鍋焼きラーメンという旗が、こうなびくようになってきました。また、非常に小さな商いではございますけれども、看板を作るとか、内装をし直すとか、アルバイトを雇う、そんなことで5億円ほどの、2年間で経済効果も出てきています。

 そこで、私も1度食べてみないことには話にならんと思いまして、もうかなり前になりますけれども、須崎市に行って一番老舗の食堂を訪ねました。大変良い名前の食堂で「はしもと食堂」というんでございますけれども、そこで食べましたら、鶏ガラのサッパリ味で、大変美味しくいただきました。

 実は、亡くなった高円宮様が、去年3回ほど高知にお見えになりましたので、最初にお見えになった時にこの鍋焼きラーメンの話をしましたら、大変関心をお持ちになって、2度目、夏の国体の時ですが、おいでになった時はお忍びで食べていただきました。そして、その後お話を聞きましたら、「とても美味しかった。」と、こういうお話を伺いました。

 ただ、この鍋焼きラーメンというのは、先ほども言いましたように、鍋焼きの器に入れるということと、なぜかタクワンがついてきます。ということが共通点なだけで、スープですとか、麺ですとか、具に、これといった、まだまだ特徴がございません。このため、もうかなり前ですけれども、「全国ラーメン選手権」というテレビの番組があって、この鍋焼きラーメンも出場したんですけれども、なんと1回戦で京都のラーメンに負けてしまいました。

 京都のニシンそばに負けるんならまだ訳が分かりますが、京都のラーメンといって、京都の方に失礼かも知れませんけども、あんまり有名じゃない京都のラーメンに負けちゃうようじゃあ、これは先行きが不安だなあと、こう思いましたが、今後、やはり味のレベルを上げていくということと、先ほども言いましたように、「この須崎の鍋焼きラーメンはここが売りだ。」という特徴をもうひとつ作っていくことが、本当の顔になるためには必要ではないかと思っています。

 と同時に、この鍋焼きラーメンということを聞いた時に、1つ思い出したことがありました。それは、後でちょっとお話しをしようと思っております「室戸の海洋深層水」というものを、僕が知事になって初めて聞いた時に、10年余り前のことですけれども、「この海洋深層水という名前を商標登録をしてるか?」と訊ねたことがあります。

 まあ、全く県の職員の人にはそういう意識がございませんでしたので調べてもらいましたら、案の定、雪印とクロレラさんが商標登録の申請をしておりました。で、高知県も申請をしましたが、結果的には一般名称だということで3社とも却下になりました。

 しかし、そういう経験から、やっぱり企業というのは知的所有権ということに強い、やっぱり関心と意識を持っておられるなということを思いましたので、この鍋焼きラーメンについても商標登録はどうか?といって調べましたら、これも、やはり大手の即席ラーメンを作ってらっしゃる食品会社が、きちんと商標登録をされておりました。

 ただ、その会社に問い合わせますと「まちづくりとして、地域おこしとして、その名前を使われるのは全くかまわない。」ということでございましたので、逆に言えば将来、この会社から「ここまで地域の顔として盛り上がって来たら、一緒に何か新しいビジネスをしましょうね。」という声がかかってくるような、それぐらいの地域経営が、これからこの鍋焼きラーメンプロジェクトにも必要ではないかなというようなことを思っています。
 以上、その地域の経営ということについて申し上げました。

(地場の企業の経営)
 そして、最後に、今度は地場の企業の経営ということで、幾つかお話しをしてみたいと思いますが、地場の企業の経営を進める時に大切なことは、そこにある人をどう活用するか、また、自然の資源をどう活用するか、そして、そこにある伝統的な技術をどう上手く活用していくかということではないかと思います。

 人ということで言いますと、これは、もう全国一律そうでございますけれども、これだけ不況も進み、またコスト競争では中国に物が持って行かれるという時代。こういう時代には、いかに付加価値の高い物づくり、または新しいビジネスを興していくかということが重要で、それのできる技術力を持った人というものが、それぞれの地域にいなければいけないということになります。

(高知工科大学)
 これに対して、我が高知県は、私が知事になりました時には、こういう技術を持った、工科系の大学、また大学の工学部というものが1つもありませんでした。そこで、私が知事になりましてから、土地と建物は県が準備をして、後は学校法人に寄付をして私立の形で興すという、公設民営の大学「高知工科大学」というものを立ち上げました。

 平成9年4月のことでございますので、今、まだ7年目の新しい大学ですが、今年3月にもう3期目の学生が社会に出ました。幸い、1期、2期、3期とも、就職率は96~100%ぐらいの、高い率を確保することができております。

 また、大学院も、もうできて4年。地域の地場の企業と連携して色んなことを考える「連携研究センター」というものもできて3年で、さまざまな取り組みが進んできました。

(新しい形のお風呂作り)
 連携研究センターでの取り組みを1つご紹介をしますと、高知県は高齢化では全国でも2番目、3番目という高齢化の先進県でございます。このために、介護サービスにあたる色んな物づくり、サービスづくりということが1つのニーズになっておりますが、そうした中で、車椅子、または寝たきりのお年寄りに使っていただけるお風呂、新しい形のお風呂作りというものが、この連携研究センターの研究プロジェクトとして進んでおります。

 これはどういう物かと言いますと、お湯を使わずに、ウレタンの、こういう細かい粒で、それを体にぶつけて体を洗ってしまおうというという仕組みでございます。
 なぜこういう物が出て来たかと言いますと、色んな施設でお年寄りにお湯に入っていただこうとしますと、やはり大きな男性のパワー、マンパワーが何人も必要になってまいります。

 で、そのために毎日、毎日、お年寄りにお風呂に入っていただくのはなかなか難しいということになります。そこで考えられたのが、今申し上げたウレタンを使った方式でございますけれども、具体的にはどういう物と言いますと、こういうユニットの箱があります。

 その中に車椅子ごとお年寄りに、もちろん裸になってですけれども、入っていただいて、首から上だけこう出します。で、その入っていただくと洗浄液が出て、そして、そっから蒸気がワァッと沸き上がります。そうすると、中にあったそのウレタンの小さな細かい多数の粒が、こう、その中を回って、消しゴムが消すように体に当たって汚れを落とすという仕組みです。

 なんて言いますと、何かチャップリンのモダンタイムズみたいな感じで、非常に機械的で冷たい印象を受けられるかもしれませんが、私も、これも鍋焼きラーメンではありませんけれども、試しに自分が入ってみました。すると、この蒸気の当たり具合、それからウレタンの当たり具合も、とても肌に心地よくて、気分の良いものでございました。

 で、これももう実際には、もう商品化の一歩手前までいって、福祉機器、介護機器としては大手の電機メーカーから誘いが来ておりますし、またエステ用の機器として大手の化粧品メーカーから引き合いが来ております。

 このように、研究者という人をどう地場の企業の経営に結びつけていくかということも、1つの課題ではないかと思っています。

(室戸の海洋深層水)
 次に、自然の資源ということでございますが、自然の資源でお話しをしたいと思うのは、先ほど言いました室戸の海洋深層水でございます。これは、県の東部にございます室戸市の沖合の海底320mの所から汲み上げている海底を流れる海水でございますけれども、非常に低い温度で、しかも安定をしている。

 また、雑菌が少ない、汚れが少ない清浄な水で、それでいて栄養素、ミネラル成分が多量に含まれている。また、物の湿り気を保つ、保湿性に優れているなどなど、数多くの特徴を持っています。

 しかも、表層の海流とは違う、その底流の階層の水が、ずーっと北大西洋を何十年、何百年という時間をかけて流れているということ自体が、非常にロマンティックでもあり、ストーリー性もありますので、最初に知事になってこの話を聞いた時に、「これは、必ず物になるんじゃないか。」と思いました。

 ところが、役所の仕事というのは、やはり縦割りの予算でいきますので、それを使った魚の養殖、昆布の養殖、「こういう研究成果ができました」というような地道な話は出て来ますが、なかなか物づくりということに発展をしていきません。

 そこで、もう何年か前のことになりますが、この深層水を企業の方々に自由に分水をし、使っていただくということをいたしました。そうしましたら、これから塩を除いて水を作る。また除いた塩で食塩を作る。さらにはお酒を造る。パンを作る。また化粧品を作る。もう様々な物づくりが進んでまいりました。今は111の業者の方々が様々な商品を作り、100億円ほどの地場の産業に育ってきています。

 しかし、こうなりますと色んな問題が起きるもので、つい最近もその中の1社が、民間の検査機関に水を出したら、そこから食品衛生法をわずかに超える水銀が検出をされたという話があって、大騒ぎになりました。

 ただ、県できちんと調査をいたしますと、源水は全く10分の1とか、もっともっと低いぐらいの量しか入っておりませんし、また、その問題が指摘された企業の商品そのものを検査をいたしましても、全く問題がないということが分かりました。

 何が原因でそういう結果が出たか分かりませんけれども、こうしたことが起きた時に、このホテルで起きたあのSARSの問題のように、何が今起きるか分かりません。そういう時の、やっぱり危機管理というものも大変重要な課題だなということを改めて思いました。

 と同時に、室戸の海洋深層水という形で一歩リードして、色んな取り組みが始まりますと各県も黙っておりませんので、富山でも、静岡でも、沖縄でも、というように、深層水を使った物づくりが進んできております。

 そこで、これからは「室戸の海洋深層水はここがこう違う」という、科学的な解明をしていく、また、これをよりブランド化をしていくということが、今後この地域の資源を活かす大きな課題ではないかなと思って、そのことにも力を入れて取り組んでいきたいと思っています。

(ミロクテクノウッド)
 もう1つ、地域にある伝統的な技術・技能をどう活かしていくかということで、1つ、「ミロクテクノウッド」という会社の例をお話しをしてみたいと思います。この「ミロク」という会社は、元々は鯨を捕る、捕鯨の捕鯨砲を作っていた会社でございましたが、ご承知の通り捕鯨がやまってしまいました。

 そこで、今度は銃を作るという技術を活かして、アメリカの輸出向けのライフルやピストルを作るという仕事を始めました。これは、今もこの会社の主流の商品でございます。

 で、ピストルやライフルを作りますと、その銃床を作るために木を扱い、木を装飾をするという技術が身につきました。そこで、その専門の「ミロクテクノウッド」という会社を創られたわけですけれども、そうした装飾品ではなかなか量ははけない。付加価値があっても、なかなかその販路が広がっていかないということがあります。

 そこで目をつけたのが、自動車の木製ハンドルでございました。ただ、自動車のハンドルを作るには、反りがあってはいけないとか、色々、安全上の問題があって、相当、技術的な苦労をされましたけれども、それまでの、その伝統的な技術を活かして、こういう板から丸い物を切り取って、そしてそれをうまく曲げて、その中のウレタンを囲ってしまう、芯を囲ってしまう、そうした木製のハンドルを開発をいたしました。

 これは、熱伝導が低い、つまり熱くならないというようなこと。また、手の握りが薄く木を巻いた物よりもはるかに良いということで、今、トヨタ自動車に入れていただいておりますし、既に数百人の雇用、さらにハンドルその物も、もう高知の中で作ろうというような動きになってきております。

 ただ、トヨタさんでございますので、「さらに生産効率を上げるように」と、こういうご要望が来ております。ですから、今言いましたように、1枚の木から丸い物を1つだけとるのではなくて、これを10本に切って、そしてそれを曲げて作るということができないかと、こうすれば10倍の生産効率ということになりますし、10分の1のコストということになりますので、こうしたことを大学と県の工業技術センターの方で研究を進めております。

 実際にはできますが、まだまだ商品化というところには至っておりませんが、このように地域にある技術、その産業その物が廃れても、そこで培ってきた技術をどう活かすかということは、これからどの地域でも考えていかなきゃいけないことではないかと思います。

(土佐和紙)
 もう1つだけ手短にお話しをしますと、高知県には「土佐和紙」という伝統の技術がございます。その中で、手漉きで非常に薄い紙を漉く「典具帖紙」という物がございました。

 で、これは戦後しばらくの間は、タイプライターのためのタイプライター用紙としてかなり需用がございましたけれども、これもタイプライターがワープロに変わるという時代の変化とともに、タイプライター用紙という需用はなくなりました。

 しかし、この技術を持っていた会社が、色んなことを考えた結果、電解コンデンサー、電池の電解コンデンサーのセパレーター、絶縁紙をこれで作るということを始めました。「ニッポン高度紙」という会社でございますが、今、この電解コンデンサーのセパレーターとしては、世界の70%のシェアを持つという企業になってきております。

 このような形で、地域の技能、その、実際に始まった時の物は廃れていっても、その商品に変わる、その技能を生かせる物づくりっていうのは必ずあるんじゃないかなと。そういうことを考えていくことを、今、求められているのではないかということを感じました。

 もう12時を過ぎましたので、そろそろまとめにさせていただきたいと思いますけれども、まず、このように時代の変化とか、環境の変化というものを感じとる感性というものが、行政にも、そして民間の皆さんにも今求められていると思います。

 と同時に、地域にある人、自然の資源、そして地域にずーっと培ってきた様々な技能、技術というものを、この時代の変化、環境の変化にどう組み合わせていくか。

 ということが、これからの地方の経営、地域の経営にとっては、重要な視点ではないか。そんな思いで、これからも行政の経営、地域の経営、地場の企業の経営・振興ということに、是非、努めていきたいと思っております。と、ペラペラとお話しをさせていただきました。

 元々、人様に話すのを仕事にしておりますので、話は下手な方ではございませんから、何か聞いてると「高知県は素晴らしいな」と思われたかもしれません。けれども、「隣の芝生は青い」というように、そう上手くいっているわけではございません。

 まあ、話半分か、20%か、30%ぐらいに聞いていただければ、現実とあおうかと思いますが、これからの時代、元気がない時代ですから、「カラ元気でも良いから」という思いでお話しをさせていただきました。

 これからも、「カラ元気でも良いから」というような思いで、地域のために、地方のために頑張っていきたいと思いますので、このご縁をまたこれからも是非、大切にさせていただきたいと思います。
 本日は、ご静聴を誠にありがとうございました。
 


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